グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬とテントで過ごしたときに見た夢:今度はたくさんの犬が出現する!!

 ゴールデンウィークはどのように過ごされていたでしょうか。
たくさんのお休みでマンションを脱出して自然の中で犬とゆっくり過ごした方もいたでしょう。
ご自宅のお庭で日向ぼっこする犬とまったりと過ごされた方もいたことでしょう。
 グッドボーイハートの七山校でも晴れのひとときを犬たちがそれぞれにゆっくりと過ごしていました。自分もテントクラスに参加して、犬たちの今年はじめてのテント泊をしました。

●テントでふたたび見た不思議な夢のこと

 犬と寝るテントクラス(ドギー・テントクラス)の夜に、また不思議な夢を見ました。わりと夢を覚えているほうらしく、今までにも何回も現実なのか夢なのかわからないほどの感覚のある夢を見たことがあります。テント泊のときにもなんどか同じ経験をしたことがあります。
昨年のテントのときに見た夢については以前ブログで紹介しました。
 こちらです→犬とテントで過ごしたときに見た夢:動物の楽しい化かしなのか?

 そして、また不思議な夢を見ました。その夢はこんな内容でした。

 テントの中でいっしょにテントにはいった飼い主さん1名といっしょに座った状態で体を起こしています。わたしたちが身を潜めてみているのは、山の下からゆっくりと人の道を上がってくるいくつかのライトの光でした。身を潜めているのでお互いに言葉もなく、テントに入っていた犬たちも伏せていますが静かにしています。ライトはどんどんテントに接近してくるのがテントの中からすけるように見えます。レースのカーテン越しに見ているような感じです。

 接近してくるとより詳細に様子がわかりました。ライトを持っていた人が7,8名くらいいて大人から子供まで横一列にならんだようにたっています。服装はぼんやりとしたブルーっぽいカモフラージュのような色で少し古い雰囲気のもんぺと羽織のようなものに見えました。
 声が聞こえてきました。「こんにちわ、何かご迷惑をおかけしたでしょうか。」というようなあいさつのようなものでした。声の主はとなりのテントに犬と入っていた飼い主さんのものでした。わたしたちが身を潜めている間に、声をかけられたのかと思って聴いていました。ほどなく声は消え去り、再び静けさだけが戻ってきます。

 そして、テントの布越しに透けて見える姿が少しだけはっきりしてきたような感じがすると、その人々の前にやはり大小の年齢の白い犬たちがしっかりとこちらを向いてたっていたのです。脚が長くスラリとしていて、大きなものは背丈が人の腰下くらいでした。毛は短毛ではなかったですが、長毛でもなく、少しだけ毛足がある白い色の毛でした。洋風のオオカミほどの幅はなく少しやせていてそれでもしっかりとこちらを見ていたことだけを覚えています。その犬たちが見えると後ろの人々の形が少しぼやけてきました。夢はここで終わりました。

●この夢を引き出しかもしれない前の日の談話

 テントでは熟睡はしていないので、途中で人の気配や犬の動き、野生動物の気配などで目が覚めることが普通です。このときも、途中で目が覚めて「あれ、さっき見たライトがさして人と犬がいたあの光景は夢だったんだ。」とぼんやりと考えてしまうのです。頭は半分寝ていますのでこのときは、その夢の意味を考えることはできません。ただ、覚えておきたくてどんな夢だったのかをもう一度頭にイメージさせてから再び眠りました。夢の中に出てきたテントのパートナーも実際の飼い主さんといっしょでした。隣で声を発した生徒さんも全く夢と同じ状況でテント泊をしていました。みたもの以外の状況は、その日のテント泊のままなのです。

