グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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ヤギのゼットが蛇に噛まれて負傷した。自然の中に生命力を感じたこと。

ある日の夕方、ヤギのゼットがいつも出さない声を出しているのを聞いて、ダンナくんが様子を見にいきました。

ゼットは鼻から出血しており最初は何が起きたのか分からなかったのですが、どうやら蛇に噛まれたようです。

激しく鳴き体をゆする様子からして、ゼットに噛みついた蛇は毒を持っている蛇である可能性も高いです。

アールの方は平常なので伝染病ということはないかと思いましたが念のため家畜保健所に問い合わせて状態を説明しました。

獣医師の先生は、蛇である可能性が高いが心配だったら連れて来られたらどうかとのことでした。

自然界に存在する動物から攻撃に対してヤギたちもある程度の免疫は持っているはずですが、「見ていられない」というダンナくんが軽トラに乗せて家畜保健所に連れていき診療を受けて戻りました。

傷を見てもらったところやはり毒蛇、おそらくマムシであるだろうということになりました。

帰宅したゼットはよろよろと自力で歩きながら小屋の中に入っていきました。

それから次の日も次の日もまた次の日も、ほとんど動くことがありません。

2回ほど小屋から出たところで地面に伏せていて、帰るときには補助をしたり。

小屋に自分から戻った様子だが頭を奥に向けたままで、回転できない状態で倒れているなどでした。

それでも時間がたつとなんとか頭を小屋の表側に向けており、ゼットにできるのはそれだけで、もちろん草など食べることなどできません。

マムシに噛まれて動かないヤギのゼット



細い顔が真ん丸になってしまい、目を開けると瞳孔も開いているので黒目が丸くなっています。

「ゼット、大丈夫…」と頭を触っても動くこともありません。

事件があってから3日間全く動くことがなかったヤギのゼットを見守り続けました。

そして4日目の朝、ゼットが小屋から出て草を食べている風景を見ました。

脚はよろよろ、少し収まったかのように見える顔はまだ腫れています。

草を食べていますが上手く食べられないのか食べこぼしたりむしるのにも時間がかかっていました。


それでも淡々と草を食べ続けているゼットを見てホッとし、また偉いなと関心していました。

誰かにすがったり頼っても解決することのない自分の問題を自分だけで抱え、ひたすら耐えて3日間を過ごし、完全いに回復していないのに自力で草を食べ始める。

動物としては当たり前のことなのでしょうが、騒ぐことに慣れている人間のひとりとしては動物の強さを感じる出来事でした。

何としても生きようとする力がこれだけ発揮されるのは、常に自然の中にあっていろんな生き物と対立したり闘争しながら過ごしているから、生きているのが当たり前ではないからかもしれないと思えました。

人に家畜化された動物であるヤギ、でも私たちが与えているのは小屋と塩だけです。

ちなみに、ゼットといつも一緒にいる姉妹ヤギのアールのこと。

ゼットが瀕死の状態にあることでアールも少しダメージを受けるのではないかと観察を続けましたが、アールの方はいつもと変わりません。

ゼットがずっと小屋から出なくても寄り添うこともないし、ゼットに気遣う様子もありません。

山羊たちの間には共感はきっとあるのでしょうが、人のような感情移入がないようです。

この感情移入こそ人と犬の関係を難しくする人の性質ですから、ある程度にとどめておかなければいけません。

ご心配や応援のメッセージを寄せて下さりありがとうございました。

ゼットの完全回復まであと少しです。

マムシに噛まれた後、回復したヤギのゼット



 

 

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今日はジェーン・グドール博士の生誕90周年記念でした。90歳おめでとうございます。

今日、パソコンの左下のウインドウズの検索ボックスに、変わった絵が表示されていました。

シルバーカラーの長い髪の毛の女性とチンパンジーの絵。

間違いない、これは絶対にあの方のイラストだと確認してそのボタンを押しました。

リンクしたページは「ジェーングドール生誕90周年」でした。

今日は私の尊敬するチンパンジー研究の第一人者であるジェーン・グドール博士のお誕生日だったのです。

このブログ記事でも「ジェーン・グドール」と検索したら8件くらいの記事にその名前が登場するくらい、動物行動学者として心から尊敬している先生です。

世の中には動物のことが好きだという方がたくさんいらっしゃると思います。

テレビの動物番組を欠かさずに見て、YouTubeで動物の映像を毎日見て癒されている方も多いことでしょう。そして犬を動物として愛して止まない方もたくさんいます。

でも、ジェーン・グドール博士のことをご存じの方はどのくらいいるでしょうか。

博士の功績についてはネットから情報を得ることができますし、いくつかの読みやすい本もあります。

野生のチンパンジーたちの研究を重ねながら彼らの森が失われていくことを知って、私たち人が自ら考える機会やヒントをいくつも下さいました。

犬とチンパンジーは全く違う動物ですし、家畜化された犬と野生で暮らすチンパンジーを安易に比較することはできません。それでも、動物との距離感や動物を愛するとはどのような事なのかをグドール博士から学ぶことができました。

