グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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栗の思い出

七山の野菜屋さんに栗が並ぶ季節になった。
山のあちこちにある栗畑でも栗の実がどんどん落ち始めている。

この季節になるといつも思い出すことがある。
それはまだ学校を卒業して間もないころで、犬の訓練所に見習いとして働いていたときのことだった。
季節は秋になり見習い作業も随分身にはついていたが、下っ端の者の仕事は次が来るまで譲ることができない。

当時の下っ端の仕事のひとつに訓練をしない犬の散歩があった。
老犬、病気をもった犬、訓練の対象から外されている犬、繁殖犬など。
彼らとの共によく歩いたのが訓練所から歩いていくとたどりついた栗林の間に作られた随分長く続く林道だった。

訓練所は山中にあったが隣町から中央の町へと走り抜ける車が朝晩に忙しくそこを通っていたようだった。
でも昼間の散歩時間には車はほとんど通らず快適な散歩道となった。

栗の季節にこの道を犬と散歩していると、車のタイヤにつぶされたいくつものりっぱな栗が落ちていた。
栗林には人が入らないように柵をしてあったが林道に接する栗の木から落ちて転がった栗が道にたくさんあった。

「あー、もったいない。朝の車が通るときにつぶされちゃうんだね。」
当時は大好物だった栗の実を見ながらあることを思いついた。
私の住んでいるアパートはこの栗林のすぐそばだった。
夜中でも訓練所にいけるように最短の場所に住むことも見習いの仕事だった。

「朝のうちにこの栗を拾いにくればいいんだ。」栗林に立ち入って栗をとるのは泥棒だけど
どうせ車につぶされてしまう栗を拾うのは許されるだろう。ということで朝の4時に起きて栗拾いに出かけるようになった。

1日の栗の収穫はスーパーの袋にいっぱいになるほどだった。
アパートに戻ってすぐにその栗をゆがき朝はゆで栗を食べて出勤し、昼はゆで栗をお弁当にもっていく。
夜もゆで栗を夕食変わりにした。

見習いの身分なのでお給料というものをもらっていなかった。
当時はそんなこともまかり通る時代だったのだと思う。
少々のお小遣いなので普通に食べることができない。
だからこの栗は私にとっては特別な神様からの贈り物だった。
栗の収穫できるのは1週間~10日くらいだったと思う。

栗を1日3食、お金を払って食べようとは思わない。
でも、食べるものを買うお金もなくてお腹は空いている。
なんでもいいから食べられるものがあれば喜んでいただく。
それが神様からのいただきものであればただ感謝していただける。
オポが山で野いちごを食べているときもこんな気持ちなのかな。

先日、七山のあるパン屋さんで「先日のパン…代金は震災の募金へ」と書いたパンのバスケットを見つけた。
いつもは1袋100円のラスクが20円で売っていた。
100円をもっていないわけではないのに20円のラスクを手にしたのがなぜかうれしい。
ラスクは時間がたっていたからか少し湿り気があった。それでも20円で買えたことがとても幸福に思えた。

なんでもたくさん持っているから幸せになるわけではない。
喜びとは人それぞれだから図ることができない。
いつもはあり得ない形でそれが手に入ったとき神様っているんだな」と感じられるからかもしれない。

栗の実の御恩返しをするときがそろそろやって来た。わんこ山に栗の木を植えよう。
偶然ホームセンターにあった栗の小さな苗木を2本買った。

栗は3年で実をつけるというけどこの実は私が食べるために植えるわけではない。
オポが食べる機会を得られればそれは素直にうれしい。
でもその機会を得られなくてもきっと誰かが喜んでくれる。
タヌキか鳥か、いつの日かこの栗の木の横を通った人が栗の実を命にかえるその日のために。

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