 実は、このテント泊の夜の会食のときに生徒さんたちと犬の繁殖による行動の変化についていろいろと話をしていました。ブログに書いたカフェのマナーのこと(ブログ記事:オープンカフェでみるとんでもビックリな犬の光景:欧米と比較して考える都心の犬)がテーマとなり、ずい分深くお話したのです。日本は純血種を飼うことが当たり前のような傾向がありますが、欧米と日本の犬の文化の違いや犬のサイズの違いなどは比較すればするほど、以下に日本が独特であるのかがわかると思います。日本の飼い主たちがどのような犬を求めているのか、そしてその求める犬が繁殖されることで、犬はずい分犬らしくなくなったと感じることがたくさんあります。
 日本には、日本の国土が育てたイヌもしくは犬はいなくなってしまうのも時間の問題かもしれないという危機感があるという話をしていました。この話が、テント泊での夢を引き出してきたのかもしれないと感じました。

 「山怪」という本にも記されているように、山では不思議なことがよく起きるのです。その夢は室内では見ることはできなかったでしょう。そして、その夢の意味を自分がどう受け取るのかも自分次第です。ですが、こうした不思議を体験できることは、自分にとっては人生を少しだけ豊かにしてくれるものとして有り難く思います。

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犬にも漢方:山の薬草を動物が得る不思議

生徒さんのお宅で、子犬が異様な形の木のようなものをかじっているを見ました。

これって何ですか?と尋ねると、それは「さるのこしかけ」だとのことでした。
さるのこしかけが漢方薬として使われているということだけが頭に浮かびました。

そのさるのこしかけは飼い主さんが山で見つけて自分用に取って来たらしいのですが、子犬がそれをみつけてかじり始めたので、遊びものとして与えているということでした。

子犬がかじっているさるのこしかけは半分くらいなくなっていて、見ているとかじりながら食べていたので、半分は食べてしまったということのようです。

とても不思議な光景でした。

というのは、犬は山ではきのこ類にはまず手をつけることはありません。
犬らしく説明するなら、食べたりかじったり臭いをとることすらありません。

きのこ類は毒性が大変高く、間違って口に入れると死に至るものもあります。
なんでも口にいれてしまう犬が食べてしまったら大変危険なもので、その上山のどこにも大量のきのこ類が簡単に口にできる場所にあるのですから、管理しようと思っても無理があります。

最初は心配したのですが、犬はまったくきのこには関心を示さないということがわかりました。

さるのこしかけもきのこ類の一種です。
そのさるのこしかけを犬がかじっていたのが不思議でした。

老犬ならまだしも、子犬にさるのこしかけが必要なのかどうかはわかりませんが、これが毒物ではないことをわかって食べているのだろうなという印象を受けました。実際に本当にそうかどうかはわかりませんが、その子犬に関しては大変慎重な性質をその行動でみる機会があったからです。

子犬は散歩途中の野原の中で動くものがあっても、じーっと身をひそめて様子を遠巻きに伺った上で、その動くものの気配がなくなると遠巻きに臭いをとって立ち去るという反応を示していました。
とはいえ、子犬です。たいした理由もなくかじられるものをかじって遊んでいたという見方できるので、体が必要としたから漢方を用いたというわけでもなさそうです。

犬は自分の体調にあわせて草を食べたり、土をたべたり、朽ちた木をかじったりします。
自然の中にあって自分の体が求めるもとを自然と取り入れるのは、野生動物であった記憶がまだ残っているといううれしいお知らせです。

漢方は動物たちが体の状態にあわせて取り入れているものを観察して得た知識が基盤になっています。犬がそうした行動をとるのは当たり前のことなのでしょうが、長らく自然から隔離されていた動物としての犬が自然の力を利用する姿を見ると、本当にうれしくなります。

山でさるのこしかけを見つけた、という飼い主さんの言葉が耳に残りました。
早速、七山でもさるのこしかけ探しをしてみました。なんとたくさんあります。
それがさるのこしかけであることに、今まで全く気がつきませんでした。

わたしたち人間はというより、文明人は知識としてしか必要なものを得ることができなくなってしまい、動物としてはずい分と能力を落としたものだなと改めて思います。
何かを得れば何かを失うのか、それがバランスなのかもしれません。

ここにさるのこしかけがあるという話題から、さるのこしかけは買うと高いという話題へと移ってしまいます。
なんでも対価になってしまうのも、私たち文明人の脳の偏りなのかもしれません。

