グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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移り変わるけど変わらないもの

長かった梅雨があけた。夏真っ盛りなのに涼しいの風がやんわりと吹いてくる。
梅雨があけると、庭の草たちの背丈は私を越すほどになり
春にがんばった草刈の成果はみじんにも感じられないほどとなる。

この季節、頼りにしてしまうのが「草刈部隊」。
数日前にみなさんの手をお借りして草刈を決行した。

ひとりのときは躊躇する藪や坂の厳しいところにいけるようになる。
ひとりだと「なにかったらどうしよう」が、みんなといると「なにかあっても大丈夫」となるから不思議。

数名の草刈部隊とはいえ、あなどれない。
やはり「手」は多い方がいい。
藪を見ながら無力感でつぶされそうになっていたはずなのに草刈部隊到来の後はがぜんやる気になった。
次の日も、その次の日も、「ひとり草刈」が続く。

目の前にやるべきことがあって、少しでもできることがあるなら
やろうじゃないか、という気持ちをいつも持っていたいのに、
慣れないことや、苦手なことは、なかったことにしたい気持ちがあるのも事実。
でも、それでは精進にはほど遠い。

1時間ほどの草刈を終えて戻ってくるとテラスあたりで番犬のオポが迎えてくれる。
「こちらも異常なし。」って感じかな。

季節は移り変わり、目の前にあるものも変化する。
うれしいお知らせもあるし、さびしいものもある。
そんな移り変わる日々の中でも、変わらないもの。
そうありつづけるのも自分次第だということをわかっていても実践するのは楽じゃない。

そんなとき、パートナーや仲間っていうのは本当に力強い存在となる。
いつのときのもそれを感じられることに感謝したい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パソコンが壊れたのをきっかけに長らくブログを更新せずに見て下さっていた方には申し訳なく思います。

ただ、私が日々感じていることは直接会ってお話したい。
その気持ちはいつのときにも変わっていません。

この山中のグッドボーイハート七山のクラスではいっしょに体験し、いっしょに学び、いっしょに語り合う
そんな分かち合う時間がたくさんあります。

パートナーのオポも年を重ねてきました。
オポという犬と直接会って感じられるものも、ここでお伝えすることはとてもできません。

このブログはお休みさせていただきます。
ブログにはその時々で感じたことを正直に記しましたが
未熟さや生意気な表現もありましたことお詫びいたします。

グッドボーイハートは生きています。
私もオポもそしてグッドボーイハートの仲間たちもそれぞれの学びを続けています。

汗をかきながら、暖炉にあたりながら、語り合い学ぶ学校としてこれからもこの山と共にいます。

今まで読んでいただきありがとうございました。
またここでお会いできることを、楽しみにしています。

宮武佐千子・オポ

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Posted in お知らせ

心地よいとき

今年も満開になったコデマリの花がドライフラワーとなって美しく枯れていく姿を見せ、
雨降る日をまちのぞんでいた紫陽花が季節の移り変わりを教えてくれる頃となった。

オポの様子についてお心遣いのコトバをいただいた。
そのオポはただ毎日を力いっぱい生きながら今までと変わらず、
出会いある人々や犬たちに必要なメッセージを届けながら過ごしている。

オポの日々の体調変化には敏感な私も、それを点としてとらえず、流れの中のひとつとして
受け取ることができるようになってきたようだ。

そんな中で、毎日の生活を共にするパートナーとして
「心地良いと感じるとき」と「違和感を感じるとき」を
彼がわかりやすく伝えてくれることには感謝している。

たくさんのメッセージの中から見つかった物の中に
私が「あることをしている時間は心地良いときが流れる」ことを知った。
「あること」というのは「手針仕事」のことである。

きっかけは、着れなくなった服をバッグに作り変えたことだった。
一度つくってみると結構楽しくて、いくつも出来上がってしまい
数が増えたのでチャリティバザーに出したりしていた。

電動ミシンのようにスピードのある道具にはついていけない。
古い手回しのミシンを助っ人におきながら、ほとんど手でチクチクと布を縫いながら夜がふけていく。

この時間はオポの安眠を妨げることもない。
どこかゆるやかな時間が流れていくのを感じている。

なによりも私が落ち着いた気持ちでいるからなのか。もちろん、作品作りにこだわりはない。
いつでも途中で止められるし、失敗しても平気である。
目標を達成しようなどとは思っていない。ただ、ひと針ひと針を通すだけ。

