グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<クラス>犬とのトレッキングクラスで新しい生物発見!

プライベートトレッキングクラスのときに預かりクラスの犬くんを同行させてもらいいっしょに山歩きしました。

預かりの犬をトレッキングクラスに同行させていただけるのはとてもうれしいことです。

プライベートクラス参加の犬くんにとっても心地良く勉強できる時間になってくれるでしょう。

どちらもオスの犬くんでどちらも消極的で多少の緊張感を感じます。

その緊張感ですが、山歩きを始めると次第に解けていくのがわかります。

犬のことよりももっと広い環境を受け取ることにセンサーが向っていき、緊張していた相手も今や共に行動する仲間として認識されていきます。

歩きながら落ち着きを取り戻してずい分山の奥へと進んだところ、小さな生き物を見かけました。

数秒じっとしていたのでしっかりと見たのですが、はじめはネズミだと思い込みました。

こんな山の中にネズミがいるなんて珍しいね、と話ながら登ったのですが、どうも合点がいかずに調べてみました。

たくさんの画像をみたところどうやらそのネズミだと勘違いした生き物は「ジネズミ」だったようです。

ジネズミは九州の山手にも生育するモグラの一種とのことでした。

もうこの山に登って12年になろうとするのに、12年目にしてはじめて見た生物です。

めったに姿を現すことがないということで、偶然とはいえある意味深いメッセージです。

メッセージとしては「知ったと思い込むな、まだまだ知らない事がたくさんあるよ」というところでしょうか。

ワクワクするような気もするし、まだ宿題が残っているのかとため息をつく気持ちにもなるし、結構複雑です。

ジネズミを見たあと犬たちに「臭いしないの?」と問いかけたのですが、犬の反応は低かったです。

危険でもないし食べるものでもない、犬にとってジネズミはそんな存在なのでしょう。

ちなみにジネズミは準絶滅危惧動物とのことでした。

人も犬も数限りない種類の中のひとつでしかないのに、こうして縁あって近付けたのはこれも偶然とは言えない気がしています。

だからこそ学ぶ、犬から人のことも学びます。

さくとコロ助2

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<クラス>お預かりのクラスで犬と犬のコミュニケーションを学びながら探る

お預かりクラスで3頭の犬ちゃんたちが集まりました。

気候も天候も良くていっしょに過ごすには抜群の日となりました。

お預かりの理由はご旅行やお仕事と様々ですが、中には他の犬とのコミュニケーションを少し進展させたいという理由で預かりを受けることもあります。

いっしょに過ごすことで犬たちに負担がかからないようにと、どちらの犬にとっても学びになるようにセッティングするのですが、コミュニケーション力の促進はそう簡単ではありません。

子犬期の生後6ヶ月くらいまでは成長と発達に柔軟性があります。

今回お預かりした犬ちゃんの中にも、最初の預かりのときには尾を巻いて逃げたり怯えたりしていた犬ちゃんもいます。

その犬ちゃんも現時点ではずい分と積極的かつリラックスして犬と共に過ごせるようになりました。

犬の中でコミュニケーションの誘導力を持つ犬はなかなか現れません。

ほとんどの犬が「待ち」の状態で、状況が変化するのを任せる姿勢に変わっていきます。

そしてその多くが、何事も起こらねばそれで良しという浅いコミュニケーションでおさまることになります。

この状態では、犬と犬が同じスペースに共に過ごしていても、喧嘩もなく会話もほとんどなく、みたところ落ち着いているのですがつながりはあまり感じられません。

何か事が起これば散々と別の方向へ逃げさってしまうような関係です。

もちろんそれが悪いというのではありません。

人と人の関係もすでにそのようなものになりつつあります。

となりに住んでいる人が誰だかわからない、話をすることもほとんどないというのも普通のことです。

別に、人生の中に喧嘩したり仲直りしたりしながら関係を進めていける相手がいるということもあります。

犬と犬は単に仲良しさんではありません。

犬のお友達が欲しいということをよく飼い主さんから相談されますが、お友達というのは小競り合いがあったり仲良くなったりをくり返している関係のことをいうのではないでしょうか。

犬でいう表面的に社交的な関係とは、関わりを持たないということなのです。

預かり中の3頭の犬ちゃんたちと共に庭で過ごしながら、犬同志の関係に必要以上に関与しないけれど、必要なときには関与する姿勢で見守り続け、私自身もまだまだ学んでおります。

