グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬として人として成長するきっかけを得た、ダンスタンくんと飼い主さんの出会いと今

グッドボーイハートで学ぶ生徒さんに、クラス受講の感想文をお願いしています。

今回は今年で11歳になるボーダーコリーのダンスタンくんの飼い主さんからいただきました。
生後10ヶ月にご縁をいただき、必要に応じてグッドボーイハートでの学びを重ねていらっしゃいます。

10年という月日を思い出されるように書いてくださったので、クラス受講の感想文というよりも、ダンスタンという犬への思いの溢れる言葉をいただきました。

なつかしいダンスタンくんの写真と共に紹介させていただきます。

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ダンは生後1か月でうちにやってきました。
本名は「ダンスタン」といいます。ダンが相性になっています。

実は、犬を飼うのは初めての経験です。
ですが、たくさんの人が犬を飼っているのは見たことがあったので、
特に心配することもなく、普通に犬を飼えると思いました。

「なぜ、ボーダーコリーを買ったのですか?」と尋ねられるのですが、
ただ、イギリスの犬だということで選んだのがボーダーコリーでした。

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 小さい頃はおとなしかったダンが急に激しく吠え始めました。
同じころに、散歩中のリードの引っぱりもとても強くなりました。
ダンが6か月過ぎた頃でした。

すれ違う犬に吠え続けるダンを力でとめることができなくなり、苦肉の策でリードを肩に担いで引っ張りや吠えるのをとめようとしたこともあります。
そのとき、ダンは前脚を宙に浮かせたまま、引っ張って歩くような状態になりました。
恥ずかしさと情けなさで、泣きながら早足で家に帰ることもありました。

猫に瞬時に反応してリードを引っ張るダンを、腕の力だけでは止めることもできませんでした。
相撲のしこふみのような格好をしながら体重を落として、リードを私の腰に巻き付けて、自分をリードでぐるぐる巻きにしながら何とか猫からダンを引き離すという散歩の状態が続きました。

家の中でもちょっとした外の物音に過剰に反応するようになりました。
このときは、部屋の中を走り回り周るようになってしまい、たまりかねて外で飼うしかないと思い、庭につないでいましたがこれも上手くいきません。

庭にいるダンは、家の周囲の音や気配をすばやく察知してさらに吠えるようになりました。
これ以上、ご近所にも迷惑をかけるわけにもいきません。
これから先どうしていいか途方にくれていたころが、ダンが生後10か月くらいの時でした。

このときに、近所の方に紹介していただいたのがグッドボーイハートでした。

2006年12月24日0027

 しばらくはスタッフの方が家庭訪問レッスンにきてくださり、途中から宮武先生にバトンタッチされました。
最初に先生がダンと対面して言われた言葉を覚えています。
たしか「あれ?耳を倒したりしないんだね。」でした。

耳を倒すってどいういう意味なんだろう??? というところからスタートしたのです。
そのあともずっと、いろんな???がしばらく続きました。

結局「耳を倒す」の意味は頭では理解できそうなのですが、奥が深くダンの気持ちも含めると十分に分かったといえませんでした。
こうした行動の意味やダンの状態や気持ちも含めて、実際に心にしみて分かりかけてきたのは、それから10年たった最近のことです。

それで今、ダンが耳を倒すことがあるかというと、耳を倒す行動は見かけるようになりました。ただ、本当に耳を倒すような状態が続くかというと、まだ怪しいところがあるなと感じます。

飼い主として何が変わったかというと、私がダンの状態に一喜一憂する事が減ったことです。

以前はダンが犬語セミナーのビデオ教材として取り上げられると、ダンが上手にできていないのではないかと落ち込むこともありました。ときには、犬をあまりにも知らなかった自分たちが犬を飼ったのは間違いだったのではないかと思うこともありました。また、他の犬と比較して他の犬を羨ましく思ったり焦ったりもしました。 

また、セミナーの中で使われる参加者の意見や感想も、人それぞれが持っているその言葉のイメージが微妙に違うために、自分の持つその言葉の定義とどのように折り合いをつけたらいいのかわからず、考えに行き詰ってポカーンとしていることもありました。


 こうして、いろんなクラスに参加しながらダンスタンことを学びましたが、ある時ふとある考えが頭をよぎりました。
それは、ダンは犬という種としてどう行動し、どう過ごしているのかということです。

この考えにいたったのは大きな変化でした。
犬という動物を飼っていたという事実からはじまっているのに、ダンを犬という種に所属する動物としてその行動を見たり考える姿勢に立てたからです。

さらにこのことは「では自分はどれだけ、どのようにヒトという種であることを引き受けているのか」という見方に発展しました。
そう考えると、なんだか自分のことなのに、それも心もとなくなってしまいました。

