グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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庭の闇

台風の接近とともに谷間のここでも猛スピードの風を体感できる。
蝉の鳴き声が消えた瞬間に次の季節の到来を歓迎することになる。

そうはいっても緑の生き物たちはまだまだ元気。
夏だというのに最近の梅雨のような雨と太陽の交互合戦に一番喜んでいるのは彼らかも知れない。

草刈大会を来週に控えてはいるけどこのまま丸投げでは使用人としての責務が果たせない。
ということで今週は毎朝の草刈行に挑むことになった。

昨日は2時間ほど家の北側で草刈をやったつもりだったが実際には半分の1時間をアブと格闘していた。
それも1匹でなく、数匹で総攻撃をしかけてくる。
向こうが何もしないのならこちらも無視して過ごしたいけど体にとまってチクリとするので苛立ちを抑えることができない。
そのチクリは挑発だということは知っている。攻撃のときにはもっと、つまり思わずうめくほど痛い。

相手が犬のときには「挑発にはのらない」ルールの導入は簡単なのに、ことアブとなると簡単に挑発に乗ってしまう。
アブと格闘している自分を客観的にみれば馬鹿馬鹿しい。
タオルでおっても意味がなく高みの見物からいきなり襲ってくる。
脚やら腕やら背中やら、もちろん洋服の上からでも刺す。
はらっているうちに自分でおいた箒の柄につかえて転び、腹が立つやら悔しいやら…。

犬のことに置き換えてみれば答えは簡単に出る。
要するに挑発される自分に隙があるということだ。
アブという生き物と対等になれない。
どこかへいってくれればいいと思っている。
目の前をブンブンと飛び交いうるさく騒ぎ立てる様子を微笑んで見ていることができない。

昨日の学びを今日の草刈に生かしてみた。
今日は彼らの挑発には乗らないと決めた。
どんなにブンブンきても草刈作業に専念し自分を失わないことにした。
あなたがそこにいるのは構わない。だけど私の邪魔をしないで。

結果はいうまでもなく大成功だった。
今年の夏もたくさんの虫さされの跡をこさえ夜もろくに眠れない日々に気持ちが弱くなっていたのかも。

草刈をしていると、のびきった緑の中に「闇」の世界ができはじめ、その「闇」に住む生き物を食べる生き物が集まってくるという
あるひとつの世界ができ始めていることがわかる。
家の周囲に闇夜はつくりたくないという理由で「闇」を払っていくが、住む生き物は逃げ食べる生き物はテリトリー侵害を訴えてくる。

生き物としては正当な主張に過ぎない。
ごめん、ごめん。今度から「闇」ができる前にこまめにするよ。

さて、今年は家の周囲を住処にしているしま蛇のご夫婦に会わなかった。ひとつのシーズンに10回以上は遭遇していたのに。
もしかして・・・食っちゃったのかな、猫田さん?

来年は会えるといいな。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

道の先をいく人。チンパンジーとつながるジェーン・グドール博士のこと。

ある生徒さんからこんな質問を受けた。

「犬とつながりのある人って●●さんみたいな人のことをいうんですか?」
その●●さんとは少し前の動物のテレビ番組で有名な人のことだった。

直接会って話をしたことがないのだから、どんな方なのかは私も知らないけれど
その方と動物の間につながりについて関心はなかった。

「私の中で動物とのつながりがあるのはジェーン・グドール博士ですね。」
その名前に生徒さんは首をかしげていた。
この後みんなにも「ジェーン・グドール博士って知ってるよね。」と
問いかけをして回ったけどほとんどの人が彼女の名前を知らなかった。

初めてジェーン・グドール博士を知ったのはテレビの特集番組だった。
ブラウン管を通して出会ったその人にくぎ付けになった。
チンパンジーのことを話しているグドール博士。
チンパンジーと接しているグドール博士。
それ以来、 私にとっては憧れの人になった。
同時に、遠くにいて近づくことができない人でもあった。

