グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<本の紹介>かくれた次元:エドワード・T・ホール

最近は便利なものですぐにネットで検索ができるので、生徒さんたちが情報過剰になっていると感じます。

その過剰な情報の中には、明らかに違っているもしくは見方があまりにも人によりすぎていて吐き気がしそうなものまで入っています。

人にとびつくのは人のことが大好きだから。

人の口をなめるのは人のことが大好きだから。

犬が何をやっても人が好きだといってしまうことで飼い主側も納得してしまうという負の渦の中に巻き込まれていないでしょうか?

逆に極端に、犬が手をなめているのは強迫性神経障害であるとか、犬が他の犬の吠えるのは発達障害であるなどあまりにも簡単に障害という印鑑を押して恐怖を抱いてしまうこともまた正しい状況を把握することから遠ざかってしまいます。


犬のことを正しく理解しようなどとは、異なる種の動物であれば困難であることは当たり前のことなのです。

でも時間をかける余裕がないし、早く知って解決したい終わりにしたいという気持ちがものの見方をゆがめてしまうこともあります。

いつもお話ししているとおり、犬のことを知るにあたってハウツー本は必要ありません。

動物の仕組みを理解したり考えるヒントをくれたり、ああそういう見方もあるんだなと考えさせられる本に興味があります。

限られた時間の中で本を読むのですから、セレクトして読まなければもったいないという気持ちもあり、いつも本を手にとるときにはどきどきします。

ガッカリすることもありますが、このブログでご紹介する本は時間を割いて読んでよかったと思えた本ばかりです。

そこで今回はこの本「かくれた次元」をご紹介します。


「かくれた次元」という本の題名からすると、精神世界的な本と誤解されるかもしれませんが、これはかなり行動観察に基づいた科学的な本です。

書籍名の「かくれた次元」の意味を考えると、本書の冒頭にあるように「体験は文化によってかたどられているのだから、そこにはかくされた次元という文化が存在するのだという」という仮説を証明するために実際の事象を用いて説明が進められます。

事象として取り上げられているのが動物間の距離に関するテーマです。

動物たちが種により場によりまた実際の距離感によって混み合いをどのように回避しようとするのかなどがわかりやすく記されています。

動物が他者に近づける臨界距離、逃げる必要を感じる逃走距離といった言葉も、この本の中で初めてエドワードTホールが取り上げたのではないでしょうか。ここはあくまで推測であって事実とは間違いもあるかもしれませんのでご了承ください。

この他者との距離感を、住む場所の違いによる文化として捉えているのがわかりやすいところで、特に日本人に関する記述が他の国の人とは違うことが詳細に述べられているため、文化の違いが知覚文化距離(プロクセミックス proxemics)の違いに影響をしていることを自らの経験も通して理解することができます。

そこから、犬と人という異なる文化を持つ動物が異なる知覚文化距離を持つ事はあまりにも明らかだという理解に発展し、犬との距離感や空間について考える素材をもらえるという訳です。

どの本にも答えはありません。結局は自分で考えなければならないのだということです。

こうした自分に考えるヒントをくれる本に自分がドキドキしてしまうのです。

考えることが楽しく、発見することが楽しく、それが犬のこととなればなおさらのことなのです。

もちろん、机上の空想には終わりません。

考える過程を通して、ああだから犬たちは距離を近付け過ぎるとストレスを感じるのだという理解につながり、犬の適切なフィードバックを受けられるようになり、現実的な関係性に発展していくのです。

良い本との出会いは、良い師や友人に出会った気持ちになるものです。

暑い夏の日のお昼寝タイムの前にでもどうぞ。

かくれた次元表紙
他にもお薦めの本を紹介しています。↓

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Posted in 本の紹介, 犬のこと

<犬のこと>アニメ「カムイ伝」に学ぶ:犬が魅了される魔法の小道具“犬万”をご存知ですか?

