グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<日々のこと>尾歩山を歩きながらオポのことを思ったこと

数年前に亡くなったオポのことを思い出していました。

実は誕生日が4月20日だったのですが、生徒さんから「食いしん坊だったオポさんのお供えものに」とどら焼きが送られてのです。

郵便で受け取ったので封を開けたときは本当のどら焼きだと思ってしまったので、あとで自分が食べようなどと思ってしましました。

よくみるとそれはどら焼きに似せたロウソクでした。

食いしん坊なのは飼い主の方であったことを確信します。

犬はただ飼い主に似ていただけなのかもしれないと。


ブログにもたくさんオポの思い出を記しているので、今でも生徒さんたちからよくオポのことを尋ねられます。

生前オポと交流してくださった生徒さんたちは口々に「オポさんは犬以上でしたからね」とお褒めの言葉なのかわかりませんが、とにかく不思議がられます。

そのオポのことをいつまでも忘れないでいたいといういう気持ちで、グッドボーイハートを守る山の名前を尾歩山(おぽさん)と名付けました。

なかなか良い名前になったと満足しています。

その尾歩山ですが季節とともにみどり色に色づいてきました。

今日も午前中は生徒さんの犬ちゃんといっしょに山を歩きながら、犬のことや自然と過ごす工夫のことや人のことなどを少しずつお話しながら考えたり悩んだり。

トレッキングに見られる犬の行動が変化したり変化しなかったりといろいろありますが、こうして犬と一歩ずつ歩いていくのが現実を進むということなのだと実感できる時間ではあります。

その景色が季節によって移り替わることを楽しめたり、苦しんだりしているだけなのかもしれないのです。

それでもいっしょに過ごす時間というのは貴重なものです。

元気をいただいて午後からは福岡へ訪問レッスンをウロウロと回りました。

こうして山でオポのことを思い、今までにであった犬たちのことを思う時間があるから私は本当に幸せものです。

すごく単純なことなのにすぐにこんなことを忘れてしまいます。

もう一度思い出して、今ある思い出と今ある出会いを大切にして、得られなかったものと手放したものを追い求めず、別れるときには感謝していられる自分でありますように。

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<犬のこと>犬にとって一番辛いこと、やっぱりコレかな。

タイトルが少し重々しい感じなのでできるだけ長文にならないように気を付けながら進めてまいります。

うちのようなブログを熱心に読んでくださっている犬の飼い主さんなら、犬にとって必要なことは何か、犬を理解するために知っておくことは何か、犬の幸せって何だろうということを真剣に考えてくださっています。

すでにその方向にはたどり着かれているので、あえてここで犬の不幸について語るのはどうかと思いつつ、この部分だけは動物にかかわるものとして知る必要のあることだと思うので、一緒に考えたいと思います。


ズバリ、犬にとって一番辛いことって何でしょうか?

ドッグフードしか食べさせてもらえないこと?

お母さん犬と引き離されてしまったこと?

散歩に連れていってもらえないこと?

留守番がとても長いこと?

飼い主の愚痴を聞かされること?

自由な時間がないこと?

と上げてみると、犬って結構不幸かもしれません。


どれも一番辛いになりそうなので、一番という言葉を取り除いて考えます。

上にあげた不幸かもしれない状況に共通していること、ゴハンを除いたその他にはなりますが、共通点は「孤独」です。


犬にとって最もつらいことは「孤独」であることではないでしょうか?

