グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<日々のこと>「テレフォンわんわん相談」をブログ公開します。

家庭訪問レッスンのために車で移動する時間が多くなりがちなので移動中にラジオを聞くことが日課になっています。

そのラジオ番組の中でも特にかじりついて聞きたいとおもってしまう番組があります。

全国のラジオ放送番組としてはおそらくかなりの長寿番組となる「テレフォン人生相談」という番組です。

月曜日から土曜日の11時から15分くらいの放送なのですが、このテレフォン人生相談はなかなか考えるところが多く、人生の学びのひとつになっています。

テレフォン人生相談の冒頭はこんなふうです。

人生には様々な喜びがあり、同時に苦しみや悩みもあります。
人に言えない、誰にも相談できない、悩みや苦しみ。
そんな時いくらかお役に立てれば…というのが、この番組です。

みんないろんなことで悩み苦しまれ、そして立ち上がろうとしているのだなと感じたり考えたりする機会になります。

ほんの短い時間の応答なのでこれで問題が解決するというわけでしょうが、人に打ち明けたり話すことができるだけで人は多くのことを解決する機会を得られるというのがこの番組の趣旨なのかなと思います。


この番組を聞きながら犬のテレフォン人生相談もやってみたいななどと妄想がはじまってしまいました。

妄想なんだけど本気です。

すぐに妄想してしまうのは自分という人間のバカな部分でもあるけれど、ある程度バカだったからこそこんな人生を歩けているのだという自負もあります。

だから妄想が頭の中にわきあがってきたときにはすぐには否定せずに、一度広げてみたり閉じてみたりしてその可能性と周囲に広がる利益と迷惑を想像するようにしています。


名前はすぐに決まりました。「テレフォンわんわん人生相談」です。

テレフォンではありませんが、すでにスカイプを利用した通信講座を受けてくださっている生徒さんもいらっしゃいます。

このテレフォンわんわん人生相談は通信講座といった実践スタイルではなく、犬のしつけやトレーニングをはじめてみようかなと思っている人に一歩を踏み出す機会にしていただきければと考えました。

番組にあるとおり、いくらかでもお役に立てれば、という趣旨でできないかなと模索しているところです。


ある生徒さんにこの話をしたところ、飼い主さんからではなく犬から相談を受けるというのはどうですか?とご提案をいただきました。

ある犬ちゃんが「もしもし」と相談してくるというものですね。

こうなると事実上というよりも犬のコトバを人に置き換えた半分は作り話、だけど結構まんざらでもないよという形を作り上げることになり、これもまたためになるなと思いました。

実際、犬と人はコミュニケーションも習性もかなりの違いを持っています。

相手を理解するためのツールとして科学的に実証されている事実は外せませんが、その科学すらも時代と共に変化していきます。

今まで正しいと思われてきたことがそうでないことなど山のようにあるわけです。

だからこそ柔軟な発想と想像は犬のしつけやトレーニングにはかかせない要素です。


話を元に戻すと犬が「もしもし相談があるのですが」と尋ねてくることをできるだけ犬の立場になって書いてみること、これもまた私の勉強にもなるわけです。

以前グッドボーイハートで発行していたWOOF WONDERFUL WORLDという冊子で「オポズセンス」というコーナーを書いていました。

オポというのは数年前に他界した私の愛犬です。

プロフィールの写真やグッドボーイハートの歴史の中でもオポが中心になっています。

グッドボーイハートのマークもオポの横顔ですね。

オポズセンスというのはオポの感性という意味で名付けました。

オポの気持ちや立場にたって書いたのですが、今読み返すとまだまだ人よりだという部分がたくさんありました。

その人よりだということに気づかされたのはオポと七山に移り住んでからです。

以下に自分が人目線で犬を見ていたのかを痛感させられることになりました。

良くいえば博多で犬と暮らしていたころと比べると数千倍イヌのことがよくわかるようになりました。


オポズセンスを復活させるつもりで「テレフォンわんわん人生相談<ブログ編>」を初めてみます。

題目にはブログ公開とありますが、もちろん作り話です。

犬だったらこんなことに悩んでいるかなという見方でご紹介できればと思います。

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Posted in テレフォンわんわん人生相談, 日々のこと

