グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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気になる猫たちのこと

七山校には猫たちがよく遊びにきます。
遊びにくるというよりは、近くをウロウロしているだけなのでしょう。

過去のブログにも猫たちとオポやら近くの犬たちやらと
動物たちの楽しいいろんなことを紹介しました。

七山校の敷地をテリトリーにしている猫が数匹いました。
猫田(にゃんた)さんと名づけた白色の美人のお母さん猫と
そのお嬢さん猫から始まり、白色の猫はその後も何匹が見ていました。

ところが最近あまり見かけなくなりました。
かわりにブラウンと名づけた茶色のトラ柄の猫がウロウロとしています。

そういえばマイケルと名づけた大柄の猫が、以前白色一家の近くで番をはっていました。

実はそのころ、クロスケと名づけた黒色の猫が小屋の下に寝ていたようで
湧き水場で水を飲んでいるのをみかけました。

このクロスケとマイケルが戦っている様子がみられた後にクロスケがいなくなり
マイケルが残ったので、雄猫の勝負はマイケルが勝ったようでした。

ブラウンはマイケルと白色一家の子供だったのだろうか。
そう推測していたら、今日また白色一家から白い猫が出てきているのを見ました。

私はまだ自分のテリトリーを共有している猫族のことを把握しきれていないようです。


都市部では猫の不妊手術が必須になっています。
猫問題は今や大変な問題です。

里山でも人の接し方により猫の数はそれぞれだと思います。
ここ周辺では猫の数が増えているとは感じられません。
人が不用意にえさを与えすぎないということでしょうか?
飼っているという価値観もないように思えますが、真実はよくわかりません。


真実は猫たちの生活の様子だけです。

猫たちはよくねずみや小鳥を狩っています。
猫の狩りを見るのは楽しいものです。
小鳥はなかなかとることができません。
ねずみはたくさんいるので口にくわえて歩いています。
雪の日でもテラスや階段に猫の足跡がついています。

都会の室内飼いの猫のように長生きはしていないでしょう。
10年も生きていないと思います。
それでも、自由に冒険して自分の持っている力を使って生活をし
体も汚れておらずとてもきれいで、そして何より美しいです。
室内飼いの猫にみられるようにドッテリしていません。
とても締まっています。弓のような体をしています。

私は猫を室内で飼われることを否定はしません。
それぞれの価値観と必要性において動物を飼うのだと思います。

私は七山で猫がウロウロしているとつい観察してしまいます。
ビデオに撮っていたこともありました。

そのうち「猫語セミナー」が開催されるかもしれませんね。




Posted in 日々のこと, 自然のこと

環境を保護するのか、環境を保全するのか

今日はおもいっきり背中が痛いです。
というのも、昨日お手伝いしていただき、七山校近くの笹薮刈りを行いました。

千里の道も一歩からです。
ひとりよりもふたりでやるほうが勇気がわくので、本当に有難いことです。

野生動物の本を読んで動物の保全について考えるとき、環境保全は必須になります。
それで、荒れている場所が気になって仕方ありません。

笹は昔は畑仕事やいろいろなことに利用されていて、定期的に刈られていたので
藪になということはなかったそうです。

最近は畑にもビニールコーティングされた便利な支柱が使われていますので
笹は用無しになったのでしょうが、刈られずにそのままになっているところもあります。
結構背が高く、その背の上まで蔓があがっていって藪になります。

気になっていた場所を1時間くらい刈り続けていたら雑木のようなものが見えてきました。
目の高さよりも下に、本当に小さな白い花がひとつだけつぼみをつけています。

「梅ですかね…」
「梅だと思いますよ」

そんな風にその木の周辺の笹を刈っていきました。
そしたらなんと本当に梅の木でした。
太陽に近い場所にはたくさんの梅の花が咲いていました。

こんなに山の中に梅があったことと、笹薮の中で生きていたことにビックリです。
いつかどなたかが植えたのでしょう。
太陽の日をたくさん浴びて今年はもっと元気になってほしいです。