「以前からこんなことが好きだったですか?」と聞かれるが、とんでもない。
お裁縫道具は小学生時代で時を止めていた。
何時間もただ縫うだけの作業をできるようになるとは、忙しい自分には思いもよらぬことだった。

オポがひなたぼっこをするその横で部屋で風にあたっているときにもその傍で。
こうした時間を共に心地良いと感じることができるのも自分の中で起きてきた変化のひとつではあるが、
その変化すらも、自分だけで実現されたわけではない。


本当に知りたいと思う。
何を知りたいのかもきちんと知りながら自分をみつめて学びを続ける日々。
そんな中で教えてもらったことのひとつ。だからこそ大切な「心地良いとき」なのだ。

とりさんとお昼寝縮小


Posted in オポのこと, 日々のこと

食欲は復活してマス。

あのオポの異変の日から今日で6日目を迎える。
必要な空間と時間をたくさん経ながらオポは元の気を取り戻しつつある。

今日は時系列でなく、いくつかの項目で治癒の道を紹介したい。

最初の3日間は絶食。
先日授業で「犬に絶食させた方がいいんでしょうか?」と質問されたばかりだったので、すぐに実践したオポがいい例となった。
授業での答えは「犬は必要なときには自分で絶食しますよ。」。
大食漢のオポですら、ここぞというときには「食べない」ことを選択できる。

食べたいけど「痛いから食べられない」ではなく食べるということが欲求の中から消えるように関心を示さなくなる。
犬が食べないとい聞くと「ぐったりして食べない」ことを想像されるだろうか。
治癒の道で食べないときには「凛として食べない」といった感じなのだ。
しっかりしていけど「食べない」ことを選択していることがわかる。
この二つは大きく違うので、ぜひ間違えないようにお願いしたい。

食べない→治癒が進む、と方程式的に受け取ってしまうと
犬の行動を見誤ったり、無理は断食で犬に負担をかけてしまうだろう。

絶食中は飲む水を選んでいる。
昨日ブログで紹介したように、ここ一番で選ぶ水は「湧水」

「清らかな汚れなき山の水」なのだ。これこそが体を浄化させたい本当の時に犬が選ぶ水。

都心部にオポと住んでいた後半期、オポがあまり水を飲まなくなっていた。
浄化を必要としている時に、不純物の多い都市の水を取ることができなかったのだ。
七山に引っ越してきて、最初の1カ月間はここの地下水を飲み続けた。
毎日、毎日大量に飲み続け、自分の体をあらっているように思えた。

体が癒しを必要としているとき、特に清らかな血液を作りだす必要のあるとき
オポにとってこのときは「湧水」がその血の代わりとなる。
絶食によって不要物が体内から出てくる。
だからこそ、とるものは真に純粋なものなのだろう。

土の上に伏せる。
奥山で過ごした1日以外で、治癒の進みやすい夕方から早朝にかけて「いる場」として選択するのが、土の上。
庭はテリトリーなので、テリトリーのどの部分に伏せるのかで選ぶが、不思議なことに、庭では山の方を向いて伏せている。

そして、門の外では川の方を向いて伏せている。
なぜ不思議かというと、テリトリーを守るときは庭では外を向いて伏せるからだ。
この伏せの向き方ひとつ。オポには理由があるのだ。
聞いても答えられない理由。「何故?って、でもこうでしょう。」くらいの理由なのだ。


さらに排泄物を出す場所。
これも通常の排泄場所とは異なる場を選択するなど、治癒のときに起きる行動には「ミラグロ」がいっぱいなのだ。

これらは「本能」と呼ぶべきものかもしれない。
ただその「本能」は都心部のアパートでは実現されなかった。
わが犬のことは「ある程度」知っているつもりだった飼い主の私も
いかに自分の知らぬ犬の世界があるのを知って愕然とすると同時に
その飼い主の落ち込みを消し去ってくれるほどの喜びがある。

