グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<本>動物の治癒に学ぼうとするヒト:「人間と動物の病気を一緒にみる」

最近では、検索する項目にあわせてネットの方がユーザーの好みにあわせて
いろんな情報を提供してくれるので、出会いの確立も高まるのかもしれません。

以前読んだ本の中で興味深いと思った本の著者の講演の動画を見ました。

その本は「人間と動物の病気を一緒にみる~医療を変える汎動物学の発想」という題目で、

著者は、バーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズです。


著作の中心となったバーバラ医師は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターの心臓専門医で医学部の心臓病学教授。また、ロサンゼルス動物園の心臓コンサルタントでもある。

バーバラ医師は自分の経験を通して、ヒトもホモサピエンスという動物のひとつであることを
実感していることが本書を通して伝わってきます。


人の管理する動物はもとより、野生動物ですらヒトと同じ病気にかかることがある。

しかし、動物の医療と人の医療に違いがあるということは認めざるを得ません。

なぜなら、身体的しくみに同じところもあれば違うところもあります。
一番の違いは、動物の回復力の高さにあります。

不妊手術で腹部を数十センチも縫合されている犬が、翌日になると普通に動き回っている姿は
人の医師からすれば、驚き以外のなにものでもないでしょう。
人間なら一週間から10日は安静にベッドに横に寝ていなければいけない状態になるからです。

その動物の治癒力をサポートするのが動物医療です。


しかし、人間もヒトというホモサピエンスであることを認めることから始まります。

ヒトと動物に関わる医療の間に、もっとお互いの学びの場があっても良いのではないかという
バーバラ医師の素直な発言は、これまでは思う人はあっても声に上げる人がいなかったのでしょう。

人は動物とは違う、その垣根を越えたくないという人中心主義の壁が壊され始めていると感じます。


人は動物から学ぶこと、これは東洋的な考えでは当たり前のことです。

動物が食べているものから学ぶ、動物の動きを真似して体操をすること、

東洋では当たり前のことが、西洋では驚きをもって迎えられるのです。


なので、日本人にとっては、この考え方は当たり前すぎるとは思います。
しかし、西洋的な考えの方はこうした見方に行き当たる過程や新たな視点を学ぶ機会にはなります。



みなさんはどうやって情報の信憑性を確認するのでしょうか。

自分の場合は、その情報を出している人を信頼するかどうかで決まります。

本であれば、文章を読むうちに「この人にはとても惹かれる」という感覚で入ってきます。

セミナーであれば、「この人のことをもっと知りたい」という人の魅力にひかれます。

動画であればより直接的に、その人について直感的に信頼できるかどうかを判断します。

自分なりのセンサーによる判別ですが、比較的信用の置けるものだと思っています。


動画でみたバーバラ医師の講演は、ほんの10分程度の短いものでした。
そこには、バーバラの真剣さと純粋さ、そして惹かれるものを感じました。


よければ動画もこちらからご覧いただけます。

本を読む時間のない方は以下の動画でご覧ください。
動画:バ-バラ・ナッタ-ソン・ホロウィッツ: 獣医が知っていて医師が知らないこと


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Posted in 本の紹介

ヒト科ヒト属ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

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 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

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グッドボーイハートお薦めのの本はこちらかもご覧いただけます。

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おすすめの本「旅する木」:星野道夫展※9月3日まで久留米で開催してます。

星野道夫展が福岡県久留米市で開催されています。

不思議なことですが、何人もの方が星野道夫展について教えてくださいました。

すでに見に行かれた方々から、マスキングテープやポストカードもいただきました。

ぜひ行きたいのですが、スケジュールがあわず自分が行けません。

それで、時間のある方、星野道夫の写真は本に触れたことのない方に、ぜひおすすめします。

没後20年 特別展 星野道夫の旅 について詳しくはこちらからリンクしています。

すでに行かれた方のはなしでは、写真集として見ていた星野道夫の写真が畳くらいの大きさで見ることができるということでした。



さらに、星野道夫氏著作のおすすめ本はこちらです。

旅する木
題名 旅する木

発行 文春文庫

星野道夫氏といえば、熊の写真で見たことのあるという方は結構いらっしゃるでしょうが、
実は文章がほんとうに透明なのです。

どの本の文章も心洗われるものですが、特にこの旅する木は大好きな一冊です。

子供の頃には誰しも、自然への畏敬の思いや、純粋に何かを知りたいとか近付きたいという
人としての素直な思いを持っていたと思います。

ただ、その思いは大人になるたびに消されていき、行動の動機は別のところに移っていきやすいものです。

星野道夫氏は子供のときに抱いた、感動をずっと持ち続けた人でした。
自分がこうしてここにいるときに自然の山の中に熊が生きているという不思議です。

そして熊に近付きたいという気持ちをただ純粋に行動に移していきました。

純粋な思いを持ち続けることができたのは、彼自身の信念だけでなく、家族や環境もあったのかもしれません。

それにしても、この透明な文章に心響くとき、人と動物のかかわりについて再度考える機会を持つことができます。

犬と暮らしているすべての人に読んでいただきたい一冊です。

犬はペットになってしまいましたが、そもそも自然の中に生きる動物でした。

わたしたち人が今、犬に対してどのような影響を与え続けているのか、考えるきっかけとなればと思います。

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おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

