グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<自然のこと>ジェーングドールの映像を見て思ったこと

ジェーン・グドール博士という動物行動学者をご存知の方も多いと思います。

私が最も尊敬する動物行動学者で、欲張っていえばジェーングドールのようになりたいとまで思ってしまい、かつジェーングドールには絶対になれないと思う方なのです。このブログでの何ども取り上げました。

ジェーングドール博士はチンパンジーの研究者の第一人者ですが、とにかく彼女の美しさといえばチンパンジーと共に過ごしている姿です。

先日ナショナルジェオグラフィックの番組でジェーングドール博士の番組が紹介されましたので、初恋の人に会う気持ちでドキドキしてその映像を見ました。

過去の貴重な映像が満載で、若かりし頃のジェーングドール博士のエネルギーと情熱と愛に満ち溢れた番組でした。

同時に考えさせられるシーンもいくつかありました。


その一つ目は、ジェーングドール博士がチンパンジーに接触を図る過程の中でその関係性に混乱を生じさせることが起きたことです。

彼女のような人でも動物との関係の中で予測できなかったことがあったのだと、大変驚きました。

この事件について過去の文献でも見逃してしまったのか、私が今まで関心がなく読み過ごしてしまったのかもしれません。

その事件とは、チンパンジーが人のテントの中のバナナを持ち去ることをきっかけに、逆に餌付けをしてチンパンジーを人のテリトリーに引き寄せようとしたことです。

今では、野生動物の人による餌付けが混乱を招き動物の執着と攻撃性を高める結果になることは、動物について学ぶ者なら周知のことです。

ですが、当時はジェーングドールのような好奇心旺盛な人々が野生動物に接触をはかる挑戦の過程の中で、こうしたトラブルを引き起こすこともあったのでしょう。

バナナや他の食べ物を人のテントスペースに取りに来るチンパンジーの数は増え続け、やがて人のものはなんでも奪うようになり、チンパンジーが争奪を通して人に対しても同種に対しても攻撃性を高めていく映像が紹介されており、大変わかりやすくまたそのことで戸惑うジェーングドールの姿も印象的でした。

この問題に対しては、結局管理された餌場を設けることで、特に信頼関係を結んだ限られたチンパンジーに、限られた餌だけを得る権利を与えることで解決されたようです。


また、野生動物が人との接触を図る過程の中で起きる悲惨な事件が起きています。感染症という問題です。

海を渡ってくる人という動物が持ち込んだポリオにチンパンジーたちが感染してしまい、麻痺などの症状を起こしていくのです。

ポリオの感染はジェーングドール博士のグループからではなく、別の研究者たちのグループからチンパンジーに広がってきたもののようですが、人が持ち込んだことでチンパンジーの生存を脅かしたことは確かなことです。

つい最近ですが、アフリカの先住民族が絶滅したのではないかという番組を見ました。彼らの多くも侵入者の持ち込んだ菌による感染症でした。握手などの簡単な触れあいによって死に至らしめてしまうという最悪の出来事です。

チンパンジーは遺伝子学的にもヒトに最も近い霊長類なので、病気の感染については当然考えられることなのですが、やはりこちらも当時は知識や情報が十分になかったということなのでしょう。

目の前でポリオに侵され麻痺が生じ朽ち果てていく友人のチンパンジーに対して、ジェーングドール博士は銃殺という安楽死を選択します。

インタビューでは「自然死という選択はなかったのか」という質問に対して、「目の前で苦しんでいる友達をただ見ていることはできない。」という答えがジェーングドール博士が出した答えでした。

この事件をきっかけにして、チンパンジーに触るという接触の行為が禁じられたとのことです。

動物は生きている世界が違う、だから大切にしたいなら一定の境界線を保つという基本的なルールが見直されたことになる二つの大きな事件です。


犬はヒトが触ることができる動物です。

犬は野生動物ではなく家畜化の過程をとりながら長い時間をかけて変化してきた動物です。

だからこそヒトとテリトリーを共にすることができ触れ合えることができる特別な存在なのです。

ですがその犬にも人と一定の距離を保つ必要があるという境界線があります。

その境界線を作る必要のあるのは犬ではなくむしろ人の方です。

犬がなんらかの攻撃性、咬みつき、過剰な吠え、自分をなめたり尾を追う自虐行動、とびつき行動などをしている場合には、境界線のルールが守られていませんというメッセージとして受け取ってください。


ジェーン・グドール博士の番組はそのうちDVD化されるかもしれません。
ぜひ見ていただきたいです。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

<クラス>雪が降ったら犬が変わる、今年最後のテントクラス開催しました

寒い週末になりましたが、七山では雪は降っていません。

毎月テントクラスを楽しみにしている老犬たちと、テントクラスを開催しました。

雪が降ると交通が不便になり困るのですが、雪が降るのを期待している気持ちもあってなんだか複雑です。

雪が降るというのはなぜかテンションが上がることなのです。

犬も雪が降ってくるといつもと違う表情や行動を見せてくれます。

積雪するととてもはしゃぐ若い犬のいるけれど、年を取ってくると派手さはないけど深みのある感覚に変わっていくのでしょうか。

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そんな雪の中の犬の姿を見たいという気持ちもあって、雪を期待してしまいました。

