グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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はじめてのお預かりクラスで犬の性質を探るヒント・自然環境にどのように反応をするのか

今はお預かりクラスを初めて利用する1歳未満の犬たちの観察に追われています。

はじめて自宅を離れて家族と離れて過ごすこと、場合によっては大人の犬といっしょになることもあり、まだ成熟していない犬たちの行動には成長期にみられる性質の特徴を見ることができるので毎回楽しみにしています。

お預かりクラスを利用したときにどの犬といっしょになるのかということも犬の行動に影響はしますが、犬の性質は変わらないのですからどんな部分が見え隠れするのかという程度です。

一緒になった犬が何歳なのか、どのくらいの預かり経験があるのか、その犬の性質はどうなのかということもはじめて預かりクラスを利用する犬の行動に影響を与えます。

たくさんの情報が知りたいという気持ちと、犬に負担をかけすぎてはいけないという気持ちが行き来しながら対面をさせつつ行動の変化をうかがっています。

自宅では自由気ままにわがままいっぱいで怖いものなしのように振舞っている犬が、預かり場所ではキョロキョロ、おどおどしているのは珍しいことではありません。

特に室内犬の場合には、だれにも襲われることのない安全かつゆるーい空間にいるのですから、七山の山の中の環境に置かれるだけでも犬にとっては驚くことがたくさんあります。

特にこの季節は蜂がぶんぶんと頭の上をよく通過するので、私もときどき大きな蜂の羽音に座り込むことがあります。

昨年、スズメバチに刺されてから少し敏感になっているかとは思います。

室内で暮らす犬にとって、休んでいるときに頭上にまで配慮しなければいけないという環境はありません。

犬はお気楽に慣れすぎてしまいあまりにも無防備かつ無知にもなっているような気がします。

自然の中とか犬にそんな怖い思いをさせるのはかわいそうだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、キングギドラが頭上から舞い降りてくるわけではありません。

犬という動物であればみんな出会う可能性がある小さな生物が空を飛んでいたり地面をはっていたりするだけのことです。

そんなことにびっくりして自分のクレートに戻っていこうとする犬も珍しくありません。

しかし、最初はおどおどしているはじめてのお泊り犬たちも数日を過ごすようになるとたくましく変化していきます。

「そうだわたしは犬だった」と気づいたかのように、飛んでくる虫にカツリと威嚇をしたり身をかがめて隠れたり、地面を動く虫に気を奪われなくなったりしていくのです。

これは犬の野山に対する社会化というものですが、本当であればコンクリートよりも先にこちらの社会に社会化させることが大切です。

なぜ大切なのかというと、犬の脳の発達はそのような仕組みになっているからです。

続きはまた。

 