動物にとって孤独であることは不安を生み出します。

不安をたくさん生み出すと精神的な病気になり、異常な行動を引き起こします。

わたしたち人の社会でも考えられない行動をする人の人生は、思った以上に孤独であったということではないでしょうか。

家族がいても孤独なこともあるし、表面的に友達が多くみえても実際には孤独であることもあります。

孤独は社会的な生活を必要とする動物の精神を壊してしまうのです。

犬は大変社会的な動物なので、孤独であることは犬の精神を壊してしまいます。


ただ単純に留守番が長いから孤独を生むというわけではありませんので安心してください。

確かに長い時間の留守番は孤独を生みます。

でも一日中飼い主が付き添っていたから孤独ではないかというとそんなことはありません。

犬が分離不安傾向にあって人や他の犬に吠えるような状態であれば、どんなに飼い主のひざでべったりと過ごしていてもやはり犬は「孤独」なのです。

逆に留守番時間がとても長い犬であっても、飼い主が一生懸命働いていて犬と真剣に向き合って過ごす時間を持ち続けていれば、犬にはそのことがよくわかるようです。

働く飼い主の帰宅まで留守を任されていたり、気配を消してがんばっている犬たち。

犬と過ごす時間には真剣に向か会って誠実に共に過ごしてくれる飼い主さんといる犬であれば、留守番時間の長いことはなんとか乗り越えていきます。

ところが飼い主さんが犬とひと時も離れずに過ごしていても、その理由が自分の不安を埋め合わせするような行為になると犬も孤独な飼い主と同じように孤独になるだけです。


犬は社会性の高い動物です。

ただ誰かとべったりと過ごす狭い世界に閉じこもることは危険なこと、ある程度開けた環境の中で社会生活を楽しめるような犬の生活はどのようにしたら得られるのか、自分の環境の中で各自が考えてほしいことです。

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<日々のこと>自然と共に生きる「またぎ」の番組を見て思うこと

