グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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想像を巡らせても犬のことを全て知ることはできないが、それでもやっぱり知りたい犬という動物のこと。

犬を理解するためにたくさんの時間を費やして勉強をしたとしても、犬の考えていること、犬が行っていること、犬に起きていることを全て知ることはできません。

先日ある本を読みました。

ローレンツ先生の翻訳者でもいらっしゃる理学博士の日高敏隆先生の著作。

「動物と人間の世界認識~イリュージョンなしに世界は見えない~(筑摩書房)」です。

日高先生の一般の方向けの本であるろうとは思うのですが、その内容は非常に深くここで私が説明しきれるような内容ではありません。

その上で、受け取ったことを簡易に述べるなら、ヒトも含めてそれぞれの動物たちの見ている世界は違うということを科学的にとあり上げたものです。

例えば、ドイツの学者「ユスクキュル」の環世界の紹介もあり、動物が見ている世界はわたしたちが見ている世界とは違うということの科学的な説明が書かれています。

私たちヒトと犬の場合でも、入ってくる情報の感知する部分が人は視覚重視、犬は嗅覚重視という風に違っています。

私たちの視覚で見ているのと同じなことを犬が見ているわけではありません。

同時に、犬が山の中で嗅いでいるたくさんのにおいを、ヒトの方はほとんど嗅ぐこごができません。

今流行しているアニメの鬼滅の刃の炭治郎くらいの動物的嗅覚があれば、犬が嗅いでいるものと同じ量を感知できるかもしれません。

このように感受する器官が異なるということとは別の世界を分ける理由があります。

それは、興味と関心の向け方が違うということです。

ヒトにとってどうでもいい環境が犬にとっては興味や関心となりますが、逆に犬が気にする地面の臭いにおいの物体は、ヒトにとってはどうでもいいものでしかありません。

入ってくる情報が違い、興味のある世界も違う、こうなるとイヌとヒトというのはかなり違いのある動物だということになってしまいます。

それだけ違いのある犬という動物についてすべてを理解することはできないのですが、想像を働かせることで見えてくるものがあるというのが日高先生のこの本の中でいうところの「イリュージョン」ではないかなと思います。

この犬はこのときにこのような動きをしたのはこういう情報を受け取ったからではないか…という風に想像を巡らせていくしかなく、そこには答えはありません。

しかし、想像は時として動物に対する擬人化に発展してしまいます。

特に人の生活の中でいっしょに活動し、犬が自分にとっての子供に値するくらいの近い関係になってくると、犬にとって自分はお母さんやお父さんであり、親として十分に理解したいという気持ちが犬の擬人化を強めてしまいます。

人の感情の満足のため犬を飼っていることは否定できませんので、ある程度の擬人化は仕方のないことだと思います。

しかし、最終的には犬は動物であり人とは違う世界をもっていること、私たちが知ろうとしてもわからないことはたくさんあるのだということを謙虚に受けとめることも犬と暮らす上で必要な姿勢です。

分からないことが多すぎて難しく落ち込むこともあるかもしれませんが、何でもわかった気でいて思い込みすぎるよりは良いと思います。

どんなに学んでもどんなに付き合ってもまだまだ分からないことばかり。

こんなに夢中になれる犬という動物と出会えたことをありがたいと思います。

今は犬飼いではな山羊飼いとなりました。

犬と山羊の関係もまたいろいろと学びが深いです。

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「人間性の解体」コンラート・ローレンツ著書。胸に刺さる言葉が多いが難解のためあと100回は読むことになりそう。

ずっと持ち歩いて時間のあるたびに開いていた本、ローレンツ先生の最後の邦訳された書籍「人間性の解体」をなんとか一読しました。

「人間性の解体」はローレンツ先生の「鏡の背面」を補完するために書かれたもので1985年に初版が出版されています。

毎日の暮らしの中で動物を観察し続けたローレンツ先生が、人間という動物の今と未来をどのように見通されているのかを知ることができる本で、題名のとおりそれは人類に対する警笛に他なりません。

