グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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一足早く

台風が通り過ぎていいく間涼しい風で一息ついた。
涼しいから草刈りも調子よく進み庭はちょっとした空間を取り戻した。

こうなってくると調子づいてくる。
「お山いこっか。」
久しぶりにギャロップで山への道を駆け上がるオポを見た。
すでに何かすることが決まっているかのような足取り。

少し進むとあの「青い実」のなっている木に到着した。
なんだか今まで見たのと感じがちがう・・・。
オポは木の下をフンフンと臭って何かを探している。
やがて探していたものを口に入れてポリポリと食べ始めた。

のぞいてみるとそれはあの「青い実」だった。
青い実のついた枝がいくつも落ちている。

つい昨日山道の草刈のお手伝いをして下さったときに刈られたようだ。
通行の邪魔になったのかのれんになっていた枝部分を掃ってあった。
枝には7、8個の青い実がついたままだった。はそれを食べていたのだ。

この実は今年はじめてできたものでオポがここでこの実を食べたことは一度もない。
それに青くて小さい実は甘い臭いもおいしい香りも全くしない。
こんなに青いものを食べて消化するのだろうかという現実的な疑問と同時に、私の中にはオポに起こっているこどがはいってくる。

いつか熟して地面に落ちて食べるはずだったその実を、その木の下で食べることになっていたことをオポは知っていたに違いない。
まだその実は熟してはいなかったけど、約束通りオポがそれを食べることになった。

そして、その折れた枝をみながら、大切に思ってきたこれまでの時間という過去と
オポが食べることを楽しみにしていたまだ来ていない未来が少しなくなったような気がしてさびしい気持ちになっていた。

でも、オポは違う。
犬は人のように過去や未来のことを考えて期待したり憂えたりはしない。
もちろん彼らには今しかない。
すばらしいのは今起きていることでそのことを充分に楽しんでいる。

でもオポといるとそれだけではないと感じるようになった。
うまく伝えることばを今は持たないけど彼の過去も現在も未来もすべて彼と共にあると彼自身が受け取っているということ。
だからこそ今起きていることから最大の喜びを得るけど今に執着する必要がないのだろう。

そんなことを思いながら下りる途中でねむの木とすれ違った。
ここに移ったときに庭では一番の大きな木だった。
残してほしいと頼んだけど、藪刈りの途中に誤って切られてしまった。
そのねむの木は4姉妹となる枝を伸ばしつづけた。
きっとそのうちピンクの花をつけるほどになるだろう。

折れた柿の木の枝をもって家まで降りてきた。
きっとこの枝の育つ未来は他の枝が担ったにちがいない。
思わず青い実の収穫を得たオポの方はその実の力を自分のものとした。

かきのみ

Posted in 日々のこと, オポのこと

夏の戦い

ある明け方、蝉たちが一斉に産声をあげた。
ついに来た。本当の夏がやってきた。

裏庭に広がる草藪に住む虫たちとの戦いが続いている。
全ての条件が整わないと生存しない虫がここにはいる。
おそらくちょっと山を下ればお知り合いになれない虫たち。

その中で一番やっかいでどうにもならない刺し虫はヌカカと呼ばれている。
このあたりでは「しのぶ」という名前らしく、本当に忍んでくる。
網戸も通過し、最強の蚊帳も平然とくぐって哺乳動物の生き血を吸いにくる。
起きていても寝ていても刺されるのだからどうしようもない。
吸血するだけならさほど苦にはならないのになぜか猛烈にかゆく痛い。
1日複数の刺し傷に痛みとかゆみが数週間も続くのだからこんなに不快なことはない。

さすがのオポもヌカカにはやられてしまう。
外に出ると一度に10ケ所以上、それも腹部を狙ってくるから大変な腫れようで
痛々しいその傷にどくだみの葉をもんでぬると赤みは数分もすれば引いてしまう。
かゆみも痛みも感じないのかオポはそう長くそのことを気にしたりはしない。
要するにそんなにかゆくて痛いのは自分の抱えている問題だということ。