自然と共に生きている人、自然と共に生きようとしている人の姿を見ることで励まされることがあります。

自分の周辺の社会がまだ文明に侵されておらず、今でも自然のひとつとして生きている部族の方もいます。

そうではなく、すでに自分は文明社会の一員となっているのだけど、どうにかして自然の一部として生きようとしている人の姿に励まされるのです。

先日、テレビのドキュメンタリー番組で東北の熊と共にきるまたぎの姿が紹介されていましたので食い入るように見ました。

熊を探し、そして撃ち、そしてそれを感謝していただく。

熊を撃って手にいれたときは「山の神」という言葉で山の恵みをいただけたことを表現される。

手を合わせて弔いの儀式を行い、感謝してまたぎの方々全員に平等にその恵みが分け与えられる。

遠い日本の暮らしの一部をこの食べ物が豊かな文明の中で続けていくことの意義は、実際にそのことに携わったことのない私などには計り知れません。

今回のまたぎのそばには犬の姿はありませんでしたが、きっとこれが毎日の生活だったとき、またぎの傍には片時も離れずについていた犬の姿があったはずです。

人は熊撃ちの営みを続けられるまで続けていこうとされる中、犬たちはもうその場から姿を消してしまったと思うと悲しくなりました。

都会で幸せに生活をしている犬たちには、それぞれの幸せがあり熊撃ちの犬になる必要はありません。

熊撃ちの犬も都会の犬も同じ犬であるということを忘れたくないだけです。

自分も自然から離れて文明社会で生きているヒトという動物です。

自然に近づきたいと犬いっしょに山を歩いたり、竹を切ったり、草を刈ったりするのが精いっぱいです。

そんなわずかな時間でも、犬が犬として過ごす時間を共有することができることに幸せを感じます。

はだしで山を歩いて、獣のにおいを嗅ぎつけて、竹藪に顔を突っ込んでいくような、そんな犬の姿にワクワクしてしまいます。

熊撃ちの方に「なぜ熊を撃つのですか?」という質問をされていました。

生活のために必要のないことをなぜするのかという意味でしょう。

ハンターという音でいうと趣味的な要素が強くなりそうですが、またぎ達はハンターとは言われたくないといいます。

なぜ熊を撃つのか?にはっきりとした言葉はありませんでした。

当たり前だと思うのです。

なぜ山を歩くのですか?と聞かれているのと同じことです。

そこに答えはありません。

楽しいからでも、健康になるからでも、やせるからでも、疲れてよく眠るからでも、長生きできるからでも、最初はなんでもいいのです。

でも最後は答えは必要ではなく、ただ生きているから、そんな感じです。

山歩きには最高の季節が続きます。

花粉症の方も逆療法であえて山入りしてください。

またぎと比べることはおこがましいですが、犬たちはいつでも山とひとつになれそうです。

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グッドボーイハートは20年を迎えます。感謝

新しい元号が発表されました。

気持ちがひとつ前に進みつつ過去を懐かしんだりと人は相変わらず欲深く生きています。

欲深いことは悪いことばかりではなく、その欲深さのために文明を発展させてきたのもまた人という動物です。

そしてその人にもっとも近い場で人を観察しながら、自らも人の生活の中で変化し続けている犬という動物がいます。

その犬のことを知りたくて中学生のときに「犬の訓練士」になりたいなどと思ってしまいました。

そこから長い月日が流れ、自分で犬の学校を始めることになったのが今から20年前です。

名前はグッドボーイハートと名付けました。

当時共に暮らしていたオポという犬が私の要望をうまくくみ取ってくれたときに最初に使っていた音が「グッドボーイ(good boy!)」という音でした。

その言葉を投げかけた犬という動物を心から愛したいという気持ちでつけた学校名です。

それから今年で20年を迎えます。

元号は変わってしまいますが、そのときの気持ちは今でも変わりません。

変わったのはいっしょに学校をはじめたオポが別の世界へ行ってしまったこと。

でも、今でも新しいたくさんの支えがあってこうしてグッドボーイハートを続けながら、いまだに犬のことを学んでいることに改めてありがたい気持ちになります。

こうして何十年も学んでいるのにまだ終わらずに学び続けていることが不思議でならないのですが、答えを出すために学んでいるのではなく、学ぶことがただ楽しくて学んでいるのだということに少し前から気づきはじめました。

これからいつまで続けていくのかなど、未来のことは全く考えていません。

ただ、グッドボーイハートを必要として下さる人や犬がひとりでもいる限り続けさせていただきます。

いつもありがとうございます。


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<日々のこと>しだれ梅が咲きました

毎日あまり変わりばえのしないような日々を送っている中で、ふと風景の中に心をほっとさせてくれるものが見つかることがあります。

福岡の自宅の庭でも、七山のあちこちでも梅の花が咲き始めました。

そして先日、七山のオポのお墓のしだれ梅が花を咲かせました。

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昨年はあまり元気でなくもしかしたら育っていないのかと心配していたのですが、一年を通して様子を見守っていたところ、今年は元気に咲いてくれました。

育たないなと思っていても急に開花する時間差のこの成長は、犬の成長と同じです。

梅の花が咲いた日が自分のちょっとした記念日だったので、偶然とはいえ少しだけうれしい気持ちになりました。

この季節、小さな犬ちゃんたちと寒い2月でもトレッキングクラスを楽しんでいます。

犬が小さいと風邪をひくのではないかと心配されることがありますが、そんなことはありません。

柴犬のような毛の深い犬でも外に出していると風邪を引かないかと聞かれることがあり、こちらがびっくりすることがあります。

柴犬のような毛質の犬であれば外飼いでも全く問題なく対応できますし、チワワのような小さな犬でも山歩きでも元気に活動します。

もし犬がそんな外活動もできなくなっているのであれば、体の機能が低下しているということです。

体の機能が発達せずにバランスを崩している結果として風邪を引いてしまうことがあるということなのでしょう。

犬はそもそも外で活動し室内は休憩する場でしかありません。

自宅の中で遊ぶことを考えるくらいなら、冬のこの時期でもお庭や公園や山にいっしょに出かけて行って外で活動する時間を作ってあげましょう。

北風にあたって冬を過ごした犬は活気があり、精神的にも強くなります。

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飼い主さんたちはみなさん優しい気持ちはたくさんお持ちです。