<日々のこと>暮らすことを考えるようになったのは…

生徒さんたちと七山の尾歩山を歩くたびに昔のことを思い出します。

七山の森が成長してきたこの12年間のこと、七山になぜ引っ越すようになったのかをお話すること、オポという犬と山で暮らして感じたことや教えられたこと。

オポや七山に来てくれる犬たちの行動を観察したり考えるうちに、犬の動物的な本質について少しずつ解けるように理解できるようになりました。

そのことはグッドボーイハートを七山に移転させて得られた大切な宝物です。

同時に博多での忙しい生活の中では考えることのなかったのが「暮らす」ということです。

いっしょに暮している犬に申し訳ないとは思いながらもたくさんいただける仕事の機会を逃したくないという欲求も高くて、博多では常にあわただしく働いていました。

オポの体調不良で七山で時間を過ごすようになり犬という動物について深く学ぶ機会を得ながらも同時に考えたのが暮らすことでした。

ただ働いていることだけが暮らすことだと思っていたのですが、オポとの暮らしを大切にする中で、誰とどこでどのようにして過ごして生きていくのかを考えるようになりました。

それが暮らすことだと気づいたのはもう少し後になってからです。

それは自分の年齢に応じた変化だったのかもしれません。

犬は人よりも圧倒的に時間の流れが速いわけですから、子犬だったオポは私の年齢を追い越していきます。

追い越されながらも私も10年という歳月をオポと過ごしながら年を重ねてきたわけです。

オポと死別して福岡と唐津を行ったり来たりしながら再び忙しく働く生活になった今、ふたたび自分の暮らしについて考える機会も失ってはいません。

七山で何ができるんだろう、私は誰とどこでどのようにして過ごす時間を一番大切にしたいのだろうか、そんなことを考える時間を失わないでいられるのはオポが教えてくれた大切なことです。

思いめぐらすうちにやってみたいと思っていたことをいくつかコトバにしてみました。

自分にチャンスがあるときには手助けというのは身近にあるもので次第にそんなことが集まってきます。

DSC_2356はちみつ
これははちみつです。近隣に住む同級生のご家族が養蜂をやっているのでいただきました。

私から養蜂にチャンレジしたいと相談したところ「こんな風に取れますよ」と持ってきてくださったのです。

お味はいうまでもありません。

素人の私でもサポートしてくださるということで心強いことでした。

こんなに身近に相談できる人がいるだけでも、私は本当にラッキーなのです。

本当に自分に必要なこと、本当に自分が望む真理に近付く道は、遅かれ早かれいつか開かれるような気がします。

ここから一気に妄想モードですが、たくさんのはちみつがとれたらグッドボーイハートブランドで生徒さんにお分けしたいと思っています。

その日がそう遠くないことを願ってみなさんお待ちくださいませ。

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Posted in 日々のこと, 未分類

<日々のこと・犬のこと>梅雨入り前の山の手入れに番犬は心強し:忙しいときは黙って待つのも犬の仕事

梅雨入り前の山の下刈りをしました。

トレッキングクラスに参加してくださった生徒さんたちの手も借りて、ほんの一時間でも数名でするとずいぶんと山が生き返ります。

その翌日もまたひとりで山の下刈りに出かけました。

お供に預かり犬くんについてきてもらいました。


下刈りの最中に周囲に異変があったら教えてもらうための番犬として同伴してもらっています。

預かり犬ちゃんたちの中には仕事の内容を心得ていて探索から見張りまで中心となって活動する犬もいます。

ですが大半の犬ちゃんたちは何をやっていいのかわからず山の中でたたずむ感じです。

先日は老犬くんを連れていきましたので、手入れの時に爆睡していたようで倒れているのかと思ってびっくりしました。

ですがその横になって目を閉じて木の日陰で休む姿は、とても心地よい感じで起こすのが申し訳ないと感じるくらいでした。

騒々しい都心の庭先では得られない極上の時間だったのでしょうか。

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山慣れしていない犬ちゃんたちは茂みに伏せて待ての待機行動で手入れをする私が戻るのを待っています。