岐路にたつ
● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

・グッドボーイハートのお薦めの本はこちらからもご覧いただけます。
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おすすめの本:「境界線の動物誌」小原秀雄氏著

犬や動物に関する本も、読むうちに選択力というのがついてきます。
チラリと中身を見るか、目次もしくはあとがきに目を通して、今読みたいと思う本なのかそうでない本なのかを判断しています。
本だけでなくネットにもあまりすぎるほどの情報がありますから、選択力は大切です。


今日お薦めしたい本は小原秀雄氏の著者で、1977年(昭和52年)に発行された書籍です。

書名 境界線の動物誌
著者 小原秀雄
出版社 思索社


小原秀雄境界線の動物誌
帯にはこのようにあります。

「動物学から人間の学へ
そもそもの誕生の時から人類は動物たちと様々なかかわりをもって暮らしてきた。
あるものは家畜やペットであり、あるものは害敵であった。
かれら動物たちの現状を語り、人間のあるべき姿を考える。」


 小原秀雄氏は子供向けにもさまざまな書籍を出版されています。「猛獣もし戦わば」という書籍は、ありえない状況で猛獣達が戦ったらという視点で書かれています。動物に関する情報は学問的でありながら、その対決については発想に意外性が強く、動物に対する思いの深さを感じられる内容です。

 小林先生は日本の動物学者のおひとりですが、哺乳類学を中心に動物と人間を比較する比較生態学の視点で記された書籍はいずれも読み応えがありました。中でも、この「境界線の動物誌」は、人が動物にどのように関わってきたのかという人と動物の関係に関する歴史について、独自の視点で切り込んでありました。人と動物の関係の歴史については、人の愛情を中心にしすぎる人が動物をいかに家族として受け入れてきたかという内容のものが多いように感じます。人は人の善の部分を知り安心を得たいという気持ちが強くなりすぎるのは、逆に人が動物に対して行ってきた悪の部分を意識しすぎているからではないかと感じるのです。悪とは動物を利用する上で起こったり、人間が自然を利用したり環境を改善する中で行ってきた様々な行為のことです。もちろん、悪気があったわけではなくとも、人間生活の発達のために多くの土地を人間の領域にして自然環境を破壊してきた事実を意識しているからこそ自然保護という方向に向かわせようとするのではないでしょうか。

 その動物や自然に対する何をもって正義とするのかという議論に陥ってしまっては、自分たちはどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまいます。こういうときには、人と動物の関係の歴史というものを正しく認識してくれる書籍を読むことをお薦めします。この「境界線の動物誌」は発行年数は古いため、このあとにもまだ歴史は続いていくことになりますが、そうであっても価値のある本です。その一部を抜粋し紹介させていただきます。

 「だが、現実に驚くほど多いのは、実物に指一本触れたことのない子どもと、想いのたけを動物に託す人々である。ペットとして商品化される動物は、それなりに魅力を備えた顔や動作、姿形を持つが、その中に人々は様々な愛の形を見出すのであろう。稚気から奇気、妖気までをそれらの人々は様々に漂わせる。雑種イヌになんともいえぬ愛着があるという声もあるし、デラックスで血統の正しいペルシャネコの姿に惚れ惚れするといった声もあるといった状態である。当然はじめのうちは自己中心の考え方で愛情を傾けていた人々も、後にはしだいに「動物」中心にすべきだと考えにいたる。そうなれば、動物たちのもつ世界を尊重しなければならず、それには動物とは何かを知る必要が生じてくる。しかし動物についての、このような態度の変化には、実は大きな断層がある。動物たちの世界を尊重するといった考えに人間が行きつきはじめたのは、ごく最近のことである。なによりも、人間が動物をかわいがり、動物を大切に扱うことはすばらしいヒューマニズムの表出であるとし、「動物にとってそれがどうか」ということは全く考えられることなく過ごされてきた。そこにはなんの不思議も人間は感じていなかったのである。
 誤解のないように申し添えておかねばならないが、わたしはすべての人々にそういった方法であらゆる動物に接せよというのではない。子どものイヌに対する扱いなどが、自己中心的なのをやめよというのではない。むしろ子どもとイヌとには、一つの共通性もあるし、イヌはまた人間の行動に適合できるように飼育されたものでもある。ただ人間の論理と動物の論理はちがうのであり、人間が動物を愛したいと思うならば動物の論理に従うべきだといいたかったのである。四つ足を地に接することが安定を意味するイヌを、ショッピングカーにのせたり、抱き上げて頬ずりする。それは確かに人間からみれば微笑ましい光景である。抱かれたイヌは尾をふってもいる。しかしそれは、人間への愛着とその接触に対してであって、抱き上げられたからではない。」(境界線の動物誌「思索社発行」小原秀雄著より引用)

