グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬のこと>野生動物と犬、どちらが社会化してますか?

先日お預かり犬ちゃんをお庭で過ごさせながら草刈りをしていたときのことです。

草刈りを手伝ってくれていたダンナくんがバイクのメンテナンスを始めました。

テラスでバイクのエンジンテストのために結構強く吹かす音が聞こえてきます。

お庭の犬ちゃんが気になってそーっと様子を見にいきましたが、日向ぼっこを止める感じもなく、ウロウロもなく、いつもと変わらぬ感じです。

そういえばそのバイク作業の近くに小鳥の声がちゅんちゅんとしているのですが、その小鳥たちもバイクの音に反応して逃げ出す感じはありません。

いつもと変わらぬ感じでその場にとどまっています。

こうした大きな音、バイクの音は特に振動が強いので周囲の環境に与える影響は大きいと感じてしまいます。

でも小鳥たちなどの野生動物が全く反応をしないのですから、警戒する必要のないものと認識されています。

特定のモノや音に驚いてしまう過敏な反応は、野生動物よりもむしろ家庭犬の方が強いと思います。

その理由は日常的に過ごしている環境の違いにあるのでしょう。

そもそも社会化というのは周囲の環境の変化の中に安心を獲得していく学習のことをいいます。

普段と変わらないから大丈夫、これは危険でないから大丈夫を脳が繰り返し学習していくわけです。

バイクの音といった特殊な音でも、これは大丈夫と野生動物が判断できるということですから、単に音として認識されているわけではないのでしょう。

自分たちの身が脅かされるようなものではないと動物が判断するときにそれが大丈夫の箱の入れられていきます。

ところが家庭犬の場合には、危険と反応する箱の中に入れられることが多いのです。

ひとつ危険の箱の中にはいるとそれに類似するものはすべて危険の箱の中に入ってしまいます。

だから世の中は危険であふれているということになります。

過剰におびえたり逃げたりパニックを起こしたりするようになります。

そもそもこの反応の多くは人との生活の中で作られていきます。

原因のひとつとなるのは軟禁されていることです。

行動の自由をなくすと動物は不安を抱えます。

庭などで自由行動ができない環境に成長する犬の多くは不安を抱えやすい状態になります。

二つ目の原因となるのは、人の気持ちの不安定さです。

人が不安を抱えていることの解消として犬を求め始めると犬は不安を抱えやすい状態になります。

共感性の高い動物なので、気持ちの弱い動物の下では弱い動物となってしまうのです。

時代と共に人間という動物、特に日本では人が年々弱くなっていますので、そうした意味でも犬は不安を抱えやすい状態になっているといえます。

野生動物の方が家庭犬よりも社会化しているというと、野生動物よりも家庭犬の方が人に近付いてくるではないかと反論されるかもしれません。

でも野生動物が人にとびついたり噛みついたりする確率よりも、家庭犬が人にとびついたり噛みついたりする確率の方が圧倒的に高いとなるとどうでしょうか?

人は本当に犬と仲良く暮らしていると言えるでしょうか。

逆からいうと犬は本当に人と安心して暮らしているのでしょうか?

犬は本当に複雑か環境に置かれた動物です。

ひとつでもひとりでも犬を理解していただくために、ローレンツの本おすすめします。

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<日々のこと>急に冷えた七山で暖炉の炎のあたたかさを感じるとき