山の気温もかなり高くなってきました。
ジャケットを着込まなくても山歩きができるようになり、身軽で快適な上にまだ草も生えていないので、最高に気持ちのよい犬との山歩きができます。

こんな風に山の中を歩いていると、最近見たアニメのシーンを思い出しました。


そのアニメは昭和の時代のもので「カムイ伝」といいます。

検索していただければ一番わかるのでしょうが、白土三平先生が書かれたマンガがアニメ化されたものです。

原作のカムイ1964年から1971年まで『月刊漫画ガロ』に連載されたようですが、数回の中断をくり返す長編マンガらしいのですが、原作の方はまだ読んでいません。

アニメのカムイ伝の方は、大人向けとはいえ簡潔に表現されつつも、一定の社会的メッセージがちりばめられており集中してみることができました。

カムイ伝の主人公は忍者カムイですが、物語の中にはたくさんの動物たちが様々な役割で登場します。

中でも登場回数が多いのが犬なのです。


忍者の時代にも犬はすでに人といろんな意味で深く関わっていたことを伺える話がいくつもありました。

犬の登場の際に「犬を魅了するもの」として紹介された品、今でいうグッズがあります。

それが「犬万(いぬまん)」といいます。


犬万を使って忍者たちは犬の行動をコントロールしようとします。

この犬万は猫が夢中になるまたたびの犬バージョンのものだとナレーションが紹介します。

犬万があるとすべての犬たちが執着してその犬万を追うというのです。


そんなビックリする犬万とはどのようにして作られているかというと、その材料がビックリです。

犬万はミミズを干したものを丸めて作るというのです。


このナレーションを聞いて、本当に納得しました。

干されたミミズが特定の犬たちを魅了する姿をなんども見ました。


特に、七山校の庭では季節になると巨大ミミズがひからびて転がっています。

その干からびたミミズの上に体をこすりつける犬たちもたくさん目撃しました。


この行動は、干からびたミミズの臭いを自分につけるものですが、その執着の高さとこすりつけの動作を見ると「猫がまたたびに」というのと同じように見えて、まさに犬は干からびたミミズに夢中のようです。

もちろん、この干からびたミミズを臭ったこともあります。
いうまでもなくかなりの刺激臭です。

すべての犬がこの行動をするわけではありませんが、する犬には特定の気質や行動の特徴があります。

それを踏まえて評価するなら、これらの臭いつけは犬のカモフラージュ行動ではないかというのが自分の今のところの意見です。

白土先生の犬万の使い方とは少し異なるかもしれませんが、犬が魅了されるというところでは同じ意見です。



カムイ伝の著者の白土先生は、動物の行動についてたくさんの情報をお持ちであったようです。

それにしても、本当に忍者は干からびたミミズで犬万を作っていたのでしょうか?

犬万を武器に使うほど、犬という動物は能力があり存在の高い動物だったのでしょうか。

カムイが手にもつ犬万が巨大すぎて、どんなに臭かろうと可笑しくもなりました。


主人公の忍者カムイは、アニメの中では野山を自由自在にかけめぐるタフでカッコイイ存在です。
なにより裸足で歩いていることがうらやましいです。

干からびたミミズに体をすりよせる犬をみかけたら、そのかぐわしい臭いを嗅いでみてください。

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Posted in 日々のこと, 本の紹介

<おすすめの映画>「ビハインド・ザ・コーヴ」

昨日おすすめの映画としてご紹介した「ザ・コーヴ」のあとに見ていただきたい映画が、この「ビハインド・ザ・コーヴ」です。

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よく見ているニュース番組に監督の八木景子氏が出演して紹介していたのを見て、これはザ・コーヴとセットで見るべき内容なのだろうなと期待しました。

映画の題名通り、ザ・コーヴの主体者の反対側から捕鯨問題をみることができます。

太地町の人々の声、捕鯨委員会に出席していた委員の方々の声、捕鯨問題に国内で取り組む専門家の意見は、捕鯨についてザ・コーヴとは異なる視点で知る機会となります。

環境保護団体のシーシェパードのメンバーがインタビューに答える画面もあり、捕鯨に反対する側の声も拾われています。

映画をみて捕鯨問題に審判を下す必要はないと思います。

むしろ、良い悪いを決める前に、自分はこの問題をどのように捉えているのか、どのように考えるのかという姿勢を自分自身に問うきっかけになります。

社会的な問題こそ、みんながそうだから自分もそう思うという姿勢よりも、自分はどう思うのかを自分の中で明らかにすることが、社会そのものを変えていく力になるのではないかと思うからです。