だから興味を持ったら本を読みあさるこの私が
グドール博士の本を一度も読んだことはなかったのだ。

動物とのかかわりについて教師であるその人が
あまりにも遠いことを知ってしまうのが怖かったのかもしれない。
この出会いが私がまだ幼いころであったなら、弟子になりたいとアフリカまで押しかけたかもしれない。
テレビを通してその存在を知ったのは動物と関わる仕事を経験した後、
社会経験を積んでいる頃であったと記憶している。

今回ジェーン・グドール博士の名前を口にして
今ならグドール博士の言葉を受け取れる気がして、グドール博士の自伝ともいえる本を取り寄せた。

本を読み胸に込み上がるものがあった。
良かった。同じ道だった。

ジェーン・グドール博士はすごく遠くにいるし、そしてどんどん先に歩いていくんだけど
でも同じ道を自分が歩いていることとを知ったのだ。
同時に、ガイドとしてみんなを案内してきたことに安堵した。

自分で選択して歩いてきた道だから不安になることはなかった。
でも、その道の先にグドール博士がいることを知ったのだ。
正直にうれしいというしかない。
勇気がわき、もっと近づきたいと思うようになった。

ジェーン・グドール博士がどんなにすばらしい人であっても、「私と彼女は違うから」などと思ったことはない。
私はあの方のように育てられていない。
私はあの方のような経験をしてはいない。
私はあの方のように感じることはできない。

そんなことは「わたしたち」を区別する理由にはならない。
少なくとも「わたしたち」は同じ人間という種である。
そして動物とのかかわりをもつものである。

幼少期にチンパンジーのぬいぐるみとグドール博士が出会ったように、私も6歳のときにスヌーピーのぬいぐるみと出会ったのだ。

「あの人と私は違う」と区別してしまえば、やらなくていい理由をつくることになる。
犬という動物とのつながりについてやらなくていい理由をつくることなどできない。

なによりも彼らの誠実さに答えるべく「動物との真のつながり」という道を
歩みたいと願っているのは自分なのだから。

テント場のオポ2

Posted in 日々のこと

山のお手入れ

来た来た。ついに来た。
待ちに待っていた人たちがやって来た。

それは、あるクラスの最中だった。
ウィーン、ウィーン・・・
ここでは聞きなれた機械の音がどこかから聞こえてくる。

「もしかしてあの音は。ついにわんこ山に来たのかもしれない。」と立ちあがる私に
「こっちから聞こえますよ。」と反対の山を指す生徒さん。
いや、3年もこの家にいるのだから音源はあきらかだ。
家の北側に回って窓で耳を澄ますと、やっぱり聞こえる。
その音はわんこ山のお手入れをする草刈機の音だった。

雑木林に変身を遂げるために3年前に植えた雑木たち。
大きくなって草や蔓を伸ばさないようにするまでは定期的な山のお手入れが必要になる。
自分では到底できっこないので山の専門家の手を借りることになる。
この日「オポ、明日は山にいこうね。」と約束をした。

そして次の日。ドキドキしながら山へと足を踏み入れた。
テラスに踏みとどまっていたオポも私を追って走ってきた。

大藪で何度も行く手を阻まれていた道へオポは少し躊躇しながら進んでいった。
ほらね、すごく風が通るでしょ。
柿の木までくると早速落ちている実を探し始めるオポ。
そして、思わぬことが起こっていることに気づいた。

柿の実がほとんど落ちてしまっていた。
落ちている実はもう熟してしまい
すでに土に還ってしまったものもあった。

木をみると残っているのは1個だけだ。
風で落ちたにしてはきれいに落ちすぎている。
この数週間の間に柿の実は熟してしまったのか。
数個の黒くなった実を口にしたオポは何を知っているのだろう。

でも、8本の柿の木はそれぞれの成長を経てどれも健在だった。
小さいのも大きいのもあるけどちゃんと根を伸ばしている。
実はまだ生りそうにないけどきっといつかその姿を現してくれる。

