グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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お休みの日に感じたこと、学んだこと。

もう数年前からダンナくんが要望していた「ダンナくんの帰郷」の願いを叶えるために、皆さまにご協力いただいて数日のお休みをいただくことができました。

ところが、休日を直前にしてダンナくんが左手を骨折するという事故が起きてしましました。そこでダンナくんは帰郷計画を断念して治療に専念することになりました。そして、私はそのお休み時間を犬のジェイと満喫することにしました。

 

犬のジェイと車でお出かけ練習

ジェイを連れて外出したことが全くなかったので、車での外出体験も練習をかねてしておこうと初日は佐世保のパールシーリゾートに出かけました。この日は夫婦で外出したこともありクレートを利用せずにバッグスペースにジェイを待機させる状態での移動を試しました。車での移動は訓練期間も含めて慣れているはずのジェイでしたが、左右に大きく揺れる山道には馴染みがないのと、今までなら車では人の足元に居場所を作っていたはずのジェイは足元の方に移動しようとするような行動も見られました。どんな行動にも経験や慣れという習慣性というのが影響されますから、ジェイの行動を見ていてそう感じたのです。

クレートでの移動はできることを確認済みだったので、お休み期間をとおして、車ではバックスペースに待機させる練習を繰り返し、三回それを体験させるとやっと落ち着ていて過ごせるようになりました。大型犬なのですぐにクレートを準備できなくても車に待機することができるようになっている方が安心です。どのような練習も短い期間で繰り返し体験させる方が身に着きます。お休みが数日間続いたからこそできた移動の練習となりました。

パールシーリゾートは犬が歩けるスペースもあり少しだけ水遊びもできました。このすぐ近くにお住まいのグッドボーイハート生の情報では、夏場は犬もいっしょに泳ぐ練習をしていたそうです。“遊泳禁止”と書いてありましたが犬なら泳いでも良いらしいです。整備された公園でしたが水がとてもきれいで、こんなところで水泳教室ができたらすばらしいだろうなと想像しました。他にも散歩中の犬ちゃんがいましたしあくまでも公共の場なのでそこは配慮しながら、ですね。芝生は犬のトイレ禁止の看板もありました。自然公園とは違う空間を気を引き締めながら楽しみました。遊覧船の通過を見学して良い社会勉強となりました。

遊覧船が通過したあとに起きる波と風を感じて踏ん張るジェイ



ちなみにパールシーリゾート内にあるUMIAC(うみあっく)というお店は梅吉くんのご家族のお店です。アミアックにはモンベル、ノーフェイス、ニールズヤードといったお気に入りの製品が置いてありました。モンベルの青い笛を見て新しい企てを思いつきお土産といたしました。

 

くろやぎさんとしろやぎさんたち

お休みのほとんどはジェイと山羊たちと共に山で過ごしました。いつもは係留しているヤギのアールとゼットをできるだけフリー活動させてあげたくて、アールとゼットを12メートルの長さのリードでつなぎ、ある程度はフリーで活動できる状態にして見守りました。

三頭が集まっているのはケンポナシの木の下です。ケンポナシはクロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉樹木です。この季節にケンポナシの実がたくさん落ちているのですが、三頭ともこの実を競って食べています。熟すとナシのような香りと味がして人も食べることできます。ときどき食べてみますがものすごく美味しいというわけではないのですが、甘いので犬が好んで食べるのはわかるような気がします。

しかし、このケンポナシを山羊たちが食べるというのはどういう仕組みなのでしょうか。ヤギは栗の実も食べないし柿の実にもあまり関心を示しません。ヤギはケンポナシを食べるのだろうかとググってみると、なんと私自身が書いたブログやインスタグラムが出てくるだけで他の情報が見当たりません。特にゼットの方はかなり熱心にケンポナシを食べていました。ヤギのゼットと犬のジェイが同じ食べ物を競うように食べている風景を見ていると、普段には見られない同族感を感じました。

ヤギは 犬のジェイとヤギのゼット(中央)、アール(左端)



ケンポナシの効能について調べてみました。

果実は利尿,解毒作用があり,二日酔い,嘔吐,口渇のほか,大小便不利にも用いる.中国では幹の汁をわきがに外用する.樹皮の煎液は消化不良に服用,痔に外用する.葉も二日酔いに煎液を服用する.
太く肉質になった果柄は非常に甘い.(熊本大学薬学部薬用植物円植物データベースより引用)

ケンポナシはまっすぐいに育つ太い幹を持つ樹木なので家屋にも利用されていたようですがケンポナシの柱を使うと酒が水になるといった文章も見つかりました。うちは人も含めてお酒には縁のない暮らしですが解読作用もあるということですから、当面の間は食べて良しとすることにしました。

尾歩山のケンポナシは移転時の山の手入れの際に二本を植えていただいたという記録が残っています。しかし実際に尾歩山にあるケンポナシは5本くらいあります。モミジよりも早く成長して種を高く飛ばした結果、自生しながら増えていったようです。

ケンポナシの実は昨年も落ちていたのですが、山羊たちがこの実を食べていたかどうかをあまり覚えていません。昨年のこの時期はジェイ広場作り(当時は名前なしの広場)に没頭しており、山羊たちとゆっくりと散策する時間を持てていなかったのだろうと反省しました。

中央の木がケンポナシの木



山羊たちにフリータイムをと思ってじっとそばで様子を伺っていたのですが、ケンポナシを食べている時間が相当に長くかかっていたようでほとんど移動していませんでした。長いリードでつながれた二頭のヤギを山に放置したまま、ジェイと少しずつ移動をするとジェイがまた新しい雑草を夢中になって食べています。


画像検索しても植物の名前がわからず、はじめはイノコヅチかなと思ったのですがどうやらこれはイヌタデのようです。すごく巨大なのでイヌタデのように見えないのですが、山にある植物はオオバコであれミツバであれシロツメ草であれ、さらに植えていただいたオクラでさえ巨大化しているためイヌタデではないだろうかと予測を付けています。

イヌタデは人が食用とする山菜で薬効としては以下のようなものがあるそうです。

イヌタデの薬効には、胃炎や健胃作用、回虫駆除、利用作用、解熱作用、そしてマムシに咬まれた際の応急処置などがあります。(AIによる概要から引用)