今回ははずれでしたが、七山では年に数回積雪しますのでぜひ七山トレッキングクラスに起こしいただきたいです。

人の力だけで犬をなんとかしようと思っても限界があります。

動物が本当に変化していけるのは人がつくったルールだけではなく、それを取り巻くもっと大きな環境だと思うのです。

その大きな環境とは、自然という人の力では支配できない力であって、自然が持つルールの中に人も犬も入っているのだということを知らしめてくれるもののひとつとして雪の中で謙虚になれるのが動物というものではないでしょうか。

テントクラス中、部屋で暖がとれるようにと暖炉をいれていました。

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生徒さんのおひとりが「この暖炉と毛布があったらずっとここで過ごせるというきもちになれる、無敵ですね。」とおっしゃいました。

結局、火を扱えるようになったことで人は幸せにもなったけれど、やりすぎてしまって不幸にもなったのかもしれません。

自然の中で思いを巡らせるいろんなこと、犬との暮らしに役立てていただければと思います。

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Posted in クラスのこと, 日々のこと, 自然のこと

<クラス>老犬たちのトレッキングクラス

グッドボーイハートの活動は、季節が変わるようにこれまで形を変えて移り変わってきました。

はじめに家庭訪問形式のトレーニングスタイルから始まり、次に通学できる学校を博多駅近くにつくり、その後は山での勉強と七山へ移り、今は家庭訪問クラスを七山のクラスを併設する現在の形となりました。

グッドボーイハートの設立が2000年からなので今年で18年目です。

たくさんの出会いを頂くと共に、共に学んだ仲間たちとの別れも始まっています。

今日は12歳~15歳まで、子犬のころからグッドボーイハートで育った犬たちと生徒さんたちと共に山歩きを楽しみました。

紅葉
老犬たちのペースでの山歩きなので気負うこともなくゆっくりまったりと呼吸を深めながら歩きます。

山にはきれいな空気があるし、スペースはいっぱいあるし、時間もたくさんあります。

老犬たちの山を歩く姿を見ながら「元気に過ごしてくれているようでよかった」とただほっとしてしまいます。

同時に、犬たちの生きる時間を変えることはできないけれど、今日一日ができるだけゆっくりした時間になるようにと深く呼吸するようにしています。

犬と人は生きている時間の長さが違いすぎます。

犬は人の十分の一しか生きていないのですが、犬たち自信は生きるのに必要な時間を十分にもちあわせているはずです。

でも、その犬の時間の多くを奪ってしまうのは、わたしたち人間の方ではないでしょうか。

人は忙しく呼吸もあわただしく犬たちをせかしてしまいます。

山にいるときはせめてゆっくりと呼吸をしながら、時間の流れがゆっくりなりますようにと思うのです。


2007年に七山に来てからずっとなり続けている柚子の木にたくさんの実がなりました。

柚子の実を生徒さんが取ってくださったので、みなさんのおみやげに持ち帰っていただきました。

山で犬と過ごすことは本当に地味な特別なことではありませんが、山で過ごしている犬たちはなぜか幸せそうに見えてしまいます。

老犬もこれから移動や歩行が困難になり、山で過ごす時間も少なくなってしまうかもしれません。

それでもきっと彼らは、ここで過ごしたことを体に記憶してくれていると思います。

本当に良い季節。

飼い主さんたちには、犬と共に山の空気を吸いに、山歩きに出かけてほしいです。

ダンスタンとゆず

Posted in クラスのこと, 自然のこと

<山と犬>秋のお手入れ無事に進んでいます。

わずかに紅葉し始めている静かな尾歩山。

秋の深まりをみせながら、夏に騒いでいたいろんな生物たちはほとんど姿を消しています。

大きな女郎蜘蛛と蜂が最後の活動をしているくらいです。


やっと、落ち着いて山の手入れができるようになりました。

とりきれていなかった蔓を払いながら、木々が育つ環境整備の応援です。


山の手入れのときにも、犬がそばにいてくれるとなぜか安心します。

手入れに夢中になっていますから、周囲の危険を教えてくれる役割を担ってくれるからです。

そうした自分の役割に気づく犬たちは、飼い主の方をじっとみたりそばによってきたりはしません。

鎌や鋏をもって活動していますので、人のそばでは危険もあります。

犬たちは人の作業を邪魔しないように、少し離れたところで周囲の気配をとりながら、ときには山の斜面に落ちているイノシシやウサギの落し物を食べたりしながら、ゆるやかに過ごしています。


私達ヒトの方もしっかりと山の恵を拾って降りました。

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オポが食べていたので気づいた椎の実。
ほんのり甘くて生でもおいしくいただけます。

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皮も食べられるらしいあけび。
私はあまり得意ではありませんが、生徒さんがペロリと食べました。

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山の甘柿。
柿はたいてい渋柿で、甘柿は1本だけです。
すでに熟したものは、お手伝いしてくれた犬くんがしっかりいただきました。

熟した柿が落ちてくるのを待つのは、オポのお得意芸でした。

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山が育つと動物が暮らす場ができるのが、ただうれしいのです。

