グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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【愛玩犬】と【赤ちゃん】犬は全く別物だということをご存じでしょうか。

先日のブログ記事で平岩米吉先生が書籍「犬の生態(築地書籍出版」の中で「犬の用途と種類」について紹介されていることを書きました。

その「犬の用途と種類」の中に【愛玩犬】という種類があることもご紹介しました。

平岩先生の【愛玩犬】について記されたことをここに引用します。

愛玩犬(あいがんけん)

どんな犬でも家族の一員として飼われている以上、愛情の対象にならぬものはありません。しかし、一般には、他に重要な役目もなく、ただいつも飼い主のそばにいて、そのさびしさや退屈をまぎらわらす遊び相手となっているものと、特に愛玩犬と呼んでいます。

したがって、愛玩犬はほとんど小型で、優しいものか滑稽なものに限られ、プードル、ポメラニアン(肩の高さ10センチ)、ペキニーズ、(肩の高さ10センチ)、チワワ(体重一キロ)、狆といったようなものになります。

もっとも、なかには、ボルゾイのような大型のものでも本来の猟犬としての使命を失い、その美しい姿だけをあいされるようになったものもないではありません。

犬の生態 平岩米吉先生著書 より引用

犬が人のそばで役割を持っているとすれば、愛玩犬もまた役割を持っているということであり、その内容なここに書いてあるとおりです。

飼い主のさびしさや退屈をまぎらわすためにいるというのは、実際のところ事実であると思います。

犬がかわいいからそばに置いておきたいという人側の都合は、結果として人の気持ちを救ってくれる存在となっているのは、どなたも認められることですし、それは間違っているとは思いません。

むしろ、人の寂しさをまぎらわすために人のそばにいてくれる動物として犬に感謝すべきだと思います。

ただ、大きく間違っていると感じるのは、愛玩犬と赤ちゃん犬を混同していることです。

平岩先生のいう愛玩犬とは、犬としてきちんと成長した小さな犬や姿の美しい犬のことです。

ところが、今たくさん見られる犬たちは愛玩犬ではなく赤ちゃん犬です。

赤ちゃん犬とは、すぐに吠えたり、トイレを失敗するのでおむつをしていたり、散歩中におもらしをします。

赤ちゃん犬は飼い主がいなくなると騒いだり、留守中に家具をかじったり、布を噛んでひきちぎったりします。

赤ちゃん犬は、すぐにキュンキュンというし、飼い主に飛びついてきます。

赤ちゃん犬は、嫌なことがあるとすぐに唸るし、かみつくこともあります。

赤ちゃん犬は、他の犬たちと上手なコミュニケーションがとれず、走り回ったりするけれど普通に会話ができません。

とりあえず赤ちゃん犬は赤ちゃんなので、人のいうことはききません。

つまりはしつけができるような状態にありません。それが赤ちゃん犬です。

愛玩犬として育てるのであれば、きちんとした犬に育てなければなりません。

赤ちゃん犬として扱われている犬は、成長する機会を与えられることがなく、ひとつの犬格として尊重されていないのです。

飼い主としの責任は犬を愛しかわいがることですが、犬を育てることもまた飼い主としての役割です。

平岩先生が現代の小さな犬たちの行動を観られたら、どのように評価されるのかと思います。

愛玩犬でもいいのです。人を救うすばらしい役割だと思います。

立派な愛玩犬に育てていきましょう。

山岳犬・番犬を務めるきいろちゃん



 

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映画「グレース・オブ・モナコ」の中に見る純犬種犬の行動と役割