「犬であるオポ」は健在で、そのすばらしさに触れているのだ。
もしかしたら、いやおそらく大半の人が犬の大変な状態に耐えられないかもしれない。
でも、治癒の道を歩いているオポは、私の大好きなオポくんでもなく、私の愛しいオポでもない。
行動だけでなく、表情やオポそのものが特別な何かになっている。
それは犬という動物の範囲内で起こるミラグロの世界。
この不思議な世界をみなさんは知っているのだろうか。

さて、オポは現実の世界に戻ってきた。
お腹の傷はまだ癒えていないようだが、食欲は200%のいつものオポ。
「まだ、少しずつじゃないと食べられないんだよ。」と普通の飼い主に戻る私も。

片方の眉をあげて片方の眉を下げているのは大切なメッセージ。

「で?。ボクのゴハンは?」

ブログ用2012年5月

Posted in オポのこと

お山さん、大変お世話になりました。<後篇>

目覚めるとオポが目の前にいた。
オポの意識によって目覚めたのか。

朝方4時くらいに寒さにたまらず風呂で体を温めて少し横になってしまったのだ。6時か・・・あれから2時間。
目が合うとすぐに動き出そうとしたオポを見てそのコトバを受け取る。
「外に出るのね…」

出入り自由にしておいたオポドアのついた戸口からあわてたように駆けだすオポ。
戸口を出るとすぐに裏庭に出ている「湧水」を口にした。
「湧水」はいつでも飲めるはずだけど本当に必要なときにはこの水を飲む。
オポはそれを今、本当に必要としてるんだ。

昨晩の状態から、ほんのその辺までしかいけないだろうと思ったのに
山の奥の方まで行こうとしていることが途中でみてとれた。

「オポ、ごめん。電話持ってくるからちょっと待ってて。」しばらく山から下りて来ないような気がした。
予定の来客に断りの連絡をいれるために必要な電話を取りに降りた。

急いで戻ると、オポはその場に伏せていた。
一気にのぼるはずだったのに、私が途中で止めてしまったからだ。
次に起き上がるまで、少し時間が必要らしい。
これから起きることを知り、ここ数日の予定をキャンセルさせてもらった。

電話をかけ終わり私の準備も整うと、オポは奥山へと駆けだした。
腹痛がひどいのか背中を硬直させながら、そして息も荒い。

奥山に入る手前から「間に合わない」という感じをただよわせながら
途中で不要分を体から出し続けながらも、あわてるように進んでいった。

竹にたまった水を口にして浅く呼吸をしながら、あと少しだというように。
私がもっと慎重に準備を整えて心していればオポのやろうとしていることがもっとスムーズにいっただろうに。
謝りと祈りと不安と冷静さが混沌として、複雑な心境だった。

オポは、なんとかたどり着いたというようにテント場の手前あたりに伏せた。
オポは昨晩同様、たくさんの不要なものを1時間置きに出し続けた。
出すときは慎重に尾根から外れた自分たちのスペースではない場を選ぶ。
伏せているときはじっと前を見据えていて、眠ろうとしない。
体を一瞬横にしても「ウー」と声をあげてすぐに伏せる体制に戻った。
血のにおいをかぎつけてオポの体にたくさんのハエがたかった。
自然の摂理とはいえ、あまりに悲しくなんどもそのハエを私が払った。

でも、オポはハエを気にしてはいない。
いつものオポの顔ではなかった。
あの「治癒の道」を歩いているときのオポの顔なのだ。

私はオポに湧水を与えるために里におりて登ることを4回繰り返した。
歩くことで不安も消える。私にもできることがひとつでもあるのだから。
この時オポに何が起きているのか私が知り得たことは、
体の中にあるできもののようなものが、最大限に大きくなり自ら破裂した。
できもののできていた皮膚の部分が炎症を起こし自らの毒素を出そうと…。とまあ、こんなところだろうか。

驚くべきことは、オポが自分に起きていることを知っているということだ。
もっとすばらしいことは、今自分に何が必要なのかも知っている。
それを自ら選択して行動を起こしていく。
どこへ行って何をするのか、何を口にして何を口にしないのか。
どちらを向いて伏せ、どこに感覚を向けているのか。
すべて、自分で選択をしているのだ。
いつもはひとりでいることのないこの治癒の場に、ひとりで待つことだって。

