グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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飼い主になついているのに飼い主に噛みつく犬は「境界線」を教えられていない。<前編>

犬の噛みつき行動についてのご相談を受けます。

飼い主にかみつく犬の行動パターンとは

犬の噛みつきにはいろいろな行動のパターンや理由があります。

たとえば、飼い主が与えたフード(えさ)を食べないといった人になついていない状態での噛みつき行動は、犬が人を恐れているという状態であるということはどなたにもわかりやすいでしょう。

ところが、多くの噛みつきは飼い主に甘える行動を見せる反面、その飼い主に対して噛みつく行動をするという問題です。

普段は飼い主にまとわりつき、キュンキュンと鼻をならして甘え、とびついてきて飼い主が離れるとワンワンと吠えて飼い主を呼ぶような犬。

こうした行動の犬は来客や宅配が来たときに狂ったように吠え、他人が近づくと後ずさりして隠れたり、興奮して飛びついたり、次第に唸るようになっていきます。

自分にかみつくようになった犬に対して飼い主がはじめに思うこと

犬の都合で飼い主にまとわりつき甘える犬が、体を触ったり足を拭いたりごはんのときにかみついたりすると、飼い主はこう思うようになります。

「うちの犬は嫌な事があると噛みつくのだ」と。

犬が嫌がることをすると噛みつくと考えた飼い主は、犬が嫌なことをするときにはおやつを使って一時的にごまかしたり犬の機嫌をとろうとします。

ごはんをとられるのが嫌だと思って噛みついてくるのだと考える飼い主は、唸る犬に餌を与えて犬が食べ物を食べて落ち着きを取り戻すまで近づかないようにします。

それでも飼い主はこう考えています。

うちの犬は他人や他の犬が苦手、でも自分のことは好きなのだと。

「好き」という言葉は人と犬の関係を表現するにはなかなか難しい言葉です。

言葉を変えるなら「飼い主が好き」ではなく「飼い主を信頼している」と置き換えてみてください。

この犬は飼い主のことを信頼しているのでしょうか?

犬が飼い主を信頼していない?

では犬は飼い主をどう思っているのか。

普段は飼い主に甘えたような行動を見せてたくさんの要求をする犬。

犬が嫌がることをしようとすると飼い主に唸ったり吠えたり歯を当てたりするようになります。

一方で散歩中に興奮するようになりリードをひっぱり他の犬に吠えたりおびえたり、他人に飛びついたり後ずさる行動をするようになる行動もみられるようになります。

飼い主が好きで他の犬や他人が嫌い、と判断するのは早計です。

そう判断してしまうと怖がりの犬を可愛そうだと思い「大丈夫、大丈夫」と逃げ場を作ってしまうからです。

人も同じような行動をとることがあります。

これらの犬の行動は親に反抗的な態度をとりながら、社会で他人と交わって働くことが苦手で引きこもってしまう一部の人間の行動のパターンによく似ているのです。

人と犬は違う種類の動物ですが、社会的な集団構造と構築の仕方がかなり似ています。

その似ている部分が人と犬がこれだけ近い距離で共に暮らせるようになった理由でもあるのです。

引きこもりになってしまった犬、飼い主のことを信頼しているでしょうか?

引きこもり犬は飼い主との信頼関係を失っている状態だということをまず気づいてあげることが大切です。

後編に続きます。

社会活動中の犬ちゃん

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コロナ時代で犬に課せられた役割はあまりにも大きい。

ウイルスは変異を続けておりコロナ時代にはまだ終わりが来ていません。

この数年の間に飼うつもりではなかったのに家庭に迎えられた犬たちがどんなに多いことか。

また飼う予定ではなかった2頭目、3頭目の犬を迎えた家庭もあります。

家庭での自粛生活が続き様々な生活スタイルの中で、知人や友人とのコミュニケーションを絶たれたり、旅行やグルメ、カフェ巡りやエンターテイメントなど娯楽が取り上げられたことで家でのイベントを求めた方もいらっしゃるでしょう。