寒いのにかわいそうではないか、震えているのにかわいそうではないか、と犬が少しでもストレスを表現するとそれを見守ることができないようです。

ちょっと寒いけどいっしょにがんばろう、ちょっと怖いかもしれないけれどきっと乗り越えられるよとそばで黙って見守れるようになるためには、犬を信じそして自分を信じることからです。

自分自身も何かひとつでも乗り越えつつちょっとだけでも前進しているときには、きっとそんな気持ちになれると思います。

犬は飼い主とともに歩むのです。

犬だけ成長ということはありません。

犬はどこまでも飼い主の鏡なのです。

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<日々のこと>やまごちの猟師さんに竹の伐採を習う:七山の尾歩山の冬のお手入れ継続中

険しい裏山を背にしているグッドボーイハート七山校では欠かせない山の手入れです。

山の手入れの季節は秋から冬にかけて。

植物たちが根を伸ばすことにエネルギーを注いでいる間に、土の上に出ている部分を切ってしまい、成長を止めたり遅らせたりします。

山の手入れの中でも特にやっかいでなかなか手が付けられないでいたのが「竹」です。

孟宗竹というすごく太くてスクスクと大きくなる竹で、タケノコの親たちですね。

竹は径がすごい勢いで広がるため、きちんと伐採しておかないと山はあっという間に占領されてしまいます。

せっかく尾歩山で育てている広葉樹も、竹の勢いが強いと養分をとられてしまい枯れてしまうのです。


その竹の手入れのために助っ人を迎えることができました。

グッドボーイハートハートでいつもみなさんに買っていただている鹿肉ジャーキー「やまごち」を作っている猟師さんに七山に来ていただきました。

竹の手入れの仕方がわからないと相談したところ、快く引き受けてくださり、やっていただきながら私でもできるようにと細かく指導していただけたのです。

竹の小枝の払い方から倒す方向やその方向を決める手順、倒すためのロープのかけ方や結び方など、ただ竹を払うといっても学ぶことはたくさんあります。

効率よくできるだけ力を使わないように、そして何よりも安全確保が大切です。


竹払いの作業には生徒さんたちのお力添えもあり、竹でうっそうとしていた山の境界線の一部がみるみるうちにきれいになり、風通しがよくなりました。

風が通ると自分はとても心地よいうえに山が喜ぶような気持ちになります。

なれない作業で緊張して疲れたけれど、やっぱり手入れしてよかったと思えるのです。

山慣れしている老犬がそばで風にあたりながら私たちの作業を見守ってくれました。

落ち着いている犬はそばにいてくれるだけで心強くなります。

何もない七山の尾歩山ですが、活き活きと育ってほしいという気持ちは犬に対するのと同じです。

犬はどう思っているのだろうと思うのと同じように、山はどう思っているのだろうと考えるようになったのはいつからかもう記憶にありません。

山とともに過ごしている猟師さんのお話や動きや知恵は、本当にありがたいものでした。

やマゴチさんで鹿のアキレスジャーキーを新発売されたということで早速購入してみました。

一袋はみなさんにお配りしようと思っています。ご希望の方には一本ずつお分けしますので、お声かけください。数に限りがありますのでなくなりましたらすみません。

山の手入れ、本当に楽しいですよ。とみなさんをお誘いしていっしょにやっていただく魂胆です。

もちろん犬たちもいっしょです。

山をはぐくみそして山から育てられる、とても良い時間を過ごせました。


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<日々のこと>犬のパートナーとお別れした飼い主さんたちと犬を思い出す時間

