グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬と猫のコミュニケーションが面白い!犬語なのか、それとも猫語なのか?

犬と猫…。

犬猿の仲とは違いますが、いろいろと確執のある関係のようです。

どちらも人のテリトリーの中に住む動物ですが、その家畜化の歴史には違いがあることをあのローレンツ氏も「ヒト犬に会う」の著書の冒頭で述べています。

同居する猫がいないとしても散歩中に出会ったり庭で対面したりと、犬にとって猫の存在は日常的なものです。

犬にとって人という動物が社会的な動物であるのと同じくらい、本来なら猫は犬にとっての社会的動物であると思います。

ここでいう社会的動物とは、敵対する可能性もあるが、そうならない可能性もあり、ある程度のコミュニケーションがとれて対立を回避することも可能な動物という意味です。

 

先日お預かりの犬ちゃんが庭にいるときに、となりの猫と絶妙な掛け合いをするのを観察することができました。

犬ちゃんは小庭の柵越しに外を見ていました。

ちょうど対面の家の屋根の上に猫がいます。

猫は屋根の一番端まで出てきており、私が見たときにはすでにその位置からこちらの庭の中にいる犬にうなり声を上げていました。

どちらが先に視線を送ったのかはわかりませんが、猫と犬は対峙した状態でお互いに視線を外そうとしません。

猫の方は「ヴーーーー」と低いうなり声を上げていますが、姿勢は座ったままです。

犬の方は四つ足で立っていますが尾は下がったままです。

そのうちに猫はうなり声を上げるのを止めました。

でもお互いに視線を外さずにずっと見合っています。

いつまで見合っているのだろうと私もその光景を窓越しに見ていたのですが20分くらいそのままお互いに見合ったままでした。

そのうちに、猫の方が「飽きた」という感じなのか先に動き出しました。

屋根の先からひとつ家の方に入ったテラスの方に移動してまたこちらを見ています。

猫がひとつ下がった段階で犬の方は尻尾を少しあげましたが横には降っていません。

そのうちに猫がテラスでころころと寝転んで背中を床に着けてこすりつけるような行動をはじめました。

犬の方も猫からときおり視線をはずして体の向きを左右に変えたり近くの臭いをとったりし始めました。

猫はころころと身を返しながら時折おきあがって犬の方を見ています。

犬も視線をときどきそらしながらもまだ完全に猫から目を離すことができません。

トータルで1時間ほどたってから猫がいなくなってしまいました。

猫がいなくなると犬も別のことを始めていました。

 

そもそも預かりの犬ちゃんはまだ若く、そんなに長い時間ひとつのことに集中しているのを見たことがありません。

この時には猫に対峙している時間がかなり長かったことに驚きました。

コミュニケーションの優先権は猫の方にありました。

うなられて、ガン見されて、無視されて、また凝視されるを繰り返される。

犬の方はただ猫の攻撃性が高まらないようにか、ほとんどじっとしているしかできません。

それでも猫の行動から自分へのコミュニケーションを受け取ろうとしているのがわかりました。

 

都会では犬同様に猫のテリトリーも狭く、喧嘩するか逃げ惑う猫の姿しか見ることができません。

猫はいつも走り出し、犬はそれを追うような行動を見せます。

猫は犬から逃げているわけではないのですが、猫が逃げるから犬は追う、という行動のパターンが身についていきます。

ただ「逃げる追う」という単純な行動の中にコミュニケーションや関係性はありません。

ところがこんな里山の犬と猫のコミュニケーションは違います。

テリトリーは広く猫はいつもゆっくりと歩いているのを見ることができます。

同じように昔はよくフリーで歩いていた犬もほとんどゆっくりと歩いている姿しか見ることはありませんでした。

そもそも走っている姿を見ることの方がなかったと記憶しています。

そういえばオポもこの七山に住んでいるときには、走る姿を見ることはあまりありませんでした。

日常的にはいつも歩いているだけで走る必要があまりなかったようです。

広いテリトリーと安心安全を確保した動物はコミュニケーションを楽しみます。

今回、この猫にしてみれば犬を相手にそう長い間対峙することの重要性はさほどなかったと思いますが、ほとんど暇つぶしのように相手をしてくれていたようです。

犬の方はなかなかできない経験をしたようで良い社会勉強となりました。

種の異なる動物たち、コミュニケーションの方法もかなり違いがあります。

それでも長い歴史の中で隣人的な存在であった犬と猫。

空間さえ整えばコミュニケーションには発展性があることを再認識できました。

社会化は逃げたり追ったりすることではない、何かのヒントになればと思います。