グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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理不尽だと思う犬に対する扱いについてどうすべきかを考えた結果

改めてこのブログの役割について

このブログでは「犬のこと」という大きなカテゴリーで区切られていてそれ以上の分け方をしていません。

普通なら、犬のしつけ方、トイレのこと、散歩のこと、手入れのこと…などと細かく分類分けされていて選んで見やすくすべきだと考える意見もあるでしょう。

しかし、このブログは犬のしつけ方やトレーニングについてのハウツーを伝えるために書いているのではありません。

グッドボーイハートのブログの目的は、犬について考えたり悩んだりすることを私自身が解決する場を設けることであり、また生徒さんを中心とする犬と暮らす方といっしょに考える機会をつくるためにあります。

細かな情報を得られたい場合には、ブログの検索機能を使って必要な話題をピックアップしてご覧いただくこともできますが、あえてカテゴリーを「犬のこと」と犬ついてはひとくくりにすることで、どんなことでも犬を考える機会にしています。

このことを前提にしてタイトルの話題に入ります。

理不尽な犬の扱いについて先生は自分の考えをどのように整理されますか?

といった質問を生徒さんから受けました。

自分の家族の犬との暮らしを真剣に考えて生活をしている中で、SNSを通して入ってくる様々な犬に対して行われている問題について苦しい思いをする機会が増えている方も多いと思います。

確かにSNSの普及で自分が探していなくてもネットの方から勝手に動画などの情報提供が行われて見る必要のないものに触れる機会が増えてしまったことは確かのようです。

ひとつの情報をクリックすると新たな情報が流れ込んでくる、それが「犬がこんなにひどい扱いを受けています。」という情報だとすると、精神的に苦しくなってしまうことも当然のことです。

私も毎日こうして犬のことを書いているわけですから、ネットの方から「犬について」の情報提供を受けることがあります。

しかし多分ですが大きく違うのは、私の場合には犬のことをネットで調べたりはしません。

犬の行動について分からないことがあったとして、例えば「犬が尻尾を追いかけているのはなぜ?」と検索することはありません。

犬についての情報をネットの中には探していないので、皆さんほどは情報の波には襲われていないはずです。

なので、ブログを読んで下さっている方とは同じ情報を共有していないということを前提に、以下の意見を読み進めて下さい。

何をもって理不尽な犬の扱いだとするかは価値観の違いが前提にある

見聞きする犬の扱いについて「あまりにもひどい」と思われるものはたくさんあるでしょう。

例えば、保護された動物が殺処分されるという情報、海外では犬が食用として使われているという現実問題、炎天下に隠れる場所もないところにつながれたままにされている犬を見ること…など。

自分にとっては「明らかにひどい犬の扱い」だと思うことも、それぞれの文化や価値観の中では正当だとなっていることがほとんどなのです。

犬が食用とされている文化を持つ国は今でもあります。

人に飼われていない犬は世界中にたくさんいて、むしろ人が動物病院に連れていく犬の方が圧倒的に少ないのが現時点での事実です。

世界では今でも多くの犬がごみを食べて暮らしています。

日本にもまだ山の中に暮らす野犬は存在しているし、人の手の届かないところで生きている犬もいます。

ですが逆に、日本では散歩に連れ出すのがかわいそうという理由で家を一歩も出たことのない犬もいます。

多頭飼育の家では数十頭の犬が同じ敷地内に飼われていることもあります。

犬のことを考えて生きている人もいる一方で、人が社会の中心であるという前提をなくしては考えを進めることはできません。

理不尽かどうかをはっきりさせるために法律が存在している。

人が社会の中心になってしまうと、動物の扱いは限りなく闇に近づいていきます。

私たち人間は、自分たちの残虐性を抑えるために「法律」を作っています。

人は地球の知的生命体だと宣言しているのですから、すべての生き物に対してやさしくなければならないという寛容な姿勢を示す必要があります。

特に動物を様々な形で活用している先進国にはこのくくりが必要なので、先進国には「動物の福祉」にかかわる法律があります。

日本では「動物の愛護および管理に関する法律」に記されています。

犬に対する扱いについても、この法律を犯す内容であれば罰則が設けられています。

犬という動物を活用している社会には必須の法律はすでに整えられているのです。

実際のところ、犬の福祉を守る法律は必要であれば各国で準備されています。

一方で、犬の福祉を考える文化が生まれていない国ではまだ整備されていません。

国内においても犬の福祉に関する法律はここ15年くらいで一気に整備が進んだものですが、急速すぎてペットビジネスにかかわる人々は対応が追い付けないほど速度です。

もし「動物の愛護および管理に関する法律」をご存じなければネットで簡単に閲覧できますので一度読んで見てください。

法律の中にはなぜ?と思うこともあるでしょうし、納得できる部分もあると思います。

まだまだ変化する法律ですが、決まってしまうと守らなければいけません。

犬に関する法律が自分たちが知らないところで次々と改定されているという事実もほとんどの方がご存じないと思います。

法律では語れない犬の扱いについての納得のいかないこと

そして最後に、みんなが感じているもやもやはこの部分にあると思います。

犬が汚れるからという理由で散歩に連れ出さなくても法律に触れることはありません。

犬という動物の習性を満足させることが法律には記されていますが、習性の具体的な部分には触れられていないからです。

犬が散歩中に靴を履いているのを見て、驚く人もいれば逆にやさしい飼い主だと思う人もいます。

犬という動物に対する価値観が非常に幅広く広がってしまい、まったく意見の合わないこともたくさんあるのです。

犬を毎日シャンプーさせることを犬に対する思いやりととるのか、行き過ぎているととるのかもその人の価値観が入ります。

なんにしても、前記の「犬の習性」を元に話さなければいけないのですが、まだまだ「犬の習性」は明確には語られません。

科学的には証明されていることがたくさんあるはずですが、都合の悪いことを封印するのが人間ですからなんとなく曖昧にされてしまっています。

犬の幸せのためにできることを考えるなら、犬の習性について学ぶ価値がある

だからこそ、犬の習性について学ぶ価値があるのです。

この学びは、他人の行いを非難するためのものではありません。

誰かを訴えるためのものではありませんが、法律を作る際にはきっと役立つと思います。

そして、何よりも大切なのは「最も身近な犬が必要としていることを知ることができる。」ことです。

犬に対する扱いについて理不尽だと思うことがネットの情報ではなく目の前に繰り広げられていると最も感じているのはおそらく私の方です。

人間が犬に対してしたいと思う欲求と、犬が必要としてることがかみ合っていなくてたくさんの問題が犬に生じてしまい、それが犬の問題行動となってしまうからです。

毎日の街中を散歩する犬の姿を見て、たくさんのストレスを抱えて歩いている犬の行動や表情を見て辛くなっているのは私の方です。

しかし、私は自分の感情をあまり押し殺したりはしません。

その感情は、自分が犬の生活が改善するために、犬たちが犬として生きる機会を持つためにできることはこうして仕事を続けることで解決されています。

そうした場が自分にあることを感謝したいと思います。

またそうした機会をたくさんの生徒さんにいただいていることをありがたく思っています。

歯がゆいと思うのは、使いすぎた自分の手首が思うようにいかないことです。

この数ケ月は腱鞘炎に悩んでいまして、動きが思うように取れないことが悔しい限りです。

でも、私にたくさんの難問をぶつけてくれるグッドボーイハートの生徒さんたちがいる限り大丈夫です。

これからもたくさんみなさんと議論をして本当の犬とはどういう動物なのかを楽しみつつ見つけていきます。

人を変えることなどできません。変えられるのは自分だけです。