グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<自然のこと>猟・犬・求・ム!

野生動物は繁殖期に入ると食べ物を探す行動が活発になります。

グッドボーイハート七山でもオポのお墓周辺から駐車場の近くまで、イノシシが土を掘り返した跡がたくさんあります。

トレッキングに来られる生徒さんはびっくりされることもありますが、例年のことなので特に驚くこともありません。

オポが作っていた見えない境界線はオポがいなくなるととたんになくなってしまいました。

イノシシたちは平気で人と犬の生活空間に入ってきてしまいます。

お互いのテリトリーだと思い込んでいるところで突然接触をすると危険なことも考えられます。

となると、イノシシたちに対して警告を与えていく必要があります。

いろいろと方法はありますが、一番適切な方法は境界線上に罠をはり入ってくるイノシシを捕まえるということです。

もちろん捕まえたイノシシは食べます。

捕まえたら学習するからリリース(解放)すればいいではないかという考え方もあると思います。

それは価値観の違いではありますが、捕食の体系を維持するためには捕食者として数の増え過ぎたものは狩って食べる。

これが人間としてできることのひとつでもあります。

むしろ里山に住む人としてやらなければいけないことのひとつではないかと思っています。

最近はジビエ流行りでもあって、イノシシやシカを食べることを野蛮だとは思われなくなりました。

イノシシやシカは適切に捕って食べなければ、その数が増え過ぎて最も害を被るのはその動物たちの方なのです


手始めにダンナくんが敷地内にセンサーカメラを設置してイノシシの活動を監視しています。

いくつかの場所でイノシシ、アナグマが通り過ぎる姿を確認しました。

自分は夜でも昼でも実際にイノシシが歩いているのを見たり、アナグマが納屋に子供を産んで育てていたのを体験したのでビデオを見てもそれほど興奮はしません。

ですが平地で育ったダンナくんの方は、すぐそこの場を大型の野生動物が通過する姿を撮影した画面で確認してかなりテンションが上がっていました。

男女という性別の違いもあるのかもしれません。

男性には捕食者としてのDNAが強く残っているのでしょうね。

犬もオスとメスではオスの方が主に狩りの役割を担います。

もちろんメスも狩りはしますが、メスたちには子育てという大切な任務がありますから、そのためにはオスがしっかりと稼いでくるということです。

狩りを仕事にあてがえば男性がちゃんと働いてくれると女性は安定してくるという理論は動物らしいルールです。

この動物のいた気配をカメラがなくても知ってしまうのがいまみなさんのそばに寝ている「犬」という動物です。

山を歩いていると地面をクンクンと鼻を全開にして臭いを嗅ぎ分けている犬の姿を見ると、一体どんな動物がいつそこにいたのだろうと想像を膨らませます。

複数の犬がいても臭いを嗅ぎまわる場は大体同じ場所です。

犬と犬は臭い嗅ぎをとおして「なあ」「うん」とお互いに情報を共有しているのに、私だけがそれを知ることができないのが残念です。

でも私には犬の行動を分析する力があります。

犬の嗅ぎ分け方や嗅いだあとの反応や犬の体の動きを見ていると、そのにおいの主が大きな動物なのか小物なのかはある程度想像がつきます。

大きな動物の方が興奮度が高く緊張感も高まる感じが伝わってくるからです。

こうして犬から情報を得ることはトレッキング中の楽しみのひとつです。

自分たちの鼻という武器を最大限に利用して人に協力してくれる犬という動物、狩りには欠かせない友であることは言うまでもありません。

イノシシを七山で狩る自分の中でももうひとつの目的は「そうしないと動物が馬鹿になるから」なのです。

戦う相手も誰もおらずただ柵で仕切られただけで安穏と生きていく動物は、バカになってしまいます。

罠をつくれば罠にかかるのは警戒心が低く衝動性の高いバカな動物です。

罠という存在を知って考えて行動し頭脳を発達させていくことはイノシシたちの将来にとっては利益になるものです。

要するに必要以上に捕らない、バランスを考えて捕るというルールが絶対であるとは思います。

人間は捕食者の頂点なのです。

自分を知って行動を抑制できるのは自分だけしかないと思います。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