自分でも不思議ですが、犬についてこれだけ学んでいてもまだ学びたい知りたい探りたいという気持ちがなくならないのです。

ある程度犬の行動や感覚を理解し始めていても、それを飼い主さんに伝えるためのツールがまだ不足しているため、そのツール探しのためにも学び続けています。

わかったと思った瞬間から人に伝えられるようになるまで数年かかっているような気がします。

今日私が知りえたことをみなさんにお伝えできるのが数年先になるということなので気の遠い話ですね。

そのうちに犬は成長してしまいますから、数年を待たずにぜひ今いっしょに学んでください。

犬の行動に問題を抱えている飼い主さんも、問題を抱えていない飼い主さんも大歓迎です。

サク空もも1

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<クラス>お散歩代行サービスで考えるいろいろ

お散歩代行のクラスをご利用いただいたので、唐津の海辺を生徒犬ちゃんと散歩する機会を得られました。

休日のお昼だというのに広い海辺に誰もいません。

日差しが素肌に心地良く波打つ音には心が安らぎます。

どちらかというと山派ですが、たまには海に下りてきてこうして地平線を拝ませてもらえるのもありがたいことです。


散歩中に小学生の子供さんに声をかけられました。

「さわってもいいですか?」と礼儀正しく声をかけてくるしっかりした子供。

礼儀正しい子供に丁寧に断りをいれて、承諾してもらいました。

本当は子供たちに犬は触るべきものではないことを伝えてあげたいのだけど、時間も許さずつい逃げ言葉になってしまいます。

動物を触れてみたいという子供の気持ちも大切にしてあげたいですが、時間をかけて触れ合えるようになるのが人と動物だという本質について子供たちい知って欲しいという気持ちの方が強いのです。


海岸線をどこまでも歩いても歩けるほど唐津の海辺は続きます。

視界に入る部分を歩いていけば半日以上かかるかもしれません。

こんなに空間があるのに、どうして犬たちは窮屈になってしまうのだろうと思います。

人は屋外で過ごすことがあまり得意でなくなってしまったので、犬を室内に呼び込みいっしょにテレビを見ることを強いているのかもしれません。

犬は活動することが不得意となり、活動しない犬ほど大人しくて飼いやすいといわれるようになるのです。

犬は人といっしょに活動してくれる最高にすばらしい友達だったのだけど、今やカウチポテトの友になりつつあります。

屋外にでるのが億劫にならないこの時期に、犬といっしょに風や太陽や草の香りや昆虫たちと遊ぶのも悪くありません。



家庭訪問でのトレーニングクラスやトレッキングクラスや預かりクラスが続く毎日ですが、お散歩代行をするシッティングクラスの依頼を受けます。シッティングサービスはグッドボーイハートのトレーニングクラスを受講されている生徒さんのみが対象です。

グッドボーイハートやトレーニングスクールなので、迅速に対応できるペットシッティングサービスを提供できる状態ではありません。

比較的早めにシッティング依頼が必要になりますので、ご予定が事前にわかっている場合にのみご利用いただいています。

お散歩代行をさせていただくときもグッドボーイハートならではのクラスです。

飼い主さん不在のときに犬のお世話をさせていただくことで気付く犬のことはすべて飼い主さんにお伝えしていきます。

グッドボーイハートは常に学ぶ場所。

楽しくときに厳しくまじめに、でもやっぱり楽しく学んでいきます。

コナちゃんシッティング

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<日々のこと>一度は参拝したかった大神神社へ

奈良県にある日本最古の神社である大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝の機会を得られました。

ほとんど福岡から離れることがないのですが、今回大阪方面に出向く機会があり以前から訪れたかった大神神社を参拝しました。

なぜ、以前から参拝したかったからというと、その文字のとおり大神神社の大神は、普段通りに読めば「おおかみ」の音です。

全国にある「おおかみ」といえばあの「狼」を連想してしまいます。

大神神社のご祭神様は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)で、大神様自体がお山に鎮まっていらっしゃいます。

