グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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本当に怖い動物とは「後編」

本当に怖い動物とは「前編」では、山の動物のイノシシ、キツネ、タヌキ、イタチ、テン、アナグマ、トンビ、カラスについてお話しました。

サルはいませんか?と生徒さんに尋ねられます。
サルはいます。七山校の敷地内にある電信柱に登っているのをみかけたり、裏の栗の木に登って栗を食べているのを部屋の中からみたこともあります。一番敷地で危険だったのは、テラスの屋根にいたサルが下りてきて庭の裏側を走って柵を飛び越えるのを見たときです。このときはオポが室内から吠えて追い立ててました。山の中で遭遇することはありません。サルも警戒心が高く、犬猿の仲とは本当のことでイヌを嫌いますので、犬と歩いているときには姿を現さないようです。七山地区ではときどき放送で「サルに遭遇しても手出しをしないでください」という内容の指導があります。サルによる農作物の被害は大変なものですが、サルは駆除の対象にはなっていないようです。

爬虫類で最も恐るべきはやはりマムシでしょうか。マムシの毒性が高いこととマムシの反射的にかみつく習性により、イヌがマムシに咬まれる事故は珍しいことではありません。これについては過去ブログ記事「もしもマムシに咬まれたら」をご覧ください。
他のヘビもその動きや風貌から「気持ち悪い」と恐れられていますが、私はあまり怖くありません。幼少期に母から教えられたことが記憶に残っているからです。ヘビをみて泣いていた幼い私に「へびは怖くないよ。ヘビは話しがわかるからはなしかけてみてごらん。」というような母でした。近くで顔を見るとゴジラのような感じですが、威嚇のシグナルがはっきりとしているので、オポが立ち止まるところにヘビありという程度でした。そういえば、昨日も一昨日もヘビをみかけましたが大丈夫です。ヘビは山神様といわれるくらいなので大切にしてほしい存在です。

昆虫の中で出会いたくないものがあります。ススメバチです。
キイロスズメバチも恐ろしいですが、なんといってもオオスズメバチが目の前を通過する際には、ヘリコプターのような音がして微動だにできなくなります。オオスズメバチの観察経路の高さは、ちょうど人の目線の高さくらいで、犬たちの目線には入りませんが、ホバリング音への反応は高いです。オオスズメバチは数があれば大きな動物への攻撃もするため、音への反応を身に付けているのかもしれません。

先生が一番怖いものは何ですか?と尋ねられ即刻応えたのがムカデです。私のムカデ嫌いは有名です。
屋外ではあまり怖くない気もするのですが、一度草刈のあとに首元がむずむずするので洗面所で首にまいていたタオルをとったらそのタオルにすっごく大きなムカデがついていて言葉を失いました。室内に入ってきたムカデはオポがいた当時はムカデセンサーだったオポがすばやく見つけたのですが、一度なかなか見つけられずについに…という事件がおきてしまい、それで夏場の睡眠の深さはかなり浅くなりました。オポ亡き後はホモサピエンスの私はムカデを見つけることができなくなり、ますますムカデにおびえる日々ですが、医療機関にお勤めの生徒さんからは「ムカデなんか昔はムヒつけてたんだからそれで十分。」とさらりと言われてしまいました。

犬の多くはムカデにそれぞれの反応を示します。鼻を近づけていく犬もいますが、ムカデに咬まれた犬を見たことがありません。少なくとも咬まれる現場を見たことはありません。咬まれたとしても対して腫れはないと予測します。そう説明すると、
山歩き中はあくまで移動中のテリトリーなので危険を回避すれば済むことですが、本拠地を侵害して攻撃を仕掛けてくる生き物となるとさすがに寛大ではいられません。今までに侵害してきてトラブルになったムカデ、アリ、アブ、ブユなどの昆虫たちと武勇伝はいつか少しずつ紹介していきます。

このブログを書いている現在も、一番小さなアリ、おそらくヒメアリと戦っています。なぜかこの時期、甘いものがあるわけではないのに温度の高いパソコンに住み着き、手から足からあがってきてかみます。チクリとして大変痛いのですが、オポがヒメアリを避けている様子を見たことがありませんでした。イヌはアリなど食べてしまいますから、イヌには近づかないのかもしれません。イヌがアリを怖がるなら靴もはかずに土の上は歩けません。