閉じこもった家庭の中に癒しや催しを期待されて迎えられた犬たちがそろそろ悲鳴を上げ始めているようです。

人は人肌程度のぬくもりのあるものを抱いていると落ち着いてくるという習性を持っています。

人がひとりで生きていくよりも同種の仲間と肌触れ合う関係を継続したり形成したりすることが動物としてのメリットがあるような性質を持っているからです。

子犬や小型犬を膝の上に抱いておくことは、自分の不安を解消させ「わたしはひとりではない」と感じることできる手っ取り早い方法であり、犬や猫は膝を温める役割を果たすにはちょうど良いサイズです。

また人には幼いものを擁護したいという欲求があります。

ペットの犬たちの多くは成犬になっても幼さを残した表情をしています。

つまりネオテニーという状態ですが、ネオテニーは成熟した動物が幼体や幼形を持っていることをいいます。

犬はもっとひどく形や見かけだけでなくその性質も成熟する機会を失い未熟なままでいることもあるようです。

コロナ時代に犬に求めた癒しによって、人は孤独感を克服し毎日楽しく犬と過ごせるようになったかもしれません。

ただ犬の方はどうでしょうか?

犬もひとつの命を輝かせるために、豊かなライフを送るために、自分の能力を最大限に発揮するために生まれたはずです。

しかも、その輝けるドッグライフのためには、知的で行動力のある人間の力が必要なのです。

コロナ時代で無力になって犬にすがりついてしまったともし気づいたなら、とてもラッキーなことです。

これから私たち人間が活動力を取り戻し、人としての力を発揮できるようになっていくとより良い方向に仮定します。

犬たちに、犬として生まれて来たならやってみたいことをぜひトライさせてください。

犬のお里である山をいっしょに歩いてみて下さい。

犬のコミュニケーションをひとつでも知って楽しんで下さい。

そして、犬の習性を知って愕然とし、彼らの世界を覗き見ながら自分と犬がどのような関係を築いていきたいのかもう一度考え直して、そして再出発です。

コロナ時代に迎えた犬たちは年とってもまだ3歳程度。

まだ若い、まだこれからです。

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雨の日に山道を犬と歩くという経験をしたことがありますか?

しとしとと冬の雨が降り続いた一日となりました。

トレッキングクラスのときに雨予報になると開催するかどうかをすごく悩みます。

雨予報が1ミリ程度であれば、参加希望の方だけトレッキングしますというのがここのルールです。

降り止まない雨の中を数名の生徒さんたちが集まってきました。

みんなちゃんと雨具を装備して長靴を履いています。

それにしても、犬たちは元気元気。

5歳を超える犬たちは「雨か~」という感じでテンション低め。

若い犬たちはいつもとは違う環境だということでテンション高めです。


雨の中の山の風景はいつもと少し違います。

木々の色がいつもとちがいきらきらと輝いており、小雨の中の山の風景がわたしは好きです。

私たち人間は目で見て肌で感じることしかできませんが、犬たちはにおいでいつもとは何かが違うことを読み取っているようです。

山の風景の中にいつもと違うものを見つけたり、楽しいこともいろいろとありました。

樹木の根元に生まれる気泡



こんな風景に触れることができたのも、犬がいたからと感謝できます。

犬がいなかったら雨の日に山の中を歩くこともなかったのだと思うのです。

犬がいるから広がる世界。

犬が親しんだ自然の風景。

みなさんの世界が広がり、犬が豊に暮らすためにできることを考えいきましょう。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

