グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬・自然のこと>犬の自然治癒力って何だろう?を考える

※部分追記しています。

昨日のブログの続きです。

昨日は犬の自然治癒力を尊重することができるか?を自分に問いかけてもらう機会をつくってもらうためのお話でした。

私たちが今の窮屈な生活を国や地域のルールのものに実行せざるを得ない状況になってしまったのも、そもそも動物の治癒力とか免疫力について考える機会があまりにも遠くなってしまっていたからではないかと反省しています。

だから決められたルールの中で反論をできる人もおらず、マスコミや専門家の走り出したレールに何の考えも反発も反論もできず乗るしかなかったのではないかと…。

※追記と修正はここから

インフルエンザには治療薬が出ているとご指摘いただきました。

勉強不足ですみません。以下に自分で調べたこと追記しておきますが医療について詳しいことはさらに病院で確認してください。

2019年抗インフルエンザ薬として国内で許可されている薬

オセタミブル(商品名タミフル)、ザナミビル(商品名リレンザ)、ラミナミブル(商品名イナブル)、ペラミビル(商品名ラピアクタ)

抗インフルエンザ薬は発症早期に使用すれば入院や死亡のリスクを減らすことができる。

抗インフルエンザ薬によってウイルスの増殖を防ぐことができるためにウイルス価を減少することができウイルス拡散を防ぐこともできる。

以上が私が調べた内容ですが専門的にはまだまだ進んでいると思います。

コロナウイルス治療薬ができるのは時間の問題なのでしょう。

追記ここまで

ワクチンさえできればという声もありますが、ウイルスの型など変化し続けるものなのにどのくらいのワクチンをバクチのように投与しようというのでしょうか。

新型ウイルスに関わらず多くの病気は本来は個々の動物の中にある自己免疫力の作用があって快復に向かいます。

薬や治療はそのサポートでしかなく自己免疫力の作用が起きる自然治癒力は生きることに欠かすことはできないのです。

※もちろん薬がないと始まらない治療もありますので信頼のある薬を上手に活用させていただきます。※

人であっても病気によって状態は様々なのですが、犬の方は人よりももっと自然治癒力に頼っているのが犬の動物らしさです。

さらにどんなに動物の医療が発達したといっても現時点で人と同じ医療行為が受けられるわけではありません。

また動物に対する医療行為の負担というのもの考える必要があります。

さらに動物医療は動物の自然治癒力が働いてこそ効果が訪れることを繰り返しておきます。

動物の自然治癒力を考えるにあたって、自然治癒力の働きについて述べた精神科医の神田橋條治先生のことばをお借りします。

神田橋先生は自然治癒力についてご自身の著書にこのように説明されています。

いのちは、よくない状態から回復するためのいろいろな方法を、自然にもっているのです。これが自然治癒力です。病気のときには、必ず自然治癒力が働きます。いのちが病気をなんとかしようとするからです。

神田橋條治先生の著書「精神養生のコツ」から転載

すごくわかりやすい言葉ですね。

動物はみんな自分の心身の不具合を改善させるための方法を自然に持っているということです。

人も自然治癒力を持っていますし、犬は人以上に高い自然治癒力を持っています

ところが犬が具合が悪い、虫に刺されたようだ、といったときに犬の自然治癒力を頼りにする飼い主は少なくなりました。

同じように私たち人の方も、すぐに病院に行くようになりました。

病院に行くことがいけないといっているのではありません。

適切な時期にきちんとした治療を受けることができる日本の医療は本当にありがたく、活用すべきです。

動物病院にしても世界でも最先端の医療が受けられる日本の動物病院の処置は大変優れたものだと思います。

そうであっても自然治癒力がなければ病院があっても動物は治癒しないのです。

犬の自然治癒力はなぜ注目されないのでしょうか。

次回はこの続きをおはなしします。

※追記8月16日

人間の医療の発達は本当に素晴らしいものがあります。

IPS細胞の作製に成功してノーベル賞を受賞された山中教授の講演の中ではその課程で犬たちが実験動物として使われたことも話しておられました。

もちろん犬の前にはたくさんのマウスが利用されています。

私たちの使っている薬やワクチンの開発には動物たちの命の積み重ねがあった上での宝ものなので、ここぞという時にはぜひ活用していただいてお医者様にも動物たちにも感謝したいと思います。

そしてその分を生きる時間として増やしたのなら、何かのお役に立てるよう今日も生きなければなと気持ちも引き締まります!