それにしてもやっぱりイヌはすごい、動物力は私たちより数段上です。

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本当に怖い動物とは「前編」

先日トレッキングクラスに参加した飼い主さんと、山の中で出会ったら怖い動物話で盛り上がりました。

山の中で出会ったら怖い動物といえば、みなさんにとっては何でしょうか。
怖い動物というと体のサイズの大きな動物を思い浮かべるため、福岡佐賀近郊ではイノシシが比較的大きな動物になります。イノシシにあったら怖いと思うのは当然のことでしょう。
私はオポと散歩中になんどもイノシシに遭遇したことがあります。オポが山で落ち着いた行動をするようになり安定していたため、最初のころに緊張していたのは私の方でした。悲鳴や奇声をあげたりするタイプではないのですが、行動力と思考力が確実に低下していました。それでも私にはオポという先生がいましたので、オポの行動をよくみて同じように安定を取り戻すことが可能でした。練習の甲斐あってイノシシを発見してもうまく対応できるように成長していきました。

イノシシ以外のこの近辺の山で遭遇する可能性のある動物には、次のようなものがいます。
四つ脚の動物はタヌキ、イタチ、テン、アナグマ、キツネです。
このうち、イタチ、テン、アナグマはイタチ科ですが、イタチ、テンがすばやく逃げるのに対し、アナグマは反応が鈍く出会う可能性も高いです。七山校の裏庭ではよく穴をほって昆虫を食べているのを1メートルくらいの近距離で見ることができますが、相手は気づいていないようでした。気づけば急いで逃げますので犬が追いさえしなければ怖くはありません。

キツネとタヌキは昔話にもよく出てくる、人と交流の深い動物です。
キツネはイヌ科キツネ属です。九州にキツネがいると聞いて驚かれることもありますが、キツネは昔話のとおり非常に警戒心が強く、簡単に人の前に姿を現しません。犬を連れていればなおさらのことです。車にひかれることもないので遺体を見る機会も少ないでしょう。

この中で犬にとって一番やっかいなのはタヌキかもしれません。タヌキもイヌ科です。
タヌキはよく車にひかれます。山に見るときには動きが遅い感じはしないのですが、キツネと比較すると警戒心が低いのかもしれません。そのため人との遭遇も多く、餌付けされてしまうことも多いため注意が必要です。
餌付けされた野生動物は人への執着が高く、必要以上に人に接近するためイヌとのトラブルmも多くなります。タヌキはこの良い例かもしれません。まず餌付けを行わないこと、イヌのタヌキに対する反応は、他の動物とは少し異なるのではないかというのが、私の現在の見方です。イヌと歩いているときにタヌキに遭遇した経験のある方は、そのときのイヌの反応をぜひ教えてください。

次に鳥がいます。大きなサイズの雑食の鳥といえば、トンビとカラスです。
オポと山歩き中にトンビに狙われた経験がありました。私が白い帽子をかぶっていたので、獲物とまちがえられたようで、私の膝元でV字を描きまっすぐに空へと帰っていきました。
このときもオポと私がほぼ横列だったはずですが、オポは全く歩速をおとすことなくゆっくりと前進をつづけました。立ち止まって停止した思考の快復をまったのは私の方です。以後白い帽子をかぶるのを止めました。

後編へ続く

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犬の車酔い

今日七山校にはじめてきた犬が車酔いをしてしまい、テンションの低い状態で到着しました。山道での蛇行が車酔いを強めてしまうようです。

車酔いについては私も関心があります。物心ついたころから高校生くらいまでは乗り物酔いがひどかったからです。結局自分のときには、バスのときは一番前の席に座るという対応程度となり、つらい思いをしました。

犬の車酔い対応は犬によって多少違いがありますが、基本的に小型から中型の犬についてはクレートやケージに入れた状態で車に乗せることをお願いしています。ただクレートトレーニングが車以外の場所でうまくいっていないときは、いきなり車でクレートにいれることは負担がかかります。