お山が神様という日本本来の神社の姿らしく、大神様と狼様の響きが同じことは奇遇とも思われません。

日本では古代から狼を山の使者や神として崇める風習もあったと聞きます。

山の神様の使い手であった狼が人に近付き犬というように名前を改めてきたのです。

ところが、人に近付き過ぎたためお里の山に帰ることができなくなってしまい、山の風景を思い出すこともできなくなり、人にいつも鼻を鳴らすような動物になっていきました。

そんな犬ですが山に来て山の臭いを嗅げば、どんな犬でも必ず山のことを思い出します。

遺伝子の中の記憶のとっても深いどこかに、これだけは絶対に忘れないようにと犬たちが伝えつむいできた原始の臭い、それが山の香りではないかと思っています。

参拝させていただいた大神神社ですが、いうまでもなく神社に一歩入ったとたんに空気が一気に変わっていきました。

その辺にあるものはすべて浄化されると思われる気合にこちらも圧倒され、ただ自分が小さすぎる存在であることを思い知らされるばかりです。

飛行機の上から見た日本の風景は、ほとんどが山でした。

この山の中にどのくらいの動物たちが生きているのだろうと想像しました。

そしてその中に、イヌと呼ばれる動物たちが少しでも自らの力で生きていて欲しいとも思うのです。

犬が人に近付いてきて私達とこうして会話を交わすようになってくれて、生きることの学びや楽しみや毎日の喜びを与えてくれることに感謝しています。

同時に、彼らが理解されずにただそこにいるだけでいいという何もしないという可愛がり方で成長の機会も与えられず苦しんでいることを受け入れる必要もあります。

犬は山が育んだすばらしい動物なのだから、いつも真剣勝負でお互いに成長する時間としたいものです。

大神神社様、次はいつお参りできるかわかりませんが、すべてのお山とつながっているとするなら、七山でもお参りは可能かと思います。

自分が生意気になりそうになったら、山に入って頭を垂れて思い出します。

明日も犬たちと山登りできる日。貴重な時間を大切にします。

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<日々のこと>今年も薪ストーブに火が入りました

福岡ではまだエアコンをかけて車を走らせるというのに、福岡市内から1時間程度で移動する七山の朝晩の冷え込みは中途半場ではありません。

つい先日まで暑さが耐えられないと思っていたのに、今度は寒さが耐えられないと思ってしまうとは、自分もずい分弱くなったものだなと年齢のせいにして終わっているところです。

私はいいんだけど預かりの犬たちが寒いからという理由で、七山では人工の様々な力を使って室内を暖めていきます。

エアコン、灯油ストーブ、電気ストーブ、遠赤外線ストーブなど、なんでもありです。

そんな人工的な道具の中でも、最もパワフルで心も体も温めてくれるのは、最も古い道具である薪ストーブです。

本来七山の家についていた暖炉を昨年、薪ストーブにリフォームしてからは、暖かさもパワーアップしています。

お客様が室内でゆっくりされる機会が得られれば、グッドボーイハートの山の家に立ち寄ってくださる人にも、薪ストーブの火に当たっていただきたいと願うばかりです。

薪ストーブの炎を見ているだけで、なんとなくですが気持ちがリラックスしてくるからなのです。

オポという犬と暮らしていたときはまだ暖炉の状態でしたが、それでも暖炉の前に寝そべる犬のそばで本を読んだりうたた寝したりするのは、本当に極上の時間でした。

もちろん、そんな時間があるのは日中たくさん体を動かして働き、いっしょに山を歩いたり草刈したり、薪を作ったりして、体を使って十分に活動をしているからこそ得られる至福の休息です。

煙のでる薪ストーブは環境汚染の道具として、敬遠されることもあります。

薪ストーブはずい分進化しており、2次燃焼で煙のでにくい構造に変化してきました。

そうはいっても煙はあがりますので、薪ストーブは都心では使えない暖房器具になってしまいました。

薪を作ったり置く場所など都会では使うことのできない薪ストーブですが、田舎暮らしならではの贅沢な道具です。

そんな薪ストーブの炎に癒されつつ、犬たちの癒しの時間ってどんな時間なのだろうと考えてしまう一日でした。

暖炉

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<犬のしつけ方>犬を迎えるならメンテパックも予算に入れよう!

