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おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

岐路にたつ
● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

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