小型の犬の中には飼い主がダッコしていると酔わずに寝てしまうということもあるようです。室内でのクレートが活用されておらず、飼い主さんにダッコされていることが多い犬の場合には、ストレスの回避も飼い主依存型になってしまいます。

まずはクレートで安心できるスペースが確保されているかどうかをチェックしてみてください。
クレートについてもう1点は、クレートが大きすぎると中で犬が揺れてしまいます。移動用のクレートはひとつサイズの小さなものを選ぶか、移動中はクレートの中にクッションなどをいれて、サイズが小さくなるように調整してあげる方法もあります。

他に車酔いを回避できたおもしろい事例があります。オポを連れてプライベートクラスを行っていたときに、非常に臆病だったけど成犬のオポに対して服従する行動を示した青年期の犬がいました。車酔いは永久歯に生え変わったころから1歳半くらいまでにかけて多いため、ちょうどその年齢にあたっていたということもあります。その車酔いをする犬が乗っている車に、私とオポもいっしょに乗車しました。犬の社会的な安定度を利用して車酔いに対応できるかどうかのテストでした。結果は見事に、安定度大です。その犬は車酔いをせずに車に乗ることができました。
社会的な安定が見られるようになれば、克服できるというよい例です。ただ犬の社会から遠ざけられている現代の環境では、安定を築き上げていくのに少しの努力が必要です。七山校に来てからは、オポの力を別の練習方法で築いていくことができるようになったため、犬たちの車酔いも少しずつ減ってきました。

冒頭のワンちゃんですが、帰りは車酔いなしで帰宅したとのことでした。
いろんな不思議がつながっていきます。だから犬はおもしろいなと思います。

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犬と刺す飛び虫<ヌカカ編>

先日の犬語セミナーのときに虫博士の大田こぞうさんが参加されたとき、聞こうと思って待ち構えていたことがありました。昨年から悩まされていた、大量の室内に入ってくる極小の虫のことです。

大田さん「うわあ!見えません。」
私「小さいよね。たくさん入ってくる、しかも刺すし…。」
正体さえわかれば、という気持ちだったのですが、さすがに虫博士「ヌカカじゃないですかね。」ということで、うーん、やっぱりかという感じでした。

早速数日後のラジオ月下虫音の中の“ロクヨンコーナー”(6と4、虫のことですね)で、ヌカカを取り上げてもらいました。ブユよりも小さな刺す虫で、あまりにも小さく洋服の中にも入ってくるため、いつの間にか刺されてしますそうです。確かに腕や足の洋服から10センチくらいのところにいくつかの刺され跡を見つけることがあります。それが“やつら”の仕業だったことがついに確定しました。

七山の土地の人にブユについて尋ねたとき「シノブという名の網戸を通ってくる小さなブユのような虫がいる」ということを聞きました。シノブはヌカカの地方名称だったようです。

刺したり噛んだりする昆虫に対して、犬は個体事に反応したりしなかったりします。七山校でいっしょに過ごしていた大型犬のオポは、このセンサーの精度がかなり高い方で、さらにわかりやすく伝えてくれていました。

オポの昆虫に対する反応を3つのレベルで分けるとこんな感じです。

大変危険=レッドシグナル
注意が必要=イエローシグナル
安全=ブルーシグナル

たとえば、ムカデはレッドシグナル、ブユやヌカカはイエローシグナル、ゲジゲジやアリはブルーシグナル、という感じです。

イエローシグナルのヌカカに対する反応は、数が少ないと刺されることがあっても反応はないのですが、数が増えてくると場所を移動したり、室内にいるときは息遣いがハアハアと上がってきて、その危険性を知らせていました。

こんなこともありました。ある夜、オポの息遣いが急に上がってきます。その様子から、何か環境に変化が起きているにちがいないと部屋のあたりを見渡すのですが何も見つからず、それでもオポの状態が変わらないため、いつもは薄暗くしている部屋の電気をつけて入念にチェックしました。そうすると部屋の四隅の天井が真っ黒になるくらいヌカカで埋め尽くされているのです。