実際に目の前でオポがこうしているのを見れば、伝わってくる。
痛いだろうに、辛いだろうに、苦しいだろうに。
でも、こうして傍にいてできることだけをしながら手出しをしないでいられるのは
そうしたものを超える力をオポが実現していることを感じることができるからだ。
この癒しの空間と時間とつながりについて、気づいていなければ
オポを抱え込んで「どうにかしてください」と誰かにすがりついただろう。
こんな世界があることを、ついこの間まで知らなかったのだ。

夕方になると山で宿泊になることを決意して、自分用にテントを張った。
「テント張ったら“降りる”っていいそうだな…」と思いはしたものの
まあ、それならそれで構わない。とにかく自分に必要な準備はしよう。

そう思ってテントを張って10分。やはりオポは山を下って行った。
夕方のチャイムが鳴るまでの半日を山神様の元で過ごしたことになる。

「この度も、大変お世話になりました。」
お礼をいい、明日も来るかもしれないからとテントはそのままにした。


その日の夜に、翌日にも、そのまた翌日にも不思議なことがいっぱい起きた。
私はそれをただ見ているだけだけど、ただ見ていることができるようになったのだ。
薬を与えなければいけないとか、出血を止めなければいけないとかそんなことをは思わなくなった。

ただ、オポの歩く道を不思議なものを見るように見たり感じたりしている。
そして、オポもそのことを知っている。
私がいなければ行動できないわけではなく、私が知ろうとしていることを知っているのだろう。

治癒の道はまだ続いている。
あれから奥山には行こうとしないのでテントは張ったまま。
今度、テントを片付けに行くときは、こう言うだろう。
「いつもお世話になっています。そして、これからもよろしくお願いします。」

ブログ用2012年5月

Posted in オポのこと

お山さん、大変お世話になりました。<前篇>

今年は壮絶な幕開けで始まった。
少し前から「ちょっと太ってきたね、調子悪いんじゃない?」と思われるような状態のオポに異変がおきた。

このブログはオポの闘病記録ではないけど
現在もまだ続いているこのオポの道はミラグロの道で
たくさんの学びがあるのでみなさんにもお裾わけしたい。

初日はたびたび起こす胃炎のような症状で始まった。
起きぬけに嘔吐をして、その後朝食をとった。ただ、なんとなく表情がいつもと違う。
何か必要のないものがまだ体の中にはいっている感じがある。
見た目太りすぎということとは別に何か「はいっている」感じがあるのだ。
もう11年もいっしょに暮らしてきたパートナーのことだからそのくらいのことは飼い主の私にもわかるようになってきた。

夕食も食べたがやはり「いつもと違う」。
そして食べたあと大変神妙な面持ちになっている。
何かが起ころうとしている感じは十分にあった。
「お山にいこうか。」の誘いに「待ってました」と動き出す。

途中でまた必要のないものを吐き戻したが、まだすっきりとしていない。
山の中で日暮れを迎え、足元もみえなくなりそうになったため
「そろそろ帰ろうか」と誘うが、快く承諾した感じではない。
私の困った気持ちを受け取ったのか、ゆっくりと山を降りてきた。

その日の一晩は、必要ないものを上からも下からも出そうとする。
庭に伏せたり、出ていこうとしたり、家の門の外に伏せたりして何かと戦っているのだ。
外にいる何かではなく、自分の中にある何かと。

排泄物のお知らせで私もようやく事の重大さに気付いた。
12歳を迎えたばかり、大事にいたらなければいいと願いながら
自分も共に戦おうとするのだが、外は寒くて体は冷えるし
頭は朦朧としてくるし、毅然として共にいることができない。
なんとも情けない飼い主を横目に、静かに戦うオポ。

この夜はただの「序章」に過ぎなかった。(長いので続きはのちほど)


Posted in オポのこと

超えるもの

いのさんの筍堀りのおかげで満腹を忘れることのないオポ。
準備が整っていればちゃんと芽が出てくるんだから本当に不思議。
それを探す術と獲る術を知っている動物たち。

オポたち犬は、本来なら一番上にいたんだろうけど
今のところは一番下で食べていることになる。
「いろんな事情があったのさ。そのうち話すよ。」
とオポがいうので、そのまま月日は過ぎていった。