はじめてのお預かりクラスでクレートから世界をのぞくグリーズちゃん

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都市と田舎を行き来する生活で学ぶこと。

新しい生徒さんに必ずといっていいほど聞かれる質問。

「いつもはどちらにお住まいなんですか?」

どちらにというのは、福岡なのか七山なのかということです。

毎回答えに詰まりますが、住まいは福岡、スクールは七山なのです。

犬のお預かりクラスやトレッキングクラスのある時は七山にいます。

季節にもよりますが半分は七山にいたいと思いつつも、訪問レッスンが増えると福岡に滞在します。

都市空間と自然の真逆の環境を行き来しているのは仕事の為に結果としてそうなったというこですが、今のところこれが理想的ではないかと考えています。

同じことを早くから実践して薦めているのが解剖学者の養老孟司先生です。

知識だけでなく人格者としても尊敬する先生が薦めて下さる生活なので、自信をもって人にも薦めています。

すでに田舎に育ちそこにコミュニティがあり家族がいて生活が成り立っている方は、わざわ都会で暮らす必要はありません。

行き来しなければいけない自分などは、仕事にために都市に行く必要があり、また大家族というコミュニティを持たないために孤立怯えるからです。

都市空間で育った私が自然環境に出向くことになったのは犬のためです。

知識で学んだわけではありませんが、オポ連れて山や海に出かけることは「オポ」にとって必要なことだと思っていたからでしょう。

この事を誰からも教えてもらったことはありあません。

言葉では伝えくいことですが、一度でも犬と山で遊んだことのある人なら、山の空間の中で広がっていく犬の感性というものがあることに気づくはずです。

犬何を必要としているか?を常に考えているわけですから、この気づきは当然のことでした。

話を元に戻しますが、この都会と田舎を行き来する生活について薦めている養老先生も、これを人にすすめると贅沢だと言われると話されていました。

お金があったらできるんだけど、ということについては、実際にはお金があってもしなものですよね。

自分にとっての必要性の最重要項目にならなければ、人は環境を変えられないものです。

その都会の生活の中で犬たちがストレスを抱えています。

福岡市内はもちろんのこと、福岡の新興住宅地も都会の付属品です。

ストレスによって犬に起きているのは問題行動ばかりではありません。

歪みなら修正が効きますが、障害となると時間がかかります。

欠損となると回復は難しいものです。

犬の脳や精神が壊れる前に、犬を自然環境で過ごさせましょう。

福岡の新興住宅地も都会の付属品です。

飼い主さんができないということで、お預かりクラスもやっています。

行き来には労力もかかりますが、犬に必要な事を提供するためならまだまだ頑張ります。

山で遊ぶ金太郎くん

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山のお預かりクラスで犬の社会化が進むのは安心できる場所、管理と時間があるから。

お預かりクラスを繰り返しご利用いただくたびに、犬の行動に変化が訪れてくるのを見るのが毎回楽しみです。

七つの山に囲まれたこの空間の中に、飼い主から離れて過ごしている犬。

最初は不安を抱えている犬も、繰り返しお泊りに来てくれるようになることでここでの過ごし方に馴れていくようです。

特に「おひとり様お預かりクラス」の場合には優雅にテラスを独り占めしています。


写真の中に犬ちゃんの姿は見つかりましたか?

ひさしの向こう側の下あたりにチワワちゃんが休憩しています。

テラスの上で、周囲見張っていたり休んでいたりしながら一日をゆっくりと過ごしています。

寝ているようですが、たくさんのものを感じています。

空気の流れ、その流れにのってやってくる匂い、太陽や雲の動きで変わる気温、湿気と風、鳥たちの声、川の流れる音、草のふれあう音など。

この中心的テリトリーから出るときは、私と共に広場や散歩やトレッキングに行くときです。

戻ってくると、ここが自分の居場所とばかりにすぐにお庭に入り、テラスの上や草の中にある所定の位置にむかいます。

寝場所はドアの内側にあるクレートの中。


クレートカバーの隙間から撮影したけれど起きてしまいました、ごめんなさいね。

クレートの中は犬にとっては巣穴なのでここには外敵は入ってきません。

ゆっくりと丸まって頭を休めて、そしてまた外で見張り番をしています。

この小さなチワワちゃんを空からみたらどんな風景なのか。


グーグルマップの航空写真でみたらこんな感じです。

ブルーの丸印がチワワちゃんが休憩しているテラスですね。

周りは緑に囲まれた山です。

都会のマンションの中と比べるとやっぱり環境が大きく違います。

犬にとっての楽しみや幸せは、オヤツを食べることやドッグランで走り回ることでは全く物足りないと考えています。

犬にとっての充実した時間は、犬としての時間を持つこと。

それがこの風景の中に自分の居場所を持って役割を果たし、心地よく一日を終えることなのです。

犬たちがこうして過ごしてくれるから、テラスの片づけも頑張らなければ!