 この文章もあくまで本の抜粋です。さらにこの文の前後をお読みいただければ、わずかでも小原先生の視点の一部には触れることができるかもしれません。このような先人の見たり知っていることをすべて、今の自分が理解しようと思っても到底無理なことなのです。だとしても自分には何もできないと諦めて、大衆の流れの中に巻き込まれ自分の考えを失ってしまうことだけは避けなければなりません。

 自分はイヌをどのように理解するのか、自分はイヌとどのように関わっているのか、そして自分はイヌとどのように関わっていきたいのかという質問に対する答えを毎日自分の中に生み出すことをしなくなったのなら、人と関わり続けて変化した犬という動物に対する礼に反することになります。

 実際に自分が会うこともできないような深みをもつ先人たちの想いや考えに触れることのできる本はとても貴重なものです。この本は、一般大衆受けするような本ではありません。しかし大衆が受けることが何のすばらしいといえるものがあるでしょうか、その大衆が関心を示すことを目的とし大衆を目くらましにしてしまうようなテレビ番組を見る時間を減らして、自分と愛する犬との関係を大切にするためにこうした本に出会ってほしいものです。

 当書籍はすでに絶版になっていますが、図書館や古本ではまだ手に取ることできます。
グッドボーイハートの七山校の本棚にはありますので自由にご覧ください。
夏休みの図書の一冊として手にとってください。


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おすすめの本:「ニホンオオカミは消えたか?」わたしは70人目の目撃者になりたい

グッドボーイハート生の中には、これはかなり山がフィールドの犬じゃないかと疑うような犬がたまにいます。先日もそんな山下りてきた感じの風貌と体格の犬くんをお預かりすることになりました。長らくいっしょに過ごす時間ができたので、書籍を取り出してしみじみと見比べていました。その書籍の中の一冊がこの「ニホンオオカミは消えたか?」です。


● ニホンオオカミは消えたか?

書籍名: ニホンオオカミは消えたか?

著者: 宗像 充

出版社:旬報社 (2017/1/5)

目次:
I 「オオカミを探す?」
II ニホンオオカミとは何か?
III どこからどこまでがニホンオオカミか?
IV 人生をかけたオオカミ探し
V ニホンオオカミはなぜ生き残ったか?
VI 行方知れずのオオカミ捜索


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 この本は、すでに絶滅されているとされているニホンオオカミは本当に絶滅したのかという疑問と、絶滅していないかもしれないという視点にたって詳細な資料を元に構成されています。ニホンオオカミについてまとめられた書籍の中では出版時期が新しいため、最近までに得ることができるニホンオオカミ目撃情報がまとめられています。

 帯には「その日、ぼくは69人目のオオカミ体験者になった。」とあるとおり、筆者は最初はニホンオオカミはまだ生きているとしてその存在を確認するための活動をしている人々から情報を得る中で、ついに秩父山系でニホンオオカミではないかと思わしき動物と遭遇するのです。この体験があったことで筆者のニホンオオカミに対する思いが一気に上昇したことをうかがわせる多少気持ちの入った文面になっています。

 
● ニホンオオカミは本当に絶滅したのか?

 ニホンオオカミは分類学上ははCanis lupus hodophilaxと名づけられ分類されています。このニホンオオカミについて環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)の絶滅レベルの最大の「絶滅(EX)」に指定しています。環境省の発表では国内ではすでにニホンオオカミは絶滅種として扱われています。

以下が環境省のニホンオオカミに関する情報です。

 「ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、1905年1月に、奈良県鷲家口で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、この後まもなく絶滅したと考えられています。この最後の標本を購入したアメリカ人採集者、M.P.アンダーソン氏の記録によると、ニホンオオカミは当時すでにまれで、ほとんど絶滅に近い状態だったといいます。絶滅のおもな原因は、明治維新以降、狩猟用の銃が普及したことと、野生動物に対する日本人の意識変化などによる人為的圧力から、ほかの野生動物と同じく、いちじるしい生息数の減少が起こったと考えられています。
 ニホンオオカミはオオカミ類のなかではもっとも小型のグループで、胴のわりには足や耳が短いのが特徴です。ユーラシア大陸に広く分布するタイリクオオカミの亜種とされますが、独立した種とあつかう説もあります。現存標本も少なく、わが国には3頭の剥製標本(はくせいひょうほん)があるだけです。すでに絶滅してしまったニホンオオカミの生態についてもはや調べることはできません。
 なお、北海道にはニホンオオカミの別亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)が分布していましたが、明治時代に牧場を荒らす害獣として駆除され、1894年前後に絶滅しています。」(環境省 レッドデータブックより)
 