犬についても同じことです。

犬にとって何が必要なのか、犬と人の暮らしをどういう方向へ向わせていきたいのか。みんながしているからそれがいいのか。みんながやっていることが犬に必要なことなのか、なんどもくり返し自分の頭で考える習慣を取り戻していけば、犬に対して人が行うことは、今とは少し違うものになるのではないかという希望が見えてきます。

欧米では、犬はイルカと同様に人と知能が高く保護すべき存在として扱われています。
その一方で商業的な繁殖や販売、愛玩的な接し方や扱いはむしろ強まっているのではないでしょうか。

動物を愛するなら、可愛がる前に動物に対する理解を深めるべきです。

そして、動物にまつわる人の暮らしについても知る義務があるでしょう。

この映画、ぜひザ・コーヴといっしょにご覧ください。


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<おすすめの映画>ザ・コーヴ

日本のイルカ猟についての実態を明らかにするドキュメンタリーとして紹介されている「コーヴ」という映画は、日本では上映場所も限られていたようなので見られた方も少ないのではないでしょうか。

コーヴポスター
予告編ではイルカ猟で海が血の色に変わっていくシーンが放送されていて、予告編を見ただけで映画を見ることを躊躇してしまった方も多いと思います。

わたしもいつか見たいと思いながらそのままになっていたのですが、今回コーヴを見ることができました。


結論から言えば、動物に深く関わっている人にこそぜひ見ていただきたい映画です。

それは、この映画が正しいとか、この映画の主張の通りだということではありません。

映画の中で一番興味を持った部分は、取材をする主人公のリック・オリバーがイルカのフリッパーの元調教師だということです。

リック・オリバーが調教したフリッパーが「イルカのフリッパー」で爆発的人気となり、これをきっかけにイルカが水族館などで曲芸を披露するビジネスの道具として使われていったことを、オリバーが大変悔いており、イルカへを助ける活動へ向っていくというその苦しみが伝わってきます。

動物を訓練や調教した人の中には、人側に立ちすぎた行き過ぎた訓練や人が楽しむために仕込んだ芸について、後悔の気持ちを持つことがあるということは自分に当てはめても十分にあることです。

しかし、その後悔の気持ちを表現する方法として、こういう形での活動を賛同できるということではありません。


また、映画の中ではイルカ猟に携わっている姿勢や視点が全く取り上げていないので、ドキュメンタリーといってもイルカ猟に反対する立場から作り上げられた映画であるということを前提に見る必要があります。

IWC国際捕鯨委員会で行われていることや委員のコメントなどは新しい情報として関心が広がりました。

映画の中では、私たち日本人が一番イルカ猟について理解をしていないのではないかと感じされられることもありました。

イルカ猟についての動物福祉的な問題は、死に至るまでの過程と苦痛が重要なテーマになっています。

牛や豚、鳥といった食用の肉でも、この過程はとても大切なものなのです。

死の恐怖に触れさせることを最小にして、死に至らせることができるのかどうか、野生動物の猟をする場合には、必ず考えなければいけないことです。

この課題についても、映画の中では曖昧な表現が多く、実際に血に染まる海を見ると、動物福祉的な面でクリアできているのかどいう疑問は残ってしまいます。

映画はイルカ猟の一部を取り上げただけに過ぎませんが、自分たちの身近に起きている動物の利用について考える機会になります。

犬は家族として身近にいるため、動物を利用しているという姿勢とはかけ離れているように思えますが、その飼い方によっては犬もやはり人に利用されてしまうことが多いということも含めて、じっくりと考えたいものです。