映画を見るときにも映画の中に出てくる犬の行動がいちいち気になって仕方がないのは、もはや職業病だとは思います。

スクリーンの中の犬の姿があまりにも擬人的のときは嫌悪感がしてみるのを止めることもあります。

日本のテレビ番組で犬を見る気にならないのも同様の理由です。

しかし、中には映画の中で犬という動物について明確に記されているものもあります。

少し前に見た映画「グレース・オブ・モナコ」に出てくる犬もそうでした。

この映画はグレース・ケリー・モナコ王妃の自伝的ストーリーです。

ハリウッドの映画スターであったグレース・ケリーがヨーロッパのモナコ王の王妃となったことはまだ歴史に新しく覚えのある方も多いかと思います。

映画の舞台はモナコ王室で当時の貴族たちのきらびやかで豪華な生活を映画としてみることができます。

細かく再現することに意味のあったこの映画では、当時の貴族が飼う純犬種の姿もまた正確に再現されていると感じたのです。

最初に登場した犬はスパニエル系の大型犬2頭です。

グレース・ケリー王妃が貴族として作法を学ぶために通った貴族の家にその犬はいました。

最初にスクリーンに出てきたときの犬の姿は「フセの姿勢」。

2頭とも尾を振ることもなく顔を動かすこともなく、微動だにせず「フセてマテ」の待機状態で室内の暖炉の横当たりにいました。

犬の伏せている部屋で貴族の男爵がグレース王妃と会話をしています。

知らない人が見たらきっと「置物」だと勘違いされると思います。

場面が変わると城の庭部分を男爵と王妃が一緒に歩いています。

その横を先ほどの2頭の犬たちが駆け抜けていくのです。

庭では一定のルールを守れば活動を許されているということなのでしょう。

生き生きと走り抜けていく姿が非常に気持ちが良く「仕事終わった!さあ遊ぼう。」という雰囲気が出ています。

 

別のシーンに登場したのは、トイプードルです。

王室の子供が大人の会議中に地面に座ってトイプードルと遊んでいます。

トイプードルはまるで玩具、子供を傷つけないようにしつけをされている様子に見えます。

怯えもなく、小型犬特有の表情のなさはありますが、緩やかに動きを表現しています。

もちろんトイレシーツなどありませんし、マナーパッドなどしていません。

 

犬という動物を考えるときに、まずは犬という動物であると考えるのが始まり。

そしてその枝として純血種という犬について考えてみる必要があります。

純犬種犬は人が必要としたために作られた人為的繁殖による犬種です。

使役犬としてのはじまりはあったものの、現在の純犬種として系統立てたのは貴族の利用によってです。

貴族そのものが血統と純血にこだわる必要のある存在ですから当然のことです。

純犬種は系統事に役割と形が決められていました。

まさに貴族の階級制と同じようなものです。

純犬種はヨーロッパではひとつの文化であり伝統でもあるのです。

形と用途の両方が受け継がれているのかどうかは実際に見たことがないので不明ですが、その文化の中にいた犬の姿をこの映画では見ることができました。

この映画に出てくる犬の姿を日本人なら「かわいそう」というかもしれません。

しかし小さな室内に閉じ込められている犬を見てヨーロッパの犬を飼う方が目をそらしているとしたらどうでしょうか。

貴族のように純犬種を飼うことを進めているのではありません。

実際にはそんなにスペースもないですし、そんなことを言ったら犬は飼えません。

しかし犬のことを理解せずに犬を幸せにすることはできないというのは真実です。

犬は屋外の動物であり、犬の習性を崩さない、その上で犬を活用してきたという意味では純犬種という文化をもつヨーロッパの人々の中に学ぶこともあります。

しかし文化も永遠ではありません。

純犬種が生まれて200年近くがたとうとしています。

繰り返される人為的繁殖にどこかでひずみが生じるころです。

犬と暮らすなら犬のことをたくさん学んでください。

それは犬との暮らしを楽しくすることに必ずつながっています。


 

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おすすめの本「快楽としての動物保護」信岡朝子著・講談社選書メチエ出版

久しぶりに「かじりついて読んだ本」をご紹介します。

題目の本ですが「快楽としての動物保護」信岡朝子著です。


著者の信岡朝子氏は比較文学がご専門の文学研究学者であるとのことです。

博士課程論文に筆を加えられたとの内容が同書の「おわりに」のところで紹介されています。

本書を探したのはアマゾンで偶然見つけたのですが、この題名にすごく心を揺り動かされました。

動物保護か決して快楽と同等とは思ってはいないのですが、動物保護は動物ために必要なのではなく、人のためにあるのではないかと常々思っているからです。

さらに、本書のサブタイトルとなっている「『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ」にも大変ひかれました。

映画「ザ・コーブ」は日本のイルカ漁を取り上げて話題になった映画ですが、同時にその後にこたえるように作られた映画「ビハインド・ザコーブ」を見たあとも、思うことがたくさんあるのだけれどなかなか言葉にはできないもどかしさのようなものがありました。

動物を助けたい、救いたいという単純な気持ちで起きている動物保護活動。

純粋で単純な気持ちであるはずのものも、莫大な歴史の流れの中に取り込まれており、私たち人類の歴史上の活動であることは間違いないと思います。

それは咲いている花をただ眺めてきれいだと思うだけの単純な気持ちとは違うからです。

 