犬のリードさばきを習得するには3年はかかります。

週末の犬語セミナーに向けて動画の選別のつもりで見ていた犬と犬の対面の動画。

食い入るように見てしまってあっという間に時間が過ぎてしまいます。

グループトレッキングクラスなどにご参加されたことがある方なら、犬と犬をオンリードで対面させるシーンを一度はご覧になったことがあると思います。

犬と犬がどのような行動をしながら接触をしていくのかを見るための対面ですが、もうひとつ大切な見方があります。

大切なこととは、犬のリードを持っている人(=ほとんどは飼い主)がどのような動きをしているかということです。

今回も動画を見ながら圧倒的に上手だなと思った飼い主さんがいました。

もう何年も犬と暮らしていらっしゃると思いますが、年数は関係ありません。

自分はもう何頭も犬を飼ったという方が、公園でリードに引きずられながら犬と歩いている姿をなんども見たことがあります。

犬のリード使いは、リードを持っているときに飼い主が何を意識して行動をしているかが表れてしまいます。

犬を従わせることはできても、犬に全く関心のない飼い主もいます。

最近では携帯電話を片手にもちその画面を見たまま、片手にリードをもって飼い主の後ろを犬が歩いている姿を見たこともあります。

犬が飼い主の後ろを歩いているのだから従っているのだろうと、形的にはそうですが美しさがありません。

犬にリードをつけているとき…もっと正確に言えば、犬が首輪とリードを装着しているときに犬のリードをもった状態で犬とダンスをしているように行動できる姿は見ていてとても美しいものです。

ダンスというと飛んだり跳ねたりというイメージを持たれるかもしれませんが、息を合わせて動くという意味のダンスです。

呼吸が止まっていては良いダンスは踊れませんね。

実は、犬のリードをちゃんと使えるようになるまでに数年はかかってしまいます。

犬がリードを引かずに歩けるようになるのとは別の次元のリード使いです。

おしゃれにいうとリードワークといいます。

リードは飼い主の動きを犬に伝える道具であり、犬の動きを受け取る道具でもあります。

合図、たとえば「ついて」「あとへ」「とまれ」といった号令を使って犬を動かすというのとは別にリードを持っているときに言葉を必要とせずに動ける状態が日常になるとお互いにストレスが減り、むしろリードをつけて歩くことが楽しくなります。

リードワークのコツですが、一番の練習は上手に歩いている人を見ることです。

見て習得できるのは人の特技でもありますから、より良い動画を探してご覧になって下さい。

犬語セミナーでもチャンスがあれば見ていただきたいです。

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寒さより心地良い犬との時間を過ごしてますか?福岡の山でトレッキングクラスを開催しました。

今年も早速トレッキングクラスを開催しました。

七山のトレッキングクラス最高なのですが、時間がなくなかなか七山まで行けないからたまには福岡でもトレッキングクラスを開催してほしいというご要望に応じて行っています。

小雪の降る福岡の空、雨の気配はないけれどただ寒いだけです。

この寒い中をこれから山を歩くのかと気弱な人間だからちょっと臆するのですが、元気に集まった犬たちの表情を見ると「よし、行くか」と気持ちは定まります。

都会の福岡が一望できる山を犬と飼い主さんといっしょにみなで歩きました。

止まると目と目を見つめ合い少し興奮気味になる犬もいますが、前方を向いて行進しているときには他の犬にかまわず、一列で歩いていくことに夢中になっているように見えます。