毎年季節が巡ってくる不思議だけは変わりません。

今年もやっぱり寒波がやってきました。

お預かり犬ちゃんを連れて一泊だけだったけど急いで立ち寄った七山では、気温が数度と下がりました。

この寒い季節の楽しみをいえば薪ストーブです。

同じ暖をとる方法でも、電気ストーブ、石油ストーブ、石油ファンヒーターと文明の利器はいろいろとあります。

便利なのはもちろん文明の利器の勝利ですが、あたたかさの中でもっとも癒されるのは薪ストーブです。

薪ストーブの炎はずーっと見ていたくなるのです。

薪のぱちぱちという柔らかにはぜる音も耳に心地の良いものです。

長い時間を七山で過ごしていただけるときには生徒さんたちもいっしょに薪ストーブで暖をとっていただきます。

ずっと見ていたくなりますねとみなさんが言われます。

本当にそのとおりです。

これはきっと人間の原始的な記憶に働きかけるのではないかと思います。

ヒトという動物がこれほど文明を発達させてきた起源は「火を扱えるようになったこと」ではないかと思います。

すべてのエネルギーはここから始まっているのではないかと。

そしてヒトといっしょに火で体を温めていたのは犬ではないでしょうか。

だから、暖炉の前に犬といっしょに体を温める時間はすごく昔のことを思い出させてくれるのです。

七山にある薪ストーブですが、当初は暖炉だったものをよりあたたかく安全に使えるようにと薪ストーブに作り変えました。

リフォームしたのはオポが他界した後でした。

薪ストーブへのリフォームには費用も時間も気力も相当にかかりました。

でもなぜか山での暮らしをオポがいなくなったと同時に止めてしまっては、自分がどうなのかなと思ったのです。

ここでの暮らしをもっと続けていく、そんな決心で暖炉を薪ストーブにリフォームしました。

今日は動画に収めたものをアップさせていただきます。

途中で空気の量を絞って炎の動きが変わっていくのを見ていただこうと思いましたが、その際わたしのズボンのすれる音が入ってしまい生活感満載ですみません。

年と共に七山までが遠くなったシニア犬ちゃんたちにも七山の癒しが届きますようにと願いをこめてこちらに動画を掲載します。

もちろん七山にいらしたときにはぜひ暖炉で体を温めてください。

[youtube]https://youtu.be/22lGMTAtSg0[/youtube]



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<クラス>グループトレッキングクラス開催しました

まだ秋とはいいがたい紅葉を待つ七山で、トレッキングクラスを開催しました。

不定期開催のグループクラスですが、今回はセミナー同日に行いました。

グループトレッキングクラスは、プライベートトレッキングクラスを受講していただいた後、犬ちゃんの状態に応じて受講が可能なクラスです。

プライベートトレッキングクラスとグループトレッキングクラスは開催の趣旨が異なります。

プライベートトレッキングクラスは通常のプライベートクラスと同じように、1頭(もしくは2頭)の犬ちゃんと飼い主さんの関係性に注目しながらアドバイスしていきます。

トレッキングしている犬ちゃんも飼い主さんだけに注目できますし、飼い主さんの方も他の犬に気を奪われる必要もありません。

わたしとも犬ちゃんの日常の行動と、トレッキング中の行動の比較や関連性についてお話することもできます。

また山歩きのスタイルや飼い主さんとの関係性を発展させる要素をクラスの中で試したり実践することが可能です。


グループトレッキングクラスでは個々の犬ちゃんや生徒さんに対するアドバイスはしていません。

プライベートクラスで実践できた犬との山歩きの行動を他の犬たちとの集団行動として実践していただきます。

グループとしての活動になるので、他の犬に過剰に吠える、防衛する犬ちゃんはご参加になれません。

ただ普段の生活では犬に過剰に反応する犬ちゃんも、グループクラスでは落ち着いて歩くことがえきる場合があります。

グループトレッキングクラスの参加頭数にもよりますし、犬の種類やサイズにもよりますのでこちらで調整させていただきます。

本来なら3グループ位がちょうど良いグループトレッキングクラスですが、セミナーの前は少し頭数も人数も多くなってしまいます。

無事に帰ってくるのが精いっぱいのクラスですが、普段は顔を会わせることのない生徒さん同士が交流される機会でもあります。

今回もなんとか無事に開催できました。

グループトレッキングクラスは2頭以上で組み合わせいたします。

それぞれのご都合に合わせたり、お預かり中の犬ちゃんにお手伝いいただくこともあります。

ただ、グループクラスに注目しすぎずに、プライベートトレッキングクラスでのステップアップを積み重ねることの方がずっと重要だということをお忘れないようにお願いします。

