グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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トレッキングクラスのアフターコーヒーが美味しい!その単純な理由とは。

七山でのトレッキングクラスの後に、時間に余裕のあるときにはお茶をお出しするようにしています。

特に寒い冬になると暖かい飲み物をいただきながらゆっくりとお話を聞きたいですし。

それでセレクトしていただくのですが多くの方が「コーヒーをお願いします。」と言われます。

実は私もコーヒーが大好きなので、いっしょにいただきます。

といってもそんなに有名なお店のコーヒー豆ではなくて、普通のワンパックになっているスーパーで購入できるコーヒーです。

そのコーヒーを飲んで下さった生徒さんから先日も「コーヒーが美味しい」とほめていただきました。

結構ほめていただけるのです。

もちろんお世辞もあるとは思いますが、本当に美味しいと思います。

なぜトレッキング後のコーヒーは美味しいのでしょうか?

一番はやっぱり「水」です。水が井戸水なのですが、普通の井戸水といっても山からずーっと流れてきた山の下からくみ上げた水です。

グッドボーイハート七山のある場所が唐津ではかなり高い場所にあるので、水は格別まろやかです。塩素も入っていないし土にさらされて透明になった水です。

犬たちも水道水はなかなか飲まないけれど、井戸水はよく飲むということもあります。

そういえばオポも博多から七山に引っ越してきたときは体の中が全部入れ替えられるのではないかと思うくらい、湧き水を飲んでは排尿するをひたすら繰り返していました。

体を内側から洗っているように見えました。

トレッキング後のコーヒーが美味しいもうひとつの理由は、犬といっしょに時間を場所を共有して豊かに過ごした後だからかもしれません。

犬と人がいっしょに呼吸を合わせて山歩きをするというのは、とても原始的な行動なのです。

だから関係も昔に戻りよりシンプルになります。

そんな時間を過ごした後だからこそ、いいものはいいとわかるのかもしれませんね。

その辺のコーヒー豆でいれたコーヒーをほめていただけるのは本当にうれしいことです。

毎回準備できるわけではありませんが、できる限りお出しするようにしています。

トレッキングいつまでですか?と聞かれたのですが、1月も2月も3月もずっとトレッキングクラスは開催しています。

トレッキングのあとに暖炉にあたって暖かくしていただくこともできるだけですが頑張ります。

ひとりでいろいろとできないことも多いのですが、クラスに参加される生徒さんたちが自分たちでいろいろとして下さるので、それに甘えながら一緒に体験&体感を続けていきます。


 

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こんな時代でも犬と楽めることを続けてきて良かった

紅葉の終わるこの時期、山では一番活動ができる季節です。

気温良し、スズメバチいない、葉が落ちて山全体がよく見渡せる、体が動く。

山の手入れを急がなければいけないと気持ちだけが焦る中、助っ人参上で助かりました。

グッドボーイハートで学ばれ生徒さんが手入れのお手伝いに来てくださいました。

すでに犬ちゃんは他界。

今は自然と関わる様々な楽しみを生活の中に取り入れていらっしゃるようで時々お逢いしてお話を聞くのも楽しい時間です。

グッドボーイハートの尾歩山をいっしょに育てて下さったので、私がしっかりやっているかどうかチェックも含めてのお手伝いかと心から感謝いたします。

昨年の今ころは、まさか世界中の人間がマスクを着けて歩く姿など想像できなかった時代がやってきてしまいました。

旅行もイベントも自粛…。

こんな時代だけれど山で犬と過ごすことは以前と少しも変わりません。

昨年のこの時期も「早く山の手入れをしなくちゃ…」と預かり犬ちゃんを連れて山に入っていました。

やっていることは全く変わっていないし、これが一番楽しいし、これが一番学びになると昨年よりもずっと強く思っています。

今日あたりは北風の吹く風がときどき強まり「冬が来るよ~」となんどもお知らせが入っています。

昨日午後は福岡でのトレーニングクラスを開催し、こうして今は七山に来て犬といっしょに山歩きをしている。

人からよく「先生もお忙しいですね。」と言われるのですが、今はこの二つをつなぐことば役割なのだからさせていただくことはありがたいことです。

日本の山や田舎はヨーロッパのように管理されておらず暗い雰囲気が漂って人があまり寄り付きません。

でもそれは、近代になって小さな日本という国土の中で田舎から都会に向かってたくさんの人々が流れ出てしまったせいです。

こんな時代だからどこでも仕事ができると、今は郊外や田舎に家を探している人も増えていません。

芸能人のキャンプや山暮らしもYouTubeにアップされるようになり、これからは都会から田舎に向けて人が流れていく時代が来てくれると田舎はもっと洗練されて居心地よくなるでしょう。