巷の忘年会やら新年会とは全く無縁の生活を続けています。

逆に犬と暮らしたことのない方とは全く無縁のつながりで人と会うことがあります。

十年という長い犬との暮らしが犬の突然の旅立ちで終わりを告げ、犬のいない新年を迎えるときはしみじみと落ち込むことも多いでしょう。


そんな犬との別れを終えたグッドボーイハートの生徒さんたちと、犬が不在の状態でお会いしてお話しする機会がときどきあります。

かく言う私も三年前に共に暮らしていたオポというパートナーを見送った飼い主のひとりです。

みなさんと同じ立場で会って旅立った犬たちのことをお話しするのは、とても大切な時間になっています。

別れた家族のことであれば家族同士で話をすることで思い出す機会もあるでしょうが、犬のこととなるとなかなか話す相手がいないかもしれません。

少なくともグッドボーイハートで多少なりとも時間を過ごしてくださった犬たちのことをすべて覚えています。

飼い主さんのようにその犬の全ての時間を知っているわけではありませんが、飼い主さんの知らないそのコの一面は知っていると思っています。


犬のなくなったあとお肉やさんで頼む肉の種類が変わってしまったこと、キャべツを切っているときに犬の分を思わず取り分けてしまい、慌てて必要ないことに気づいて落ち込んでしまうことなど、飼い主さんの中にはいつまでも習慣になった犬との生活がしみこんでいます。

犬と別れた一年は「昨年はいっしょに年を越したのに…」とか「昨年はいっしょにクリスマスケーキを食べたのに…」と急に生活が変わってしまったことに不安を感ることもあるかもしれません。

それに、犬の方が準備万端で旅立ったのでしょうが、人の方がお別れする気持ちがないので急に旅立ってしまったとつい勘違いもしてしまいます。

まさか犬がいなくなるとは思わなかったと、本当にそんな感覚になることも普通のことです。


亡くなった犬のことをたくさん話していただき、本当によみがえることはなくとも、犬の姿が活き活きと自分の中によみがえる時間を持っていただくことが、共に過ごしてきた犬が喜んでくれることなのかなと思います。

グッドボーイハートの「犬というパートナーを亡くした未亡人の会」ときどきやっていますのでご参加されたい方はこっそりご連絡ください。

全景

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<クラス>トレッキングクラスと抱負を語り合う新年会

お正月も2日から七山初トレッキングクラスに小さな犬ちゃんと飼い主さんが訪れてくれました。

犬ちゃんも若いけれど、飼い主さん歴も若い。

お互いに行き違い、読み違い、すれ違いといろいろとあるものですね。

きいろトレッキング初
犬はただ歩いているだけではない。

犬は環境を把握しながら歩いていくことが大切なことです。

興奮したり走り出したり、動くものばかりに気をとられていると、自分の安全を見失ってしまいます。

相手はどんな奴なのか?
相手が自分に対して攻撃性があるのか?
相手は自分に何を伝えようとしているのか?

犬と犬だけでなく、人と犬もお互いに知っていると思わずに知らないものとして関わっていく必要があります。

急ぎすぎずゆっくりと距離を縮めていったほうが長続きするし、興奮してはしゃぎまわらない方がうまくいきます。

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今日は久しぶりに尾歩山の奥地、知恵の木のあるところまでトレッキングにいってきました。

はじめての若い犬ちゃんたちも飼い主さんもがんばりました。

新年会では12歳を迎える先輩飼い主さんたちから、若い犬ちゃんの飼い主さんたちへグッドなアドバイスもあり、みなさんで新年の抱負を語りあって希望を十分に持ちました。

どちらにしても、理解するには時間がかかるということです。

早く早くという気持ちもあるけれど、時間はたくさんあるのだと言い聞かせて、猪突猛進ならぬゆっくり前進を今年の抱負にして歩みを続けます。

お預かりの犬ちゃんたちも無事にみんな帰宅しました。

グッドボーイハートも新年のクラスから新しい年のスタートを元気にきりました。

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明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