マテをさせられると吠えたり興奮したりするようなご自宅で出る行動は山の中ではほとんど見られません。

飼い主さんもいないから甘えがきかない、環境が厳しいから大人しくなってしまうといろいろあるでしょうが、一番効き目があるのは私が真剣に忙しくしているので声をかけずらいというが一番ではないかと思います。

動物であれば山の手入れの最中に風が林を抜け始め心地よく感じる変化を受け取ってくれていると感じます。

この山の雰囲気は山すその家だけでなく、山よりもずっと下の平地の家々にまで及んでいるはずです。

コンクリートとビルだらけになった都心の窓を閉めたマンションの中ではもはや感じえない感覚かもしれません。

さざ波のように広がるこの静かな風を犬と共有できていることを喜びにできた一日でした。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと・犬のこと>犬と暮らす独特の文化としつけ方に対する国民性の現れ

ドッグスクールのブログの記事としては少し堅苦しい題となりました。

数十年という間、人と犬の暮らしに関して考えながら過ごしていると、いろんな疑問にぶつかったり頭をかしげたくなるようなこともあります。

日々のこととして今日はまとまっていない思いを述べさせていただきます。
日本人の犬との暮らしというのはここ数十年で大きく変わっていきました。

それは昭和の時代からこの令和にかけて生活スタイルや価値観が大きく変化してきたことに連動しています。

国内で狂犬病予防法が施行されたのは昭和40年代なのでそれほど昔でもありません。

この法律をきっかけにウロウロと自由に過ごしていた犬たちはつなぎ飼いをされるようになり、その中で室内で小さな犬を飼う愛玩犬=お座敷犬と呼ばれる存在が出てきました。

その後純血種犬という文化がヨーロッパから入ってくると、ブランド品をそろえるのと同じような気持ちで、犬を飼うなら純血種犬を飼うことがひとつのステータスになりました。

次に犬は庭付きで飼うのが当たり前だった時代から、一機にマンションでのペット飼育が促進されるようになりました。

たくさんの小型の純血種犬たちが集合住宅で飼われるようになりました。

ここまでアッという間だったのですが、今では街中で見る小型犬たちが散歩する風景が定着しています。


この短期間での犬や犬と人の暮らしの変化は、大切なことをうわべだけの情報で伝えてしまう結果にもなりました。

血種が普通の犬だと思っている人が多くプードルとかチワワといった種類があるという間違った考え方が広がっています。

犬が尾を振っていることを喜んでいるからと誤解している人が大半です。

犬の短く切断された尾を生まれたときからそうなのだと思っている人が一般的です。

犬は室内で排泄すべきだと勘違いされている方もまた多いです。

こうした多くの間違いは浅く広く伝わりすぎると大半の人がそうだという風になります。

そして日本人の国民性からしてそれが固まりやすく変えにくいという傾向があると思うのです。


昨日訪問レッスンに向かう途中の車の中で気づいたことがあります。

朝の9時になると中央線が変わる県道があるのですが、その中央線の脇を走っていました。

8時58分になると変更される線には車がほとんどいなくなりました。

ラジオから聞こえる9時の時報と同時に今まで走っていたのとは逆方向の車がその車線に流れ込んでいきます。

ここまできっちりとルールを守る国は世界でも珍しいのではないかと思いました。

このすばらしいきっちりするぎる行動は、いったんそうだと収まるとなかなか変わらないという固さにもなりそうです。


犬という動物に対する情報はこれまで表面的で非常にあいまいなものが浅く広がってきました。

プードルという犬種もチワワという犬種も幻なのです。

本来はみな「犬」という動物であるというのは真実であり、とても長い歴史を作ってきたただひとつの文化です。

純血種にはまだ文化と呼ばれるほどの歴史はなく、あまりにも小さな遺伝子プールを維持し続けるこの人の操作はそう遠くないうちに崩壊してしまうことは生物学的にとっても明らかです。