<クラス>お預かり中の犬ちゃんと山歩きを満喫

年が明けてまた緊急のお預かりが入ったので急いで七山へ移動しました。

福岡でのレッスンのご予約もありましたが、自営業のダンナくんがパソコンを持って急遽七山に簡易作業場を設置しながらお手伝いしてくれました。

七山と福岡を行ったり来たりするのは大変疲れることですが、七山の環境に慣れてきた犬ちゃんたちが山を満喫して過ごしてる姿を見るとその疲れも吹き飛びます。

お預かりの最初はお試しの様子を見る預かりです。

何度もお預かりクラスに来てくれる犬ちゃんたちは、やがてグッドボーイハート七山校が別荘のような状態になっていきます。

環境になじみ行動が安定してくると管理をゆるめることができます。

トレーニングの基本姿勢です。

回数がすごく多くなるとトレーニングの枠を超えて、もはやお預かりの犬ちゃんたちは「うちの子」になります。

「うちの子」の笑顔を見たくて、福岡と七山を行ったり来たりしているわkです。

福岡に訪問レッスンの際に「今日七山から来たんです。今から七山に帰るんです。」というと、大変ですねとびっくりされます。

でもですね。山を満喫する犬ちゃんたちの姿をみたら、少しは頑張らなければと思ってしまうのです。

自分の体力と気力が続くまでということでいつまでこんな往復生活ができるかわかりませんが、うちの子と思える犬たちの喜ぶ姿が見たいのです。

そして最後は、飼い主さん自身にこの犬たちのイキイキとした姿をたくさん見ることができるようなそんな環境との出会いあることをいつも願っています。

画像は七山のオポの家の玄関前の庭です。
小さい子がいます。探してください。

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Posted in クラスのこと, 日々のこと

明けましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

今年も皆様ご家族にとって素晴らしい年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


七山で初日の出拝みこの一年の始まりを迎えました。

ここ数年は七山でも暖かいお正月ですが、土の上には霜がおりて冬らしい朝となりました。

あたたかな日差しと風と新鮮な空気の中に歩く犬。

その犬の姿を見ながら歩く自分。

グッドボーイハートは今年も今まで通り、一歩一歩と歩みを続けていきます。

新しいことたくさん。

新しい出会いもたくさん。

今からとてもワクワクと楽しみです。

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Posted in 日々のこと

<日々のこと>犬との山暮らしはそんなに非現実的でもないと思う

福岡の博多のオフィスから福岡近郊へと訪問トレーニングに出かける日々。

そして博多から佐賀県唐津市七山のグッドボーイハート七山校へと行き来する日々。

この一年も年齢的にはかなりハードワークな移動を続けながらもうすぐ終わろうとしています。

都会でストレス行動に悩む犬の飼い主とその犬の姿を見ながら、

お預かりのときには田舎でのびのびと遊びと学びを満喫する犬の変化する姿を見ています。

トレッキングに来る生徒さんたちは、山に来ると気持ちがいい、犬がとても楽しそうを連発します。

そんな中、ひとりでも多くの方が犬との山暮らしとまではいかなくても犬との田舎暮らしを実現させてくれることを期待はしないまでも希望を持ってやって来ました。

先日、木をチェーンソーで切る作業を終えたあとダンナくんがこんなことを言いました。

「こんな危ない作業しながら、なんで俺、今こんな場所でこんなことをしているんだろうと考えることがある。」というのです。

そのあとには、私と出会っていなければこんなことをすることもなかったと続くわけです。

私も同じようなことをいつも思っていました。

鎌を片手に急斜面で草刈りをしているときに、私はオポに会わなければこんな場所でこんなことをすることなどなかっただろうということ。

山に犬と暮らすことなど考えつきもしなかったことだからです。

考えて決めたのではなく、パートナーが望むからそれに応じて生きてきたのです。

その中で「なぜわたしは…」という言葉が時折自分の頭をよぎることがありました。

自分が何をどこでするのかという大切な決定権をだれかにゆだねてしまったように感じるからかもしれません。

真実は犬のオポが歩いていこうとする道を歩いたのは自分の意志でしかありません。

本当に不便な山暮らしの中では、快適で何不自由なく安心安全で楽な都会暮らしを捨てる理由が特に思い当たりません。

ただ、どちらが芯から心地よいかというとやっぱり自然の中の空気と太陽と風なのです。

田舎がもっと整備されて都会とのアクセスがもっとスムーズにできるようになり、小さなセカンドハウスが田舎に持つことが特別ことではない趣味のひとつだったり、生活の一部になる日々がそんなに遠くないいつかに実現されるような気がします。

これはやっぱり期待しすぎでしょうか。

この方向に知識と資材を投入した方が、犬を小さく愛玩化するよりもずっと犬のためになると思います。

生徒さんから「先生の七山のお家に合うと思うから~」と素敵なものをいただきました。

LEDでオレンジ色の暖かい色から実用的な白色にまで調整できるランプです。

しかも充電式のバッテリー内蔵型で最先端の技術が日常に溶け込みます。

こんな素敵な道具も不便な田舎暮らしを助けてくれますから大丈夫ですよ。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<犬のこと>何かして欲しいよりお役に立ちたいのは犬も同じ

年末のお預かりクラスが始まって犬ちゃんたちと七山のグッドボーイハートで和やかに過ごしています。

例年なら降り積もりる雪となるはずの水分も今年は雨となり、暖かく過ごせる安心感と物足りない気持ちもあり欲張りな気分です。

暖かく過ごしやすい気候で遠慮なくやってくるのは雑草と笹の新しい芽たち。

季節を問わず環境さえ整えばいつでも成長しようとするその意欲には感服しますが、冬季の草刈休憩をさせてもらえないのは辛いところです。

いざ草刈りへと出かけるときに慣れてきた犬ちゃんをお供に連れていきます。

普段はふらふらとどこかへ行ってしまおうとする犬ちゃんですが、草刈り作業や薪取りの作業のときには、わたしのそばでやっていることを真剣に見守っています。

そのうちに草刈りをしていたら草をいっしょになってとろうと食いついてくるし、薪とりをしていると薪を口にくわえて歩き出そうとします。

明らかに手伝おうとしてくれているのは分かるのですが、子どものお手伝いと同じで逆に作業効率を落としてしまうこともあります。

それでも、その手伝おうとしてくれる犬の気持ちがうれしくなって「ありがとうね」といいながら一緒に作業を進めていきます。

犬が人の手伝いをしようとする姿は本当に愛おしくなります。

犬と暮らす人なら犬の幸せについてたくさんのことを考えるでしょう。

大好きな犬のためにあれもしてあげたい、これもしてあげたいと思うこと。

大切な家族のために思うことと同じことでその気持ちはとても大切です。

ですが当人にとってみれば何かしてもらうことも大切なときにはなるでしょうが、本当に幸せになれるのは自分が誰かの役に立っていると感じるときではないでしょうか。

犬は人と本当の家族になるときに、その人のために何かをしようと思うはずです。

犬が人に甘えてばかりいるのは、人が犬のそばで働く姿を見ることができないからです。

犬は屋外で人が働くときには本当の力を発揮してくれます。

人のためにお役に立ちたいというのは犬が群れの一員としての自覚を持ち始めているということで、群れと自分がひとつになるという犬にとってはとても単純な構造であって相手を思ってのことではないと思います。

誰のためでもないただ自分のため、だからこそ本当に犬は本物なのです。

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Posted in クラスのこと, 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと>オポの会追加開催しました。

先週の日曜日のオポの会に参加できなかったという生徒さんたちがたびたび七山を訪れてくださっています。

今日も成長した犬ちゃんを連れて七山にお客様でした。

トレーニングクラスを開始したころの犬ちゃんの荒れた状態を懐かしく思い出しながら、そうそうそんなこともありましたよねと話がはずみます。

「あの頃は毎日が辛くて犬を飼うことをあきらめようかと考えるほど深刻でした。」とおっしゃっていましたが、それを乗り越えられてこうしてお互いを尊重する関係性を作って来たのも、最後は飼い主さんの辛抱、そして犬も辛抱の日々でした。

トレーニングといっても一瞬で解決するようなマジックのようなものではありません。

お互いにこじれていく犬と人の関係性を、より良いものへと変えていくためには長く向き合う時間が必要です。

そのためには時間も場所もいるし気力も体力も労力もかかります。

犬を飼うのがそんなに大変なことだと思わなかったと初めは思うかもしれません。

もっと簡単に何の努力もせずに犬を飼っている人がいるのにと不満を持たれるかもしれません。

でも本当は、犬の困った行動がきっかけとなって想像もしなかった犬との関係が始まっただけなのです。

グッドボーイハートでがんばった生徒さんたちの笑顔と犬の成長の中には、何の努力もせずに犬を愛玩化させてしまう人たちにはない美しさがあります。

オポが教えてくれたこと、それもつながりの世界のことでした。

お手製のプリンをおみやげにいただきました。

先生のところで取れたハチミツを使って作れますとお言葉いただきました。

ミツバチの勉強やイノシシのことなど、犬のことを学ぶグッドボーイハートとなんの関係もないように思えるかもしれませんがとんでもありません。

自分の近くにいる生物たちと関わること、もっとも近くにいる家族を理解すること、どれもグッドボーイハートの学びです。

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Posted in オポのこと, 日々のこと

<犬のこと>なでるのとは違う「触れ合う」とは温かみを感じることではないか

犬ちゃんたちのお預かりのために寒い七山の夜は暖炉の前にいる時間が長くなります。

普段は事務所でしている事務作業も、暖炉前から離れることはできません。

夜も朝方もうとうとと暖炉の前にぼーっとしていて思ったことがあります。

炎のゆらぎを見ることがどうしてこんなに癒されるのかなということ。

そして肌に当たる温かさがなんでこんなに心地よいのだろうということ。

暖炉のあたたかさが肌に触る感じは、温かいものに触れられているもしくは触れているような感覚なのです。

この温かさは少しだけ心地よい日光浴の感じに似ていますが、それよりももっと優しい感じです。

暖炉の近くにいることで何か生きているものがそばにいてくれるような感覚を得られるのです。

人が犬をずっと抱っこしてなでているのはそうしていなければ落ち着けない理由があるからでしょう。

犬のぬくもりは、温かいものに触れていたいという人の基本的な欲求を満足させてくれるはずです。

でも抱かれている犬の方はいろいろと不具合が出てきます。

抱っこ依存症になっている犬たちの落ち着かない行動は、抱っこ依存症になってしまった犬を飼っている飼い主さんなら見る機会があるはずです。

接触がないと不安になる分離不安状態の犬たちがいかに落ち着かない精神状態になっているのか。

不具合の中には具体的に説明できる根拠というものもありますが、実は本当に怖いのは説明できない根拠のないものなのです。

それは自分を落ち着かせるために犬をなでる人の不安定な感情やエネルギーを犬たちがすべて受け取ってしまうからです。

犬たちに言わせると科学的に証明できるものなのかもしれません。

というのは、不安定な感情やエネルギーは臭いとなってその人から発しているからです。

臭いは犬の脳を刺激し共感性の高い犬は同じ領域へと引き込まれます。

犬を抱っこしている時間の長さやなでている回数は本人が意識していないほど長く多いものです。

暖炉がどの家庭にもひとつあればなあと思いました。

暖炉の前では犬と人は対等に同じ炎に向かって温かさを得てお互いに心地よいと共感できる時間を持つことができるからです。

ほんの100年ほど前の日本だったら、どの家庭にも囲炉裏のようなものがあって、外では焚火ができて、いっしょに温かさを共感できた暮らしだったのに、失ったものは大きいのだなとそんなことを思った七山の夜でした。



Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

<犬のこと>映画「ミラクル・ニール」のテリア犬がズバリ言ってくれた

「ミラクル・ニール」という映画を見ました。

犬が登場する楽しめるファンタジー映画です。

ハリウッドやヨーロッパの犬が登場する映画はできるだけ見るようにしています。

理由は二つ

ひとつ目の理由は、西洋の映画犬はとてもよくトレーニングされているからです。

アメリカではフィルムドッグとも言われていますが、日本国内のドラマやCMに出てくる犬たちとは質が違います。

犬に使役を教える訓練については、日本人はヨーロッパやアメリカにはほど遠いなと感じます。

二つ目の理由は、映画を通して外国の犬の価値観がわかるからです。
犬といってもいろんな犬がいますが、描写はわりとはっきりとしています。
この映画に出てくるデニスという犬は、うだつのあがらない飼い主に飼われているほんの少しだけおバカな犬という設定でした。

楽しめる映画なのでまだ見ていない方のために少しだけ書きます。

この映画に登場する犬のデニスですが、おバカな犬といってしまった理由をいくつかあげておきます。

まず冒頭からですが排泄、しかも大の方を飼い主の留守中にがまんできずに室内のじゅうたんの上でしてしまいます。

しかもよくあることのようで、便をとるスコップが壁に掛けられています。

さすがに海外ですから日本のように室内にペットシーツやトイレトレーを設置したりしていません。そこだけでもセーフです。

飼い主の帰宅では思いっきりジャンプして飛びついていきます。

ワンワンと無駄吠えをしてマンションの隣人からクレームをもらいます。

飼い主のある理由によるパワーで人の言葉をしゃべることができるようになったデニス。

ワンワンとうるさく吠える意味が知りたくて飼い主がデニスをしゃべらせるとそのワンワンは「ビスケット」ただそれだけでした。

「ビスケット、ビスケット、ビスケット」
「ビスケットがあるの知ってる」
こんな感じです。

すべての犬がそうだということではありませんが、中にはこんな犬は本当にいそうです。

その犬のデニスと飼い主があることをきっかけに始めた会話、脚本家は犬のことをそれなりに見てくれているようでうれしい会話でした。

飼い主:お前はただ元のさえない犬のふりをしてみていろ。

犬:ぼくがさえない犬?

飼い主:そうだよ、演技くらいできるだろ?
相手に調子をあわせてさ。

犬:なでなでされているときみたいに?

飼い主:…そりゃ、ほんとに好きだろ?

犬:ぜーんぜん。

飼い主:ええ?

犬:犬はあんなのほんとは好きじゃない。

飼い主:なんだって?

犬:そもそもなんで犬をなでるの?

飼い主:なでると犬が喜ぶからさ。

犬:違う。
人間が喜ぶからこっちが喜ぶふりをしてあげてんの。

飼い主:はぁー。まあとにかくお前は普通の犬のふりをしてろ。

というこんな会話が続きました。

吹き替え版で見たので、そのやりとりは本当にリアルでした。

それにしても、デニス。

よくぞ言ってくれました。

度肝をぬかれた飼い主の「はぁー」という驚きとため息の入り混じった反応が、多くの飼い主の反応かと思います。

犬からしてみると「全く人は犬のことなんて全くわかっちゃいないんだから。」といったところでしょう。

すごくお気楽な映画ですが、犬のポジションはかなり考えられています。

ぜひご覧になってください。

ミラクルニール

Posted in 日々のこと, 犬のこと

<83ハチミツオポ>二ホンミツバチは人と対等の関係だとすると、犬と人はどうなんだろう

ハチミツオポの表記を変えました。

「83」とした方がわかりやすいと相棒がいうので、八三をあらためて83としました。

8は永遠の文字だし、3を説明するなら「2の次で4の前」ということになるからオポの誕生日には欠かせない数字ということになります。

とりあえず、83ハチミツオポとして再スタートです。

そのハチミツオポ計画のために本で勉強している中で、みなさんに読んでいただきたい箇所がありましたので一部抜粋します。
※以下の引用はすべて「我が家にミツバチがやってきた 久志富士男 氏著」より

引用ココから…

人とセイヨウミツバチとの関係は主人と奴隷の関係であるが、人と二ホンミツバチの関係は対等であり、お互いはパートナーである。

引用ココまで…

この一文で頭を抱えてしまいます。

ミツバチのところをイヌと当てはめて読んでみるとどうでしょうか?

人と犬の関係は対等であり、お互いはパートナーであると言い切れるでしょうか。

引用続けます。

引用ココから…
セイヨウミツバチは人の手を離れたら生きていけないが、二ホンミツバチは人との関係が良好でないと自然界にいつでも戻れる。二ホンミツバチは自然の一部である。
ツバメと同じである。セイヨウミツバチと二ホンミツバチの違いを、「家畜」と「ペット」という概念で括ることはできない。

引用ココまで

はい、そうなんです。すでにイヌは家畜化されていて家庭犬は人の手を離れると生きていくことができないのでミツバチとは違うのです。対等という関係からはすでにずれているのが人と犬なのです。

しかし犬のような表現もこのあと続いています。

引用ココから…
逃亡と呼ぶのは実は家移りである。サービスが悪いから愛想を尽かされたのである。それをとがめる資格はない。

引用ココまで

これは昭和時代の田舎の家なら普通にあった犬の逃亡という行為です。

先日までうちでご飯を食べていたシロが3日後には隣町でタロウと呼ばれて餌をもらっていることも不思議のない時代もあったので、犬も家移りをしていたことになります。

犬が登録制になってからこの家移りも社会的に認められなくなったので、もうこうした犬を見ることもありません。

最後の引用ですココから…

セイヨウミツバチから採蜜するということは奴隷から搾取しているのであるが、二ホンミツバチから採るのは家賃をいただく行為である。

二ホンミツバチを飼うということは、ハチを所有することではない。住居を提供しているだけである。

両種の、この基本的な関係の違いが自ずと扱い方の違いを生む。
愛情と尊敬があれば使い捨ての扱いはできない。

引用ココまで。

本当に深い深い話ですね。

自然中で生きる野生動物を利用する人、うまく付き合わないとミツバチから家賃もいただけず住み着いてもらうこともできないというのだから、いかにハチの立場にたってモノを考えるようになるかが勝負所です。

しかも二ホンミツバチは原始的で弱いイメージなのに、本当はセイヨウミツバチよりも自然界に適応するほど進化しており強く丈夫で蜜も安定するというではありませんか。

それでグッドボーイハート83ハチミツオポ部でミーティングの結果、というかほとんど自分の強気発言でオポ部では二ホンミツバチを招きたいという方向性で決定しました。

二ホンミツバチとのかかわりを通して、人と犬の関係性をもう一度見直していきたいと思っています。

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Posted in 83ハチミツオポ, 日々のこと

<犬のこと>ガンを1分で発見する人間、犬はもっと前に飼い主の病気に気づいている

先日のテレビニュースでガンが1滴の血液でわかるようになる機械を東芝が開発したというものを見ました。

ガンといえば人が最もおそれる病気です。

その早期発見のために莫大な頭脳、資産が投入されている中でなんと「1分」は脅威です。

そのニュースを見ながら考えたのはやはり犬のこと。

犬も1分で飼い主がガンになっているかどうかをわかるはずなのにな~と思ったのです。

ネットなどで「ガンを発見する犬」について知ったことのある方もいるかもしれませんが、これは本当です。

仕組みとしてはいたって簡単なのです。

人が癌になると人の体内の細胞が変化していきます。

そのときにガン細胞独特の臭いを発するようになるので犬がその臭いに反応するというものです。

特別に訓練された犬はガン細胞の臭いに反応して合図を出すようにトレーニングされています。

ところがみなさんの身近にいる犬も飼い主の臭いの変化には気づいているのです。

それを伝える必要があるとして反応を示す犬とそうでない犬がいるというだけのことです。

自分も過去の自分の飼い犬の中で特別の反応をしたのを見たことがあります。

まだ母が生存していたときに、座っている母の後ろで当時いっしょに暮らしていた柴犬が独特の声を出していました。

オスワリをして「わわーん、ワオワオ、わんわん」といった強く吠えるわんわんではなく、話しかけているような音でずっと語り掛けてくるのです。

母の背中にむけてオスワリした状態で話している犬の姿が独特でした。

「コニーは何を言っているのかな」と母に問いかけました。

母は「最近はいつもこうやって何か言ってくるのだけど何をいっているのかわからないの」と答えていたのです。

その数ヶ月後に母は倒れそのまま病院へ、末期のガンでした。

あとで思えば柴犬のコニーは母の異変を嗅ぎとってなんらかの方法でそれを伝えようとしてたのでしょうが、当時はそんなことを思いつきもしなかったのでその行動の意味をくみ取ることさえできませんでした。

あのときに柴犬が教えてくれていたことをすぐには受け取れなかったものの、母と柴犬のコニーは特別な関係であったことを知るエピソードになりました。

人は最新の科学で自らの道を歩いていきますが、犬は最古の力をもってあくまで原始的に人のお役に立とうとします。

どちらがいいのかということでもなく、どちらも大切なことなのでしょう。

それにしても人の身近な自然の動物や植物などの自然のメッセージを受け取る力と距離感だけは絶対に失いたくないと思います。

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