マムシに咬まれた際の応急処置としては葉を絞って傷に塗るらしいのですが、覚えておきたいと思いました。

こうした薬効成分があることを知らずにイヌタデの葉をむしって食べるジェイを見ながら、人に近づきすぎた犬もまだ動物としてまだ忘れることのない情報や行動を持っているのだなとほっとします。

 

勉強も妄想も、どちらも楽しく

お昼は制作が途中になっているテラスで休憩を取りました。屋根ができあがっていないからこそ見ることのできる秋の絶景を楽しみました。

制作途中のテラスの上で休むジェイ



紅葉の始まる気配を感じられる秋の季節は、いつまでもこのままでいてほしいと思えるほどの有難い時間でした。

ゆっくりとした時間に読書も進みました。今読んでいる本は「風の谷という希望」という本です。みなさんにとてもおすすめしたい本なのですが、最後まで読み切ってからご案内します。もちろんすでに読んでいる方がいらっしゃいましたらぜひお声をかけて下さい。いっしょにワイワイとお話できることもまたグッドボーイハートならではの時間です。

そして最後には小さな喜びであるランチタイムの写真です。ランチとして準備したのは、広島の有名なパン屋さんのパンと、うちのニホンミツバチたちからいただいた蜂蜜の入ったヨーグルトにきなこと黒ゴマをまぜたもの、そして自慢のうちの水でいれたコーヒーです。私のこれからの新たな“夢”が実現するのかどうかがつまった写真です。この夢は本当に小さな夢で、本当に実現するのかみなさんもいっしょに楽しんでいただけたらと思います。オポディまでお待ちくださいね。

テラスでおうちカフェ



そんなこんなでお休みはあっという間に過ぎていきました。

ジェイと水入らずで過ごすゆるやかな時間を通していくつもの気づいたことがあります。解りやすい行動の変化としては、排泄の場所がいつもとは明らかに違ったことです。これは以前から状況に応じて多少の違いを見せていたので、ダンナくんの方も敏感に感じ取っていたようです。

お休みの日々のジェイの排尿と排便場所は大きく広がりました。普段、預かりの犬達がいる時、預かりの犬が落ち着かないとき、何か複数のクラスがあったり人の出入りが多いときは、ジェイが排泄をする場所が家からとても近い場所になります。もちろんテラスの上などではしないのですが、テラスの制作中に道具がテラス前のあちこちに置いていたときにも同じように排泄の場所が家の近くになりました。小さな環境の変化が、ジェイという犬には影響を与えていることがわかります。この変化は今後も続く可能性もあるし、ジェイの暮らしの中で今後は違う形へと変化する可能性もあるし、それも含めてジェイの変化として観察を続けていきたいと思います。

また次の解りやすい変化としては、被毛がとても柔らかくなったことです。普段はあまり大きなことに驚いたりせずに、預かりの犬が到着しても見に行こうとしたりしないし、性質的にはおっとりしているように感じられるジェイですが、実はとても繊細です。ダンナくんは「オレに似て繊細やな…」とよく口にしていますが、神経質ということではないのだけどなと私は黙って思っています。

自分の家に複数の犬が長い期間に渡り泊っているという特別な環境がジェイの暮らすオポハウスの仕事です。そういえば、私の母も父も同じような環境で育っています。母は旅館の娘だったので、自分の暮らす家にお客様が泊りに来るという生活でした。父の方は料亭の息子ですが、やはり自分の住まいにいつもお客様が来ている環境で育っています。そういう意味ではジェイも父は母と同じ旅館のコということになるでしょう。

ですが、ジェイは旅館に泊りに来る犬達と共に成長する機会も得ています。毎日みなと一緒というわけではありませんが、半分くらいの時間を広場に入って過ごしていますし、他の犬と過ごすことをジェイも拒否していません。今後もお預かりしている犬達との時間がジェイにとってもお泊りに来ている犬達にとっても楽しく有意義な時間となるように私達が管理するようにと勤めてまいります。

お休みがあるからこそメリハリもできます。今後もみなさんに思いっきり甘えながらお休みを確保させていただこうと思っています。どうぞ、宜しくお願いいたします。

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犬のジェイとオオスズメバチ【後編】

犬のジェイとオオスズメバチの出会い、オオスズメバチと私の戦いについての記録です。前編はこちらからどうぞ。

犬のジェイとオオスズメバチ【前編】

後編に続きます。

前編では、ジェイと小型犬くんとわたしが三匹のオオスズメバチから退散して広場を出るところまでをお話しました。このままでは広場が使えないため、オオスズメバチを広場から追い出さなければなりません。

いつも大切なときには何故か現場にいないダンナくんは、やはりこの日もオポハウスを不在にしていました。しかし、夕方になるとダンナくんの弟子としてお手伝いに来てくれているとしちゃんが来ることがわかっていました。30代の男性だから頼りになります。

作戦を立てるために、唐津で農家をしている生徒さんに状況を連絡し、何か秘策があれば教えて欲しいという旨を相談しました。生徒さんはすぐに連絡を下さり、良さげなネット情報を教えて下さいました。

その対策とは、木酢を使うというものでした。木酢をクヌギの木につるしたり振りかけたりするとオオスズメバチが近づかなくなるらしいのです。木酢は様々な虫よけとして日常的に使っており、オポハウスには大量に常備してあります。早速、ペットボトルに木酢を入れて樹木に下げる備品を樹木の本数ほど準備しました。

しかし、現在オオスズメバチが集まっている木に近づくことはできません。夜になればきっと山に帰っていくはずだからと待ち続け、21時くらいになって作戦を開始することにしました。私ととしちゃんは養蜂用にもっている簡単な防御服を着て、念のためにライトを軽く照らして、さらには念のためにスズメバチ用の殺虫剤も準備して現場に向かいました。

オオスズメバチさんたちもこんな時間には山に帰っているはずだと思い見に行くと、なんとまだ同じ場所に三匹のオオスズメバチがいたのです。夜になったのに巣に戻らず、クヌギの樹液にみなで集まっています。これはもう直接対決しかありません。

犬の過ごす場所なので殺虫剤を使いたくないのですが、このままではもっとたくさんのオオスズメバチが集まってきて誰かが大怪我をしてしまいます。今回は仕方なく殺虫剤で追い払った後に、木酢を木にスプレーして、木酢ボトルをぶら下げて、わかりやすいように小枝を切って整備をしました。翌日になるとオオスズメバチはいなくなっており、飛んでくるオオスズメバチも木にとまらずUターンしていく姿を見て、広場の安全を取り戻したとほっとしていました。

