グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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夏の戦い

ある明け方、蝉たちが一斉に産声をあげた。
ついに来た。本当の夏がやってきた。

裏庭に広がる草藪に住む虫たちとの戦いが続いている。
全ての条件が整わないと生存しない虫がここにはいる。
おそらくちょっと山を下ればお知り合いになれない虫たち。

その中で一番やっかいでどうにもならない刺し虫はヌカカと呼ばれている。
このあたりでは「しのぶ」という名前らしく、本当に忍んでくる。
網戸も通過し、最強の蚊帳も平然とくぐって哺乳動物の生き血を吸いにくる。
起きていても寝ていても刺されるのだからどうしようもない。
吸血するだけならさほど苦にはならないのになぜか猛烈にかゆく痛い。
1日複数の刺し傷に痛みとかゆみが数週間も続くのだからこんなに不快なことはない。

さすがのオポもヌカカにはやられてしまう。
外に出ると一度に10ケ所以上、それも腹部を狙ってくるから大変な腫れようで
痛々しいその傷にどくだみの葉をもんでぬると赤みは数分もすれば引いてしまう。
かゆみも痛みも感じないのかオポはそう長くそのことを気にしたりはしない。
要するにそんなにかゆくて痛いのは自分の抱えている問題だということ。

ローリングサンダーだったらビネガーの瓶を差し出して
「そうした問題はどうにでもなるものだ。」と、いうだろう。
そこで、私も毎日のように酢を体にいれ毒をできるだけとらないように生活の基本に戻る。

まあ、そんなことをしていても窓の外をみると生い茂った草と暗闇。
こんな快適な生活空間を虫に提供していることがいけないのだ。
ひろがる藪に虫のとびかう戦いの場に鎌を持って出るにはエネルギーがいる。
泣き寝入りして毎日増える虫さされの後を数えるくらいなら立ち向かうしかない。

ちょっとした恨みつらみなんかがあるのであれば、「こんちくしょう」と思いながら草を刈るのかもしれないけど
そうした思いが今のところはない。
考え事をしながら草刈をしているとケガをすることはすでに経験した。
目の前に立ちはだかる草に目をそらさず向き合いながら、ただひとかりずつ鎌を振ることに集中していた。

虫のことも、この先どのくらい刈らなければいけないかも、今日どのくらいしなければいけないのかもなにもかも忘れ、目の前に今ある草のことだけをみながら1時間の草刈が終わった。

何かに立ち向かおうとするときは焦りも目標も絶望も捨てて、今できることをとにかくひとつしようと行動を起こすことにする。
そう思ったときからそしてひとつ行動を起こしたことから、不思議なことに虫さされのかゆみがなくなっていた。
「なんで刺されたんだろう」「これからどのくらい刺されるんだろう」と不安になったり怖がったりおびえたりすることの方が、自分の内面を悪くしていることがはっきりとわかる。

オポの腫れがすぐにひくのはそもそも彼がそうした状態であるからだ。
草刈の時間にはいつもオポがそばにいて見張り番をしてくれた。
でも、今日はひとりで立ち向かった。
11歳という扉を開けたオポにはゆっくりとする時間が必要だし、私ができることはひとりでやらなくては。

頭からつま先まで汗でびっしょりとなり部屋にはいると、オポが生き生きと私を待っていた。
「なんか大根かなんか落ちてなかった?」
そんなもの探してたんじゃないよ、オポくん。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと, オポのこと

生きていく場

長雨がつづいているけど梅雨というほど蒸し暑くもなく
この季節に恒例の雷が訪れることもない山は、やっぱりなんだかさびしくそれに元気がでない。

そんな季節だけど生き物たちはちゃんとやってきてくれる。
朝起きて外をみると、いつもと何かがちがう。

変わらない環境の中に見知らぬものをキャッチすると、環境が変化したということを脳が教えてくれる。
こういうときには、もちろんもっと詳しく確認する必要がある。
ということでカーテンを開けてみた。

猫田嬢様である。
朝早くからお仕事に精が出る様子。
見ているのはさくらんぼの木・・・ではなく
さくらんぼの木になっている実・・・でもなく
おそらく、その実を食べにきている小鳥たちだね。