自然の中で起きていること、自分の知らない世界
たくさん知りたいから、知っている人が描いた作品なども見る。
「先生の家にそっくりの家がでてくるんですよ。」といわれて
ちょっとだけ関心のあった映画を借りることができた。
なるほど「力を込めないと開かない洋風の窓」のことね。

そのシリーズは自然や宇宙について大人と子供にもわかりやすく表現してある。
映画をご覧になっていない方のために、できるだけ簡単に…こんな感じで。

少女は大変好奇心旺盛で、いろんなことに興味を持っていた。
年齢も大人に近づいてくると、その好奇心で次々と行動を起こしていく。
大人の目線から見ると「危ないから止めなさい」といわれるくらい。

結果、好奇心から行動したことで問題を起こしてしまい
それが家族(仲間)にまで危険を及ぼすようなことになった。
少女は大変落ち込む。自分の行動で皆を危険にさらしたのだ。
だが、少女は自分でその問題を解決しようとさらに行動を起こす。

少女と出会った少年は心臓が悪く、文字通り心の病を抱えていた。
少年の両親は仕事に忙しく、少年はいつも一人ぼっちだった。
少年は少女に言った。「君には家族がいるんだね。うらやましいな。」

動物はみな好奇心というものを持っている。
性質によるから、好奇心の強い動物とそうでないものがあるだろう。
ただ、どんなに小さな好奇心であっても、好奇心のない動物はいない。

その好奇心を持ち、動物はいろんなことを経験する。
経験とは「良い事」だけをいうのではない。
それなのに犬に対して楽しい経験だけをさせようとしたり
安全だからと囲いの中に入れてしまおうとしていないだろうか。
安全に作られた遊具でしか遊ぶことが許されていない子供たちのように。

生きていれば辛いことを、だれしもが経験するだろう。
そのきっかけが「自分の好奇心」であったということが、自分を戒める結果にもなる。
未熟な自分によって起きたいろいろな経験は、今の自分を教えてくれるからだ。
そこで落ち込んでしまうのか。
落ち込んでいる犬を見て飼い主も落ち込んでしまうのか。
それは経験の内容によるのではないと思う。

経験は自分を成長させるためにある。
そして動物が自分できちんと選択して行動を起こしたのなら
それを超えていくのも、やはり動物自身なのだ。

成長というボタンを押してくれるもの、それが少女にはあった。
毎日協力しあって生活をし、共に暮らしている家族。
家族の絆といえばあまりに単純なコトバになるが
その見えないつながりこそ、彼女を奮いたたせた。

犬という動物が暮らす環境は本当に難しくなってきた。
家族の絆を知っている犬がどのくらいいるのだろう。
犬に聞かなくてもわかる。それは彼らの行動に現れる。
つながりを知っている彼ら、強いものね。

ブログ用オポ雪の中

Posted in 犬のこと, 自然のこと

変化を起こすもの

暖かくなったり、肌寒くなったり。
鳥の声が響き渡りカエルの合唱が川ではじまった。
毎日あきることのない変化というものを楽しめる季節、春・・・もう終わりそうだね。

先日テントクラスに参加した生徒さんから、こんな話を聞いた。
「テント場の近くに枯れ木があったのでテントの上に倒れないように倒そうと思ったんですけど
途中で別の木にひっかかってしまったんです。
先生とオポさんが歩いているときに倒れなければいいけど・・」

ふむふむ。
倒れ掛かっている木など山の中には何本もあるから、いちいち頭上をみながら歩いてはいないけど
人が倒した木となると、いつ倒れるかわからないものね。

そんなコメントをいただいた日、早速オポと山に入った。
驚いたことに、いつも休憩するスペースの真ん中付近に木が倒れていた。

木が倒れていたから驚いたのではなく、
さっき「倒木」について話をしたばかりだったのに
話に聞いた場所とは全く違う場所で、しかもテントを直撃する形で木が倒れていたからだ。

数日続いた暴風で倒れたのか、倒れるべき時がきて倒れたのか。
事の流れからすると「倒れるものは倒れるよ」と木々が語ったのだろう。

そこは、人や犬が休憩スペースとして利用している場所だ。
その中心に木が倒れていることをイメージしてほしい。
自分たちが下敷きになってもおかしくないような場に、木が倒れている。
みなさんだったら、まずどんな声を発するのだろう。

「まあ、ビックリした。」
「ケガをしなくてよかったわ。」
「危ないわね。」
そんなところだろうか。

では、犬たちだったらどんな反応をすると思う?
「ビックリして近づかない。」
「おそるおそる近づいて確認する。」
「今までなかった木に対して吠える。」
「いやがらせにオシッコをひっかける。」
他には?