社会性とは他者との関係性の前に、まずは家族との関係性が一番です。

まずは飼い主と犬の関係作りのためにたくさんの時間を使いましょう。


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<日々のこと>都会と山で気温の分かれるこの季節

お預かりクラスやトレッキングクラスでたびたび七山に訪れるたびに感じることは、涼しくなったなあということです。

福岡や唐津がまだ暑いので、七山は涼しいというよりもむしろ寒いといった方がいいでしょう。

夜は窓を完全に閉め切ったうえに毛布を使わないといけないほど寒いです。

この夏の終わりのころが、都会と自然の気温の差を一番感じるときです。

山には北風が吹き始め、犬たちは高鼻を使って北風を臭うしぐさを見せてくれます。

この姿が大好きです。

風が吹くときに、どの犬も胸を上げて風を受け鼻を高くあげます。

人は風が吹くと体を丸めたり胸を閉じたりします。

同じ動物なのになぜこのような違う行動をするのかいつも不思議です。

小さな犬が風を胸に受けながら立っている姿は誇らしげで頼りがいがあります。

犬という動物は常に走り回ったり飛んだりしていると誤解されています。

本当の犬という動物はとても静かでゆっくりとした動物です。

その動物を必要以上に動かしたり興奮させたりすると、犬の脳に負担がかかってしまいます。

犬が活動していると、喜んでいる、楽しそうと思いすぎることにも少しストップが必要です。

犬は人にはないスピード、跳躍、感性、強さがあります。

そのことを身近で見たい楽しみたいという欲求が人にあることは特別なことではありません。

でもそれを操作しすぎるのは少し危険かもしれません。

犬のもうひとつの本来の顔。

悠然として身じろぎもせず、ゆっくりと歩き、地に脚がついたその力強い立ち姿をうっとりと眺めるのもまたいいものです。

これからはじまる長い秋のトレッキングシーズン始まります。

今年こそトレッキングをステップアップして、犬とのより良い関係を築いてください。

少し苦戦していたテラスの修理ももうそろそろ終盤に差しかかりました。

秋からまた草刈りなどいろいろと、毎日楽しく犬のこと考えています。

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<日々のこと>ヒグラシがなく夏の七山で「大丈夫」を知る犬

ヒグラシがなきはじめました。梅雨が明けたんですね。

ネットニュースで「九州地方の梅雨が明けました」などとわざわざ知らせてくれるのですが、ありがたいけど別にいいのになと思ってしまいます。

福岡では感じることのできなかったかすかな季節を巡る気配を感じられるようになったのは七山にいる時間が長くなってからです。

ある日の早朝一斉にヒグラシがはきはじめるときに梅雨が明けたと知るのです。

七山にきて初めての夏を迎えたときには、ヒグラシが一斉になくのを聞いてただただ当惑したものです。

昆虫が一斉に行動するって何事?異変、地変?と都会暮らしのバカさを爆発させていました。

昆虫が一斉に行動するひとつの理由は、一斉に孵化したときですね。

一体どうやったら365日のうちの1日しかないこの日を、しかもまだ一度も殻を破ってはいないのにわかるのだろうと今でも不思議でなりません。

外界の環境の変化を全身で受け取って行動をしているだけの昆虫ですが、脳がシンプルだからこそ行動もまたシンプルです。


犬も人に比較すると昆虫脳といわれる脳の辺縁系という部位が発達しています。

人よりも格段に環境を知る力があり、同時に環境に対して素直に反応してしまう動物です。

七山のお預かりクラスの目的のひとつは、犬の脳内に対して「大丈夫」を作り出していくことです。

過剰な環境や過剰な人の接し方、遺伝的な間違った情報の伝達によって犬の脳が「大変」を繰り返すようになってしまったら、この「大丈夫」のシグナルはなかなか出てこなくなってしまいます。