犬と山歩きをする理由を毎回尋ねられるのですが、犬が生き生きと活動する姿が見られ、犬と一緒に空間を体感して心地よいと感じる場と時間を得る最大の機会だからです。

他にもたくさんの利点があります。

犬は前進の筋肉を鍛えられ、バランス感覚がよくなります。

いつも使えていない後ろ脚に体重がかかるようになり関節も強化されます。

澄んだ空気を吸うことで、呼吸が深くなり脳がリフレッシュします。

山のにおいを嗅ぎながら探索することで脳は動きがよくなります。

飼い主と共に前進行動をすることで社会性が培われます。

そして集団行動に合わせることで協調性が育ちます。

あと一歩を踏み出す力を得ることで我慢強くなります。

そして、ここに書いたことは犬だけでなく人にも同じことが起きます。

毎週という以上に山を犬と歩いている私も、山歩きをすると自分の体調がわかるようになりました。

広い空間の中で自分の立ち位置を把握しながら、考えていることもすっきり整理できるようになります。

福岡でのトレッキングクラス。

2月は平日にと土曜日に開催予定です。

日程はすでに決まっていますので、ご希望の方はお手数ですがお問い合わせ下さい。

犬と暮らしているたくさんの飼い主の中で、犬と山歩きをしている人は一握りしかいないのです。

その最先端を行く犬の理解者として、飼い主さんのおひとりおひとりがもっともっと学んでいただけるように、セミナーの準備がんばってます!

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初めての犬との山歩きで子供のころの感じた自然がよみがえる時間。

先日もまた、初めてのトレッキングクラスで「初めての犬との山歩き」を体験していただきました。

何にでも初めてというのがあるはずですが、私自身が初めてオポと山を歩いたことがあまりにも普通に始まってしまってほとんど覚えていないのです。

そのこともあってクラスにご参加のみなさんが初めて山歩きをされたときにはできるだけ記憶しておこうと思い、こうしてブログにご紹介しています。

初めての犬との山歩きは、犬にとっても初めての山歩きでもあります。

今回の犬くんは数回の預かりクラスを利用されていたので、七山の自然の中で七山の家周辺で過ごす時間は作ってもらっていました。

それでも山を人と歩くという行為は特別なことなので、飼い主さんに初めての山歩きをいっしょに体感して欲しくて預かりの時にはデビューさせていませんでした。

お預かりのあとの山歩きでしたので、最初は少し興奮気味でしたが、次第に山という環境を深い記憶から思い出したのか、入念に地面のにおいをとりながらゆっくりとした足取りで歩くようになりました。

犬ちゃんはまだ生後7ケ月になったばかりです。

まだまだ若く好奇心も旺盛、新しいことにも興味深く、山のにおいは若い犬ちゃんにとっては格別なものであったはずです。

でも見ていると都会のコンクリートの上を、たくさんの人や車と行きかうときとは少し様子が違うようでした。

普段から散歩を見ているわけではありますが、想像するに明らかに街中の散歩よりも落ち着いて行動しているように見えたのです。

何のにおいを嗅いでいるのだろうと犬が知る世界を私たちが知ることもできず、いつものようにもやもやとしながらも、いつもとは違う犬の表情と行動にワクワクとしました。

飼い主さんの方は幼いころに過ごした自然の空間を思い出したとおっしゃっていて、小鳥の声や川のせせらぎが懐かしいととても良い時間を過ごされていたようです。

そして私の頭に残った印象的な飼い主さんの言葉はこんなことでした。

「もうドッグランに行きたいという気持ちがなくなりました。」

実際にドッグランに一度行って見られてもいいとは思いますが、山歩きの楽しさを知ってしまえば、ドッグランなんて全然楽しくないと思うようになるはずです。

犬の表情や行動をちゃんと見ることができる人なら絶対にドッグラン<山歩きですね。

こんな時間を犬と過ごして下さる飼い主さんに出会うことが、グッドボーイハートを続けている理由でもあります。

これからこの犬ちゃんがどのような経験を重ねていくのかとても楽しみです。

犬も人も自然の中から生まれました。

そして自然の中へと帰っていきます。

その生のある間も、ぜひ自然と共にありますように。

初めてのトレッキングクラスに参加したバロンちゃん生後7ケ月



 

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子供と犬の山歩きをもっと広めたいこと。

前回のブログ記事を読んで、子供教育の現場に長くお勤めの教師の先生からコメントをいただきました。

記事の内容には、普段街中を歩くのを嫌がる小さな子供が、犬といっしょに山歩きをするトレッキングクラスに参加して一時間もかかる坂道を楽しいと言いながら歩いたことを紹介しました。