山が育つと犬たちが生き生きとなるようで、ますますうれしいのです。

七山から離れた福岡の土地にも、活力ある山の空気が届くと思えるからです。


夜に七山から福岡まで移動するときに、動物たちとの遭遇が増えました。

ウサギ、アナグマ、タヌキ、イタチなど。

秋から冬にかけて活動が活発になる野生動物たちです。

わたしたちヒトも、そしてイヌも活動期の季節といえるでしょう。


また来月も山のお手入れ行います。

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ヒト科ヒト属<おすすめの本>ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

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 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

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おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

岐路にたつ
● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

・グッドボーイハートのお薦めの本はこちらからもご覧いただけます。
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どの季節を生きているのか:犬との暮らし時間の差を越えるために

先日あるご家庭で「一番暑い夏は越えましたね。もう秋ですからね。」というと
「少し季節が早いのですか?」と尋ねられました。

お尋ねの理由はわかります。福岡では、また夏まっさかりというほどの暑さなのに、
もう秋ですからねというのは不思議ですね。

理由は、週の半分くらいを七山に戻って過ごしているからです。

実はわたしも七山に来たばかりのとき、山の手入れについて土地の方とお話しているときに
季節の違いを知りました。
自分が夏だと思っていた8月の中旬は、山の人にとっては秋の始まりなのです。

単なる価値観の違いではなく、肌を通して季節の違いを感じます。


8月7日に立秋を過ぎて、七山ではすっかり秋の風を感じられるようになりました。

まだ蝉の声が一日中響いてはいますが、ツクツクボウシの声が聞こえるようになりました。
この声を聴くと秋が近付いているというお知らせを受け取ったような気持ちになります。

棚田の稲穂は頭をしっかりと下げています。

栗や柿の実は枝がたわむほどになり、いくつかは青いまま落ち始めています。
雑草は夏枯れを終わり、まだまだ最後のひと葉を広げようとします。

山の斜面にオオスズメバチが巣を作ってしまい、山歩きのコースの変更を迫られました。
これが最近の一番の山の悩みです。
ハチは10月にかけて巣を大きくしていきますので、ハチの数が増えるのはこれからです。
これも季節の流れです。

この季節の移り変わりは、街中のファッション店の季節の先取りと同じ速さですが、
肌を通して伝わってくる感覚は全然違います。

この季節感を全身で味わえるようになって、やっと私も8月のこの季節に秋が始まったと
思えるようになるのに何年もかかりました。

犬たちが季節を情緒的に受け取っているのかどうかはわかりません。
ただ、犬たちが太陽や風の移り変わりを毎日感じていることは確かです。

過去にも未来にも執着しない犬という動物ですから、冬のことをうらやむこともありません。
早く涼しい秋になればいいなと思うこともありません。
ただ、今日の一日を体で感じることが彼らのできる最大のことであり、そして最も有意義なことです。

こうして外気にあたって季節を感じることが動物の幸せであると思えるようになったことは、
七山という土地で過ごす時間をいただいたことで体が学んだ大切なことです。

考えると自分にとっては約50回(ここは曖昧に)の夏を越したということ。
犬たちは多くて10数回の夏を越すだけです。
犬の寿命を考えると、犬によっては6回、7回、8回の夏だけだとしても不思議ではありません。

しかし、これはやはり回数ではないと思うのです。

どんな夏をどういう風に過ごして越したのか、やっぱり毎日の生きる質を思います。

人と比べるとほんのわずかな回数しかない犬たちのそれぞれの季節が、
自然とともにあり、季節を体感できるものであるための環境作りは決して簡単ではありません。

でも、どんなことも思わないと変わりません。

まず、犬にとって大切なことは何かを思い、考え、そしてそれを実現しようと願い、行動する。
できなくても今日できることをひとつやってみる、そのくり返しです。

犬の生きる時間の短さを思うと、なかなか人の成長は追いつかないのですが、
気づいて変化しようとする飼い主と共にいるだけで、犬は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

活発なハチを横目に、秋はやっぱりお山のシーズンです。
体験トレッキングクラスも行っていますのでお気軽にご連絡ください。

クウーちゃん山登り

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ヤマカガシと犬のオポのこと:犬がヘビに咬まれないようにするためには?

 夏休みで子ども達が活動中です。小学校高学年の子どもが毒ヘビにかまれたことがニュースになっています。自然環境の中で野生生物に接してケガをすることもありますが、大事にいたらないように注意をすると同時に、もっと深く自分たちに起きていることを考えてみます。


● 毒蛇はどんなところにいるのか?ヤマカガシはなぜ咬みつくのか?

 先日子どもたちが咬まれたヘビはヤマカガシというヘビでした。ニュースではものすごく恐ろしい毒ヘビだという印象を与えるような表現をされていましたが、ヤマカガシはずっと以前から日本の山里に生息しています。というわたしも、ヤマカガシという生物をしっかりと認識して見ることができるようになったのは、七山に移転して山歩きをするようになってからです。

ですから、ヤマカガシという生き物が山里遠く生活する人々にとっては、その存在すら忘れられてしまうような存在であることも理解しています。

 ヤマカガシという名前のカガシとは古語で蛇という意味があるそうです。昔はヤマカガチとも呼ばれていたそうですね。カガシや案山子とも関連があるという情報もありましたが、正確に確認できませんでした。いずれにしても、ヤマカガシは古来から山の中に生息する山を守る生物として認められてきたことは確かのようです。
蛇は山の神様ともいわれる存在なのです。そのヘビを毒物として遠ざけずに、古くから山に生息する生き物としてその存在をありがたいとまでは思えなくても、ただそこにあるものとして認める姿勢はもっていたいものです。