 ところが、国内ではニホンオオカミではないかと思わしき動物の目撃証言や目撃時に撮影された写真があり、本当にニホンオオカミは絶滅したのか?もしかしたらニホンオオカミはまだ国内に生息しているのではないかという議論を巻き起こしています。中でも東北の「秩父野犬」と九州の「祖母野犬」でそれぞれにニホンオオカミではないかという動物を目撃した八木氏、西田氏というふたりのニホンオオカミ体験をもつ方は、生涯をかけてニホンオオカミの生息についての調査を行われています。

 一方でそもそもニホンオオカミとはどの動物のことを指すのかということが国内でも明確にされていないことが混乱を生じさせているようです。ニホンオオカミといわれても、残っているのは骨や毛皮ばかりです。いくつかの剥製が残されていますが、その剥製すらも、骨がない状態での詰物なので本当にこの形だったのだろうかと疑問を抱くようなものになっています。ニホンオオカミが国内に生息していた時代には資料を残されていませんでした。当時日本では動物の資料をまとめるような学問は盛んではなかったようです。さらに、ニホンオオカミ自体が人の前にめったに姿を現さない謎めいた動物であったことも否定できません。

 さらに、ニホンオオカミとは別に山犬(ヤマイヌ)といわれる動物が存在していたのではないかという仮説もとても信憑性があると感じます。オオカミはイヌと交配して子をもうけることができるほど種としては大変近い動物です。他にも、国内にはタヌキやキツネといったイヌ科動物が存在していますが、このどちらもがイヌとの交雑することはできません。オオカミがイヌととても近い動物である上に、山犬(ヤマイヌ)というまたイヌ科の動物がいるという風に考えると、日本の山の生態系はなんとなく合点がいくような気がするのです。山犬や野犬とは違う扱いをされています。野犬はあくまでイヌです。山犬はある意味オオカミに近い野生動物と位置づけられているようです。なんだかそんなことを考えるとワクワクしてしまいます。


● ニホンオオカミと自然体系と犬の関係とは

 ニホンオオカミが存在してるかどうかの議論は、オオカミ再導入計画が一部の団体によって広げられたことで熱くなっています。オオカミの再導入とはアメリカのイエローストーン国立公園でオオカミが絶滅の危機にいたったときに、カナダのオオカミをイエローストーンに移動させることで復活させた事例に基づいて提案されています。なぜ、オオカミを日本の山にもう一度復活させようという動きがあるのでしょうか。それは、国内のシカやイノシシの増加によって農作物が被害を受けたり森林が荒れている理由が、オオカミが日本の山から消えたことが原因のひとつだと考えられているからです。

 その再導入として提案されたオオカミがシンリンオオカミというオオカミです。提案の理由はニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種(属する種)として分類されたためです。この提案には違和感を覚えます。ニホンオオカミが生存していない状態でなんの情報も集められていないのに、なぜニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種として分類されたのかが曖昧であること、さらに、大陸という環境と比較して日本という独特の島国で作り上げられた動物を同じものもしくは似ているものとして扱うことには疑問を感じます。

 さらに、ニホンオオカミが日本の山の奥地に神のように崇められていた時代の山はもうありません。さらにその下の地域に山犬が、その下に野犬が、そして里山犬がというようにイヌ科動物のピラミッドをつくるようにその領域をお互いにまもっていたのではないかと考えるからです。日本の山には山犬の存在も明らかではありません。野犬はわずかに生息している可能性があります。里山犬は里の荒廃、純血種の普及、犬の係留という法律とともにまさに風前の灯です。日本のイヌ科動物のピラミッドなしではニホンオオカミは均衡を保てず爆発してしまい、結局人は再びそれを絶滅に追い込むのはないかという恐れすら覚えます。

● わたしは70人目のオオカミ体験者になりたい

 ニホンオオカミが存在していないという調査は個人単位で行われているだけで、国や専門家をあげては行われていません。なぜなら、狂犬病予防法が発令されニホンオオカミが存在していることが許されなくなったときにすでにニホンオオカミは絶滅したのだという結論を下されてしまい、絶滅したのに生存を確認する調査をする必要性が議論されなくなってしまいました。しかし、もうずい分時間が経ちました。他の歴史と同じように自分達の認識が間違っていたことについては素直に間違っていたかもしれないという謙虚な姿勢に立ち返り、再び振り出しに戻ってもいいのではないでしょうか?ニホンオオカミを確認する調査のために動物に負担をかけたくはありません。彼らを脅かさない方法で調査が始まることを願っています。そして願わくば、わたしもニホンオオカミをこの目で見たいと切実します。