ローリングサンダーだったらビネガーの瓶を差し出して
「そうした問題はどうにでもなるものだ。」と、いうだろう。
そこで、私も毎日のように酢を体にいれ毒をできるだけとらないように生活の基本に戻る。

まあ、そんなことをしていても窓の外をみると生い茂った草と暗闇。
こんな快適な生活空間を虫に提供していることがいけないのだ。
ひろがる藪に虫のとびかう戦いの場に鎌を持って出るにはエネルギーがいる。
泣き寝入りして毎日増える虫さされの後を数えるくらいなら立ち向かうしかない。

ちょっとした恨みつらみなんかがあるのであれば、「こんちくしょう」と思いながら草を刈るのかもしれないけど
そうした思いが今のところはない。
考え事をしながら草刈をしているとケガをすることはすでに経験した。
目の前に立ちはだかる草に目をそらさず向き合いながら、ただひとかりずつ鎌を振ることに集中していた。

虫のことも、この先どのくらい刈らなければいけないかも、今日どのくらいしなければいけないのかもなにもかも忘れ、目の前に今ある草のことだけをみながら1時間の草刈が終わった。

何かに立ち向かおうとするときは焦りも目標も絶望も捨てて、今できることをとにかくひとつしようと行動を起こすことにする。
そう思ったときからそしてひとつ行動を起こしたことから、不思議なことに虫さされのかゆみがなくなっていた。
「なんで刺されたんだろう」「これからどのくらい刺されるんだろう」と不安になったり怖がったりおびえたりすることの方が、自分の内面を悪くしていることがはっきりとわかる。

オポの腫れがすぐにひくのはそもそも彼がそうした状態であるからだ。
草刈の時間にはいつもオポがそばにいて見張り番をしてくれた。
でも、今日はひとりで立ち向かった。
11歳という扉を開けたオポにはゆっくりとする時間が必要だし、私ができることはひとりでやらなくては。

頭からつま先まで汗でびっしょりとなり部屋にはいると、オポが生き生きと私を待っていた。
「なんか大根かなんか落ちてなかった?」
そんなもの探してたんじゃないよ、オポくん。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと, オポのこと

青い実のお知らせ

猛烈な陽ざしの到来に梅雨があけるのかなとドキドキ。
長く寒い冬の後だから暖かくなりたい気持ちはいっぱいだけど、夏というのは動物にとって最も厳しい季節だと感じる。

でも、うれしいお知らせもたくさん受け取ることができる。
降り続く雨の日々、成長し続けているのは山の緑の仲間たち。
ほんの数日で数十センチも背がのびているものたちもいる。
まるで競争のように高く高く。

一気に伸びあがるのっぽ姿は成長期の男の子みたい。
強い風にあたって倒れそうになっている木もみられる。
背が高くなって周囲の草木を越せば風あたりが強くなるのはどの世界も同じこと。

そんな成長期の木のひとつが実をつけているのをみつけた。
柿の実だ。

青い実のなる枝の真下を背中をこするようにオポが通過する。
青い実はまだオポにその存在を知らせない。
オポがこのことを知るのはいつなんだろう。
そしてどうやってこれを知るんだろう。
そんなことを考えているだけで楽しい。

台風がきて柿の木が倒れてしまわないかな。
支えをつけたりしなくても大丈夫かな。
こんな心配もときおりついて回る。

まだ食べられないこの青い実がもうすぐ手にはいることを考えてしまうとなんとしてでもそれがほしくなる。
こういうのを「欲」っていうんだろう。
実の数を数えてしまったら10個が8個になってもさびしい気持ちになるのかも。
必要なものは全て与えられている。
そんな教えを思い出して、私も柿の枝ののれんをくぐる。