「保護」と「保全」は異なるといわれます。
その通りだと思います。

「保全」がどのような態度なのかは、まだ自分でもはっきりとわかっていません。
間違えもあるかもしれませんが、それも学びのひとつなので恐れず行動していきたいです。





Posted in 日々のこと, 自然のこと

ドッグヒーリング

ドッグヒーリングを家庭訪問でさせていただきました。

ヒーリングは見えないエネルギーの循環なのです。
土地や室内環境の影響も受けてしまいます。

土地のエネルギーはとても強く土地のエネルギーの悪いところには人は住みつけません。
神社や神殿が建っている場所はもともと土地のエネルギーの良いところに建てられているようです。
昔の人は自然のエネルギーがよくわかったのでしょうね。
田舎や山林だからエネルギーがよくて、都会だからエネルギーが悪いということでもないようです。

室内のエネルギーもとても大切です。
風水は自然のエネルギーと調和する家や室内をつくるためのものですね。
風水に関心をもたれなくても居心地が良いとか居心地が悪いとか
そんな単純なセンサーで十分だと思います。

ところが、いつも居心地の悪いところにいるとそのことに気づかなくなってしまいます。
動物はとても敏感なので気づきます。
猫は気のいい場所にしかいないといわれているのは、猫が人にあわせずより野生に近かったから
ということでしょう。
最近の猫たちはどうでしょうか?
ずっと室内飼いでいると野生の感覚も遠くなるのかもしれません。

犬は人についていくため「ここって居心地悪いな」と思っても人のそばにいようとします。
逆に具合の悪い人のそばにくっついていることがあります。
自分に体を寄せて寝ているとか、ひざの上に乗って来るという犬がいたら
飼い主さんに何かのメッセージなのかもしれません。

居心地の良さをチェックするセンサーを取り戻すのは難しくありません。
よく整えられた場所で1週間ほど生活してそれから自宅に戻ってみればどうでしょうか。

今がどんなに悪い環境であっても、環境を変えることに抵抗を示すのが動物です。
ゆっくりと変えていくことをおすすめします。

タッチヒーリングを行うときには大切な「環境を整える」ということ。
ご家庭で実践できることが一番ですね。






Posted in クラスのこと, 自然のこと

春の雷

七山では雷がゴロゴロとなっています。
春の雷(ハルノライ)という季語にもあります。
この時期になると毎年聞いている気がするので、季節の風物詩なのかもしれません。

雨がさほどひどくなくても、遠くの方で聞こえるゴロゴロという音。
最初は雷だと思わず、山で石でも転がっているのかと思っていました。

梅雨のあの雷のようないさましさはありません。
春の雨と雷は暖かくなりますよーというお知らせのような気がします。

雷といえば、雷を怖がるいわゆる雷恐怖症とよばれる状態の犬たちがいます。
不思議なことですが、雷恐怖症の犬たちを山に連れてくると
自宅にいるよりも雷をこわがらないといいます。
自宅にいるよりも、というより、全く怖がっている様子が見られません。

山にいるときに雷に反応したいため、自宅でもしなくなったかなと思うと
自宅に戻るとやはり震えたり隠れたりするという行動が出るとのことでした。

雷は光や音だけでなく、そのものが非常に大きな自然のエネルギーです。
七山では犬も野生動物も人も、雷におろおろしているのを見たことがありません。

犬は何か「違い」を感じ取っているのですね。
そんな犬という動物が知っていることをもっとわかるようになりたいです。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

不覚

なんとなく底冷えがするなと感じながらも
頭の中で考えていることに気がいってしまってぼーっとして迎えた朝…。
外を見なくても察するこのいつもの朝とは異なる感覚。

いや、昨日みた天気予報では今週はずっと晴マークだったはず、と念じながらおそるおそる窓の外を見ます。

あー。つもってる。しかも半端なく真っ白です。
とりあえずトレッキングクラスの日程を変更していただくだめに生徒さんに連絡をします。

ところが今日は昼すぎには博多に行かなければなりません。
雪の日は坂道を降りられなくなるために前日に車を下の道まで下ろす必要があったのに、昨晩はそれをしていませんでした。
雪が降るとは思ってもいなかったから、ただそれだけの理由です。