しかし、そのさらに翌日にはまた二匹のオオスズメバチがクヌギの木に戻ってきました。樹液がたくさんでているようでいつも同じ木なのです。スプレーした木酢の臭いが薄くなってしまったのかもしれません。その後はオオスズメバチを見つけるたびにスプレーを遠慮なく降って追い払っています。大きいのでスプレーが当たっても死ぬことはないのですが、何もしないと占領されてしまうので防衛としてやっています。

預かっている犬達はスプレーをもって立ち上がる私の姿の方に注目していますが、ジェイのようにオオスズメバチにそのものに反応する犬はいませんでした。オオスズメバチは他のハチと同じように黒いものに攻撃するという習性があります。なぜ黒い色なのかについてはいろんな説があるようですが、この習性は間違いありません。

しかし、防衛作戦が効果を上げているようで、広場には安全と安心が戻ってきました。ジェイもその後は大きな反応をすることはありません。

前編にも書きましたが、野生の生物と犬の関わりにはリスクもありますが学びもあります。どこまでを見守り、どこから管理すべきなのかの判断には迷いがでることもあります。もちろん、預かっている犬達であればリスクよりも管理が重要です。しかし、自分の愛犬となると、管理よりも多少はリスクありの方に振れてしまいます。生物との対話で学ぶことという貴重な体験をすべて奪いたいとは思いません。

オオスズメバチはまだ活動期です。今年から来年にかけて、ジェイがオオスズメバチとどのような対話をしていくのかが楽しみです。しかし、黒いから対話なしに攻撃されてしまう可能性もあるのですが、どうだろうねジェイ。


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犬のジェイとオオスズメバチ【前編】

自然という環境の中で犬といっしょに活動することにはたくさんの楽しみがあります。中でも貴重な体験は、犬が野生の生物たちとどのように関わるのかを見ることが出来ることです。

先日出版したグッドボーイハートの本の中にも、犬のオポがヤマカガシというヘビと遭遇したときの様子について書きました。よくいう「もし犬が○○に出会ったら」とか「もし犬が○○と戦ったら」みたいな感じでいろんな想像をするのですが、その想像を超える現実が目の前にあったら本当にドキドキが止まりません。そして今回は、犬のジェイとオオスズメバチについての話です。

黒ラブのジェイは山の学校で暮らし始めてから10ケ月が経ちます。しかしまだ一シーズンも超えていないので、出会う生物も植物もみな彼にとっては新しい対戦相手ということになります。

ジェイは生後一歳九カ月まで訓練施設に入っていました。ジェイの子犬時代について詳しくは聞いていないのですが、ジェイの山に来たばかりの体の使い方を見る限りでは、ジェイは山で過ごした時間はほとんどないのではないかと思っています。都市空間で育ったジェイが山の中で出会う生物にどのような反応を見せるのか、見逃してはなるものかと真剣に見守っています。

先日、オポ広場にジェイと預かりの小型犬の二頭と共に過ごしていました。どちらも草を食べることが多く、この日も地面をくんくんと嗅ぎながらそれぞれにお気に入りの草を探して歩いていました。私は日陰を見つけて腰を下ろし、二頭の様子を伺っていました。

すると、ジェイが数本のクヌギ(どんぐり)の木の下で、突然自分の大腿部あたりに鼻先を向け、次の瞬間には上を見上げました。この反応は、「誰かに攻撃を受けた、しかもそれは上からやってきた」です。そしてくるりと回ってもう一度上を見上げました。

この反応が特に大きな動作だと感じた私は「スズメバチか…」と予測し、「ジェイ、カム」と呼びの合図をかけて私の方に引き寄せました。私とジェイの距離は20メートル位です。何かの虫に集中していたジェイは、一回目の合図には反応しませんでしたが、二回呼ぶとこちらに走ってきました。

犬が虫などの生物に対してやっていることを止めるべきか見守るべきかは、瞬間的な判断が必要です。全てを止めるべきではないが、状況によっては管理も必要です。スズメバチはこちらが攻撃すると反撃に転じることもあります。それが一匹ではなく複数になることも想像されるので反射的は攻撃はデメリットが多すぎると判断した上で、合図での管理をしました。

ジェイが私の元に走ってきたあとに状況を確認しようと立ち上がると、ジェイが再び木の下に走っていきました。そして、木の下で顔を上に向けて回っています。鼻先で危険な何がなんであったのかを確認しようとしています。一旦は私の元に来たもののすぐに戻っていくということは、ジェイは攻撃を受けた何かに執着している状態だったということです。それが何であるかを確認するという作業がまだジェイの中で続いていたということです。

犬が自然環境の中で危険を感じることなどよくあることです。その危険度も低いものから高いものまで様々にあり、危険度の高さは攻撃を受けた度合い、その気配の音や色やにおいなど様々な情報によって決められます。ジェイの頭上で飛ぶ昆虫は樹々の間に隠れて目視することはできません。おそらく音と臭いが気配となって伝わってきたはずです。

これらの対面は、当然のことながら経験の多いものは落ち着いて対応し、経験の浅いものは興奮してしまいます。自然環境での活動が未熟なジェイの動きは、興奮が高い上に執着が強く、これ以上の探索は危険だと私が判断しました。ジェイを再び呼び寄せて、遠くの木に係留しました。

もう一頭の犬はこの全ての状況に全く気付いておらず、草をにおう散策を離れた場所で行っていたので混乱を避けるためにこの犬の方には声をかけずにそっと現場に近づいて状況把握を開始しました。

そして木に近づいてビックリしてしまう風景を見たのです。クヌギの樹木のちょうど私の目線よりと同じくらいの高さに、三匹のオオスズメバチが集まって活動しているのです。オオスズメバチといえば世界最強のスズメバチです。ご親切なことに黄色と黒色のはっきりとしたボティで「危険ですから近づかないで下さい」とメッセージをくれています。

これはまずいです。絶対にピンチの状況です。振動に敏感なオオスズメバチを刺激しないように、すばやくしかも静かにジェイのところへ戻って首輪を持ち、同時に小型犬の名前を呼んで出口の方に移動を始めました。

ところが、いつもはすぐに走って来るこの小型犬くんが草に夢中になっているようで私の合図に気が付きません。オオスズメバチを恐れて大きな声を出せなかったのもありますが、とにかく早く広場を出なければと、念を入れて名前を呼び続けるとはっと気づきこちらに走ってきました。そして二頭とわたしは無事に、広場を出ることができました。

しかし、オポ広場はオオスズメバチに占領されたようなものです。

オポ広場を奪還せよ!