このとき天井にいたヌカカ軍団のうちのいくつかが、私たちを刺していたのだと思います。オポもすごく刺されているという風ではありません。
羽音もなく天井を見ているわけでもないのに、ヌカカがたくさんいる!ということを、オポが知っているということが、とても不思議でした。
さらに、オポはこのときすでに15歳を過ぎていて、十分なおじいちゃん犬であったにもかかわらず、そのセンサーだけは十分に機能していたということにも驚かされました。

科学的に調べたわけではありませんが、こうした犬の行動は日頃から行われることなので、虫情報を得ているのだと確信することはできます。虫が与える危険性や、虫数により危険度が増すということを受け取るしくみについては、推測の範囲内になります。犬にとって可能性の高い情報は、虫のフェロモンです。フェロモンとは臭いの物質です。昆虫も臭いを出すことはよく知られています。その臭いの質が、危険性のある虫が群れて活発になったり、刺す直前になると独特のにおいを出すなのだと思います。推測の域をでないのは、感知できる犬と感知できない犬にわかれてしまうためです。すべての犬の鼻は人よりずっと優れていますが、センサーの精密度は犬によってかなり違いがあります。

感じられる気配もあります。こちらも冷静に受け取れる犬と、日常の不安定さや恐れや興奮が強く、反応が大きく出すぎてしまう犬など様々です。

犬の昆虫センサーがしっかりと機能している場合には、それを家族の人間に伝えようとしている場合があります。特に室内犬の場合で室内環境を変化させられるのは人であることを理解している場合には、オポのように伝えるシグナルもはっきりとしてきますので、こちらも対応しやすいです。

昆虫センサーがまだ未発達の場合には、飼い主さんの管理力や環境を整える予防的努力が必要になります。センサー力は、個体差だけでなく日常の生活や心身の発達の影響も受けますので、伸びる可能性も十分あります。

昆虫センサーに調整が必要な場合。反応が強すぎて防衛行動が多かったり、逃走行動が出たりします。この犬たちには毎日の安定した環境が必要です。生活全般を見直してみて、足りないことを足し、過剰なことを減らす、環境整備が有効です。

ところで私のセンサーはまだまだ未発達です。とりあえず、予防管理を優先する必要があるため、網戸の仕様から変えなければ…。まずは、ホームセンターですね。

臭いを取るオポ

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理解されるということ

今日はオポが少年期にお世話になった山暮らしをしている知人の家を訪ねました。

オポは7歳まで博多のマンションの一室で飼い主の私と暮らしていました。
オポが1歳を過ぎたころに、犬の雑誌の編集の仕事をされていたその方と出会いました。

都会暮らしでありあまった元気なオポを見て「うちに連れておいでよ。」といっていただきました。
その方の家にも2頭の大型のオス犬がいて、自然の澄んだ空気の中で山を歩くのが散歩になる生活は、
私のあこがれそのものでした。

オポはこの家の近くの川で遊んだり、年上のお兄ちゃん犬とコミュニケーションをとったり
山道を散歩したりして、都会のストレスを発散させていました。オポにとってのオアシスでした。
連れてくると必ず「帰りたくない」シグナルを連発するので、私もへこんだものです。

この出会いがあり、私とオポはある転機に七山という奥山に引っ越すことを決めました。
それからオポが七山を離れることはなく、再会をしたのはオポが亡くなる2年前でした。
オポが体調を崩していたこともあり、元気な姿を見せることができなかった事は気がかりでしたが
そんなオポでも立派に年をとり真剣に生きていることを受け取ってもらえるのでは、という思いもありました。

オポと私が博多の街中で暮らしていたときに、
「オポがいなくなったときの宮武は見たくない。」といわれたことがあります。
思い切って「オポがいなくなってからの私はそんなにひどいですか?」と尋ねてみました。
すると「最後にオポとあなたを見たとき、すでにそれは感じなかった。」といわれました。
私がオポに起きることを受け入れる準備ができている、そういう関係だったと感じられたということでした。

七山という場所で暮らしたオポと私の間に起きた関係の変化を読み取ってくださったことが、
とてもうれしく感じられました。
すべての人に理解してもらうことは不可能だと思うことは、
理解されなくても仕方ないという諦めの気持ちにもなってしまいます。
そういう深い部分を説明しないのに感じ取り理解されているということは、心からの安心感につながります。