あまりにも深く難解な内容で読み進めることに時間がかかりましたが、ところどころに胸を打つ内容があり、もっと深く知りたいという気持ちが満ちました。

引用~

…大部分の文明人はこんにち都市居住者であるか、あるいは少なくとも都市で仕事をしている。彼らはその日常瀬克においてほとんどもっぱら生命のないものと、とりわけ人間が作ったものとかかわりともち、そしてそれらと付き合う方法を学んだ人たちである。だが、彼らは、生命あるものと付き合う方法は、習って知っていたのに忘れてしまった。彼らはそれらの事物にどこで接触しようとも、全く信じがたい近視眼的態度で処遇しており、われわれを生かしているものを無視している。彼らが日々付き合っていて、現実的と見なしているものおはすべて人間によって作られているので、彼らは何もかも作ることができると思っている。いったん否定された生命あるものを、二度と生命あるものにすることはできないのだという事実は、彼らにたぶん決して知られていないし、それゆえ忘れられることもない。…

~引用「人間性の解体」コンラート・ローレンツ著書 新思索社発行

初版の発行から38年の月日がたっていますから、人間性の解体はさらに進んでいるはずでしょう。

その中で人間が犬という動物を飼おうというのですから“犬としての解体”は一体どこまで進んでいくのだろうと実に恐ろしい気持ちになります。

ローレンツ先生の知識は動物を愛すればこそ生まれるものだと、私の中では確信しております。

ローレンツ先生が愛したように犬を見て犬のことを知りたいという気持ちを持って本を読むのですが、あまりにも違いすぎる頭脳、ローレンツ先生の言葉を借りるなら「遺伝的な要素をもって違う個体間の差」がすごくありすぎてへこみます。

いや、脳トレと思って諦めることなく「鏡の背面」とあわせて読み続けていきます。

ちょっと犬のことを知りたいと思って読むような本ではありませんが、おすすめの本として紹介させていただきます。

人間性の解体

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【愛玩犬】と【赤ちゃん】犬は全く別物だということをご存じでしょうか。

先日のブログ記事で平岩米吉先生が書籍「犬の生態(築地書籍出版」の中で「犬の用途と種類」について紹介されていることを書きました。

その「犬の用途と種類」の中に【愛玩犬】という種類があることもご紹介しました。

平岩先生の【愛玩犬】について記されたことをここに引用します。

愛玩犬(あいがんけん)

どんな犬でも家族の一員として飼われている以上、愛情の対象にならぬものはありません。しかし、一般には、他に重要な役目もなく、ただいつも飼い主のそばにいて、そのさびしさや退屈をまぎらわらす遊び相手となっているものと、特に愛玩犬と呼んでいます。

したがって、愛玩犬はほとんど小型で、優しいものか滑稽なものに限られ、プードル、ポメラニアン(肩の高さ10センチ)、ペキニーズ、(肩の高さ10センチ)、チワワ(体重一キロ)、狆といったようなものになります。

もっとも、なかには、ボルゾイのような大型のものでも本来の猟犬としての使命を失い、その美しい姿だけをあいされるようになったものもないではありません。

犬の生態 平岩米吉先生著書 より引用

犬が人のそばで役割を持っているとすれば、愛玩犬もまた役割を持っているということであり、その内容なここに書いてあるとおりです。

飼い主のさびしさや退屈をまぎらわすためにいるというのは、実際のところ事実であると思います。

犬がかわいいからそばに置いておきたいという人側の都合は、結果として人の気持ちを救ってくれる存在となっているのは、どなたも認められることですし、それは間違っているとは思いません。

