グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

トップページ
お電話でのお問い合わせ
お問い合わせフォーム

<日々のこと>自然と関わることの楽しさと深さ、そして感謝していただくこと

今こそ自分が持っているものを整理整頓して大切にしたいものとどうかかわるかを考えようと行動しています。

そしてついに福岡のお庭にも畑をやってみようということになりました。

実は七山に暮らしていたのだけど犬のことでいっぱいになりすぎ、畑仕事をしたことがありません。

ところが近日の混乱で毎日スーパーに長ネギが消える状態が続き、やっぱり毎日使うネギだけでも自分でつくってみようと決意したのです。

ホームセンターで苗を買ってくるだけだと思っていたのですが、畑仕事って結構大変のようです。

まずは土を起こすところからということで、七山で生徒さんが畑として使ってくださった土を福岡に運ぶ作業をしています。

その作戦の先には、最近姿を見せなくなり諦めかけている日本ミツバチが七山の土の臭いに魅かれてもう一度やってきてくれるのではないかという下心もあり。

畑仕事の練習だと思うことにしてやっと土と向き合うことにしました。

人と自然の関わりというのは自然の恵みをいかに受けるかというところに始まっていると思います。

自然から搾取するのか、恵を受けるのか、同じいただくことでもこのふたつは大きく違います。

搾取からは学ぶことはなく、感謝して受け取ることには学びがあります。

先日、七山の農家さんの米作りの話を聞いたのですが不思議な話でした。

農家さんいわく、コメは朝10時の気温を毎日足していって2000度になったときにできるということだったのです。

だから朝寒い七山では田植えの時期が早いのに、暖かい唐津では田植えの時期が遅い。

山の米はゆっくりと時間をかけて育つので早く成長するコメよりもおいしいのだそうです。

自然を知ることで自分が何をすべきなのかが決まってくる、これが自然から学ぶということだと思います。

犬との暮らしも自然からいただくひとつの恵みだと思って、人は犬を利用してきたのだと思うのですが、その中に学びがなければその関係はただの搾取ではないでしょうか。

七山の土がこの福岡の環境の中で育つのか、私がそれに対してできることを見つけられるのかそんなことを考えながら畑をやってみます。

DSC_1702

Posted in 83ハチミツオポ, 日々のこと, 自然のこと

<83ハチミツオポ>七山の環境の中の蜂たちのこと

ハチ関連の話題が多くなってきました。興味あることはすべてブログに残しているので関心のある方のみ御覧ください。

先日トレッキングクラスの最中に日本ミツバチらしき生物を見つけたので生徒さんに「ちょっとだけすみません!」といって激写して虫ちゃんこと太田さんに尋ねました。

DSC_1685
これはニッポンヒゲナガハチバチという蜂だそうです。日本ミツバチだと期待していただけにガッカリ。

でも養蜂を始めようと思わなければこうした身近な生き物に関心をはらうこともなかったと思えば不思議な出会いです。

そして先日、七山の森を知り尽くしたご近所の方に思い切って日本ミツバチのことを質問するとたくさんの情報が得られました。

七山の日本ミツバチについての情報をまとめました。

・2年前にグッドボーイハート七山の集落の祠で日本ミツバチの巣を見たがその後は見かけていない。

・七山では昔、どの家にもひとつの蜂の巣箱がありみなハチミツをとっていた。

・昔、家にあった蜂が寒い冬を越すために日本ミツバチに砂糖を与えていた。

・唐津市にはセイヨウミツバチの養蜂をしている人がいくつかあるが日本ミツバチはすくなくなったと感じる。

ということで、数年前までは七山の家の近くにも巣があったことを確認できました。

ということは私とオポが七山に引っ越してきた2007年にはまだ日本ミツバチがブンブンと飛んでいたということなのでしょうがオポとの山歩き中に気づきもしませんでした。

はじめは自分にとって有害な生物にばかり目が行ってしまったのだと思います。

蛇やムカデやアブなどといった害のある生物たちの巣や動向には目を光らせていたものの、無害な日本ミツバチに関心がなかったうちに日本ミツバチは数を減少させながら七山から消え去っていったのでしょうか。

