グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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オポと雷のことで思い出したネイティブ・アメリカンとつながる話

昨日のブログ「昨晩、雷の爆音で飛び起きて思い出したオポと雷の日のこと」を書いたあとに、つながりで思い出したある出会いがあります。

思い出話ばかりは面白みに欠けますが、この出会いは私の山暮らしの困難を支えてくれたものでもあるので、皆さんにとって有益であるかどうかは皆さんで判断していただくとして、思い出しついでに語らせていただきます。

前者のブログで書いたように、犬のオポが雷の夜明けに不思議な行動をとったのを見て「オポは何者なのだろう」と考えたときに思い浮かんだのが、その時期に読んだ本の主人公の名前でした。そうだ、オポはローリング・サンダーなのだ、と思ったのです。

ローリング・サンダーとは実在したネイティブアメリカンの名前で、ローリングサンダーを紹介した本はグッドボーイハートの本棚でも紹介しているこの本です。

ロ-リング・サンダ- メディスン・パワ-の探求

平河出版社
発売日 : 1991-01-20
文明の中で育った自分からすると、自然と語り合うセンスを持つ人間が本当に実在していたとしてもおとぎ話のようにしか聞こえないのですが、動物に近い感覚、いや人としての動物的感覚を持ち暮らしていた狩猟採集民族は確かにいたはずです。そして、犬はそもそもネイティブであり、また自分もその末裔なはずなのだという視点を与えてくれる一冊でした。

実は、この本にたどり着くつながりはもっと別のところからでした。

この本よりも前に出会った本は「自然のレッスン」という本でした。「自然のレッスン」は名前を憶えていないのですがどこかのお店、カフェだったか雑貨屋だったか、とにかくどこかのお店で目に留まって開き、すぐに購入した本で、著者は北山耕平氏です。

北山耕平氏はネイティブアメリカンに関するたくさんの記事をブログにアップされており、そのブログを読むうちにこの“ロ-リング・サンダ- メディスン・パワ-の探求”にたどり着きました。

さらに、この時期に北山耕平氏が福岡でミーティングを開くということで偶然にもそれに参加して北山氏に直接会うことになりました。ローリング・サンダーと直接会ったことのある方というだけでとてもワクワクした気分で出かけました。とにかく一言お礼がいいたかったのです。

講演会ではなくミーティングといったのは、本当に円座になって座る程度の人数で、ひとりずつ「なぜここに今いるのか」を語るのが会の始まりでした。

これは、ネイティブアメリカンがとても大切にしている時間のようで、ひとりひとりの話す時間に制限はなく、20名くらいの方が話をしていくと会場の貸し時間を超えてしまい、続きは公園でしましょう、というような本当に珍しい形の会でした。

話は私の番になりました。

博多のドッグスクールを七山に移転させてからまだ間がなかったため、そのことについて話しました。オポの異変がきっかけになり山に学校を移転させたこと。そしてオポという犬の行動を見てローリング・サンダーなのだと感じたことを話しました。最後に、ローリング・サンダーという本を翻訳して下さり、学びの機会を与えて下さってありがとうございました、と述べました。

北山耕平氏は、「あなたが自分についているリードを外すことができたのですね」という旨のことをおっしゃり、そして「ありがとう」と締めくくられました。私がお礼を言うべきところに逆に「ありがとう」と返して下さったことがとても印象的でした。

ローリング・サンダーの本は残念ながら新本がありませんので図書館などで見つけていただくしかありません。分量のある本でしたが、実際に起きたことばかりの物語なので一気に読めます。ファンタジーのように思えることばかりですが、本当にこのような人がいたのだということを北山耕平氏が証明して下さったことで勇気をいただきました。

さて、うちのネイティブドッグのジェイは、まだ都会の臭いを残しつつも少しずつ泥っぽくなりつつあります。

昨日は、私のお昼ご飯のために夢中になって拾っている姿に影響を受けたようで、私が栗を拾っているそのそばで、栗を口で噛んで食べ始めました。これは初めてみる光景で、本当に食べるのだろうかとジェイに影響を与えないようにと思いつつもかなり注目してしまいましたが、殻ごとゆっくりと食べました。