子供の教育に携わる立場から、子供が山を犬と一緒に歩くという体験は、子供の脳や精神や肉体の健全な発達のためにとても役立つことだという後押しのお言葉をいただきました。

コロナの影響で福岡の子供たちにはタブレットが配布されて子供たちはいつでも気軽でタブレットを見れるようになりました。

このことは子供たちの成長を促進するよりも後退することにつながる可能性の方が高いというご意見も伺いました。

子供はYouTubeを見て時間を過ごすようになったことで、まるでYouTubeにお守をされているようなものだということです。

わたしも同じような考えを持っていたので、とても共感できました。

子供にとって大切なのはYouTubeを見続けることではなくて、自分の体を使ってバランスをとったり、木々に触ったり坂を歩いたり土に触れたり草をむしったりすることであるはずです。

さらに、子供だけが山歩きをするのではなく、犬と一緒に山を歩くことにとても大切な学びがあります。

山歩きでは犬が本来持っている能力を最大限に発揮することができるからです。

そして子供たちは山を歩く「犬」の姿を見て、必ず何かをつかみ取るはずです。

親が説明しなくても、犬が山を歩いている姿が部屋の中でボールを追いかけている姿とは違うということを、ただ見るだけで子供はわかるのです。

そこが大人よりも子供が優れているところです。

小さな犬をおもちゃのように子供が扱おうとするのは、山を歩く犬の姿を見たことがないからではないでしょうか?

犬はもっとすごい動物なのだということを子供たちが知る機会が、犬との山歩きにはあります。

子供自身の成長にも役立つ山歩きを通して、犬という動物について新しい見方をできるようになり、より動物として興味関心を持てるようになれば、子供の生涯を通して犬との暮らしは今までとは全く違うものになります。

実は私は子供時代に犬といっしょに山を歩いた経験がありません。

子供の時にやれなかったことを大人になってやっているようなものです。

小さな子供たちが山を犬と歩く姿を見ていると、本当に羨まして仕方ありません。

グッドボーイハートのトレッキングクラスでは、犬の家族の大人は二名まで、子供たちな何名でも参加できるというルールになっています。

子供たちが犬のことを知れば、犬の世界は変わります。

これからも子供と犬のトレッキングクラスがもっともっと広がるような仕組みを考えていきたいと模索中です。

どなたかよい案があれば、ぜひ教えて下さい。

関連ブログ記事 <初めて犬と山歩きですごく楽しく歩けたのは子供が自然だからです。>

 

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犬のしつけとトレーニングは三つ子の魂百までのために。

令和四年を共に迎えたお預かりの犬たちと過ごしながら、またいろんなことを考えていました。

たまたまお預かりした犬たちが生後5ケ月未満の比較的若い年齢のときからトレーニングをはじめたということでこんなことを考えたのです。

犬のしつけは何のためにするのか?

犬をしつけること、犬にトレーニングをすることを何のためにと尋ねられることがあります。

人へのかみつき行動や室内で排泄を失敗する、留守中に吠えるなど、人との暮らしに決定的な問題を抱えている犬もいます。

こうした犬の場合はその問題行動を解決しなければ人と共に暮らすことはできません。

飼い主や地域のために犬の問題解決を解決するための犬のしつけやトレーニングは絶対となります。

こうしたケースのように、犬がドッグスクールに通っているというと「何か問題があるのですか?」と尋ねられることもあるでしょう。

でも、これはとても古い考え方です。

犬のしつけの目的は問題解決よりもずっと深い。

犬のしつけとトレーニングは、犬の問題行動を解決するためにも有効ですが、もっと深い目的があります。

ただこの目的の達成を実感していただけるのは、犬ができるだけ若い子犬のころからトレーニングスクールで学んだ飼い主だけです。

さらに厳しくはっきりというと、自分の価値観を捨てて真剣に学んだ飼い主だけということを付け加えておきます。

人や他の犬にかみつく、吠えるなどの申告な問題を抱えてしまった成犬になったあとでトレーニングを開始しても、子犬のころから真剣に犬のしつけ方を学ばれた飼い主の元で育ったようにはなりません。