なんとか七山に日本ミツバチを呼び戻したい、そんな思いだけがふつふつと燃え始めています。

七山の環境全部を整えることなど絶対に無理なのですが、七山の人口は減ってきておりその分集落で使用される除草剤な農薬も減ってきているのかもしれないと想像しました。

除草剤なしでの草刈りは相当大変なのですが今年も頑張るしかないと考えると結局は自分の行動変容に戻ってくるのだということです。

少しため息を深呼吸に変えて、できるところまで頑張りましょう。

DSC_1308

Posted in 83ハチミツオポ, 自然のこと

<83ハチミツオポ>自粛で行動範囲が狭くなりついに念願の蜂がやってきた。

自粛で行動する範囲が狭くなったので、今できることをと掃除に専念していました。

福岡の自宅兼オフィスも窓を開けて大掃除の後、ブンブンと窓周りで飛んでいる音がする。

あーハエが入ってしまったのだとティッシュを一枚とって取り去ろうとしたのですが、手が止まりました。

いや違う、これは絶対にハエではない、これはもしかしてもしかするのではないかと多少慌てながら同じマンションにいる知人で養蜂の師匠に連絡して直接確認してもらいました。

「日本ミツバチですね。」

DSC_1678
養蜂の師匠が言うには、その日本ミツバチは探索バチだということで巣をつくる場所を探しているらしいのです。

博多の庭に設置した巣箱の上にあるキンリョウヘンに誘引されてきたのは間違いがなぜ部屋の中に入ってしまったのか。

師匠はキッチンテーブルの上を見て「これですね。」

そこには先日同地区の博多区住吉で養蜂をしている方から買ってきたハチミツの瓶と生徒さんからいたいだたハチミツの瓶の二つが置いてありました。

ハチミツの臭いにも関心を示すらしいので、誘引用のハチミツをひとさじ蜂箱の上に置きました。

その後も庭の巣箱の観察をしていると、2匹ほどの蜂がキンリョウヘンの近くを飛び回っています。

ちょうどその時生徒さんからもラインで写真が送られてきました。

24905
福岡県の生徒さんですが庭の蜂に反応して下さりすごく嬉しかったです。

グッドボーイハートは犬の学校なのになぜ蜂なのかというと仕組みは単純です。

グッドボーイハートは犬のことを学ぶと同時に犬から学ぶ学校です。

犬の必要性や犬に大切なものを探していて最も大切なのは環境であることがわかりました。

犬の健全な成長にとっても大切なのは居心地の良い環境で、それは自然あふれる環境であることは間違いのない事実なのです。

自然がイキイキとする環境について考えているうちに農薬や殺虫剤の多様で激減した日本ミツバチのことを思うようになりました。

本当にアインシュタインが言ったかどうかは不明ですが、ミツバチがいなくなると人類は4年でいなくなるという説は科学的な数字ではないとしてもミツバチがいかに環境に影響を受ける動物なのかということを考えさせられる言葉です。