隣をみると秋の王者がしっかりとその実をつけていた。
数十年を経てこの立派な姿だからね。

いろんなお知らせを受け取りながら山の入口へ進むオポ。
やっぱり山にいる犬はいいな。
家の中にみるのとは全然ちがう。
何が違うって全てが違う。
細胞のひとつひとつが喜びにあふれ
そして彼の中の全てが調和していく。

道に座って全てを感じているオポ。
木を育てているこの山は少しずつ
オポにとって過ごしやすく変化していく。

この日は癒しの場には到着できなかったけど
そう遠くない日にあの土の上にオポと座る日が来る気がした。
たいしたことないことかもしれないけど大切なこと。
犬といるとそんなことも思い出していく。

山に座るオポ-150x150

Posted in 日々のこと, オポのこと

勉強の日

涼しい夏の日が続いていたのでオポの忙しい息を聞くこともなく
「今年は随分と楽だったね。」といっていた矢先だったのに今日は随分と暑い1日となりました。

暑かったのは天気のせいだけではなさそう。
ドッグスピリッツの勉強会に15名ほどが一部屋に集まったので
みんなの熱気と体温で室温がかなり高くなってしまったみたい。
なにしろエアコンとかはないからですね。

汗をタオルで拭きながらいどんでいるのはロールプレイング。
練習しているのはドッグスピリッツのメイン活動である

わんこお助け隊による無料しつけ方相談会の実践について。相談者役、書記係、カウンセラーの3名にわかれて
ローテーションをしながらそれぞれの仕事を体験してもらいました。

「頭の中にはいろいろ出てくるけど言葉にならない」
「質問をしたいけど何を聞いていいのかわからない」
「普段からいかに自分の犬のことを見ていないのかがわかった」
反省だけでなく、課題に応じて気づきも得られたようで
日々の犬との生活の中に役立てられるとよいですね。

ボランティア団体で行う「しつけ方相談会」なので
プロフェッショナルのような役割は担っていません。

犬のことで相談したいという飼い主さんとしっかりと向き合って話を聞き
「いち飼い主」としていっしょになって悩んだり考えたりして
悩んでいるのはひとりじゃないよということを伝えながらちょっとだけ
犬の行動や犬が必要としていることについて話しをしています。

「どうすればいいのか」を考えるのは飼い主本人の役割だけど、それを考えるにあたってヒントにしてもらえるような言葉をいくつか出せるようになるといいですね。

「こうしたらいいですよ」という口出しはよさそうにみえるけど
考える力を奪ってしまうし、実際そんなものはどこにもありません。
口出ししたいときは自分が余分に知っていると思っているときかも。
そういう時こそたいして知ってはいないんです。

ちょっとだけ知っていることを話したくなるだけ。
悩んだり考えたりすることを待てるようになるくらい信じる気持も大切ではないかな…と思うのです。

相談会のメンバーとして活動に参加するとまだまだ何も知らないのだということも良くわかるかもしれません。
そうしたら「また落ち込む~」かもしれないけど学んで知った気にならないための良い場となりますよ。

そんなことで、ドッグスピリッツではいつでも仲間を募集しています。
グッドボーイハートにご縁のない方ももちろん歓迎しています!

Posted in 日々のこと

山で暮らすこと

世の中は“地デジ”とやらでいろいろと忙しいようだけど、テレビのない生活をしている私には外の世界のこと。
「テレビくらい買いなさい」といわれたこともあるけど、必要がないのだからいらないものはいらない。

みんな知っているのに私は知らないことが増えていくけど、別に“おいてけぼり”にされている不安は感じない。
もはや流行の芸能人の名前など全く知らないし、新製品のCMなども見ることがないから何が新しいのかも知らない。
ところが、今のところ生活に困ることもないしとにかく関心がない。