なんとかその形を犬らしくキープしたとしても、その精神はすでに壊れ始めていることに気づいている人もいるのでしょうが、そうした人はあまりにも少数すぎて排除されてしまいます。

犬と楽しく暮らしている人にこんな複雑なことを考えながら生きてほしいなどとは願いません。

ただ私の願いはひとつだけです。

あなたの身近にいる犬が犬として生きることを許してください。

犬が本来の犬として行動をするのはどのようなことなのか少しだけ考える時間をください。

犬として人と関わるということあどういうことなのかを考える機会を持って欲しいのです。

この二つは犬もきっと望んでいることだと信じています。


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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと>環境の中で動物たちとの距離感を図る

春から初夏にかけて七山では動物たちの行動も活発化しております。

冬の間あんなにシーンとしていたので、ごそごそといろんな動物が活動し始めるのがはじめは楽しいものです。

ですが次第にその数も種類も多くなってくるので、近付いてほしい動物と遠ざかってほしい動物など区別してしまいます。


先日預かりちゃんたちのたくさんいるときに玄関ドアを開けっぱなしにしておいたら、ツバメが部屋の中に入ってきました。

1羽、2羽と、室内をぐるぐると旋回して飛び回りカーテンレールの上にとまり出ていきそしてまた入ってくるを繰り返していました。

巣をつくる場所を探していたのでしょうが、ツバメが来る家は気がいいと聞いたことがあったのでうれしくなりました。


春にはこんなお客様もいました。

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バイクのカバーの中であたたかく過ごしていたシマヘビさんの子供です。

蛇はほとんどの来客からも毛嫌いされてしまうのですが私は怖くありません。

小さいころから母が庭先に来る大きな蛇を見て怖がる私に「蛇は話がわかるからお家に帰りなさいと話しかけるのよ」と言われて育ったからでしょう。

家の周辺で毎年みかけるシマヘビが代替わりをしたことを知ってすごくドキドキしました。


庭にはイノシシの掘り返した穴や石ころがあちこちに転がっています。

花を密を吸うために蜂たちもやってきました。

室内では大蟻と戦っています。

そしてついに草刈りのときに不覚にもブヨに顔面をやられてしまいました。


人の身近に近づいてくるというのは人を中心とした考え方で、そもそも住んでいるテリトリーが重なっているだけのことです。

その中で人が絶対に守りたい空間は室内(巣穴)と常に移動しつづける自分の周辺です。

その空間の中に受け入れられたのは唯一の動物たち、犬と猫です。

そもそもはお互いに重なったテリトリーの中に生育していたものが、自然と巣穴を共有するようになったというわけですが、犬が室内まで入り込んで生活するよゆになってからはまだ100年もたちません。