ミッションがスタートしました。後編に続きます。

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室内照明における犬の不快グレアに配慮した環境の整備をしよう

我が家では私とダンナくんの感覚の違いによる対立が、日常的にいろいろと発生しています。その中でも頻繁に起きているのは「室内の照明に関する問題です。

ダンナくんが部屋の中の行く先々で電灯のスイッチをオンにして活動するのに対し、私がそのスペースを使うたびに電灯のスイッチをオフにするという作業が毎日のように行われています。

私がいる部屋の電灯のスイッチをいきなりダンナくんが入れることで「まぶしい!見えない」と私が反応し、逆にダンナくんのいるスペースの電灯のスイッチを私がオフにしてしまうと「暗い!見えない」とダンナくんが叫びます。

対立の理由は、私とダンナくんの必要としている光の量が全く違うからです。

眼鏡を外すと目の前に立っている私の顔そらまったく見えないというくらい視力の低いダンナくんは、電灯をマックスにしていなければちゃんと見えないといいます。キッチンでも洗面所でもリビングでも、明かりを全灯にした上で、さらに電灯の色を白くするほどきれいに見えるという世界です。

対する私の方は、電灯が白かったり多かったりすると、照明のまぶしさで逆に見えなくなってしまい、不自由さを感じると同時に不快感も感じます。

明るくすると見えなくなるという私の世界はダンナくんには理解できないらしく、よくそんな暗い場所で作業ができるね、と不思議そうにいいます。白い電気だとまぶしく感じてしまうため昼白色の光灯は特に苦手でオレンジの電球色の電灯を好む私の方は、標準からすると多少、照明に対して過敏なのかもしれません。

光が眩しすぎて不快感を感じることをグレア(glare)といいます。日常的に不快グレアを感じるシーンとしては、夜間に車のライトがまぶしいと感じられるような状態のことです。

私がこの最近このグレアという言葉を興味深く聴いたのは、椅子研究家の織田憲嗣氏の室内照明に関する動画でした。織田氏は動画の中で、天井に電灯をつけてはいけないことや間接照明が室内に与える効果などについて話されていて、興味深く拝見しました。

というのも、光に敏感は私は天井の蛍光灯を使うことがほとんどなく、小さな卓上ライトや手元ライトやスタンドを好んで使うタイプだからです。こうこうと照らされていない室内空間に安らぎを感じることができるのです。

そもそも人工的な眩しさが苦手な自分のために間接照明を使ったり、デスクの電灯の前に衝立を立てたり、扇風機のボタンのオレンジや青の点滅には黒のマスキングテープを貼って環境整備をしています。そして、犬も同じではないかと感じて、照明に対して配慮を払うようになりました。

眩しい光は犬にとっては不快感を与えるものになりやすいため、常日頃から照明の使い方には気を付ける習慣が身に着いています。太陽の眩しさよりもずっと不快感を受けるのは室内で避けることのできない人工的な照明の方です。犬にとっては人工的な光は馴染みのないものなのですし、自分で制御することもできないものです。

自分の為にしている環境整備に輪をかけて、犬が寝ている空間では照明を落とし、犬の空間が不快なものにならないよう心掛けています。幸いなことに、山の学校「オポハウス」のメインの部屋の天井の照明はダウンライトなので、調光機能を使えばすぐに光の量を調整することができます。

反対に、ダンナくんはオポハウスのこの暗い照明になかなか慣れ、頭にヘッドライトを付けて生活していた時期もありました。そのダンナくんもオポハウスで過ごす時間が増えていくことで、少しずつですが私と犬がたくさんの光に不快グレアを感じやすいことを理解してくれるようになってきました。犬は私以上に光に敏感であることを伝えて、決して強い光を与えないようにと注意を促しています。

犬は嗅覚をメインとして活動をする動物なので視覚に頼らず活動できるのですが、犬の方が人よりもワンランクアップの機能を備えています。それは、わずかな光を集めて自らの眼球を懐中電灯替わりにできる視覚的機能もので、この機能により暗闇でも人間よりも自由に行動することができます。

グレアには見えにくくなる生理的グレア(不能グレア)やまぶしさや違和感を感じる心理的グレア(不快グレア)があります。私とダンナくんの比較でもわかるように、同じ人という動物でも不能、不快感はかなり差があります。人と犬という異なる動物であれば、あたそこに違いが生まれます。

養鶏で産卵を促すために長時間にわたり照明にさらすという方法からも、照明が動物の生理活動に影響を与えていることがわかります。長い間、太陽が沈むと月明かりの中でしか活動をしてこなかった動物が、本来の暗さから遠ざけられて人工的な照明の中で過ごせば、犬の神経や脳に何らかの影響が出る可能性は十分にあります。

照明に過敏な私は、犬と寄り添って暮らすうちに自然な感覚が芽生えて来たのかもしれません。とはいえ、不自由さを感じることはなく、むしろ薄明りを楽しめるようになりました。

人工的な室内空間で犬のためにできる環境整備は、少し照明を落としてあげたり、電球の種類を変えてあげるだけです。ポール・へニングセンやルイス・ポールセンのライトを使ってみるなどは憧れですが、犬の為にできることは人の為にもなります。チャレンジを楽しみましょう。

 

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ヒグマ事件から考えるヒトと動物の境界線とそれを伝える役割について

北海道でクマが人を襲った事件が起きたことで、いろいろと考えることがありました。

ある程度、考えがまとまってからブログに書こうと思っていたのですが、答えがはっきりとでないまま考えを巡らせてしまい今日に至りました。

事件の経緯としては7月12日に北海道でヒグマが新聞配達中の男性を襲って殺害し、同月18日に現場近くで偶然、ハンターにより射殺されたヒグマとDNAが一致したことで同個体であることがわかったというものでした。

ヒグマは体長が2メートル、体重が218キロだったらしく、動物園以外でクマに接したことのなくても、人を襲うには十分のサイズでありその殺傷能力も高いものであることも十分にわかります。

また、このヒグマが4年前に女性を襲ったクマであることもわかったため、このヒグマは繰り返し人に対して攻撃を繰り返していたことになります。

 

ヒグマは人を恐れないのか?