 

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プライベート・トレッキングクラスを七山で開催しました。

不安定なお天気の合間に、プライベートトレッキングクラスを開催しました。

いつもグループトレッキングクラスに参加してくれているゴールデンリトリバーの犬くんです。

グループクラスとプライベートクラスでは、トレッキングの内容もお話することもまた全く違います。

山歩きをしながら犬ちゃんの状態を聞いたり、環境の変化やそれに伴うご相談などプライベートならでは個別相談に応じられるのがプライベートクラスです。

また、プライベートでのトレッキングクラスでは、グループクラスとは違う目的をもって歩いています。

自制とバランス。

そもそものトレッキングクラスで身に着けたい犬の行動に焦点を当てながら歩いていきます。

今回、クラスを受講してくれた生徒さんと犬くんは、家庭での訪問レッスンを終えられて普段の生活では落ち着いて犬との暮らしを楽しまれています。

そんな楽しい犬との生活をつづけながらも、もっと深い人と犬の関わりについて、さらに一歩ずつ進んでいかれたい方が、継続してクラスを受講されています。

こうしたクラスは私にとっても味わい深いものです。

生徒さんと犬との関係が深まると同時に、時間と場所をたくさん使えば、自然と私と犬の関係にも変化が起きているからです。

犬の一生は長いものでやはり本当に短いです。

わたしたちの時間のながれからするとあっという間に彼ら犬の時間が過ぎてしまいます。

その上、毎日飼い主さんの仕事中は留守番をしている犬たちも多く、人と犬が過ごす時間の質を上げることはとても大切なことなのです。

プライベートトレッキングクラス、この日はとても涼しく心地よい風が吹きました。

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犬のハエ追い行動(フライバイティング)はストレスが原因なのか?

前回のブログ記事で犬の「常同行動」について書きました。

このタイミングで犬が虫を追う行動についてのご質問があったので、あわせてこちらに説明します。

犬が虫を追う行動は、犬のハエ追い行動と同じ部類の行動です。

実際には虫やハエはいないのに、犬が虫を追っているような、ハエを追っているような行動をします。

対象のないものに対する真空行動が繰り返し起きる常同行動です。

飼い主さんから見ると不思議な行動なので見逃されている方も多いのですが、犬の行動観察に関心のある方や、犬の行動に興味を持っている方が気づかれることがあります。

室内でこのような行動をしているのですが…。

と動画を見せていただいたのですが、それは犬の虫追い行動・ハエ追い行動でした。

 

実際にはないものを追うこの行動のパターンは犬の神経症と結びつく可能性もあるため飼い主は、「犬が何かの病気にかかっているのでは」「犬の脳に何か障害があるかもしれない」という不安を抱かれる場合もあります。

しかし、犬の真空行動が出たからといって、必ずしも犬が障害や病気を抱えているわけではありませんので慎重に経過を見る必要があります。

犬の真空行動転移行動転位行動と同じように、犬が葛藤したときに出現する行動でもあります。

犬には葛藤で生じる行動がたくさんあります。

飼い主にとっては犬に葛藤などが生じるということ事態が信じられないかもしれません。

犬でいう葛藤とは犬の欲求が十分に満たされないことで起きる葛藤です。

というと、納得されるのではないでしょうか。

犬が必要とする欲求が十分に満たされていると自信を持って言えるでしょうか。

犬の欲求とは、犬が犬という動物としての習性を発揮することです。

例えば、犬には性的な欲求がありますが、これは不妊手術でその欲求をコントロールすることができます。

しかし、それ以外の犬の本能的は欲求はほとんど満たされていません。

そのために、犬は欲求不満に陥り、葛藤行動を生じるようになります。

その葛藤行動のひとつがハエ追い行動という常同行動なのです。

犬が神経症を抱えていると判断する前にまだできることがあります。

犬の欲求不満を解決するための策を考えてみることです。

ちなみに、山の学校で犬のお預かりクラスをしているときには、普段その犬が家庭内でしている常同行動を見ることはありません。

実際に虫を追っていることはあっても、いない虫を追うことはありません。

犬が病気であるかどうか、犬が障害を抱えているかどうかを決める前にやってほしいことは、犬を自然の環境の中でゆっくりと過ごさせることです。

環境を変えて犬の行動を観察すること。

これも飼い主が犬を知るためにできる大切なことです。

写真はすくすくと成長する犬ちゃん



 

 

 

 

 

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一度は死にかけた博多の庭に再び自然の命が戻ってきた!