人類の好き勝手により乱れる環境の中で犬という動物の数は決して減ってはいません。

人の手による改良という名のもとに遺伝子操作をされて変異していく犬という動物は増え続けてはいるのですが、その中身がいつまで本来の犬なのかはこの先もわかりません。

そんな現代だからこそ本来の犬が大切にしていた環境というものを自分の近くに取り戻すための手助けをしたい、それが養蜂を考えるきっかけでした。

日本ミツバチが戻ってくるような環境を、本来の犬たちは求めているとそう信じています。

24617



Posted in 83ハチミツオポ, 日々のこと, 自然のこと

<自然のこと>唐津市のイノシシ猟師さんから聞いたお話し

行きたいと思っていたお店にやっといけました。

三瀬にあるGABAI(ガバイ)というお店で、イノシシ猟をしている猟師さんの食堂です。

イノシシ料理を食べて見たかったし、もし猟師さんがお時間があったら猟のことなど少しお尋ねして見たかったのです。

ダンナくんがわな猟師の免許を取得したので、わな猟について話を聞いてみようと前々から狙っていました。

猟師さんのとったイノシシの炭焼きを食べながら、ご主人である猟師さんのお話もたくさん聞かせていただきました。

なんと美味しくいただいたイノシシは七山のわな猟で捕らえた獲物とのことでした。

イノシシは冬しかとっても美味しくないことや、ただ捕獲するだけでは食べられる代物にはならないこと、仕留め方を間違えると犬のゴハンになってしまうことなど、くわしい話をたくさん聞きました。

また以前、猟犬として活躍していたドンちゃんというミックス犬がすばらしかったことや、良い犬は泥棒が持って行ってしまうこともあることなどのびっくり話もありました。

猟犬といってもみなが活躍できるわけではなく、うまく猟ができない犬もいるそうです。役割分担というところでしょうが、そうした遺伝子がなくなっているのも現実なのでしょう。

自然と関わりあって食べていこうというのは相当大変な上に、イノシシは害獣駆除対象の動物なので駆除される方には報奨金が出されるため、最近は多数が捕獲され頭数は年々減っているとのことでした。

七山の庭で普通に見かけるあのイノシシの数が減っていると聞いて驚きました。

野生動物と人が上手くやっていく環境が崩れ始めたため、人は猟を止めて家畜化した動物を食べることを他国の方に教えてもらいながら進めてきた文明の変化ですが、環境を元に戻すことができなければ稀少な活動とでしかないのかと痛感した時間になりました。

狩猟生活は失われるものになるのかどうか、今が問われる時期なのかもしれません。

こうして七山に学校があることで学ぶいろんな自然とのかかわりは、ただ気持ちいいーと叫ぶことではなくて、本当に深い人と自然のかかわりがあるのだなとその深さにはまり込んでいます。

仕留めたけどひとが食べられない猪肉は全部犬の餌、というくだりがなんどもあって犬たちはさぞ美味しかろうと思いました。

いつかほれぼれする猟犬に会えることを楽しみにしながら、猟のこと自然のこと犬のこと、またひとつずつ学んでいきます。

_20200404_220729




Posted in 日々のこと, 自然のこと

<83ハチミツオポ>日本ミツバチの逃亡癖を聞き日本のミックス犬たちを考えたこと

先日、知人の毎日新聞記者さんが取材した日本ミツバチの養蜂家のことをご紹介しました。

グッドボーイハート福岡から歩いて3分であまりにも近すぎるので驚きました。

早速記者さんにご紹介いただき、その養蜂家さんが作る博多ハニーのミツバチのお話を聞きに伺いました。

博多区の住吉神社のすぐそばにあるその民家の庭には、本当に日本ミツバチたちが巣箱に出入りしていました。

ご自宅の蔵のリフォームのときに大工さんにすすめられて養蜂がはじまったということでした。

毎日みていると可愛いいのだという話や、日本ミツバチは本当に貴重な生き物でその生き物がすみつく環境そのものが希少なのだということを考えさせられました。

お話の中でニヤッとしてしまったことがありました。

それは「日本ミツバチには逃亡癖がある。」という話でした。

本で読んだことはありましたが、日本ミツバチは飼われている感覚はなく居ついているだけなので、環境が自分にあわないと思えば群れ全体で飛び立ってしまうということでそれを逃亡というそうです。