脳にたくさんの情報を詰め込みすぎると、本当に大切な「大丈夫」の情報がどこにいったかわからなくなってしまうのです。

このブログを書いている最中も今七山校のテラスで「大丈夫」を探している犬ちゃんがいます。

なかなか時間のかかる作業ですが私も犬も根気強く、ただそれしかありません。

ところが時間ってなかなかなくてですね。

みなさん忙しいです。超絶に忙しい。

なぜこんなに忙しいのかと思うほど忙しいのです。

シンプルに生きることはやはり永遠の課題になりそうですが、課題が永遠なわけありません。これはあくまで言い訳。

課題は乗り越えるためにあるのでしょうから永遠にはしないということです。

人がシンプルに生きると犬は幸せになる。多分そうなります。

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<おすすめのアイテム>田舎暮らしには必須の木酢液がいろいろと使えます

雑草が生い茂る季節となりました。

まだ草の勢いはそれほどひどくはありませんが虫たちは活発となりゴールデンウィークのお預かりクラスでも大活躍でした。

木酢液というのを使われたことがあるでしょうか?

木酢液は炭を作るときにでる蒸気から作られたものです。

臭いは硫黄のような独特のもので好みは分かれるでしょうが私は好きです。


実はこの木酢液を初めて知ったのは七山の直産物を販売されているお店に行ったときでした。

虫さされだったようで自分の手を書きながら購入する野菜を物色していたところ、お店のスタッフの方が「虫にさされたとね(方言です。虫にさされたのか?)」と声をかけられました。

そしてコレをつけたらすぐにかゆみは止まるからと、手にもっていたスプレーの液を私の手にかけたのです。

それでこれは何かという話になり、それが木酢液であることを知りました。

そしてその木酢液はまさにその産直野菜屋さんに販売されていました。

スタッフの女性の方はそのスプレーを陳列されている野菜棚にシュシュと振りかけていたのですが、その理由もあとでわかりました。



木酢液で検索されたらその効果を知っていただくことができますが、とりあえず自分が使っているのはこんな感じです。

・犬の体に虫よけとして使う

・自分の長靴に虫よけとして使う

・排泄物にかけてにおいけしとして使う

・家のまわりに虫よけ特にムカデ除けとして使う

・玄関回りにトビムシ除けとして使う

・虫に刺されたときにかゆみ止めとして使う

・お風呂にいれて美容のため、いや虫に刺されないように予防として使う


なぜか虫たちは木酢が嫌いらしいのです。

実際、虫に散布するとザーっと逃げていきます。

死ぬことはないようなのであくまで嫌っているということなのでしょう。

犬には害がないし美容の効果もあるらしいので全身にスプレーしたりします。

酢なので犬はちょっと苦手ですが、つけたあとになめたりすることはありません。


虫よけもいろんな種類ものがありますが、アロマタイプよりも効きがいいのではないかと思っています。

もう10年以上も七山で使っているので、つい毎年使ってしまいます。

犬たちの排泄物のにおいや分解には役立つようなので、お庭ではよく散布しています。


お値段ですが、ペットボトル大のサイズで七山では800円くらいです。

ネットで購入されるよりもお安いのではないかと思います。

お風呂にいれて美容に使う方法はよく知られているそうですが確かに気持ちがいいものです。


虫よけ用品で悩まれているでしたらぜひお試しください。

写真を撮ったのですがゴールデンウィーク中の大量の写真に紛れて探せませんでした。

七山校に来られたら実物がありますのでお気軽に使ってみてください。

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<日々のこと>自然と共に生きる「またぎ」の番組を見て思うこと