この本のどこがいいのかを一言でいうことはできませんが、とにかくたくさんの方に読んでいただき、たくさんの犬と暮らす人がそれぞれの頭の中で考えていただきたい本なのです。

本の中に出てきた様々な動物にかかわきた方々から私はたくさんのことを学んできました。懐かしい名前もたくさんありました。

犬と狼について語る平岩米吉先生、オポの名づけとなったエルザの本の藤原英司先生、チンパンジーとコミュニケーションをするジェーン・グドール博士、イルカの脳の研究をするリリィ「博士、熊を負った星野道夫氏、そして尊敬するローレンツ博士…。

本を読みながら自分の頭の中の歴史を追うように夢中になって読みました。

この本は動物保護を否定するものではありません。

ただどんな歴史の中にも「良かれと思ってやったけれどやはり違っていた。」ということはあると思います。

自分自身の動物に対する愛、また世界の中での大きな動物保護活動という力についてもう一度考える機会にしていただける本だと確信しています。

読まれた方、感想を聞かせてください。

みなさんと語り合いたいです。


 

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冒険家の本を読んで「犬の育て方は愛情だけではうまくいかない」こと

本を読む一年の今年の一冊「極夜行前・角幡唯介著書・文芸春秋出版」を読み終えました。

著書の角幡唯介氏は探検家として大変有名な方です。

この本はカナダの北極圏の果ての果て、私には到底想像もできないような過酷な土地を探検する「極夜行」の前についてつづった本です。

冒険家に対するあこがれとこの本の一部が「犬を育てる」という内容であったことから読んでみました。

極地に向かうための準備、できるだけ機会を使わずに人としての能力に挑戦するアナログは手法には驚きと感嘆しかなく、わからない内容も多くて想像もできないほどでした。

読書の目的となった「犬育て」ですが、極地を移動するための手段として現地のイヌイットからそり犬から繁殖された若い犬を一頭買い求め、自分との関係を作りながらそりを引くことを教えてつつ極地を移動する予行練習に挑むという内容でした。

予行練習といっても命かけの極地の移動です。

犬はまだ未熟で人に服従もしない、食べ物を見つけるために手伝うわけでもない…。

そりを引くことすら拒否をする、自分の思い通りにならない犬に対してどのようにしたら犬が自分のいうことを聞くようにできるのか混乱する著者の姿がそこにありました。

自分がよくできたと思うときにはほめるのだけど、できていないというときには叱る。

このままでは死ぬのではないかと思うときには、自分の感情を思いっきり込めて叱って犬の方に理解を求める方法。

犬がいなければここでは生きていけない、移動は続けられない。

でも犬がどのようにすれば自分のいうことを聞くかどうかわからない。

犬に対する愛情だけは伝わってくるのですが、残念ながら愛情だけでは犬は役立つ犬にはならないのです。

ただかわいがり餌をあげて、あとは自由に過ごしていいよという昭和以前の放浪犬と同じように接しても、使役犬としては十分ではないということです。

その後、この犬はイヌイットの元に戻りそり犬のグループに入れられて、そり犬としての成長を果たしたことも書かれていました。

愛情では育たなかった犬、素地はあったようでそり犬というグループの中で犬から学んで身に着けた使役の性質、間に合ってよかったです。

大切にしたこの犬を連れて実際の極夜にのぞまれるこの本の続きもまたいつか読みたいと思いました。

犬育てはあくまで「愛情ベース」犬に対する思いや愛の強さが伝わってくるものです。

ほめたり叱ったりと、感動する方は感動するかもしれません。

またほめたり叱ったりして犬に対する愛情を表現できることは人としての喜びであると思います。

現実的に今の日本で犬を育てるためには、このスタイルは通用しないのです。

犬は一定の管理の元で飼うことが義務付けられているこの日本での犬育て。

犬に人を理解するように求めることの前に、まずはこちら人の方が犬に対する理解を学ぶことの方が先です。

それが効率が良くお互いにストレスの少ない「犬の育て方」です。

角幡氏の犬に対する接し方を否定するつもりはありません。

何かを極められる方は、他の分野でも気づきが早いからです。

犬は人の間違いをいつか許してくれる可能性が十分にあります。

そうでないとたくさんの間違いをおかす人との暮らしは苦しいばかりです。

一緒に生きるか死ぬかなどと、そんなパートナーはなかなかいないのです。

それこそが人と犬。

犬はファンタジーではないと教えてくれる本でした。


 