そんな気持ちにならない犬の世界がいいなと思ってしまうのはわたしだけでしょうか。


dav

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馬語の本に見る犬語

先日知人が尋ねてきたときに「この本いただいたんです。見てみてください。」と置いていかれた本が「馬語の本」でした。

著者はライターの方で馬の専門家ではありません。普通の人が馬と接して感じたことや、自分なりに動物を観察してその行動から馬の気持ちをしようというもので、犬の気持ちを犬語といっているのと全く同じとらえ方だったので、楽しく拝読しました。

犬は動物を捕らえて食べる捕食動物といわれる部類であるのに対し、馬の方は食べられる方の草食動物です。あきらかにそれぞれの立場は違うものの、馬も犬と同じように群れをなして移動したり生活をする習性があるため、その社会的な行動には多くの共通点があるようです。

たとえば、馬が後ろ脚で蹴るという行動をしますね。犬などの動物に襲われそうになったときも馬の後ろ脚で蹴られるとひとたまりもありません。馬の防御的攻撃行動ともいえるものですが、直接的に攻撃しなくても馬は苛立ちを感じたり強さを示すときに後ろ脚で地面を蹴る行動をするらしいです。

実は犬も後ろ脚で地面を蹴る行動をします。よく見られるのは排泄の直後ですが、排泄行動との関連性がなくても、地面を脚で蹴る行動をすることがあります。直接的には自分の臭いを地面につけるマーキング行動のひとつになっていますが、馬と同じようにちょっと虚勢を張る行動でもあることから、似てるなと感じたのです。

他にも耳の動かし方などは似ています。特に緊張をする耳を後ろに倒したりする社会的な行動は犬にも見られます。

一番納得がしたのは、人が馬に近づく方法です。
馬が人を認識したら馬が近づいて人のことを危険でないと感じるまでは、視線や姿勢を馬のほうに向かずほとんどうごかずに直視せずにたっておくというものでした。文章のままではありませんが、行動としてはこのような接し方です。そしてゆっくりと相手が自分を認知し、危険でないと受け入れてから次のコミュニケーションが始まるというものです。

この接し方は馬が大変怖がりで、距離を縮めたり接近したりしないようにという注意を払うものですが、あれほど大きな馬に対してでもこうやってゆっくりと接していく必要があるのに、小さな子犬や犬に対してであれば、なおさらのこと距離と時間をかけて相手が自分を確かめるまで待ち、認知が進まないのであればくり返しそのチャンスを与えるという時間をかけなければなりません。特に子犬や小型犬に急に近づいて手を出して触ったり見つめたり声をかけたりすることをくり返していると、犬はすぐに人に対して吠えたり、来客が来ると興奮してとびついたり走り回ったりするようになってしまいます。

そして、最後に犬のことにふれてありましたがこの部分だけは私は違う見方です。
本の中にはこうありました。

引用ココから
ウマにとっての人間は「積極的に自分から仲良くなりたい存在」ではないからです。ウマは仲間と草を食べて暮らしてゆければ幸せです。そういう環境にいられるのなら、人間は特に必要ありません。

もちろん、おいしいものをくれるとか、かゆいところを掻いてくれるからという理由で人間に近づいてくることはあります。でも、それは、犬が人間のことを大好きで、ずっとそばにいたいと思っているのとはちょっと違います。ウマはもっと淡々としていう、という感じでしょうか。

ココまで
・馬語手帖 河田桟 発行所カディブックスより

本当に犬は人間のことが大好きでずっとそばにいたいと思っているでしょうか。
みなさんはどう思うでしょうか。

私は少し違う考えを持っています。
犬と人は特別な歴史を持って近づいていきました。犬は人を求め、結果人も犬を求めそして共に同じテリトリーを守りながら協力関係を結んできたのでしょう。ですが、人が犬を飼うという新しい関係が生まれました。そして現在に至るのです。

犬は繁殖によりとても無力で学習能力も低くなってきました。執着も高く欲求の偏りも大きくなっています。同時に病気も大変増えていますね。犬は馬と同じようにもっと淡々としていたのでしょうが、時代と共にその姿は消えていきそうになっています。