こうした環境の変化を動物がどのように感じているのか?
私としては大変興味深いところだ。
さあ、オポはどうだろう。

いつもと何ら変わることがない。
木が倒れているということは、いつもと何ら変わることがないということだと彼は伝えていた。

そればかりではなかった。
オポはその倒木の横に伏せてゆっくりとその木に自分の頭を乗せて休んでいる。
「ちょうどよかった。アゴ乗せが欲しかったんだよね。」というように。

動物は変化を恐れているのではない。
それがどのようにして起こるのかを恐れているのだろう。
犬の最も近くにいて共に生活をしている人という動物は
自分たちの都合で何かと変化させてしまうやっかいな動物だ。

自分たちの都合で変化させられた環境はとても不自然で、そして時には危険なのだ。

起こるべくして起こる「自然」の変化というものを動物たちは受け入れる準備ができているはず。
そうした自然の変化を受け入れられないのなら動物であることを忘れそうになっているからかもしれない。

それに、変化を起こそうなどと大層な驕りではないか。
変化は自然に訪れるのだ。自分がその一部でさえあれば。


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Posted in オポのこと, 犬のこと, 自然のこと

犬語って?

ようやく灯油ストウヴを片付ける決心がつくほど本当に暖かくなってきた。
お客様を迎えるサクラの花も春雨と共にきれいに散っていく。
「散るべきときに散る」っていうのは大切だな。

さて、グッドボーイハートでは4年ほど前から「犬語セミナー」という勉強会を開催している。
グッドボーイハートの会員でなくても参加できるので “ちょっと知ってみたい”方にお勧めするクラスとして作ったものだ。

ところがちょっとどころか、ガッチリとはまる方も多く
一部の「犬語セミナーファン」から「チラシとかないんですか?」
要するに「チラシを作ってください。」といわれたので素直に「はい、わかりました。」と作ってみた。

七山に学校を移転させてからというもの
「急いで伝えるのは止めよう。」「いつかわかってくれるまで待つことにしよう。」
と、のんびり・・・というわけではないが辛抱強く「待つことを楽しむ」姿勢でいたので
クラスのチラシなどというものを熱心に作らなくなっていた。

来た方がその時に必要な何かに気づいて下さればいいのだ、とかまえていたが
ここに来ない方に声をかけて下さる方には「伝えるツール」が必要なのだ。
やっとそういう時期が来たのかな。
グッドボーイハートに来ている方が次の方に伝えていく、そんな時代が。

なんだかそんなことを受け取って、真剣にチラシを作ってみた。

ここでそのチラシの一部をご紹介することにする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
犬語セミナーの「ご案内」

犬が話していることわかりますか?
「犬語」をご存じですか?

たとえば犬が「ゴハンちょうだい!」とか「散歩に連れて行って!」といっていることがわかるとしても
それでは「犬語」を知っているとはいえません。
正確には「犬の要求」というレベルで理解できることでしょう。

犬と犬が「会話」をしているときに犬は何を話しているのでしょうか?
犬は犬という種として長い歴史の中で使ってきた様々なコミュニケーションのツールを利用しています。
ボディランゲージだったり声だったり臭いだったりします。
犬と犬の会話には飼い主にしているような要求だけではありません。

犬の世界を知っていますか?
実は、犬は犬と共にいるときに本来の犬としての自分を表現しています。
犬たちがいっしょに過ごせば「あの犬のことが好き」なのでしょうか。
吠えあっていれば「あの犬が嫌い」なのでしょうか。

犬の世界は単なる好き嫌いという趣味の世界にとどまりません。
少し視点を変えてみると知らなかった犬の一面を見ることができるかもしれませんよ。

コミュニケーションを受け取れない人間に表現しなくなった様々なシグナルを犬に対して表現していることを知れば
いかに人が犬のコミュニケーションを無視しているのかがわかります。