グドール博士はひとりひとりが実践するという希望の種を撒こうと現在でも活動を続けていらっしゃいます。

自分にできることは限られているけれど、動物がそばにいる限り、学び実践することが生きることそのものであると思っています。

いつも一緒に学んで下さるグッドボーイハートの皆様には改めて感謝の気持ちを込めながら、何度も初心に戻って学び続けます。

Posted in 日々のこと, 自然のこと

自然の中で長く過ごすと、知覚が鋭敏になること。

年末年始と唐津市のオポハウススクールで過ごす時間が長くなりました。

山の暮らしから都会の暮らしへと移ったときにいつも感じることがあります。

 

山での生活で味覚の変化を感じる

久しぶりに福岡に戻ってほっと一息で癒されるのはずのコーヒーが本当に不味い。

これは、福岡と七山(唐津市内の山)の二拠点生活の中で、山の滞在時間が長くなると毎度起きることです。

実は、ダンナくん(私の主人の愛称)もこうした話をしていないのに同じような経験をしていました。

「福岡に帰って紅茶を飲んだら不味いんよ…。

それで、開封した紅茶がダメだったんだと思って新しいのを開けて飲んだんよ…。

それでもやっぱり不味いんよ…。

で、水や!って気づいたんよ。」

という事ことがありました。

ただ、水が違うだけで美味しいか不味いかが分かれるなら水だけの問題なのですが、これがそれだけでもないのです。

水の違いだけでないのです。自分の舌が違いのわかる舌=味覚になっているのです。

博多で食べておいしいと思えるものが、七山では不味いと感じてしまうのです。

例えば、博多では食べられるインスタント食品が山では美味しいと感じられません。

山にいるときにはどんどん食事がシンプルになっていきます。

普段からごはんとお味噌汁とお豆腐で、と言ってるのもまんざら楽したいだけではないようです。

 

他の知覚よりもわかりやすい味覚の変化

山暮らしで変わっていく知覚についてですが、感覚的に一番はっきりと表れるのは「味覚」です。

接触行動は大脳の辺縁系が関与する原始的行動なので、最初に変化するのが味覚なのかもしれません。

もしくは、私たち人間が味覚以外の知覚が動物に比べて能力がなさすぎるという理由もあるのかもしませんが、いずれにしても味覚の変化は七山滞在時でもはっきりとわかります。

人工的な味付けのものを美味しいと感じられなくなり、味覚のごまかしがきかなくなってきます。それで、どんどんシンプルなものを食べたくなります。

個人的にはもともとその傾向が強いのですが、さらに加速していきます。

実際に変化しているのは味覚だけでなく、他の知覚も鋭敏になっている気がします。

 

嗅覚や視覚、触覚も鋭敏化する

空気がきれいな山の中ではにおいに敏感になります。

都市空間だったらつねにガスや食べ物や人工的な芳香剤のにおいがするため、臭いに鈍感にならなければ生きづらくなります。

ですが、山は土や草のにおいばかりですし空気の流れで常ににおいが流れていきます。

こんな透き通ったにおいの空間では、少しににおいにも敏感にならざるを得ません。

視覚も変化していきます。

常に視覚を遮られる状態で遠くが見えない都市空間と違い、遠くに動いているものもすぐに気づけるようになります。

さらに、ライトにさらされて鈍化してしまった視覚も、太陽の光や影に敏感になります。

肌の触覚にも変化があります。

ポリエステルなどの化学繊維に対して敏感に反応するようになります。拒絶感が強くなるのです。

鈍感な人間でもこれほど知覚に変化があるのですから、犬だったらもっと変化するはずです。

知覚が鋭敏化するというよりは、本来の状態に戻っているような気がします。

 