この絵図にオポをくわえようとしたら
「さくらんぼの木の下にうろつくオポ」となる。

さらにこの絵図に私もくわえようとしたら
「さくらんぼに手をのばしてその実をとっている私」となる。

さらに加えることのできる生き物がいる。
さくらんぼの甘い汁をすって生きている
飛ぶものたち、ちぢんだりのびたりするものたち、
こうしたいきものの数が一番多いものね。

こうしてみると、誰が一番上ということはないけど
以外に猫田さんが一番大変な気がした。
たくさんあるさくらんぼの数よりも、それをたべている小鳥の数の方が圧倒的に少なく
またそれを捕ることのできる確率はほんの少ししかない。

それでも自分に与えられた能力を最大限に使えば、生きていくことのできる環境。
それが、動物が暮らす環境ではないかな。

そう考えるとそういう環境はそれほど多く残ってはない。
でも、もっと昔にはたくさんあったはず。

そして環境は変化して今にいたった。
大切だと思うものを取り戻したいと願うことでやはり環境は変化していくのだと思う。

動物にとって大切な環境ってなんだろう。
猫田さんの狩の姿をみながら、そんなことを感じていた。

いつも気づきのチャンスをありがとう。

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[2011年06月18日 │ 日記]

Posted in 日々のこと

青い実のお知らせ

猛烈な陽ざしの到来に梅雨があけるのかなとドキドキ。
長く寒い冬の後だから暖かくなりたい気持ちはいっぱいだけど、夏というのは動物にとって最も厳しい季節だと感じる。

でも、うれしいお知らせもたくさん受け取ることができる。
降り続く雨の日々、成長し続けているのは山の緑の仲間たち。
ほんの数日で数十センチも背がのびているものたちもいる。
まるで競争のように高く高く。

一気に伸びあがるのっぽ姿は成長期の男の子みたい。
強い風にあたって倒れそうになっている木もみられる。
背が高くなって周囲の草木を越せば風あたりが強くなるのはどの世界も同じこと。

そんな成長期の木のひとつが実をつけているのをみつけた。
柿の実だ。

青い実のなる枝の真下を背中をこするようにオポが通過する。
青い実はまだオポにその存在を知らせない。
オポがこのことを知るのはいつなんだろう。
そしてどうやってこれを知るんだろう。
そんなことを考えているだけで楽しい。

台風がきて柿の木が倒れてしまわないかな。
支えをつけたりしなくても大丈夫かな。
こんな心配もときおりついて回る。

まだ食べられないこの青い実がもうすぐ手にはいることを考えてしまうとなんとしてでもそれがほしくなる。
こういうのを「欲」っていうんだろう。
実の数を数えてしまったら10個が8個になってもさびしい気持ちになるのかも。
必要なものは全て与えられている。
そんな教えを思い出して、私も柿の枝ののれんをくぐる。

オポと生活をしながらこの道を歩き始めて2年半がたった。
道の中で知り得たことを共に学んで下さる方とごいっしょすることができた。
2年半をいっしょに歩いてきた方の中にも少しずつ変化が起こり始めていることを知る。
柿の青い実が知らせてくれたことだった。

何も心配することはない。
太陽が輝き雨が降り土が養分を与える。
風が吹いて倒れることがあっても、倒れたところから伸び続けるのが木。

わたしたちも木のように毎日育ちながら、小さな実を付け始めるころなのかもしれない。
きっとその実はいつか他のために役立つかもしれない。
そのことを自分も、そしてそれを受け取るものも今は知る必要がない。
大切なことは今自分に起きていること。

青い実は喜びを与えてくれた。
これは結果ではなく達成でもなくただ道の途中でみたひとつのすばらしい光だった。

2011/06/27 15:45

Posted in 日々のこと, オポのこと

宝さがし

エールをいっぱいいただいてオポは元気になってきた。
11歳という年齢を受け入れながら、ゆっくりと歩くようになり
休み休みではあるけれど、山仕事を復活しはじめた。

日課の他に、オポとわたしには季節ごとに楽しみがある。
この季節といえば…。なんだかわかりますか。

何かをさがしているオポ。

鼻は全開。
静かな山にはフンフンフン、ボコボコボコと
オポの鼻息が響きわたっている。

そう。
正式な名前はしらないけど、さがしているのは「野いちご」。

山に手入れをしていただいて今年で4年目になる。
手入れの前は杉林だった。杉も大切な木だけど、暗くて草が育たない。
杉林を雑木林に育てるために人の力をかりて、わんこ山には雑木が植えられた。
小さな雑木の足元に生まれた野草は、毎年その種を増やしている。