まるで日本のザミックス犬たちの習性と同じだと思ってしまい、思わず笑ってしまいました。

日本の本来の雑種犬たちも、飼われているつもりはなく彼らはただ家に寝床と食べ物をもらって居ついていただけなのです。

だから環境が住み心地が良くないと感じると平気で逃亡していました。

一時的に逃亡してすぐに戻ってくる犬たちもいたようですが、いずれにしても犬はお気楽に逃亡していたのでしょう。

住む場所などなんぼでもあるわという感じだったのでしょうか。

今はそんな環境も文化もなく、私たちは犬を飼うことしかできなくなりました。

犬には日本ミツバチのように勝手に居つく権利を与えられることは今の時代では取り返すことはできません。

犬は犬なりに今の時代の中で最大限の幸せを獲得できるよう自分にできることをまだまだ考えなければいけないのかなと思ったところでした。

在庫がわずかにあった博多ハニーを買って帰りダンナくんと試食会しました。

やさしい甘さのハチミツをさっき会った蜂たちがとっているのだと思うとなんとも愛おしく思いました。

そして養蜂家の方、私と同じ小学校卒業ですごく身近なご縁であったこともわかりました。

いろんなご縁がいろんなことをつないでいきます。

グッドボーイハートの蜂箱にはまだ蜂は来ていません。

私たちは私たちで待って待って待ち続けます。

DSC_1675

Posted in 83ハチミツオポ, 犬のこと, 自然のこと

<自然のこと>蜂箱設置を完了してミツバチたちを待つ

グッドボーイハート七山の敷地に蜂箱第一陣を設置してきました。

限られた蜂箱をどこに設置するのか素人には全く判断がつかなかったのですが、ミツバチの気持ちになって考えココと思うところに決めました。

環境を整えたらあとは蜂が来るのを待つしかない「待ち」の状態に入りました。

経験値の高い方なら落ち着いてその日が来るのを待つことができるのでしょうが、今年がチャレンジの私たちにとっては先の見えない時間を過ごすことになり不安で仕方ありません。

きっと犬のトレーニングを受講される生徒さんたちのはじめはこんな感じなのだろうなと初心者の不安な思いを共感する感じになりました。

さらに七山の森林組合から苗木の一斉配布があったので、さっそくダンナくんにクヌギ50本を広場に植えてもらいました。(おつかれさまでした!)

50本も一度に植えられないと訴えていたダンナくんですが、作業が進むととまらなくなりもうやってしまえということで多少無理をしたようです。

ところが持病の花粉症が博多ではすごいのに七山にいるときには全くないということで驚いていました。

生徒さんたちにもよく言われるのですが、七山に来ると花粉症の症状があまり出ないといわれます。

そのうち七山に通いつめると花粉症がかなり克服されるという現象もありました。

これは本当のことかなと思います。

自然の整えられた環境というのは動物にとって痛手になることはなく、人工的な環境の方が圧倒的に動物にダメージを与えています。

人も犬も自然の産物なのですから、当たり前といえば当たり前のことです。

自然とのかかわりを増やし人は人として、犬は犬として、そして人と犬が自然という形でつながりを持つことを目指すグッドボーイハートとしては、ミツバチという新しい仲間とのかかわりを持つことはひとつのチャレンジなのです。

今年がダメでも来年があるという気持ちで3年計画で進めております。

ハチミツをみなさんにお配りできるその日までどうぞ気長にお付き合いください。

DSC_1471

Posted in 83ハチミツオポ, 日々のこと, 自然のこと

<自然のこと>ウイルスのニュースで動物のことを考える

毎日のニュースを通して次第に身近に迫りつつある予感のする新型コロナウイルスの脅威。

人気のいなくなった武漢の様子を映像でみていると、先日見たばかりの映画「アイ・アム・レジェンド」の風景と重なってしまいました。

街中でもマスクをしている人を見かけることが多くなり、ちょっとした咳すらはばかられるような緊張感もあります。

ウイルスがどのように発生するのかなどをここで考える必要はないのですが、ウイルスは動物と動物の間をいきかう生物であることは間違いありません。

そしてウイルスはなんらかの形で動物の中にあったものが変異を通して新しい形となり、対応できない動物たちに侵入しその数を増やしていくというのが私の中でのイメージです。