今回の事件で報道されているヒグマの行動についての解説の中で関心を持ったことは二つです。

一つ目は、ヒグマはどういう目的で人を襲うのかということ。

二つ目は、このヒグマが日中も人の居住区をうろつくなどの行動を繰り返していたこと。

動物が人を襲うには何らかの理由があるはずです。捕食のため(食べるため)、自分のテリトリーの中に外的が侵入したと感じたため、脅威を感じたためなどが主な理由です。

ヒグマが人を食べるために人を襲うという可能性もゼロではないようです。ヒグマは雑食動物で木の実や魚を食べるイメージが強いのですが、立派な牙をもち肉食をする消化機能も持っているからです。

しかし、ここでもっと問題にしなければいけないのは、本来は森林に住むはずのヒグマがなぜ森林から離れた人里まで頻繁に降りて来るようになったのかということです。

このヒグマの行動のパターンについて説明するニュースの中に、OSO18と名付けられたヒグマとの比較についてのコメントがあり、興味深く聞き入りました。

OSO18は最初に被害が確認された2019年から駆除される2023年までの間に、66頭もの家畜牛を襲ったクマの個体名です。

OSO18は、多数のわなにもかからず監視カメラで確認できる回数も少なく、非常に警戒心が高いためすることができずに家畜を襲われ続けたということでした。家畜の被害が大変大きかったことから、行政も民間も総力で取り組まれたにも関わらず4年という長い期間を逃げ続けながらも家畜を襲い続けたヒグマの最後は、偶然見つけたハンターによる駆除でした。

OSO18の行動にみることができるように警戒心が非常に高く人の気配を避けて行動するというのは、ヒグマの行動としては普通であるように思えます。ヒグマと人は長い間に渡って衝突を繰り返してきた歴史があるからこそヒグマは人を恐れ、人に近づかないようにすることで人とヒグマの境界線が保たれていたはずです。

ところが、昨月北海道で人を襲ったヒグマは人を恐れることなくなんども目撃されています。日中、人里をうろついていることもあり、また別のヒグマも住宅街をうろつく映像が撮影されています。

ヒグマが警戒することなく人里に近づくようになり、人を見ても逃げることなく攻撃する、人のゴミに執着したり、人を食べる個体がでるなど、ヒグマの人への執着はこうした行動を繰り返すことでさらに激しくなりそうです。

 

何故ヒグマは人を恐れなくなったのか?

警戒してなかなか人の前に姿を現さないヒグマと、人を恐れず日中も市街地をうろつくヒグマ。どちらも問題ではあるのでしょうが、人にとっての脅威は後者の方です。

ヒグマに限らず野生動物は人を恐れなくなりつつあるというのを山暮らしで感じることがあります。山の学校の近くをうろつくもっとも恐るべき動物は、イノシシです。

イノシシは雑食の上に人肉を食べることはないためヒグマとはまた違いますが、予期せぬ接近で人を襲うことないとは言い切れません。

最近はあまりないのですが、以前は犬と山歩きをしている最中に山の中でイノシシと遭遇することがたまにありました。

しかし、イノシシは私と犬に出会うと必ず逃げる、また夜に庭先に姿を現しても人や犬の気配を察知するとやはり逃げるという印象でした。

ところが、最近のイノシシは庭先で人を見てもすぐに逃げようとしません。イノシシは人を見ているようで人という動物の気配に以前のように敏感でなくなったように思えるのです。

イノシシの農作物被害はまだ大変大きなものなので、山のあちこちにわなが設置されていますし、猟期になるとそれぞれの山で猟師がイノシシ狩をしています。

しかし、そもそも山里に住んでいる人間の数が50年前と比較すれば圧倒的に少なく、このあたりも限界集落と呼ばれる地区ですから、いつも設置してあるわなくらいではイノシシも人から狩られる恐怖を忘れてしまいます。

ヒグマと人の境界線も緩くなってしまった理由は、イノシシと人の間の境界線が緩くなった理由と同じではないでしょうか。

 

囲われて生きているのは野生動物なのかそれとも人なのか?

都市空間で行き交う多くの人の活動の中にいると、パソコンの画面に出てくるヒグマの姿は山に閉じ込められた動物という風に間違った感覚に陥ることがあります。

逆に山の家に暮らして感じるのは、囲われて生きているのは山に住む野生動物ではなく都市空間に住む人間の方です。

山の家の敷地や周囲の畑にもたくさんのイノシシ除けの金網が見られます。イノシシ除けの金網のある風景、それが日本の里山の風景です。

人が守る敷地や人が暮らす市街地にはそれを守る物理的な境界線がいくつも作られており、民家の周りは壁や木々で囲われています。

物理的な境界線を設置し、見えない境界線を動物たちに伝えることで自分たちの生活を守っているのが人間という動物だと思います。

見えない境界線については、その境界線を野生動物たちが越さないように、常に境界線越しに野生動物を追い立てる行動を日々繰り返していなければなりません。この野生動物の追い立て役として最も活躍しているのが犬達なはずです。

ところが犬は家畜化やペット化が進んだ結果、人に寄り添う能力は十分に持っているけれど、野生動物を威嚇して追い立てる程の能力や精神力を持ち合わせることがなくなってきました。

特に相手がヒグマともなると家畜化された家庭犬には難しいことは想像できます。イノシシと遭遇しても怯むことのなかった黒ラブの愛犬オポでも、ヒグマを目の前にして対峙することなどはできるわけもありません。

最近ではサルと追わせるモンキードッグもあるように、クマと人の間に生じる問題を解決するために訓練育成された犬をベアドッグとされているそうです。

今回の様々なニュースではベアドッグを取り上げているものを探すことができなかったのですが、このような取り組みはもっと広く認知されるべきではないかと思います。

ベアドッグは犬ではなく狼犬として繁殖された者の中から、ベアドッグとして適性のあるものを育てているということです。

狼犬であることがペット化された犬とは全く違う遺伝子であり、非常に特殊な感性を持つ人々によって育成されていることが想像できます。

きっとすばらしい能力をもつであろうベアドッグの今後の活躍を多いに期待しています。

私の足元にいる犬達は、とてもクマに対抗できるような犬ではありませんが、どんなに小さな犬にも我が身や我が飼い主に危険が迫ったときには、決して相手を興奮させず、しかし必要に応じて吠えて威嚇する防衛能力を発揮して欲しいと思います。