ある動物を研究する方の著作には、馬についてこんな風に触れていました。馬は世界でもっとも過酷な運命をたどった動物である。なぜなら野生の馬というのはもう1頭も存在しないからだということでした。牛であれ豚であれ、その元の動物は存在しているし、世界の中には人に飼われていない野犬はまだまだたくさんいます。動物の人の関与も動物の淘汰の歴史のひとつでしょうから仕方のないことかもしれません。しかし、人というのは短い時間で環境に影響を与える特別な動物だと感じます。自分の近くにいる動物が変わってきたら何かのお知らせです。今一番変化しているのは実は野生動物ではなく、犬と猫ではないかと思っています。みなさんはどう感じているでしょうか。

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薪割りは体幹トレーニングとして

午前中の尾歩山でのトレッキングクラスの前に、久しぶりにチャレンジしました。

薪割りです。

10年くらい、薪を割る機会がなかったため、斧がさびてしまいました。
最近庭木の手入れをしたときに少し太い木が出てしまいました。
広葉樹だったので薪ストーブ用の薪にしたい。
でも斧がない…。

10年前も決して薪割りはあまり得意ではありませんでした。
なにしろ斧は重いし、少し怖いです。
でも、最近バランス感覚が鈍っているような気がして、バランスを取り戻すためにできることを捜していました。それで「よし、薪を割ろう」と思ったわけです。

早速、斧を買ってきて今朝、久しぶりの薪割りとなりました。

かっこよくできたといいたいところですが、最初の一刀で木の間に斧の先がはまってしまい、どうやっても抜けなくなり、それを抜くのに大変な時間がかかってしまいました。
もともと苦手なことを、ずっとやってなかった上に、この10年で年もとっています。

気をとりなおし、もう一度バランスをとるために調整をしてみました。
ヒーリングでいうと、呼吸を沈めてグラウンディング、自分の中心をみつけて丹田に気を沈めて、みたいな感じです。
そして斧を振り上げるのではなく、自分の体のひとつとして手を上げて、まっすぐに落とすだけです。

だんだん気持ちよく割れるようになってきました。
体も温まってくれます。

薪は人を三度暖めてくれるという言葉はどこでいわれたのでしょうか。
薪を割るとき、
薪を運ぶとき、
薪をくべるとき


薪割りは気を許すと大きな怪我につながります。
それだけに気持ちも引き締まり、落ち着きも取り戻せます。
自分のバランスの悪さを知り、そこに向き合う時間にもなります。

薪割り機というのもあるけど、それはそれとして便利に使い、
薪割りの精神というのは忘れないでいたいと思うのです。

犬は人が何かに対して真剣であるときには、よくわかっています。
ぐうたらとしていることもよく知っています。
犬はこわいくらい、何でも知っていますね。

薪割りはみなさんに体験していただくには少し危ないのでお願いできませんが、
こんな楽しく自分を鍛えられることを、独り占めするのももったいない気がします。

薪割りをした薪を使う薪ストーブの工事が始まりました。
今まで使っていた暖炉とはサヨナラになります。
今までありがとう。これからは新しい姿となってまたいっしょに楽しくやりましょう。



dav






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犬と共に癒しを体験するとき

少し遅めの初詣をかねて今年「尾歩山(おぽさん)」歩きが始めての犬と飼い主さんといっしょに山歩きをしました。年のはじめということもあって、山歩きの一歩一歩も感慨深いものになります。
今年は何才になるねといった話題も出たりして、ずい分を年齢を重ねてきたけど、こうして犬と一緒に山を歩く時間が持てているという率直にうれしいという気持ちが伝わってきます。