でも、お知らせはありました。
何か底冷えがするなと、いつもより強い寒気を感じたことは事実です。
そんなときでも気持ちが備える方向へ向かっていないときには、
周囲の変化には鈍感になってしまいます。
朝から50メートルほどもある坂道の雪かきをせざるを得ない状況に追い込まれました。
追い込んだのは自分なのですが…。

さて、雪かきはいろいろと試した結果、最近になってデッキブラシが比較的有効であることを発見しました。
デッキブラシで1時間戦って無事に脱出します。

山の天気は女心といわれます。
コロコロと移りかわる天候による環境の変化に敏感でなければいけないのです。
それだけ自分の感覚が鍛えられるのですが
そんな感覚も少しの思考の偏りで鈍感になってしまうものです。

「Don’t think, feel.」 ということでしょうか。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

気になること

七山でパソコン作業をしていると、草刈機のエンジンの音が聞こえてきます。
窓の外を見ると近くの方が草刈をしながら山の方に入っていくのが見えました。
「えっと、まだ2月だけどなあ。」
と周囲の言動が気になります。

都会育ちの私は草刈がいろんな意味で苦手です。
これからの季節、毎年のことですが少しずつ延びてくる草を横目で見ます。
「今年も始まるのかな…」と少し人事。

もう少し伸びてくるとしばらく見るのを止めにします。
それでも視界に入ってくるので来校される生徒さんに「草が伸びてきているんですよね。」と遠巻きにヘルプを出します。

いよいよ。もうこれ以上はダメだなという段階に達したら、
黙って草刈機2台、鎌と鋏と3種の神器を取り出して、ただ無言で作業を進めていきます。
春から秋まで7ヶ月間の戦いが終わるまで黙々と向き合うだけです。


問題が悪化する前に取り組むほうがいいことは犬のことでわかっているはずなのに、
結局、私以外の何かが解決してくれないかなと逃避姿勢にあることがそもそもの問題です。

草は私に忍耐を教えてくれます。
自分と向き合う良い時間です。
3月から私もスタートします。

Posted in 日々のこと, 自然のこと

トレッキングシューズ

山暮らしが始まったときにすぐに購入したのが「トレッキングシューズ」です。

ところが、トレッキングシューズをはいて山を歩くと、粘土みたいにやわらかい土が靴底にどんどんついてきてシューズがどんどん重くなります。
これでは困るな~と思案しました。

こういうときは「犬に学べ」です。犬の足裏はパッドです。パッドはゴムの役割です。ただし鉤つめつきですけどね。
それでゴム長靴で歩くことにしてみました。
そうしたらなんと、長靴の方が歩きやすいではないですか。

私が長靴で歩いているのを見て、生徒さんたちは最初は抵抗を示されました。
ところが今では、みなさん長靴を履いて山を歩いています。
本当は足袋で歩きたいところですが、湿度が強すぎるので濡れてしまいます。
それで、山歩きの靴には、今のところは長靴がナンバーワンです。

山ではお役ごめんとなったトレッキングシューズを街中のアスファルト用に履いています。

以前知人が足首にウエイトをつけているのを見せてくれたことがあります。
訳を聞くと「平たいところばかり歩くので足が上がらずつまずいてしまうから。」ということでした。
ウエイトをつけていると足を上に上げようと意識するのでつまずくことがなくなったといわれていました。
その話を聞いたときに「では、都会でトレッキングシューズを履けばいいということかな」と思ったのです。

トレッキングシューズにもいろいろありますが、装備が強いものは重量がかなりあります。私の個人的な見解では靴の重量がある理由は「足をきちんと上げることと、岩場で足を挟まないようにするため」なのかと思います。

とりあえず、長時間歩くときには都会ではトレッキングシューズを履いています。
ちなみに3時間くらいは歩いていますが硬いアスファルトを長時間歩くと足の裏が痛く硬くなってきます。犬は大変だろうなと思います。