むしろ、人の寂しさをまぎらわすために人のそばにいてくれる動物として犬に感謝すべきだと思います。

ただ、大きく間違っていると感じるのは、愛玩犬と赤ちゃん犬を混同していることです。

平岩先生のいう愛玩犬とは、犬としてきちんと成長した小さな犬や姿の美しい犬のことです。

ところが、今たくさん見られる犬たちは愛玩犬ではなく赤ちゃん犬です。

赤ちゃん犬とは、すぐに吠えたり、トイレを失敗するのでおむつをしていたり、散歩中におもらしをします。

赤ちゃん犬は飼い主がいなくなると騒いだり、留守中に家具をかじったり、布を噛んでひきちぎったりします。

赤ちゃん犬は、すぐにキュンキュンというし、飼い主に飛びついてきます。

赤ちゃん犬は、嫌なことがあるとすぐに唸るし、かみつくこともあります。

赤ちゃん犬は、他の犬たちと上手なコミュニケーションがとれず、走り回ったりするけれど普通に会話ができません。

とりあえず赤ちゃん犬は赤ちゃんなので、人のいうことはききません。

つまりはしつけができるような状態にありません。それが赤ちゃん犬です。

愛玩犬として育てるのであれば、きちんとした犬に育てなければなりません。

赤ちゃん犬として扱われている犬は、成長する機会を与えられることがなく、ひとつの犬格として尊重されていないのです。

飼い主としの責任は犬を愛しかわいがることですが、犬を育てることもまた飼い主としての役割です。

平岩先生が現代の小さな犬たちの行動を観られたら、どのように評価されるのかと思います。

愛玩犬でもいいのです。人を救うすばらしい役割だと思います。

立派な愛玩犬に育てていきましょう。

山岳犬・番犬を務めるきいろちゃん



 

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映画「グレース・オブ・モナコ」の中に見る純犬種犬の行動と役割

映画を見るときにも映画の中に出てくる犬の行動がいちいち気になって仕方がないのは、もはや職業病だとは思います。

スクリーンの中の犬の姿があまりにも擬人的のときは嫌悪感がしてみるのを止めることもあります。

日本のテレビ番組で犬を見る気にならないのも同様の理由です。

しかし、中には映画の中で犬という動物について明確に記されているものもあります。

少し前に見た映画「グレース・オブ・モナコ」に出てくる犬もそうでした。

この映画はグレース・ケリー・モナコ王妃の自伝的ストーリーです。

ハリウッドの映画スターであったグレース・ケリーがヨーロッパのモナコ王の王妃となったことはまだ歴史に新しく覚えのある方も多いかと思います。

映画の舞台はモナコ王室で当時の貴族たちのきらびやかで豪華な生活を映画としてみることができます。

細かく再現することに意味のあったこの映画では、当時の貴族が飼う純犬種の姿もまた正確に再現されていると感じたのです。

最初に登場した犬はスパニエル系の大型犬2頭です。

グレース・ケリー王妃が貴族として作法を学ぶために通った貴族の家にその犬はいました。

最初にスクリーンに出てきたときの犬の姿は「フセの姿勢」。

2頭とも尾を振ることもなく顔を動かすこともなく、微動だにせず「フセてマテ」の待機状態で室内の暖炉の横当たりにいました。

犬の伏せている部屋で貴族の男爵がグレース王妃と会話をしています。

知らない人が見たらきっと「置物」だと勘違いされると思います。

場面が変わると城の庭部分を男爵と王妃が一緒に歩いています。

その横を先ほどの2頭の犬たちが駆け抜けていくのです。

庭では一定のルールを守れば活動を許されているということなのでしょう。

生き生きと走り抜けていく姿が非常に気持ちが良く「仕事終わった!さあ遊ぼう。」という雰囲気が出ています。

 

別のシーンに登場したのは、トイプードルです。

王室の子供が大人の会議中に地面に座ってトイプードルと遊んでいます。

トイプードルはまるで玩具、子供を傷つけないようにしつけをされている様子に見えます。

怯えもなく、小型犬特有の表情のなさはありますが、緩やかに動きを表現しています。

もちろんトイレシーツなどありませんし、マナーパッドなどしていません。

 