猫になると日本猫は一部の島を除いては絶滅してしまいましたので少し複雑です。

今いる猫たちは西洋からきた外来種になりますがここまで増えるともはや外来種として区別することもできなくなります。


嫌われる動物と歓迎される動物、その人の選択の理由は最初はあくまで人側の利点だったのでしょう。

そして今でもそれは変わらないのだと思います。

人にとって価値があるから、人にとって利益があるから、人に何か良いものをもたらすから動物たちは人の生活の中に入ることを許されてきた。

そして今では動物側の意図とは別にはじめから犬という動物は人と生きていく以外の選択肢を持ちません。

世界的にみれば違いますが、国内では大半そうなってきました。


犬が自分の選択で人と暮らしを共有したいと思ってくれればいいのにといつも願っています。

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Posted in 日々のこと

<日々のこと>預かりクラス、エネルギー補充のためにお菓子が必須

いろんな分野のブログを拝見していると、意外と今日何を食べたとかこんなところに遊びに行きましたというような日常生活も公開されていたりします。

自分はこういう人間ですよということを自分を知らない方に知っていただくために、生活や趣味のことなどをブログにアップされるのかなと思いました。

自分の場合は普段の生活が仕事と密着しすぎているために、これといってバラエティにとんだ情報がありませんがたまには公開してみます。


ゴールデンウィーク中にほとんど七山に籠城しているようになっていました。

その様子を察知してくださったのか、たくさんの生徒さんに差し入れをいただきました。

差し入れはほとんどが甘いもの、お菓子でした。

たくさんの犬を預かってお世話をしたり観察したり記録したりしていたゴールデンウィークは、ゴハンを作るのもままならない感じでした。

案の定、お味噌汁用のネギを切っているときに指をざっくりとやってしまいました。

預かっていた犬のことを考えていたからです。


そんなドジなこともしてしまうので預かり中のエネルギーの補給にはお菓子が役立ちます。

いただいたたくさんのお菓子は、休憩の合間にいただきながらあっという間になくなりました。

普段の生活の中でこんなにお菓子を食べることがないのですが、さすがにゴールデンウィークの預かり時はテンションが上がっているので、お腹がいっぱいになるということを知りません。

犬もテンションが上がっていると食べても食べても空腹のようなので、それと同じような状況だったのだと思います。

貴重ないただきものをもっと大切に食べたかったですが、時間のない間の完食を十分に満たしてくれました。


自分がお菓子をたくさん食べてしまうと、犬にも余分におやつを与えなければいけない気持ちになってしまいます。

飼い主さんが犬におやつをあげたい気持ちもいっしょに体験していました。

甘いものが動物に与える活力と精神的な安らぎは本当に不思議なものです。

晩年のオポも餡子が大好きでした。

甘いものは脳に栄養を与えるといいますが、人も犬もほどほどが良いのでしょう。

差し入れのお菓子はどれも上質なものばかりで、甘さといっしょにお心遣いもいただきながら預かり中の犬たちのお世話にも気合が入りました。

あらためましてその節はありがとうございました。

大好物の和菓子です。

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<日々のこと>尾歩山を歩きながらオポのことを思ったこと

数年前に亡くなったオポのことを思い出していました。

実は誕生日が4月20日だったのですが、生徒さんから「食いしん坊だったオポさんのお供えものに」とどら焼きが送られてのです。

郵便で受け取ったので封を開けたときは本当のどら焼きだと思ってしまったので、あとで自分が食べようなどと思ってしましました。

よくみるとそれはどら焼きに似せたロウソクでした。

食いしん坊なのは飼い主の方であったことを確信します。

犬はただ飼い主に似ていただけなのかもしれないと。


ブログにもたくさんオポの思い出を記しているので、今でも生徒さんたちからよくオポのことを尋ねられます。

生前オポと交流してくださった生徒さんたちは口々に「オポさんは犬以上でしたからね」とお褒めの言葉なのかわかりませんが、とにかく不思議がられます。

そのオポのことをいつまでも忘れないでいたいといういう気持ちで、グッドボーイハートを守る山の名前を尾歩山(おぽさん)と名付けました。

なかなか良い名前になったと満足しています。

その尾歩山ですが季節とともにみどり色に色づいてきました。

今日も午前中は生徒さんの犬ちゃんといっしょに山を歩きながら、犬のことや自然と過ごす工夫のことや人のことなどを少しずつお話しながら考えたり悩んだり。

トレッキングに見られる犬の行動が変化したり変化しなかったりといろいろありますが、こうして犬と一歩ずつ歩いていくのが現実を進むということなのだと実感できる時間ではあります。