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<本>動物の治癒に学ぼうとするヒト:「人間と動物の病気を一緒にみる」

最近では、検索する項目にあわせてネットの方がユーザーの好みにあわせて
いろんな情報を提供してくれるので、出会いの確立も高まるのかもしれません。

以前読んだ本の中で興味深いと思った本の著者の講演の動画を見ました。

その本は「人間と動物の病気を一緒にみる~医療を変える汎動物学の発想」という題目で、

著者は、バーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズです。


著作の中心となったバーバラ医師は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターの心臓専門医で医学部の心臓病学教授。また、ロサンゼルス動物園の心臓コンサルタントでもある。

バーバラ医師は自分の経験を通して、ヒトもホモサピエンスという動物のひとつであることを
実感していることが本書を通して伝わってきます。


人の管理する動物はもとより、野生動物ですらヒトと同じ病気にかかることがある。

しかし、動物の医療と人の医療に違いがあるということは認めざるを得ません。

なぜなら、身体的しくみに同じところもあれば違うところもあります。
一番の違いは、動物の回復力の高さにあります。

不妊手術で腹部を数十センチも縫合されている犬が、翌日になると普通に動き回っている姿は
人の医師からすれば、驚き以外のなにものでもないでしょう。
人間なら一週間から10日は安静にベッドに横に寝ていなければいけない状態になるからです。

その動物の治癒力をサポートするのが動物医療です。


しかし、人間もヒトというホモサピエンスであることを認めることから始まります。

ヒトと動物に関わる医療の間に、もっとお互いの学びの場があっても良いのではないかという
バーバラ医師の素直な発言は、これまでは思う人はあっても声に上げる人がいなかったのでしょう。

人は動物とは違う、その垣根を越えたくないという人中心主義の壁が壊され始めていると感じます。


人は動物から学ぶこと、これは東洋的な考えでは当たり前のことです。

動物が食べているものから学ぶ、動物の動きを真似して体操をすること、

東洋では当たり前のことが、西洋では驚きをもって迎えられるのです。


なので、日本人にとっては、この考え方は当たり前すぎるとは思います。
しかし、西洋的な考えの方はこうした見方に行き当たる過程や新たな視点を学ぶ機会にはなります。



みなさんはどうやって情報の信憑性を確認するのでしょうか。

自分の場合は、その情報を出している人を信頼するかどうかで決まります。

本であれば、文章を読むうちに「この人にはとても惹かれる」という感覚で入ってきます。

セミナーであれば、「この人のことをもっと知りたい」という人の魅力にひかれます。

動画であればより直接的に、その人について直感的に信頼できるかどうかを判断します。

自分なりのセンサーによる判別ですが、比較的信用の置けるものだと思っています。


動画でみたバーバラ医師の講演は、ほんの10分程度の短いものでした。
そこには、バーバラの真剣さと純粋さ、そして惹かれるものを感じました。


よければ動画もこちらからご覧いただけます。

本を読む時間のない方は以下の動画でご覧ください。
動画:バ-バラ・ナッタ-ソン・ホロウィッツ: 獣医が知っていて医師が知らないこと


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ヒト科ヒト属ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

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 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

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グッドボーイハートお薦めのの本はこちらかもご覧いただけます。

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おすすめの本「旅する木」:星野道夫展※9月3日まで久留米で開催してます。