野いちごもその仲間のひとつ。
昨年はほんの少しだったのに今年はすごくいっぱい。
「いちごとり行こうか」でオポにエンジンがかかるようになった。

昨年まで多かったのは、食べられない「へびいちご」
食べられる野いちご と少し違う。
へびいちごはサイズが小さいらしいけど、この山のへびいちごは野いちごとそう変わらないくらい大きい。

はじめはオポが間違えて食べてしまわないかと疑ったが、見事に間違えない。
ごめん、オポ。君って犬なんだものね。

野いちごのすぐそばにあっても、へびいちごには口をつけない。
こういうことを「知識」っていうのだろう。
知識と出会える環境に暮らすと動物はおのずと安定してくるように感じる。

いちごさがしに夢中になるオポのそばで私のすることは
番人…。
いちごをさがしているときのオポはかなりの集中力。
その分周囲へのセンサーは落ちている。
私は蚊に囲まれながら、周囲への警戒を欠かさない。

そのうちオポがひとりで食べに来てくれるようになるといいんだけど
山暮らしが短いオポにとって、このことが日常になるにはもう少し時間がかかりそう。

私が蚊に刺されなくなるのが早いか、オポがひとりで山に入れるようになるのが早いか
いずれにしても、今年はどちらも成し得ない予感がする。

大好きなメロディが聴こえてくる。
ストロベリーフィールズよ永遠に。
「ストロベリーフィールズっておとぎ話じゃなかったんだね」

2011/05/31 12:51

いちごさがし3.0531

Posted in 日々のこと, オポのこと

御礼詣り

今週はじめから梅雨の到来を感じるようなたくさんの量の雨が降った。
いつもは心地良くその存在を知らせてくれる近くの川も、轟々とうなり声をあげ、ただひたすら雨音が続いた。
その長い雨が降り始めた日にそれは始まった。

いつもの朝食の後、部屋に戻って一旦伏せたオポがすぐに座りなおした。
座った後ろ姿をみると何かが起こっているのがわかる。
体に不調を感じていることを訴えている。
そのまま部屋から出て横になりじっとしていた。
こうしたとき私は必要であれば手を出すが、そうでなければいつでも声をかけていいよという距離で見守ることにしている。

この日はいつくかの来客の予定があった。
お客様がきたときにはオポの部屋にはいってもらい
戸口を閉めているが、この日はそれができそうにない。
動けないというシグナルと、ここから動きたくはないというシグナル。
状況の中でできることを選択してオポの居場所を確保した。

午後になってお客様が全てお帰りになると
オポの様子は午前中よりも難しくなっていた。
数週間前にぎっくり腰になったのでそのようなものかと思いもしたが、どうやら今度はそうではないようだ。
来客の後すぐにテラスに這うように飛び出たあとは、座ってはいるが背中の痛みは一向に収まる気配がない。症状に名前をつけたくはないけど「ヘルニア」なのだと知る。

痛みが強く排尿に出ることができず、夜中までテラスで過ごしたあと
数センチずつお尻を引きずる様にしながら部屋の戸口の内へ倒れ込んだ。
この夜は私にできること・・できるだけの手当てを行った。
伏せたまま痛みのためか数センチずつ床を這うオポの背中に手を当て続けた。

オポが庭で排尿をしている姿が見える。
「オポ、よかったね。トイレに行けたんだね。」
目を開けるとそこにはオポの背中があった。
夢だった。うっかりうとうとと横になったらしい。
体中から緊張が感じられこちらも苦しくなる。
でも支えでありたい。

明け方になっても雨は一向に止む様子もない。
ところが曇り空の向こうに太陽の昇ってくる力を感じたのか、薄明かりが差してくるとオポがグッと起き上った。

立ちあがるんだ。
タイミングを逃さずすぐに目の前のドアを開けた。
這いずりながら外に出て1日ぶりに排尿を自力で行った。
ところが排便の方は背中の痛みが強く、格好はするけどキューと声をあげて力なく腰を落とした。