関心があるのは、今日部屋の中に何匹の蚊が侵入してきたのかということ。
庭の草がどのくらい伸びてきたのかということ。
山の木の実がいつ実をつけはじめたのかということ。
何時になったら陽が昇って、何時になったら陽が落ちるのかということ。
オポが何をして何を感じて何を語っているのかということ。
そして、自分が何をして何を感じ何を言葉にできるのか。

テレビを手放そうと感じ始めたのは都会の時代。
多忙な生活の中でテレビをただ眺めることで自分を失くしている感じを得たから。
テレビが悪いのではなく、私のテレビとの付き合い方があまり良くなかった。
そもそも生活というものを大切にしていないから当たり前だろう。
ということで、オポオススメの山暮らしで「生活する」ことを学ぶ。

ところがこの山暮らしには大変なことがたくさんあった。
そのひとつが草刈。

今日はグッドボーイハートの助っ人を得て庭の草刈り&藪刈りに挑んだ。
いつかいつかが今日となり、庭の草は相当生い茂ってしまった。
予定の1時間を大幅に超えてよい草刈の時間を過ごすことになった。
汗をたくさんかくので体の老廃物が一気に出ていく。

不安定な場所に立つことはグランディングの実践になるし
おそってくるアブにひるまないことは強さ試しにもなる。
そしてなにより、何も考えずに目の前にあるものにだけ向き合うこと。
そのうち目の前にある草ではなく自分に向き合う時間ができる。
そんなことをみんなへの呼び水にしているけど
呼びこみ用の宣伝じゃないから実践して体感してほしい。

もちろん草刈が大変でないとはいわない。
でも草刈が生活となると、大変だとは言ってられない。
やらなければいけないことはやらなければいけない。
やるのだったら堂々と向き合っていきたい。

今日、草刈中に急な斜面で滑り落ちそうになったとき、ある映画の中のセリフが浮かんできた。
「使命に向かわなければあるのは苦難だけ」
この映画では魔の指輪をたくされた青年が生死をかけて使命に挑む。
でも使命って毎日の生活の積み重ねだと感じるから、生活の中でやるべきことを使命と受け取ると自然と勇気もわいてくる。

草刈の後に山の育てた恵みの梨をみんなでいただいた。
梨の実は本当においしかったけど、おいしい理由はそれだけじゃなく、感謝していただく気持ちもいっしょだったから。

オポは庭にでるといつもより遠くまでマーキングに行った。風が通り行動しやすくなったんだろう。

そんな小さな出来事がうれしいから
しばらくテレビを見ることはないかな。

世の中のことは「1分ほど手回しで電気を充電させると1時間は聞けるラジオ」があるから大丈夫かな。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

一足早く

台風が通り過ぎていいく間涼しい風で一息ついた。
涼しいから草刈りも調子よく進み庭はちょっとした空間を取り戻した。

こうなってくると調子づいてくる。
「お山いこっか。」
久しぶりにギャロップで山への道を駆け上がるオポを見た。
すでに何かすることが決まっているかのような足取り。

少し進むとあの「青い実」のなっている木に到着した。
なんだか今まで見たのと感じがちがう・・・。
オポは木の下をフンフンと臭って何かを探している。
やがて探していたものを口に入れてポリポリと食べ始めた。

のぞいてみるとそれはあの「青い実」だった。
青い実のついた枝がいくつも落ちている。

つい昨日山道の草刈のお手伝いをして下さったときに刈られたようだ。
通行の邪魔になったのかのれんになっていた枝部分を掃ってあった。
枝には7、8個の青い実がついたままだった。はそれを食べていたのだ。

この実は今年はじめてできたものでオポがここでこの実を食べたことは一度もない。
それに青くて小さい実は甘い臭いもおいしい香りも全くしない。
こんなに青いものを食べて消化するのだろうかという現実的な疑問と同時に、私の中にはオポに起こっているこどがはいってくる。