犬という動物を考えるときに、まずは犬という動物であると考えるのが始まり。

そしてその枝として純血種という犬について考えてみる必要があります。

純犬種犬は人が必要としたために作られた人為的繁殖による犬種です。

使役犬としてのはじまりはあったものの、現在の純犬種として系統立てたのは貴族の利用によってです。

貴族そのものが血統と純血にこだわる必要のある存在ですから当然のことです。

純犬種は系統事に役割と形が決められていました。

まさに貴族の階級制と同じようなものです。

純犬種はヨーロッパではひとつの文化であり伝統でもあるのです。

形と用途の両方が受け継がれているのかどうかは実際に見たことがないので不明ですが、その文化の中にいた犬の姿をこの映画では見ることができました。

この映画に出てくる犬の姿を日本人なら「かわいそう」というかもしれません。

しかし小さな室内に閉じ込められている犬を見てヨーロッパの犬を飼う方が目をそらしているとしたらどうでしょうか。

貴族のように純犬種を飼うことを進めているのではありません。

実際にはそんなにスペースもないですし、そんなことを言ったら犬は飼えません。

しかし犬のことを理解せずに犬を幸せにすることはできないというのは真実です。

犬は屋外の動物であり、犬の習性を崩さない、その上で犬を活用してきたという意味では純犬種という文化をもつヨーロッパの人々の中に学ぶこともあります。

しかし文化も永遠ではありません。

純犬種が生まれて200年近くがたとうとしています。

繰り返される人為的繁殖にどこかでひずみが生じるころです。

犬と暮らすなら犬のことをたくさん学んでください。

それは犬との暮らしを楽しくすることに必ずつながっています。


 

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おすすめの本「快楽としての動物保護」信岡朝子著・講談社選書メチエ出版

久しぶりに「かじりついて読んだ本」をご紹介します。

題目の本ですが「快楽としての動物保護」信岡朝子著です。


著者の信岡朝子氏は比較文学がご専門の文学研究学者であるとのことです。

博士課程論文に筆を加えられたとの内容が同書の「おわりに」のところで紹介されています。

本書を探したのはアマゾンで偶然見つけたのですが、この題名にすごく心を揺り動かされました。

動物保護か決して快楽と同等とは思ってはいないのですが、動物保護は動物ために必要なのではなく、人のためにあるのではないかと常々思っているからです。

さらに、本書のサブタイトルとなっている「『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ」にも大変ひかれました。

映画「ザ・コーブ」は日本のイルカ漁を取り上げて話題になった映画ですが、同時にその後にこたえるように作られた映画「ビハインド・ザコーブ」を見たあとも、思うことがたくさんあるのだけれどなかなか言葉にはできないもどかしさのようなものがありました。

動物を助けたい、救いたいという単純な気持ちで起きている動物保護活動。

純粋で単純な気持ちであるはずのものも、莫大な歴史の流れの中に取り込まれており、私たち人類の歴史上の活動であることは間違いないと思います。

それは咲いている花をただ眺めてきれいだと思うだけの単純な気持ちとは違うからです。

 

この本のどこがいいのかを一言でいうことはできませんが、とにかくたくさんの方に読んでいただき、たくさんの犬と暮らす人がそれぞれの頭の中で考えていただきたい本なのです。

本の中に出てきた様々な動物にかかわきた方々から私はたくさんのことを学んできました。懐かしい名前もたくさんありました。

犬と狼について語る平岩米吉先生、オポの名づけとなったエルザの本の藤原英司先生、チンパンジーとコミュニケーションをするジェーン・グドール博士、イルカの脳の研究をするリリィ「博士、熊を負った星野道夫氏、そして尊敬するローレンツ博士…。