これは犬と人の関係にもつながることではないでしょうか。

犬と人は種の異なる動物であり、基本的な行動もコミュニケーションや習性も異なります。
だからこそ、犬が飼い主さんに理解されたときに感じる安心感は特別なものだと思います。

お互いを理解するというのは、最高のコミュニケーションと関係作りです。

「うちで鍋以外のゴハンを出すのは“最大の歓迎”ってことだからね。」といわれ、
しっかりと味の付いたお手製スープを食べさせていただきました。
分かりやすいシグナル、コミュニケーション。全て犬がお手本ですね。

テント場のオポ2
 

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地図「オポの行動から学ぶメンタルマップの構築について」

新しい地図を購入しました。
しばらく使っていた地図がわかりにくかったためのバージョンアップです。

それにしても、マップ本は10年前よりもずい分薄くなってしまいました。
カーナビとスマートフォンの普及したため、
地図を利用する人が少なくなったからでしょう。

時代に逆行するようで申し訳ないのですが、
私はカーナビもスマートフォンも持っていません。

最初にご自宅への道順を伺うときにも、昔ながらの尋ね方で
「近くに目立った建物はありませんか?」
「一番近い交差点はなんという名前ですか?」
などと尋ねるので、不思議がられるものです。

カーナビを使わない理由ははっきりとしています。
カーナビだと全体を把握する学習が進まないからです。
ある地点から次の短い地点までは案内してくれますが
これだと全体が把握することに時間がかかります。

何度も地図を見ながら移動を重ねていると、A地点B地点C地点が
面の中でひとつになって、全体の中で自分がどこにいるかという
「メンタルマップ=頭の中の地図」というのが出来上がってきます。
これができると自分が今どこにいるのかという位置がより安定してきます。

実はこれと同じことを犬がやっているのを知りました。
オポが七山で過ごし始めたとき、山に入り始めたときのことです。
オポはどんどんと先に進もうとします。
自分ひとりでは進まず、私を先に進むように誘うのです。

私は良く知らない山道を進むことに躊躇しました。
野生動物に会うかもしれないとか、罠が仕掛けてあるかもしれないとか
不安の要素がたくさんありなかなか前進できません。

それでもオポは「もう少し先に行こう」と誘います。
また、わき道の方にも「こっちにも行ってみよう」と誘うのです。
交渉をくり返しながら、私もオポに支えられて行動の範囲を広げました。

ところがこれを一定期間くり返すと、その後はある拠点での滞在が長くなりました。
その拠点を中心に先に進むときも一定の経路を好むようになりました。
また経路によっては歩く速度が変化し、立ち止まって長い地点もでき始めます。

こうしたオポの行動を通して、私も一緒に行動することで知ったのです。
最初の行動は単なる好奇心ではなく、周辺を把握するための行動だったのだと。
その結果、「拠点」での行動に安定が出て落ち着いていられるようになったのだと。

犬の能力についてまだ十分に知りえていなかったため、とても驚きました。
野生動物だったら当たり前にしていること、
普段の自分たちの生活の中でも十分に大切なこと、
考えれば犬も動物なのだからできるのは当たり前なのですが、
それをオポが自分でやろうとしていたことにビックリしました。

オポとの行動を通して得られたメンタルマップから、私は山の地図を作りました。
その地図を生徒さんにも「保存版」としてお渡ししました。

どうすれば安定がはかれるのか。
オポの行動のベースでした。

カーナビには当分お世話になりそうにありません。
場所をお尋ねするときはご迷惑をおかけしますが、
メンタルマップ作成のため、これからもよろしくお願いします。

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暖炉

寒のもどりなのか体の芯まで冷える日が続きます。
今年はもう暖炉は使わないかな~と思っていたけど、あともう少しのこの冬を乗り切るために今日思い切って暖炉に火をいれました。

火をおこすときはパチパチといった拍手のような感じで始まります。
よしうまく起こせてきたなと思ったら
とたんに、ゴーッとという底からわきあがるような音にかわります。
このときは火が思いっきり上にあがるために最初はとても怖かったです。
そのあとはその炎が落ちついてくるのを待ちます。
少し落ち着いてくると、パチパチ・・・・パチパチ・・・・という感じ。
炎も音も心地よくずっと見ていたい気持ちになりますね。