自らその行動にいたったのか、私の栗拾いの執着行動がジェイに影響を与えたのかがわかりませんが、こんな小さな行動を見ることがジェイと過ごす大きな楽しみです。

草を食べるジェイ



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昨晩、雷の爆音で飛び起きて思い出したオポと雷の日のこと

昨晩の未明、ドドーンという爆音で飛び起きました。

手探りで充電式の電気を入れて一息、隕石が起きたのかと思ったのですが、いや雷か…と納得して犬たちや家の状態を見て回ります。犬達はハウスの中で吠えることもなく動くこともなく、事態が収まるのを待っている状態でした。穴に入って寝ている状態ですから、これ以上安全な場所はありません。

ジェイは点検する私の後ろを少しだけついてきましたが、すぐにフセて待機モードに、ダンナくんは起きてこないので、冷蔵庫が止まってるからブレーカーを上げてね、と声をかけて起します。

真っ黒な空を見上げるとピカ、ピカと一億ボルトともいわれる雷の電光が定期的に光っています。季節外れで驚きましたが、今日はこれがずっと続くことになりそうだなと諦めて寝室に戻りました。そしてふと、忘れることのできない雷の日のことを思い出しました。

それは犬のオポと七山に引っ越して2回目の夏のことだったと記憶しています。

その夜はずっと雨が続いていた梅雨の時期で、夜中を迎えると同時に頭上で雷が鳴り響きました。

ピカピカ、ゴロゴロ。ずっとライトが点灯しているかのような明るさでした。山に引っ越しして少し時間が経っていたため、都会ではありえない雷の存在の近さにも慣れ始めたころで、特に怖いという気持ちもなく、安全な室内にいるのだから大丈夫という気持ちで横になっていました。

オポは雷の音を怖がることもなかったので、あまりに気にすることもなく、室内で音と光を感じながら朝を迎えることになりました。

翌朝には雷は収まり朝日が上がり室内が明るくなり静けさを取り戻していました。しかし、いつも私よりも早く起きて座っているオポの姿と気配がありません。

あれ、どうしたかなと立ち上がって調べると、オポは寝室に置いていたソフトクレートの中で横になっていました。それを見た瞬間、すぐにおかしい、何かが起きたのだと察知しました。

何故かというと、クレートに横になったオポは顔だけをクレートの入り口から出すような状態であったこと、オポは目を開けているのに、近づいたすぐに私に反応しない状態であったからです。

大丈夫?と声をかけてひざまずいてオポの体に手を置くと、オポの体が硬直しているのを感じました。そしてその瞬間、オポはぐっと力を入れて立ち上がりドアの方に向かって歩き始めました。

オポの様子がおかしかったため、柵のあるポーチ側の玄関から外に出しました。するとオポは少し排尿をしたあと、地面の上にしばらく座っていました。しかし、やはり柵から出たいとばかり柵の前に立っため、柵を開けると今度は庭の坂を少しだけ上がった場所にやはりじっと座っています。

座ってどこかを見ているというよりも、地面に腰をつけるという感じで座っているのです。山から下りて来るときに警戒するような座り方でもなく、ここに座っているという意志を感じられるような行動でした。

オポが何をしているのかがよくわからなかったのですが、とにかくやりたいようにさせておこうとしばらく見守っていましたが、その時間は数時間に及びました。

この日は午前中に来客があるため、窓からオポの様子をみながら室内の清掃をして、そのうちに生徒さんが到着しました。オポのことをよく知る生徒さんが到着しても、オポは全くその場から動くことがありません。

庭に入った生徒さんはオポを見て「オポさん、何をしているんですか?」と尋ねられました。私にもよくわからないのだけど、昨晩、たくさんの雷があったことで何かが起きようなのだということをお伝えしました。クラスは室内で行われたものの、オポの様子が気がかりでしたが、やはりオポを室内に呼び戻さずにそのままにしておきました。

数時間たって室内のクラスを終えて来客が帰宅する直前にオポが一度室内に戻ってきました。そしてしばらく室内にいたのですが、再び庭に出ていき、今度は土の上に伏せてその日を終えたのです。夜からは異変を感じることもなく、通常のオポに戻っていました。

あの朝オポに何が起きたのか、オポは庭に座って何をしようとしていたのか、を考えました。

雷が落ち続けた結果、オポは体に異変を感じた。推測になりますが、帯電したのではないかと思います。その帯電を、地面に座ってじっとするという行為で放電をし続けたのではないか。