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「感染症と文明ー共生への道」を読んでヒトという生き物を考える。

新型コロナウイルスが変異して広がっていくこの世界で、私たち人の生活様式にも変化が求められている気がします。

ウイルスなど日常的にどこででも接触するものなので、ウイルスを全く排除してしまいという発想が自分の中にはありません。

ウイルスと私たちヒト科ヒト属の歴史を知りたくていくつかの本を読みました。

その中のひとつが「感染症と文明ー共生への道」著者は山本太郎氏です。

2011年6月の初版された本ですが、2020年4月には増刷されています。

新型コロナウイルスの広がりを見せた昨年に相当の方がお読みになったのだろうと推測します。

 

私が山本先生のこの書籍を読み最も強く思ったは、ウイルスによる感染症をひろめっていった動物を最初に挙げるとしたら、それはやはり人であるということです。

ヒトという動物ほど地球の中を移動する動物はいません。

未開の土地に住む原住民が、次々とヨーロッパからやってくる人による感染で倒れていく姿がありありと想像されました。

文明の進化によって感染は一気に広がったのです。

今ではその文明の進化が足かせとなり、今度はウイルスの蔓延を抑えるために、文明の道具である「移動」に制限をかけられることとなっています。

私たち人の招いた結果、おそらく多くの科学者がこうなることを予測していたとは思いますが、だからといって進化を止めることができないのもまた人です。

 

犬に思いをはせると、こうした進化しつづけることに執着しなければいけない人という動物と共に生きることになったために、彼らもまた多くの感染にさらされてきたといことです。

そのため今は犬のワクチン接種は9種という膨大な数に上っています。

この数がもっと増えてしまうのではないだろうかと思います。

ウイルスや細菌が全くなくなってしまうことはない「共生」するしかないのだと誰でもがわかることなのにその「共生への道」がわからずに現在右往左往しているのが今の私なのです。

本書には山本太郎氏がこのように記されていました。

「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」

同じ言葉をあとがきでも記されています。

「決して心地よくない妥協の産物…」

これこそ犬が現在、私たちの足元で人との暮らしの中で抱えている共生への道にも通じるのではないでしょうか。

ウイルスとの共生

犬との共生

犬にとっては人との共生

山本先生は「共生なしくて、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。」と言われます。

「決して心地よくない妥協の産物」は人と暮らす犬だけに課されるのではなく、

犬と暮らす人にも課されるのだと思います。

お互い様とはいきませんが、相手を理解する努力だけは忘れずにいたいとこれからも勉強します。

とりあえず免疫力をアップさせるには太陽に当たることというのは動物の基本です。

気持ちの良い季節です。

密にならぬよう太陽の下で遊びましょう。

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「自閉症のボクが飛び跳ねる理由」を読んで

犬のことを知りたくて犬以外の動物の行動に関する本を読むことが多いのですが、どうしても人や子供に関する本に手が出てしまいます。

犬という動物と、人という動物の共通点と相違点を探し出したいという関心があること。

犬の行動の中で精神的なバランスを崩したり脳の異常によって起きる行動の仕組みをもっと知りたいということ。

そんなことが人に関する本を読むきっかけになっています。

以前「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読んだことがあります。

自閉症と診断された男性が書いた本で、他の友達と違う行動をする理由などが行動別にいろいろと書いてあります。

もちろん内容は著者の東田さんを理解するご家族と一緒に書かれたもののようですが、彼らの中には彼らの世界があることを尊重したいという感想を抱いた本でした。

そして何より、東田さんを尊重できる理解者がいることで彼の世界には幸せがやってくるのだと感じたことです。

人間なのですからいつも幸せということではありません。

悲しかったり、苦しかったり、悩んだり、ワクワクしたり、ドキドキしたり、ハッピーになったりといろいろとあることを尊重されているということです。

 

実は犬の中にも、自閉症の人と同じような行動をする犬がいます。

犬が自閉症なのか?と驚かれるかもしれませんが、実際に室内から出られない、リードにつながれている、外敵に囲まれて行き場がないと感じている犬は閉じ込められた世界にいるのとなんら変わりはないと思います。