帰りは雨に濡れたまま戻ってくることができない。
傘をさしたまま数十分。ようやく部屋に戻ってきた。
その後も動けない状態が続いたが戻ってきたのは食欲である。
昨日は食べることもできなかったがなんとかして食べようとしてる。
緊張はまだ続いている。息は荒く舌は白く唾液がでずに口が乾燥している。
こんな状態で食べることができるのか。

でも慎重にオポをみながらそれがストレスの表現ではないことを確認しながら、食べる物を与え背中に手を当て続けた。
すごく長い時間がたっているように思えたが、2回目の夢のお知らせを受けて夕方には自力で排便ができた。

その夜、やっと自分の部屋に戻ってきた。
外との距離を測っていたのだろうか。
次の日にはいつもの寝場所のソファに乗ってみた。
そして相棒のトリさんをくわえていた。
こうして日常が戻ってきた。

山での学びを得ていなければこうしたことにはきっと弱かった。
何故こんなことになったのか。
どうやればよくなるのか。
よくならなかったらどうしよう。
こんなことをぐるぐると考えめぐらしていたかもしれない。
ところが不思議とこうした思いはない。

背中はオポの古傷である。私が思い込みの知識で行った過剰な運動が背中を痛めた。
やりすぎないようにと気をつけていたはずだけど
他にできることがあったのに選択できなかった。
でもそれは結果ではない。気づいたときはまたそこから始まる。
今度は治癒のすばらしさを私に教えてくれた。

このことで予定をキャンセルさせていただいた。
どなたも快く承諾して下さったことで力をいただいた。
遠隔ヒーリングや祈りを送ってくださった方もいた。
オポがひとりで治癒を実現しているわけはない。
そこにはたくさんの力が集まって彼を支えていることに気づく。
そのつながりは契約ではない。
ながいながい時をかけてつないできたものだろう。

治癒というのは動物の底力だと感じる。
治癒とは病気のことだけではない。
癒しはどんな動物にも起きるチャンスがある。
準備ができて委ねれば始まるのでは・・。

今日、久しぶりに晴れ間をみた。
庭にでて草を食べるオポがいた、が様子が違う。
少し歩いてみようよと逆に誘われる。
ほんのそこまでの足慣らしかと思ったら
軽い足取りで一気に山をのぼりきった。

これが真実か。
土を食べ、いちごを探し、筍を臭って、命の水をいただく。
そして山の頂上でいつものように姿勢を正している。
「御礼詣りだね、オポ」

今のオポは、あの雨の降り始める前のオポとは確かに違う。

キャベツを食べるオポアップ-150x150

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ゴールデンウィークのお客様

この季節にしては朝夕はまだ肌寒い日々が続いている。
門をあずかるさくらんぼの実もまだ色づいていない。

世間ではたくさんの休みが連なる日々らしいけど、ここではいつもとなんら変わることはない。
お客様がいらっしゃれば何もない中でおもてなしをする。
いらっしゃらなければオポと私のペースで過ごし、太陽が昇ってやがて太陽が沈んでいく日々。

今日がいつもと少し違うといえばテントに泊まるお客様が2泊されることくらいかな。
そんな普通の日の朝、掃除を開始しようと表のテラスに出た。
と、なんとも早い時間からすでにいらっしゃっていた。
最近はお目にかかっていなかったお客様
しかも今日はおふたり様の親子だった。

お母様がゲートの中、ゲートを挟んで外側に常連のお嬢様がいた。
お名前がわからないので、田んぼの中で仕事をしている姿から
「猫田(にゃんた)さん」とおよびすることになった。

この前日、犬の言葉を学ぶ「犬語セミナー」なるものを催したばかりだったので
猫田さんと親しくなるためビデオにその会話を納めるべく撮影を開始した。
しかし、予想に反してビデオ撮影中もオスワリを続けていてボディランゲージは現れない。
どうやら直感的コミュニケーションがお得意らしい。

「今日はテントで寝る会があるって聞いたから来たんだけどわたしたちもいれていただけるかしら。」
あいにく、テントには犬たちも入るのでご一緒することはできないの・・・。