犬の方は一年のはじめということもなくいつもと変わらない日々。ただそれぞれに毎日少しずつ経験を重ねたり年月を重ねるうちに、前よりもずい分と落ち着いた歩きになったり、月日の積み重ねが脚の運び方にあわられたりするけど、そのことを悔やんだり悲しんだりすることはありません。
飼い主さんと一緒に冷たい風を受けながら、一歩一歩と歩く共同作業は犬の気持ちを飼い主さんに近づけてくれる時間になっています。
自然の良い気の流れる過ごしなれた場所での飼い主さんと犬のひとときは、飼い主さんにも犬にも「気持ちの良いとき」を与えてくれます。それこそが癒しの時間です。

犬を飼う目的が「犬に癒されたい」と口にされる方もいますが、癒しているのは犬ではなく犬がつながっているもっと大きな世界です。犬とともにいて「癒される」と感じるなら、その犬がつないでくれる自然の世界に、飼い主さんを案内したいと窓口になっていてくれるからでしょう。いつまでも間に立つ大変な役割を犬に負わせないで、飼い主さんと犬がいっしょにその癒しを受け取れるようになれば、犬との関係はそれまでとは違ったものになるでしょう。

犬と体験してほしい山歩きは、流行りのアウトドアイベントではありません。山で走り回ったり興奮したりはしゃいだりすると、自分のやりたいことが優先してしまってせっかくの受け取れるものを受け取る機会も失ってしまいます。「山に入るときには謙虚に静かに」これがグッドボーイハートのルールです。

山を知らない犬は最初はとても興奮してしまいます。テリトリーの問題、どのように行動していいのかわからない、人が管理できない空間の怖さ、他の動物達の気配におびえること、そして山を知らない人間の不安定さと自然の中でのバランスの弱さを動物として察知してしまうからです。

では何から始めればいいのか。筋トレなどは効果はありません。
わたしは「呼吸」を大切にしています。
自然の中で過ごすには、自然のリズムに共鳴できるようにすることです。
別のものとして自然が排除したいという存在ではなく、自然と共にいることを許される存在として自然に受け入れてもらおうと思うと、呼吸は自然にゆっくりと深いものに変わっていきます。
そうすると、きついと思う山登りなはずなのに辛さが全くなくなります。息もあがらなくなるから不思議です。結構急坂な尾歩山ですが、いつも落ち着いて歩くことをオポに求められれて歩き続けた結果、まったく辛さを感じずに呼吸を自然と整えながら歩けるようになりました。これもオポという犬から学んだ大切なことです。

癒しをちゃんと受け取れる方法は他にもあります。これも自然とできるようになるのですが、山を歩きながら「ありがないな」「気持ちがいいな」「豊かだな」と思えることです。飼い主さんたちも自然とそんなコトバを口にしています。自然の癒しの力は本当に偉大なものだと痛感します。
年をとって山に登れなくなった犬たちにも、まだ山に到達しない犬たちにも、尾歩山からすべての犬と飼い主に豊かさが届けられますようにと祈ります。

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犬の恐怖心、不安を考える

それはひと月ほど前に起きました。

庭に続く山の笹林の手入れをしていたときです。
その日は小雨がふっておりコンディションが悪かったのですが、時間がとれなかったため、今日のうちにやってしまえと思ったのです。
少し前に切り倒したばかりの笹が横倒しに倒れており、その上の踏みながら歩かなければいけません。倒れた笹はまだ若いために踏みつけることもできず、笹の重なりがばねのようになってしまい、とても歩きにくく、濡れてすべりやすくなっていました。
夕方で作業を早く終わらせたいという気持ちのあせりもありました。それで、うっかりと脚を滑らせて後ろ向きに倒れたのです。背中が倒れている場所は平地ではなく下り坂なので90度倒れるよりもっと大きく、180度に近いほど後ろに倒れることになりました。

不思議なことはこの瞬間に起こりました。

あ、倒れると思ってから背中が地面に着地するまでの間が、スローモーションだったのです。
倒れてしまった瞬間に普通の速度に戻っていました。
倒れて怪我をしなくてよかったと思うよりももっと前に「今、見たものがスローモーションに見えたのはなぜか」と思ってしまったのを鮮明に覚えています。

映画の事故などの危険なシーンを直前にしたときに映像がスローモーションになるのはそのように見た人がいるからなのだと、今さらですが自分が体験してはじめて真実であることがわかったのです。