 七山の山の中には鹿もいなくなりました。こんな地域ではオオカミが生存している可能性はとても低いです。しかし、いつか他の山で数を増やしたニホンオオカミの影を見ることができるかもしれないと思うと、それだけで夢が広がります。同時に日本のイヌ科動物のピラミッドが日本の人の生活と共存していた歴史をいつか取り戻すことができるかもしれないとも思います。これはあまりにも現実的ではないとは思います。ただ、都市部の家庭犬を脅かすようなことでもないと思います。失われつつある犬の習性や行動、その能力や機能性、そして人との関わりについて、知らないことはまだまだあります。失ってしまってからでは、ニホンオオカミ同様に骨のない剥製をみるようにしか知ることはできません。身近にいる純血種を含む全ての犬の軸となるオオカミという動物について、ますます思いが深まります。

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はじめての犬のお泊り体験②:犬が経験から学ぶ自然学習など

 はじめてのお泊り体験をした犬くんのお預かり時の学びをあげながら、犬の経験の中にぜひいれていただきだい自然学習についても触れさせていただきます。


● グッドボーイハートのお預かりクラスで欠かせない体験とは

 一昨日のブログでご紹介したとおりグッドボーイハートでの犬のお預かり場所は七山校になります。七山校に起こしいただいた方はご存知のとおり、西は唐津方面から北東は三瀬方面からどんどんと山の中に入っていきこんなに奥なのかというところにあるのが七山校です。庭はすり鉢上になっていて、庭の一部はほとんど山の斜面のようなものです。10歩進めばそこは坂という感じなので草履で駆け出すわけにもいきません。

 この地形で学べることまずは広いということでしょうか。周囲の人工的な車の臭いのする都心まで車では20分ほどかかります。犬がどの程度の広さを把握するのか実際に知ることはできませんが、野良犬や野犬のような行動力を残す犬であれば数キロ先までの環境をある程度把握することができるのではないかと思います。たとえば人間がある野原や山の斜面から肉眼で見渡して「あああそこに里があるな、家があるな、道路があるな」と思えるようなところまでは十分に把握できると感じるのです。すべての犬ではありませんが過去にわずかな犬の行動を観察しているうちに、犬の一定の環境把握の力は自分たちと変わらないのではないかと感じるようになったのです。

 この七山校は周囲にある人工的な建物は家だけで車の交通量も少なく道路を野生動物が横断することもよくあることです。ここにいればかなり人工物が遠いと感じるのは人だけではないでしょう。お預かりをするうちにわかってきたことですが、特に犬が2才未満のときにはこの環境になじむにはあまり時間がかからないようです。
 犬は1才近くまで脳内のシナプスが伸び続けています。一部には生後4ヶ月でその8割が成長を終えるというデータもあるようですがその成長が1才前後まで続いていくことを否定することもできません。この脳内のシナプスですが、一定の刺激を受けることでその刺激に対応するように電気信号を送るシナプスが伸びていきます。特に重要な情報を受け取るとその伸びはぐんとあるようです。犬にとって重要な情報というのは、犬が本来生きていく環境の中で獲得できるものです。その本来生きていく環境というのが「山」という環境です。

 人工的に繁殖をしてきた犬の姿からすると、犬が自然の中や土の上や草の中にいることに「なんか似合わないね。」という感想をもたれる方もいるでしょう。そうですね。犬は室内のインテリアにマッチするように姿かたちを変えられてきましたので、自然の中に存在する純血種は自然の一部としてはあまりしっくりと来ないかもしれません。しかしそうであっても、犬の外側は変わっても犬の内側はそう簡単には変わらないのです。不自然な体型でも山を歩いて上ろうとする姿、臭いを一生懸命にとって探索をしようとする姿、草を食んだり土を口にいれてみたりして自然から得られる恵を捜している姿など、どの姿も自然とのつながりを模索しているように感じます。


● 自然体験がなぜ特別な体験学習なのか

 自然環境に滞在する自然学習がなぜ犬にとって貴重な体験学習なのでしょうか。実は自然体験は犬にとってだけでなく人の子供にとっても同じように貴重な体験なのです。様々な子供時代に体験させたいことの中に、自然と共に過ごすことという経験があることを子供を育てた経験のある方なら記憶にあることでしょう。山村学校体験、キャンプ、ロッジでの宿泊学習など、危険性が高いことがあって遠ざけられている傾向が強いこうした子供時代の体験が幼い脳に影響を与えるのはなぜでしょうか。