犬の中には犬としての自分の世界を生きることが難しくなり閉じこもりがちになる自閉的な行動をする犬もいるのです。

それ自体は大きな問題もないのですが、一番問題となるのはそうした自閉傾向のある犬に対する理解者がいないことなのです。

犬の一番の理解者といえば犬の飼い主であるべきです。

しかし、飼い主の方が犬のこうした傾向に気づくことができず、閉じこもろうとする世界の中にたくさんのものを詰め込んでしまうことがあります。

これがあったら幸せになれるよ、こんなこともあるのよ楽しいのよ、と外からどんどんと犬に押し付けていっても、犬は混乱を生じるだけなのです。

犬が閉じこもりたいと思うならその世界を尊重し、同時に少しでも世界を広げてもいいなと思えるような環境を整えて、一緒に楽しめるときにはその時間を楽しむ。

あくまで犬を尊重することが、どんな犬にも大切なことなのです。

 

実はこの書籍が映画化されていたことをつい最近知り、思いついてブログ記事にしました。


 

 

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おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。

今年は良い書籍に巡り合えるという予感があったのですが、さっそく出会いがありました。

生徒さんからすすめていただいた本「馬はなぜ走るのか」辻谷秋人著・三賢社出版です。

本の紹介によると著者の辻谷氏は中央競馬ピーアールセンターという会社に所属されその後同社が発行する競馬雑誌「優駿」の編集に携わっているライターの方です。他にもいろいろな活動をされているのかもしれませんが、いずれにしても競馬に精通している方といえます。

その辻谷氏が書いた競馬の主人公であるサラブレッドという馬の本、タイトルを見たときは「馬の走り方などの仕組みの本なのかな?」と思ったのです。

本の帯にもこうありました。

「進化、行動、運動生理・・・・。

サラブレッドの生態・肉体を、

「走る」をキーワードに切り取った、

スポーツ科学的ノンフィクション。」

この帯の紹介からみると「仕組み」の話なのかなとはじめはふんわりとページをめくりました。

ところが、この本のテーマは全く別のところにありました。

本のテーマは「馬は好きで走っているのか?」という素人の問いに対する答えが主軸となっているのです。

その答えとは「馬は競馬のように全力で走ることが好きではない。」というものなのです。

多分そうだろうなと今まで思っていたことをこうやって現場の専門家の言葉として書いてあることで本当にすっきりしました。

競馬ファンならとても受け入れられない(本の中にもそう書いてありました。)こういう見方を「こういう見方もあっていいのだ」と書いて下さったことにも感動したのです。

この本が面白いのはただの感情論ではありません。

そもそも馬は競馬のように…いや私の言葉でいうと、馬は競馬場で全力で走ることを好んではいないという見方がどう発生しているのかという部分についてはとても生理学的、行動学的にとらえてあり納得のいくことばかりです。

さらに鼻息あらく便乗させていただくと「犬はドッグランで走ることが楽しいのか?」となるのですが、犬と馬では立場が違います。追うものと追われるもの。

追う者である犬の方は走るのが好きに決まっていると考えるのもまた単純すぎる発想です。

同書の中には動物として犬とつながる部分もたくさんあって、馬という動物、サラブレッドという生き物がより身近に感じられました。

また、社会的な背景についてもサラブレッドには純血種犬と同じような状況が起きていることを知ることができました。

この本の中からいくつものブログネタをいただいて書いていきます。

犬に対してもっと広い見方をしたい方にはおすすめいたします。

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<本の紹介>自然治癒力を考える本「精神科養生のコツ」神田橋條治著

「精神科養生のコツ」はやさしく面白い本

 

久しぶりにおすすめの本の紹介です。

先日からブログに投稿させていただいた「自然治癒力」を学ぶために愛読している本をご紹介します。

神田橋條治先生の「精神科養生のコツ」です。


書籍の表紙や題名はいかにも精神科医の先生方が手に取られるような重厚な感じです。

しかし中身は大変シンプルな内容です。

一部をブログ記事でも紹介しましたのでご覧ください。

<犬・自然のこと>犬の自然治癒力を考えるために自分の自然治癒力を考える

神田橋條治先生は九州大学医学部出身なので地域的に親しみを感じました。

一般の方を対象に書かれたものと思われるほど、やさしく分かりやすい文章です。

しかも、自然治癒力を大切にするための自分が試せる具体的な方法が掲載されています。

その内容には科学的な根拠のないものもありますが、試してみても副作用のないものばかりです。

やってみて気持ちが良ければ続ければよい、それが先生のお考えのように受け取りました。

 