そんなやり取りの中、部屋の中でこちらに向かってくるオポの足音がした。
静かな会話もオポの耳に筒抜けなのは驚くことではない。

テラスの柵越しにオポが猫田さんをみること数秒、猫田さんはオポに気づいていない様子だった。
今日はうまくいくかと固唾をのんで見守った。オポがテラスで位置をかえその姿を現した。
とゲート内の猫田さんは猫毛を立てて威嚇。あとは想像のとおり、オポが走り出しふたりは消えていった。

今日もうまくいかなかったなあ、とちょっとがっかりしたけど
がっかりしたのは私とオポだけで猫田さんにとってはどうでもいいことなのだろう。
猫田さんはオポとコミュニケーションを取ろうとはしていないけど、オポのテリトリーには入ってきたいと主張しているだけ。
おそらく、オポが部屋の中で多少の不自由さを味わっているときに猫田さんたちはここの庭で好きに遊んでいるのだろう。
田んぼにも追える虫や動物はいるけど、山のふもとに近いこちらの方がもっと楽しいに違いない。

でも、オポと私はあきらめない。
コミュニケーションってお互いを理解するチャンスだからね。
そうした関係が進んだ方が庭で遊んでもらうのだって気持ちがいいし、お互い緊張しながら過ごすよりも何十倍も素敵な時間になるから。

こうして始まった猫田さんとのいろいろが、次の日もまた次の日も続いた。
とても長くなりそうなので、この後はつづく。

あきらめて帰宅のオポトリミング

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お客様三度:オポという犬と猫のかかわり

その翌日もお客様はやってきた。
室内にいるオポが「ウォン!」の声を発して玄関の網戸の前に走った。

同じく部屋の中で本を読んでいた私の方は、瞬間的に体が反応し、気づいたらオポよりも早く網戸に到着している。
瞬発力は若いときほどは高くはないが、それでもこの年齢にしては高い方だと思う。
長年の犬との暮らしの中でいつの間にか身についた、自分と犬と家の破壊を最小限に抑えるために必要な能力だ。

網戸の前でまさに今その戸口が開かれるのを待つオポ。
とめおけばとめおくほど蓄積するエネルギーは膨大となる。
玄関に出て外をみるとお客様はお帰りになるところだった。

いつもおひとりさまなのに今日はおひとりさまではなかったようだ。
オポとは旧知のとなりの“彼”とご一緒だった。

彼等はひとつ屋根の下に住む家族である。
猫語のわからない私とオポのために犬語の通訳として同伴したのか
前日の不法侵入で保護者を連れてわびにきたのか
すでに帰宅中の彼らからその理由を聞くことはできなかった。
お客様猫は幼少期から“彼”と共に育った仲であり
“彼”がときおり、彼のテリトリーになるこの坂をあがって訪問する

グッドボーイハートへの来客に対して門番をしているときも
ときおりその横で番犬ならぬ番猫をしているのをみかけたものだ。

しかし、この翌日である今日の夕方、屋根裏部屋で作業をする私に変わって番犬の最中だったオポは
何かを待つかのように玄関ホールのカウチに横たわり若干の緊張感をただよわせていた。

ウォン、ウォン!
今度は間違いない。
人ではない、犬ではない、
猫のお客様がきた。

オポの吠える声が猫対応ヴァージョンを作りだし私にもよくわかるようになった。
こうなるとあわてて降りていく必要もない。
「はーい。」と心して玄関におり戸口の向こうを見た。

玄関から正面の道をみるオポ
その先に見えるものはオスワリをするお客様である。

両手の合わせ方から背筋の伸び方までただならぬ方であることは明らかである。
どちらも動こうとしない。

「こちらは動かないからそっちから来たら」
と構えをとるオポ。

でもお客様も面と向かっては近づく気がないらしい。
待てども動かないお客様への対応をあきらめ後ろ髪をひかれるように部屋に戻るオポ。

オポの予測通り、オポが部屋に帰ろうとして動き出した後、お客様猫の方は車庫玄関ゲートの方に向かって歩き出した。どうやらオポのお出迎えなしでここへ入りたいようだ。

車庫玄関の方へ廻るとやはりいらっしゃった。
遠かったけど言葉をきいてみた。
「そこってキャットヒーリングスクールだってきいたんだけど違うの?」
ここはドッグヒーリングスクールなのよ。
「犬も猫も変わらないわよ。こんど一度お願いするわね。」
と返事を待たずに帰宅された。