 子供時代の自然学習について提唱している様々な学者の中でも特に有名なのが海洋生物学者のレイチェ・ルカーソンです。レイチェル・カーソンのセンスオブワンダーという本の中で描かれているのは子供の素直な自然の世界に反応する力です。まさに「センスオブワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を大切にすることが人生をいかに豊かにしてくれるのかということを伝えているようです。人は大人になると共にある知識や情報を得る代わりにあるものを失います。脳は何が必要で何が必要でないかを選択していく大人の脳に成長します。自然を感じる力よりも計算が得意なことを良しとするかもしれません。

 犬は人とは違います。犬は動物として人よりももっと自然に近い動物です。そのため自然を感じる力を育てることが犬の生きる力となり、自然を感じる力を育てる機会がないことは犬が犬から遠ざかっていく時間となります。
 科学的にいうと犬の中にある原始的な脳の情報は、自然環境にある刺激を受け取ってその情報から得られる次の情報へと発展していきます。不思議なようで当たり前のことですが、環境がないと学習は進まないのです。育成と教育は異なるという意味で育成という学習は環境なしで考えることができません。自然学習は原始脳を発達させます。その中には環境を把握する力、危険を回避する力、体調を整える力など、犬が言葉では伝承できないかわりに遺伝子という情報ツールをつたって代々受け継いできた犬のお家芸的なものが含まれています。
 
 しかしこの遺伝子情報は生きているうちに犬がそれを体験しないと次にうまく受け継がれません。どんなに情報を持っていてもその遺伝子情報を必要な環境によって引き出されないと生きている上で大切な情報とはみなされないまま、つまり引き出しに鍵をかけたまま生涯しまっておいたということなので、不要なものとして処理をされてしまうのです。


● 犬の自然学習は無理に進めない、だけど決して諦めない

 犬が自然を知ってしまうのを恐れている方もいるかもしれません。あなたは都会の犬なの、何も知らなくていいの見なくていいの、何も嗅がなくていいのと犬にいいたくなることもあるかもしれません。というのは犬が自然を求めていることを知ってしまったら、犬を自然の中に連れて行かなければいけないと思うと面倒を感じられるからです。

 犬が自然を求めていると知っても、なかなか自然に近づくことができないのもわかります。多くの人々が自然は好きだけど虫は嫌い、自然は好きだけど土は汚れるからいやだ、自然は好きだけど山を歩くのはきついと感じられるようです。人間はそれだけ変わってしまったのも事実です。ここであえてそれを否定するつもりも避難するつもりもありません。それが自分たちの住まいから自然を遠ざけた人間という生き物だと思うのです。

 そして無理に自然の中に犬を連れ出さなくてもいいですよともお伝えしておきます。なぜなら人が緊張してあっちはダメ、そっちは危ないといってビクビクして犬を連れ出したら、犬はますます目の前にごちそうを提示されながら食べることを許されないというすごいストレスを与えてしまうことになります。
 
 ということでお預かりクラスのときに飼い主さんに代わって自然学習を促す機会を提供させていただいています。田舎育ちだと思われているわたしも、博多や東京の都心で成長しわずかな昭和の端っこに庭という自然に接しながら育った程度です。その自分を自然と近づけてくれたのはオポという犬の方でした。ここまでは大丈夫、ここからは慎重に、ここではじっとしているなど、様々な行動で自然との距離感を教えてくれました。今は逆に私自身が自然が遠くなった犬に対して、その距離感を伝えながら自然学習の機会を提供しているという訳です。

 お泊りの犬くんも初めての山歩きを体験しました。小さな体バランスの取れにくい体型で上れるところ上れないところを選択しながら草を食みながらすすみました。最初は段差も難しかったのにすぐにゆっくりと進むことを覚えました。興味が進みすぎて呼び戻しが難しいこともありましたがそれも勉強のひとつです。太陽の日差しを求めてひなたぼっこも続きました。いつの間にか体が冷えてしまうのですね。短い預かり時間でしたが、自然の中でその五感を通して得た情報が脳内で活性化していったことでしょう。

 有意義な体験をした後は帰宅した飼い主さんに「ごめんね」を言われることもありません。今度は飼い主さんと一緒に来れるといいね。10年間かけて育った尾歩山の森でお待ちしてます。


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レイチェルカーソンのセンスオブワンダーをもっと知りたい方はこちらのページへ

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おすすめの本:『神なるオオカミ』モンゴルの遊牧民とオオカミ

 今回のおすすめの本『神なるオオカミ』は上下2巻からなる超大作です。場所はモンゴル地区、時代は毛沢東主席が先導する文化革命時です。モンゴル平野に遊牧民が移動しながらテントをはって生活している中に、知的青年として送り込まれる著者の自伝的な小説です。