何がならないかというと、犬の基礎となる脳の発達がどうしても追い付いていかないのです。

子犬のころから犬を理解するための学びを続けている飼い主の元で育った犬は、何も知らない飼い主が育てた犬とは少し違うのです。

何が違うのか、犬のことをよく知る人が接すればすぐにわかるほど犬の脳の発達に違いが出ます。

そのことで得られる犬自身の生活の質、飼い主との関係などはかり知れません。

子犬のしつけは人でいう“三つ子の魂百まで”なのです。

 

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今年もたくさん学びました。年末はお預かりの犬たちと年越しします。

昨晩は同僚であり共に学ぶ仲間でもあるドッグトレーナーの先生と今年の反省会も含めてオンラインミーティングを開催しました。

家庭犬を取り巻く状況はますます厳しくなっていますね…という話が長くなりました。

犬と取り巻く状況とは、犬に対する価値観や思い込み、犬の幸せとは何かを感じる感性などがあまりにも作られたものになってしまったなということです。

犬という動物のすばらしさを知って感動しながら犬と暮らす感動を得る飼い主が少なくなっているなというため息をつきました。

犬の形がぬいぐるみのようで可愛いとか、犬を撫でるのが好きとか、犬をあちこちへ連れていくことが趣味とか、犬におもちゃを買って与えたり食べ物を与えることで犬が喜んでいると思っているとか…そんな犬との暮らしに満足する人が圧倒的に多くなったのです。

わたしたちの感じるところの「犬との暮らし」を体感するための道は結構長いようで、い一緒に歩いて下さる方は本当に貴重な飼い主なのだということも実感しています。

今年もグッドボーイハートと出会って真剣に学び続けて下さった生徒さんたちに心から感謝する思いが沸き上がりました。

そしてこれからもグッドボーイハートは犬のことを学び続けます。

今までは100人に一人の飼い主でいいから犬の本当の素晴らしさを知りたいと学んでくださる方と出会えればと思ってやってきましたが、これからは千人に一人の飼い主を探して引き続き活動を続けていきます。

年末にも数名の飼い主さんたちが草刈のお手伝いに来て下さいました。

わたしが十分にやりきれていない部分をサポートしてくださっていること重ねて感謝いたします。

また様々な形で今までグッドボーイハートで学び今も学び続けていることをお知らせして下さる飼い主さんもいます。

歩いていけばいつかはたどり着く素晴らしい場所も、たどり着くまでにはたくさんの困難な課題があってたどり着ける人はほんの少数です。

なのでみなさんはお気楽にたどり着いたらラッキーと思って、風景を楽しみながらゆるりと進んでいけばそのうちたくさんの気づきが生まれて夢中になって歩みを進めて行かれるでしょう。

さて、オポが旅立った翌年から毎年のことではありますが、今年もお預かり犬ちゃんと年越しをすることになりました。

寒いね、暖かいねと言いながら青空の下、曇り空の下、雪模様の中に山の中をうろうろ。

興奮しないで落ち着いて相手をよく見て、と心を落ち着かせて犬同士のやり取りを見守って、ああ、やっぱり犬っておもしろいなと思っている自分がいることを確信する今年最後の一日でした。

犬たちは一日遊んで大満足。

また明日も変わらず元気に過ごします。



 

 

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犬の健康と幸せにも影響する形とバランスの限界地点はどこにあるのか。