そういえば、私も同じ日にパソコンを触っている時に、いつもとは違い違和感を感じるような感覚がありました。多少過敏なところがある私にとっては珍しいことではないので異変として受け取っておらず、自分の帯電状態に気が付くのが遅くなったのかもしれません。

室内にいても帯電はします。梅雨時期だったので窓は全開でした。雷の電気は屋根を伝って窓から入ることもできたでしょう。そういう意味では完全密室の車の方が安全だったのでしょうが、暑くて車の中にいられるような季節でもありませんでした。

体に違和感を感じたオポが土の上に何時間もしっかりと座っている姿を見て、私は犬という動物と暮らしていたはずなのですが、犬が何であるかをまだ知らないのだと深く思いました。

この「雷とオポ」のはなしは、オポがいろんな行動を通して伝えてくれたメッセージのひとつです。山で暮らしたからこそ見ることのできた、ひとつの風景でもあります。

山にいるオポ

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<オポのこと>新しい家族を迎えること、オポとの別れについて

オポハウスに新しい家族として成犬を迎えることになり、その日が近づいています。

初めての犬との暮らしを前にソワソワするダンナくんを横目に、様々な物理的な準備を整えつつ私もワクワクしています。

オポが亡くなって今年で10年目を迎えます。

オポの旅立ちの後はたくさんあった「先生、もう犬は飼わないんですか?」という質問もほとんどされなくなっていました。

なので、生徒さんたちの中では今さらなぜ犬を迎える気持ちになったのかという疑問も生まれたようで先日、昼食会のときにその質問を受けました。

色々とお話しましたが、はっきりというと犬を飼いたいと思うような気持ちがなかったものが、犬を迎えようかなという気持ちに変化したというだけのことです。

その変化はなぜ訪れたのかは私にもわかりません。

理由を説明しようとすればいくつも思いつくためそれを口にしているだけです。

だって、本当に犬を飼いたいと思うのなら私の行動パターンからしてなんとでもして飼うはずだからです。

だから、私がオポ亡き後に犬を迎えなかったのは、そういう気持ちになっていなかったというだけのことです。

人生の歩み方というのは人それぞれです。

すごく計画的にいつ仕事を変わるとか、いつ結婚していつ子供を産んで…などと理性的に考えることができる方もいるのでしょうが、私にはそのような人生はありません。

犬の訓練士になりたいと思ったからなった、

犬を迎えたいと思ってオポが来た、

山にオポと暮らしたいなと思って山に移り住んだ、

結婚したいと思ってダンナくんと暮らした、

山羊がいたらいいなと思ってアールとゼットが来た、

そして、犬がいたらいいなと思うようになり、今回J(ジェイ)を迎えることになりました。

この流れにプランは一切ありません。

こうしたいと思うことがただ次々とつながっていく、ただそれだけのことです。

オポ亡き後にすぐに犬を迎えなかったことにも、大した理由はありません。

単純に犬を迎えたいという気持ちがなかったというだけのことです。

そして、オポとの別れをどのように整理してきたのかということについても特別なことはしていません。

みなさんがそうであるように、犬との別れは人との別れとはまた違う特別な深い悲しみを育ててしまいます。

自分の悲しみの沼に他人がはまらないようにと接触を避けるようになることもあるでしょう。

しかし、私はオポとの別れで生まれた悲しみや辛さを押し殺すことをしませんでした。

ひとりのときはオポの写真を見ながら思いっきり泣き、オポのことを知っている人と思い出話をしました。

そして何よりも、オポが私とともに育ててくれたグッドボーイハートを続けていくことがオポに対する敬意に繋がると信じて休む間もなく仕事に没頭しました。

家族がいなくなりオポハウスにひとりになったときに強く「家族が欲しい」と思うようになりダンナくんと出会って結婚したのですが、これもまたオポが教えてくれた出会いです。