先日、博多の庭の柵にツタが成長してはっているのを発見して凝視しました。

これ、どこかで見たことがある。

確か七山にも同じようなものがあったはず。

近づいてみるとそれはむかごでした。


昨年、七山の土を大量に博多の庭の畑にもってきたのですが、きっとその中に種が入っていたのでしょう。

博多の庭を自分と犬たちの癒しのために、できるだけ七山の自然に近いように変えていきたいと願っていたので、私にとってはビックプレゼントでした。

一度人工的になって自分の感性をゆさぶるようなものは何もなくなってしまった作られた庭が、どこにでもあった日本の風景のような庭になるまでには時間がかかります。

何十年もかかるかもしれないし、いつまでここに住めるのかどうかわからない、そんな理由はどうでもよいのです。

やっぱりチャレンジしてよかったと思いました。

結果がでないかもしれないことにチャレンジする精神を、いつ身に着けたのかはわからないのですが、じっとしてはいられない性分を役立たせるかどうかは自分次第です。

そして、すごいものを見たのです。

なんと、今年は博多の庭にトンボがやってきました。

あの博多のど真ん中にまだトンボという生物が存在していうことすら知りませんでした。

実は、人工的な庭であったときほど大量の蚊が発生していたのです。

自然の土を植えてから蚊が以前よりも少なくなったと感じていました。

いろんな生物が戻ってきて、いっしょにトンボもも戻ってきたのですね。

庭の手入れはまだまだ続くし、毎日の水やりも大変です。

七山に来ているときには庭が枯れてしまうし、小さな庭での戦いはまだ続きます。

それでもいいのです。

犬たちがこの庭に遊びにきて、草を食べて土を嗅いで遊んだり寝転んだりしているのを見るだけで、それだけで十分に癒されています。

博多の庭でかくれんぼする柴犬の小鉄くん



 

 

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犬がずっと自然へのガイド役であるためのトレッキングクラス

梅雨らしい雨も降らないのに山では夏蝉のジーという声が聞こえ始めました。

小鳥たちの鳴き声もそろそろ終わり、もう少し雨が降ったらいいなというこの頃。

6月末にもお天気を心配する中、すごく心地のよい空気と冷たい風にあたりながらグループトレッキングクラスを開催できました。


なぜトレッキングクラスをしているのか?

トレッキングクラスとは犬と山を歩くクラスです。

実は家庭犬のトレーニングスクールを始めたときは、犬と山を歩くことなどあまりにも普通のことだと思っていました。

ところが、クラスを通して犬のことを飼い主さんにお伝えしていく中で、犬と山を歩くことを知らない飼い主がほとんどだということがわかったのです。

そこで「犬と山を歩くクラス=トレッキングクラス」を作りました。

グッドボーイハートが福岡市博多区から唐津市七山に移転したことで、犬と自然についての学びはどんどん深まり、トレッキングクラスの内容もかなり変化してきました。


 

犬が人のそばで果たしてくれる本当の役割とは

今言えることは、犬は人と自然をつないでくれるガイド役として私たちのそばにいてくれるということです。

人は自然なしでは生きていけません。

人という動物も自然のひとつであるし、水や風、新鮮な空気、土、そして多くの人から嫌われる昆虫だって、現代の文明のある生活を支えています。

ところが人工的な都市生活の中では、自然とのつながりが途絶えてしまいます。

人と人の間だけで起きていることに執着すると、人や病んでいくような気がするのです。

それを助けてくれているのが、犬という存在です。

犬の存在によってたくさんの人々の心が救われているのが、犬が癒しの存在であるからですが、それは単にかわいいという単純な作用ではありません。

犬が自然の一部として人のそばにいるからです。


 

犬を人にしてしまうと病気になるって知ってますか?