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<犬・自然のこと>犬の自然治癒力を信じるのが難しい理由

今日のブログのタイトルを見て驚かれた読者の方に先に説明します。

もちろんわたしは犬の自然治癒力を信じてます。

もう少し正しくいうと、犬の自然治癒力が発揮されるために飼い主としてできることをしたいと思いそれをするために博多駅の近くから唐津市の山の中にドッグスクールを移転させました。

犬の自然治癒力を信じるのが難しい」とタイトルにいれたのは、現在では圧倒的にこちらに考えをする飼い主が増えていると感じるからです。

山の中で犬といっしょに山歩きやトレッキングクラスと楽しいこともたくさんあるときに、反して山の野生の生物たちに刺されたり咬まれたりする危険も伴います。

虫に刺されるのは犬よりもヒトの自分の方が回数は多く、毎日の草刈りの時間であってもどこか1ケ所はブユ、アブ、蚊などのとび虫にやられてしまいます。

ななやまに移転したときに最初にブユに顔を刺されたときは大変腫れて泣きそうになりました。

痛み、かゆみ、腫れ、どれも苦痛の体の反応ですが、薬が得意でないわたしは自然素材の中から自分にあいそうなものを探し、やっと「びわの葉エキス」が炎症を抑えることを知って今も愛用しています。

一方で犬の方はもブヨなどに腹部をさされたり、ダニを体につけたりといろいろと攻撃を受けていました。

一番自分が見守ることのできた愛犬オポの自然生物との付き合い方や、虫に攻撃を受けたあとの治癒力を観察していくことで犬の治癒力の高さを知ることができました。

同時に手を出し過ぎることで起きる犬への負担についても学びました。

しかしオポは山に移転して山という自然あふれる環境の中で毎日を過ごすことでその能力を高めていったのです。

都会に住む犬はたまに山に来たとしてもオポのように山犬に体を変えるわけでもなく日々の環境によるストレスも多いのです。

だから今では予防としてできることはある程度するが過剰にはすすめない、そして犬の自然治癒力がどういうものなのかを飼い主自身が興味関心を持って真剣に学び知っておくことの方が大切だと思っています。

現在では人が直面している正体のわからないウイルスがいます。

検査をした方がいいという人、する必要のないという人

ワクチンをした方がいいという人、しない方がいいという人

意見はそれぞれに分かれていて、自分がどう考えるのかを問われています。

SNSの普及でテレビでいうからすべて正しいという価値観がなくなった分、見極める個人の力が試される時代でもあるのです。

犬の自然治癒力を信じるのか、もし自然治癒力を信じるのなら自分の中にある自然治癒力ってなんだろうとまずは自分の内側を見つめる機会をつくることをおすすめします。

明日はこの続きで、わたしよりもずっと説得力のある先生の書籍からご紹介しますのでお楽しみに!

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<お預かりクラス>人の作業をお手伝いしようとする本当の服従性をみせる犬ちゃん