自然と共に生きている人、自然と共に生きようとしている人の姿を見ることで励まされることがあります。

自分の周辺の社会がまだ文明に侵されておらず、今でも自然のひとつとして生きている部族の方もいます。

そうではなく、すでに自分は文明社会の一員となっているのだけど、どうにかして自然の一部として生きようとしている人の姿に励まされるのです。

先日、テレビのドキュメンタリー番組で東北の熊と共にきるまたぎの姿が紹介されていましたので食い入るように見ました。

熊を探し、そして撃ち、そしてそれを感謝していただく。

熊を撃って手にいれたときは「山の神」という言葉で山の恵みをいただけたことを表現される。

手を合わせて弔いの儀式を行い、感謝してまたぎの方々全員に平等にその恵みが分け与えられる。

遠い日本の暮らしの一部をこの食べ物が豊かな文明の中で続けていくことの意義は、実際にそのことに携わったことのない私などには計り知れません。

今回のまたぎのそばには犬の姿はありませんでしたが、きっとこれが毎日の生活だったとき、またぎの傍には片時も離れずについていた犬の姿があったはずです。

人は熊撃ちの営みを続けられるまで続けていこうとされる中、犬たちはもうその場から姿を消してしまったと思うと悲しくなりました。

都会で幸せに生活をしている犬たちには、それぞれの幸せがあり熊撃ちの犬になる必要はありません。

熊撃ちの犬も都会の犬も同じ犬であるということを忘れたくないだけです。

自分も自然から離れて文明社会で生きているヒトという動物です。

自然に近づきたいと犬いっしょに山を歩いたり、竹を切ったり、草を刈ったりするのが精いっぱいです。

そんなわずかな時間でも、犬が犬として過ごす時間を共有することができることに幸せを感じます。

はだしで山を歩いて、獣のにおいを嗅ぎつけて、竹藪に顔を突っ込んでいくような、そんな犬の姿にワクワクしてしまいます。

熊撃ちの方に「なぜ熊を撃つのですか?」という質問をされていました。

生活のために必要のないことをなぜするのかという意味でしょう。

ハンターという音でいうと趣味的な要素が強くなりそうですが、またぎ達はハンターとは言われたくないといいます。

なぜ熊を撃つのか?にはっきりとした言葉はありませんでした。

当たり前だと思うのです。

なぜ山を歩くのですか?と聞かれているのと同じことです。

そこに答えはありません。

楽しいからでも、健康になるからでも、やせるからでも、疲れてよく眠るからでも、長生きできるからでも、最初はなんでもいいのです。

でも最後は答えは必要ではなく、ただ生きているから、そんな感じです。

山歩きには最高の季節が続きます。

花粉症の方も逆療法であえて山入りしてください。

またぎと比べることはおこがましいですが、犬たちはいつでも山とひとつになれそうです。

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<クラス>トレッキングクラスと竹切りお疲れ様でした

春のこの季節、グッドボーイハート七山のトレッキング中に目につく伸びすぎた竹たちをお手入れしました。

トレッキングクラスの後、有志の生徒さんたちにご協力いただいて決行です。

竹を切るのこぎりやら大きなハサミなど、普段の生活の中では使うことのない刃物を使っていただくのでケガをされないかと心配しつつも、やりながら上手になっていくことがきっとみなさんの将来に役立つはずだと思い込んで応援しています。

この竹切り作業中、番犬を任される犬たちは作業から安全かつ敷地を見渡せる場に配置されています。

番犬のできそうにない犬たちにはそれぞれのハウスに待機するなどのお役目もあります。

犬も適材適所ですからそれぞれの性質や状態にあった仕事を任されることで成長の機会を得られます。

どんなに小さな犬でもみんなが頑張っているときには協力することを求められます。

普段ならわがままをいいそうな犬ちゃんでも、人が命をかけて仕事をしているときには黙って手伝ってくれるものです。

山の手入れは本当に命がけなので、見ている犬の方も真剣モードになれるのかもしれません。

孟宗竹はものすごい重量でして、切り倒して倒れてくるときにケガをしたら大変です。

また竹は用心しないと切目が鋭利で武器にもなります。

なんどかヒヤッとする思いをすると、嫌でも慎重にならざるを得ません。

数名の女子部での作業になりましたが、本当にスッキリとしました。

グッドボーイハートが七山に学校をもって12年になります。

この12年間、たくさんの人がこの山の手入れを手つだって下さいました。

ここに育っている森は、決して私ひとりでは育てることのできなかった貴重な場なのです。

だからこそ守り続けたいと思い、この尾歩山で犬たちの生命がワクワクするのをこれからも見たいと思います。

作業の後のお昼ご飯は最高に美味しかった。

そして、作業を手伝ってくれた犬たちの姿にまたうれしさを感じました。

4月から5月にかけてもう少し頑張っていきます。

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<犬のこと>犬が季節を感じる環境が毎日どこかにありますか?