 ヤマカガシは確かに毒を持ちます。奥の牙に毒性をもつため、強く咬まれることがなければ、つまり軽い威嚇で前の牙が当たる程度であれば大丈夫ということもできます。ただ攻撃には攻撃をという姿勢を持つのは生き物の生き残る手段です。ヘビも種類によって多少の気質の違いはあるでしょうが、ヤマカガシの場合は「激しい」といわれることもあります。
でもヤマカガシの一番の手段は、やっぱり逃げることなのです。毒性があるのも、相手を殺戮することが目的ではなく相手を一瞬ひるませておいて、そして自分は逃げるための防衛の道具です。

 今回の子どもたちのヤマカガシに咬まれたいきさつは、ヘビを捕まえたり手で掴もうとしたとニュースにはありました。ヘビを捕まえて持ち帰ろうとする子どもさんの気合には敬意を表します。咬まれた子どもの方は良い勉強になったということでしょうが、今の世の中ではなかなかそうはいかないようです。
病院では毒ヘビに咬まれたときの血清があり、ほとんどが血清で対応されることになります。ですがこれもショック状態に陥ることもあり、必ずしも安全な処置とはいえないものです。


 犬の場合はどうでしょうか?犬が毒ヘビに咬まれるなどと想像しただけで、ぞっとされることでしょう。実際に犬がマムシに咬まれたあとの回復力の速さは、人がかなうようなものではありません。やっぱり犬なんだなと思うような回復を果たします。しかし、犬によっては犬だから大丈夫ということでもありません。大丈夫ではない犬はどのような犬かというと、まず薬を多様している犬です。薬の使用は動物の免疫力を落とします。特にステロイド系の薬を使用している動物にとって生物の毒は要注意です。

 また純血種の犬たちは免疫力が低いため要注意です。純血種というのは遺伝子の小さなプールの中で繁殖を続けていますので血が濃いということです。雑種が環境に対して抵抗力を強めて進化していくのに対し、純血種は生物学的に限られた枠の中で育てられたものです。当然のことですが免疫力は弱くなっています。
その親犬やさらにまた上の犬たちもずっと予防薬やワクチン接種を続けていれば、さらに免疫力は弱くなります。こうしたくり返しが続いていますので、純血種の犬が生物の毒に対応できるのか、もはやわかりません。純血種の犬たちはそれごと自然の生態系から切り離されていく存在だと思うと、とてもさびしくなってしまいます。


● ヤマカガシは本当に怖いのか?ヤマカガシと犬のオポのこと

 そのヤマカガシと犬のオポの実話です。

 その日、わたしとオポはいつものとおり裏山(尾歩山(おぽさん))を散歩していたときのことです。山の一部に急なところがあり、ゆっくりと歩いていたのですが急に視界が広がったようになった場に出ました。

 わたしの前を歩いていたオポのすぐ前に、長いものがパッと立ち上がりました。それも突然出てきた感じだったのですが、見るとヤマカガシが高く首をあげています。いわゆる鎌をあげるという状態です。鎌のような形になっていました。

 いっしゅんのことでしたが、わたしもオポも立ち止まりました。ヤマカガシはその位置からオポまで飛びかかることのできる生き物です。もちろん、わたしも大変緊張していて思考を失ってしまいました。数秒そうしていたあと、わたしが後ろに数歩下がるのと同時に、オポも向きを変えずに後ろに数歩下がりました。その瞬間、ヤマカガシもすっと後ろに下がるように消えていったのです。

 そしてまた数秒がたったでしょうか。オポはゆっくりと前歩いていた速度と同じ速度で進み始めました。ヤマカガシがまだそこにいるなら、オポが前進するわけはありません。オポを信頼し、わたしも共に進みました。もちろん、ヤマカガシはもうそこにはいませんでした。

 私達の登場でビックリしたヤマカガシが鎌を上げ、私達の後退を受けてヤマカガシも逃げる選択をしたということです。山の中ではこうした突然の遭遇が一番怖いのですが、そのときにも冷静さが必要です。

 オポは都会暮らしでヘビに咬まれたことも、ヘビの臭いをとりにいったりしたこともありません。むしろ都会暮らしのときに山や川に遊びに行っていたときは、興奮が高く近くにヘビがいてもあまり見えてないように行動していてハラハラとしたこともあります。

 そのオポが七山で暮らすようになっていろんな急激な変化が彼の中に起こりました。そのひとつが野生生物に対する配慮と反応です。配慮というと擬人的な臭いがありますが、気遣いというよりも、環境の全体を捉えて刺激を求めない行動ということです。

 そうした自然環境とのかかわりの中でオポは自然に野生生物に対する態度を変えていきました。オポにとって鎌をあげるヤマカガシという生物は、図鑑で学んだりネットで知識を得たりする必要のない対象です。生きているものがいる、相手が防衛、攻撃の臭いを発していれば、まず近付かない、脅かさない、距離をとるという自然な反応です。わたしが「あれはね、ヤマカガシといって毒があるから近付いてはダメよ」と教えることもできません。