ネットではありますが少しだけ調べてみました。今年千葉大学が「危険なときには視覚能力が高まり事態がスローモーションのように感じる」という研究結果を出していることがわかりました。科学的に説明されればさらに納得がいくのでしょうが、実際にその体験をしたことがある人たちが証言すれば、それも信憑性のうちといえるのでしょう。

生徒さんにこの体験を話したところ「私の友人も遊具から落ちる瞬間にスローモーションになったといっている」という話を聞きました。同じような体験をした人がいて安心すると同時に、こうした不思議な動物の能力はきっと、いや確実に犬に備わっているに違いないと思えたのです。

なぜかというと、危険を感じる能力は動物の方が人よりも圧倒的に高いからです。それは動物が脅かされているという意味ではありません。動物は危険を感じたらそれに対してみずから行動する力を持っているという意味です。人は自律して行動しているようで、意外にそうではありません。自立や独立はしているのだと思いますが、いざというときに必要に体が動く人はそれほど多くないと思うのです。人はあらゆる道具と科学の力を駆使して安全を獲得したと思っているため、危険に対して鈍感になりすぎていると思うのです。

犬も同じかもしれません。危険なものを危険だと犬が認識してしまうと、人は犬を飼うことが難しくなります。犬を人のそばでたやすく飼う方法として、危険なものを見せないごまかす、認知力の低い動物にしてしまうことで危険を感じにくい自律しない犬をつくっているのかもしれないのです。周囲の環境を把握するよりも、ごほうびを選ぶ行動を取るなどです。

あのゆっくりとたおれる瞬間、何かをつかまなければと思ったのですが、つかめるものが周りになく、そのまま倒れてしまいました。唯一できたのは、背中が着地したとき頭を手前に引き上げて衝撃と怪我を和らげる事ぐらいでした。でもそれすらも、スローモーションになっていなければできなかったのかもしれません。

オポのお墓のすぐ近くの出来事でした。


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草履が三度見つかったこと

草履消失事件、自分でつけた事件の名前も忘れてしまいましたが、とにかく草履がなくなる事件の続報です。

つい先日、なくなった草履のうち赤い草履の片方を見つけました。

もともと、赤い草履は片方しかなくなっていなかったのです。

その草履があった場所は倉庫の棚の上なのです。

見つけたときは、本当にビックリしました。

その棚の前には薪台に薪がつまれておいてあり、その高さは1メートルくらいあります。
よほどのジャンプ力がないとそこに上がることはできません。

見つかった草履を確認したら、やはり歯型がついていました。

ここに飛び乗れる動物といえば…。犬にはとても無理です。

猫は俊敏なので飛びあがれる高さではありますが、草履をくわえたままというのは難しいでしょう。

タヌキはそんなにジャンプ力があるのでしょうか。

キツネなら難なく飛びあがるような気がします。

写真を撮ったのですがブログアップには間に合いませんでした。
後日写真は掲載しておきます。

草履の見つかり方も次々と変わっていく。

私が草履を探しているのを知っているのでしょうか。

だとしたらこれはもう「捜そうゲーム」になっています。


赤い草履は片方しか持ち去られていませんでした。

手紙をつけた片方の赤い草履はまだ持ち去られていません。

手紙を受け取る気がないのでしょうか。

動物を相手にしたやり取り。やり取りになっているのかどうかも分かりません。


野生動物が怖くないですか?と尋ねられますが、

今のところ距離を保っているので怖くありません。

野生動物で一番警戒してしまうのはサルです。

集団で行動しているサルが最も脅威に感じます。

七山では「サルを見たらできるだけ避けるようにして、挑発しないようにしてください。」というようなアナウンスがよく流れます。サルは数も少なく希少動物でもあり扱いも難しいのでしょう。

草履をもっていくのはもしかしたらサルかもしれないという仮説もたてたのですが、
草履が消える時間が夜間であったことから、サルが活動する時間帯ではないと思い
この仮設は消えました。