その変異の過程は動物たちを取り巻くいろんな環境の中で生じているものであるものの、動物の扱いに関連しているような気がするのです。

今回のウイルスも野生動物を食べる習慣があるから生まれたと一部だけを見て報道されているのをみると、少し見方が甘いのではないかと思います。

動物を食べる習慣は人類のはじめからあるのです。

動物は小さな空間に必要以上の数を閉じ込められるような環境で置かれるとウイルス発生の確率が高まります。

たとえば、犬の咳風邪のような症状を示すケンネルコフというウイルス感染の病気も、その名前のとおり犬たちが収容される犬舎=ケンネルで発生するものです。

多数の犬を閉じ込める空間、預かり場所だったりケンエルだったり、お店だったり、多頭飼育だったり。

そんな空間で窓をあける空気の循環が悪くなれば、ケンネルコフはわりと簡単に発症してしまいます。

ケンネルコフそのものは致死率の低い病気で、免疫力さえ持ち直せば軽い咳を通して改善していく可能性があるため、あまり恐れられてはいません。

ワクチン予防接種の中に含まれているものの、感染しても気づかず治癒しているケースもあります。

ただこうしたウイルスも次第に変異を遂げていく可能性があるので、油断は禁物です。

新しいウイルスを作り出さないためにできることは、多頭収容で動物にストレスを与えないというルールを徹底して行うことだと思います。

中国では生きたまま動物を売り買いしたり、店に出す直前に殺傷するような風習もあります。

衛生的かつ安全に保管して管理するシステムや習慣がないからかもしれません。

その点は日本では野生動物を狩っても素早く処理をして安心安全にありがたくいただく習慣がありますので、全く環境は異なります。

家畜として収容されている牛であれ鳥であれ、人間から与えられた環境の中で新しいウイルスをつくり人へ感染していくというのシステム、自然の摂理として片付けるだけでなく人への戒めとして受け止める必要があると思います。

うちは多頭飼育ではないから大丈夫と思っている犬の飼い主のみなさんにも、一頭であっても室内に閉じ込めるような生活が続けば動物はみな病んでいくのだということも頭にいれておいていただければと思います。

ちなみにですが冒頭の「アイ・アム・レジェンド」ウイルスミスが主演のウイルスに侵されて閉鎖された都市でウイルスの撲滅に挑む主人公を描いた映画です。

ゾンビなどが登場するストーリーは好みの問題ですが、主人公同様に存在感のあるサムという犬の演技と動きのすばらしさには感動ものなので、グッドボーイハートお勧めの映画です。

DSC_0881

Posted in 日々のこと, 自然のこと

<自然のこと>猟・犬・求・ム!