私が自然治癒力を学ぶことになった理由

 

犬の自然治癒力については、動物病院や食の専門家などいろいろな犬のプロフェッショナルの先生方がそれぞれの立場で考察されたものがあります。

家庭犬インストラクターとしての自分が犬の自然治癒力について学ぶようになったきっかけは、その職業としてではなくむしろ一飼い主としての立場からでした。

福岡市の博多駅近くにドッグスクールを構え、休みなく犬のトレーニングやドッグデイケアなどの犬のしつけのためにできることを取り組みました。

その間、共に暮らしていた愛犬は私の仕事の手伝いに付き合わされて消耗していきました。

そのことに気づいたのは彼が最後のメッセージを表情にして訴えたときでした。

約束を果たさねばと思い、山の中にある家(現在の七山のグッドボーイハートです)を見つけてオポを移動させました。

そこで自然治癒力に任せて元気になるなどという妄想は抱いていません。

ただ、自分は飼い主としてオポという犬と約束した「山に暮らそう」を彼の命のあるうちに果たしたかっただけです。

そのうち自然の空気と土と臭いの中で、消耗した犬は元気になってきました。

ただ健康になっただけではなく、それまで都会で見ることのなかった行動をたくさん見ることができました。

このことが今のグッドボーイハートの犬のトレーニングの基盤を固めたものになりました。

 

犬の自然治癒力にこだわる理由

 

自然治癒力というのはツールとして使われてしまうことがあります。

ツールとして使った方が、取り入れやすいし説明しやすいからではないかと思います。

どんな食事を与えた方がいいとか、どんなサプリメントがいいとか、どんなマッサージがいいとか、これはすべてひとつの形です。

目に見えないものに取り組むのにツールはとても便利です。

ただ間違えないようにしたいのは、これらは犬をただ長生きさせるための手段ではないということです。

より良く生きる時間を増やすためのお手伝いくらいが良いでしょう。

長生きを目標にすると長生きしなければ合わなかった、良くなかったと後悔が残ります。

では犬が長生きするとは何歳のことを言うのでしょうか。

10歳と思う人、12歳と思う人、15歳と思う人。

でも犬自身はどう思っているのかわかりません。

動物の生きる時間は人の生きる時間と同じように、豊かでリラックスしていて心から喜べる時間であるようにそばにいる飼い主が手伝えればと思うのです。

犬に何かをさせるためのしつけやトレーニングが犬に負担をかけるように、犬を健康にさせるための方法はやはり犬に負担をかけます。

犬のことを考えるなら犬は今どう過ごしているのかを見てあげるのが一番です。

犬が美味しそうにゴハンを食べていればそれが一番です。

心から解放されて満たされた時間が続けば、そのうち犬は自然とのつながりという奥深いものに犬が入る時間を得られます。

それは一瞬かもしれないけれど、神田橋先生の言われるとおりにとても気持ちの良い感覚なのだと思います。

そしてそのときに飼い主として一緒にそばにいることができれば本当にラッキーです。

神田橋先生の不思議な本。

もし読まれる方がいたら感想を教えてください。

グッドボーイハートのこだわりの本棚はこちらからどうぞ。

 

 

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<おすすめの本>「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」フランス・ドゥ・ヴァール

レッスン中に犬の行動について詳しく観察する生徒さんが多く、楽しくレッスンをさせていただいています。

先日も鏡に映った犬の反応に気づいた生徒さんからコメントをいただきました。

ある日、鏡に映った自分の姿を後ろから見ていた犬と目が合ったそうです。

そのときに犬はすごくびっくりしたようにしてその場からいなくなったということでした。

飼い主さんとしては鏡の中の飼い主と目があったということを犬が理解したのか、それとも別の反応で逃げたのかどうなんでしょうかという質問でした。

その後は鏡の中の自分を犬が認識するかどうかという風に話が進んでいったのです。

ちょうど先日読み返していた本の中に、鏡の中の自分を動物が認識できるのかという部分があったので早速その後のレッスンのときにその本を紹介しました。

それが今日お勧めする本です。

題目は「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」

この本のことを語り合える人がいれば今すぐオンラインでも話がしたいほど面白い本です。

著者はフランス・ドゥ・ヴァール氏で霊長類研究の一人者で、別の著書「共感の時代へ」もこのブログでお勧めしています。

日本ではもっと有名になったのが「利己的なサル、他人を思いやるサル」です。

監訳はあの松沢哲郎先生で、松沢先生も同じく霊長類研究者で京都大学霊長類研究所で研究に携わっていらっしゃいます。


チンパンジーやサルの行動に関心のない方でも、この「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」には興味を持っていただけると思います。

この本には霊長類以外の動物もたくさん出てきます。

ゾウ、カラス、イルカ、ネコ、馬、オウム、そして犬も!