福岡から唐津市七山まで車で約一時間。

標高は500メートルもない七山ですが地形が「風の谷」なので気温は唐津市より3度は低いです。

コンクリートの丘の福岡市と比較すると5度くらいは低いでしょう。

朝露、夜露で地面が濡れていることから夜は気温が下がっていることがわかります。

この季節のお預かりクラス利用の犬たちの目的は、暑い都会からの避暑地代わりといったところでしょうか。

今回もまた急遽お預かりクラスのご希望がありバタバタと七山に移動してきました。

犬が山で過ごす機会は生涯を通して本当にわずかしかありません。

貴重な体験をさせたいと欲が出てしまい、グッドボーイハートの犬たちがお預かりクラスを利用するときにはできるだけ山で預かりたいと調整をはかります。

今回の犬ちゃんはお預かりにとても慣れていて、ほとんどマイホーム的に七山グッドボーイハートで過ごしています。

私でもダンナくんでもどちらのいうこともちゃんと従い、この家のルールも習得しています。

草刈りだ、薪の整理だ、テラスの片づけだ…と作業が続くのですが、私たちのそばでお手伝いをしようと張り切っています。

草刈り機のコードが絡まってしまい、そのコードの絡まりをとく作業をしていたところ犬ちゃんがやってきてコードを噛もうとします。

ほとんど作業を中断させる行為になるのですが、気持ちはよくわかるので「えらいね、ありがとう」といいながら手早く済ませます。

鎌を持って草刈りをしているときには見張り台のような木の上から周囲を見渡しており、やはり作業を手伝うとしてくれます。

こうした犬は当然のことですが人に対する服従性がきちんと身についています。

それは叱ったりほめたりすることで身に付いたものでもないし、犬が善悪を判断しているわけではありません。

犬は人の活動に興味を示しその活動に自分の立場で関わろうとしているだけです。

こうした関係が本当に楽しく素晴らしく犬としてやりがいのあることですが、ペットとしての生活には活動という場面もほとんどありません。

都会では屋外での活動が散歩だけなので、散歩を充実させることがとりあえずの活動なのです。

でも、お休みのときには野外に出て本当の活動をして関係を深めてください。

ドッグランで犬を走らせてそれを見ているだけでは、いっしょに活動したとはいえません。

とりあえず犬との山歩きから始めましょう。

GOTOダメとかいろいろありますが、犬の生涯は短いのですからそこのところをお忘れなく。


 

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<犬のこと>懐かしい風景を見ることができないと動物はおかしくなるらしい

「ふるさと」という歌があります。

若い人でも小学校では習うでしょうからみなさん口ずさむことができるでしょう。

「うさぎおいしかの山…こぶなつりしかの川…」

うさぎを追ったりふなを釣ったりしたことが懐かしい年齢って今の80代以上でもなかなかいないかもしれません。

私たち人間が懐かしいと感じられる風景は決して自分が小さいときに見た風景だけではありません。

山に広がる森林や棚田を一度も見たこともない人でもなんとなく心が落ち着くのはまだどこかにこの風景が自分のDNAの中に入っているからでしょう。

犬の場合にはなつかしい臭いの記憶をたどります。

山で休憩中の犬くん



犬にとってなつかしい臭いとはどのような臭い、なんの臭いだと思いますか?