犬の知覚センサーが正常化するとどうなる

自然環境に暮らし始めると知覚が変化するということが犬に起きると、犬はどう感じるようになるでしょうか。

ジャンクなドライフードを美味しいと思わなくなるか。

洗剤のにおいに違和感を感じるようになるとか。

犬に尋ねてみないとなんとも言えません。

しかし冷静に考えてみるば、知覚の正常化は脳の正常化です。

正常になる、機能性が高まるというのに悪いということはないはずです。

犬の鋭敏な感覚は都市空間では時として邪魔になることがあるかもしれませんが、それが犬という動物だということを知って受け入れるということの方が重要性が高いのです。

要するに、犬がまともになる空間にできるだけ一緒に出かけましょうねということです。

寒い冬の季節ですが、山の空気は夏よりもずっと透明です。

ぜひこの季節も犬と山にお出かけ下さい。


 

Posted in 犬のこと, 自然のこと

都会暮らしの犬の日常に「自然と暮らす」を取り入れるために山を借りるという選択。

グッドボーイハートは「自然との調和を目指す」をテーマにしています。

なんだか壮大なテーマですが、簡単に言えば「犬と人が自然の中で過ごす時間を増やしましょう。」ということです。

犬と自然の中で過ごす理由はたくさんありますが、一番の理由は「自然の中の犬は特別」だからです。

私も一飼い主として犬のオポと都心で暮らし始めたとき、まだ子犬だったオポを連れて山や海に出かける時間を大切にし、時間のある限り出かけていました。

犬には自然が大切なのだと頭で考えたのではなく、犬が山で過ごしているその表情や行動の輝きを見て、単純に犬は自然で過ごすのが心地よいのだと感じたからです。

その思いは家庭訪問クラスの中でもあふれて出ており、これまでにもたくさんのグッドボーイハート生の飼い主さんたちが犬と共に、山へ出かけて下さいました。

休日に山歩きを趣味にしている方

犬とのキャンプを始めた方

そして、中にはこんな新しい取り組みに参加された生徒さんがいらっしゃったのです。

オポ広場で対面するヤギのゼットとシュナウザーのきいろちゃん



その生徒さんは休日に犬といっしょにキャンプに行かれていたのを知っていました。

キャンプ情報としていろいろと教えていただいたこともありました。

「今度はどちらのキャンプ場にお出かけですか?」とレッスンのときにお尋ねしたところ

「実はわたしたち今…山を借りてるんです。」と。

山を借りている…?

ああ、お知り合いの方が山を持っているのだなと勝手に想像を始めたのですが、全く違う内容でした。

その生徒さんが借りている山というのは「フォレンタ」という事業による年間契約の山の賃貸だったのです。

貸農園の山バージョンのようなものです。

山の一角のスペースをレンタルしていて、ルールにのっとれば開拓や焚火やキャンプなどもできるということでした。

人が入らなくなって荒れ果てた里山をこのような事業を通して活用するとは、なんとも楽しいことです。

自分たちの都合でいつでもその「貸山」に出かけてゆっくりと過ごすことができる時間。

キャンプ場では落ちている木を動かしたり環境を変えていくことができませんから、キャンプ場とはまた違った活動ができます。

山の整備をする時間、同行している小型犬ちゃんは飼い主さんについて回り活動を楽しんでいるということでした。

山仕事をする飼い主さんを見守る犬の姿を想像するだけで楽しくなってしまいました。

里山には人が入らなくなり荒れ果てています。

人と山を繋ごうという新しい事業があることを知って未来への希望が広がりました。

近頃は若い世代の方々はマイカーも持たない時代ですが、そのかわりレンタカーがあります。

同じように実家が里山でなくても、山のレンタルがあるなら使う方はもっといるはずです。

使っていない山を貸したいという方もいらっしゃるでしょう。

日本の素晴らしい国土が生きを吹き返し犬と飼い主の安心して過ごせる場所が増えますように。

森林レンタル=フォレンタのホームページはこちらです。

森林レンタルサービス forenta

 

 

Posted in 犬のこと, 自然のこと

動物を人に慣れさせる方法について「餌づけ」から「人づけ」へ

野生動物と「餌づけ」・「人づけ」

動物を人に慣れさせる方法として「餌づけ」という方法があります。

野生動物に対する「餌づけ」法は、古い時代から使用されていたようですが、次第にその方法は「人づけ」という方法に変わっていきます。

 