そしたらきっとその自然あふれる里山に犬たちの健康な姿を見ることもできると想像します。

妄想とイマジネーションの違いがあるとしたら実現の可能性のある想像の方は、今できることをどれだけやっているかどうかなのではないかと。

犬の生涯は人の十分の一です。

だから毎日を大切に実現に向けて世界を作っていきたいのです。

福岡と七山を結ぶ「ドラえもんのどこでもドア」ができたらいいなと次世代につなぎます。

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開拓のドラマ「大草原の小さな家」に見る犬の姿

お預かりクラスの合間に七山の尾歩山の刈込みに疲れてきて、何か励ましになるような物語を見ようと思いついたのが「大草原の小さな家」でした。

テレビ放送されたアメリカドラマですが、あまりにも古すぎてそれなりの年齢の人しか知らないとは思います。

アメリカ大陸を開拓する移民のお話なので、先住民族との複雑な歴史など正確に描かれているとは思えませんが、大地を開拓する過程にはリアル感を感じます。

その大草原の小さな家の最初の最初。シーズン1のエピソード1を見たのですが、なかなか感慨深いものがありました。

① 犬の話から始まったこと

② 馬・犬・牛などの動物が人の生活を支えていたこと

この二つです。

 

① 犬の話から始まったこと

 

大草原の小さな家の1回目の前半は犬の話でした。

新しい土地を求めて移動する父、母、娘3人。そして同伴するのは中型犬(日本では大型にはいる)毛足の長いテリア種の犬でした。

テリア種はネズミなどの害獣を取るのが役割の犬です。

おそらく大陸に渡る船に乗せられてきた犬の末裔なのでしょう。

そのテリアのジャックという犬は開拓のために移民する家族の一員として暮らしています。

新しい土地を求めて移動する家族を乗せた馬車に寄り添いながら走り続けます。

実際に馬車に同伴できる犬もいたのでしょう。

犬はかなり長く走ることができる動物でしたがテリア種になると脚も短くオオカミのようにはいかなかったはずですが。

さらにジャックは毛むくじゃらなのにかなり汚れているしとてもシャンプーされている様子はありません。

ジャックは屋外と室内を出入り自由で、日ごろは家族と家畜を守るための番犬として大切にされています。

一度だけ家畜の場所につながれるシーンがあります。

ジャックをつなぐ父親に「今まで一度もつないだことがないのに、かわいそう」と同情する娘。

犬をつないだ綱を外そうとした娘が強く怒られます。

犬をどのように扱うのか厳しいルールがあったことがうかがえます。

そして何よりも、ジャックはよく人のいうことをききます。

子供たちの言うことももちろん聞きます。

子供の外出について来ようとする犬に「ジャック。ゴーホーム。」といって家に戻ることを教えます。

犬はそれに従い家畜場に戻ります。

「家にもどりなさい」の合図。

「オイデ」よりももっと難しい合図です。

犬と人の関係を考える上でとても考えさせるドラマです。

 

② 馬・犬・牛などの動物が人の生活を支えていたこと

 

大草原の小さな家の第一話にはたくさんの人と暮らす動物が登場します。

移動の際には馬車が活躍、馬の扱いを知っていなければ大陸を移動することもできません。

畑を作るには牛が必要です。

牛の扱いと管理は絶対でした。

そして鳥を育てて卵を食べること。

そして何より犬の存在の大きさが心に響きます。

動物を利用しているといえばそのとおりです。

動物の持っている能力を利用して人の生活を豊かにしようとする。

可哀そうだと思うかもしれませんが、みなさんのそばにいるお人形のような風貌の犬たちも同じ目的で販売されているのです。

考えなければいけないのは、彼らが動物として幸せに生きていくということはどういうことかということです。

動物福祉という言葉についてそろそろ考えてみる時代です。


 

 

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可愛らしい女子犬ちゃんたちの戦いがあまりにも犬すぎて逆に微笑ましい

先日、可愛らしいメスの犬ちゃんを2頭お預かりしました。

それぞれ別の家庭で暮らしている犬ちゃんたち。

犬種は同じだけど、年齢は多少違います。

どちらもあまり他の犬とのコミュニケーションや関係作りが上手ということでもありません。

その日は福岡でのお預かりになり、あまり慣れていない2頭は今回は対面させずにお返ししようと思いました。

むしろ、対面させない状態でお互いの庭やクレートでの過ごし方がどのくらい変わるのかを観察したいと思いました。

どちらの犬ちゃんも普段は大人しいものの飼い主さんへの自己アピールはある程度強い感じです。

家庭で抱っこされながら育った犬ちゃんは、私が一番!私が女王様!と思っています。

トレーニングでクレートで休むこともちゃんとできるのですが、ちょっとしたときにクレートの中から気配を醸し出し「あのねー。用事があるんですけど!!!!」と主張することがあります。

実際に2頭の犬ちゃんたち、単独でのお預かりでは状況によってクレートの中で小さなアピール音を出すことがありました。

しかし今回、ふたつのクレートが同じ部屋の端と端においてある状態で、お互いに全く気配を消していました。

その気配の消し方はもはや忍法としか思えないほどのすばらしさです。

泥棒が入ってきたとしても、絶対にそのクレートの中に犬がいるということに気づかないでしょう。

見事な気配を消す2頭の犬ちゃんに関心すると同時に、庭での攻防が気になりました。

 