グッドボーイハートでお預かりしている犬ちゃんのクレートカバーがこの季節の七山では心もとなかったので、簡単なものを作ることにしました。

手元にある布とミジンコを取り出し、完成したクレートのイメージに向かって創作を開始しました。
ところが、完成したものは始めに妄想のなかで見たものとはかなり違うのです。

もっと素敵で可愛いものが出来たはずなのに、皆さんきれいに作ってあるのに何故うまくいかなかったのだろう。

選んだ布に問題があったのか、もしくは、ミシンが安すぎたのだろうかと、思うのもほんの数秒のこと、

イメージ通りにいかなかったののは、自分の力不足、技量不足、経験不足、ただそれだけなのです。


犬を家族として迎えた方のほとんどは、これから迎える犬と家族の楽しい暮らしを思い描いていたはずです。

ところが、実際に犬を迎えてみると思い描いていたイメージとは違って、いろいろと問題が起きてしまうこともあります。

犬との暮らしに問題を抱えている飼い主さんの多くが、「なぜ、うちの犬だけがこんなになったのでしょうか?」とお尋ねになります。

私が道具が問題ではないかと疑ったように、犬の個体そのものが問題ではないのかと疑いをかけられてしまいます。

ドッグスクールへの犬のしつけ方の相談には、吠える、咬みつく、散歩ができない、留守番できないなど、犬の困った問題があります。

問題とされる犬たちはみんな、はじめから問題があったということはありません。

飼育の過程や繁殖の過程によって問題となる行動を取らざるを得なくなってしまった犬たちの言葉を飼い主にお伝えしするのが家庭犬インストラクターとしての仕事です。

現在の犬の環境や育て方、しつけ方、接し方をより良い方向へ変えていくことで、犬が健全に成長することができるよう飼い主さんにサポートをお願いしていきます。

そのための、犬への理解、共感と飼い主としての自覚なのです。

みんな何も知らなくて犬を飼っているのに問題があるのはうちだけではないかという不満をお持ちかもしれませんが、問題があったからこそ犬のことを理解するチャンスができたと思っていただければと思うのです。

犬を高い金額で購入してしまい、トレーニングや犬のしつけ方を習うための資金を準備されていないことが、この大切な機会を逃してしまうこともあるでしょう。

せっかくお気に入りの車を買ったのに、その車を大切に維持していくためのプロの力を必要とするメンテナンス料金を準備できなかったら、車はボロボロで使い古しとなり結局は車の良さを発揮することもなく、愛されなくなってしまいます。

犬を迎える予算のうちから、まず犬のしつけ方や犬について学ぶ料金を差し引いた金額で考えていただきたいですし、すでに犬を迎えてしまったご家庭なら、予算には入っていなかったけどこれはどうしても大切な犬との関係作りのための準備として、犬の学校で学ぶ資金作りをお願いします。

ネットで検索すれば無料の情報はたくさんあるかもしれませんが、自分のように専門家としてお金をいただきながら犬について飼い主さんに指導する立場にある人間は、そのことに対する努力と体力、気力を注いで自らも学び続けています。

十分に学んだつもりでも、まだ力不足であることを感じることもあるのですが、みなさんの学びも自分の学びのひとつとして真剣にこれからも学んでいきます。

犬は育てるものです。大切に育てていきましょう。

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<犬のこと>ドッグカフェという名の犬を触る場所とは?

先日、生徒さんとお話しているときに、地域に犬を触れる「ドッグカフェ」というものが誕生したことを聞きました。

ドッグカフェという名前から想像するものは、犬といっしょに行くことのできる、つまり犬OKのカフェというイメージでしたが、そのカフェは違うらしいのです。

最近はやりの「猫カフェ」のように、カフェの中にどのようなスペースかはわからないのだけど、犬がウロウロとしており、その犬たちを「触る」ことを目的としたカフェだというのです。

ここからは、個人的な価値観の入るところなので、あくまでも私はこう感じるという立場で述べさせていただきます。

カフェの目的としては犬を触ることで癒される癒しのカフェを売りにされているようです。

個人的には猫カフェに行って猫をさわりたいとも見たいとも思わないし、猫を触って癒されるという感覚もありません。

ただ、猫という動物の習性について犬のように専門的な知識がないため、自分は関心はないがそれ以上のコメントはできませんというスタンスでいます。

ただ、犬に触ることで癒されようとするドッグカフェとなると、少し立場が違います。

犬という動物の習性やそのカフェで日々を過ごす犬たちにかかるストレスを考えるとき、人はどこまで動物に負担を強いれば気がすむのだろうと思うのです。

もし、そのカフェにいて来客者たちに触られる犬が自分の犬であったとするなら、どうでしょうか。

自分の家族である犬をカフェの中のメイド犬として働かせたいと思うでしょうか?