トレッキングシューズ。もうしばらくこの形で使ってみようと思います。


Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

タヌキ学

唐津市内の図書館でよく本を借りてきます。
福岡市内の図書館よりも早く入手できて便利で助かっています。

「タヌキ学入門」(誠文堂新光社)という本を借りて読みました。
タヌキは分類学上イヌ科の動物なので犬に近いということと
タヌキは七山スクールの周辺や山での遭遇率も高く身近な動物だいうことで興味があります。

タヌキの生態学的な基礎知識、体のつくりや何を食べているのか、生息地域、行動圏、繁殖といった細かな情報が記されています。

野生のタヌキの寿命は6~8歳で飼育下では14歳くらいという記述もありました。
犬も同じくらいではないかと思います。

取り上げ方として特に興味深いと感じたのは、人がタヌキという動物に抱くイメージについて、文面を裂いて語られていたことです。
イメージの変化の例として「オオカミ」が例題にされていました。

「人が抱く動物のイメージが動物の保全にとっても重要な意味をもつことを示している。」(タヌキ学入門より抜粋)

深い言葉です。

タヌキは野生動物です。
犬はペット化された動物です。

ペット化された動物は本来の犬の状態で保全されることは難しいのです。
人為的な繁殖によって人の好みに合わせて残される形態が偏りつつあります。

どちらにしても動物は人という大きな存在に影響を受けています。

以前にこのブログでも紹介したのですが、数頭のタヌキが円陣を組んでいたのを見ました。
夜暗くなってから福岡か七山に戻る道でスクールのすぐ近くの角でした。
ビックリしたので車のスピードを緩めて横目で見ながら通り過ぎました。
タヌキたちは逃げませんでした。

そのことをずい分人に話したのですが笑いものにされ真剣に聞いてもらえませんでした。
私はタヌキの化かしにひっかかったのでしょうか。

今思い出しても不思議でなりません。









Posted in 本の紹介, 自然のこと

超えるもの

いのさんの筍堀りのおかげで満腹を忘れることのないオポ。
準備が整っていればちゃんと芽が出てくるんだから本当に不思議です。
それを探す術と獲る術を知っている動物たち。

オポたち犬は本来なら一番上にいたんだろうけど、今のところは一番下で食べていることになる。
「いろんな事情があったのさ。そのうち話すよ。」
とオポがいうので、そのまま月日は過ぎていった。

自然の中で起きていること、自分の知らない世界がある。

たくさん知りたいから、知っている人が描いた作品なども見る。
「先生の家にそっくりの家がでてくるんですよ。」といわれてちょっとだけ関心のあった映画を借りることができた。なるほど「力を込めないと開かない洋風の窓」のことね。

そのシリーズは自然や宇宙について大人と子供にもわかりやすく表現してある。
映画をご覧になっていない方のために、できるだけ簡単に…こんな感じで。

少女は大変好奇心旺盛で、いろんなことに興味を持っていた。
年齢も大人に近づいてくると、その好奇心で次々と行動を起こしていく。
大人の目線から見ると「危ないから止めなさい」といわれるくらい。

結果、好奇心から行動したことで問題を起こしてしまいそれが家族(仲間)にまで危険を及ぼすようなことになった。
少女は大変落ち込む。自分の行動で皆を危険にさらしたのだ。
だが、少女は自分でその問題を解決しようとさらに行動を起こす。

少女と出会った少年は心臓が悪く、文字通り心の病を抱えていた。
少年の両親は仕事に忙しく、少年はいつも一人ぼっちだった。
少年は少女に言った。「君には家族がいるんだね。うらやましいな。」

動物はみな好奇心というものを持っている。
性質によるから、好奇心の強い動物とそうでないものがあるだろう。
ただ、どんなに小さな好奇心であっても、好奇心のない動物はいない。

その好奇心を持ち、動物はいろんなことを経験する。
経験とは「良い事」だけをいうのではない。
それなのに犬に対して楽しい経験だけをさせようとしたり
安全だからと囲いの中に入れてしまおうとしていないだろうか。
安全に作られた遊具でしか遊ぶことが許されていない子供たちのように。