その景色が季節によって移り替わることを楽しめたり、苦しんだりしているだけなのかもしれないのです。

それでもいっしょに過ごす時間というのは貴重なものです。

元気をいただいて午後からは福岡へ訪問レッスンをウロウロと回りました。

こうして山でオポのことを思い、今までにであった犬たちのことを思う時間があるから私は本当に幸せものです。

すごく単純なことなのにすぐにこんなことを忘れてしまいます。

もう一度思い出して、今ある思い出と今ある出会いを大切にして、得られなかったものと手放したものを追い求めず、別れるときには感謝していられる自分でありますように。

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Posted in 日々のこと

<犬のこと>犬にとって一番辛いこと、やっぱりコレかな。

タイトルが少し重々しい感じなのでできるだけ長文にならないように気を付けながら進めてまいります。

このブログを熱心に読んでくださっている犬の飼い主さんなら、犬にとって必要なことは何か、犬を理解するために知っておくことは何か、犬の幸せって何だろうということを真剣に考えてくださっています。

すでにその方向にはたどり着かれているので、あえてここで犬の不幸について語るのはどうかと思いつつ、この部分だけは動物にかかわるものとして知る必要のあることだと思うので、一緒に考えたいと思います。

ズバリ、犬にとって一番辛いことって何でしょうか?

ドッグフードしか食べさせてもらえないこと?

お母さん犬と引き離されてしまったこと?

散歩に連れていってもらえないこと?

留守番がとても長いこと?

飼い主の愚痴を聞かされること?

自由な時間がないこと?

と上げてみると、犬って結構不幸かもしれません。

どれも一番辛いになりそうなので、一番という言葉を取り除いて考えます。

上にあげた不幸かもしれない状況に共通していること、ゴハンを除いたその他にはなりますが、共通点は「孤独」です。

犬にとって最もつらいことは「孤独」であることではないでしょうか?

動物にとって孤独であることは不安を生み出します。

不安をたくさん生み出すと精神的な病気になり、異常な行動を引き起こします。

わたしたち人の社会でも考えられない行動をする人の人生は、思った以上に孤独であったということではないでしょうか。

家族がいても孤独なこともあるし、表面的に友達が多くみえても実際には孤独であることもあります。

孤独は社会的な生活を必要とする動物の精神を壊してしまうのです。

犬は大変社会的な動物なので、孤独であることは犬の精神を壊してしまいます。

ただ単純に留守番が長いから孤独を生むというわけではありませんので安心してください。

確かに長い時間の留守番は孤独を生みます。

でも一日中飼い主が付き添っていたから孤独ではないかというとそんなことはありません。

犬が分離不安傾向にあって人や他の犬に吠えるような状態であれば、どんなに飼い主のひざでべったりと過ごしていてもやはり犬は「孤独」なのです。

逆に留守番時間がとても長い犬であっても、飼い主が一生懸命働いていて犬と真剣に向き合って過ごす時間を持ち続けていれば、犬にはそのことがよくわかるようです。

働く飼い主の帰宅まで留守を任されていたり、気配を消してがんばっている犬たち。

犬と過ごす時間には真剣に向か会って誠実に共に過ごしてくれる飼い主さんといる犬であれば、留守番時間の長いことはなんとか乗り越えていきます。

ところが飼い主さんが犬とひと時も離れずに過ごしていても、その理由が自分の不安を埋め合わせするような行為になると犬も孤独な飼い主と同じように孤独になるだけです。

犬は社会性の高い動物です。

ただ誰かとべったりと過ごす狭い世界に閉じこもることは危険なこと、ある程度開けた環境の中で社会生活を楽しめるような犬の生活はどのようにしたら得られるのか、自分の環境の中で各自が考えてほしいことです。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと>自然と共に生きる「またぎ」の番組を見て思うこと

自然と共に生きている人、自然と共に生きようとしている人の姿を見ることで励まされることがあります。

自分の周辺の社会がまだ文明に侵されておらず、今でも自然のひとつとして生きている部族の方もいます。

そうではなく、すでに自分は文明社会の一員となっているのだけど、どうにかして自然の一部として生きようとしている人の姿に励まされるのです。

先日、テレビのドキュメンタリー番組で東北の熊と共にきるまたぎの姿が紹介されていましたので食い入るように見ました。

熊を探し、そして撃ち、そしてそれを感謝していただく。

熊を撃って手にいれたときは「山の神」という言葉で山の恵みをいただけたことを表現される。

手を合わせて弔いの儀式を行い、感謝してまたぎの方々全員に平等にその恵みが分け与えられる。

遠い日本の暮らしの一部をこの食べ物が豊かな文明の中で続けていくことの意義は、実際にそのことに携わったことのない私などには計り知れません。

今回のまたぎのそばには犬の姿はありませんでしたが、きっとこれが毎日の生活だったとき、またぎの傍には片時も離れずについていた犬の姿があったはずです。

人は熊撃ちの営みを続けられるまで続けていこうとされる中、犬たちはもうその場から姿を消してしまったと思うと悲しくなりました。

都会で幸せに生活をしている犬たちには、それぞれの幸せがあり熊撃ちの犬になる必要はありません。

熊撃ちの犬も都会の犬も同じ犬であるということを忘れたくないだけです。

自分も自然から離れて文明社会で生きているヒトという動物です。

自然に近づきたいと犬いっしょに山を歩いたり、竹を切ったり、草を刈ったりするのが精いっぱいです。

そんなわずかな時間でも、犬が犬として過ごす時間を共有することができることに幸せを感じます。

はだしで山を歩いて、獣のにおいを嗅ぎつけて、竹藪に顔を突っ込んでいくような、そんな犬の姿にワクワクしてしまいます。

熊撃ちの方に「なぜ熊を撃つのですか?」という質問をされていました。

生活のために必要のないことをなぜするのかという意味でしょう。

ハンターという音でいうと趣味的な要素が強くなりそうですが、またぎ達はハンターとは言われたくないといいます。

なぜ熊を撃つのか?にはっきりとした言葉はありませんでした。

当たり前だと思うのです。

なぜ山を歩くのですか?と聞かれているのと同じことです。

そこに答えはありません。

楽しいからでも、健康になるからでも、やせるからでも、疲れてよく眠るからでも、長生きできるからでも、最初はなんでもいいのです。

でも最後は答えは必要ではなく、ただ生きているから、そんな感じです。

山歩きには最高の季節が続きます。

花粉症の方も逆療法であえて山入りしてください。

またぎと比べることはおこがましいですが、犬たちはいつでも山とひとつになれそうです。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

グッドボーイハートは20年を迎えます。感謝

新しい元号が発表されました。

気持ちがひとつ前に進みつつ過去を懐かしんだりと人は相変わらず欲深く生きています。

欲深いことは悪いことばかりではなく、その欲深さのために文明を発展させてきたのもまた人という動物です。

そしてその人にもっとも近い場で人を観察しながら、自らも人の生活の中で変化し続けている犬という動物がいます。

その犬のことを知りたくて中学生のときに「犬の訓練士」になりたいなどと思ってしまいました。

そこから長い月日が流れ、自分で犬の学校を始めることになったのが今から20年前です。

名前はグッドボーイハートと名付けました。

当時共に暮らしていたオポという犬が私の要望をうまくくみ取ってくれたときに最初に使っていた音が「グッドボーイ(good boy!)」という音でした。

その言葉を投げかけた犬という動物を心から愛したいという気持ちでつけた学校名です。

それから今年で20年を迎えます。

元号は変わってしまいますが、そのときの気持ちは今でも変わりません。

変わったのはいっしょに学校をはじめたオポが別の世界へ行ってしまったこと。

でも、今でも新しいたくさんの支えがあってこうしてグッドボーイハートを続けながら、いまだに犬のことを学んでいることに改めてありがたい気持ちになります。

こうして何十年も学んでいるのにまだ終わらずに学び続けていることが不思議でならないのですが、答えを出すために学んでいるのではなく、学ぶことがただ楽しくて学んでいるのだということに少し前から気づきはじめました。

これからいつまで続けていくのかなど、未来のことは全く考えていません。

ただ、グッドボーイハートを必要として下さる人や犬がひとりでもいる限り続けさせていただきます。

いつもありがとうございます。


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Posted in 日々のこと