家畜化したとはいえ狼の末裔であることを犬には忘れて欲しくない、そしてまた自分自身を家畜化した人であっても、私自身も戦う動物であることを忘れたくありません。

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犬が成長することの難しさとは…

J(ジェイ)を迎えてから4ケ月が経ちました。

迎えた当時のジェイは走るのもおぼつかない、ジャンプ力もお粗末なものでした。それが、数ケ月で軽くジャンプするようになり、ぼとぼとだった体型はシャープに引き締まり後ろ脚にははっきりと筋肉が見えるようになりました。

そんな変化したジェイを見て「ようなったな~」と微笑むダンナくん、我が犬の成長を喜ぶ飼い主の気持ちを共感できるようになったようです。

どの飼い主さんも「うちのコ、成長しましたよね。」とか「うちのコ、成長していますか?」と我が犬の成長に関しての関心度は高いものです。

どの犬も適切な環境の中で育てば、生後三歳位までは成長を続けます。なぜかというと、肉体的な発達のピークが生後三歳頃に訪れるからです。

子犬の成長は身体の成長と発達です。毎日どんどんできることが増えていきます。筋肉と骨が発達してジャンプしたり回転したり走ったり止まるという動きの能力が優れていくのが目に見えて解ります。成犬であるジェイも今月で2歳を迎えますので、まだまだ身体的に発達する要素があったのでしょう。

もちろん、生後三歳までに発達するのは体だけではありません。完全な保護を求める子犬期から保護や安全を離れていこうとする発達の動きを見せる青年期へと向かっていく過程で飼い主や成犬との関係性にも変化が見られます。

保護と安全を望むことと、成長を求めて行動をすることには対立が生れます。保護の殻を破って歩き出せばそこには危険が存在するからです。卵の殻を割って出る小鳥のように成長はリスクを伴うものです。

野生動物の中には巣立ちという親元を絶対に離れなければいけない時期がくる動物もいますが、イヌ科のオオカミを基本とする種類の動物には親元を離れる巣立ちはありません。そこにあるのは、依存から服従へと変わる関係性だけです。

犬は個体の性質(個性)によって、自立を望むものと依存の継続を望むものに分かれます。肉体的には成長するが精神的には成長を拒むのは後者の方です。

依存を望む性質の犬は、体は成犬となり成長をするため三歳くらいまでは成長していると感じられるのですが、三歳を過ぎても精神的には子犬のままとなり体と脳の間では常に葛藤が起きます。

犬の中にある成長欲求が途絶えてしまえば、その犬は活動性を失いほとんど寝ている大人しい犬となるかもしれません。成長の中で生まれる服従性を引き出されることもないため飼い主とは長い依存関係を続けることでしょう。

また、自立を望む性質の犬も成長を望むが飼い主との服従関係を拒む自立は孤立を生みだします。昭和なら逃走を繰り替えす犬や放浪生活を好んだ犬がこちらの部類に入りますが、今はそんな気ままな生活は許されません。国内では全ての犬が「飼う」ことが義務付けられているからです。

犬の服従性の発達について熱心に語るのは、それが犬がグループ(群れ)で自らの適性を発揮する場を持つということだからです。

適性というと何かの役割を特別に求められるだと思われがちです。たとえば、盲導犬になるためには盲導犬になるための適性が必要です。では盲導犬にならなかったジェイには、何の適性もないということなのかというと、そういうことではないのです。

ジェイには家庭犬としての素晴らしい資質があります。その資質の中に服従性質も含まれています。私達がジェイを群れの一員として迎え、毎日の活動を通してその服従性が引き出されるような環境を整えていけるかどうか、それがジェイの成長に繋がっていきます。

ジェイが肉体的に発達していくことはとても嬉しいことです。だからこそその発達した身体能力を持って役割を発揮することができるように共に過ごす時間を大切にしています。

人間なら青年期に自分が何に合っているのかが分からなくて自分には合わない仕事について悩むこともあると思いますが、犬には服従性という大きな適性がありますので悩むこともありません。愛玩犬も立派な服従関係で成り立つ仕事です。それは依存関係とは大きく異なります。

犬を見ていて子供らしくていいなとか自由でいいななど、ペットに自分を投影して喜びたいという気持ちが起きることも起こりやすい現象ですが、犬は飼い主の求めたように振舞う性質を持っています。犬が自然に成長できる環境を整えるためにも、犬に自分の投影を求めないこと、つまり飼い主自身が幸せであることは何よりも大切なことです。

本日は考えながら書いた記事となり、まとまりがなくなりました。また追記をしていきたいと思います。

尻尾が太くなり高くあげるようになったジェイ

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住み始めて約三ケ月でテリトリー(生活圏)が安定してくる

犬のJは私にとって大人になってから飼う二頭目の犬です。

犬の育て方を教える立場として、犬についてのたくさんの知識や経験が必要となりますが、人生でそう何度も犬を飼うことはできません。

自分が持っている経験は、他者が育てた犬のこと、訓練所で接した犬のことで、知識は実際に起きていることを裏付けするために役立ちます。

ですが他者が育てた犬はどのような環境でどのように接しているのかを知るのに完全ということはありません。完全に掌握できるのはあくまで自分が作った環境と接し方、つまり自分の犬のことです。

今回Jを迎えたことで貴重な実体験をする機会を得たことになります。

ブログには「Jのこと」としてJの成長を記録するためだけでなく、知識として蓄えていたことが本当だったのかを確認して発表していきます。忘れることも多くなりましたので忘れる前に…ということで早速はじめます。

広場で左から小鉄くん、J、バロンくん20250502



今回は「引っ越ししてどのくらいでテリトリーを獲得できるのか」についてです。

Jが自宅に到着したときにダンナくんから「どのくらいの時間でJはこの家が自分の家だってわかるようになるのか」という質問を受けました。

一般人らしい質問ではありますが、馴れるのに時間を必要としているということを理解しているという意味ではまずは理解が進んでいる質問です。

答えとしては「Jは成犬なので、三ケ月位でテリトリーを獲得する」です。

知識として学んだことはありませんが、大きな環境の変化に対する順応する比較的短い単位としては三ケ月ということです。

環境の変化の内容であったり、その犬の経験値、社会性、受け入れ側の準備や対応によってもその長さは変わってきます。

そのため、この三ケ月というのは私達がきちんと準備して環境を整えていくことが前提になります。

Jの受け入れ場であるここは、定期的に預かり犬が宿泊するという家庭犬としては非日常的な空間になります。

そのことでJが生活圏を獲得するのに三ケ月という時間で足りるだろうかという思いもありました。

例え、生活圏の獲得にもっとたくさんの時間を要したとしても悪いことではないのですが、生活圏の獲得は犬のベースになるものなので飼い主の努力によって早く安定させられるのならそうしたいという気持ちがあります。