星野道夫展が福岡県久留米市で開催されています。

不思議なことですが、何人もの方が星野道夫展について教えてくださいました。

すでに見に行かれた方々から、マスキングテープやポストカードもいただきました。

ぜひ行きたいのですが、スケジュールがあわず自分が行けません。

それで、時間のある方、星野道夫の写真は本に触れたことのない方に、ぜひおすすめします。

没後20年 特別展 星野道夫の旅 について詳しくはこちらからリンクしています。

すでに行かれた方のはなしでは、写真集として見ていた星野道夫の写真が畳くらいの大きさで見ることができるということでした。



さらに、星野道夫氏著作のおすすめ本はこちらです。

旅する木
題名 旅する木

発行 文春文庫

星野道夫氏といえば、熊の写真で見たことのあるという方は結構いらっしゃるでしょうが、
実は文章がほんとうに透明なのです。

どの本の文章も心洗われるものですが、特にこの旅する木は大好きな一冊です。

子供の頃には誰しも、自然への畏敬の思いや、純粋に何かを知りたいとか近付きたいという
人としての素直な思いを持っていたと思います。

ただ、その思いは大人になるたびに消されていき、行動の動機は別のところに移っていきやすいものです。

星野道夫氏は子供のときに抱いた、感動をずっと持ち続けた人でした。
自分がこうしてここにいるときに自然の山の中に熊が生きているという不思議です。

そして熊に近付きたいという気持ちをただ純粋に行動に移していきました。

純粋な思いを持ち続けることができたのは、彼自身の信念だけでなく、家族や環境もあったのかもしれません。

それにしても、この透明な文章に心響くとき、人と動物のかかわりについて再度考える機会を持つことができます。

犬と暮らしているすべての人に読んでいただきたい一冊です。

犬はペットになってしまいましたが、そもそも自然の中に生きる動物でした。

わたしたち人が今、犬に対してどのような影響を与え続けているのか、考えるきっかけとなればと思います。

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おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

岐路にたつ
● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

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おすすめの本:「境界線の動物誌」小原秀雄氏著

犬や動物に関する本も、読むうちに選択力というのがついてきます。
チラリと中身を見るか、目次もしくはあとがきに目を通して、今読みたいと思う本なのかそうでない本なのかを判断しています。
本だけでなくネットにもあまりすぎるほどの情報がありますから、選択力は大切です。


今日お薦めしたい本は小原秀雄氏の著者で、1977年(昭和52年)に発行された書籍です。

書名 境界線の動物誌
著者 小原秀雄
出版社 思索社


小原秀雄境界線の動物誌
帯にはこのようにあります。

「動物学から人間の学へ
そもそもの誕生の時から人類は動物たちと様々なかかわりをもって暮らしてきた。
あるものは家畜やペットであり、あるものは害敵であった。
かれら動物たちの現状を語り、人間のあるべき姿を考える。」


 小原秀雄氏は子供向けにもさまざまな書籍を出版されています。「猛獣もし戦わば」という書籍は、ありえない状況で猛獣達が戦ったらという視点で書かれています。動物に関する情報は学問的でありながら、その対決については発想に意外性が強く、動物に対する思いの深さを感じられる内容です。

 小林先生は日本の動物学者のおひとりですが、哺乳類学を中心に動物と人間を比較する比較生態学の視点で記された書籍はいずれも読み応えがありました。中でも、この「境界線の動物誌」は、人が動物にどのように関わってきたのかという人と動物の関係に関する歴史について、独自の視点で切り込んでありました。人と動物の関係の歴史については、人の愛情を中心にしすぎる人が動物をいかに家族として受け入れてきたかという内容のものが多いように感じます。人は人の善の部分を知り安心を得たいという気持ちが強くなりすぎるのは、逆に人が動物に対して行ってきた悪の部分を意識しすぎているからではないかと感じるのです。悪とは動物を利用する上で起こったり、人間が自然を利用したり環境を改善する中で行ってきた様々な行為のことです。もちろん、悪気があったわけではなくとも、人間生活の発達のために多くの土地を人間の領域にして自然環境を破壊してきた事実を意識しているからこそ自然保護という方向に向かわせようとするのではないでしょうか。

 その動物や自然に対する何をもって正義とするのかという議論に陥ってしまっては、自分たちはどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまいます。こういうときには、人と動物の関係の歴史というものを正しく認識してくれる書籍を読むことをお薦めします。この「境界線の動物誌」は発行年数は古いため、このあとにもまだ歴史は続いていくことになりますが、そうであっても価値のある本です。その一部を抜粋し紹介させていただきます。