やはり、タヌキもしくはキツネか。

難問はまだまだ解けそうにありません。

追記:見つかった赤い草履の発見現場。発見時の状態です。
赤い草履はどこにあるでしょう。

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草履紛失事件:策をねる

このブログが草履紛失事件の主にのっとられそうになっていますが、引き続きお知らせします。
昨晩なくなったものは以下のとおりです。
・青い草履の片方
・椅子の上に乗せておいた一度回収したピンクの草履の片方
・机の下においてあった食べかけの柿1個
これらが跡形もなく消えていました。

回収したものは1点。
生徒さんが山歩きの最中に落したものを探しに山に上がった際、2番目になくなったブルーの草履のうちの片方を見つけてこられました。発見場所は、ワンコ山の頂上付近の尾根の一部です。1週間前には同じ場所にはなかったので、一旦テラスからどこかへ持ち出したあとにさらに移動したことで落としていったのだと思われます。いくつもの歯型が見られました。しっかりとした歯型である程度のサイズのある動物であることが伺えます。怪しい、間違いなくイヌ科動物の仕業です。

昨晩は椅子の上に置いているものはとることがないと油断してしまい、回収したピンクの草履をふたたび取られてしまったことに愕然としました。予測がはるかに甘かったということです。
二つ目の草履の発見場所が山の上付近であったことから、家周辺の藪や巣穴への持込説が否定されることとなりました。山歩きの最中にくまなく草履を探しながら、犬たちにも「草履を探してください」と声をかけたりしたのですが、あいにく草履探しに熱心な犬もおらず、結局新たな草履は見つかりませんでした。

次の一手をどのような策にしようかと考えましたが、ここはやはり童心にかえってみようと思います。それで手紙を書きました。

手紙は細くおりたたんで、ひとつのこっている赤い草履に結び、持ち帰るのを待つことにします。

dav





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三度草履がなくなったこと

今月に入りブログを継続してご覧いただいている方は、
草履紛失にまつわる事件の成り行きを見守ってくださっていることでしょう。
野生動物や山の中の生き物に関心の高い知人やブログの読者からは、
「あのあとどうなった?草履はまたなくなりましたか?」と聞かれます。
最後の草履がなくなってからしばらく動きがなかったため、草履事件はひとまず決着がついたように思えていました。犯人が結局どの種だったのか、どこへ草履を持って行ったのか、なんのために草履を持っていったのかなど、事件は謎を含んだまま終わりと告げたように思えたのです。しかし、今日次の動きがあったことを確認しました。

三度、草履がなくなっていたのです。
しかも、草履の持って行くパターンが今までとは違うものになっていたのです。
テラスには二つのドアが離れてついているのですが、その各ドアの前に草履がひとつずつ置いてあります。片方には赤い250円の草履、片方は青い100円の草履でした。
なくなっていた草履は、その片方ずつなのです。赤いのが片方、青いのが片方なくなっていました。

この休戦期間がはじまったのは、片方に絹糸をつけられた草履が1足なくなってからでした。小さな絹糸の衝撃が動物の行動に警戒心を芽生えさせたのだとしたら、それ自体がすごいことだなと思っていたのです。この絹糸をつけた草履がなくなるまでは、いつも1足、つまり2個の草履がいっしょになくなっていました。一晩で1足を持っていくという行動だったのです。ですが、今回は2足のうちの1つずつがなくなっていました。数日確認していなかったので、一晩で2個なのか1晩で1個ずつなのかがわかりません。絹糸をつけていたときは片方だけだったので、絹糸の学習から片方ずつしかもっていかなかったとしたら、高度な関連付けの学習行動です。今まで一度に1足だったのが、片方になった理由が絹糸かどうかもわかりませんが、行動の変化が見られたことは確かでした。その上、直前まで犬たちがテラスですごして臭いつけをしていたのに、野生動物がテラスに接近したということも再度の驚きでした。