今年もみなさまにとって良いお年となりますようにお祈り申し上げます。


七山ではとても寒い元旦を迎えました。

寒さのせいか、預かりの犬ちゃんたちもいつもより外遊びも短く出たり入ったりをくり返しています。


「出たり入ったり」といえば、年末に聞いた桂枝雀師匠による「いたりきたり」というお題の落語を思い出しました。

「いたりきたり」と名づけられたペットを飼うという話なのですが、どうやら野生動物をケイジにいれて飼っている様子の話だったので興味深くなり食い入って話しを聞きました。

結局その動物がなんであるのかわからなかったのですが、動物から学ぶことはどの時代でも多いのだなと面白可笑しく拝見させていただきました。

今日も明日も預かり犬ちゃんがやってきます。

明日からはトレッキングクラスも開始します。

飼い主さんのお休みのときに犬と共にできること、元気にいっぱい楽しんでください。

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<日々のこと>今年最後のクラスが終了して思うこと

七山に通学レッスンに来られた生徒さんと犬ちゃんを先ほどお見送りして今年もお仕事を終えたといいたいところですが、預かり犬ちゃんたちがワイワイとしていますので、いっしょに年越しとなります。

グッドボーイハートという学校を通して、たくさんの人と暮らす犬と関わりを持たせていただき今年で19年目を迎え、来年は20年を迎えることになります。

家庭犬より以前の犬の仕事の期間も含めるともっともっと長い時間、犬という動物に深く関わることで犬について学ぶチャンスを人一倍いただいています。

家庭犬のしつけとは、犬が人のもとで安心して暮らせるように環境と関係を整えて築き上げていくことです。

一方、人犬との関係を深める中で生まれる種を越えた特別の関係を得られ、動物から学びつつ楽しみを分けてもらえます。

犬と人が暮らすというのはどこにでもあることなのだけど、自分にとっては特別のことのように思えてなりません。

犬についてこうだと思ったことがそうでなかったのではないかと思うことも度々で、今でも反省をくり返すばかりです。

学んでも学んでも学び足りないと感じることばかりで、どのように環境を整えていけばいいのか、どのように伝えていけばいいのかなどいつも悩みつつ壁にぶつかりつつ悔しい思いもしながら犬と、そして人と向き合ってきました。

この今の段階で私が犬について思うことは、犬という動物は本質的にはやはり、ゆったりとした穏やかな動物であるということです。

犬好きの方の中には、犬が走り回ったりはしゃいだり擦り寄ったり鼻を鳴らしたりすることを楽しい性格だと思う場合もあるかもしれません。

子犬が走ったりはしゃいだりして楽しんでいるのは、子犬らしくかわいいと感じることはできます。

ただ、成犬になった大人の犬たちがすぐに興奮してしまったりテンションが上がったり、他人や他の犬の存在に攻撃したりもしくは興奮してとびついたり走り回ったり擦り寄ったりする行動を見ると、その犬はまだ十分に落ち着くことができない状態にあるのだと判断します。

おそらく最近では多くの人が、落ち着いて穏やかに過ごしている犬を見かけることがほとんどなくなってしまったのでしょう。

昭和のはじめくらいにリードをつけずにウロウロと散策しながら人と距離をとりながら待ったりと過ごしていた犬たちをもう見かけることもありません。

常に狭いスペースの中に拘束され、不自由さとストレスと戦いながら、不安や緊張で落ちつかなくなったり興奮したりパニックしたりする姿を喜ぶ飼い主と共にすごく高いテンションで過ごしている犬が増えています。

平成の平の字のようにフラットでゆるぎない気持ちと心と関係性は、犬の中にも人との関係の中にもなかなか見出すことはできませんでした。

でも、それでもなお諦めません。

犬という動物が本当に求めているもの、犬という動物のすばらしい安定と穏やかさをほんの少しでも取り戻せるように、そしてそれを飼い主さんと共に感じ喜びとしたい、これが今年の最後に思ったことです。


結局、七山では雪景色は見られませんでしたが、冬はまだまだこれからです。

良いお年をお迎えください。

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