オポの方は番頭の受付なしに侵入した経路がないかどうか入念に入口の臭いをかいでいる。
今回は無断での立ち入りを防げたことに犬としての体面はたもたれたようだ。

確かに犬と人が命として変わらないように犬も猫も命としては変わらない。
猫のヒーリング経験がないわけではない。
もう少し器量を広げてお客様をお迎えすることにしよう。

でもね。
うちの番頭さんの顔はたててあげてね。

猫さん入口付近-150x150

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お客様:オポという犬と猫のかかわり

今日の朝、この季節の特別な目覚まし、
うぐいすの声を聞きながら太陽の日差しを浴びて目が覚めた。

朝の掛け声に反応するのはいつもオポの方が早い。
わたしの方はいろいろとにぶい。
今日はあたたたくなりそうだね~ とか
昨日はよく眠れたかな~ とか
おなかすいてる?~ とか
要するに寒いからなかなか着替えようとしないだけ。例の「言い訳」ってやつね。

オポはお見通しなので、オスワリをして表情を変えずにじっと私をみている。
次第に自分の言い訳がむなしく、黙って朝支度を始める。
飼い主の朝一番の仕事は「犬のご飯作り」からと決まっている。

オポが無事にご飯を食べ終えた後
変わって私が朝ご飯を食べる最中にはオポはクレートの中で伏せている。
ここにじっとしていれば「のこりもの」が出た時にもらえるかもしれないことをいつの間にか学習してしまった。
その大切な「のこりもの」を机の上においたまま、朝のメールチェックのためにパソコンに集中してしまった。

突然、鼻から息を思い切り吸っている音が聞こえた。
ブフブフっていう音かな。文字で表現できない不思議な音。
と当時にブフッという吠えるでもないけど感情の高まる音を出した。
オポのシグナルである。

そのとき、チリンチリと部屋のドアのすぐ向こうに見慣れぬ音。
珍しいお客様、猫田さんの再来だった。
今日は門番がいない上に玄関もあいていた。
テラスを通って、玄関をとおって、奥のオポの部屋まで
迷わずお越しになれたようだった。

その後に起きたことは想像がつくだろう。
侵入者発見!
人ではありません、犬ではありません、それ以外の動物です
危険分子ではありません、ただ無断で入ってくることは許されません、の流れで
オポは部屋を矢のようにでていき、チリンチリンのすごく早い音が聞こえて
ふたりともあいていた玄関から出ていった。

「じゃあ、また来るわね。」はそら耳ではなかったようだ。
お客様には大変申し訳ないけど ここは予約制だということを今度来たらいっておかなければね。

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珍しいお客様:近所の猫たちの訪問

暖かくなったり、寒さが戻ったり
4月というのに洗濯物はまだすっきりと乾かない。

それでもちょっと太陽が近くに感じるとなぜだか急に元気になって、外に出て伸びをしたりして掃除もはかどる。
玄関は特に大切。お客様をお迎えする場所だし、汚れていると招いていないものまで入ってくる。
と、玄関テラスを掃き掃除中に、今日はご予約をいれていなかったはずのお客様がやってきた。

「あれ、珍しいね。おはよう…」と、はき掃除を続ける私の前に来て
「にゃーん」とあいさつはしてくれたけど
そのままあいている戸口から中に入ろうと進む珍客。

玄関の戸口があいていて夜番を終えて休憩中のオポがいる部屋の戸口もあいている状態。
瞬時に部屋の中でオポがお客様を追いかけるシーンがよぎった。
急いで戸口を閉めようとするのと同時にオポが玄関に向かって部屋の中を走ってくる音が聞こえた。
ぎりぎりセーフ。
ちょうどオポが玄関戸口の前に到着したときに私が戸口を閉めた。

締め出された感じのお客様は少しご機嫌斜めだけど、そのうちまたゴロゴロとのどを鳴らしてテラスに体をこすりつけたりしていた。
その間、戸口1枚の向こう側にはオスワリして面会を待つオポがいる。

大きくて黒いものがいることがわからないのだろうか。
オポが気配を消しているのだろうか。
少なくともオポに殺気がないことだけはお客様の態度からうかがえる。
掃除を続ける私を横目にお客様はテラスを降りていった。
一方的に聴こえた言葉だと「じゃあ、また来るわね。」だった。