先日有馬記念のレースを見る機会がありました。

わたしは賭け事には全く関心がありませんが、馬という動物には関心があります。

なぜなら、馬と犬は人が利用し続けている動物の中でも特別な位置にあると思うからです。

人の言うことを仕向けるように飼い慣らし、人の目的を果たすように繁殖し、そしてかつ人の友であるという役割を与えている動物、それが馬と犬です。

有馬記念のレース映像は偶然車を停車して待ち時間になったときに車の中でテレビ放送として見ました。

パドックに入る直前からレースが終了するまでのメインの部分だったのです。

優勝候補に挙がっていたエコフォーリアという名馬の歩く姿、バランスの良さ、筋肉のすばらしさ、動きに美しさ。

私が馬のことを全くわかいなかったとしても、長年犬という動物の姿を見ているのですからこの馬が特別すばらしい体形を精神を備えた馬であるということは伝わってきました。

競走馬の主流であるサラブレッドは犬でいうところの純血種です。

人の手が何世代にもわたって入り込んだまさに人為的に繁殖された馬です。

競走馬という目的を果たしているという意味ではすばらしい繁殖ですが、繁殖によっては欠点も生まれてしまいます。

馬のもっているすばらしさ「美しく速く走る」という機能性を高めることと、病気や欠点をできるだけ抑えた繁殖を末永く続けるためには大変な研究が必要になるはずです。

ただ、競走馬の場合には馬としての機能性を高めたいという目的であったことで美しい馬が生まれました。

ところが、犬の純血種はどうでしょうか?

犬の純血種も同じように人為的繁殖によって意図的に目的をもって繁殖を繰り返された人の産物なのです。

たくさんの純血種犬は「使役犬=働く犬」として役割をもつこともありました。

人よりも圧倒的な機能である嗅覚を使った警察犬、麻薬探知犬などは犬が最も得意とする能力です。

イノシシを追う猟犬には日本の純血種たちも現在でも活躍しています。

他に人に従順であるという服従性を利用した盲導犬などの福祉犬、セラピードッグも他の動物にはできないことです。

羊を囲むボーダーコリーは、捕食性を服従性でコントロールするというギリギリのラインでもあります。

しかし同時に、多くの犬は「変わっている」「奇抜」「かわいいもしくはきもかわいい」という理由で人の手によって繁殖されてきました。

犬は人為的繁殖によってさまざまな容姿が広がったことが他の動物ではなかったことだからです。

それだけ犬の繁殖に人が強く関与したということでしょう。

鼻のひっこんだぺちゃ顔の犬、足の短い犬、模様の特別な犬、毛足が長い犬、

毛の抜けない犬、毛のない犬、容姿がぬいぐるみに似ている犬など、人の好みに合わせて犬を繁殖させていけば全く本来の犬とは別の動物になっていきます。

今では少し行き過ぎているのではないかと思うほど犬の形は崩れてきました。

犬が本来人と距離を置いて生きていた時代に、犬の形というのは犬が生きている上で最大に出来上がった形であったはずです。

形は「機能性」であり、本来の形である方が犬としての能力は高いということです。

ところが、犬をペットとして犬にかわいさを求めるあまり、犬の毛は山を歩くには不便になりました。

飾り毛にはたくさんの落ち葉や種がついて離れず、皮膚は薄くなりすぐに切れてしまいます。

脚は短くなって長い時間歩くことが得意だった犬の機能性は発揮することができなくなりました。

犬を見るたびに動きにくそうだな不便そうだなと思ってしまい、あまりにも人の都合で形を変えて行き過ぎるのはそろそろ見直すべきときが来ているはずです。

新しい純血種の登録は今でも進んでいます。

新しく珍しいものに商品価値があるというビジネス的な発想なのかどうかわかりません。

もちろん純血種の販売も競走馬の育成のビジネスであることは間違いないのですからそこを否定するつもりは毛頭ありません。

むしろビジネスとして健全により本来の犬としての機能性が高まる方向性で人為的な繁殖を進めていただきたいです。

生まれたあとは、馬も犬も人が利用している動物だという自覚と責任を持ってちゃんと飼育し健全な肉体と精神をもった動物となるよう育てることです。


 

 

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