人の暮らしに寄り添うことが生きることになっている現代の犬たちにとって、毎日の幸せって何でしょう。

おいしいゴハンを食べたり、おやつをもらうことだったり、人になでてもらうことでしょうか。

食べたり安心して寝たりすることは犬が生きていく上で一番欠かせないことですから、食事と睡眠と休める場所を持っていることは幸せのベースであることは間違いありません。

でも動物として生きる幸せを考えるとき、これだけで幸せというにはあまりにもさびしいものです。


犬の表情や行動をずっと観察していると、犬たちがちょっときりッと緊張したり、ふんわりして力を抜いたり、目を輝かせているときは、やっぱり自然を感じているときだと思います。

太陽や風や緑や土のにおいをかぎながら、犬の生きる環境の中で少しずつ変化していく小さなことに気持ちが向いてしまうのは人だって同じことです。

例えば犬との散歩中に梅の花が咲いていのを見つけたり、どんぐりが落ちていることに気づいた位r、良い花の香りが漂ってくるときに、世界がちょっと豊かになった気持ちになります。

変化するこの季節の中に生きているということが時間の流れを感じさせるときでもあるし、そのひとときを味われるときでもあります。

そしてこうしたひとときこそ、犬とともに環境を共有し季節の移り変わりを何かの変化を感じることで知覚し、何か特別な気持ちを共感するそんな小さな幸せのときです。

この小さな幸せを全く失ってしまうことを恐れるからこそ、人は都市空間に公園を残し遊歩道を作って木を植えたり花を育てたりしているのでしょう。

さびれた都市空間を犬と散歩をしても、わずかに残された自然にふれることは、散歩のごほうびです。


散歩と同じように自宅の庭の空間で季節の移り変わりに触れることは、自然にふれること。

生徒さんがご自宅で春の芽吹きを見つけた犬ちゃんの写真を送ってくださいました。

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木から芽吹く緑のにおいに引き寄せられてにおいとりをする梨江ちゃんの姿です。