人づけ法でチンパンジーと交流した女性

人づけにより野生動物との関係性を深める方法をいち早く実践していたのは、私の尊敬する師、ジェーングドール博士であると私は信じています。

ジェーングドール博士は1960年からチンパンジーの研究のためにアフリカの奥地に暮らし、毎日チンパンジーの活動するテリトリーを訪れて観察を続けることでチンパンジーを理解しながら動物の警戒心をとき、チンパンジーとのコミュニケーションを実践した女史です。

京都大学名誉教授でゴリラ研究で著名な山極壽一博士によると、アフリカ大陸の内戦などの影響で一時研究が閉ざされていたのちに、山極博士がゴリラ研究を再開し始めたときにはすでに、「餌づけ」法から「人づけ」法に変わっていたと言われています。(※参考文献「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう(文春新書発行)」

山極先生は、ジェーングドール博士をアフリカに派遣したリーキー氏がゴリラ研究を依頼したダイアン・フォッシーという女史に学んだということですから、人付け法はジェーングドール博士やダイアンフォッシー博士などの影響を強く受けている流れだと考えています。

 

餌づけが動物に与える影響について

餌づけは人に慣れていない動物を人に近づける簡単な方法ではありますが、それにより動物本来の生態に影響を与えてしまいます。

また、餌づけによって動物が人に対する執着をするようになり、動物と人の関係性に強い影響を与えます。

執着によって引き起こされる影響とは、動物が人が好きになるといったファンタジーな話ではありません。

餌づけされた動物は人を感知すると食べ物を連想するようになり、ドーパミンを放出するようになります。

人が動物の興奮性や快楽性を操作する刺激となってしまうため人に依存する関係になります。

野生動物の習性を知るために動物を観察することが目的の類人猿の研究にとって、餌付け法は効果がないばかりでなくデメリットが多い。

時間がかかっても確実にその動物の習性や知性を引き出すことのできる人付け法が効果が高いということを、ジェーングドール博士やダイアンフォッシー博士らの研究者が実践したのではないでしょうか。

それに、研究結果として得られた内容よりも素晴らしいことは、博士たちがチンパンジーやゴリラとうちとけていったひとつひとつの出来事を生んだ過程にあったはずです。

逆を言えば、チンパンジーやゴリラといった野生動物にとって人という動物がどのように認識されていくかを考えるとどちらが歴史的に重要であるかの答えは簡単です。

 

犬と餌づけの話

犬は野生動物ではなく人に飼われる動物です。

少なくとも日本では、人に飼われていない犬の存在は許されていません。それは狂犬病予防法という法律によって、すべての犬は人の管理下にあることを法律で定められているからです。

ところが犬の中には、ノヤギならぬ野犬(やけん)という犬がいて、人の手を離れて暮らす犬が、里や山や都市空間の中にもいます。

野犬には現在でも多くの餌やり活動をする人間がいて、餌付けによって生活をしています。

餌づけは野犬を生かすためだけでなく、野犬を捕獲する方法のひとつとしても用いられています。

ですが餌付けはコミュニケーションの方法ではありません。

人に近づいてきたところを捕獲するためのひとつの方法です。

餌づけによって犬が人に馴れることはありません。

距離が縮まるということと信頼関係を作ることは全く別のことです。

犬との信頼関係をつくるために食べ物は必要ありません。

必要なのは観察、時間、環境、継続、熱意。

そして仲間も大切な存在です。

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「奈良公園の鹿は野生動物」に納得できない理由

奈良公園の鹿の扱いが問題になっているというニュースを見ました。

天然記念物として観光の目玉になっている奈良公園のたくさんの鹿。

しかし、中には農作物を荒らしたり人に攻撃する鹿も出てくるためそれらの「問題のある鹿」は、保護施設となる「鹿苑」という特別柵の中で管理されているという映像と説明をニュース番組で見ました。

その鹿苑の鹿たちの扱いについて内部告発的に訴えが上がり、奈良市が調査に入ることになったそうです。

奈良県のホームページには「奈良公園の鹿は野生動物です。飼育されている鹿ではありません。」とはっきりと野生動物宣言がされています。

ですが、これはあまりにもわかりにくいことです。鹿せんべいを食べる「餌付け」された鹿で、人に対して害を及ぼすものを保護するというのです。

保護された鹿苑の鹿たちは完全な飼育下にある鹿ですから、鹿苑の鹿は野生動物ではありません。

「奈良公園の鹿は餌付けされているのになぜ野生動物なの?」と意見する私に対して、奈良県出身のダンナくんは「歴史があるからしかたないやん」と身内発言でガードしグッドボーイハート内討論は発展しませんでした。

奈良公園の鹿は公園内の草木を食べているという説明となっていますが、鹿せんべいを人からもらって餌付けもされており、せんべいを見せるとお辞儀をするという条件付けから発生した行動のパターンまで身に着けています。

野生動物は餌付けによって人に近づくようになることは、動物と人との長い関わりの中で明らかです。

野生動物をもっと近くで見たい、触りたい、餌を与えたい、仲良くなりたい、といった人間の好奇心や愛情欲求を満たしてくれる最も簡単で時間のかからない方法が、動物に対する餌付け行動、です。

鹿せんべいを与えないと公園の草木では鹿の食べものが賄えないということと、観光地として訪れる人が喜ぶというふたつの理由によって鹿せんべいによる餌やりが始まったでないかと想像しています。

餌付けによって動物は人に慣れていきますが、同時に執着もはじめます。

餌付けによる執着行動は攻撃行動にも発展していきます。

奈良公園の鹿の中に人を攻撃する鹿が一定数出てくることは当たり前のことなのです。

 

私の身近にいる仔山羊のアールとゼットは、全く餌付けをしていません。

人から食べ物をもらうことはありません。

一日中山の中を歩きながら、庭を歩きながら、ずっと草を食べ続けています。

冬になったら枯草を買ってきておいておく必要があるかもしれません。

しかしそれすら、手で与える必要はありません。

食べ物で慣れさせてはいませんが、仔山羊たちは人に慣れています。

人という動物を良く知っています。

ですが山羊は「家畜化」という歴史を通して大昔から人が飼って利用してきた家畜動物です。

野生化した山羊(ノヤギ)は世界的にあちこちにいるようですが、野生として生存し続けている山羊が今なおいるのか、少し調べてみましたがわかりませんでした。

話が山羊にそれてしまいましたが、動物を人に慣らす方法は餌付けだけではないという風に話を続けます。

オポハウスの仔山羊「アールとゼット」



 

次のブログ記事→動物を人に慣れさせる方法について「餌付けから人付けへ」

 

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秋のはじまりもやっぱり犬との山歩きをしよう。山という環境が犬と人に与えてくれるゆっくりとした時間に感謝。

彼岸花にクロアゲハが立ち止まる季節となって、ようやく山の学校にも冷たい風が吹き心地よさを体感できるようになりました。

これから一番楽しい山歩きの季節がはじまります。

この季節にトレッキングデビューできる犬たちはラッキーです。

犬との山歩きクラスについて「何の目的があってやっているのですか?」と尋ねられることがあります。

目的と聞かれると少し返答に困るのですが、犬との過ごす時間の使い方として絶対に外してほしくないことが山歩きなのだと言ったらよいでしょうか。

犬が人と山を歩く行動は非常に原始的なもので、同時に非常に多い経験として脳内に刻み込まれているはずなのです。

犬と人が出会ったのも山だったはずだし、犬と人が協力して活動するようになったのもそもそもは山であるはずだからです。

その山歩きという空間の中では、犬も人も最大限に使わなければいけないのは体全体です。

表面的な刺激に対してただ反応する脳の動きを止めて、一歩一歩踏み出す脚に注意を払うこと、鼻先を通り過ぎる風のにおいを嗅ぐことなど、山の中でもっとも優先させるべきことに集中して歩きます。

犬と暮していると犬が暇していて可哀そうだと思い、室内空間でたくさんのオモチャやオヤツを与えたりゲームをしたり、撫でたり触ったり、抱っこしたりして過ごすことが増えてしまうかもしれません。

しかし、それは犬本来の活動とはいえないのです。

室内でしか過ごす経験がない犬たちが繁殖を重ねていき、犬という動物が次第に自然の中から遠ざかっていくのが時代の流れかもしれませんが、犬が山の中で活動する姿をわたしは自分が死ぬまでは見ていたいなと思うのです。

ほんの数千坪しかない山の学校の敷地でも、仔山羊のアールゼットのお世話や犬たちの活動に付き添うとかなりの上下運動を必要とします。

博多の家だったらどんなに歩き続けても平らしかないはずなのに、山の空間には平らという場所がそもそもありません。

小さいころから都会育ちの私の体には大変なことも多いですが、俊敏な犬や山羊に負けないぞという気持ちで山歩きを楽しんでいます。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

仔山羊がオポハウスにやってきました。山羊との暮らしが始まります。

復旧作業はまだ終わっていませんが、同時並行して仔山羊を迎えることを決めました。

8月2日に仔山羊2頭を七山のオポハウスにお迎えしました。


波佐見町の「お庭」さんという民宿で今年の4月17日に生まれた仔山羊のメス2頭を引き受けるお約束をしていて、本日オポハウスに移動させました。

復旧作業や犬たちのお世話で私たちが迎えに行けなかったため、緊急で作った“山羊部”の皆さんにお願いしました。

引き渡しの様子を聞いた話では、お母さん山羊とのお別れのときにはそうとう強く鳴いたらしく、心痛むほどだったとのことでした。

群れで暮らす習性のある山羊にとって辛い経験になったに違いありません。


移動後は比較的落ち着いて草をもりもりと食べていたのですが、日が暮れ始めると戻る場所に親がいないことを知り猛烈に鳴き始めました。

ちょうど私が不在にしていたのでダンナくんが対応してくれたのですが、なんども逃げだそうとして大変だったらしいです。

日が完全に暮れてしまうとおとなしくなり(電気を消すとおとなしくなる犬のように)、鳴きは収まりました。

ここで起きて、食べて、寝るという時間を繰り返すことで少しずつ慣れてくれると信じています。

それにしても、はじめて山羊を飼うので山羊の行動のひとつひとつが新鮮で目を離すことができません。

すでに預かりできていた犬たちとは遠巻きに対面をさせていますが、山羊の方は反応が低く犬の方が非常に強く反応しています。

8月の夏休み合宿はすでにスタートしているのですが、今年は「犬と山羊」がテーマになりそうです。


 

Posted in 山羊, 自然のこと

災害の日のこと。オポハウス復旧作業進む。お手伝いの皆様ありがとうございました。

梅雨明けの感じのお天気が続いています。

復旧作業を進めつつ、あの日のことをご報告します。

7月10日、豪雨の日のこと

7月9日夜は梅雨らしい雨と雷が続きましたが、9日の時点で避難警報もなく今晩は荒れそうだなと感じられるくらいでした。

10日の朝方まで同じように強い雷でしたが七山では頭上で雷が響くのには慣れています。もっとひどい雷もあったはずです。

雨が強くなったのは明け方の4時前くらいだったでしょうか。

6時前になると雷も止み起きていくとダンナくんがリビングに座っていました。

いつもと違うダンナくんの行動に、何かあったとすぐに気づきテラス側をみると、大輪だった紫陽花がテラスの中央付近まで来ています。

裏の土砂が崩れたのだとすぐにわかりましたが、日が明けて外に出たあとでその惨状を知ることになります。

室内は停電しており復旧を待ちましたが時間がかかりそうだったため、犬たちを広場に連れていき活動していたところへ、普段は会うことのない裏側の地域の方が歩いて上がってきました。

ダンナくんが出てきて話を聴くと「ここから下に降りる道路が封鎖されている」と。

早速ダンナくんがオポハウスから下ることのできる7本くらいのすべての道路を確認に行きましたが、すべて木々や電柱が倒れて封鎖されており、八方ふさがりで孤立した状態となります。

役所や九州電力に連絡を入れて環境が整備されるのをひたすら待ち続けました。

電気が来ない、ポンプが使えないから水がない、災害用の備蓄の水は期限が切れて入れ替えようと思い廃棄したばかりで、状況は最悪です。

「発電機を買っておけばよかった」という嘆くダンナくん。

夕方なって、唐津市内にお住まいの生徒さんがバイクで水をもってきてくれるという連絡を受け一筋の光が見えました。水はダンナが通行できない道まで行って受け渡し的に受け取ってきました。

しかし、その30分後に生徒さんがバイクでうちまで上がって来られたのです。

このときは感動しました。道がひとつ開通したことを教えて下さり、早速荷物をまとめて博多に全員で移動しました。

下山のときに九電工さんのフォークリフトと大型トラックの軍団が何台も連なってすごい勢いで上がっていくのとすれ違いました。

使命感に燃えた勢いというのが感じられて、あとでダンナと「かっこよかったね。」と話したくらいです。

おかげ様で停電は3日目夜には解消しました。

土砂災害の直後


土砂崩れによる被害について

裏の水の道になっているところ、以前から危険な感じがして昨年からつつじを植え続けており、紫陽花もたくさん植えようと苗木を育てているところでしたが間に合いませんでした。

土砂の被害は七山全土にわたっており、みなさんが使われていた観音の滝につながる大きな道も何か所も土砂崩れが起きています。私が七山に来るようになって16年になりますが、この間にはなかった災害ですので今回の雨は十数年に一度のことだったのでしょう。

土砂崩れはうちだけでなくこの集落の家の裏はほとんど土砂にやられてしまい、みな撤去作業に追われています。

オポハウスの裏で崩れた土砂はゆっくりと滑り落ちるようにキッチン裏とテラスへとなだれ込みました。

テラスの半分くらいまで土砂は来ていました。

家は押しつぶされることはなく持ちこたえましたがダメージの状態はまだ確認できていません。

たくさんのお手伝いの力を得て、テラス側の土砂はほとんど撤収できました。

ですがこのままだと新たに控える土砂がまた落ちてくる可能性があるため、余談は許しません。ある程度この作業を続けながら最終的には重機を入れることになると思います。

お知り合いの業者さんもいらっしゃないのと、あちこちで家屋の倒壊もあり業者の方々の手配もままなりません。

わたしたちはしばらくこの状態をキープしながらヘルプを待つことにしました。

災害で起きている自分の変化

早く土砂を撤去しなければという気持ちで、七山にいるときは犬たちのお世話の合間の休憩タイムはすべて土砂撤去に回しています。

休めばいいのにと言われるのですが、気持ちが休まらないから休めないのです。

休むくらいなら1回でも2回でも土砂を運び出したいという気持ちの方が強いのです。

水が気になって夜中に起きて作業を始めたこともあります。

相当のアドレナリンが放出されているようで、疲れないので日々の仕事はいつもより進みます。

繰り返しの土砂をもって立ったり座ったりの作業で、太ももに筋肉がつき自然な筋トレ時間になっています。

犬たちは変わらずいつも通りに日常を過ごしています。

被災したあの日もどちらかというと泥水の方を好んで飲んでいるようでした。

飲み水がないという私たち人間を横目に「いつもより美味しい水がある」と泥水を飲む犬を見て、いかにヒトが自然から遠くなったのかを痛感します。

分蜂して増えたミツバチたちも普段と変わらぬ日常を送っています。

山の水が降りてきて湿原風になってきたオポ広場にはアメンボやゲンゴロウを発見して驚愕しました。

いつ、どこからやってきたのか。

ここに湿原ができたって誰が伝えたのか。

むしろ彼らの方に、これからここはどうなっていくのかを尋ねてみたい気がしました。

犬たちならここが「やばいところ」になってしまったら、滞在するのを嫌がる何かのシグナルを発すると信じることにしました。

自然とつながるセンサーを失ったヒトに大切なことを教えてくれる動物や昆虫たち。

昨晩はテラスにカブトムシが飛んできたのを発見しました。

カブトムシは尾歩山でもめったに見ることはありません。

山の変化に対して行動を起こす動物たちの動きを追うのが楽しい日々です。


 

 

グッドボーイハートに支えて下さるすべての皆さんへ

豪雨の翌日からたくさんの連絡や励ましのお言葉をいただきました。

作業のためにとジュースやお茶の差し入れをいっぱい頂いています。

土砂撤去作業の応援に駆けつけてくださり、労力のいる作業を黙々とお手伝いいただいた皆様のお力添えを得ることができました。

数人でもそろうと力は何倍にもなります。

皆さんのお力で思った以上に土砂撤去が進み、日常が戻りつつあります。

前向きに取り組んでいるとはいえ七山に学校を構えて以来、最もひどい災害を受けたわけです。へこまないわけはありません。

ただ後退や逃げるという選択肢が全くなく、復旧かつ前進という考えと行動にしかいきつかないというだけです。

私たちが生活できる場所は博多にもあります。

ビジネスだけのことを考えたら、福岡や唐津で家庭訪問のトレーニングクラスだけをしている方が圧倒的に利益はでます。

入ってきたお金のほとんどは七山のオポハウスやこの周辺の整備のために費やしてきました。

それでもここにこだわる理由は、この山のふもとの家でみなさんや犬たちと一緒に学び、癒されるという時間が何をおいても一番大切だからです。

災害ばかりでなく老朽化も受けて労力や経済力を問われるたびに、まだここを離れるわけにはいかないという答えしかかえって来ません。

みなさんが駆けつけて下さったその力がまた新たな道を開かせてくれる予感が当たったようです。

本日、重機を使わせてくださるボランティアの方とのつながりを得られました。

早速、役所の方といっしょに現場に来てくださってお話を聴きました。

役所の方には土砂災害を受けたことをすぐに報告したのですが、ここで災害が起きていることを把握はしていたが数回この集落を回ったけれどこの家を見つけることができなかったということでした。