● 犬に対して「ヘビには近付くな」と教えることができるのか

 こうしたオポのしたような犬の反応を他の犬に望むことは、現実的ではありません。ずっと都心で閉じ込められて生活している犬に、いきなりそれを要求するのはフェアではないと考えるからです。ただ、本来犬に備わっている機能性として、いつかあわられてくれたらいいなと思いつつ希望を持って進むしかありません。犬の持つすごい本能という機能性と能力を引き出すための方法は、あります。

 それは、自然の中での過ごし方にあります。トレッキングクラスで取り入れている過ごし方は、自然の環境に沿うやり方です。そしてわたしたち人の方も、少しずつ自然との距離を縮めながらお互いの距離というのをはかる必要があります。そして周囲にあるものを感じたり認めたりすることから始めることしかありません。それはゆっくりと歩くということです。

 若い人たちが森の中で音楽フェスティバルを行ういわゆるフェスというスタイルが楽しいというのはよくわかります。自分も若いころに一度行った事があります。わたしはあまり楽しくなかったのですが、開放感があって周囲の自然に癒されながら激しい音楽を聴きたいという若者の単純な欲求です。
 でも今は音響設備も発達しています。ステレオやマイクを使って人工的に人の声ではあり得ない音を作り出してしまいます。映像を見ていて思うのは、その音を聞かされる森に住む動物たち、昆虫たち、木々や草、そして山そのものはどう受け止めているのかということです。願わくば、そのフェスティバルのために木々を切り倒すことだけは止めて欲しいと思います。

 犬は大騒ぎするようなフェスティバルにいっても喜びは得られません。自然のリズムが犬のリズムなので、ゆっくりと響き渡る音響を使わないピアノや笛やヴァイオリンには耳を傾けてくれるかもしれません。

 犬に沿うように過ごし方を変えてもよし、人の過ごし方が変化してそれに犬たちが沿うてくれてもよし。いずれにしても、自然を丸ごと感じることが自分の身を守ることにつながっていきます。そして、その過ごし方は、不思議ですが家庭の中にも流れていきます。

 くれぐれも、興奮しやすく走り出してしまう犬を山に連れていくときには、まず動きの制御を忘れないようにしてください。そして環境を知るためには、犬を連れていろんな山に行くのではなく、同じ場所に何どもでかけて庭と思えるほど、その土地を身につけるようにされることをおすすめします。それは、あまり楽しいことではないかも知れないけれど、その変化しない環境の中に楽しみが見つかったときが最高に楽しいのです。

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犬の怖がり、恐怖症、興奮を克服するために:プライベートトレッキングクラスで身につける犬の行動力

 酷暑の福岡と比較すると本当に涼しい七山ですが、毎日の早朝の仕事となる草刈り業にはため息の出ることも多いです。
 それでも、少し草刈りを進めると冷たい風がほおをすり抜けていくというごほうびもあります。わたしがやらずして誰がやると言い聞かせ、再び鎌を動かし続けます。この週末には、尾歩山にトレッキングクラスのために来校してくださる方がたくさんいるので、少しでも良い風を受けて欲しいという思いからついついがんばりが欲張りとなってしまいました。


● トレッキングクラスに参加してくれる飼い主さんと犬たちなのか?

 プライベートトレッキングクラスの目的は、ただ犬と楽しく過ごすという趣味的なものではありません。その時間に起きていることはとても奥が深いため、飼い主さんの利用の目的も幅広いため、参加される方々の目的はそれぞれに違います。共通して言えるのは、トレッキングクラスに参加されるすべての飼い主さんが、犬とのより良い関係と、より良い生活を望んでいらっしゃるということです。

 グッドボーイハートでは、ご自宅の環境を整えることが最優先です。そして次のステップとしてトレッキングクラスを通して犬との関係を見直したり、より良い関係をつくる機会を得ていただいています。さまざまなタイプの行動の問題を抱えている犬たちの中でも、特にトレッキングクラスをお薦めしたい犬たちはこんな犬たちです。おびえがある、恐怖を抱きやすい、逃走行動の傾向がある、興奮しやすい、分離不安傾向があるなど、こんな犬たちにはトレッキングクラスの利用をお薦めしています。

 ところがこのトレッキングクラスですが飼い主さんがいっしょに歩くことに意味があります。中には山歩きが苦手な飼い主さんもいますので、家で待っているから犬と先生だけで歩いてくれないかしらと思われることもあるかもしれません。実際に、お預かりクラスの時間ではわたしと犬だけで、つまり飼い主さん不在の状態で山歩きをすることがあります。山歩きを通して犬の行動や性質について新たに知ることも多く、犬の個体の本質に関心の高い自分にとってはとても有意義な時間になります。ここに飼い主さんもいっしょに犬と歩いていただくことで、犬と飼い主さんの現在の関係やバランスを見ることができるのです。

 なぜそんなことが可能なのかというと、それはクラスに参加された方だけが知っていくことになる大切な秘密なのでここではお伝えできません。お伝えできることといえば、犬と人が自然との距離感をどのように持っているかを知ることで、犬と人の距離感や関係を知ることができるのだということです。トレッキングといっても山を駆け回るようなドッグランのような歩き方ではありません。みんなゆっくりと呼吸を合わせながら、一歩一歩の風景を感じながら安全を確保しながら、お互いを信頼しながら山を深めていきます。