やっぱり土のかおり、緑のかおり、山の風のにおい、川の音、木々の臭いにおい、

そして山に住む野生動物や昆虫たちの発する臭いではないでしょうか。

小さな人間の部屋で生まれた犬が、一度も土を歩いたことのない犬が、

なつかしいと感じる臭いのする風景に接する機会を大切にしてあげてください。

それはかれらのDNAの中に入っていて、自分が何者であるかを取り戻すことのできる素材なのです。

福岡の都会で家庭訪問のドッグトレーニングをしているのに、七山という自然あふれる場所の学校を手放さずにいるのはこうした理由があります。

自然が好きという単純な理由で、この土地や家を維持するための莫大なエネルギーを投入うすることなどできません。

犬たちの記憶を呼びさますためにできることを最大限にする。

それが日々の都会の犬の生活をぎりぎりで支えていることになると思います。

今年は七山の尾歩山に山椒の実がはじめてなりました。

山の手入れをはじめて12年間。長い道のりでした。

七山の尾歩山にて初めての山椒の実

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<自然のこと>一晩中光る稲妻と響く雷鳴の元で動物になる

昨晩は七山で今年一番の雷の夜となりました。

七山の野菜屋の名前が「鳴神の庄(なるかみのしょう)」ですから、七山は雷の多い地区であることは間違いありません。

七山の家にいるときにはっきりと視覚的に雷を見ることができました。

雷というのは「雷が落ちる」のことばのように上から下に落ちるものだとずっと思っていたのですが実際には違いました。

雷は地面から突き上げられるように上に向かっていく感じなのです。

上から落ちる電流と交わり空中で火花を散ったように赤くなるのが窓から見えます。

バキバキという音と花火のような赤い光が数秒毎に連続して起きるのですから慣れていなければ大変怖いものだと思います。

私も自然の中で暮らしたことなどなく愛犬オポと共に七山に来た雷を体験したときには本当に大変な思いをしました。

でも特別危険なものに対するオポの反応を頼りにしていたので、雷が自分に対して影響を及ぼさないことも自然とわかるようになりました。

それでもいくつかのことをすればというのが条件ではありましたが…。

※ここでは省きます。

結局のところ野生動物たちはどうしているかというとそれぞれに巣穴や地面に近い場所に身を潜めて雷が通るのを待ちます。

室内では安全のように思えるのですが、木々は通電しやすいため木製の家はやんわりと電磁波に包まれます。

雷に当たって爆発するとか痛手を受けるというダメージではなくって、やんわりと大きな電磁波に包まれるような感じです。

都心の犬たちには雷恐怖症の症状をよく見かけましたが、ご自宅で雷恐怖症である犬も七山に連れてきている間にはその反応が見られないことが度々あり不思議に思っています。

私自身もかなり感覚は敏感な方だと思いますが、昨晩の雷の間中体の部分的にしびれが流れるような感覚を受けていました。

それは怖いというよりはどちらかというと気持ちが良いという感じなのです。

おかげで今日は体がすっきりとしていていつも以上に活発に行動できました。

犬たちが雷をどのように受け取っているのか、クレートの中にいる状態ではのぞき見るのも失礼ですが、騒いで手に負えなかったという記憶はありません。

怖いと思ってしまうと何も感じられないのでしょうが、すべてを手放して受け取る気持ちになると入ってくる感覚なのかもしれません。

動物は準備さえできればそうなるような気がするのです。

犬と向き合う職業病だと思いますが、自分は人よりもかなり動物に近い感覚なのだと思います。

こんなとき犬とは共感できるなと感じられる不思議な時間でした。

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<トレッキングクラス>梅雨の晴れ間にトレッキングデビューのゴールデンくん

今日は梅雨の晴れ間にタイミングよくトレッキングデビューした犬ちゃんがいました。

年齢は9歳。

大型犬の9歳というと年を取っていると感じる方もいらっしゃるでしょう。

4つ足の動物は10年生きれば御の字ですから9歳は若いとは言えません。

人生のどのタイミングでも変化を求めるのに諦める年齢ではないと思います。

もし私が80才とか90才であっても残されたあと数日の人生の中であっても自分の中にあるひとつの扉が開く機会があるのであればそれを開けたいと思うでしょう。

犬の方はもっと前向きです。

犬は残りの人生を憂えたり計算したりすることがないからです。

しかも犬の一年は人間の7年分です。

犬の1ケ月は人の半年以上です。

犬の1日は人の一週間に相当する時間です。

高齢でトレーニングを始めるのは子犬でトレーニングを始めるのとは確かに違います。

家庭訪問トレーニングのクラスと併用して七山のトレッキングクラスに参加される犬ちゃんの多くは中高年以上です。

トレッキングクラスは家庭訪問トレーニングで環境を整えつつも、ひとつでもできることを進めたいという飼い主さんの気持ちを支えるでしょう。

ご自宅では犬の管理練習から始まるため、今まで犬と日常的にやっていたようなコミュニケーションが減ってしまい飼い主としては物足りなさを感じることもあるでしょう。

でも犬の方は今、飼い主の満足を満たせるような状態ではないのです。

少し犬の立場に立ってみたり考えたりできるようになると今までと違った世界が見えてくるようになり、犬に対して自分ができることの方向性も変化してきます。

トレッキングクラスには飼い主の学びもたくさん詰まっています。

ただ山で時間を過ごすというそれだけのことなのに、何か違いを感じられるようになったら本当の変化が生まれます。

結果よりも過程が大切。

楽しかった時間、癒された時間、共有する時間を大切にするだけです。



グッドボーイハートのトレッキングクラス






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<自然のこと>日本の里山が失われることを憂える自分

先日テレビの報道特集という番組にくぎ付けになりました。

報道された内容は佐賀県の石木ダムに関する紛争の歴史を地域住民の側に立って追ったものでした。

石木ダム建設案が出てから50年間にわたり、ダム建設を進めようとする長崎県と建設に反対する住民の間で長い長い闘いが続いている悲惨な様子を映像で見ました。

ダム建設が予定されている川棚町のこうばる地区の風景は、まさに日本の原風景ともいえる「ふるさと」の風景です。

都会で育ち田舎を知らない自分ですらも眺めるとほっとするこうばる地区のような自然豊富な里山が失われないようにと体を張って戦っている方々がいる、それが50年以上も続いていることに胸が痛くなりました。

しかもそのことで多くの人が救われるのなら納得がいくものの、ダム建設の必要性についても納得のいくデータがなく、500億円以上というお金が長崎県民の負担によるということをみなさんはどう思っているのだろう、一体これは誰のための何のためのプロジェクトなのだろうと疑問を感じずにはいられませんでした。