他の犬達が出入りする不安定な環境で不安を抱かせないようにするためにできることは、日々の生活の中で私という飼い主との関係性を深めるための時間をもち、同時にその質を上げることです。

幸いなことに仕事の合間にすぐにJと豊かに活動できる場がここにはあります。

そんな思いを抱きながら共に暮らしを作ってきましたが、本日5月4日でちょうどJを迎えて三ケ月になりましたが、昨日今までにはない行動がまた見られました。

今まで部屋で吠えることがなかったJが、室内で2回吠えることがありました。(外で吠えたのは2回くらい、これもワンという単発でした)

1回目は朝、お手伝いのトシちゃんが到着したときで、このときは足音が庭先に聞こえてJはリビングにいたときでした。

2回目は、同じくJがリビングにいたときに、軽トラをバッグで上げる音がしたときです。

どちらも警戒吠えで、ウォン、ウォン、という低い声、多少緊張しているのか体は窓側とドア側の両方になんども向けられています。

どちらも私が室内にいたため「フセ」の合図で待機させて、窓から外を確認しました。これで警戒吠えは収まりました。

警戒吠えというのは「テリトリーに異変が起きていますよ。」というのを周囲に知らせる音です。

もっと引くバフバフというささやきのこともあるし、唸り声のこともあり、このようにウォンということもあります。

状態がもっと安定してくれば、いつも来ている人は仲間と見なして吠えることはなくなります。

Jが初めての室内で吠えたことにダンナくんは驚いていましたが、「ちょうど三ケ月たったからね」と私が言うと納得した様子でした。

生活圏を獲得するというのは単なる馴れとは違います。Jがこの家を自分の家として私達と共に守ってくれるポジションを獲得したのですから、とても嬉しいことでした。

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雪山ならではの探索行動:犬といっしょにトラッキング遊び

今回の雪は結構長引きました。

2日間降り積もったことと気温が上がらなかったため、真っ白の風景をそろそろ見飽きたところです。


本日は雪のかすかに残る山でプライベートのトレッキングクラスを開催しました。

トレッキング途中に山羊のアールとゼットを柵から出すと、決まったルートなのか山の方へとゆっくりと上がっていきました。

私達も後ろから追いかけるように歩いていきました。

雪の積もった山にはいろんな動物の痕跡が残っています。


パッドと爪痕が見える足跡、おそらくアナグマではないかな。


こちらはアールとゼットの足跡です。

アールの方は補助リードを付けているのでリードを引きづったあともついていました。

この雪の期間はずっとフリーで活動していたので、どこまで行ったのかなと想像していましたが、まだ痕跡が残されていたので山羊の歩いたルートも判明しました。


トレッキングコースの第一休憩場所までかと思いきや、もっと奥まで歩いていました。

テント場という第二休憩所まで行ったのかと思ったのですが、一つ手前の杣のところで折り返していることがわかりました。

この杣はオポが具合が悪いときに休んでいた場所でもあります。

動物たちにとってひとつの境界線がこの部分なのだなと思いながら足跡を追いました。

山の中にはウサギの足跡も無数にありました。

最近はウサギを見ることもなくなっていたので、まだウサギが山の中にいることを知って嬉しい気持ちになりました。

こんな足跡の風景を犬たちはいつも彼らの鼻を通して見ているはずなのに、私には全くみえない風景です。

雪の日だからこそ見ることのできるこの風景が特別に好きなので、今年もこれを見ることができてほっとしました。

犬くんは寒くなって活動が活発になったということでした。

雪は今日一日であっという間になくなっていきました。

次の雪の日はいつになるかな。

降ると勘弁してくれと思うのですが、降らないといつ降るのだろうと待ち続けてしまう。

本当に身勝手なことですが、自然は楽しみも辛さも与えてくれます。

どちらがいいということでもなく、どちらも自然ということでしょう。

雪の日のトレッキング、楽しく歩いて戻りました。


さて、帰りにはアールとゼットの姿は山にはなく、いつも通りにどこいったのかなという感じ。

なんと、夕方に道路の工事をしているお兄さんたちが仕事を終わって戻ってくる集団の中にアールとゼットの姿がありました。

本当に、なんでやねん。

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動物園の取り組みから学ぶ「“さわる”ふれあいを“学ぶ”ふれあいに変える」こと

ライオンを飼育しない動物園

先日動画配信サイトで南海チャンネルの制作した動物に関する番組を見て感じたことがあります。

番組名は「#7どうぶつたちの“幸せ”の先に」というものでした。

動物福祉をテーマにして動物園や畜産業の現場を取材したもので普段から動物福祉を考える立場の自分にとってはとても興味深い内容でした。

動物福祉とはなんぞやを簡単に述べるなら「動物の立場に立って考える」ということになります。

番組の取材先は愛媛のとべ動物園と京都市動物園でした。

どちらの動物園でも「動物が本来の性質を発揮できるように」という取り組みをしているということでした。具体的な取り組みとしては、京都動物園ではライオンを飼育しないという方向に転換したそうです。

なぜライオンを飼育しないのかというと、ライオンは群れで暮らす習性を持つため動物園ではそれに必要な環境を整備できないということでした。

この話を聴き、オオカミも群れで暮らす習性を持つ動物なのだから、それについてはどうしているのだろうという疑問が生じました。

調べてみると次のようなコメントが出ていました。

御意見箱に寄せられた御質問への回答 H30.9.24~H30.10.26
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Q.オオカミはなぜいないの?
A.現在,動物園では約120種の動物を飼育しています。過去には 200種を越える動物を飼育していましたが,「動物福祉」の観点から飼育環境の改善,「種の保全に力を入れるための 選択と 集 中の考え方から,一部の種について飼育展示を止めるという判断をしています。オオカミもその一種で,“見たい”との御要望に添えないことがございますが,御理解下さい。

【飼育を止めた動物種の例】
アシカ コンドル オオカミ ビルマニシキヘビ ホッキョクグマ

たくさんの人が訪れる、特に子供たちが教育の場として利用する動物園でこのような取り組みが行われていることに感動しました。

動物た見たいという子供の気持ちに対して見たい動物がなぜそこにいないのかという理由を伝えることで、子供たちが動物の立場に立って考えるという視点を学ぶことができ、さらに「オオカミやライオンは群れで暮らす動物なのだ。」ということも学ぶことができるのです。