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● 犬の恐怖行動、怖がり、おびえる犬が多い理由とは

 犬の行動はワンパターンではありません。たとえば怖がる恐怖反応を出す犬が何頭かいたとしても、それらの犬たちがすべて同じ状態であるわけではありません。犬は環境や経験や影響を最も受けている飼い主が全部違うのですから、恐怖反応の強い犬としてひとくくりにはできません。しかし、その問題の中には共通点を見出すことができます。共通点となる問題は繁殖や子犬時代の扱い方や環境によるものも多いものです。

 純血種犬のほとんどがブリーディングという作業を通して人為的に繁殖され、販売店で販売されるシステムを経て飼い主の元に行きます。もしくは、ブリーダーから直接飼い主さんの元に行くこともあるでしょう。もしくは保護された犬が保護施設や保護団体を通して飼い主の元に引き取られることがあります。その子犬期の多くに経験するのが多頭飼育や施設で起きる「収容」という問題です。子犬期の収容は子犬の成長時にトラブルを抱えやすくなります。専門家はこれをどう軽減させていくかを考えて飼育管理をしなければいけません。

 こうした社会的背景とは別に、犬のコミュニケーションに対する理解不足というのがあります。たとえば子犬をずっと抱っこして育てたり、人にとびついたり膝の上に乗ってきたり腹部を見せる行動を「人が好きだ」と勘違いしてしまい、いつまでも受け入れ続けたりということが、結果として犬のおびえや恐怖を強めているのだということを理解するのには時間がかかるようです。犬の専門家が正しく伝えきれていないという意味では自分たちも反省が必要だと痛感しています。


● 犬の恐怖行動、怖がり、おびえ、パニックになりやすい犬がトレッキングを通して変化していくこと

 これから起きる予備軍を未然に防ぐこととは別に、すでに恐怖行動が出やすい犬については改善のために飼い主さんが努力をするしかありません。おびえや恐怖を示す犬は決してハッピーではありません。そうした犬は特定の人に過度に甘える行動をするため、人のことが好きだと勘違いされています。むしろその行動をかわいいと褒められたりすることもあるようです。
 
 しかし、これらの犬たちは精神的に安らぎを得られません。常におびえて人に対して積極的な反応を示すよう求めています。いつも自分を受け入れてもらうことを確認するための様々な行動を繰り広げて落ち着きがありません。人に触っていてもらわないと落ち着いて寝ることもできなくなるかもしれません。いつも抱っこされることを確認するかもしれません。何ども室内トイレに行って排泄をする犬もいます。

 こうした犬たちの行動改善と性質の安定のために、トレッキングクラスを受講されることをおすすめしています。先に述べたようにご自宅での環境整備が一番ですが、次のステップとしてお山歩きはグッドボーイハートでは大切なクラスの軸になっています。

 ルールに従って山で過ごすことは動物の脳に一定の影響を与えます。山歩きといってもお酒やバーベキューを持ち込むキャンプでは意味がありません。本当に山を愛する人は、ほんのわずかな道具で山とひとつになってゆっくりと歩いているという風に想像することができるでしょう。最小限のものを持って山の神様に遠慮しながら、その場を拝借しながら自分もそのひとつになるのです。

 山のルールを徹底させれば、動物の脳はある刺激を受けます。犬の脳にどのような刺激があるのか科学的に説明することはできません。ただ行動の変化は見られます。ゆっくりと歩くようになる、人との距離感が変わってくる、地面の臭いに興味を示すようになる、風を感じているようだ、草を食べるようになった、水をいつもよりもよく飲む、目の輝きがいつもと違う、毛の柔らかさに変化がでるなど、その変化はわかりにくいものからわかりやすいものまで様々です。

 これは想像ですが、どうやら山歩きは動物の原始的な脳に働きかけてくれているようです。大脳を使った人とのやりとりではなく、自然とのやりとりに犬は古い脳の領域の活性化を必要としているようです。これはとても重要なことなのです。大脳を使ったトレーニングは人間の得意とするところです。人間など原始的な脳はほとんどなくなっているような大脳の生き物です。犬が自分達のいうことを聞くように大脳を強化したのは人間の方です。ところが自然は大脳で感知するには不足しています。犬の足裏から得られる情報、臭いから得られる情報、皮膚を通して知り得たことなどその全てがその場で過ごすために必要な情報として受け取られ、その情報を得るたびに犬の脳と体を活性化させているように感じます。

 犬は自信を持ち始めるようです。ここでは飼い主に褒められる必要もありません。自分の機能を十分に発揮できたときに動物は本当の安心を得られるのです。なんだかワクワクする自分は大丈夫だという感じでしょうか。人との近すぎる距離感におびえていた犬たちも一瞬ですが、本来の安心を獲得しています。また自宅に戻ればおびえは復活するでしょう。しかしくり返し山歩きを続けることで、犬の行動が変化してくることは予測がたちます。いっしょにいる飼い主さんの姿勢も大切です。共に成長しなければ共に歩く意味もあまりないからです。


● 犬と人に生まれる共感と協調の世界とは

 犬と人はそもそも種が異なります。種という大きな枠の中ではとても遠い存在なのです。犬は犬との闘争行動が強いことがあるため、うちの犬は犬がダメなのだとガッカリされることもあります。しかしそれこそ、その犬が犬である理由なのです。闘争行動という攻撃の対象に真っ先になるのは同種の動物だからです。