暖炉の前にいると、オポがこの前で暖をとっていた姿が目に浮かびます。
暖炉の前の犬用のマットにオポが伏せて、私もお尻をマットの上に乗せて。
コトバもないけどただゆっくりと時間が流れて、冬のひとときに楽しみ。

オポが旅立ってからもうすぐ2ヶ月になります。
会えないことは本当にさびしい。
でもいっしょに過ごしたときの積み重ね、記憶っていうものは時に大きな力になるのだなと思います。

暖炉の火がいとおしい。
そう感じるのはありがたいことです。

オポ14歳と暖炉

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心地よいとき

今年も満開になったコデマリの花がドライフラワーとなって美しく枯れていく姿を見せ、
雨降る日をまちのぞんでいた紫陽花が季節の移り変わりを教えてくれる頃となった。

オポの様子についてお心遣いのコトバをいただいた。
そのオポはただ毎日を力いっぱい生きながら今までと変わらず、
出会いある人々や犬たちに必要なメッセージを届けながら過ごしている。

オポの日々の体調変化には敏感な私も、それを点としてとらえず、流れの中のひとつとして
受け取ることができるようになってきたようだ。

そんな中で、毎日の生活を共にするパートナーとして
「心地良いと感じるとき」と「違和感を感じるとき」を
彼がわかりやすく伝えてくれることには感謝している。

たくさんのメッセージの中から見つかった物の中に
私が「あることをしている時間は心地良いときが流れる」ことを知った。
「あること」というのは「手針仕事」のことである。

きっかけは、着れなくなった服をバッグに作り変えたことだった。
一度つくってみると結構楽しくて、いくつも出来上がってしまい
数が増えたのでチャリティバザーに出したりしていた。

電動ミシンのようにスピードのある道具にはついていけない。
古い手回しのミシンを助っ人におきながら、ほとんど手でチクチクと布を縫いながら夜がふけていく。

この時間はオポの安眠を妨げることもない。
どこかゆるやかな時間が流れていくのを感じている。

なによりも私が落ち着いた気持ちでいるからなのか。もちろん、作品作りにこだわりはない。
いつでも途中で止められるし、失敗しても平気である。
目標を達成しようなどとは思っていない。ただ、ひと針ひと針を通すだけ。

「以前からこんなことが好きだったですか?」と聞かれるが、とんでもない。
お裁縫道具は小学生時代で時を止めていた。
何時間もただ縫うだけの作業をできるようになるとは、忙しい自分には思いもよらぬことだった。

オポがひなたぼっこをするその横で部屋で風にあたっているときにもその傍で。
こうした時間を共に心地良いと感じることができるのも自分の中で起きてきた変化のひとつではあるが、
その変化すらも、自分だけで実現されたわけではない。


本当に知りたいと思う。
何を知りたいのかもきちんと知りながら自分をみつめて学びを続ける日々。
そんな中で教えてもらったことのひとつ。だからこそ大切な「心地良いとき」なのだ。

とりさんとお昼寝縮小


Posted in 日々のこと, オポのこと

食欲は復活してマス。

あのオポの異変の日から今日で6日目を迎える。
必要な空間と時間をたくさん経ながらオポは元の気を取り戻しつつある。

今日は時系列でなく、いくつかの項目で治癒の道を紹介したい。

最初の3日間は絶食。
先日授業で「犬に絶食させた方がいいんでしょうか?」と質問されたばかりだったので、すぐに実践したオポがいい例となった。
授業での答えは「犬は必要なときには自分で絶食しますよ。」。
大食漢のオポですら、ここぞというときには「食べない」ことを選択できる。

食べたいけど「痛いから食べられない」ではなく食べるということが欲求の中から消えるように関心を示さなくなる。
犬が食べないとい聞くと「ぐったりして食べない」ことを想像されるだろうか。
治癒の道で食べないときには「凛として食べない」といった感じなのだ。
しっかりしていけど「食べない」ことを選択していることがわかる。
この二つは大きく違うので、ぜひ間違えないようにお願いしたい。