犬語を飼い主が知ることで役立つこととは?
・犬がどのようなコミュニケーションを使っているのかがわかるようになる。
・犬が何を感じ、何を考えているのがよりわかるようになる。
・共に暮らす犬が、犬としてどのような世界をもっているのかがわかる。
・共に暮らしている動物に理解されると互いに安心して暮らすことができる。

■クラスの内容
犬の行動を撮影したビデオ、主に犬と犬が撮影された映像をスクリーンで見ます。
ビデオを見たあと参加者のみなさんで「何をみたのか」「何をしていると思うか」
「それをなぜしていると思うのか」など、犬の行動と心理について意見を聞きながら
ディスカッションしながら犬のコミュニケーションへの理解を深めましょう。
コミュニケーションの方法「犬語」は「犬の文化」です。
長い間、人の友である犬という動物の文化にふれてみませんか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不思議な犬語という言葉。

私にとってはただ「犬と会話する」というだけのこと。
このクラスとは別に「スピリチュアルメッセージ」を受け取るというクラスもあるけど私はよく知られる「アニマルコミュニケーター」などでは決してない。

私はただ、犬の良き仲間でありたい。
遠く先住の民がそうしていたように。
私たち人とは異なるコミュニケーションの方法を持ち異なる習慣や感覚や文化を持つ犬というすばらしい異国の友と
良き関係を築きながら、仲間として共に暮らしたいと願っている。

その思いから犬のことを知りたいと努力し
犬の言葉を聞きたいと思って感じ
そして、犬と対話したいと願い
こうやって土と太陽と風と水の中で犬と共に過ごし
犬という動物を肌で感じている、というただそれだけのこと。

だから私にとっては

犬のボディランゲージも、声のシグナルも、魂の対話も、
彼らの良き友であるために知った大切なことなのだ。
むしろ、彼らが私たちの前で今伝えようとしている「犬語」の方がずっと大切なメッセージだと感じている。

犬に何か問題があると「メッセージを受け取ってほしい」といわれることがあるがほとんどのケースでお断りしている。
なぜなら、魂のメッセージを受け取る前に受け取ってほしいメッセージを彼等は今すでに言っているではないか。
「犬語」という方法を用いて、精いっぱい、こんなに伝えてくれている。
だから、まずそれを受け取ろう。
それが、犬という動物の文化や彼らそのものを尊重する姿勢であり、私たちの対等な良き関係へとつながると私は信じている。

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Posted in クラスのこと, 犬のこと

犬語セミナー

先日このブログでもご紹介した犬語セミナーについて「犬語セミナーファン」より感想文をいただきましたので以下にご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

犬語セミナーで何を学ぶかと言うと、それは「犬を知るということ」につきると思います。

犬とずっと暮らしておきながら、こんなにも彼らが表現していた様々なことをスルーしていたなんて、
なんてもったいない事をしてきたんだろうと悔やまれます。

あの子は何て言っていたんだろう、
あの子は何を伝えていたんだろう、
あの子とあの子はどんなふうに会話を楽しみ、
私のことを何て言っていたのかな・・・。

犬語セミナーに参加して、自分がどれだけ犬のことを知らなかったのか、
知った気になっっていただけなのかということがわかって落ち込むこともありましたが、
それよりもむしろ自分たちに与えられたツールを使って犬たちが一生懸命自己表現しようとしている姿に、
そしてうまく伝わらなかったり、答えられなかったりして思い悩んでいる姿にちょっと嬉しくなったりもしました。
当たり前なんですが、犬なんだなぁと改めて思い知らされる気がしました。

犬語セミナーで、犬たちの豊かなコミュニケーションの世界を知った今となっては、自分のすぐそばにある小宇宙をのぞかないわけにはいきません。
きっと映像では伝わりにくいツールもふんだんに使っているに違いありません。
その世界に触れて初めて、犬を知ることができるのではないかと思います。
先は長いですが、あせらずゆっくりと楽しみながら、
犬語マスターへの道を歩んでいきたいと思います。

「犬語セミナーファン」より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「犬語」のファンがいるなんて犬たちが知ったらきっと喜ぶことでしょう。