 同時に共感と協調の世界も同種間で生じやすい傾向があります。これも種という生き物の力の強さなのでしょうが、社会的構造を持つ種ほど、共感と協調性の世界を強くもっています。災害が起きて不幸になる人のことを知り心が痛んだり食事が喉を通らなかったりするのは、人と人という関係の中で無関係ではいられないからです。同じ理由で理不尽な行動をする人がいることを知ると、怒りや攻撃性を芽生えさせたりします。これも同じ種である人と人の間に起きることです。

 犬に話を戻します。攻撃の対象が犬になりやすいというのはわかりやすい例でしょう。しかし共感できる相手が犬と犬だというと難しいと感じることも多いでしょう。お友達といわれる犬と犬もいっしょに写真に写ってはいるものの、その行動には協調性を感じられないことがあるものです。それは、犬があまりにも閉鎖的な空間で長い時間管理されて生活をし自由を得られていない状態にあるため、本来イヌ科動物のもつ高い社会性をどこかに置き去りにされてきているからです。犬はいつも人に執着するようになり、人の要求に応えるもしくは人に要求するのが犬だという傾向も強くなっています。

 共感や協調性は対等な立場からしか生まれません。現実的には犬と人は全く対等ではありません。ほんの100年くらいの間に犬という動物の自由は奪われたままでまだ復活してはいないというのが、とりあえずの現状です。でも諦めることはできません。なぜなら山という学びの場がここにあるからです。言葉では伝えられない犬と山の関係を、ひとりでも多くの方に体感していただければと願っています。

 今日もトレッキングクラスデビューの犬くん、犬ちゃんたちが続々とお山にやってきます。尾歩山の清らかな空気の中でいっしょに学びましょう。



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おすすめの本:「ニホンオオカミは消えたか?」わたしは70人目の目撃者になりたい

グッドボーイハート生の中には、これはかなり山がフィールドの犬じゃないかと疑うような犬がたまにいます。先日もそんな山下りてきた感じの風貌と体格の犬くんをお預かりすることになりました。長らくいっしょに過ごす時間ができたので、書籍を取り出してしみじみと見比べていました。その書籍の中の一冊がこの「ニホンオオカミは消えたか?」です。


● ニホンオオカミは消えたか?

書籍名: ニホンオオカミは消えたか?

著者: 宗像 充

出版社:旬報社 (2017/1/5)

目次:
I 「オオカミを探す?」
II ニホンオオカミとは何か?
III どこからどこまでがニホンオオカミか?
IV 人生をかけたオオカミ探し
V ニホンオオカミはなぜ生き残ったか?
VI 行方知れずのオオカミ捜索


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 この本は、すでに絶滅されているとされているニホンオオカミは本当に絶滅したのかという疑問と、絶滅していないかもしれないという視点にたって詳細な資料を元に構成されています。ニホンオオカミについてまとめられた書籍の中では出版時期が新しいため、最近までに得ることができるニホンオオカミ目撃情報がまとめられています。

 帯には「その日、ぼくは69人目のオオカミ体験者になった。」とあるとおり、筆者は最初はニホンオオカミはまだ生きているとしてその存在を確認するための活動をしている人々から情報を得る中で、ついに秩父山系でニホンオオカミではないかと思わしき動物と遭遇するのです。この体験があったことで筆者のニホンオオカミに対する思いが一気に上昇したことをうかがわせる多少気持ちの入った文面になっています。

 
● ニホンオオカミは本当に絶滅したのか?

 ニホンオオカミは分類学上ははCanis lupus hodophilaxと名づけられ分類されています。このニホンオオカミについて環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)の絶滅レベルの最大の「絶滅(EX)」に指定しています。環境省の発表では国内ではすでにニホンオオカミは絶滅種として扱われています。

以下が環境省のニホンオオカミに関する情報です。

 「ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、1905年1月に、奈良県鷲家口で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、この後まもなく絶滅したと考えられています。この最後の標本を購入したアメリカ人採集者、M.P.アンダーソン氏の記録によると、ニホンオオカミは当時すでにまれで、ほとんど絶滅に近い状態だったといいます。絶滅のおもな原因は、明治維新以降、狩猟用の銃が普及したことと、野生動物に対する日本人の意識変化などによる人為的圧力から、ほかの野生動物と同じく、いちじるしい生息数の減少が起こったと考えられています。
 ニホンオオカミはオオカミ類のなかではもっとも小型のグループで、胴のわりには足や耳が短いのが特徴です。ユーラシア大陸に広く分布するタイリクオオカミの亜種とされますが、独立した種とあつかう説もあります。現存標本も少なく、わが国には3頭の剥製標本(はくせいひょうほん)があるだけです。すでに絶滅してしまったニホンオオカミの生態についてもはや調べることはできません。
 なお、北海道にはニホンオオカミの別亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)が分布していましたが、明治時代に牧場を荒らす害獣として駆除され、1894年前後に絶滅しています。」(環境省 レッドデータブックより)
 