食べない→治癒が進む、と方程式的に受け取ってしまうと
犬の行動を見誤ったり、無理は断食で犬に負担をかけてしまうだろう。

絶食中は飲む水を選んでいる。
昨日ブログで紹介したように、ここ一番で選ぶ水は「湧水」

「清らかな汚れなき山の水」なのだ。これこそが体を浄化させたい本当の時に犬が選ぶ水。

都心部にオポと住んでいた後半期、オポがあまり水を飲まなくなっていた。
浄化を必要としている時に、不純物の多い都市の水を取ることができなかったのだ。
七山に引っ越してきて、最初の1カ月間はここの地下水を飲み続けた。
毎日、毎日大量に飲み続け、自分の体をあらっているように思えた。

体が癒しを必要としているとき、特に清らかな血液を作りだす必要のあるとき
オポにとってこのときは「湧水」がその血の代わりとなる。
絶食によって不要物が体内から出てくる。
だからこそ、とるものは真に純粋なものなのだろう。

土の上に伏せる。
奥山で過ごした1日以外で、治癒の進みやすい夕方から早朝にかけて「いる場」として選択するのが、土の上。
庭はテリトリーなので、テリトリーのどの部分に伏せるのかで選ぶが、不思議なことに、庭では山の方を向いて伏せている。

そして、門の外では川の方を向いて伏せている。
なぜ不思議かというと、テリトリーを守るときは庭では外を向いて伏せるからだ。
この伏せの向き方ひとつ。オポには理由があるのだ。
聞いても答えられない理由。「何故?って、でもこうでしょう。」くらいの理由なのだ。


さらに排泄物を出す場所。
これも通常の排泄場所とは異なる場を選択するなど、治癒のときに起きる行動には「ミラグロ」がいっぱいなのだ。

これらは「本能」と呼ぶべきものかもしれない。
ただその「本能」は都心部のアパートでは実現されなかった。
わが犬のことは「ある程度」知っているつもりだった飼い主の私も
いかに自分の知らぬ犬の世界があるのを知って愕然とすると同時に
その飼い主の落ち込みを消し去ってくれるほどの喜びがある。

「犬であるオポ」は健在で、そのすばらしさに触れているのだ。
もしかしたら、いやおそらく大半の人が犬の大変な状態に耐えられないかもしれない。
でも、治癒の道を歩いているオポは、私の大好きなオポくんでもなく、私の愛しいオポでもない。
行動だけでなく、表情やオポそのものが特別な何かになっている。
それは犬という動物の範囲内で起こるミラグロの世界。
この不思議な世界をみなさんは知っているのだろうか。

さて、オポは現実の世界に戻ってきた。
お腹の傷はまだ癒えていないようだが、食欲は200%のいつものオポ。
「まだ、少しずつじゃないと食べられないんだよ。」と普通の飼い主に戻る私も。

片方の眉をあげて片方の眉を下げているのは大切なメッセージ。

「で?。ボクのゴハンは?」

ブログ用2012年5月

Posted in オポのこと

お山さん、大変お世話になりました。<後篇>

目覚めるとオポが目の前にいた。
オポの意識によって目覚めたのか。

朝方4時くらいに寒さにたまらず風呂で体を温めて少し横になってしまったのだ。6時か・・・あれから2時間。
目が合うとすぐに動き出そうとしたオポを見てそのコトバを受け取る。
「外に出るのね…」

出入り自由にしておいたオポドアのついた戸口からあわてたように駆けだすオポ。
戸口を出るとすぐに裏庭に出ている「湧水」を口にした。
「湧水」はいつでも飲めるはずだけど本当に必要なときにはこの水を飲む。
オポはそれを今、本当に必要としてるんだ。

昨晩の状態から、ほんのその辺までしかいけないだろうと思ったのに
山の奥の方まで行こうとしていることが途中でみてとれた。

「オポ、ごめん。電話持ってくるからちょっと待ってて。」しばらく山から下りて来ないような気がした。
予定の来客に断りの連絡をいれるために必要な電話を取りに降りた。

急いで戻ると、オポはその場に伏せていた。
一気にのぼるはずだったのに、私が途中で止めてしまったからだ。
次に起き上がるまで、少し時間が必要らしい。
これから起きることを知り、ここ数日の予定をキャンセルさせてもらった。