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 ダンに求めるだけではなく、私もヒトとしての在り方を見つめようと思い、とりあえず朗読を習い始めました。そうすると今度は、50年以上も日本語を使い続けているとも思えない、言葉の解釈の浅さ、読みのリズムの悪さ、体験やイマジネーションの足りなさ、人に伝える表現力の無さに直面するはめになりました。

でも、朗読の学びには収穫といえる事もいくつかありました。
犬の事を擬人化している限り、ヒトの感覚や言葉の範囲でしか犬の事を捉えられないこと、表現方法は未熟であっても、表現するという基本的な自由は犬にも与えられて当然なのではないかということでした。

ダンが吠えたり走り回ったりしていた事の中にも、それが過剰であったり、人から見ると不適切な部分はあったにしても、何かそうせざるを得ないような、犬としては正当で健康な部分も含まれていたかもしれません。

吠える事や走り回る事一切を叱られ、防衛せざるを得ないような状況の中に置かれながら、防衛する行動自体までを人に封じられてしまうのでは、ダンの立つ瀬もなかったところも大いにあったのだろうと思います。

ダンがオス犬で体力もあった事もあって、犬が自ら耳を倒したいと思う飼い主になろうとする前に、自分の都合のいいようにダンを屈服させようという方向に向かっていたのだろうなと申し訳ない気分にもなりました。

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 犬と飼い主は似るといいます。
ダンの犬としてのキャパシティは、飼い主としての私のキャパシティの低さの影響が大いにあるのは認めながらも、今は「まあ、少しずつ、お互いそれぞれの種としてのキャパシティを増やしていこうや、ねぇ、ダンや」という気分で過ごしています。

ダンはお爺さんになり、私もお婆さんに近づきつつあるせいもあるのかもしれません。ダンとの信頼関係も以前はそれを目指して頑張らねばならないように思っていましたが、特に室内犬の場合は日常を共にするのですから、とってつけたように頑張っても私の場合長続きもせず、何気ない日々のやり取りの中で、何だかお互いにもう少し信用してもいいのかなと、毎日の小さい出来事が積み重なっていくといいな、と思っています。

 ちょっとだけ欲をいうと、ダンが人から褒められたりご褒美をもらったりするような人から与えられるごほうびがなくても、ダンが少しでも自分で行動できる事自体を自信にすることができればいいなと思っています。

 欲張って考えると、ダン自身が今よりもっと落ち着いて安心して暮らせることを実現できるとも思うのですが、それも私の願いの範囲に留めておくつもりでいます。


 ダンが、人と暮らすっていうのもそんなに悪くはないなと思ってくれるようであれば、私もちょっと嬉しいです。

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子犬のころのダンスタンの写真を始めて拝見しました。
このころから、ダンスタンの個性というのが現れていますね。

犬と共に長く学びを続けてこられたために、とても深い気づきを得られたのだなということが文章から受け取れます。

犬を飼ったんですよね。
そうです、始めて犬を飼ったんです。

この「犬」という言葉のなかにどの程度のものが含まれているのか、
ほとんど人によって全く違うということに気づかれるでしょうか。

この犬の中には、犬はこうだ、犬はこうあるべきだ、犬はこうすればいいといった
人の個人的な価値観がたくさん入り込んでいます。

こうした個人的なフィルターを通してしまうと、犬の真実を見ることができなくなります。
つまり、犬を犬として理解することはどんどん難しくなるのです。

犬と暮らしている人、犬を好きだといいきる人の方が、このフィルターがしっかりとしすぎていて、犬が本当に伝えたいことを見失ってしまうこともたくさんあります。

ダンスタンくんは吠えたり、走り回ったりするのは、犬がそうせざるを得ないいろんな状況を人がつくって来たからだということに気づくと、最初はすっかり落ち込むかもしれません。

純血種の犬の場合には、その状況は飼い主だけが追っているものではなく、純血種の繁殖という過程を通して歴史的に作られているものもあります。

だから、ダンスタンの行動を責めるのではなく、必要があってやっている行動であり、それを人がどのように受け取り、どのように応えるのかというところに返っていくのです。

自然の中で感性を高める飼い主さんといっしょに、ダンスタンも山と共に成長を重ねてきました。苦手だった山歩きも今では生き生きと、そしてとても落ち着いて頼れる存在として飼い主さんに寄り添って歩いています。それは、結果としてそうなったということかもしれませんが、結果よりも大切なのは過程です。

ひとつひとつの時間、ひとつひとつの場所、ひとつひとつの出会いを大切にする飼い主さんがその過程をつくってこられました。

11歳というのは節目の年齢でもあります。
11はドアの形をしていますね。ひとつのところから次のところへ向かう11歳というドアを通って、これからダンスタンくんと飼い主さんがまた深い関係を築いていかれるのだろうとワクワクしています。

最近では、グッドボーイハートの若い犬たちのお相手にも協力してくれているダンスタン。
わたしもまた、ダンスタンとの関係が合うたびに変化していくことを感じています。
そして、またこれからもお互いに犬として人として、共に成長できることを楽しみにしています。