いつか熟して地面に落ちて食べるはずだったその実を、その木の下で食べることになっていたことをオポは知っていたに違いない。
まだその実は熟してはいなかったけど、約束通りオポがそれを食べることになった。

そして、その折れた枝をみながら、大切に思ってきたこれまでの時間という過去と
オポが食べることを楽しみにしていたまだ来ていない未来が少しなくなったような気がしてさびしい気持ちになっていた。

でも、オポは違う。
犬は人のように過去や未来のことを考えて期待したり憂えたりはしない。
もちろん彼らには今しかない。
すばらしいのは今起きていることでそのことを充分に楽しんでいる。

でもオポといるとそれだけではないと感じるようになった。
うまく伝えることばを今は持たないけど彼の過去も現在も未来もすべて彼と共にあると彼自身が受け取っているということ。
だからこそ今起きていることから最大の喜びを得るけど今に執着する必要がないのだろう。

そんなことを思いながら下りる途中でねむの木とすれ違った。
ここに移ったときに庭では一番の大きな木だった。
残してほしいと頼んだけど、藪刈りの途中に誤って切られてしまった。
そのねむの木は4姉妹となる枝を伸ばしつづけた。
きっとそのうちピンクの花をつけるほどになるだろう。

折れた柿の木の枝をもって家まで降りてきた。
きっとこの枝の育つ未来は他の枝が担ったにちがいない。
思わず青い実の収穫を得たオポの方はその実の力を自分のものとした。

かきのみ

Posted in 日々のこと, オポのこと

夏の戦い

ある明け方、蝉たちが一斉に産声をあげた。
ついに来た。本当の夏がやってきた。

裏庭に広がる草藪に住む虫たちとの戦いが続いている。
全ての条件が整わないと生存しない虫がここにはいる。
おそらくちょっと山を下ればお知り合いになれない虫たち。

その中で一番やっかいでどうにもならない刺し虫はヌカカと呼ばれている。
このあたりでは「しのぶ」という名前らしく、本当に忍んでくる。
網戸も通過し、最強の蚊帳も平然とくぐって哺乳動物の生き血を吸いにくる。
起きていても寝ていても刺されるのだからどうしようもない。
吸血するだけならさほど苦にはならないのになぜか猛烈にかゆく痛い。
1日複数の刺し傷に痛みとかゆみが数週間も続くのだからこんなに不快なことはない。

さすがのオポもヌカカにはやられてしまう。
外に出ると一度に10ケ所以上、それも腹部を狙ってくるから大変な腫れようで
痛々しいその傷にどくだみの葉をもんでぬると赤みは数分もすれば引いてしまう。
かゆみも痛みも感じないのかオポはそう長くそのことを気にしたりはしない。
要するにそんなにかゆくて痛いのは自分の抱えている問題だということ。

ローリングサンダーだったらビネガーの瓶を差し出して
「そうした問題はどうにでもなるものだ。」と、いうだろう。
そこで、私も毎日のように酢を体にいれ毒をできるだけとらないように生活の基本に戻る。

まあ、そんなことをしていても窓の外をみると生い茂った草と暗闇。
こんな快適な生活空間を虫に提供していることがいけないのだ。
ひろがる藪に虫のとびかう戦いの場に鎌を持って出るにはエネルギーがいる。
泣き寝入りして毎日増える虫さされの後を数えるくらいなら立ち向かうしかない。

ちょっとした恨みつらみなんかがあるのであれば、「こんちくしょう」と思いながら草を刈るのかもしれないけど
そうした思いが今のところはない。
考え事をしながら草刈をしているとケガをすることはすでに経験した。
目の前に立ちはだかる草に目をそらさず向き合いながら、ただひとかりずつ鎌を振ることに集中していた。

虫のことも、この先どのくらい刈らなければいけないかも、今日どのくらいしなければいけないのかもなにもかも忘れ、目の前に今ある草のことだけをみながら1時間の草刈が終わった。