こちらとしては、待ちの状態だったのですがタイミングもあったのかもしれません。

重機を使用できるボランティアメンバーさんたちは、今日の夕方に福岡空港に到着されたそうです。

少しずつ進みつつありますので、また報告します。


 

今後のこと

そんなこんなでお迎えするはずだった子山羊のお迎えが少し後になりました。

月末までにはお迎えに行く気持ちがいっぱいですが、子山羊のスペースを確保するまではヤギ部も待機です。

自然は恐ろしく怖いというよりも自然は力がすごいのだと感じた今回のこと。

無力さを味わいながら小さな存在であるわたしは謙虚であることを繰り返し学ぶ必要がありそうです。

その莫大な力を持つ自然の中で学ぶことはリスクはあるがそれ以上の価値のあることだと信じます。

ヒト、犬、そして日本ミツバチや山羊たちも。

学びの仲間は増えていきます。

Posted in 日々のこと, 自然のこと

異種間コミュニケーションの読み間違い“ひなとダンナくん編”

グッドボーイハートの山の学校では、日常的に様々な野生動物との小さな関わりがあります。

小鳥や昆虫は都市空間の公園や木々でも時折みられるものの、動物たちとの距離の近さが山では圧倒的に近くなります。

そんな日常の動物たちとのやり取りの中で起きた小さな出来事です。

ある日、訪問レッスンを終えて山の学校へ戻る前にダンナくんに業務連絡を入れると、こう報告がありました。

「ひなを発見、巣から落ちたらしい、蛇に食べられるのではないか、保護した方がいいのか?」

私の返答は「そのまま様子を見ること」。

私がすぐに小鳥を保護して欲しいというかと予測したダンナくんは「へーさすがだね。」とリターンを返し私が帰宅するのを待ちます。

帰宅後、ひなの状態を確認すると人を恐れて隠れるモード、周囲に親鳥たちが飛ぶ気配もまだありました。

ダンナくん、ひなが口を大きく開けて俺にエサをせがむのだと、そして親鳥たちが自分に攻撃しようとする様子も見られたとのことでした。

その口を大きく開けてエサをせがんでいるのだとダンナくんが受け取ったひなの写真を見せてもらいました。

ひなの写真の姿は、口を大きく開けて「あっちへいけ」と防衛のシグナルを見せているものでした。

これはエサをせがんでいるのではなく、あっちへ行けっていってるのだよということをダンナくんに説明すると、しごく納得した風でした。

鳥のことを知らなくても冷静に見ればそうだと気付く動物のシグナルも、受取間違いをすることがあるのは、そのときに人の中に「感情」が芽生えてしまうからです。

ダンナくんはこう思ったに違いありません。

「ひなが可哀そう、助けを求めている、このままだと蛇に食べられてしまう、俺が助けなければいけない…」

そんな気持ちが幼く弱者である動物に芽生えてしまうと、とたんに自分は相手の保護する立場となってしまいます。

こうした動物の異種間のコミュニケーションの小さな読み違いが、実は飼い主と飼い犬の間に日常的に起きています。

一番わかりやすく毎日のように繰り返されているのが「犬が飛びついてくるのは人が好きだから」です。

カウンセリングに行くたびに言われるのは「人が大好きなんです。お客さんが来ると人に飛びついていくんです。」というセリフ。

「とびつくのは人が好きだからではありません。」というセリフを、もう何万回いやもう何十万回も繰り返し言っている気がします。

コミュニケーションの読み違いを防ぐために動物の言葉を学ぶ方法はひとつだけです。

同種間のやり取りをよく観察することです。

コミュニケーションの読み間違いは同種でも全くないわけではありませんが、非常に少なくなります。

ひなと親鳥のやり取りを観察することはなかなかできませんが、ひなの口を開ける写真は、ひながエサをもらうときにする口の開け方とは違います。

わたしたちは室内に入ってひなが少しずつ山の方に上がっていくのを観察することにしました。

親鳥たちがひなを誘導するようにたくさん集まってきていました。

もしかしたら巣に戻る前に蛇に取られてしまったかもしれません。

そう想像するとかなしくはなりますが、それが野生なのです。

そんなサバイバルの中で学ぶためには、サバイバル脳になること。

犬たちの脳もサバイバル化すると活性化します。

 

ひなの写真はこちらです。

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