番組ひとつを見ただけで自分が賛否を下す情報を得たとは思いません。

ただ画面の中にうつるその景色は、住民の方々にとってかけがえのないものであるのと同じように私たちにとっても同じようにかけがえのないものではないかと感じたのです。

今このように思う私も、七山という里に出会わず博多駅の近くだけで快適な生活をしていれば、おそらくこんな気持ちになることもなかったと思います。

日本の美しい里山はただの自然でなく人々がそこに住み、自然を大切にしながらも利用しつづけてきた共生の風景なのです。

それは数年で出来上がるものではなく、何十年も何百年もかけて継続して毎日繰り返される生活の積み重ねの風景なのです。

そしてその風景の中にきっと「犬」という動物もずっと共にいたはずです。

里山には犬の居場所があったのです。

どうやったら石木ダムの問題がより良い形で解決するのか私にはわかりません。

ただいえることはこうばる地区は間違いなく日本の里山であり、日本の原風景であり、そして大切にしたいと思える風景だということです。

雨でも野草の中でジャンプして走る犬ちゃん

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<犬のこと>犬にとって大切なのは野草と雑草とやわらかな土

お預かりクラスで犬ちゃんが庭や山で遊んでいる傍らで、まだまだやり残した例の背高草の撤去を進めています。

詳しくはこちら

過去ブログ記事→<日々のこと>環境にダメージ与えた事に気づき引き返したこと

一時間で100本くらいは抜き取っているのですが、この雨の中、土の中から次から次へと生えてくる生命力の強さに負けそうです。

でも七山の本来の野草や雑草たちが抜き取られた草のスペースを埋めるように生えてきてくれているので、風景はずいぶんと取り戻してきました。

除草剤や殺虫剤は本来の植物を殺してしまいます。

ガーデニングといってもいろいろとあるのでしょうが、死に絶えた庭に花をかざるように植える風景はあまり見慣れていません。

自分の小さいころにいっしょに暮らしていた柴犬が遊んでいたあの昭和の小さな博多区の一軒家の庭もしゃれた洋風の花はなく、日本古来の木々と雑草でおおわれていました。

子供のころに庭にあった木は、びわ、さくら、あじさい、梅、もみじ、柿、榊、つつじ、いぬまき、南天、シュロ、椿…たちでした。

いまここにあげた木々ですが不思議なことに七山のこの庭と山に全部あるのです。

木々のふもとにはユキノシタ、イヌフグリ、スミレ、セリ、オオバコ、カタバミ、タンポポ、ハマスゲ、リュウノヒゲ、ドクダミ、ホトケノザ、セイタカアワダチソウ、アザミ、ハコベ、スギナ、ハハコグサ…