本を読みながら自分の頭の中の歴史を追うように夢中になって読みました。

この本は動物保護を否定するものではありません。

ただどんな歴史の中にも「良かれと思ってやったけれどやはり違っていた。」ということはあると思います。

自分自身の動物に対する愛、また世界の中での大きな動物保護活動という力についてもう一度考える機会にしていただける本だと確信しています。

読まれた方、感想を聞かせてください。

みなさんと語り合いたいです。


 

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冒険家の本を読んで「犬の育て方は愛情だけではうまくいかない」こと

本を読む一年の今年の一冊「極夜行前・角幡唯介著書・文芸春秋出版」を読み終えました。

著書の角幡唯介氏は探検家として大変有名な方です。

この本はカナダの北極圏の果ての果て、私には到底想像もできないような過酷な土地を探検する「極夜行」の前についてつづった本です。

冒険家に対するあこがれとこの本の一部が「犬を育てる」という内容であったことから読んでみました。

極地に向かうための準備、できるだけ機会を使わずに人としての能力に挑戦するアナログは手法には驚きと感嘆しかなく、わからない内容も多くて想像もできないほどでした。

読書の目的となった「犬育て」ですが、極地を移動するための手段として現地のイヌイットからそり犬から繁殖された若い犬を一頭買い求め、自分との関係を作りながらそりを引くことを教えてつつ極地を移動する予行練習に挑むという内容でした。

予行練習といっても命かけの極地の移動です。

犬はまだ未熟で人に服従もしない、食べ物を見つけるために手伝うわけでもない…。

そりを引くことすら拒否をする、自分の思い通りにならない犬に対してどのようにしたら犬が自分のいうことを聞くようにできるのか混乱する著者の姿がそこにありました。

自分がよくできたと思うときにはほめるのだけど、できていないというときには叱る。

このままでは死ぬのではないかと思うときには、自分の感情を思いっきり込めて叱って犬の方に理解を求める方法。

犬がいなければここでは生きていけない、移動は続けられない。

でも犬がどのようにすれば自分のいうことを聞くかどうかわからない。

犬に対する愛情だけは伝わってくるのですが、残念ながら愛情だけでは犬は役立つ犬にはならないのです。

ただかわいがり餌をあげて、あとは自由に過ごしていいよという昭和以前の放浪犬と同じように接しても、使役犬としては十分ではないということです。

その後、この犬はイヌイットの元に戻りそり犬のグループに入れられて、そり犬としての成長を果たしたことも書かれていました。

愛情では育たなかった犬、素地はあったようでそり犬というグループの中で犬から学んで身に着けた使役の性質、間に合ってよかったです。

大切にしたこの犬を連れて実際の極夜にのぞまれるこの本の続きもまたいつか読みたいと思いました。

犬育てはあくまで「愛情ベース」犬に対する思いや愛の強さが伝わってくるものです。

ほめたり叱ったりと、感動する方は感動するかもしれません。

またほめたり叱ったりして犬に対する愛情を表現できることは人としての喜びであると思います。

現実的に今の日本で犬を育てるためには、このスタイルは通用しないのです。

犬は一定の管理の元で飼うことが義務付けられているこの日本での犬育て。

犬に人を理解するように求めることの前に、まずはこちら人の方が犬に対する理解を学ぶことの方が先です。

それが効率が良くお互いにストレスの少ない「犬の育て方」です。

角幡氏の犬に対する接し方を否定するつもりはありません。

何かを極められる方は、他の分野でも気づきが早いからです。

犬は人の間違いをいつか許してくれる可能性が十分にあります。

そうでないとたくさんの間違いをおかす人との暮らしは苦しいばかりです。

一緒に生きるか死ぬかなどと、そんなパートナーはなかなかいないのです。

それこそが人と犬。

犬はファンタジーではないと教えてくれる本でした。


 

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「感染症と文明ー共生への道」を読んでヒトという生き物を考える。