オポと暮らさなければずっと一人で生きていたかもしれません。

ダンナくんはオポのことを初めて話したときから何故か自分がオポの生まれ変わりだといい張っており、自分の愛称をオポアキとしました。

ダンナくんの仕事である結婚相談所の名前もオポなので、仕事仲間からはオポさんと呼ばれているダンナくんですが、実は一度もオポに会ったことがありません。

ただ、オポが私と彼をつなぐ大切な存在であることを本能的に理解しているようです。

大切な誰かとの別れを乗り越えるのに、時間は絶対に必要です。

でも、別れの辛さや悲しみは忘れることでは解決しません。

時間には過去、現在、未来の三つがあります。

別れを惜しむあまりに時間が“過去”に戻ってしまうとどんなに時間がかかっても癒しは起こりません。

自分の中に起きるのは、後悔という苦しみです。

辛い別れを早く忘れようと“未来”に進みすぎても癒しは起こりません。

自分の中に起こるのは、逃避という苦しみです。

大切にしたいのは“現在”。この時間を生き続ければ癒しはずっと続いていきます。

これもきっとオポが教えてくれたことです。

犬の年齢が進んでくるともうあまり残されている時間がないと感じて常に不安が付きまといます。

でも考えてみれば、自分が明日生きている補償などどこにもないのです。

そんなことを考える時間があるならもっと楽しく充実した時間があるはずです。

犬も山羊もニホンミツバチも、私の周りにいる動物たちはいつもそれを教えてくれます。

今はオポのことを思い出しながらJとの対面を楽しみにしています。

雪の風景のオポ

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大雪予報に警戒しつつオポハウスの雪の風景を懐かしむひととき