認識できるのはこのくらいです。

雑草はもっとたくさんあるのですが名前がわからないものばかりです。

除草剤の後の悲惨は光景はちょっとした砂漠化でした。

土が枯れてしまい砂漠に雑草が立ち生えるようにして生えていたのです。

同じ光景をあちこちの駐車場で見ることができます。

雨の浄化作用もあって本来の野草が戻ってくると犬はイキイキと草の臭いを嗅いで寝転がって遊びます。

駐車場ではこんな風景を見ることはありません。

人は自然を楽しむために遠くに出かけるようになりましたが、自分の庭に自然を取り戻すことはできません。

なぜなら自然の野草や雑草と共に虫たちもかえってくるからです。

人は虫が苦手です。私だって決して好きではありません。

関わりあいたいと思うこともありません。

でも、野草や雑草と共に生きている虫という生物がいることを否定できないのです。

それを否定すればまた犬を、そして私たち人間をも否定してしまうことになります。

日本は山林地区がたくさんあります。

手の入っているのは農地だけ、お金にならない山は放置されています。

山や雑草との闘いは半端ないのです。

でも犬たちは不思議と私たち人間が雑草と戦っているとテンションマックスで応援してくれます。

頑張れ!頑張れ!といってくれているようで、誰のために頑張るのかわからないまま山の手入れをがんばっています。

犬たちにとって大切なものだと思うからこそ今のところは頑張ります。

草を食む犬の姿が、草に寝転がる犬の姿が私は好きなのです。

日本の本来の雑草や野草を復活させて、二ホンミツバチがかえってきたら、犬たちも本来の自分を取り戻せるのではないかとそんな気がしているからです。

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<犬のこと>犬の社会化をもう一度考えるヒント

犬の社会化という言葉をご存知でしょうか。

ほとんどの犬のしつけの本には見られるようになった「犬の社会化」というワードが広がり始めたのはここ20年くらいではないかと思います。

自分の学生時代に暮らしていた犬の社会化など考えたこともありませんでした。

その言葉を聞いたのは犬の仕事に就いたときで、そのときですら犬の社会化というものに対して科学的に説明してくれる先輩はいませんでした。

その後の犬のセミナーでなんども社会化という言葉を聞きました。

なんとなくぼやけてしまう社会化ですが、科学的に納得のいく説明文になるとこうです。

「犬の社会化とは犬が環境の中で持続的に行動を通して安心を獲得していく活動のこと」

犬と暮らしているみなさんに、この言葉の意味がわかるでしょうか。

この文章をもう少しわかりやすく数行にわけてみます。

・犬の社会化とは環境の中で持続的に行われる

つまり犬の社会化はずっと継続するもので、一時的に行われ終了するものではないのです。

犬の社会化とは生涯を通して継続する社会的機能の発達なのです。

・犬の社会化は犬が環境の中で行動することで身につく

犬の社会化とは犬が自ら行動することで身についていきます。

つまりは、犬に一方的に刺激を与えることでは実現しないということです。

なので、犬を抱っこして散歩しても全く社会化は身につかないということになります。

・犬の社会化とは安心を獲得する中で実現する

犬の社会化とは犬の脳の機能性が高まり、自らの行動を通して安心を得ることの繰り返しのことをいいます。

これは大丈夫、これはこのように回避する、これはこのように対応することで攻撃を免れる、などすべてが安心獲得の作業なのです。

ですから犬と走り回ることで安心を獲得するのではありません。

闘争行動、逃走行動、興奮行動の繰り返しは社会化を促進しないのです。

 

犬の社会化学習を説明する際に、刺激を与えることではないということだけでもわかっていただきたいのですが、なぜかたくさんの人や犬のいるところに子犬を連れていきたい飼い主さんが多いのに驚きます。

あなたの犬のもっとも大切な社会化は、まずテリトリーを獲得すること、身近な飼い主という動物を理解することです。


 

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<犬のこと>自然が犬に与える尊い時間を人は知っているのか

家庭訪問トレーニングを利用している犬ちゃんたちがときどき預かりクラスで七山にやってきます。

ほとんどが生徒さんのやむにやまれぬ事情で不在となり、犬ちゃんを窮屈な場所で過ごさせるよりは自然の中で過ごしてほしという気持ちから預かりクラスを利用されています。

はじめて犬ちゃんが七山にお泊りに来たときには、どのくらいの速度で環境の変化に適応していくのか、どのように自然と付き合おうとするのかを観察しています。

純血種の犬たちの多くは、その犬の親もまたその親も親も自然の中で過ごした体験を持たないでしょう。

犬舎でほとんどの時間を生きた犬たちの子どもたちが今こうして人と暮らしているのです。

犬舎で生まれた子犬たちが人に飼われるようになりそのまま人社会の中に「人として」大切にされ始めることはとても危険です。

動物はどんな動物であっても、自分は人である、自分は犬であると感じる時間があることが基盤になっているからです。

お預かりの犬ちゃんがどこで排泄をするのか、

空間をどのように把握していくのか、

土や草の臭いをどのように嗅いでどのように反応するのか、

そして最後は人や他の犬に対してどのように行動するのか、

こうした観察が今の犬ちゃんの状態を知らせてくれます。

風が吹いても鼻先をあげて臭いをとろうとしない犬

広い敷地でせわしなく動いてしまう犬

太陽に自分の身をゆだねることをできぬ犬など

自然が遠くなってしまったのは人だけでなく犬とて同じことです。

その犬たちがどうやって自然とつながりを持っているのか、犬の脳の中で起きていることや皮膚の上で感じていることを私たちは知る術を持ちません。

ただ言えるのは、私たちには鋭い観察をする視覚という武器があります。

そして共感というセンサーがあるのです。

犬に対する思い込みをすててすべてを受け取り、本来の犬の姿を見たいと願えばおのずと自分のやるべきことは決まってきます。

飼い主としてやるべきことはあまりにも多く、特に空間も時間も少ない都会では果たすことすら難しいことがあります。

それでも犬を愛しているなら犬とどのように過ごすのかを考えてみる、これもまたコロナ時代だからこそできることです。

お預かりクラスで対面する犬ちゃんたち



 

 

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