「犬のコトバとその世界」を忘れてしまった犬も多くなり『ところでボクタチって一体何者?』と
いつか犬に聞かれるのではないかとドキドキしているところ。

『あなたたち、犬なのよ。』と私が諭す前にきっと自分たちで気づいてくれるでしょう。
そのチャンスさえあれば…。

私たちが人という動物であるということに気づくことはそのチャンスのひとつなのだと感じています。

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Posted in クラスのこと, 受講生のコトバ

思考錯誤

2日前の宅配やさんとの会話

「あれ…なんの音ですか?」
「町内スピーカーです。(こわれたままだけどね)」
「えっ…もしかして雪?」
「そうです、雪です。」
「3月・・・ですよね・・・」
「そうですね。(なごり雪だからね)」

平地とはあまりにも季節含むいろいろとずれているここで「よくがんばりますねー。」といわれながら
移り変わる日々を楽しんでいるわたしたち。

季節が変わるということは環境が変わるということ。
いろいろとしなければならぬことも多い。

そもそも犬を家に招いて暮らし始めたことですでに仕事はたくさんある。

朝晩の給餌の支度
ベッドメイキング
ベッドの日干し
ダニとり
散歩のお供
足裏ふき
ひっぱりっこの相手
追いかけっこの鬼役
小腹がすいたときの野菜出し
夜の子守唄
エトセトラ…。

中でも回数の多いフレキシブルで高度な業務はドアマンかな。

排泄の度に
環境に異変を感じる度に
庭に出る必要があると本犬が感じるすべてのときに。

ドアをただ開けるためにそしてドアを閉めるために赴く。

オポが部屋からドアへ向かい、ドアに辿り着く直前にドアを開け
そしてオポが庭からもどり、あと50センチというところでドアを開ければ完璧なドアマンといえる。

とはいえ面倒なので寒い季節以外は戸口を空けたままにしてもみたが
それはそれでいろいろと問題があった。

トビ虫たちが入ってくる。
ツバメが入ってきた。
カエルが入っていた。
招かざる客にやんたさんは2回も来られた。

ということで網戸をつけて作戦を練る。
これだとオポが出るときは網戸を引いて開ける「ドアマン」がいる。
戻ってくるときは鼻で網戸を勢いよく押し開けて入ってくるけど
網戸に張り付いていた虫達は一斉に部屋へ投入される。

挙句のはてに結局は網戸を閉めにいかなければならない。
「網戸は開けて入ってくるから」などど油断をしようものなら網戸が開いたまま数十分もたってしまい
夜も更けるまで“蚊取り母さん”とならなければいけない。相当の体力を消耗する。

さらに問題はあった。
夜番の最中に数時間おきに屋外へお出かけになる。

排泄を目的としているのか…
確認をしたいのか…
飼い主の熟睡を妨げているのか…
その行動の動機に決断を下すには早すぎるが
とにかく数時間おきに起きてドアマンを務めている私。

それが毎晩続く。

冬時期の夜中にドアの前で主の帰りを待つ時間のながいこと。
寒いし眠いし、なかなか帰って来ないし。
たまには朝まで寝てみたいな~なんて思うようにもなってきた。

そうしたもろもろの事情から何か策を講じなければと本気になった。

せっかくいただいたドアマンという業務を放棄するわけではないが
きっとオポ専用の自動ドアは気にいると思うし…。
室内犬には「ペットドア」というしゃれたものがあるではないか。

ペットドア探しが始まったが現実はやはり現実だった。
ない・・・。サイズがないのだ。大型犬のサイズでもオポの顔しか入らない。
これではクマのぷーさんのイヌのオポさんバージョンになってしまう。

外ドアを取り壊すとなると即決するのは難しいが
とにかく網戸の出入りだけでもなんとかペットドアにならないだろうか。

そう思ってくると「ドアマンから解放された飼い主の楽さ」がちらついていてもたってもいられなくなった。

いろいろいろと考えているよりチャレンジあるのみだ。
網戸なら失敗したらまた張りかえればいいのだし、ということで網戸を切り裂いて簡易ペットドアにトライしてみた。

ところがこのドア、主様には不評であった。網戸が顔にあたって不快?
帰宅するときの経路の変更が分かりづらい。
ドアマンはなぜドアマンを務めないのか。

おっしゃることはどれも的を得ている。
なにより「いってらっしゃい」のあいさつと「おかえりなさい」のあいさつは一体どこへいったのだ。

やはりドアマンは必要なのだろうか。
思考錯誤の日々はつづく。

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