 

ふれあい教室をふれる場から学ぶ場へ

さらに京都動物園ではふれあいのルールを見直す取り組みがなされているそうです。

子供たちの“ふれあい”に使われていた動物はテンジクネズミです。これまでは子供たちが抱っこしたりなでたりするいわゆる“ふれあい”をしていたものを、動物福祉の考えから大きく転換させていました。

それは、従来の「さわる」ふれあいを止めて、ふれあうということを学ぶ空間に変えるという素晴らしいものでした。このふれあい教室では、子供たちがものを使ってテンジクネズミの飼育環境を考えながら空間を作っていくという取り組みをされているのです。

「さわる」ふれあいを「環境を考える」ふれあいに変える。

さわれないではふれあいにならないではないかと考えるのは大人の発想です。

映像に映る子供たちはテンジクネズミを観察しながらどのような空間をテンジクネズミが受け入れるのかを楽しむようにトンネルをつくったり隠れ場所を作ったりしています。

本来のふれあいとは触ることではなく、相手の立場に立って考えること、まさに動物福祉の視点に立つことこそふれあうことの原点だということを証明してくれるものでした。

 

犬の飼い主は誰よりも強く犬の幸せ(福祉)を望んでいるはずです。

ところが飼い主の多くは犬の幸せは飼い主や他人に撫でられたり触られたりすることだと勘違いしています。

犬の立場に立って考えて下さいといったとしても、犬がなでられることが一番大切だと信じて疑わない人がたくさんいますが、質問を変えてみましょう。

犬の福祉(幸せ)を考えるなら、犬が本来の性質を発揮できるようにするために何が必要かを考えて下さい。

先程のふれあい教室のテンジクネズミたちですが、「さわる」ふれあいを止めたことでテンジクネズミの診療が減少したそうです。

触られることがテンジクネズミたちのストレスや病気に繋がっていたことがわかります。

本来は人に触られるとストレスを感じる動物を、さわる「ペット」という道具にしたものが一部の愛玩犬です。

ですが犬を愛する皆さんなら、犬を触る道具として必要としたとは思えません。

犬が本来の性質を発揮できるために何ができるかを考える、これが犬の福祉(幸せ)を考えることです。


 

 

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犬のしつけ・トレーニング成功の秘訣は、犬を変えるのではなく犬が変わる環境を整えること。

当校では家庭訪問型の犬のトレーニングクラスを提供しています。

家庭訪問クラスを開始したのはグッドボーイハートを立ち上げた西暦1999年ですから、24年間このクラスを継続していることになります。

当時は、家庭訪問レッスン型のドッグスクールがほとんどなかったことから、すぐにたくさんの訪問以来を受けるようなった結果、訪問件数が多く回り切れないという状態になってしまいました。

そこで通学するスクールを博多駅近くに開設して、一時は通学型レッスンに変更したこともあります。この時代はスタッフが家庭訪問に回り、私が通学レッスンを担当しながらデイケアスクールも併設していました。しかし、再び家庭訪問レッスンを再開することになりました。

一軒一軒ご家庭を訪問して行う家庭訪問トレーニングクラスは、移動の労力が負担が大きく疲労は連日のことです。提供する側としては通学レッスンの方が圧倒的に楽ができるし時間の都合もつき、さらに多くの件数を受けることができます。にもかかわらず、通学レッスンから再び家庭訪問レッスンに変更したのはそれなりの理由があります。

その理由はとても単純で、トレーニングの成果が圧倒的に家庭訪問レッスンの方が進むからです。実際に二つのクラスをどちらも運営してきた結果なので、家庭訪問の方が効果があるのは間違いありません。

なぜ家庭訪問レッスンの方が効果が高いのか、それはグッドボーイハートのトレーニングの基本姿勢が「犬を変えるのではなく、犬が変わる環境を整える。」だからです。

在校生や卒業生のみなさんなら、なるほどと納得していただけると思います。

犬を変えるのではなく犬が自然と変わる環境を整えるために、一番必要なのは育てている飼い主側の変化です。

 

●家庭訪問レッスンを受講された生徒さんの記録から

先日家庭訪問レッスンの10回コースを終えられた生徒さんが、チェックシートを提出して下さいました。

「本日が10回目なので」ということで、こちらが要求したのではなく、自ら提出されたものです。

シートは次のように整理されていました。

一番左側から「課題」「ビフォー(レッスン前)」「アフター(レッスン後)」

と整理して記入されています。

この写真が実際のシートになります。

家庭訪問レッスンの記録(飼い主作成)



これはまとめのシートとして提出して下さったのですが、このシートにいたるまで毎回に渡って記録された生活管理表も毎回見せて下さいました。


生活管理表は排泄などの生活管理を飼い主ができるようになるために作成してもらうものです。

この生活管理表の中にはトレーニングの回数も記録されています。

ハウスを何度させたか、スワレのトレーニングを何度やったかなどきっちりと練習を重ねてられたことがわかります。

レッスン時には必ず宿題がでますので、それをどのくらい練習されたかで結果は変わります。

大体一日に1回とか2回の方もいる中で、こうして毎日繰り返し練習を重ねられる飼い主さんは尊敬します。

飼い主側が犬に臨む気持ちが行動となって現れるときはじめて犬は変化し始めます。

スワレやフセの練習だけなら通学レッスンでもできることですが、この現場(家庭)
で取り組む姿勢というのは通学レッスンで一緒に時間や空間を共有しなければ実現できません。

上段のまとめシートの「続けること」の欄があることに感動しました。

家庭訪問レッスンは10回で終わり、これでやっと犬のしつけから解放されるという気持ちではなく、ここまで犬と一緒に頑張ってきたことを継続させていこうという姿勢を見せて下さり、こちらも身の引き締まる思いでレッスンを終了しました。

実はこの生徒さんはプロスポーツの熱烈なファンでいらっしゃいました。その推しの選手たちを尊敬するあまりこうした姿勢を身につけられたのかもしれないなと勝手に想像した次第です。

家庭訪問レッスンはこうしたご褒美があるからなかなか止めることができないのですが、質を下げないために件数は増えすぎないように自制しています。

すべてのグッドボーイハート生の皆様が、楽しく学び豊かに犬と暮すためにできることを日々実践します。

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