 「だが、現実に驚くほど多いのは、実物に指一本触れたことのない子どもと、想いのたけを動物に託す人々である。ペットとして商品化される動物は、それなりに魅力を備えた顔や動作、姿形を持つが、その中に人々は様々な愛の形を見出すのであろう。稚気から奇気、妖気までをそれらの人々は様々に漂わせる。雑種イヌになんともいえぬ愛着があるという声もあるし、デラックスで血統の正しいペルシャネコの姿に惚れ惚れするといった声もあるといった状態である。当然はじめのうちは自己中心の考え方で愛情を傾けていた人々も、後にはしだいに「動物」中心にすべきだと考えにいたる。そうなれば、動物たちのもつ世界を尊重しなければならず、それには動物とは何かを知る必要が生じてくる。しかし動物についての、このような態度の変化には、実は大きな断層がある。動物たちの世界を尊重するといった考えに人間が行きつきはじめたのは、ごく最近のことである。なによりも、人間が動物をかわいがり、動物を大切に扱うことはすばらしいヒューマニズムの表出であるとし、「動物にとってそれがどうか」ということは全く考えられることなく過ごされてきた。そこにはなんの不思議も人間は感じていなかったのである。
 誤解のないように申し添えておかねばならないが、わたしはすべての人々にそういった方法であらゆる動物に接せよというのではない。子どものイヌに対する扱いなどが、自己中心的なのをやめよというのではない。むしろ子どもとイヌとには、一つの共通性もあるし、イヌはまた人間の行動に適合できるように飼育されたものでもある。ただ人間の論理と動物の論理はちがうのであり、人間が動物を愛したいと思うならば動物の論理に従うべきだといいたかったのである。四つ足を地に接することが安定を意味するイヌを、ショッピングカーにのせたり、抱き上げて頬ずりする。それは確かに人間からみれば微笑ましい光景である。抱かれたイヌは尾をふってもいる。しかしそれは、人間への愛着とその接触に対してであって、抱き上げられたからではない。」(境界線の動物誌「思索社発行」小原秀雄著より引用)

 この文章もあくまで本の抜粋です。さらにこの文の前後をお読みいただければ、わずかでも小原先生の視点の一部には触れることができるかもしれません。このような先人の見たり知っていることをすべて、今の自分が理解しようと思っても到底無理なことなのです。だとしても自分には何もできないと諦めて、大衆の流れの中に巻き込まれ自分の考えを失ってしまうことだけは避けなければなりません。

 自分はイヌをどのように理解するのか、自分はイヌとどのように関わっているのか、そして自分はイヌとどのように関わっていきたいのかという質問に対する答えを毎日自分の中に生み出すことをしなくなったのなら、人と関わり続けて変化した犬という動物に対する礼に反することになります。

 実際に自分が会うこともできないような深みをもつ先人たちの想いや考えに触れることのできる本はとても貴重なものです。この本は、一般大衆受けするような本ではありません。しかし大衆が受けることが何のすばらしいといえるものがあるでしょうか、その大衆が関心を示すことを目的とし大衆を目くらましにしてしまうようなテレビ番組を見る時間を減らして、自分と愛する犬との関係を大切にするためにこうした本に出会ってほしいものです。

 当書籍はすでに絶版になっていますが、図書館や古本ではまだ手に取ることできます。
グッドボーイハートの七山校の本棚にはありますので自由にご覧ください。
夏休みの図書の一冊として手にとってください。


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おすすめの本:「ニホンオオカミは消えたか?」わたしは70人目の目撃者になりたい

グッドボーイハート生の中には、これはかなり山がフィールドの犬じゃないかと疑うような犬がたまにいます。先日もそんな山下りてきた感じの風貌と体格の犬くんをお預かりすることになりました。長らくいっしょに過ごす時間ができたので、書籍を取り出してしみじみと見比べていました。その書籍の中の一冊がこの「ニホンオオカミは消えたか?」です。


● ニホンオオカミは消えたか?

書籍名: ニホンオオカミは消えたか?