オポと生活をしながらこの道を歩き始めて2年半がたった。
道の中で知り得たことを共に学んで下さる方とごいっしょすることができた。
2年半をいっしょに歩いてきた方の中にも少しずつ変化が起こり始めていることを知る。
柿の青い実が知らせてくれたことだった。

何も心配することはない。
太陽が輝き雨が降り土が養分を与える。
風が吹いて倒れることがあっても、倒れたところから伸び続けるのが木。

わたしたちも木のように毎日育ちながら、小さな実を付け始めるころなのかもしれない。
きっとその実はいつか他のために役立つかもしれない。
そのことを自分も、そしてそれを受け取るものも今は知る必要がない。
大切なことは今自分に起きていること。

青い実は喜びを与えてくれた。
これは結果ではなく達成でもなくただ道の途中でみたひとつのすばらしい光だった。

2011/06/27 15:45

Posted in 日々のこと, オポのこと

宝さがし

エールをいっぱいいただいてオポは元気になってきた。
11歳という年齢を受け入れながら、ゆっくりと歩くようになり
休み休みではあるけれど、山仕事を復活しはじめた。

日課の他に、オポとわたしには季節ごとに楽しみがある。
この季節といえば…。なんだかわかりますか。

何かをさがしているオポ。

鼻は全開。
静かな山にはフンフンフン、ボコボコボコと
オポの鼻息が響きわたっている。

そう。
正式な名前はしらないけど、さがしているのは「野いちご」。

山に手入れをしていただいて今年で4年目になる。
手入れの前は杉林だった。杉も大切な木だけど、暗くて草が育たない。
杉林を雑木林に育てるために人の力をかりて、わんこ山には雑木が植えられた。
小さな雑木の足元に生まれた野草は、毎年その種を増やしている。

野いちごもその仲間のひとつ。
昨年はほんの少しだったのに今年はすごくいっぱい。
「いちごとり行こうか」でオポにエンジンがかかるようになった。

昨年まで多かったのは、食べられない「へびいちご」
食べられる野いちご と少し違う。
へびいちごはサイズが小さいらしいけど、この山のへびいちごは野いちごとそう変わらないくらい大きい。

はじめはオポが間違えて食べてしまわないかと疑ったが、見事に間違えない。
ごめん、オポ。君って犬なんだものね。

野いちごのすぐそばにあっても、へびいちごには口をつけない。
こういうことを「知識」っていうのだろう。
知識と出会える環境に暮らすと動物はおのずと安定してくるように感じる。

いちごさがしに夢中になるオポのそばで私のすることは
番人…。
いちごをさがしているときのオポはかなりの集中力。
その分周囲へのセンサーは落ちている。
私は蚊に囲まれながら、周囲への警戒を欠かさない。

そのうちオポがひとりで食べに来てくれるようになるといいんだけど
山暮らしが短いオポにとって、このことが日常になるにはもう少し時間がかかりそう。

私が蚊に刺されなくなるのが早いか、オポがひとりで山に入れるようになるのが早いか
いずれにしても、今年はどちらも成し得ない予感がする。

大好きなメロディが聴こえてくる。
ストロベリーフィールズよ永遠に。
「ストロベリーフィールズっておとぎ話じゃなかったんだね」

2011/05/31 12:51

いちごさがし3.0531

Posted in 日々のこと, オポのこと

御礼詣り

今週はじめから梅雨の到来を感じるようなたくさんの量の雨が降った。
いつもは心地良くその存在を知らせてくれる近くの川も、轟々とうなり声をあげ、ただひたすら雨音が続いた。
その長い雨が降り始めた日にそれは始まった。

いつもの朝食の後、部屋に戻って一旦伏せたオポがすぐに座りなおした。
座った後ろ姿をみると何かが起こっているのがわかる。
体に不調を感じていることを訴えている。
そのまま部屋から出て横になりじっとしていた。
こうしたとき私は必要であれば手を出すが、そうでなければいつでも声をかけていいよという距離で見守ることにしている。