その犬を自然から切り離して人の方に寄せすぎてしまうと、犬は病気になります。

人の方に寄せすぎるとは、犬を人として育てることです。

もしくは犬を人のように扱うことです。

身体の病気になることもあるし、感覚や行動の病気になることもあります。

病気になった犬たちは病院かドッグスクールに行くことになるでしょう。

ストレス行動が繰り返されることもまた犬の精神が少し病んでしまった証拠なのです。


 

犬が犬として健康であるためのトレッキングクラス

トレッキングクラスは犬が自然とのつながりを忘れずにいるための時間です。

同時に、自然とのつながりを人に教えてくれるガイド役として活躍する場でもあります。

トレッキングクラスは人が犬に何かを教えるためのクラスではありません。

トレッキングクラスでは他のクラスと同じようにおりこうさんとほめる必要もありません。

むしろ人の方が「上手に歩けたおりこうさん」と犬からほめてもらうことくらいでしょう。

いっしょにがんばった、犬を通して何かを感じた、共感できた、気持ちよかった。

そんな時間を持つことがトレッキングクラスの目的です。

 

グループトレッキングは来月も開催します。

お写真はすべてトレッキングクラスに参加してくれたガイドちゃんたちです!

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週末はトレッキングデビューで山はとても賑やかでした。

週末の山は気温もほどよく苦手な蚊もあまりおらず風は涼しい、とても過ごしやすい天候に恵まれました。

トレッキングデビューさんたちがたくさんいらしたので、コンディションが良くて助かりました。

小さな赤ちゃんを連れてのご家族で、赤ちゃんも背負子に乗ってトレッキングしました。

お若いご夫婦に連れられた生後5ケ月の子犬ちゃんのトレッキング。

お父さんとグループトレッキング前の練習のためのトレッキング。

子供たち4人といっしょに大人数でのトレッキングデビュー。



性別も年齢も暮らしている環境がそれぞれに違う犬たちが、こうして飼い主さんと一緒にトレッキングに参加して下さる機会は私にとってのご褒美です。

たくさんの生徒さんたちがグッドボーイハートのクラスを受講して下さいます。

まずは家庭訪問レッスンでの環境整備から始まり、日常生活を安心して過ごしていけるように犬の習性やしつけについて学んでいただきます。

一定の基盤が出来上がったらトレッキングクラスにもご参加いただけます。

しかし、みなさんなかなかお忙しいようで家庭訪問レッスンを受けられてもトレッキングクラスには参加されないことも多々あります。

お預かりクラスを利用して飼い主さんの代わりに私が山遊びを犬と楽しんだりする機会はいただくことがありますが、やっぱり飼い主さんと犬がいっしょに山を歩くという体験を通して学んでいただきたいと思うのです。

犬を連れての山歩きですが、もちろんスタイルはそれぞれです。

ただ犬といっしょに山を歩くという行動は同じなのですが、ここに犬に対するある大切なものが入っているかどうかでその姿はかなり変わってきます。

その大切なものとは何か。

グッドボーイハートの生徒さんならもう気づいていらっしゃることでしょう。

とりあえず宿題としますね。


 