何かに立ち向かおうとするときは焦りも目標も絶望も捨てて、今できることをとにかくひとつしようと行動を起こすことにする。
そう思ったときからそしてひとつ行動を起こしたことから、不思議なことに虫さされのかゆみがなくなっていた。
「なんで刺されたんだろう」「これからどのくらい刺されるんだろう」と不安になったり怖がったりおびえたりすることの方が、自分の内面を悪くしていることがはっきりとわかる。

オポの腫れがすぐにひくのはそもそも彼がそうした状態であるからだ。
草刈の時間にはいつもオポがそばにいて見張り番をしてくれた。
でも、今日はひとりで立ち向かった。
11歳という扉を開けたオポにはゆっくりとする時間が必要だし、私ができることはひとりでやらなくては。

頭からつま先まで汗でびっしょりとなり部屋にはいると、オポが生き生きと私を待っていた。
「なんか大根かなんか落ちてなかった?」
そんなもの探してたんじゃないよ、オポくん。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと, オポのこと

生きていく場

長雨がつづいているけど梅雨というほど蒸し暑くもなく
この季節に恒例の雷が訪れることもない山は、やっぱりなんだかさびしくそれに元気がでない。

そんな季節だけど生き物たちはちゃんとやってきてくれる。
朝起きて外をみると、いつもと何かがちがう。

変わらない環境の中に見知らぬものをキャッチすると、環境が変化したということを脳が教えてくれる。
こういうときには、もちろんもっと詳しく確認する必要がある。
ということでカーテンを開けてみた。

猫田嬢様である。
朝早くからお仕事に精が出る様子。
見ているのはさくらんぼの木・・・ではなく
さくらんぼの木になっている実・・・でもなく
おそらく、その実を食べにきている小鳥たちだね。

この絵図にオポをくわえようとしたら
「さくらんぼの木の下にうろつくオポ」となる。

さらにこの絵図に私もくわえようとしたら
「さくらんぼに手をのばしてその実をとっている私」となる。

さらに加えることのできる生き物がいる。
さくらんぼの甘い汁をすって生きている
飛ぶものたち、ちぢんだりのびたりするものたち、
こうしたいきものの数が一番多いものね。

こうしてみると、誰が一番上ということはないけど
以外に猫田さんが一番大変な気がした。
たくさんあるさくらんぼの数よりも、それをたべている小鳥の数の方が圧倒的に少なく
またそれを捕ることのできる確率はほんの少ししかない。

それでも自分に与えられた能力を最大限に使えば、生きていくことのできる環境。
それが、動物が暮らす環境ではないかな。

そう考えるとそういう環境はそれほど多く残ってはない。
でも、もっと昔にはたくさんあったはず。

そして環境は変化して今にいたった。
大切だと思うものを取り戻したいと願うことでやはり環境は変化していくのだと思う。

動物にとって大切な環境ってなんだろう。
猫田さんの狩の姿をみながら、そんなことを感じていた。

いつも気づきのチャンスをありがとう。

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[2011年06月18日 │ 日記]

Posted in 日々のこと

青い実のお知らせ

猛烈な陽ざしの到来に梅雨があけるのかなとドキドキ。
長く寒い冬の後だから暖かくなりたい気持ちはいっぱいだけど、夏というのは動物にとって最も厳しい季節だと感じる。

でも、うれしいお知らせもたくさん受け取ることができる。
降り続く雨の日々、成長し続けているのは山の緑の仲間たち。
ほんの数日で数十センチも背がのびているものたちもいる。
まるで競争のように高く高く。

一気に伸びあがるのっぽ姿は成長期の男の子みたい。
強い風にあたって倒れそうになっている木もみられる。
背が高くなって周囲の草木を越せば風あたりが強くなるのはどの世界も同じこと。

そんな成長期の木のひとつが実をつけているのをみつけた。
柿の実だ。

青い実のなる枝の真下を背中をこするようにオポが通過する。
青い実はまだオポにその存在を知らせない。
オポがこのことを知るのはいつなんだろう。
そしてどうやってこれを知るんだろう。
そんなことを考えているだけで楽しい。