野生動物は繁殖期に入ると食べ物を探す行動が活発になります。

グッドボーイハート七山でもオポのお墓周辺から駐車場の近くまで、イノシシが土を掘り返した跡がたくさんあります。

トレッキングに来られる生徒さんはびっくりされることもありますが、例年のことなので特に驚くこともありません。

オポが作っていた見えない境界線はオポがいなくなるととたんになくなってしまいました。

イノシシたちは平気で人と犬の生活空間に入ってきてしまいます。

お互いのテリトリーだと思い込んでいるところで突然接触をすると危険なことも考えられます。

となると、イノシシたちに対して警告を与えていく必要があります。

いろいろと方法はありますが、一番適切な方法は境界線上に罠をはり入ってくるイノシシを捕まえるということです。

もちろん捕まえたイノシシは食べます。

捕まえたら学習するからリリース(解放)すればいいではないかという考え方もあると思います。

それは価値観の違いではありますが、捕食の体系を維持するためには捕食者として数の増え過ぎたものは狩って食べる。

これが人間としてできることのひとつでもあります。

むしろ里山に住む人としてやらなければいけないことのひとつではないかと思っています。

最近はジビエ流行りでもあって、イノシシやシカを食べることを野蛮だとは思われなくなりました。

イノシシやシカは適切に捕って食べなければ、その数が増え過ぎて最も害を被るのはその動物たちの方なのです


手始めにダンナくんが敷地内にセンサーカメラを設置してイノシシの活動を監視しています。

いくつかの場所でイノシシ、アナグマが通り過ぎる姿を確認しました。

自分は夜でも昼でも実際にイノシシが歩いているのを見たり、アナグマが納屋に子供を産んで育てていたのを体験したのでビデオを見てもそれほど興奮はしません。

ですが平地で育ったダンナくんの方は、すぐそこの場を大型の野生動物が通過する姿を撮影した画面で確認してかなりテンションが上がっていました。

男女という性別の違いもあるのかもしれません。

男性には捕食者としてのDNAが強く残っているのでしょうね。

犬もオスとメスではオスの方が主に狩りの役割を担います。

もちろんメスも狩りはしますが、メスたちには子育てという大切な任務がありますから、そのためにはオスがしっかりと稼いでくるということです。

狩りを仕事にあてがえば男性がちゃんと働いてくれると女性は安定してくるという理論は動物らしいルールです。

この動物のいた気配をカメラがなくても知ってしまうのがいまみなさんのそばに寝ている「犬」という動物です。

山を歩いていると地面をクンクンと鼻を全開にして臭いを嗅ぎ分けている犬の姿を見ると、一体どんな動物がいつそこにいたのだろうと想像を膨らませます。

複数の犬がいても臭いを嗅ぎまわる場は大体同じ場所です。

犬と犬は臭い嗅ぎをとおして「なあ」「うん」とお互いに情報を共有しているのに、私だけがそれを知ることができないのが残念です。

でも私には犬の行動を分析する力があります。

犬の嗅ぎ分け方や嗅いだあとの反応や犬の体の動きを見ていると、そのにおいの主が大きな動物なのか小物なのかはある程度想像がつきます。

大きな動物の方が興奮度が高く緊張感も高まる感じが伝わってくるからです。

こうして犬から情報を得ることはトレッキング中の楽しみのひとつです。

自分たちの鼻という武器を最大限に利用して人に協力してくれる犬という動物、狩りには欠かせない友であることは言うまでもありません。

イノシシを七山で狩る自分の中でももうひとつの目的は「そうしないと動物が馬鹿になるから」なのです。

戦う相手も誰もおらずただ柵で仕切られただけで安穏と生きていく動物は、バカになってしまいます。

罠をつくれば罠にかかるのは警戒心が低く衝動性の高いバカな動物です。

罠という存在を知って考えて行動し頭脳を発達させていくことはイノシシたちの将来にとっては利益になるものです。

要するに必要以上に捕らない、バランスを考えて捕るというルールが絶対であるとは思います。

人間は捕食者の頂点なのです。

自分を知って行動を抑制できるのは自分だけしかないと思います。

DSC_1038

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

<犬のこと>吠える犬を横目に歩くキツネを見たこと

本当に不思議な光景を見ました。

その夜、お預かりの大型犬ちゃんがサイズのわりになかなか排泄をしてくれないので、庭に長めに係留して排泄するのを待っていました。

人が近くにいると興奮してしまう犬ちゃんの排泄チャンスために、室内に入って窓から様子をうかがっていました。

鼻を鳴らしていた犬ちゃんが山の方をみて「ウー、ワンワン」と吠えています。

ああイノシシたちが庭の境界の向こうにあるささやぶの中を通過する時間だなとライトを照らして警戒しておりました。

吠えていた犬ちゃん、急に向きを変えて前傾姿勢をとっています。

何かの動物が犬ちゃんを横目にみながら歩いています。

ちょうど私と犬ちゃんの間を、犬ちゃんをみながら歩くような状態になりました。

私は室内にいて人の気配に動物は気づいていません。

そしてよく見ると、本当にびっくり、それはキツネではありませんか。

キツネは走り去るわけでもなく、本当にゆっくりと犬をみながら家の横を歩いて坂の方に消えていきました。

ところが、しばらくするとまたテラスのライトが自動点灯しました。

みるとまたそのライトの下にキツネがいます。

さっき歩いたのとは反対方向にいるのです。

さっきのキツネがぐるりと回ってきたのか、それとも新しいキツネが近づいてきたのか、犬ちゃんもじっとみて少しうなっていますが、キツネの方は緊張した感じもなくまた消えていきました。