この日はいつくかの来客の予定があった。
お客様がきたときにはオポの部屋にはいってもらい
戸口を閉めているが、この日はそれができそうにない。
動けないというシグナルと、ここから動きたくはないというシグナル。
状況の中でできることを選択してオポの居場所を確保した。

午後になってお客様が全てお帰りになると
オポの様子は午前中よりも難しくなっていた。
数週間前にぎっくり腰になったのでそのようなものかと思いもしたが、どうやら今度はそうではないようだ。
来客の後すぐにテラスに這うように飛び出たあとは、座ってはいるが背中の痛みは一向に収まる気配がない。症状に名前をつけたくはないけど「ヘルニア」なのだと知る。

痛みが強く排尿に出ることができず、夜中までテラスで過ごしたあと
数センチずつお尻を引きずる様にしながら部屋の戸口の内へ倒れ込んだ。
この夜は私にできること・・できるだけの手当てを行った。
伏せたまま痛みのためか数センチずつ床を這うオポの背中に手を当て続けた。

オポが庭で排尿をしている姿が見える。
「オポ、よかったね。トイレに行けたんだね。」
目を開けるとそこにはオポの背中があった。
夢だった。うっかりうとうとと横になったらしい。
体中から緊張が感じられこちらも苦しくなる。
でも支えでありたい。

明け方になっても雨は一向に止む様子もない。
ところが曇り空の向こうに太陽の昇ってくる力を感じたのか、薄明かりが差してくるとオポがグッと起き上った。

立ちあがるんだ。
タイミングを逃さずすぐに目の前のドアを開けた。
這いずりながら外に出て1日ぶりに排尿を自力で行った。
ところが排便の方は背中の痛みが強く、格好はするけどキューと声をあげて力なく腰を落とした。

帰りは雨に濡れたまま戻ってくることができない。
傘をさしたまま数十分。ようやく部屋に戻ってきた。
その後も動けない状態が続いたが戻ってきたのは食欲である。
昨日は食べることもできなかったがなんとかして食べようとしてる。
緊張はまだ続いている。息は荒く舌は白く唾液がでずに口が乾燥している。
こんな状態で食べることができるのか。

でも慎重にオポをみながらそれがストレスの表現ではないことを確認しながら、食べる物を与え背中に手を当て続けた。
すごく長い時間がたっているように思えたが、2回目の夢のお知らせを受けて夕方には自力で排便ができた。

その夜、やっと自分の部屋に戻ってきた。
外との距離を測っていたのだろうか。
次の日にはいつもの寝場所のソファに乗ってみた。
そして相棒のトリさんをくわえていた。
こうして日常が戻ってきた。

山での学びを得ていなければこうしたことにはきっと弱かった。
何故こんなことになったのか。
どうやればよくなるのか。
よくならなかったらどうしよう。
こんなことをぐるぐると考えめぐらしていたかもしれない。
ところが不思議とこうした思いはない。

背中はオポの古傷である。私が思い込みの知識で行った過剰な運動が背中を痛めた。
やりすぎないようにと気をつけていたはずだけど
他にできることがあったのに選択できなかった。
でもそれは結果ではない。気づいたときはまたそこから始まる。
今度は治癒のすばらしさを私に教えてくれた。

このことで予定をキャンセルさせていただいた。
どなたも快く承諾して下さったことで力をいただいた。
遠隔ヒーリングや祈りを送ってくださった方もいた。
オポがひとりで治癒を実現しているわけはない。
そこにはたくさんの力が集まって彼を支えていることに気づく。
そのつながりは契約ではない。
ながいながい時をかけてつないできたものだろう。

治癒というのは動物の底力だと感じる。
治癒とは病気のことだけではない。
癒しはどんな動物にも起きるチャンスがある。
準備ができて委ねれば始まるのでは・・。

今日、久しぶりに晴れ間をみた。
庭にでて草を食べるオポがいた、が様子が違う。
少し歩いてみようよと逆に誘われる。
ほんのそこまでの足慣らしかと思ったら
軽い足取りで一気に山をのぼりきった。

これが真実か。
土を食べ、いちごを探し、筍を臭って、命の水をいただく。
そして山の頂上でいつものように姿勢を正している。
「御礼詣りだね、オポ」

今のオポは、あの雨の降り始める前のオポとは確かに違う。

キャベツを食べるオポアップ-150x150

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テントの会つづき

この日の夕方、テントの会に参加する犬と飼い主が到着した。

テントといえばアウトドアスポーツというイメージをされるかもしれないがそうではない。
なんということもない。
ただ「土の上にテントを立てて犬と人が一晩を過ごそうよ」という会。

Good Boy Heartの他のクラスと同様に何を感じ何を受け取るかは自分次第。
それは一刻毎に変化していて、参加するたびに自分の中のミラグロ(奇跡)と出会う。

今日のねぐらを確保するテント張りに、犬と飼い主が山へ出かけていった。
ゴールデンウィーク中はテリトリーの見回りを欠かさないとなりの彼が、見知らぬ犬の到着を嗅ぎつけ、ここの門前を横切った。その彼の後ろから追従する動物たちをオポがみている。
この耳の上がり方をみれば相手の察しはつく。


猫田さん親子、ふたりそろってお手入れ中らしい。
ひたすらみつめるオポの存在に気づきつつも
知らんぷりを通してせっせとお手入れを続けている。
そのうち道に寝転んでゴロゴロしてまったりとしている。
柵越しに観察を続けていたオポだったが、動き出そうとしない猫田さんを迎えるのをあきらめたのかやがて庭の方に自分も草を食べにでかけていった。

庭をウロウロとするうちにたまに落ちている野菜をみつける。
オポのオヤツ用野菜をときどき庭の所定の場所におく。
こうしておくといつでも好きなときに食べている。
冷蔵庫で腐ったりもしないし土の上で乾いたりぬれたりしながら、オポの都合でそのうち全部食べてしまう。
生の野菜を口にしない犬もいるみたいだけど、野菜も発酵を重ねれば犬の負担も少ない。
キャベツを食べるオポの横でそれをみる私の視界にはいってきたものがある。
すかさずシャッターを押した。

庭の奥にいるわたしたちの姿にきづかなかったのか
私にはきづいてもオポにきづかなかったのか
もしくはきづかれないように来校されたつもりだったのか。
朝見たようにやはり白いお母様の方が先にゲートをくぐろうとしている。
私が何かを感知したことをオポが察知した。

こんどは走り出さず焦点を合わせて近づこうとしているが猫田さんはすでに猫毛をたてている。
ほぼ同時に走り出した・・・

こうなってくると対話とは程遠い。
ただのパターン行動になっている。
猫田さんがいなくなると再び野菜を食べつづけるオポ。
なんか、ヤケ食いのようにも見てとれる。

途中で顔をあげて門の方をみている。
何かいいたげな顔。
何かいっている顔。
なんども追いかけられているのになんとかしてグッドボーイハートに参加しようとする猫田さんの熱意に応え何かあたらしいツールを考えておくかな。

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テントの会

猫田さんとオポのやり取りの最中、山ではテントが無事に張り終えたらしい。

テントを張ると犬は「今日はココがテリトリーになるんだね。」ということが分かるみたい。
ドキドキする犬もいるだろうし、ワクワクする犬もいるだろう。

家の近くではテラスにクレートなどを置きいつでも犬がそこへ戻ることを選択できるようにしている。
とくに家の周辺はオポがしっかりとガードマーキングをしているので、オポとの関係がうまくつくれないと多少の緊張も伴うもの。

ちょっとの時間だけど関係を作る練習。
関係をつくることの苦手な犬が多い。
原因を探してもきりがない。
原因を探す時は「できない理由」にならないように注意したい。

ケンカをしない、一緒にいても平気、走り回って遊ぶことを、つながりができていると勘違いしないようにしたい。
犬と犬が関係をつくる中で、人と犬が関係をつくる中で
その間を流れているものは目に見ることはできないが実はみることができる。

みえる動物にはそれがみえる。
犬たちはみんなみえている。
でもどうやって創っていくのかを知らないことが多い。

それは自分がだれかとそうした関係になることを重ねて実際に体験しながら知ることだからだ。
だから、いつでもそれを創っていくことができる。
それを知ると動物は強い。
ケンカが強いとか動じないとかそんな強さじゃなくてつながりを知った強い動物になる。

関係ができていないうちはテントの中でもお互いに少しぎこちない。
物音がするたびに吠えたりビクビクしてしまう犬もいる。
自分には関係ないと丸くなって寝てしまう犬もいる。
でも、変化の可能性はある。

人の方がそれを取り戻していけばいい。そうすれば犬ははやい。
私にはみえる。動物と人の間にながれているもの。

そんなテントの翌朝、テントに泊まった飼い主さんが青いビニールを手に苦笑しながら山から下りてきた。
見るとそれは小型犬用のレインコートでテントへ向かう道の途中に落ちていたということだった。

この日の午前中にとなりの家の屋根を猫田さん親子が歩いているのをみんなでみた。
2番手のお嬢さんの方が青いフード付きのコートをきてなんだか不器用に歩いているのがみえた。
「都会のおみやげでもらったんだろうね。」
「なんか歩きにくそうだね。熱くないのかな?」
などとわたしたちも疑問だらけだったけど

当の猫田さんはもっと疑問だらけだったことだろう。
落ちていた青いレインコートは間違いなくその朝猫田さんが身につけていたものだった。
みんなでいろんなことを想像した。

どうやってこのレインコートを脱いだんだろう?
テントの会に参加しようとしたのだろうか?
家から離れすぎているのに保護者の同伴なしにひとりでいったのかな?
こうしてテントの会は終了した。

青いレインコートは持ち主の明らかなシンデレラの靴となった。
落し物なのか、忘れ物なのか。
忘れ物をする人はそこに思いを残すという。
思いがあるとものをおいていく。
ここでは「マーキング」と呼んでいる。
これは猫田さんのマーキングかもしれない。

いらないものを置いていくのは落し物という。
それは必要のないものでどこかでお別れする必要あるもの。
偶然ではなく必然的に落としてしまう。
コートを着て歩く姿を思い出すと、このコートは落し物のようにも思える。

何も起こらないように思える日々の生活の中で、実に愉快で楽しいことがいっぱい起きている。
そんなことを来校された生徒さんに話した。
「都会では自分がアクションを起こさないと何もおきない」らしい。
確かにそうかもしれない。
動物が尋ねてきたり、蜂が顔の周りをブンブン飛んでいたりすることはなかなかないことかもしれない。

さて、この日猫田さんのお相手は私が担当するということをオポと確認した。

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ゴールデンウィークのお客様

この季節にしては朝夕はまだ肌寒い日々が続いている。
門をあずかるさくらんぼの実もまだ色づいていない。

世間ではたくさんの休みが連なる日々らしいけど、ここではいつもとなんら変わることはない。
お客様がいらっしゃれば何もない中でおもてなしをする。
いらっしゃらなければオポと私のペースで過ごし、太陽が昇ってやがて太陽が沈んでいく日々。

今日がいつもと少し違うといえばテントに泊まるお客様が2泊されることくらいかな。
そんな普通の日の朝、掃除を開始しようと表のテラスに出た。
と、なんとも早い時間からすでにいらっしゃっていた。
最近はお目にかかっていなかったお客様
しかも今日はおふたり様の親子だった。

お母様がゲートの中、ゲートを挟んで外側に常連のお嬢様がいた。
お名前がわからないので、田んぼの中で仕事をしている姿から
「猫田(にゃんた)さん」とおよびすることになった。

この前日、犬の言葉を学ぶ「犬語セミナー」なるものを催したばかりだったので
猫田さんと親しくなるためビデオにその会話を納めるべく撮影を開始した。
しかし、予想に反してビデオ撮影中もオスワリを続けていてボディランゲージは現れない。
どうやら直感的コミュニケーションがお得意らしい。

「今日はテントで寝る会があるって聞いたから来たんだけどわたしたちもいれていただけるかしら。」
あいにく、テントには犬たちも入るのでご一緒することはできないの・・・。

そんなやり取りの中、部屋の中でこちらに向かってくるオポの足音がした。
静かな会話もオポの耳に筒抜けなのは驚くことではない。

テラスの柵越しにオポが猫田さんをみること数秒、猫田さんはオポに気づいていない様子だった。
今日はうまくいくかと固唾をのんで見守った。オポがテラスで位置をかえその姿を現した。
とゲート内の猫田さんは猫毛を立てて威嚇。あとは想像のとおり、オポが走り出しふたりは消えていった。

今日もうまくいかなかったなあ、とちょっとがっかりしたけど
がっかりしたのは私とオポだけで猫田さんにとってはどうでもいいことなのだろう。
猫田さんはオポとコミュニケーションを取ろうとはしていないけど、オポのテリトリーには入ってきたいと主張しているだけ。
おそらく、オポが部屋の中で多少の不自由さを味わっているときに猫田さんたちはここの庭で好きに遊んでいるのだろう。
田んぼにも追える虫や動物はいるけど、山のふもとに近いこちらの方がもっと楽しいに違いない。

でも、オポと私はあきらめない。
コミュニケーションってお互いを理解するチャンスだからね。
そうした関係が進んだ方が庭で遊んでもらうのだって気持ちがいいし、お互い緊張しながら過ごすよりも何十倍も素敵な時間になるから。

こうして始まった猫田さんとのいろいろが、次の日もまた次の日も続いた。
とても長くなりそうなので、この後はつづく。

あきらめて帰宅のオポトリミング

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帰ってきたメディスン・マン

昨日は寒の戻りが厳しかった。
朝の雨は途中から「ひょう」に変わった。

寒の戻りにしてはあまりにも寒い一日を過ごすために
入念に手入れをして休息を待つストーヴに再び火をともす。

そんな昨日の寒さを忘れさせるかのような今日のお日様。
晴れてくれれば、今日はやることがいっぱいある。

朝の時間、オポといつものように山をすこしのぼった。
年齢を重ねるオポのペースにあわせて「いけるところまでいく」

わんこ山のなかほどにある土を食べにいった。
食べているのはもちろんオポのほう。
私にも必要かもしれないけれど
まだまだそこまでの覚悟がない。

庭で草刈りをはじめると、オポはお気に入りの場所に伏せた。
鼻先で風の運ぶメッセージを受け取っている。

そのうち虫が飛んだり、鳥が飛んだりしているのをみながら
ゆっくりとひなたぼっこを開始した。
来客の合間をぬって、洗濯そして掃除。
玄関テラスに陽のあたる時間になると
こんどはそちらへ移動してひなたぼっこ。
こちらの方は陽ざしが強いが私にはこのくらいの陽が必要だ。

なぜって、今日は格別に浄化を必要としてるから。
オポにとっての節目の日である。

最高のプレゼントは本来の環境であること。

こんなことが生活の一部になったのは、ここに引っ越してきてからだ。
都会のマンションに住む私には考え及びもつかないことだった。

オポとのここでの暮らしの中で彼が何を必要としているのかを知ることになった。
移り住んだ当初はオポのたくさんの変化に期待もあったが同じ量のとまどいも感じていた。
オポに何がおきているのかを知る力がなかったからだ。

実はこのとき、ある人がそれをわかりやすくしてくれた。
その人とは“ローリング・サンダー”という名のインディアンだった。
「ローリング・サンダー」という本に出会いその本の中でローリング・サンダーに出会ったことで
オポの中に起きていることを確信を持って知り、そして勇気をもらった。

ここで学ぶ人々にもこの出会いについて語った。
その本はたくさんの人の手を渡り歩いていた。
ローリング・サンダーはいつも私と共にいたが
現在の大きな変化のときの中で私は再び彼の言葉を必要とした。
ローリング・サンダーというメディスン・マンが帰ってきた。

ソファの上に横たわるメディスン・ワンと共に私の心の師である。

ごろ寝オポ

Posted in オポのこと

お客様三度:オポという犬と猫のかかわり

その翌日もお客様はやってきた。
室内にいるオポが「ウォン!」の声を発して玄関の網戸の前に走った。

同じく部屋の中で本を読んでいた私の方は、瞬間的に体が反応し、気づいたらオポよりも早く網戸に到着している。
瞬発力は若いときほどは高くはないが、それでもこの年齢にしては高い方だと思う。
長年の犬との暮らしの中でいつの間にか身についた、自分と犬と家の破壊を最小限に抑えるために必要な能力だ。

網戸の前でまさに今その戸口が開かれるのを待つオポ。
とめおけばとめおくほど蓄積するエネルギーは膨大となる。
玄関に出て外をみるとお客様はお帰りになるところだった。

いつもおひとりさまなのに今日はおひとりさまではなかったようだ。
オポとは旧知のとなりの“彼”とご一緒だった。

彼等はひとつ屋根の下に住む家族である。
猫語のわからない私とオポのために犬語の通訳として同伴したのか
前日の不法侵入で保護者を連れてわびにきたのか
すでに帰宅中の彼らからその理由を聞くことはできなかった。
お客様猫は幼少期から“彼”と共に育った仲であり
“彼”がときおり、彼のテリトリーになるこの坂をあがって訪問する

グッドボーイハートへの来客に対して門番をしているときも
ときおりその横で番犬ならぬ番猫をしているのをみかけたものだ。

しかし、この翌日である今日の夕方、屋根裏部屋で作業をする私に変わって番犬の最中だったオポは
何かを待つかのように玄関ホールのカウチに横たわり若干の緊張感をただよわせていた。

ウォン、ウォン!
今度は間違いない。
人ではない、犬ではない、
猫のお客様がきた。

オポの吠える声が猫対応ヴァージョンを作りだし私にもよくわかるようになった。
こうなるとあわてて降りていく必要もない。
「はーい。」と心して玄関におり戸口の向こうを見た。

玄関から正面の道をみるオポ
その先に見えるものはオスワリをするお客様である。

両手の合わせ方から背筋の伸び方までただならぬ方であることは明らかである。
どちらも動こうとしない。

「こちらは動かないからそっちから来たら」
と構えをとるオポ。

でもお客様も面と向かっては近づく気がないらしい。
待てども動かないお客様への対応をあきらめ後ろ髪をひかれるように部屋に戻るオポ。

オポの予測通り、オポが部屋に帰ろうとして動き出した後、お客様猫の方は車庫玄関ゲートの方に向かって歩き出した。どうやらオポのお出迎えなしでここへ入りたいようだ。

車庫玄関の方へ廻るとやはりいらっしゃった。
遠かったけど言葉をきいてみた。
「そこってキャットヒーリングスクールだってきいたんだけど違うの?」
ここはドッグヒーリングスクールなのよ。
「犬も猫も変わらないわよ。こんど一度お願いするわね。」
と返事を待たずに帰宅された。

オポの方は番頭の受付なしに侵入した経路がないかどうか入念に入口の臭いをかいでいる。
今回は無断での立ち入りを防げたことに犬としての体面はたもたれたようだ。

確かに犬と人が命として変わらないように犬も猫も命としては変わらない。
猫のヒーリング経験がないわけではない。
もう少し器量を広げてお客様をお迎えすることにしよう。

でもね。
うちの番頭さんの顔はたててあげてね。

猫さん入口付近-150x150

Posted in 日々のこと, オポのこと