 ところが、国内ではニホンオオカミではないかと思わしき動物の目撃証言や目撃時に撮影された写真があり、本当にニホンオオカミは絶滅したのか?もしかしたらニホンオオカミはまだ国内に生息しているのではないかという議論を巻き起こしています。中でも東北の「秩父野犬」と九州の「祖母野犬」でそれぞれにニホンオオカミではないかという動物を目撃した八木氏、西田氏というふたりのニホンオオカミ体験をもつ方は、生涯をかけてニホンオオカミの生息についての調査を行われています。

 一方でそもそもニホンオオカミとはどの動物のことを指すのかということが国内でも明確にされていないことが混乱を生じさせているようです。ニホンオオカミといわれても、残っているのは骨や毛皮ばかりです。いくつかの剥製が残されていますが、その剥製すらも、骨がない状態での詰物なので本当にこの形だったのだろうかと疑問を抱くようなものになっています。ニホンオオカミが国内に生息していた時代には資料を残されていませんでした。当時日本では動物の資料をまとめるような学問は盛んではなかったようです。さらに、ニホンオオカミ自体が人の前にめったに姿を現さない謎めいた動物であったことも否定できません。

 さらに、ニホンオオカミとは別に山犬(ヤマイヌ)といわれる動物が存在していたのではないかという仮説もとても信憑性があると感じます。オオカミはイヌと交配して子をもうけることができるほど種としては大変近い動物です。他にも、国内にはタヌキやキツネといったイヌ科動物が存在していますが、このどちらもがイヌとの交雑することはできません。オオカミがイヌととても近い動物である上に、山犬(ヤマイヌ)というまたイヌ科の動物がいるという風に考えると、日本の山の生態系はなんとなく合点がいくような気がするのです。山犬や野犬とは違う扱いをされています。野犬はあくまでイヌです。山犬はある意味オオカミに近い野生動物と位置づけられているようです。なんだかそんなことを考えるとワクワクしてしまいます。


● ニホンオオカミと自然体系と犬の関係とは

 ニホンオオカミが存在してるかどうかの議論は、オオカミ再導入計画が一部の団体によって広げられたことで熱くなっています。オオカミの再導入とはアメリカのイエローストーン国立公園でオオカミが絶滅の危機にいたったときに、カナダのオオカミをイエローストーンに移動させることで復活させた事例に基づいて提案されています。なぜ、オオカミを日本の山にもう一度復活させようという動きがあるのでしょうか。それは、国内のシカやイノシシの増加によって農作物が被害を受けたり森林が荒れている理由が、オオカミが日本の山から消えたことが原因のひとつだと考えられているからです。

 その再導入として提案されたオオカミがシンリンオオカミというオオカミです。提案の理由はニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種(属する種)として分類されたためです。この提案には違和感を覚えます。ニホンオオカミが生存していない状態でなんの情報も集められていないのに、なぜニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種として分類されたのかが曖昧であること、さらに、大陸という環境と比較して日本という独特の島国で作り上げられた動物を同じものもしくは似ているものとして扱うことには疑問を感じます。

 さらに、ニホンオオカミが日本の山の奥地に神のように崇められていた時代の山はもうありません。さらにその下の地域に山犬が、その下に野犬が、そして里山犬がというようにイヌ科動物のピラミッドをつくるようにその領域をお互いにまもっていたのではないかと考えるからです。日本の山には山犬の存在も明らかではありません。野犬はわずかに生息している可能性があります。里山犬は里の荒廃、純血種の普及、犬の係留という法律とともにまさに風前の灯です。日本のイヌ科動物のピラミッドなしではニホンオオカミは均衡を保てず爆発してしまい、結局人は再びそれを絶滅に追い込むのはないかという恐れすら覚えます。

● わたしは70人目のオオカミ体験者になりたい

 ニホンオオカミが存在していないという調査は個人単位で行われているだけで、国や専門家をあげては行われていません。なぜなら、狂犬病予防法が発令されニホンオオカミが存在していることが許されなくなったときにすでにニホンオオカミは絶滅したのだという結論を下されてしまい、絶滅したのに生存を確認する調査をする必要性が議論されなくなってしまいました。しかし、もうずい分時間が経ちました。他の歴史と同じように自分達の認識が間違っていたことについては素直に間違っていたかもしれないという謙虚な姿勢に立ち返り、再び振り出しに戻ってもいいのではないでしょうか?ニホンオオカミを確認する調査のために動物に負担をかけたくはありません。彼らを脅かさない方法で調査が始まることを願っています。そして願わくば、わたしもニホンオオカミをこの目で見たいと切実します。

 七山の山の中には鹿もいなくなりました。こんな地域ではオオカミが生存している可能性はとても低いです。しかし、いつか他の山で数を増やしたニホンオオカミの影を見ることができるかもしれないと思うと、それだけで夢が広がります。同時に日本のイヌ科動物のピラミッドが日本の人の生活と共存していた歴史をいつか取り戻すことができるかもしれないとも思います。これはあまりにも現実的ではないとは思います。ただ、都市部の家庭犬を脅かすようなことでもないと思います。失われつつある犬の習性や行動、その能力や機能性、そして人との関わりについて、知らないことはまだまだあります。失ってしまってからでは、ニホンオオカミ同様に骨のない剥製をみるようにしか知ることはできません。身近にいる純血種を含む全ての犬の軸となるオオカミという動物について、ますます思いが深まります。

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