新型コロナウイルスが変異して広がっていくこの世界で、私たち人の生活様式にも変化が求められている気がします。

ウイルスなど日常的にどこででも接触するものなので、ウイルスを全く排除してしまいという発想が自分の中にはありません。

ウイルスと私たちヒト科ヒト属の歴史を知りたくていくつかの本を読みました。

その中のひとつが「感染症と文明ー共生への道」著者は山本太郎氏です。

2011年6月の初版された本ですが、2020年4月には増刷されています。

新型コロナウイルスの広がりを見せた昨年に相当の方がお読みになったのだろうと推測します。

 

私が山本先生のこの書籍を読み最も強く思ったは、ウイルスによる感染症をひろめっていった動物を最初に挙げるとしたら、それはやはり人であるということです。

ヒトという動物ほど地球の中を移動する動物はいません。

未開の土地に住む原住民が、次々とヨーロッパからやってくる人による感染で倒れていく姿がありありと想像されました。

文明の進化によって感染は一気に広がったのです。

今ではその文明の進化が足かせとなり、今度はウイルスの蔓延を抑えるために、文明の道具である「移動」に制限をかけられることとなっています。

私たち人の招いた結果、おそらく多くの科学者がこうなることを予測していたとは思いますが、だからといって進化を止めることができないのもまた人です。

 

犬に思いをはせると、こうした進化しつづけることに執着しなければいけない人という動物と共に生きることになったために、彼らもまた多くの感染にさらされてきたといことです。

そのため今は犬のワクチン接種は9種という膨大な数に上っています。

この数がもっと増えてしまうのではないだろうかと思います。

ウイルスや細菌が全くなくなってしまうことはない「共生」するしかないのだと誰でもがわかることなのにその「共生への道」がわからずに現在右往左往しているのが今の私なのです。

本書には山本太郎氏がこのように記されていました。

「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」

同じ言葉をあとがきでも記されています。

「決して心地よくない妥協の産物…」

これこそ犬が現在、私たちの足元で人との暮らしの中で抱えている共生への道にも通じるのではないでしょうか。

ウイルスとの共生

犬との共生

犬にとっては人との共生

山本先生は「共生なしくて、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。」と言われます。

「決して心地よくない妥協の産物」は人と暮らす犬だけに課されるのではなく、

犬と暮らす人にも課されるのだと思います。

お互い様とはいきませんが、相手を理解する努力だけは忘れずにいたいとこれからも勉強します。

とりあえず免疫力をアップさせるには太陽に当たることというのは動物の基本です。

気持ちの良い季節です。

密にならぬよう太陽の下で遊びましょう。

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「自閉症のボクが飛び跳ねる理由」を読んで

犬のことを知りたくて犬以外の動物の行動に関する本を読むことが多いのですが、どうしても人や子供に関する本に手が出てしまいます。

犬という動物と、人という動物の共通点と相違点を探し出したいという関心があること。

犬の行動の中で精神的なバランスを崩したり脳の異常によって起きる行動の仕組みをもっと知りたいということ。

そんなことが人に関する本を読むきっかけになっています。

以前「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読んだことがあります。

自閉症と診断された男性が書いた本で、他の友達と違う行動をする理由などが行動別にいろいろと書いてあります。

もちろん内容は著者の東田さんを理解するご家族と一緒に書かれたもののようですが、彼らの中には彼らの世界があることを尊重したいという感想を抱いた本でした。

そして何より、東田さんを尊重できる理解者がいることで彼の世界には幸せがやってくるのだと感じたことです。

人間なのですからいつも幸せということではありません。

悲しかったり、苦しかったり、悩んだり、ワクワクしたり、ドキドキしたり、ハッピーになったりといろいろとあることを尊重されているということです。

 

実は犬の中にも、自閉症の人と同じような行動をする犬がいます。

犬が自閉症なのか?と驚かれるかもしれませんが、実際に室内から出られない、リードにつながれている、外敵に囲まれて行き場がないと感じている犬は閉じ込められた世界にいるのとなんら変わりはないと思います。

犬の中には犬としての自分の世界を生きることが難しくなり閉じこもりがちになる自閉的な行動をする犬もいるのです。

それ自体は大きな問題もないのですが、一番問題となるのはそうした自閉傾向のある犬に対する理解者がいないことなのです。

犬の一番の理解者といえば犬の飼い主であるべきです。

しかし、飼い主の方が犬のこうした傾向に気づくことができず、閉じこもろうとする世界の中にたくさんのものを詰め込んでしまうことがあります。

これがあったら幸せになれるよ、こんなこともあるのよ楽しいのよ、と外からどんどんと犬に押し付けていっても、犬は混乱を生じるだけなのです。

犬が閉じこもりたいと思うならその世界を尊重し、同時に少しでも世界を広げてもいいなと思えるような環境を整えて、一緒に楽しめるときにはその時間を楽しむ。

あくまで犬を尊重することが、どんな犬にも大切なことなのです。

 

実はこの書籍が映画化されていたことをつい最近知り、思いついてブログ記事にしました。


 

 

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おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。

今年は良い書籍に巡り合えるという予感があったのですが、さっそく出会いがありました。

生徒さんからすすめていただいた本「馬はなぜ走るのか」辻谷秋人著・三賢社出版です。

本の紹介によると著者の辻谷氏は中央競馬ピーアールセンターという会社に所属されその後同社が発行する競馬雑誌「優駿」の編集に携わっているライターの方です。他にもいろいろな活動をされているのかもしれませんが、いずれにしても競馬に精通している方といえます。

その辻谷氏が書いた競馬の主人公であるサラブレッドという馬の本、タイトルを見たときは「馬の走り方などの仕組みの本なのかな?」と思ったのです。

本の帯にもこうありました。

「進化、行動、運動生理・・・・。

サラブレッドの生態・肉体を、

「走る」をキーワードに切り取った、

スポーツ科学的ノンフィクション。」

この帯の紹介からみると「仕組み」の話なのかなとはじめはふんわりとページをめくりました。

ところが、この本のテーマは全く別のところにありました。

本のテーマは「馬は好きで走っているのか?」という素人の問いに対する答えが主軸となっているのです。

その答えとは「馬は競馬のように全力で走ることが好きではない。」というものなのです。

多分そうだろうなと今まで思っていたことをこうやって現場の専門家の言葉として書いてあることで本当にすっきりしました。

競馬ファンならとても受け入れられない(本の中にもそう書いてありました。)こういう見方を「こういう見方もあっていいのだ」と書いて下さったことにも感動したのです。

この本が面白いのはただの感情論ではありません。

そもそも馬は競馬のように…いや私の言葉でいうと、馬は競馬場で全力で走ることを好んではいないという見方がどう発生しているのかという部分についてはとても生理学的、行動学的にとらえてあり納得のいくことばかりです。

さらに鼻息あらく便乗させていただくと「犬はドッグランで走ることが楽しいのか?」となるのですが、犬と馬では立場が違います。追うものと追われるもの。

追う者である犬の方は走るのが好きに決まっていると考えるのもまた単純すぎる発想です。

同書の中には動物として犬とつながる部分もたくさんあって、馬という動物、サラブレッドという生き物がより身近に感じられました。

また、社会的な背景についてもサラブレッドには純血種犬と同じような状況が起きていることを知ることができました。

この本の中からいくつものブログネタをいただいて書いていきます。

犬に対してもっと広い見方をしたい方にはおすすめいたします。

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<本の紹介>自然治癒力を考える本「精神科養生のコツ」神田橋條治著

「精神科養生のコツ」はやさしく面白い本

 

久しぶりにおすすめの本の紹介です。

先日からブログに投稿させていただいた「自然治癒力」を学ぶために愛読している本をご紹介します。

神田橋條治先生の「精神科養生のコツ」です。


書籍の表紙や題名はいかにも精神科医の先生方が手に取られるような重厚な感じです。

しかし中身は大変シンプルな内容です。

一部をブログ記事でも紹介しましたのでご覧ください。

<犬・自然のこと>犬の自然治癒力を考えるために自分の自然治癒力を考える

神田橋條治先生は九州大学医学部出身なので地域的に親しみを感じました。

一般の方を対象に書かれたものと思われるほど、やさしく分かりやすい文章です。

しかも、自然治癒力を大切にするための自分が試せる具体的な方法が掲載されています。

その内容には科学的な根拠のないものもありますが、試してみても副作用のないものばかりです。

やってみて気持ちが良ければ続ければよい、それが先生のお考えのように受け取りました。

 

私が自然治癒力を学ぶことになった理由

 

犬の自然治癒力については、動物病院や食の専門家などいろいろな犬のプロフェッショナルの先生方がそれぞれの立場で考察されたものがあります。

家庭犬インストラクターとしての自分が犬の自然治癒力について学ぶようになったきっかけは、その職業としてではなくむしろ一飼い主としての立場からでした。

福岡市の博多駅近くにドッグスクールを構え、休みなく犬のトレーニングやドッグデイケアなどの犬のしつけのためにできることを取り組みました。

その間、共に暮らしていた愛犬は私の仕事の手伝いに付き合わされて消耗していきました。

そのことに気づいたのは彼が最後のメッセージを表情にして訴えたときでした。

約束を果たさねばと思い、山の中にある家(現在の七山のグッドボーイハートです)を見つけてオポを移動させました。

そこで自然治癒力に任せて元気になるなどという妄想は抱いていません。

ただ、自分は飼い主としてオポという犬と約束した「山に暮らそう」を彼の命のあるうちに果たしたかっただけです。

そのうち自然の空気と土と臭いの中で、消耗した犬は元気になってきました。

ただ健康になっただけではなく、それまで都会で見ることのなかった行動をたくさん見ることができました。

このことが今のグッドボーイハートの犬のトレーニングの基盤を固めたものになりました。

 

犬の自然治癒力にこだわる理由

 

自然治癒力というのはツールとして使われてしまうことがあります。

ツールとして使った方が、取り入れやすいし説明しやすいからではないかと思います。

どんな食事を与えた方がいいとか、どんなサプリメントがいいとか、どんなマッサージがいいとか、これはすべてひとつの形です。

目に見えないものに取り組むのにツールはとても便利です。

ただ間違えないようにしたいのは、これらは犬をただ長生きさせるための手段ではないということです。

より良く生きる時間を増やすためのお手伝いくらいが良いでしょう。

長生きを目標にすると長生きしなければ合わなかった、良くなかったと後悔が残ります。

では犬が長生きするとは何歳のことを言うのでしょうか。

10歳と思う人、12歳と思う人、15歳と思う人。

でも犬自身はどう思っているのかわかりません。

動物の生きる時間は人の生きる時間と同じように、豊かでリラックスしていて心から喜べる時間であるようにそばにいる飼い主が手伝えればと思うのです。

犬に何かをさせるためのしつけやトレーニングが犬に負担をかけるように、犬を健康にさせるための方法はやはり犬に負担をかけます。

犬のことを考えるなら犬は今どう過ごしているのかを見てあげるのが一番です。

犬が美味しそうにゴハンを食べていればそれが一番です。

心から解放されて満たされた時間が続けば、そのうち犬は自然とのつながりという奥深いものに犬が入る時間を得られます。

それは一瞬かもしれないけれど、神田橋先生の言われるとおりにとても気持ちの良い感覚なのだと思います。

そしてそのときに飼い主として一緒にそばにいることができれば本当にラッキーです。

神田橋先生の不思議な本。

もし読まれる方がいたら感想を教えてください。

グッドボーイハートのこだわりの本棚はこちらからどうぞ。

 

 

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