明日の夜から10年に一度の寒波が到来するということでご心配いただいています。

ですが本日から博多に移動しておりますので、七山で凍結死する危険は免れました。

ニュースでは2016年11月に唐津市で大寒波があったとのことで記憶を手繰り寄せようとしています。

七山は積雪は当たり前だったと思うので振り返ってみるとこんな感じでした。

2008年のオポハウス



2009年尾歩山を歩くオポ



2011年積雪の庭を歩くオポ



2013年老犬のオポ



振り返ってみてもオポハウスは毎冬が雪との闘いの日々でした。

オポが健在のときには雪の家から逃げることもできず、耐えに耐えて冬越ししたことも懐かしい思い出です。

そして昨年のオポデイは再びの雪景色。

2022年12月オポディトレッキング集合写真



オポディトレッキングの集合写真。前列に座る左端が私です。

雪景色を犬たちと楽しむ時間は大事にしながら、生活には不便を来さない様にしてほしいと望むことは、思い通りにならない自然に対してはただの妄想。

季節の厳しさは人に、なんでも思い通りにはならないのだと教えてくれます。

Posted in 日々のこと, オポのこと |

オポディ&トレッキングクラスは雪景色の一日でした。

毎年オポの命日の12月と重ねて、年末に開催しているオポディ。


準備を整えて楽しみにしてたのに数日前からの雪予報となり、空振りを予測したのに予測が空振りになってしまい、本気の大雪となりました。

早朝ギリギリの決行連絡にも関わらず、スタッドレスタイヤを装備した強者の生徒さんたちや送迎を利用して参加してくださった皆さんに心から感謝いたします。

夜中にベッドの中でざざーという音が聞こえるたびに「ああ屋根に積もった雪が落ちている。めちゃくちゃ降っているな。」と感じながら迎えた朝の風景。


同じ地域の生徒さんもびっくりされるほどのさすが七山の風景です。

今日開催したら雪だから来れない方も出てくるはずとは思ったのですが、雪景色の中ではっきりと思い出したのはオポと歩いた山の風景です。

こんな雪を犬といっしょに体感することはなかなかないことなので、来れる方だけでやろうと決意しました。




人も犬もいつもとは違うテンションで、少しワクワクして寒さもあまり感じられません。

山の中の風景はとても写真ではお伝えできないほど、真っ白でキラキラしてとても美しいのです。

その風景の中を犬と過ごしている時間がきっと愛おしかったと思います。

私はいつもオポとの時間をそう感じていました。


人はみな忙しく一年はあっという間に過ぎてしまいます。

その中で犬といっしょにゆっくりと季節を楽しむ時間がどのくらいあるでしょうか。

山歩きは毎日の散歩とも少し違います。

山は犬のお里です。犬がいなければ分からないのが山。

山は人と犬をつないでくれる場であると考えています。

午後のオポディミーティングでは、特別のバースディイベントもありました。


OPPOAKIくんとはダンナくんのことです。

オポディとかぶったダンナくんのバースデーケーキは生徒さんの手作りの一品です。

あわせて美味しいお菓子、お昼ごはん、お芋、コーヒーの差し入れなどもいただきました。

どれだけ学んでも学びつくせない犬のことを皆さんと一緒に学べる幸せとともに味わいつつ、この一年の犬たちの成長を振り返りながら会はお開きとなりました。

「先生のところで学ばなかったらこんな雪の中を犬と歩くことはなかった。」と生徒さんのひとりがつぶやきました。

わたしも同じ「オポという犬に出逢っていなかったら、こんな山の中で犬について学ぶことはなかった。」はずなのです。

人生で一番貴重なものは出会いだと思います。

ご参加できなかったグッドボーイハートにつながるすべての皆様に、今年もありがとうございました。

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オポディ<オポの日>イベント開催しました。

一年を締めくくる12月にオポディイベントを今年も開催しました。


トレッキングクラスは今年大きなグループクラスでは最後のトレッキングです。

山の斜面は落ち葉で埋め尽くされていますね。

昨晩は冷や冷やした雪も「オポお願い」のメッセージが届いたのか食い止められました。

今年一年を振り返りつつ犬との山歩きを楽しみながら気持ちよく歩いていただいたかと思います。

飼い主さん同士も、犬と犬も、回数を重ねることでお互いを知り安心感と信頼感も生まれてきます。

まだなじまない犬たちもゆっくりと社会化を進めるでしょう。


トレッキングのあとに昼食会+お話会。

お互いの犬との関わり、しつけの悩み、うれしかったこと、辛かったことなど話ができる時間もまた大切です。

何も行動を起こしていない状態での話し合いはただの愚痴の言い合いになる可能性もあります。

一歩でも前進をしている飼い主さん同士だからこそ、うまくいったこと、うまくいかなかこと、できるようになったこと、これから目標にしていることなど、成長を報告し合える会になります。

お互いに勇気づけられたのだとしたら、素晴らしい仲間との出会いを得られたのでしょう。

グッドボーイハートがそのような場や時間を提供できれば幸いです。


そんなオポディ。

昨晩は準備などであわただしく深夜に少し眠っただけでしたが、その眠りの中にオポがやってきました。

いつまでもオポに頼ってはいけないと前進しているつもりなのですが、やはり犬のことになると迷うことも多く、今年もオポを頼って歩んだ一年であったことを痛感しました。

いつもそばにいてくれてありがとう。

生徒さんたちとの出会いに深く感謝し、グッドボーイハートは前進します。

オポ広場に集合。※念のためお顔部分はインクをつけました。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, オポのこと |

今日は何の日、今日はオポの命日。

昨日は七山に懐かしい生徒さんがたちが集まって下さいました。

今日のオポの命日にあわせてお声かけしたメンバーはオポが亡くなった日に埋葬のお手伝いまでしてくださった生徒さんたちです。

オポのあとに旅立った犬の飼い主さんや、今も老犬の余生をゆったりと過ごしていらっしゃる生徒さんもいらっしゃいます。

この時期に集まって懐かしくお話するのが習慣になっていましたが、このご時世でできなかったお顔合わせが久しぶりにできてほっとしました。

わたしもオポという犬の一飼い主として、飼い主同志の対話ができることをグッドボーイハートで楽しんでいました。

わが犬が一番かわいいの自慢あり、自虐あり、他の犬とのかかわりの中で生まれた思い出や、若かった自分だったからこをできたことなど七山の風景とともに思い出します。

オポが亡くなってから6回目の命日を迎えました。

この6年でたくさんの犬と飼い主さんとの出会いと学びをいただきました。

オポがわたしに教えてくれたことはたくさんありますが、何よりもすごかったオポの力は私を七山という山奥に連れてきてしまったことです。

オポがいなければこんな山の中で犬といっしょに暮らすなどということを考えることも決めることも実行することもあり得ないことだったからです。

この集まりの前日にはじめてのトレッキングクラスに参加してくださった生徒さんも同じことを言われていました。

この犬と暮らしていなかったら、山歩きをしたり、マンションから戸建てに引っ越すなどあり得ないことだった、と。

また今日は別の生徒さんからのお手紙にこうありました。

犬のために始めたトレッキングは実はわたしのために必要だったのだと思うようになりました、と。

こうして私の周りで新しい人生を開いていく生徒さんの言葉を聞くたびに、これもまたすべてオポが私を変化させた結果なのだと、やはりオポに戻っていくのです。

だからオポは私の原点です。

みなさんの犬はまだまだ若いのです。

オポが七山に引っ越したのは7歳を過ぎてからです。

そして写真は11歳のときに七山の庭で寝そべる姿です。

この11歳のオポの姿、最後の輝きではありますが十分な輝きがあります。

わたしも最後の輝きに入る年齢です。

オポの姿を思い出しながら気合で犬と向き合っていきます。

19日開催のオポディでは、飼い主さん同士のつながりを深めていただく時間にしていただければと思います。

悩み、愚痴、自慢、なんでもありの時間です。

どうぞお気軽にご参加下さい。

家の前でひなたぼっこするオポ11歳

家の庭でひなたぼっこするオポ11歳

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オポの記念日に思った素朴な疑問「なぜ犬に惹かれたのだろうか」

今日は亡き愛犬オポの記念日です。

先日訪問クラスのときにも「先生のオポさんてもしかしてもう生きていないのですか?」と質問されました。

今でもオポが生きていると思っていてくださったらしく、そうだとしたらオポは今年で21歳になりますね。

日々のレッスンの中にも私の愛犬から学んだ数々の話が盛り込まれるのですが、今日はまた「なぜ私は犬に惹かれてこんな人生を歩むようになったのだろう…」という素朴な疑問にぶち当たりました。

中学生のころ単純に当時飼っていた柴犬と過ごす時間が楽しくて、ずっと犬と関われる仕事をしようと決めたことから始まりました。

ただその時は、今感じているような犬がこれほどまでに素晴らしく魅力的な動物だということは知りもしなかったのです。

多感な青年期に犬との時間が自分にとって心地よいと感じたのは、犬という異種の動物への関心と共に、よくわる若者のひとりとして自分の中に深く立ち入ってこない生き物と過ごしたかったという気持ちもあったのではないかと、今日ふと思いました。

当時私の飼っていた柴犬は人との距離がある程度ある、いわゆる礼儀の正しい犬であったと記憶しています。

その犬にとびつかれた記憶もないし、排泄を室内ですることもありませんでした。

庭で自由に遊ぶ柴犬は夕方になると室内に入ってきて、そこら辺に寝ていましたがその柴犬を抱き上げたりなでたりして遊んだ記憶もありません。

でもなお、庭で一緒に過ごす時間や散歩に出かける時間、室内にいる犬に話しかける時間が私にとって心地よい時間であったのはずです。

犬は程よい距離感で私に立ち入ることなく私の人生に寄り添ってくれるような距離感でした。

もちろん柴犬はよくいうことを聞きました。

来客に吠えたてたり、ものを壊したり、家具を噛んだりはせず、呼べば戻ってくる、リードはちゃんとつけることができる、攻撃されたこともないし、訓練をしらない私でもかかわることはできたのですが、母がしつけたのだと思います。

このお互いの境界線を越さないという犬の習性であるルールが乱れ始めていると感じています。

境界線を先に越したのは犬ではなく人の方です。

人と犬の境界線、もし踏み越してしまったと感じたらいったん少し離れてもう一度距離を取り直してみてはいかがでしょうか。

犬はより良い環境を関係性に順応してくれる動物であると信じたいのです。

やり直しに時間はかかると思いますが、それもまた生きるということです。

オポも7歳まで都会でストレスを重ねていきました。

7歳から七山に移住しましたが、やり直すには遅すぎたと当初は思っていました。

でも今はどちらも自分にとって必要な時間であったと受け取っています。

オポ21歳のお誕生日おめでとう。

 

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オポとの雪遊びを思い出しながら自然とつながるセンスを考える

お預かり犬ちゃんが雪の中で遊ぶ風景を楽しく見守っていました。

犬が楽しんでいるのかどうかは不明なのですが、とりあえず少しテンションが上がってでもちゃんと抑制もかかっています。

動いたりとまったりの行動の繰り返しが、アクセルとブレーキをちゃんと使っていることがわかります。

興奮するでも抑制する。

動物の行動はこの繰り返しです。

犬を興奮させすぎることには反対ですが、犬が自然の力をどのように受け取るのかは見届けたい。

でもそんな自然の変化は街中では感じることはできません。

オポと博多のマンションに暮らしていたときに冬になって山のほうで積雪があったと聞くとどうしてもオポを雪の風景の中に連れて行きたくなりました。

知人と連絡をとったのですが凍結しているので車は下においてくるしかない。

それでオポと凍結の始まるその山道を3キロ以上の道のりでしたが歩いて上っていきました。

到着するとふんわりとした雪の風景が広がり、オポはいつもとは違う匂いと感覚にテンションが上がります。

それでもちゃんとブレーキのある犬だったので、走ったり止まったりを繰り返しながら安全に周囲を確認しながら探索を続けていました。

下道から歩いてきた私とオポに知人はびっくりしていましたが、そもそも犬を通して知り合いになった方なので私の犬に対する思いはちゃんと理解してくれます。

雪遊びが済んだあとは少し部屋で暖まらせてもらってそれからまた山道をとぼとぼと歩いて下り車でマンションに帰宅したのです。

犬にとって何が幸せなのかもちろん私にもわかっていません。

でもどうして山にたびたび向かったのかというと、山にいくと犬の目の輝きや体の柔らかさや体全体からあふれてくる躍動感が違うと思ったからです。

そんな経験の積み重ねでオポという犬が自分の機能をできる限り発揮する機会をつくってあげなければと考えるようになったのだと思います。

理由はあとからくっついてきただけで、最初はこっちのほうがいいような気がするという感覚から始まっていました。

福岡などの都心で訪問レッスンや通学レッスンを受けてくださった生徒さんたちを山遊びや山歩きにお誘いしている理由は、山で過ごす犬をちゃんと受け取られるようになれれば犬が山で生き返ること、犬が山の動物であるということを頭でなく心で感じていただけるのではないかと考えているからです。

しかしそのためには飼い主さんの方にも一定のセンス(感受性)というのが必要であるということがわかってきました。

この自然とつながる感受性は小さいころに自然とかかわりながら成長した人の中にはあるのですが、最近ではマンションで育った子供さんも増えてきたのでなかなかそうしたセンスは簡単には身につかないのだということも現実として見えてきました。

昨年からのコロナウイルスという猛威によって価値観はいろんな場面で二極化しているのでは感じています。

動けなくなる人、戦う人。

都会と田舎の二極化生活。

自然と都市のバランス。

コロナウイルスの到達しそうにない七山ではそんなことも考えていました。

都市空間は犬には少しやっかいな環境になりました。

グッドボーイハートしてできること、ひとつずつ考えて行動して前進します。

 

オポが見てるから…ですね。

2011年グッドボーイハート七山のオポ

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一年の終わりにいつも思い巡らすことを今年も再考して前進するしかないか。

毎年年越しのこの31日にお決まりで降る七山の雪。

豪華とはいえないのですが今年はちゃんと白いお化粧をまといました。

福岡と七山を行ったり来たりする生活の中で「先生はいったいどこにいるのですか?」とよく尋ねられます。

仕事のためにほとんど福岡で人として生活しています。

でも年越しは七山のこのオポと暮らした家でと思って今はここにいます。

 

12月31日、あと少しで新年を迎えるときにココで考えたいことがあるからです。

この山のふもとの家は、私の人生の中であり得ない選択だったからです。

なぜこんな山の中の寒くて不自由で寂しい場所に住んでいるんだろう。

そう考えたときに、オポという犬と出会ったからだと思い出すからです。

オポが山で過ごす時間を作るために、この山奥に引っ越して来ました。

 

そのオポが旅立ってから5年がたち、なぜここにいるのだろうとここ数年は考えました。

この山で過ごす犬たちのひとときを見たいから…確かにそうです。

山を歩く犬の姿、山の空気を呼吸する犬の表情を見るとなぜかほっとするのです。

しかし、どんなことでも他人のためにということだけでは通用しません。

与えられた時間と場所は自分の成長のために必要だからというのが鉄則だと思うからです。

私にはまだこの厳しい山の中で学ぶべき何かがあるのだと、

だからここを離れることが今はまだできないのだと体が感じているのです。

 

ではなぜ、今私のそばには犬ではなく人というパートナーがいるのだろう。

人として学ぶべきことがまだあるから、今はそう思っています。

犬のことをなぜ学んでいるのか。

犬が好きだから、そして人としてまだ未熟だからです。

 

この令和2年は世界中の人類の同士と共に人として今まで考えられなかったことを体験してきました。

マスクを外せなかった一年があと少しで終わります。

人として考えること、人として生きるということに向き合わなければ、犬が犬として生きる姿を見ることもかなわないのだとやっぱりここに行きつきます。

 

人と暮らすすべての犬たちが犬として生きる時間を少しでも得られますように。

犬と暮らすすべての人たちが人として犬と共感する時間を持たれますように。

そして何より自分のことは人として少しでも成長しますように。

 

良いお年をお迎えください。


 

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