著者: 宗像 充

出版社:旬報社 (2017/1/5)

目次:
I 「オオカミを探す?」
II ニホンオオカミとは何か?
III どこからどこまでがニホンオオカミか?
IV 人生をかけたオオカミ探し
V ニホンオオカミはなぜ生き残ったか?
VI 行方知れずのオオカミ捜索


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 この本は、すでに絶滅されているとされているニホンオオカミは本当に絶滅したのかという疑問と、絶滅していないかもしれないという視点にたって詳細な資料を元に構成されています。ニホンオオカミについてまとめられた書籍の中では出版時期が新しいため、最近までに得ることができるニホンオオカミ目撃情報がまとめられています。

 帯には「その日、ぼくは69人目のオオカミ体験者になった。」とあるとおり、筆者は最初はニホンオオカミはまだ生きているとしてその存在を確認するための活動をしている人々から情報を得る中で、ついに秩父山系でニホンオオカミではないかと思わしき動物と遭遇するのです。この体験があったことで筆者のニホンオオカミに対する思いが一気に上昇したことをうかがわせる多少気持ちの入った文面になっています。

 
● ニホンオオカミは本当に絶滅したのか?

 ニホンオオカミは分類学上ははCanis lupus hodophilaxと名づけられ分類されています。このニホンオオカミについて環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)の絶滅レベルの最大の「絶滅(EX)」に指定しています。環境省の発表では国内ではすでにニホンオオカミは絶滅種として扱われています。

以下が環境省のニホンオオカミに関する情報です。

 「ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、1905年1月に、奈良県鷲家口で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、この後まもなく絶滅したと考えられています。この最後の標本を購入したアメリカ人採集者、M.P.アンダーソン氏の記録によると、ニホンオオカミは当時すでにまれで、ほとんど絶滅に近い状態だったといいます。絶滅のおもな原因は、明治維新以降、狩猟用の銃が普及したことと、野生動物に対する日本人の意識変化などによる人為的圧力から、ほかの野生動物と同じく、いちじるしい生息数の減少が起こったと考えられています。
 ニホンオオカミはオオカミ類のなかではもっとも小型のグループで、胴のわりには足や耳が短いのが特徴です。ユーラシア大陸に広く分布するタイリクオオカミの亜種とされますが、独立した種とあつかう説もあります。現存標本も少なく、わが国には3頭の剥製標本(はくせいひょうほん)があるだけです。すでに絶滅してしまったニホンオオカミの生態についてもはや調べることはできません。
 なお、北海道にはニホンオオカミの別亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)が分布していましたが、明治時代に牧場を荒らす害獣として駆除され、1894年前後に絶滅しています。」(環境省 レッドデータブックより)
 
 ところが、国内ではニホンオオカミではないかと思わしき動物の目撃証言や目撃時に撮影された写真があり、本当にニホンオオカミは絶滅したのか?もしかしたらニホンオオカミはまだ国内に生息しているのではないかという議論を巻き起こしています。中でも東北の「秩父野犬」と九州の「祖母野犬」でそれぞれにニホンオオカミではないかという動物を目撃した八木氏、西田氏というふたりのニホンオオカミ体験をもつ方は、生涯をかけてニホンオオカミの生息についての調査を行われています。

 一方でそもそもニホンオオカミとはどの動物のことを指すのかということが国内でも明確にされていないことが混乱を生じさせているようです。ニホンオオカミといわれても、残っているのは骨や毛皮ばかりです。いくつかの剥製が残されていますが、その剥製すらも、骨がない状態での詰物なので本当にこの形だったのだろうかと疑問を抱くようなものになっています。ニホンオオカミが国内に生息していた時代には資料を残されていませんでした。当時日本では動物の資料をまとめるような学問は盛んではなかったようです。さらに、ニホンオオカミ自体が人の前にめったに姿を現さない謎めいた動物であったことも否定できません。