この本は動物の知的部分について書かれています。

著者の前書きにも「動物たちがどれほど高い知的水準で行動しているのか、私は興味が尽きることがない」とあります。

動物の知的さを図る上で行動を単に刺激に対する反応ととらえる行動学は行動がすべての危険性をはらんでいます。

行動がすべての世界では行動さえ引き出せれば成功。

その行動はご褒美と罰というオペラント条件付け学習だけで犬をトレーニングしようとするのは行動がすべての世界です。

動物の行動には内面性が備わっていると考えると、行動がすべてとはなりません。

犬はどのような気持ちでその行動をしたのかについて考える必要があるからです。

この内面性を考えるのが動物の認知心理学といわれる分野ですが、フランス先生はここに挑んでいきます。


前書きからまた引用します。

「どの場合にも、私たちは人間を基準として動物の知能と人間の知能を比較対象したがる。とはいえ、それは時代遅れの評価方法であることを肝に銘じておくといい。
比較すべきは人間と動物ではなく、動物の一つの種(私たち)とそれ以外の非常に多くの種だ。」
と続いていきます。

もうこの本を読みたくてうずうずしている方のためにこれ以上は書きませんが、当然のことながらこの本にも大好きなローレンツ氏のことがたくさん出てきます。

「裸のサル」の著者として有名なデズモンドモリスはローレンツの講演を聞いて思ったことなどのくだりは楽しくて仕方ありませんでした。

グッドボーイハートの本棚の中にもいれておきました。

今後も犬の行動を説明したいときに引用する本になりそうです。

本のご紹介が遅くなりすみません。

これからみなさんお忙しくなるでしょうが、犬を横目にぜひ読んでください。

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<日々のこと>八三オポ計画を練る

記事の題目読めましたか。

八と三ではちみつ。

83オポとしようかとまだ迷っているのですが、漢字の八と三が「山と川」的な感じで忍者の合言葉のようで一応こんな風にしてみました。

はちみつオポ計画とは例の養蜂のことです。

本を買ってきてチラチラとわかりそうなところだけ読み進めています。

この本がすごく面白く犬の生態と比較して読んでいます。

たとえば二ホンミツバチとセイヨウミツバチの比較は特に面白いです。

二ホンミツバチは人がいてもいなくても生きていけるけど、セイヨウミツバチは人がいないと生きていくことができないという部分などは犬の世界にも通用します。

日本では犬は野犬として人がいてもいなくても生きて行ける(たはず)なのですが、西洋では野生で生きている犬科動物はオオカミといわれます。

いわゆる山犬というものが西洋にはないのです。

日本人は野生動物との境界線がゆるやかに敷かれ、その境界の間でかかわってお互いに利用してきています。

二ホンミツバチと人間もお互いを利用しつつうまくやってきたわけで、いたら利用するけどいなくても大丈夫だよというほど良い依存関係らしいのです。

読みながら少し興奮してしまいました。

二ホンミツバチの攻撃性や、攻撃性をやわらげるために行う処置などは犬のそれと酷似しています。

といってもやはりそれは二ホンミツバチに通じるのであって、セイヨウミツバチには通用しないのです。

国内の犬はもはや人がいてもいなくても生きていける犬たちは存在を許されていません。

このことが本当に残念でならないのですが、西洋の価値観を受け入れ環境を変化させる必要があった歴史の中では致し方ないことなのでしょうか。

せめて動物との程よい関係を満喫したく、養蜂を始めることになりました。

これから巣箱を作るのですがその前にまだまだこの本で楽しみます。

本はこちらです。

帯にあの武術家の甲野先生のコメントがあるのにもびっくりしました。

武術と農業って関係あったんですね。

犬と農業も武術も関係があります。

みんな大切なところではつながっています。

自然の中にあって自然のひとつであるところでつながっています。

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