犬とキツネはどちらもイヌ属イヌ科の動物でとても近い関係です。

あくまでも人間が定義づけた関係なので、彼らにとってはどうでもいいことですが、食べ物や行動のパターンや体の発達や使い方がかなり似ているのです。

警戒心が高くタヌキやアナグマのように簡単に姿を現したりはしません。

七山のこの庭でもキツネをみたのは指で数えるくらいです。

イノシシよりも圧倒的に少ないのです。

キツネの犬に対する堂々とした態度をみて、彼らキツネにとってイヌとはどのような位置にあるのだろうと考えてしまいました。

野生動物と飼育される動物、同じイヌ科の動物。

食べ物を自分たちでとっている動物と、人に与えられる動物。

ゆっくりと行動するキツネと、興奮して騒ぎやすいイヌ。

生きている時間がどのように違うのだろうかと深く深く考えました。

犬も本来ならもっとゆっくりとした穏やかな動物です。

キツネのように美しく優雅な動物なのではないかといつも思っています。

キツネが教えてくれること、ちゃんと受け取っていきたい。

野生動物たちがとても身近にいる七山でお預かり犬ちゃんたちとの年末が始まりました。

DSC_0823

Posted in 犬のこと, 自然のこと

<犬のこと>なでるのとは違う「触れ合う」とは温かみを感じることではないか

犬ちゃんたちのお預かりのために寒い七山の夜は暖炉の前にいる時間が長くなります。

普段は事務所でしている事務作業も、暖炉前から離れることはできません。

夜も朝方もうとうとと暖炉の前にぼーっとしていて思ったことがあります。

炎のゆらぎを見ることがどうしてこんなに癒されるのかなということ。

そして肌に当たる温かさがなんでこんなに心地よいのだろうということ。

暖炉のあたたかさが肌に触る感じは、温かいものに触れられているもしくは触れているような感覚なのです。

この温かさは少しだけ心地よい日光浴の感じに似ていますが、それよりももっと優しい感じです。

暖炉の近くにいることで何か生きているものがそばにいてくれるような感覚を得られるのです。

人が犬をずっと抱っこしてなでているのはそうしていなければ落ち着けない理由があるからでしょう。

犬のぬくもりは、温かいものに触れていたいという人の基本的な欲求を満足させてくれるはずです。

でも抱かれている犬の方はいろいろと不具合が出てきます。

抱っこ依存症になっている犬たちの落ち着かない行動は、抱っこ依存症になってしまった犬を飼っている飼い主さんなら見る機会があるはずです。

接触がないと不安になる分離不安状態の犬たちがいかに落ち着かない精神状態になっているのか。

不具合の中には具体的に説明できる根拠というものもありますが、実は本当に怖いのは説明できない根拠のないものなのです。

それは自分を落ち着かせるために犬をなでる人の不安定な感情やエネルギーを犬たちがすべて受け取ってしまうからです。

犬たちに言わせると科学的に証明できるものなのかもしれません。

というのは、不安定な感情やエネルギーは臭いとなってその人から発しているからです。

臭いは犬の脳を刺激し共感性の高い犬は同じ領域へと引き込まれます。

犬を抱っこしている時間の長さやなでている回数は本人が意識していないほど長く多いものです。

暖炉がどの家庭にもひとつあればなあと思いました。

暖炉の前では犬と人は対等に同じ炎に向かって温かさを得てお互いに心地よいと共感できる時間を持つことができるからです。

ほんの100年ほど前の日本だったら、どの家庭にも囲炉裏のようなものがあって、外では焚火ができて、いっしょに温かさを共感できた暮らしだったのに、失ったものは大きいのだなとそんなことを思った七山の夜でした。



Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと