グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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似てるけど違う

寒くなるのを決意したとたんに暖かくなった。
ちょっと休憩といったところかな…と思っているうちに再び厳しい寒さがやってきた。

ようするに「もうすぐ冬が来るよ~」というお知らせだろうがこうも気温の差が激しいと多少こたえる。
あまりの暖かさに死にかけていたカマキリが復活したり、部屋の中に蟻をみつけたり、そしてついにダニにやられたり。

あの熾烈な夏の戦いを思い出しながら「暑いのと寒いのどっちがいい?」の声が聞こえてくる。
もちろん寒い方がいいいよね、、、オポ。再び覚悟を決めて冬支度を急いだ。

暖かい衣類といえばここに移って出会ったのが綿入りの服たち。
中綿といってもダウンとかポリエステルとかではなくて本当のコットンのわたのこと。
私の母達の世代なら子供のころにだれでももっていた、半纏みたいなわたの入った服がお気に入りになった。
軽いし暖かいし、そしてやさしい。
そんな綿入りの布団をオポにも、と飼い主心でチャレンジしたが綿を薄く伸ばそうとすることの難しいこと。
結局ボコボコの綿布団みたいなものができあがってしまった。
オポ用の綿入りの半纏のイメージは消えていった。

とある生徒さんが「先生、綿を伸ばす機械がありました!」という。
そんなものがあるなら使ってみたいな、しかもその方はその機会を入手したというではないか。
さっそくその「機械」なるものを借りてみた。
円の中には毛のあるいろんな動物の絵が描かれている。
ラマ、羊、らくだ…。
この機械はウールのような動物の刈った毛を処理するためのものらしい。

さらに近づいてビックリ!

これってどこかでみたことがある。
スリッカーだ。
スリッカーをみなさんもお持ちだと思う。
犬を飼ったときに勧められる毛のお手入れ道具のひとつ。
私もずっと前にはスリッカーを使っていたがここ数年はスリッカーの使用に対しては積極的でない。
できれば使うことをおすすめしない。

なぜかというと「犬が好まないこと」を感じるからだ。
なぜあの道具が犬のために作られたのかを考えることはなかったけどこれを見て合点がいった。

そもそも犬のナチュラルな被毛は羊の毛とはその質が異なる。
ところが人の繁殖への介入によって本来の犬の毛とは異なる被毛の犬たちがあらわれてきた。
羊の毛のようにみえるもこもこの飾り毛の犬たちを。
その犬たちのために羊の毛を処理する機械の一部を、スリッカーという手入れ道具にしてくれたということかな。

見た目はにているようでも毛の質は全く異なる。
犬の皮膚にあてないように使ったとしてもその毛の強さは全く違う。
なんだか大きな勘違いのような気がする。

似ているけど違うものはたくさんある。
モコモコの毛質になってもその機能は全く違う。
本当のことを知ることが犬の役にたつのだろうに。
本当のことを知るためにできることって何だろう。

さて最初の目的の綿の処理については、結論からいうとうまくいかなかった。
コットンの綿と動物の毛では質が違うからね。
羊の毛を刈る知人ができたら、またあの機械を貸してもらおう。

10歳ブログ用

Posted in 日々のこと, 犬のこと

外食な日々

お久しぶりになってしまいました。
やっと待ち望んだ秋の季節にやりたいことがたくさんありすぎて、頭の中ではなんどか書いたつもりになっていました。

毎日楽しくて愉快なことが起きています。
都会のような刺激はないので登場するのは私かオポか周囲の生き物たち。

オポの行動範囲は以前よりずっと少なくなっているのに、なぜかワクワクすることが毎日起こっています。
新しいイベント事を生活に持ち込んだわけでもなく、新しい趣味に走っているわけでもないのにね。

やりたいことがたくさんあるといってもたいしたことではなく外にでて伸びをしたり庭をウロウロしたり
たまにわんこ山に登ってゴロンと横になるオポとただ過ごしたり冬支度のための準備を始めたりしているだけのこと。

そんななんともないような日々なのに愉快なことはわりとあってブログに紹介しようかな~とおもっているうちに、
また新しく愉快なことに出会というくり返しになってしまう。

秋になって虫達が行動しなくなってきたこのごろは、オポも庭で過ごす時間が多くなってきた。
最近のオポの楽しいことといえば「お外ゴハン」。
もちろんゴハンは食器で出され規則正しく食べているけど、庭に転がっている大根の頭や柿なんかを見つけて食べることが
いつの間にか日課になってしまった。

お皿にいれて「はい」って渡されたらすぐに食べられる。
庭に投げたものは見つけるまでに多少の時間と労力がいる。
前者の方が親切のような感じがするが、実は後者の方が楽しかったりもするのだ。

朝からあったものを夕方になって見つけて食べることもある。
急いで食べる必要のないものはそのままにしているけど気が向いたらまた食べていることもある。

太陽の下で風にあたりながら食べることの不思議さ。
ハイキングにいって食べるゴハンのおいしさ。
カフェテリアで太陽にあたりながら飲むコーヒーのおいしいこと。
動物にとって何か大切な要素を含んでいると感じる。
実は私も季節のいいときにはお昼をテラスで食べている。なんでもないものがなんともおいしいのだ。

特別なものを食べないと満たされないと感じるときは、自然とのつながりを取り戻すときかもしれない。

2011/06/27 15:45

2011/06/27 15:45



Posted in オポのこと, 日々のこと, 自然のこと

山の隣人

トレッキングクラスではようやく涼しい風と温かい太陽を交互に受け、「気持ちがいいね」といいながら歩けるようになったこの季節。
「先生のところがこわいんだよね。」という声も聞かれる。

怖いのは長々とお説教・・・なわけではない。怖さの理由は“寒さ”である。
外は暖かな日差しなのに家の中が寒い。
もっと寒くなればストウヴや暖炉といった人智の技もある。
ところがこの程度ではそんなものも準備していない。

ストールや上着やひざかけや毛布にくつ下、最近はカイロまでお持ちになるお客様もいる。
傍らには裸の大将が横になっている。
夏は息を吐き出しながら体温を下げ、寒くなると活動を通して体温を上げている。
やっぱり犬はたいしたもんだ。

気温が下がってくるとオポは山入りを解禁した。
夏場をしのいだ後なので私もとにかくうれしくて仕方ない。
年齢を重ねるオポがまだ山に登る姿をみられるし
私もいつの間にか山を近くに感じられるようになったようだ。

庭からわんこ山に入る途中、見慣れぬ細い道を見つけた。
さっそくオポとその道を登っていく。
驚いたことにその道は途中から山を下る道と合流し先日植樹したちいさな栗の木につづいていた。

栗の木を植えて数日後のことだった。
それは「いのさんの栗の木への道」だった。(※いのさんは猪の相性)
よくみるといのさんがおそらく顔を近づけたときについた泥跡があった。しっかりマークされている。

数日後、庭の斜面の上にオポの大好きなイチジクの木を植えた。
何日かするとオポがその木の周辺を入念に臭っているのを見た。
近づいてみるとイチジクの木につけていたしおりがなくなっている。
それにその周辺はなんだか踏み跡が多い。
イチジクのしおりはいのさんの作った柵の穴の前に落ちていた。
こちらもしっかりとマークされていた。

いっしょに植えた金柑の木はノーマークなのに。
こんなに広い場所なのに、なぜ栗とかイチジクを植えたことをすぐに知ったのか。
ここに来るまで全く会うことも見ることもましてや思うこともなかった
猪というお隣さんの不思議が楽しくて仕方がない。

そして先日ついにオポが「お庭ごはん」をしている場に山からの道ができた。
家のすぐに前だからか逃げるためなのか、それは絶壁にある道で
犬だってこんな坂は容易にはおりないと思える道だ。あのオポが食べ残すこともないはずなのに一体これもどうしたことだろう。

庭ではあちこちにその存在を印すいのさんと山の中で会うことは全く不思議ではない。
わんこ山を登るときにはいのさんの気配に注意しながら失礼のないようにドキドキしている私。
オポはどうなのかな。

星野道夫氏が熊の道を追う時に
「自分は熊に会いたいのだろうか会いたくないのだろうか」という気持ちになるといっていたが
まさに私もそんな気持ちになる。

猪に会って無事に終わったときはすごくうれしいのだ。
オポも猪に会ったあとは生き生きとしているのを感じる。
庭に猪が来る気配を知ると怖いというよりはワクワクする。
来てほしくないわけでもないし来てほしいわけでもないのに。

動物とのこうした不思議な距離間というのは動物としての自分を思い出させてくれる。
人と犬はすごく近い関係になってしまったけど、ベッタリが理解している関係とは感じられない。

そんな隣人がもうひとりいた。
このふたりの関係を見ることも毎日の楽しみになった。

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Posted in オポのこと, 日々のこと

栗の思い出

七山の野菜屋さんに栗が並ぶ季節になった。
山のあちこちにある栗畑でも栗の実がどんどん落ち始めている。

この季節になるといつも思い出すことがある。
それはまだ学校を卒業して間もないころで、犬の訓練所に見習いとして働いていたときのことだった。
季節は秋になり見習い作業も随分身にはついていたが、下っ端の者の仕事は次が来るまで譲ることができない。

当時の下っ端の仕事のひとつに訓練をしない犬の散歩があった。
老犬、病気をもった犬、訓練の対象から外されている犬、繁殖犬など。
彼らとの共によく歩いたのが訓練所から歩いていくとたどりついた栗林の間に作られた随分長く続く林道だった。

訓練所は山中にあったが隣町から中央の町へと走り抜ける車が朝晩に忙しくそこを通っていたようだった。
でも昼間の散歩時間には車はほとんど通らず快適な散歩道となった。

栗の季節にこの道を犬と散歩していると、車のタイヤにつぶされたいくつものりっぱな栗が落ちていた。
栗林には人が入らないように柵をしてあったが林道に接する栗の木から落ちて転がった栗が道にたくさんあった。

「あー、もったいない。朝の車が通るときにつぶされちゃうんだね。」
当時は大好物だった栗の実を見ながらあることを思いついた。
私の住んでいるアパートはこの栗林のすぐそばだった。
夜中でも訓練所にいけるように最短の場所に住むことも見習いの仕事だった。

「朝のうちにこの栗を拾いにくればいいんだ。」栗林に立ち入って栗をとるのは泥棒だけど
どうせ車につぶされてしまう栗を拾うのは許されるだろう。ということで朝の4時に起きて栗拾いに出かけるようになった。

1日の栗の収穫はスーパーの袋にいっぱいになるほどだった。
アパートに戻ってすぐにその栗をゆがき朝はゆで栗を食べて出勤し、昼はゆで栗をお弁当にもっていく。
夜もゆで栗を夕食変わりにした。

見習いの身分なのでお給料というものをもらっていなかった。
当時はそんなこともまかり通る時代だったのだと思う。
少々のお小遣いなので普通に食べることができない。
だからこの栗は私にとっては特別な神様からの贈り物だった。
栗の収穫できるのは1週間~10日くらいだったと思う。

栗を1日3食、お金を払って食べようとは思わない。
でも、食べるものを買うお金もなくてお腹は空いている。
なんでもいいから食べられるものがあれば喜んでいただく。
それが神様からのいただきものであればただ感謝していただける。
オポが山で野いちごを食べているときもこんな気持ちなのかな。

先日、七山のあるパン屋さんで「先日のパン…代金は震災の募金へ」と書いたパンのバスケットを見つけた。
いつもは1袋100円のラスクが20円で売っていた。
100円をもっていないわけではないのに20円のラスクを手にしたのがなぜかうれしい。
ラスクは時間がたっていたからか少し湿り気があった。それでも20円で買えたことがとても幸福に思えた。

なんでもたくさん持っているから幸せになるわけではない。
喜びとは人それぞれだから図ることができない。
いつもはあり得ない形でそれが手に入ったとき神様っているんだな」と感じられるからかもしれない。

栗の実の御恩返しをするときがそろそろやって来た。わんこ山に栗の木を植えよう。
偶然ホームセンターにあった栗の小さな苗木を2本買った。

栗は3年で実をつけるというけどこの実は私が食べるために植えるわけではない。
オポが食べる機会を得られればそれは素直にうれしい。
でもその機会を得られなくてもきっと誰かが喜んでくれる。
タヌキか鳥か、いつの日かこの栗の木の横を通った人が栗の実を命にかえるその日のために。

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セミナーを担当させていただきました

先日、行動学入門編のセミナーを担当させていただきました。
このセミナーはグッドボーイハート主催のものではなく
ご縁があった動物管理センターの職員の提案に協力する形で開催が決まったものです。

当初は管理センターの職員の方を対象としたセミナーとなるはずでしたが
直前にいろんな変更が重なり対象者を変えて開催することになりました。
ドッグスピリッツやグッドボーイハートのメンバーも参加できることになり
良いタイミングで新たな視点にたつ機会として参加できた方もいたようですね。

動物管理センターの存在やその役割について充分に理解している人はまだ少数でしょう。
処分される動物たちがいることやその動物を思いやる気持ちも大切ですが、もっと別の視点から見たり聞いたりすることで気づくことを必要とされていると感じます。

たとえば、なぜ動物を管理する施設を私たち自身が作り今も必要としているのかを知ること。
また、その施設がどのようなシステムによって運営されどのような目的を果たしているのか。
そして動物の福祉活動という形で動物管理センターなどの施設との関わりを持つ場合には
求められていることは何で、自分にできることは何かをはっきりとさせる必要があること。
こうしたことが自分の中でベースとしてあるという事が関わりをもつ相手を安心させることにもつながります。

私が心がけているボランティアの姿勢というのは以下の3つです。
「私にできることは何かを知っていること」
「相手が何を求めているのかを知っていること」
「共にできることは何かを共に考え見つけて行動をすること」

今回のセミナーは動物管理センターの職員のみなさんと共通の情報を持つことで
「共に何ができるかを共に考える」入口になればという気持ちで内容を決めました。

もっと一気に飛び越えて「ああしたら、こうしたら」と大きな動きを期待されがちですが
最初の変化は少しずつ起こってくるものです。
小さな変化をくり返しながら次第に必要に応じて変化するときには大きく変わります。
こうした物事の原理はみな同じなのかもしれません。

飼い主が犬に対して「こうなってほしい、ああなってほしい」と期待することは
逆に犬を落ち着かない状態に追い込んでいきます。
また「かわいそうだから」と手を出しすぎることも同じ結果を生み出します。

小さな変化が起こるように飼い主自身が協力してその環境の改善に取り組めば
犬の行動や内面はゆっくりと変化をはじめ、気づくと大きく変わっていることがあります。

こうなったらいいのに、ああなったらいいのに、という気持ちは一旦奥へ置き
現実をよくみて話しあいできることから始めていくのはいかがでしょうか。

現実をよくみるということは自分自身をよく知るということです。
自分を知って関わることで自分が成長するチャンスをいただくことになり
そのことが関わる全てのものにとって良きものとなれば、それはまた自分に還ってきて感謝して受け取るすばらしいものとなります。

ブログ用山から下を見るオポ

Posted in 日々のこと, 犬のこと

虫の音

9月中旬。まだ秋というには暑い日々がつづいている。
それでもすこしずつ存在を明らかにする秋の生き物たち。
中には歓迎できないものもある。

この季節に繁殖期を迎え一斉に孵化する生き物がいる。
トレッキングクラス後は「帰宅したらまずコロコロで…」が退治の適切な方法となる生き物。
そう・・・それはダニである。

最初の陣のダニたちは本当に小さく砂のようにしか見えない。
山を歩くと足から背中からお腹から、小さな砂が「あれ・・・動いている?」
それがりっぱなダニの成虫たちだ。
吸血すると小さな黒ゴマくらいにはなる。
一度に30匹以上つくことも不思議でないほどいる。

犬たちは若干体を搔いたり身震いをしたりして、多少の抵抗は示すがダニに刺されて腫れあがることはない。
ところが人間は大変なことになる。

山に移ってはじめてこの虫に吸血された時は「・・・」
言葉にならないほど落ち込んだ。

「ダニにかまれるような私ではなかった」と思い込んでいたけど、正確には
「ダニにかまれるような環境に生活していなかった」だけ。
都会生活ではオポにダニがついているのをみつけても「ダニーさん」などと身近な印象となるような呼び名をつけ
テープにくっつけて数を数えるほどの余裕だった。

ところがここでは、私もそのダニーさんの餌食になってしまう。
2年目にこの虫にやられたときには・・多少の怒り。
3年目の今年は・・ちょっと悲しいくらい。
気持ちは少しずつ変化している。
気のせいかもしれないけど体も少しだけ免疫をつけたかも。

生物は多様であることで環境は豊かになるのだ。
ダニはその多様な生物のひとつに過ぎないし同じレベルで私という人間もそのひとつに過ぎない。

犬のように免疫は高くないが、幸い私たちには知恵がある。
虫さされには木酢液やビワの葉のエキスなどが炎症を抑える効力をもつ。
知識を知識のままで終わらせないために、植物の力を感謝していただくことにした。
こうしていろんなものに支えられる事を知り、自然界の一生物としてもっと謙虚になることが求められているのかも。

夏の終わりから冬の始まりまでの短いこの季節に、昼夜を問わず音を鳴らしている草の中の虫たち。
こんなに長い間音を出し続けるこの虫の力に驚き朝から晩まで、寝ている最中でさえもこの音を聞いている。

都会で音が鳴り続けば精神的に不安定になるのに、この虫の音は逆に私たちをある方向へ導いてくれる。
ラジオで「虫の声を聞いて育つと何かの力がつく」と言っていた。
それが何だといったのかすぐに忘れてしまったが、私なりに申し上げるなら「原始力(げんしりょく)」かな。

でも、今人類の課題になっているあの「げんしりょく」とは違う。自然を敬うことで得る力のこと。


いつの間にか虫達が声を上げる季節が過ぎて、あーみんないなくなったな、と思うと新しい季節が来て。
たくさんの生と死のつながりの中にいる自分。
その中にある原始力。
オポが犬としての本来の姿を取り戻す中で、この力をつけてきたことを感じる。


人間がびっくりするほどのダニーさんのおみやげがあっても
「ダニがつくからもう山を歩くのはいやだよ。」とはいわない。
「ダニがつくから山にいくのは止めようね。」というのは人間の方だものね。

虫の音を聞いて原始の力を取り戻す時間は、ただ感謝して受け取る自然の贈り物なのだ。
短いこの季節をただ感謝のときとしよう。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

クラスメイト

GBH生徒さんの自己紹介のコーナーです。
今回はナティボコースを受講中の現役のペットシッターの方からです。
ではどうぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ナティボクラス初級コースの授業も、残すところあと1回になってしまいました。
通い始める前は、正直言って「七山、遠いな・・・」と思っていましたが、
ふたを開けてみれば何のその、毎回あっという間の道のりでした。

なぜなら、七山へ向かっている間は、こんなことも聞いてみよう、あんなことも聞いてみようと頭の中のモヤモヤを整理し
逆に帰りには、あれはどういう意味だったんだろう、こういう場合はどうなんだろうと新たなモヤモヤを抱えて帰っていたからです。

これも、私達の疑問にさっと答えを差し出すのではなくヒントとなる情報や方向性を指し示してくださる先生のおかげだと思います。
そうやって自分で考えれば考えるほどやはり“犬って面白いな”とますます犬の世界にはまっていってしまいました。

ナティボクラスは、その名の通り「犬の本質」を勉強するクラス。
犬とは本来どういう動物なのかを体のつくりや行動などから読み取っていくという内容でした。
ある程度わかっていると思っていた犬の新たな姿…
というよりは本来の姿にふれることができ毎回新鮮な驚きがありました。

授業の日に帰宅したあと我が家では愛犬「のも」がごはんの間中じっと観察されたり、口の中をのぞかれたり、
狼爪をさわられたり、といい迷惑だったかもしれません。

私を含め多くの飼い主さんは、 自分の犬を「犬」としてではなく、まず「○○ちゃん」として認識しがちだと思います。
散歩は好きじゃない、お外は怖い、一緒に寝なきゃダメなど、
「他の犬は知らないけどうちの○○ちゃんはこうなの、それがこの子の個性なの、犬じゃないみたいでしょう」という声を仕事柄よく聞きます。

でも本当にそうなのかなとずっと思ってきました。
本来の犬の姿を知らずして犬を飼うことが、犬たちにどんなに大きなストレスを与えているかを考えると本当にこわい事だと思います。

犬の本来の姿やベースを理解したうえで自分の犬がどれだけベースからずれているか
もしくは自分の生活環境の中で犬が犬としてストレスなく暮らしていくためには
どうしたらいいのかを今一度考えるいい機会になりました。

我が家の愛犬のもさんは「のも」である前に「犬」です。
のもが犬らしく過ごしながら、人間との暮らしを楽しんでくれれば何よりです。
グッドボーイハートにはその助けになるようなヒントがまだまだいっぱい詰まっていそうです。
まだまだグッドボーイハート歴半年の私ですが、これからも新たな発見や気づきをもとめて
七山への道を走っていきたいと思います。


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ナティボクラスでは毎回質問の熱心な生徒さんです。

「良い学びを得るためには良い質問をする」
ただ知りたいことを質問するのではなく「良い質問をする」というのがポイント。

質問を聞くとみなさんが何に関心をもっているのかが講師の側からははっきりとわかります。
また、その質問を通して講師側は自分が触れることのない自分の知恵の一部に触れ質問によって講師である私も共に成長していくことができます。

ペットシッターという仕事は犬たちの素の環境に触れることが多く、犬がどのような生活を送り、その生活の中でどのようなストレスを抱えているのかを自然と知ることになる立場でもありますね。

ナティボコースの学びが犬と飼い主さんの対等な関係や幸せに貢献できるかどうかは受講者の思いと行動にかかっています。

そんな思いを行動にできる勇者のおひとりとこうしてクラスを通して出会え講師としてもやりがいのある時間でした。
これからも共に学び共に行動し共に成長する仲間としてどうぞよろしくお願いします。

アマルの里の上

Posted in 受講生のコトバ

庭の闇

台風の接近とともに谷間のここでも猛スピードの風を体感できる。
蝉の鳴き声が消えた瞬間に次の季節の到来を歓迎することになる。

そうはいっても緑の生き物たちはまだまだ元気。
夏だというのに最近の梅雨のような雨と太陽の交互合戦に一番喜んでいるのは彼らかも知れない。

草刈大会を来週に控えてはいるけどこのまま丸投げでは使用人としての責務が果たせない。
ということで今週は毎朝の草刈行に挑むことになった。

昨日は2時間ほど家の北側で草刈をやったつもりだったが実際には半分の1時間をアブと格闘していた。
それも1匹でなく、数匹で総攻撃をしかけてくる。
向こうが何もしないのならこちらも無視して過ごしたいけど体にとまってチクリとするので苛立ちを抑えることができない。
そのチクリは挑発だということは知っている。攻撃のときにはもっと、つまり思わずうめくほど痛い。

相手が犬のときには「挑発にはのらない」ルールの導入は簡単なのに、ことアブとなると簡単に挑発に乗ってしまう。
アブと格闘している自分を客観的にみれば馬鹿馬鹿しい。
タオルでおっても意味がなく高みの見物からいきなり襲ってくる。
脚やら腕やら背中やら、もちろん洋服の上からでも刺す。
はらっているうちに自分でおいた箒の柄につかえて転び、腹が立つやら悔しいやら…。

犬のことに置き換えてみれば答えは簡単に出る。
要するに挑発される自分に隙があるということだ。
アブという生き物と対等になれない。
どこかへいってくれればいいと思っている。
目の前をブンブンと飛び交いうるさく騒ぎ立てる様子を微笑んで見ていることができない。

昨日の学びを今日の草刈に生かしてみた。
今日は彼らの挑発には乗らないと決めた。
どんなにブンブンきても草刈作業に専念し自分を失わないことにした。
あなたがそこにいるのは構わない。だけど私の邪魔をしないで。

結果はいうまでもなく大成功だった。
今年の夏もたくさんの虫さされの跡をこさえ夜もろくに眠れない日々に気持ちが弱くなっていたのかも。

草刈をしていると、のびきった緑の中に「闇」の世界ができはじめ、その「闇」に住む生き物を食べる生き物が集まってくるという
あるひとつの世界ができ始めていることがわかる。
家の周囲に闇夜はつくりたくないという理由で「闇」を払っていくが、住む生き物は逃げ食べる生き物はテリトリー侵害を訴えてくる。

生き物としては正当な主張に過ぎない。
ごめん、ごめん。今度から「闇」ができる前にこまめにするよ。

さて、今年は家の周囲を住処にしているしま蛇のご夫婦に会わなかった。ひとつのシーズンに10回以上は遭遇していたのに。
もしかして・・・食っちゃったのかな、猫田さん?

来年は会えるといいな。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

クラスメイト

グッドボーイハートの生徒さんたちが自己紹介をするクラスメイトです。
今回はミックスの女の子らぶちゃんの飼い主さんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私とらぶとグッドボーイハートの出会いは5年前になります。
それまで関心があったにも関わらずさけてきた保健所の犬の写真集
「動物たちのレクイエム」をなぜか手にしてしまいました。
その犬たちを人と生活ができるようにトレーニングをして新しい家族をみつけてあげたいと思いました。

そのために犬のトレーニングを教えてくれるところを探していた時
『犬語を話せるようになりませんか?』というコメントでグッドボーイハートにたどりつきました。

宮武先生と2年を共に学ぶことになるトレーナー養成クラスの同期生との出会いでした。
2週間毎に行われたトレーナー養成クラスは毎回驚きと発見と後悔の連続でした。
クラスが進むたびに自分がいかにらぶに間違ったことを教えていたのかに気づき
私の接し方に問題があったことを思い知ることにもなります。

自分の犬でさえまともにしつけられていないのに他の犬のトレーニングなどできるわけがない。
『いくつになっても学ぶ姿勢があれば大丈夫』との先生の言葉に後押しされて
“らぶ7才”にしてトレーニングを開始しました。

散歩中の引っ張り、興奮して私の腕を甘噛みすること、初めてのケイジ、アイコンタクト、ジェントルリーダー。
いろんな道具にもお世話になりました。卒業したものもあるし今でも活用しているものもあります。
『らぶちゃん賢いね。』と何度先生に言われたことか。

らぶはケイジでの留守番ができるようになり、引っ張り回していた散歩も随分楽に歩けるようになり
私が「無駄に触らない、興奮させない、犬の表情やしぐさから犬の気持ちを理解すること」を学ぶ中、腕への甘噛みもほとんどなくなりました。
もっと早く気づいていたららぶもどんなにストレスフリーな犬生を送れたか、と思うと
残念な気持ちもありますが、でもきっとこれが私とらぶの変わるベストのタイミングだったのでしょう。

そうするうちに、先生がドッグスピリッツというボランティアの会を立ち上げられ早速参加しました。
まだまだ未熟でなんの貢献もできていませんが、おかげでまた学びの機会を得られました。
わかっているつもりでもいざ人に説明しようとすると頭が真っ白になり、しどろもどろに。
会で行っているしつけ方相談会の終了後に行われる反省会ではたくさんの収穫があります。
まだそれを充分に活かしきってはいませんが・・・。

トレーナー養成クラスの最終クラス「インストラクター講座」の修了間近という時期に
博多にあったグッドボーイハート校が佐賀の七山に移転することになりました。
「佐賀?七山ってどこ?」
都会派の私は地図をみて「・・・」
でも私とらぶの先生は宮武先生でなければならない。

先生には(オポ先生にも)申し訳ないけど、本当に泣く泣く通いました。
毎回のように道に迷いやっとの思いで講座を修了しました。

この講座が終わる直前にらぶの乳腺と腹部に悪性腫瘍が見つかりました。
体の組織の一部を摘出する手術を受け、できるだけ体に負担のない方法を獣医師と相談した結果
免疫力を維持するサプリメントと予防のための注射、定期的な検査で様子をみることになりました。
2年たった今、予防薬や検査もずいぶんと減らすことができました。

この期間にも勉強を重ねるうちに私の中で何かが変わりつつありました。
ヒーリングとの出会いはこの頃ではなかったかと思います。
もともと物事を深く考えたり先のことを考えて行動するより
自分がどう感じているかなど感性によって行動していたので興味のある分野でした。

犬のヒーリングを学ぶミラグロ初級コースに入って得た素晴らしい仲間との出会い。
そして、トレーナー養成クラスをはるかに上回る驚きの連続とらぶとの絆の再確認。

ただ、私の人生にもいろんな出来事が起こっているときで
すでに自分の感性はセンサーとしての働きを失っていたようです。

仕事に追われ子供たちの行事にも参加できず毎日心に少しの余裕もなく引きずられるように生活していました。
仕事は好きだったのに仕事に行く時はまるで水を含んだ洋服を実に付けているような
体の重さを感じるようになっていました。
らぶはその間ずっと私のそばにいてくれました。
はうように仕事に出かける私を見るらぶの目がとても悲しみに満たされていた。
らぶにこんな思いをさせて毎日長い留守番をさせて、私は一体なにをやっているんだろう。
私の価値観がどんどん変わってきました。
その変化に自分が一番戸惑っていました。

なんとか抜け出したいとあがき、らぶと共にヒーリングを受けましたが
先生のおっしゃることはいつも同じでした。
『らぶちゃんは滞りはあるけど少しハートが開いているよ。ママの方がね・・・。』
ヒーリングを受けるたびにすぐに眠ってしまう私。「出るものが出てくる」という感覚も無縁の状態。
いつも最後に『でも私はあきらめていませんよ』との先生の心の言葉に愛と勇気をもらうのですが
体がいうことを聞かない、心が開かない・・・。

仕事にやりがいを持ち直すことができず、そしてらぶのあの目が忘れられず。
ついに退職の手続きに入りましたが引継ぎの作業がきっかけで執着が強くなり
退職の際にいろいろとあり心がすっかり滅入ってうつうつとした日々を過ごしていました。
朝起きれない、家事に気持ちが入らず食事の準備も億劫。
体が重くてだるく眠って眠って毎日を過ごしました。
毎晩音楽を聞きながらひとり泣きながら眠りました。

そんなとき参加したクラスの後で『すぐヒーリングしないとね』と先生に声をかけられヒーリングをしていただきました。
先生はいつも考える道筋やヒントは与えてくれますが、その先は自分でみつけなければいけません。
でも今回だけは具体的にどうしたらこのトンネルから抜け出せるのか尋ねました。
『執着を捨てること。何も考えず身を任せること。毎日感謝して過ごすこと。』
また、身に着いた感性は消え去りはしないということと
今執着しなくても、いずれ縁があればまためぐり会えることも。
そうしているとやっとの思いで通った七山がとても居心地がいいことに気づきました。

ミラグロクラスのアフタークラスの時に強くそれを感じます。
みんながありのままの私を受け入れてくれる。
同じ志を持っている人の集まりだから居心地がいいのかな。
「自分の居場所がみつかった」そう思いました。


最近は定期的にヒーリングやトレッキングクラスなどらぶと参加できるグループクラスや
草刈大会など、七山に通いつめています。
毎朝6時に起きてらぶと散歩し、庭の草むしりをしながらお日様にあたったり
今置かれている状況を受け入れ心静かに穏やかな日々を過ごしています。
ときどき心に闇が立ち入ることがまだあり、自分の内面を目のあたりにして
苦しんだり悲しんだりもしますが、それでも少しずつ何かが変わりつつあります。

泣くことも笑うこともできなかったのが、泣き笑えるようになりました。
殺していた感情がよみがえってきつつあります。
まだまだ時間がかかるでしょうが謙虚さと学びの姿勢をいつまでも忘れずに
日々感謝して自分の道をみつけていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「犬の役に立ちたい」という気持ちで始めた学びが
「犬を理解したい」に変わりそして「自分を知ること」へと変化していく。

動物を心から理解したいと望むと
犬という家族に私たちが与えている影響について知ることになります。

犬を変えることばかり考えて自分が変わることを忘れていないだろうか。
成長という変化は自分たちがこの世を去るまで続く。
私たちが学びながら成長しそして犬と共に歩みたいと望めば犬たちは自然と変化していくのでは・・・。

そんな七山グッドボーイハートの学びを続けているらぶママさん。
12歳にして緊張さんのらぶちゃんは始めてのグループクラス、始めてのデイキャンプと犬たちと共に過ごす時間をもてるようになりました。

共に学び成長することをあきらめなかったから。
病気や転職など生きる中には学びのチャンスがいっぱいですね。
自分がそのことをどう受け取りどう変化していくのか。
必要なものは全て与えられていると感じます。

現在はトレーナー養成クラスがバージョンアップした犬ナティボコースで
さらに驚愕しながら学ぶらぶママさんが、これからどんな犬語の通訳者になられるのか心から楽しみにしています。

そして、12歳という年齢はただ老いるのではなく、いかに老いるのかというとき。
生きている限り成長するのだということを犬たちは知っているのですね。

2011/06/27 15:46

2011/06/27 15:46

Posted in 受講生のコトバ

道の先をいく人

ある生徒さんからこんな質問を受けた。

「犬とつながりのある人って●●さんみたいな人のことをいうんですか?」
その●●さんとは少し前の動物のテレビ番組で有名な人のことだった。

直接会って話をしたことがないのだから、どんな方なのかは私も知らないけれど
その方と動物の間につながりについて関心はなかった。

「私の中で動物とのつながりがあるのはジェーン・グドールですね。」
その名前に生徒さんは首をかしげていた。
この後みんなにも「ジェーン・グドールって知ってるよね。」と
問いかけをして回ったけどほとんどの人が彼女の名前を知らなかった。

初めてジェーン・グドールを知ったのはテレビの特集番組だった。
ブラウン管を通して出会ったその人にくぎ付けになった。
チンパンジーのことを話しているグドール。
チンパンジーと接しているグドール。
それ以来、 私にとっては憧れの人になった。
同時に、遠くにいて近づくことができない人でもあった。

だから興味を持ったら本を読みあさるこの私が
グドール博士の本を一度も読んだことはなかったのだ。

動物とのかかわりについて教師であるその人が
あまりにも遠いことを知ってしまうのが怖かったのかもしれない。
この出会いが私がまだ幼いころであったなら、弟子になりたいとアフリカまで押しかけたかもしれない。
テレビを通してその存在を知ったのは動物と関わる仕事を経験した後、
社会経験を積んでいる頃であったと記憶している。

今回ジェーン・グドールの名前を口にして
今ならグドール博士の言葉を受け取れる気がして、グドール博士の自伝ともいえる本を取り寄せた。

本を読み胸に込み上がるものがあった。
良かった。同じ道だった。

ジェーン・グドールはすごく遠くにいるし、そしてどんどん先に歩いていくんだけど
でも同じ道を自分が歩いていることとを知ったのだ。
同時に、ガイドとしてみんなを案内してきたことに安堵した。

自分で選択して歩いてきた道だから不安になることはなかった。
でも、その道の先にグドール博士がいることを知ったのだ。
正直にうれしいというしかない。
勇気がわき、もっと近づきたいと思うようになった。

ジェーン・グドールがどんなにすばらしい人であっても、「私と彼女は違うから」などと思ったことはない。
私はあの方のように育てられていない。
私はあの方のような経験をしてはいない。
私はあの方のように感じることはできない。

そんなことは「わたしたち」を区別する理由にはならない。
少なくとも「わたしたち」は同じ人間という種である。
そして動物とのかかわりをもつものである。

幼少期にチンパンジーのぬいぐるみとグドール博士が出会ったように、私も6歳のときにスヌーピーのぬいぐるみと出会ったのだ。

「あの人と私は違う」と区別してしまえば、やらなくていい理由をつくることになる。
犬という動物とのつながりについてやらなくていい理由をつくることなどできない。

なによりも彼らの誠実さに答えるべく「動物との真のつながり」という道を
歩みたいと願っているのは自分なのだから。


テント場のオポ2

Posted in 日々のこと