台風がきて柿の木が倒れてしまわないかな。
支えをつけたりしなくても大丈夫かな。
こんな心配もときおりついて回る。

まだ食べられないこの青い実がもうすぐ手にはいることを考えてしまうとなんとしてでもそれがほしくなる。
こういうのを「欲」っていうんだろう。
実の数を数えてしまったら10個が8個になってもさびしい気持ちになるのかも。
必要なものは全て与えられている。
そんな教えを思い出して、私も柿の枝ののれんをくぐる。

オポと生活をしながらこの道を歩き始めて2年半がたった。
道の中で知り得たことを共に学んで下さる方とごいっしょすることができた。
2年半をいっしょに歩いてきた方の中にも少しずつ変化が起こり始めていることを知る。
柿の青い実が知らせてくれたことだった。

何も心配することはない。
太陽が輝き雨が降り土が養分を与える。
風が吹いて倒れることがあっても、倒れたところから伸び続けるのが木。

わたしたちも木のように毎日育ちながら、小さな実を付け始めるころなのかもしれない。
きっとその実はいつか他のために役立つかもしれない。
そのことを自分も、そしてそれを受け取るものも今は知る必要がない。
大切なことは今自分に起きていること。

青い実は喜びを与えてくれた。
これは結果ではなく達成でもなくただ道の途中でみたひとつのすばらしい光だった。

2011/06/27 15:45

Posted in 日々のこと, オポのこと

宝さがし

エールをいっぱいいただいてオポは元気になってきた。
11歳という年齢を受け入れながら、ゆっくりと歩くようになり
休み休みではあるけれど、山仕事を復活しはじめた。

日課の他に、オポとわたしには季節ごとに楽しみがある。
この季節といえば…。なんだかわかりますか。

何かをさがしているオポ。

鼻は全開。
静かな山にはフンフンフン、ボコボコボコと
オポの鼻息が響きわたっている。

そう。
正式な名前はしらないけど、さがしているのは「野いちご」。

山に手入れをしていただいて今年で4年目になる。
手入れの前は杉林だった。杉も大切な木だけど、暗くて草が育たない。
杉林を雑木林に育てるために人の力をかりて、わんこ山には雑木が植えられた。
小さな雑木の足元に生まれた野草は、毎年その種を増やしている。

野いちごもその仲間のひとつ。
昨年はほんの少しだったのに今年はすごくいっぱい。
「いちごとり行こうか」でオポにエンジンがかかるようになった。

昨年まで多かったのは、食べられない「へびいちご」
食べられる野いちご と少し違う。
へびいちごはサイズが小さいらしいけど、この山のへびいちごは野いちごとそう変わらないくらい大きい。

はじめはオポが間違えて食べてしまわないかと疑ったが、見事に間違えない。
ごめん、オポ。君って犬なんだものね。

野いちごのすぐそばにあっても、へびいちごには口をつけない。
こういうことを「知識」っていうのだろう。
知識と出会える環境に暮らすと動物はおのずと安定してくるように感じる。

いちごさがしに夢中になるオポのそばで私のすることは
番人…。
いちごをさがしているときのオポはかなりの集中力。
その分周囲へのセンサーは落ちている。
私は蚊に囲まれながら、周囲への警戒を欠かさない。

そのうちオポがひとりで食べに来てくれるようになるといいんだけど
山暮らしが短いオポにとって、このことが日常になるにはもう少し時間がかかりそう。

私が蚊に刺されなくなるのが早いか、オポがひとりで山に入れるようになるのが早いか
いずれにしても、今年はどちらも成し得ない予感がする。

大好きなメロディが聴こえてくる。
ストロベリーフィールズよ永遠に。
「ストロベリーフィールズっておとぎ話じゃなかったんだね」

2011/05/31 12:51

いちごさがし3.0531

Posted in 日々のこと, オポのこと