実は梨江ちゃんは生まれながらに抱えている病気があり、散歩に出ることができません。

幸いにも梨江ちゃんのご自宅には十分に整えられたお庭があり、梨江ちゃんは毎日多くの時間を庭で過ごしています。

毎日においをとってパトロールをして、庭に変化があるとこうしていち早く見つけます。

散歩に出かけられる犬たちと比較すると梨江ちゃんの世界は小さなものですが、その犬の中にある世界は決して小さなものではありません。

世界は脳が作っているのですが、犬は人のように余計な妄想を膨らませて世界を作ることはありません。

ですが、犬がストレスを抱えすぎると犬の脳は特定の場所にかたまるようになり自虐行動や執着行動、不安行動と特定の何かに執着する萎縮した世界を構築してしまいます。


犬の世界を変えてくれるのは、結局は自然の世界です。

ほんの小さな自然でも構いません。どこか自宅の近くに自然の力を感じられる空間があれば、まずはそこから感性を育てましょう。

小さな梨江ちゃんもまだこれから世界を広げていく可能性も十分に持っています。

実は梨江ちゃんですが、お庭への階段をひとりで降りて自力でお外に行けるようになるのに、数ケ月かかりました。

最初は庭に連れていっても、すぐに部屋に戻ってしまうような状態だったのです。

その段階でお外が苦手と決めつけて梨江ちゃんを室内に閉じ込めてしまっていたら、梨江ちゃんには今の世界はなかったことになります。

何がかわいそうなのか、本当の愛を持って考えていただけると犬にとっての困難もいっしょに乗り越えていくことができます。

犬は最初から自然万歳ではないのです。

犬は慣れ親しんだものから離れるのが怖いのです。

だからこそ飼い主さんがいっしょに歩いてあげましょう。


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<おすすめのアイテム>犬用ハーブについての追加の意見

先日、ブログで紹介した犬用のハーブについての追加の情報と意見です。

最初のご紹介ページは以下からご覧いただけます。

<おすすめのアイテム>サプリメントも使いかた次第:犬用のハーブは犬の健康のためにおすすめします


犬用のハーブと上手につきあっていくためには、自然療法というものとどうやって折り合いをつけたらいいのかということだと思います。

このことについて、自分が飼い主としてこうやって選んだり考えたりしてきたということをお話します。


たくさんある犬用のハーブを選ぶにあたり、どの商品を選んだらいいのかで迷われることでしょう。

まずはコストパフォーマンス、値段が安い方が良いに越したことはありません。

かといって安かろう悪かろうでは結局お金を無駄に使うようなものです。


ハーブは一度に使う量は少量と限られています。

100グラムのハーブを購入したとしても、小型犬なら1回に与える量は小さじの半分とか4分の1くらいの量です。

ほんの少量なので、100グラムのハーブで半年くらいは継続して使用できます。

ハーブは保管状態が良ければ悪くなることはありませんので、安いものを買うというよりも良いものを継続して使うことを考えて大きめのサイズを購入されることをお勧めします。


価格よりも先行して選択の理由としたいのは、むしろどのハーブが使われているかということでしょう。

ハーブは目的に応じて選ぶものですから、その目的にあったハーブを使いたいからです。

目的の例としては、デトックスとか、消化器系のサポート、関節のサポート、皮膚用など様々です。

目的にあったハーブを使いたいために、ハーブのどんな種類が入っているのか調べてみたり関心を持たれることはとても大切な勉強になります。

以外に身近なハーブが使われています。

たとえば、ショウガやアザミといったハーブも使われていて、人と同じ用途になっているので学ぶことも多いです。


ですがここで一番大切なことを忘れてはいけません。

個々のハーブにはそれぞれに効能的なものがあり、こうした作用がありますよといった分類に分けることができます。

ただハーブの力が本来発揮されるところは、これらの個々のハーブたちの「調合」にあります。

この「調合」がうまくいっていないと、ハーブたちは結束して力を発揮することができず、ただ競うあうだけの存在になってしまいます。


ハーブたちがうまく協力しあって作用してくれるように「調合」する専門家、それがハーバリストなのです。

調合に関しては漢方薬と同じと考えていただけます。

以前、漢方薬局で薬剤師の方に食事について質問されてたときに、雑穀を白米に混ぜて食べる十六穀米かなにかを食べていると自信ありげに話したのですが、それは調合の問題なのでたくさん食べればいいということではないと即答されたときには驚きました。

つまりはハーブも同じように、効果があるからとたくさんとりすぎても意味がなく、経験のあるハーバリストが調合したものこそエネルギーを発揮するということです。

成分的な作用はもちろんあるのですが、ハーブはそれ以上にエネルギーを用いた自然療法のひとつであることを否定できません。

私はハーバリストではありませんし、ハーブの専門家でもありません。

ただ自分が思う犬にハーブを与えるというのは、犬に自然エネルギーをいただくという意味を持っているということです。


ということは、他の癒しと同じように短い間で結果を出そうと取り組むと失敗に終わることが多いのです。

どんな癒しによる変化も、いつの間にかそうなっていたというように取り戻すように変化していくものであって、急激に良くなったと感じられるようなものではありません。

もちろん、こうしたハーブを自然の雑草の中からとるのは大賛成です。

犬たちはそれぞれに自らのハーバリストですから、自分の体調に応じて必要な雑草があればそれを体に取り込もうとするのは自然の力のなす技であり、ぜひその力を使ってほしいからです。

ところが、都会にはなかなか豊かな雑草の生える空間がありません。

豊かな雑草という言い方自体が間違っているといわれそうなくらい、雑草たちは都会では生えることも許されていません。


犬の中には自然とのつながりが遠くなってしまい、雑草を食べることもできなくなってしまった犬もいます。

こうした犬たちの中にはハーブを食事にいれるとごはんを食べない場合もあります。

これらの犬たちも山歩きを重ねていくと行動が変化してきて、雑草を食べるようになることがあります。

この風景は今までなんども見てきました。

雑草を食べなかった犬が、はじめて草を食べているを見たときの喜びはなんとも言い難いものです。


たかがハーブですが、ゆっくりと犬の体に浸透していきます。

結果もうれしいものですが、その過程をぜひ楽しんでください。

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