生きていれば辛いことを、だれしもが経験するだろう。
そのきっかけが「自分の好奇心」であったということが、自分を戒める結果にもなる。
未熟な自分によって起きたいろいろな経験は、今の自分を教えてくれるからだ。
そこで落ち込んでしまうのか。
落ち込んでいる犬を見て飼い主も落ち込んでしまうのか。
それは経験の内容によるのではないと思う。

経験は自分を成長させるためにある。
そして動物が自分できちんと選択して行動を起こしたのなら
それを超えていくのも、やはり動物自身なのだ。

成長というボタンを押してくれるもの、それが少女にはあった。
毎日協力しあって生活をし、共に暮らしている家族。
家族の絆といえばあまりに単純なコトバになるが
その見えないつながりこそ、彼女を奮いたたせた。

犬という動物が暮らす環境は本当に難しくなってきた。
家族の絆を知っている犬がどのくらいいるのだろう。
犬に聞かなくてもわかる。それは彼らの行動に現れる。
つながりを知っている彼ら、強いものね。

ブログ用オポ雪の中

Posted in 犬のこと, 自然のこと

変化を起こすもの

暖かくなったり、肌寒くなったり。
鳥の声が響き渡りカエルの合唱が川ではじまった。
毎日あきることのない変化というものを楽しめる季節、春・・・もう終わりそうだね。

先日テントクラスに参加した生徒さんから、こんな話を聞いた。
「テント場の近くに枯れ木があったのでテントの上に倒れないように倒そうと思ったんですけど
途中で別の木にひっかかってしまったんです。
先生とオポさんが歩いているときに倒れなければいいけど・・」

ふむふむ。
倒れ掛かっている木など山の中には何本もあるから、いちいち頭上をみながら歩いてはいないけど
人が倒した木となると、いつ倒れるかわからないものね。

そんなコメントをいただいた日、早速オポと山に入った。
驚いたことに、いつも休憩するスペースの真ん中付近に木が倒れていた。

木が倒れていたから驚いたのではなく、
さっき「倒木」について話をしたばかりだったのに
話に聞いた場所とは全く違う場所で、しかもテントを直撃する形で木が倒れていたからだ。

数日続いた暴風で倒れたのか、倒れるべき時がきて倒れたのか。
事の流れからすると「倒れるものは倒れるよ」と木々が語ったのだろう。

そこは、人や犬が休憩スペースとして利用している場所だ。
その中心に木が倒れていることをイメージしてほしい。
自分たちが下敷きになってもおかしくないような場に、木が倒れている。
みなさんだったら、まずどんな声を発するのだろう。

「まあ、ビックリした。」
「ケガをしなくてよかったわ。」
「危ないわね。」
そんなところだろうか。

では、犬たちだったらどんな反応をすると思う?
「ビックリして近づかない。」
「おそるおそる近づいて確認する。」
「今までなかった木に対して吠える。」
「いやがらせにオシッコをひっかける。」
他には?

こうした環境の変化を動物がどのように感じているのか?
私としては大変興味深いところだ。
さあ、オポはどうだろう。

いつもと何ら変わることがない。
木が倒れているということは、いつもと何ら変わることがないということだと彼は伝えていた。

そればかりではなかった。
オポはその倒木の横に伏せてゆっくりとその木に自分の頭を乗せて休んでいる。
「ちょうどよかった。アゴ乗せが欲しかったんだよね。」というように。

動物は変化を恐れているのではない。
それがどのようにして起こるのかを恐れているのだろう。
犬の最も近くにいて共に生活をしている人という動物は
自分たちの都合で何かと変化させてしまうやっかいな動物だ。

自分たちの都合で変化させられた環境はとても不自然で、そして時には危険なのだ。

起こるべくして起こる「自然」の変化というものを動物たちは受け入れる準備ができているはず。
そうした自然の変化を受け入れられないのなら動物であることを忘れそうになっているからかもしれない。

それに、変化を起こそうなどと大層な驕りではないか。
変化は自然に訪れるのだ。自分がその一部でさえあれば。


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Posted in 犬のこと, 自然のこと, オポのこと