帰宅途中も庭で楽しそうなものがないかと道草をしていたので
お客様との対面を待ち望むオポをお見送りのため戸口から出した。

テラスの上で猫をみるオポ。振り返ってオポをみる猫。
イチ ニー サン シー Go!
と見つめ合いの後、オポが走り出すと同時に猫が走り出した。
もしくは、猫が走り出すと同時にオポも走り出した…かな。
似ているようでこのふたつは大違いだけどね。

玄関ゲートがふたりの距離を広げた。
ゲートの前で立ち止まり尾をゆっくりと振るオポ。
それを振り返って座って見るお客様。
見つめ会うこと数十秒。
お見送りは無事に終わった。

動物たちが身近にいる生活はなんだかうれしい。
人と距離の近い動物であれば緊張感も少ない。
少なくとも多少礼儀のある動物なら、一方的にこちらのものを奪ったりもしないだろう。

人と暮らす動物たちのすべてが人のことを知っているわけではない。
また、動物と暮らす人のすべてがその動物について知っているわけではない。
長い長い時間をかけて共に暮らしながら、お互いを知る時間をもう何万年ももってきたはずだけど
親子代々伝え継ぐはずの動物たちとの物語も、伝え継ぐ時間を失うことでいつの間にか消えてしまった。
そのうち外からいろんな情報が入ってきて、いつの間にかそれにすり替えられたりする。

わたしは猫と暮らしたことがないが母が猫のことを話してくれた。
「犬もかわいいけどね、猫もかわいいのよ。」
「お母さんは猫といっしょに寝ていたの。」
猫の話をもっと訊いておけばよかった。

「この本はすごく素敵な本よ。」
といって大切にしていた本を貸してくれた母。

その本は「野生のエルザ」。
トレッキング最中に動物と人のかかわりについて話していたときエルザのことを思い出した。
人の力を借りながらも自然とのつながりを持ち続けるエルザ
動物とのつながりを得ながら手を出しすぎない人間。

犬や猫は野生とはいえないけど、いやいえないからこそ
人は特にこの動物たちから学ぶことができる。

いつかそんなに遠くない日に、オポとお客様猫と私でいっしょになって話したりできるようになるかな。
それを実現するのはオポだけの成長ではなくて、飼い主である私の成長によるところが大きい。

小さな楽しみも成長の積み重ねから・・・ということでまず一歩。

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Posted in 日々のこと, オポのこと

小さな幸せ

都会暮らしではちょっとしか関心がなかったのに、山に来て花が咲く日を待つようになった。
サクラもサクランボも今年も花を咲かせた。

毎日さくらの木の下に立ってつぼみの膨らみをみていた。
今日かな…今日かな…。
都会ではこんな時間をもとうとしなかった。
「さくらが満開」のニュースを聞いて、あわててさくらを見上げたりして。

山道もこの季節は花見で楽しい。

小さなすみれの花も群をなしてあざやかに輝く。
都会にも花は咲いていた。
たぶんすみれも探せばあったのだと思う。
でも、なぜだろう。
ここで出会う花は今までとは違う。
私も違うし、きっと花も違う。
周囲と調和して生き生きと輝いている。

ようやっとすぐ目の前で起きていることに楽しみを感じるようになった。
だから、遠くに楽しみを求めなくてよくなった。
その分忙しくなくなった。
幸せはいつも足元にある。

でもそれは、
暮らす土地と家があって家族がいてこそ生まれる幸せ。
こうしたものを突然失ってしまった方々の元に、一日も早く足元の幸せがかえってくることを祈る。
亡くなった家族はもう戻ってこない。
失ったものはもう戻ってこない。
生きることで生まれるものしかない。
生きることでまた始まる日々を取り戻されることを祈っている。

私が毎日生み出しているもの。
どうでもいい余計なものもいっぱい生み出してしまう。
もうそろそろ、そんなものは製造せずに、周囲が心から喜んでくれるものを創造する自分でありたい。

そうすれば、あの花のようになれるだろうか。
そうすれば、何かのお役に立てるかな。

どうだろう? オポ。

学校を見るオポ

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