 著者はこの小説が実体験に基づいたものであることをやんわりと否定していますが、確かにこのモンゴルでオオカミと出会い、そのオオカミとの体験を記したかったという思いが強く伝わってきます。

 本書をお薦めしたい理由は、モンゴル遊牧民と野生動物であるオオカミとの深い関係性が、実生活の細かい描写によって表現されている歴史書としても読み応えのある本だということです。その細かい描写の中には、読む人によっては受け入れられないと思うものも含まれています。動物との関係をやさしいもの、和やかなもの、楽しいものだけと考えている方にはこの書籍は受け入れ難いかもしれません。反対にペットを飼っていない人や動物を感情をある程度抑えて見ることのできる人にとっては読み応えのある本です。

 モンゴル遊牧民はオオカミトーテムを崇め、死後は人の遺体を山に捨てることでオオカミ葬を通して天に昇れるという思想と習慣を持っています。その一方で生きているオオカミたちとはお互いに命を張って戦い会いながら、ここまで必要なのかと思わせるほどの攻撃もしかけていきます。そしてオオカミを飼うことを拒みながら、犬という動物をテントでは飼っているのです。その過程の中にも動物愛護の精神からは考えられないようなことが表現されています。しかしそれらを単純にかわいそうと否定するのではなく、なぜそうする必要があったのか、そのことで続いていくことは何か、人と動物の関係性はどうだったのかを自分に問いつづける機会にすることができます。

 物語の後半部分はモンゴルという地区がいかにして砂漠へ変わっていったのかという、かなりきつい状態に触れています。新しい価値観の押し寄せる波に流されるように移動を迫られる遊牧民たちとモンゴルの山から消えていくオオカミの姿はまさに歴史のひとつの時間でした。歴史の真実というのは訴える力が強いものだと感じます。

 この本はすでに絶版になっており中古品しかありませんが、地域の図書館に設置してある可能性の高い本です。実は通りすがりで立ち寄った本屋さんのめったに立ち寄らない文芸のコーナーになぜか引き寄せられてこの本を購入したのは、本が出版されたばかりのときでした。引き寄せられるように立ち止まって手にしたこの「神なるオオカミ」は、出会うべきして出会った本の一冊であると確信しています。

 今は少し抵抗があっても、いつかそのうち真実を知りたいと思われたときにぜひ手にしていただきたい本です。

神なるオオカミ上神なるオオカミ下


 

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おすすめのDVD:映画「狩人と犬、最後の旅」

グッドボーイハートおすすめの映画の紹介をします。

 この映画「狩人と犬、最後の旅」ですが、最初に入手したときは「最後の狩人」という題名でした。
フランス語の原題のLe Dernier Trappeurをそのまま訳したものでしたが、「犬」という検索キーワードでアピールしたかったからでしょうか、いつの間にか題名が変わっていました。


[c]Copyrights 2004 MC4/TF1 International/National Film Board of Canada/Pandora/JMH/Mikado

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●映画のあらすじ

 主人公はロッキー山脈で狩りをして暮らす最後の狩人です。生態系の変化で動物たちの数が減り生計を立てることが難しくなってきたため、山を下りることを決意しようと悩むなか、ある事故を通して若いメス犬を連れて変えることになります。そのメス犬はソリ犬にはなりそうにないのですが、奥さんの力添えなどがあり少しずつ変化していきます。風景には狩人が森の中で活き活きと暮らす姿や、犬ソリの力をかりての谷超えやログハウスを自力で作る事等、実際の狩人の生活の一部を見ることができます。


●映画の中の犬たち
 
 映画の中には何頭もの魅力のある犬たちが登場してきます。それは他の動物映画とは少しことなる行動で演出もほとんどありませんので、行動はとてもナチュラルです。ソリ犬に向かないと連れてこられた若いメス犬の表情は行動の変化は実際のもののように見て取ることができますし、他の犬たちとのコミュニケーションについても発達していく過程が見られます。この犬は映画を通して成長したのだろうなと感じさせれてくれます。実はこの若いメス犬は保護施設から保護した犬で、監督が飼っているということでした。

 主人公のノーマンウインターは実生活では電動のソリを使っているとのことですが、犬ソリを使っていたこともあったとはなしています。彼の動物たちとのさまざまな関係性を見ていても、すべての動物に対する尊敬の念を感じることができました。映画の中では、犬ソリが氷の上を渡るときに割れてしまうという事故がおきるというシーンがあります。一部の犬たちも氷水につかってしまうので、ちょっと冷や冷やとするシーンですが、その後の体を温めるシーンを見ていると以外に早く快復していることに、犬の底力も感じるのです。

 犬ソリの使い手であるノーマンは、本当に犬ソリのリーダーである一体感を感じられます。それは厳しい自然の中で生きていた人としての力の強さでもあるのでしょうが、もう同じ生活をできる人はいないでしょう。ソリ犬たちはほとんどがミックス犬です。新人の犬が少しハスキーが入ったミックスなのかなという感じがします。ハスキー犬がそり犬だと勘違いされていますが、古くから人のそばで働いている犬たちは本当はミックス(雑種)犬なのです。

●ディレクターズエディションは見てほしい!