 さらに、ニホンオオカミとは別に山犬(ヤマイヌ)といわれる動物が存在していたのではないかという仮説もとても信憑性があると感じます。オオカミはイヌと交配して子をもうけることができるほど種としては大変近い動物です。他にも、国内にはタヌキやキツネといったイヌ科動物が存在していますが、このどちらもがイヌとの交雑することはできません。オオカミがイヌととても近い動物である上に、山犬(ヤマイヌ)というまたイヌ科の動物がいるという風に考えると、日本の山の生態系はなんとなく合点がいくような気がするのです。山犬や野犬とは違う扱いをされています。野犬はあくまでイヌです。山犬はある意味オオカミに近い野生動物と位置づけられているようです。なんだかそんなことを考えるとワクワクしてしまいます。


● ニホンオオカミと自然体系と犬の関係とは

 ニホンオオカミが存在してるかどうかの議論は、オオカミ再導入計画が一部の団体によって広げられたことで熱くなっています。オオカミの再導入とはアメリカのイエローストーン国立公園でオオカミが絶滅の危機にいたったときに、カナダのオオカミをイエローストーンに移動させることで復活させた事例に基づいて提案されています。なぜ、オオカミを日本の山にもう一度復活させようという動きがあるのでしょうか。それは、国内のシカやイノシシの増加によって農作物が被害を受けたり森林が荒れている理由が、オオカミが日本の山から消えたことが原因のひとつだと考えられているからです。

 その再導入として提案されたオオカミがシンリンオオカミというオオカミです。提案の理由はニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種(属する種)として分類されたためです。この提案には違和感を覚えます。ニホンオオカミが生存していない状態でなんの情報も集められていないのに、なぜニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種として分類されたのかが曖昧であること、さらに、大陸という環境と比較して日本という独特の島国で作り上げられた動物を同じものもしくは似ているものとして扱うことには疑問を感じます。

 さらに、ニホンオオカミが日本の山の奥地に神のように崇められていた時代の山はもうありません。さらにその下の地域に山犬が、その下に野犬が、そして里山犬がというようにイヌ科動物のピラミッドをつくるようにその領域をお互いにまもっていたのではないかと考えるからです。日本の山には山犬の存在も明らかではありません。野犬はわずかに生息している可能性があります。里山犬は里の荒廃、純血種の普及、犬の係留という法律とともにまさに風前の灯です。日本のイヌ科動物のピラミッドなしではニホンオオカミは均衡を保てず爆発してしまい、結局人は再びそれを絶滅に追い込むのはないかという恐れすら覚えます。

● わたしは70人目のオオカミ体験者になりたい

 ニホンオオカミが存在していないという調査は個人単位で行われているだけで、国や専門家をあげては行われていません。なぜなら、狂犬病予防法が発令されニホンオオカミが存在していることが許されなくなったときにすでにニホンオオカミは絶滅したのだという結論を下されてしまい、絶滅したのに生存を確認する調査をする必要性が議論されなくなってしまいました。しかし、もうずい分時間が経ちました。他の歴史と同じように自分達の認識が間違っていたことについては素直に間違っていたかもしれないという謙虚な姿勢に立ち返り、再び振り出しに戻ってもいいのではないでしょうか?ニホンオオカミを確認する調査のために動物に負担をかけたくはありません。彼らを脅かさない方法で調査が始まることを願っています。そして願わくば、わたしもニホンオオカミをこの目で見たいと切実します。

 七山の山の中には鹿もいなくなりました。こんな地域ではオオカミが生存している可能性はとても低いです。しかし、いつか他の山で数を増やしたニホンオオカミの影を見ることができるかもしれないと思うと、それだけで夢が広がります。同時に日本のイヌ科動物のピラミッドが日本の人の生活と共存していた歴史をいつか取り戻すことができるかもしれないとも思います。これはあまりにも現実的ではないとは思います。ただ、都市部の家庭犬を脅かすようなことでもないと思います。失われつつある犬の習性や行動、その能力や機能性、そして人との関わりについて、知らないことはまだまだあります。失ってしまってからでは、ニホンオオカミ同様に骨のない剥製をみるようにしか知ることはできません。身近にいる純血種を含む全ての犬の軸となるオオカミという動物について、ますます思いが深まります。

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