もしそう思うならなぜでしょう。

もしそう思わないのならそれもなぜでしょうか。

もう少し、いろんな意見を交わせる場所があればいいのでしょうが、これらお互いに意見の合わないもの同志が交わる機会もないのです。

お話してくれた生徒さんは、絶対に行きたくないし気分が悪いとおっしゃいました。

グッドボーイハートで学ばれる生徒さんの多くは、同じような感覚になられるのではないでしょうか。

なぜなら、いつも犬の立場にたって考えることを学んでいるからです。

ドッグカフェには閉口しましたが、生徒さんの言葉には共感を得られました。

その都心にできたドッグカフェは行列ができるほどの人気だそうです。

みなさんはどう思いますか?

犬たちはどう思うのだろう。

海辺こてつ

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<日々のこと>何才になっても若い感性を持っていたいこと

心地良い秋の風を感じる季節になりました。

山歩きの練習に来られる生徒さんたちが増えているため、福岡と七山の往復も多くなる季節でもあります。

福岡で家庭内でのしつけやトレーニングを通して犬のことを学ばれた飼い主さんたちが、本来の犬のフィールドである山に犬といっしょに出かけてみようと思ってくださることは、グッドボーイハートにとって本当にうれしいことなのです。

自然の中で活動すること、新しい体験をすること、体を動かすことも含めて中年になってくると新しい活動にはついブレーキがかかってしまうものです。

こんな年齢になってできるようになるのだろうか、若い人たちがすることじゃないのか、もっと若かったらやってみたいと思ったのだけどなど、やらない理由は山ほどあります。

でも、少しでも興味があってやってみたいと思うことなら、中年期は老年期ではないしと割り切ってチャレンジしてみたいと思うのです。

そんな気持ちの切り替えが自分にも時々やってきます。

若いころに乗りたいと思って自動二輪中型の免許をとったのは二十歳のときでした。

当時は誰でもバイクに乗っている時代でもあったし、バイクに乗ると不良(なつかしい言葉)になるという代名詞でもありました。

犬の訓練所に勤めていたころ、同年代の男子達がバイクに乗っているのを横目に見ながら、スクーターを飛ばしてわずかな休日に2時間もかけて街中に遊びに行っていたのを懐かしく思い出します。