 本当に見ていただきたいのは、映画といっしょに販売されている監督の裏話が盛り込まれたディレクターズエディションの方です。画面は全くもとの映画と同じなのですが、その映画の場面にあわせて監督が情景やその他を語っています。主人公のノーマンウィンターは、本当にカナダの山の奥深くで半世紀に渡って狩人を生業として生きてきた正真正銘の狩人です。この映画は脚本がありながら、実際の体験に基づいてできるだけそれを再現するように作られています。
 犬そりのシーンでは、犬たちが興奮しており実際の映像をとるまでに何キロも走らせなければいけないという話もあり、映画を見るだけでは知りえない情報がたくさんです。ディレクターズエディションは見逃してほしくないので、ぜひご覧ください。


 驚くのは、人の生き方だけでなく犬の生き方が全く違うということでうす。動物にとっての、犬にとっての幸せとはなんだろうか、ということを考えさせられる映画です。


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グッドボーイハートおすすめの本:ニュージーランドの野生のイルカ“オポ”と人が交流した記録物語「海からの使者」

今日おすすめする本は、藤原英司先生の著書「海からの使者 イルカ(朝日文庫出版)」です。


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●本の内容について
 本書は主にイルカの保護について考えてほしいということを目的にしています。
イルカと人とのかかわりについて考えるために、欧米の神話を取り上げ、欧米のイルカ観について紹介されています。
そして、近代に実際に人と交流をしたという記録が残されているニュージーランドのビーチにあわられたオポと呼ばれたイルカのお話しです。オポの存在は物語ではなく実話なので、実際の記録をもとに細かに書かれています。オポが謎の死をとげた部分では少しだけ気持ちが落ち込んでしまいました。ただ、藤原先生がそのことをできるだけ真実に近づくように力を尽くしてくださっていることで救われる思いもしたのです。

 藤原先生はあとがきで、イルカの殺戮や保護について考えてほしいということを述べられています。アメリカのオオカミ殺しと日本のイルカ殺しが常に重なっているということも書かれています。


●本を知ったきっかけと藤原英司先生のこと

 昔のことではっきりと思い出せないのですが、この本を知ったのは、藤原英司先生が野生のエルザの翻訳者であったことと、野生動物の絶滅などに関心があっていくつかの書籍を読んでいたからかと思います。

 そのころ、野生動物保護活動で自分にできる範囲でお手伝いできればと思い、藤「エルザ自然保護の会」の会長をしている藤原英司先生に、自分の地域での活動についてお尋ねしたところ、エルザ自然保護の会としては九州での活動はないが、天草地区でイルカの保護活動を立ち上げている地域団体があるのでそちらに連絡してほしいというお返事をいただいたという経緯がありました。

 その後、藤原英司先生が参加されるセミナーに参加する機会がありました。そのときは蚊も殺さないという先生の徹底した姿勢に驚いたものです。しかし、アメリカの動物絶滅の研究などをとおして得られる日本の危機感については、常識で考えていては追いつかないという先生の主張も身に沁みるところです。

 エルザ自然保護の会は、現在ではとても大きな活動になっているようです。
引き続き野生のイルカの数や捕獲数について訴える活動を継続されています。


●オポのこと

 偶然のふしぎなできごともありました。ニュージーランドに行った際に、たまたま時間つぶしで立ち寄った図書館で「オポの写真展」を開催していたのです。このときは本当にビックリしました。たくさんのビーチで人と交流する野生のイルカオポの大きな写真が飾られていました。
小さなポートレートにしたものもあったので、それをいくつか購入して藤原先生に郵送したところオポのことが語り継がれていることをとても喜ばれていました。

 ビーチでの交流がどのようなものであったのかは、直接自分がそこにいたわけではないのでわからないこともたくさんあります。それでも、野生の海からやってきて再び野生の海に戻っていくという自由なオポと名づけられたイルカが人に与えた影響については、はかりしれないものがあったと思います。

 そんな記憶からか、犬を迎えたときに名前を「オポ」と名づけたのです。愛犬のオポの方は「山からの使者 イヌのオポ」となりました。

●最後に
 この本は犬について知るための本ではありませんが、野生動物と人とのかかわりやその文化を知るきっかけです。そして藤原英司先生のことばに触れるチャンスでもあります。
 野生動物はペットとは違います。そのペットもはじめは野生動物であったことをときどきは思い出してみることは、動物と暮らすことを再認識しより良い関係を考えるきっかけになります。




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