電話をかけ終わり私の準備も整うと、オポは奥山へと駆けだした。
腹痛がひどいのか背中を硬直させながら、そして息も荒い。

奥山に入る手前から「間に合わない」という感じをただよわせながら
途中で不要分を体から出し続けながらも、あわてるように進んでいった。

竹にたまった水を口にして浅く呼吸をしながら、あと少しだというように。
私がもっと慎重に準備を整えて心していればオポのやろうとしていることがもっとスムーズにいっただろうに。
謝りと祈りと不安と冷静さが混沌として、複雑な心境だった。

オポは、なんとかたどり着いたというようにテント場の手前あたりに伏せた。
オポは昨晩同様、たくさんの不要なものを1時間置きに出し続けた。
出すときは慎重に尾根から外れた自分たちのスペースではない場を選ぶ。
伏せているときはじっと前を見据えていて、眠ろうとしない。
体を一瞬横にしても「ウー」と声をあげてすぐに伏せる体制に戻った。
血のにおいをかぎつけてオポの体にたくさんのハエがたかった。
自然の摂理とはいえ、あまりに悲しくなんどもそのハエを私が払った。

でも、オポはハエを気にしてはいない。
いつものオポの顔ではなかった。
あの「治癒の道」を歩いているときのオポの顔なのだ。

私はオポに湧水を与えるために里におりて登ることを4回繰り返した。
歩くことで不安も消える。私にもできることがひとつでもあるのだから。
この時オポに何が起きているのか私が知り得たことは、
体の中にあるできもののようなものが、最大限に大きくなり自ら破裂した。
できもののできていた皮膚の部分が炎症を起こし自らの毒素を出そうと…。とまあ、こんなところだろうか。

驚くべきことは、オポが自分に起きていることを知っているということだ。
もっとすばらしいことは、今自分に何が必要なのかも知っている。
それを自ら選択して行動を起こしていく。
どこへ行って何をするのか、何を口にして何を口にしないのか。
どちらを向いて伏せ、どこに感覚を向けているのか。
すべて、自分で選択をしているのだ。
いつもはひとりでいることのないこの治癒の場に、ひとりで待つことだって。

実際に目の前でオポがこうしているのを見れば、伝わってくる。
痛いだろうに、辛いだろうに、苦しいだろうに。
でも、こうして傍にいてできることだけをしながら手出しをしないでいられるのは
そうしたものを超える力をオポが実現していることを感じることができるからだ。
この癒しの空間と時間とつながりについて、気づいていなければ
オポを抱え込んで「どうにかしてください」と誰かにすがりついただろう。
こんな世界があることを、ついこの間まで知らなかったのだ。

夕方になると山で宿泊になることを決意して、自分用にテントを張った。
「テント張ったら“降りる”っていいそうだな…」と思いはしたものの
まあ、それならそれで構わない。とにかく自分に必要な準備はしよう。

そう思ってテントを張って10分。やはりオポは山を下って行った。
夕方のチャイムが鳴るまでの半日を山神様の元で過ごしたことになる。

「この度も、大変お世話になりました。」
お礼をいい、明日も来るかもしれないからとテントはそのままにした。


その日の夜に、翌日にも、そのまた翌日にも不思議なことがいっぱい起きた。
私はそれをただ見ているだけだけど、ただ見ていることができるようになったのだ。
薬を与えなければいけないとか、出血を止めなければいけないとかそんなことをは思わなくなった。

ただ、オポの歩く道を不思議なものを見るように見たり感じたりしている。
そして、オポもそのことを知っている。
私がいなければ行動できないわけではなく、私が知ろうとしていることを知っているのだろう。

治癒の道はまだ続いている。
あれから奥山には行こうとしないのでテントは張ったまま。
今度、テントを片付けに行くときは、こう言うだろう。
「いつもお世話になっています。そして、これからもよろしくお願いします。」

ブログ用2012年5月

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