今思えば、お金はなかったけど体力だけあったのだなと思います。

そんなバイクに再び乗ろうかなという機会がめぐってきたとき、ちょっとだけためらったけど、案外すんなりとチャレンジすることを決めました。

できないなりでいいけど、安全に人様には迷惑をかけないようにしようと決めて小さくて形がとてもかっこよくて気に入った古いバイクを見つけました。

自分より先輩にあたる方々が乗っていたような時代のバイクですが、当時の日本のものづくりのすごさを感じさせてくれるバイクです。

バイクに乗りたいという新しい気持ちと、古く懐かしい時代を思い出す気持ちの両方を満足させてくれます。

整備に時間が必要だったバイクがこの季節やっと手元に帰ってきました。

七山でグルグルと遊ぶくらいのバイクのりですが、気持ちはとても満たされます。

中年ライダーと揶揄されそうですが、そもそも外野の言う事は耳に入らないマイペースタイプなので、こういうときは気軽です。

ドッグトレーナーという仕事も中学生という子供のころに夢見た仕事です。

犬って楽しい、犬ってなんて不思議なんだろう、犬は何を思っているのだろうという子供心に抱いた好奇心が、こんなに続くとは思ってもみませんでした。

そしてその好奇心は今でも止む事がなく、日々出会う犬たちを観察しながら、まだまだ新しい発見が続いています。

ドッグトレーナーになりたいといったときも、誰も賛成してくれませんでした。

大人はみんな反対したけど、なぜだかどうしてもやってみたかったのです。

もう中年なのでバイクに乗ることは誰にも反対されていませんが、いつまでも若い感性でいたいので、もう少しバイクに乗ってみたいと思います。

20180911ミニトレ

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<日々のこと>秋になったら犬は何をしたいのだろう

盆が明けたので、七山は暦通りに一気に秋になりました。

夜になると庭で鳴く昆虫たちの出す声もまさに秋の虫たち。

風は冷たく窓を開けて過ごすこともできないほどの涼しさです。

福岡でも郊外地域にお住いのご家庭では秋の気配を感じられるようで、犬の行動も少しずつ変化してきました。


季節が良くなったら、犬がやりたいこととはやっぱり「お外遊び」。

リードに拘束されずに安全、安心して遊べる庭遊びが一番です。

もえちゃんりえちゃんお庭遊び
お庭がなぜいいのかというと、自分の大切なテリトリーである空間にいつでも戻れる空間で自由遊びができるからです。


自分が子供のころには、犬は庭で遊んでいるのは普通の風景でした。

犬は外でつなぎ飼いが多くなり始めた昭和の時代でしたが、家族の価値観なのでしょうが犬は室内を庭を自由に行き来していました。

縁側から石を踏んで勝手に室内に入ってくるし脚を拭いたこともありません。

入り口に脚ふきようのマットが置いてあったくらいでしょうか。

夏の間は蚊などの虫も多いので網戸になっているしペットドアもありません。

秋になって縁側の戸口が解放されると、安心したようにいつも庭で散策をしている犬の姿を見るのが日常のことでした。


最近では、庭に出るたびに犬の脚を拭かなければいけないので庭に出したくないとか、汚れるのが嫌だという理由で庭に犬を出してあげない価値観というのも増えているようです。

犬の毛質が飾り毛となり汚れやすく汚れが取れにくくなっているからかもしれません。

白い飾り毛は土で汚れるとなかなか土の色が取れないのは実際にあることです。

犬の気持ちになって考えると、どうでしょうか。

庭があるのに庭で自由に遊べることもできないなんて、ご馳走を前にずっと食べられない状態でいるのと同じことです。

夏の暑さで行動が制限されていた動物が、涼しくなって自由に散策を楽しみたいと思うのは自然な欲求ではないでしょうか。


庭のないマンションや庭のない家に住んでいる犬たちには、知人のお庭を借りましょう。

その際には、犬を飼っていないご家庭で少し田舎の地域にあって、土が柔らかく風のとおる庭でしたらベストです。

庭がないからといってドッグランに連れて行けばいいのかというとそんな問題ではないのです。

犬は土や草や風の臭いを嗅いで、安心を獲得していく社会化の過程を勧めます。

ところが、日本のような小さなドッグランでは犬たちのマーキング争いの排泄臭を嗅ぎ続けることになります。

犬の脳がどのように反応するのか考えてみましょう。


海外の最高のドッグパークというと、莫大な土地を囲んだ自然公園のようなものです。

国立公園の中を歩いているので、他人や犬に会うことも少なくあったとしてもとても遠くに見える程度で危険を感じられるような状態にはなりません。

囲いを作ってリードを外すという単純な発想から、庭の代わりにドッグランという発想は少し考えが浅いと思います。

田舎に実家のある方は、いくらでも過ごし方や遊び方を発展させられます。

秋になったら犬には散策行動を、庭がない犬は借り庭を準備、それもできなければ犬と一緒に山を散策しましょう。

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<日々のこと>お盆が過ぎ秋が近付く山にいて、犬を見ながら思うこと

お盆という習慣は不思議と体に身に付いているものです。

小さい頃からの家庭内の行事は、思考や感情にも影響を与えるからでしょうか。

お盆は決まって都心と田舎を結ぶ道路が大渋滞になるのが恒例ですが、それだけ日本人の身に付いた習慣だともいえます。

お盆になると身近な家族が寄り集まって旅立った人を懐かしく思い出しながら、今自分が生きていることを不思議に思ったりします。


そういえば、犬を亡くした方が犬の死後にこんなことを言われたことがありました。

今まで身近な家族がなくなったことがないのでお盆になっても何も思わなかったけど、これからはお盆になると犬のことを思い出すようになるのだろう。


本当にそうですね。

お盆になると亡くなった家族が身近に戻ってくるような気持ちになってしまいます。

亡くなった犬たちを思う気持ちも、お盆になると特に強くなります。

亡くなった犬がお盆に戻ってきてまたあの世に帰っていく、それがあまり現実的でないとしても自分の心の中に起きていることは否定できません。

旅立ってしまった犬のことを思い出すことは時が浅いときには辛いこともありますが、お盆を迎えるたびに何故か気持ちが落ち着いてくるようにも思えるのです。

はっきりとは言えないのですが、あれは永遠の別れではなかった、いつでも思い出すこの心にいっしょに過ごした犬たちがいるという感覚になれるからかもしれません。

同時に、亡くなった家族や犬たちがいつも見ているから恥ずかしい生き方はできないなと生きているものとしては気持ちが引き締まります。

そんな盆を越えたので、猛暑との戦いもうひとがんばり、ほどほどにがんばります。

お盆の飾り


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