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競争馬を蹴ったと非難する前にもっと深読みしてほしいこと

競馬の競争馬を見るのが好きになったという方からテレビ中継された競争馬の話を聞きました。

ところが馬の話は最近あったらしい事件のことになりました。

競馬のテレビ中継でパドックに入るのを嫌がる競争馬を引いている人が馬を叩いたり蹴ったりするシーンが放送されたらしいのです。

競馬は賭け事だけでなく馬が好きな人が見るスポーツでもあるので、その光景を見て嫌悪感を覚えるのは当然のことでしょう。

しかしこの話を聞いて私はもう少し別の考えもあってはいいのではないかと思いました。

私ならこうも考えます。

競馬馬、中央競馬ではサラブレッド、地方競馬では昔は農耕用として使っていたが今は使われなくなって行き場がなくなったような地方のばん馬なども使われています。

どちらも馬ですが、馬は存在する動物の中でも野生では存在せず家畜としてしか生きていないと言われる動物です。

野生馬を食い尽くしたのは私たち人間であって、それほど人にとって馬の活用価値は高かったのでしょう。

移動から農耕から軍事にいたるまで、万能だった馬も活躍の場を失って、私たちが一番目にするのが競走馬となりました。

人が利用する動物のことを家畜というのですが、馬は家畜なのです。

家畜という言葉の響きはあまりよくないと感じられるでしょうが、これが事実です。

家畜は人が様々な形で利用するものであって、競走馬は人に馴れ人のいうことを聞いて競馬をする馬のことを言います。

競走馬として優れていれば、繁殖馬として生涯を豊に過ごすことが約束されます。

でももし競走馬として価値がなかったとなれば、その馬は馬肉になる可能性も十分にあるのです。

競走馬として走ることを拒否してしまえばこの先はないと、もし私がその馬を育てた職員だったら蹴ってでも馬を走らせたいと思うかもしれません。

そうでなければ生きる場がのない馬を「なんとしても走れ」と思う気持ちが虐待なのでしょうか。

実際のこの事件の当事者の方がどのような思いでいたのかはわかりません。

しかし、家畜という動物の世界は華やかな世界だけではないという、裏側があるということを知ることにも価値があると思います。

先日おすすめの本として「快楽としての動物保護」という本を紹介しました。

動物を保護したり愛護する歴史や背景は実に複雑なもので、人が利用する動物の販売から利用にいたる背景もまた単純ではありません。

馬と同じように犬もまた、純血種の繁殖から販売、また雑種犬の保護から飼育にかけても、うまくいっていない問題はあまり表面に出ることはありません。

しかも犬は馬よりもずっと小さな動物にされてしまい、どんなにうまくいっていなくても室内になんとかかくし通して飼うこともできるサイズになってしまいました。

私の犬のことを理解したいという気持ちが、他の動物、なかでも人が強くかかわる動物への関心に向いていきます。

もちろん今目の前にわが犬がいる方は、まずは足元の犬の立場にたって考えることを優先させてください。

かわいそうという気持ちを捨てて、犬を尊重するという姿勢を飼い主が持つことです。

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雨の日に外を眺める犬の姿がいとおしい

やっぱり雨になりました。

まだ梅雨入り宣言されていないようですが、雨降りのときの風の感じからすると梅雨のようです。

福岡では窓を開けたり庭に出たときにだけ感じる風の感じ、七山ではいつも外気との接触があるのでずっと外にいるような感覚で風を感じます。

福岡では得られなかった季節の肌触りが七山では感じられるのです。

お預かりクラスのときに雨がふると私も犬もガッカリではあります。

ただ雨だからこそ見られる犬の様子や表情というのもあります。

犬によってはクレートに戻りたがる、雨でも外に出たがる、降り続く雨をじーっと見ている犬もいます。

子犬や若い犬で社会的に安定している犬ほど、降り続く雨の風景をじっと見ているようです。

ひとつひとつの雨であっても、風の流れでにおいも音も変化していきます。

雲も流れているので強く降ったり弱く降ったりする雨を眺める犬の姿を、かわいいなと思いながら観察しています。

かわいいと思うのは犬の姿形やカットのスタイルのことではなく、表情もありません。

どこがかわいいのかうまく表現はできませんが、かわいいというよりはいとおしいと感じてるのかもしれません。

自分ではどうしようもない今起きている状況に対して、一秒一秒受け入れつつそして結果として変化を待っている犬の姿。

動物としては当たり前の姿なはずなのに、こうすればこうなる的結果を求める考え方しかできなくなった人間にとっては、純粋で貴重な姿です。

小鳥が鳴き始めました。

もうすぐ雨が弱まります。

動物が教えてくれる風景が自然の中にはあります。


 

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