もうひとつ足跡がありました。その足跡とは、柿の実の一部が食べられていたことです。
ずっとテラスの下においてあって、テラスをウロウロする犬たちが目もくれないような熟した柿でした。
熟した柿。オポならすぐに見つけてその前で四つ脚でまっすぐとたち、柿を見つめ続けて私が来るのを待つ姿が想像できます。一般的には、柿を食べるかどうかは犬にも個体差があるようです。食べる犬もいれば関心を示さない犬もいる。食器に入れたり手で差し出すと食べるけど、という犬もいるでしょう。
この足跡を残した容疑動物が、草履犯動物と同じかどうかは不明です。

不思議な草履紛失事件。一体犯人は誰なのか。野生動物は何を考えどのようにして草履を持ち出したのか。
謎は深まるばかりですが、この野生動物との不思議な距離感と動物への好奇心は、人という動物の特権であるような特別な気持ちがします。

ぞうり

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消えた草履をひとつ発見

この秋、七山校のテラスの草履が次々をなくなっていく事件が続いています。
経過については以下のブログ記事をご覧ください。
ブログ記事 ぞうりを探していること
ブログ記事 消えた草履事件:容疑動物浮上

その4足、計8個の草履のうちのひとつが、今朝発見されました。
見つかった草履は3足目になくなったピンクの草履の片方です。
見つかった場所は、裏の倉庫の外側の端っこ部分、木と家に挟まった状態でした。
少し力をいれて引き抜くとやっと取り出せました。
このピンクの草履がなくなった日も、倉庫からのものの出し入れをしました。
そのときは気がつかなかったのか、もしくはそのときはここになかったのかは不明です。
草履には、動物の歯型がついていました。鋭利ですがそれほど大きな歯ではないようです。
体重は10キロ未満といったところでしょうか。

この倉庫の下ですが、過去にいろんな動物が居場所として使っていたことがあります。
最初に気づいたのは、アナグマが巣穴として使っていたときでした。
ため糞をする場所が作業室の隣で悪臭対策が必要となったことが、巣穴を見つけるきっかけになりました。夜ごそごそと巣穴に出入りする音も聞こえています。その数ヶ月後に、子アナグマが倉庫のすぐ横で昼寝をしながら日にあたっているのを見かけるようになりました。そして、部屋越しに顔を見たり声をかけたりしても、臭いや気配に鈍感なのかジーっとこちらを見ている有様で、非常に鈍感な動物なのではないかという印象を受けました。

次に倉庫下の穴を活用していたのは野猫でした。家を持たない猫だったようで、後ろのオポの水のみ場で水を飲んでいたり、ねずみをとったりしてしばらく暮らしていましたが、近くのメスの発情期になわばり争いを始めるようになり、結果この場所から去っていきました。

その後、巣穴を使っている動物はいないと思っていたのですが、また新たな動物が巣作りを始めているのかもしれません。アナグマなのか、タヌキなのか、キツネなのか…。
アナグマが使っていた場所ですし、アナグマは家の周辺でよく昆虫を食べています。すぐ近くで見ていてもあまり気づいていません。場所から考えるとアナグマ説が有力になりますが、アナグマはイタチ科です。それよりもタヌキかキツネのイヌ科動物の方が行動としては妥当性が高いと思うのです。実はタヌキはあまり見かけることがありませんでした。オポのアナグマに対する反応と、タヌキに対する反応は明らかに異なるものであり、タヌキの方も犬の気配にはアナグマよりは敏感なのでしょう。
動物の攻撃性は同種に向けられるものの方が厳しいものです。同種の動物はテリトリーが重なったり近づくことを避けようとします。同じ環境の中で得られる資源を奪い合うことになるため、テリトリーは明確にしておくことがその争いを避ける方法だからです。
犬同志であれば、テリトリーが重なっていたとしても、順位付けるという方法がありますので「ここはオレの島だ。」といわれてしまえば、劣位のものは「すみません。」といって引き下がるしかありません。

犬とタヌキは似て異なるもの。互いに近づかない方法がお互いのためといえます。

草履の片方が見つかったことで、草履事件の容疑動物が増えてしまいました。
またこれから観察を続けて絞り込んでいきます。
どんな動物もその自然な行動を観察することで学ぶべきことはたくさんあります。

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