お庭を交互に使って遊ばせてみました。

庭に出たときには、それぞれがまず周囲を探索して、自分がここと思う場所で排尿や排便をします。

ここと思う場所で休んだり、遊んだりすることもあります。

この可愛らしい2頭の女子犬ちゃんたちはどちらもが「わたしが女王様」だと思っているのに、庭に別の犬が排尿をしていることを知ります。

そこでお互いに排尿と排便によるマーキング合戦が始まりました。

普段よりも排泄回数が増えて、排尿の場所ややり方、排便の回数まで変わってしまいます。

 

犬と犬の対決といってもオス犬とメス犬では多少関わり合いが違います。

動物には相違がありますが、この性別による違いは人と似ているところもあります。

オス同士の戦いは分かりやすく正面衝突、つまり「やれんのか(猪木節)!」的にメンチをきる喧嘩だったり、もしくは目をそらして戦いを避けたりすることもあります。

ところがメス犬とメス犬の戦いの場合には、あくまでけん制攻撃的なモードで張り合います。

まずはマーキング合戦です。

排尿と排便を使ったマーキング合戦ですが、当然のことですがオス犬もすることがあります。

ただオス犬の場合にはそのことが直接対決を引き出すきっかけになることもあり、目の前に相手がいるときには慎重な犬もいて経験数も行動に影響しているようです。

さて、女子犬ちゃんのマーキング対決に戻りますが、その犬ちゃんたちの排尿や排便の様子を見ながら、見かけは可愛らしいけれどやっぱり犬だな~と当たり前のことを思いました。

排泄物で臭いをつけて自己主張をするという行為があまりにも犬でほほえましくさえ思えました。

今回は同じ場所に2頭を出すことがなかったため、けん制的な行動で終わりました。

しかし排泄物をお互いに嗅ぎあったことで、お互いの性別、年齢、経験、そして性質に関わる情報までも相手に提供したことにもなりました。

もし今度2頭が対面したときには「あのときのあんたね。」となるわけです。

飼い主さんがいれば吠えるか逃げるかして対決を避けるでしょうが、飼い主さん不在の対面ではどうなるでしょうか。

犬と犬はいつでも仲良し、うちの犬は誰でも大好き、誰とでも仲良くなれるなんてそんなうそっぽいことを思いこむことはもうやめましょう。

自分が一番だと思っている犬はたくさんいるし、実際におうちでは本当に一番の女子犬ちゃんなのです。

そんな犬ちゃんたちの対決ですら、犬と人の難しい関係性よりはずっとシンプルなものです。

次回の直接対決が今から楽しみです。

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犬が成長する環境整備のために木々の育つ環境を整えています。

程よく暖かく程よく冷たい風が吹く秋の日。

山で作業をするには最高の気温です。

今日はお預かりクラスの利用で到着した犬くんをお伴に、年に数回しか手入れに入れない尾歩山の東側の斜面の手入れに突入しました。

棘のついた雑草やらカヤやら笹やら葛やら…。

山の木々の成長を阻害するものたちを鎌、はさみ、のこぎりの山の手入れ3種の道具を駆使して刈り込んでいきます。

お供の犬くんは作業する私の周囲で番犬をしてくれるので調子にのって2時間ほど続けました。

なぜこんなに苦労して山の手入れをしなければいけないかというと、この尾歩山の中で成長する犬たちがいるからです。

犬の成長と発達のために、何よりも必要なのは環境を整備すること。

生徒さんたちに常々お願いしていることですが、実は私もこうして環境整備を進めています。

室内環境の整備や、寝床を準備することや、お散歩のコースを選択することや、床材を整えることや、部屋に仕切りを作ること、テラスやベランダを整備することの全てが、犬が安心して成長できる環境を整えることです。

同じように私もこの尾歩山を安全かつ安心して活用できる場となるように環境を整備する責任を負っています。

いつもトレッキングクラスに利用している道だけを整備しているのではありません。

みなさんが普段通行しない尾歩山の全ての木々がちゃんと育って森になるように育てているのです。

木々を育てて健全な森をつくるには木々の育つ環境を整備しなければなりません。

犬を育てて犬の健全な心身をつくるには、犬の育つ環境を整備しなければなりません。

環境を整えていないのに、犬をほめたり叱ったり、ごほうびを与えたり罰を与えたりしても、何も変わらないどころか犬は壊れていきます。

それは私が山の環境を整えていないのに、肥料を与えたり、ロープをかけたりするのと同じことです。

木々の根が育つように、犬の脳内では神経がきちんと発達していきます。

犬が心地よく過ごせる環境が整えられていることが何よりも大切なことです。

犬は人間ではない、犬は人よりもずっと自然に近い動物であることをこれからも尊重したいと思います。

この季節だからこそできる山の手入れを今年も楽しみます。

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“警察犬が山で逃走した事件”についての個人的な考え・犬の衝動性について

少し前のニュースになりますが「警察犬が逃走したので地域に注意を呼び掛けている」というニュースが耳に入りました。

私がラジオのニュースで聞き覚えた内容はこのようなものでした。

・警察犬が山で逃走した

・逃走した警察犬は2歳でよく訓練されている優秀な犬だ

・警察犬は行方不明者の捜索のために警察官などと共に山に入っていた

・警察犬といっても大型犬なので地域に注意を呼び掛けている

そして翌日だったと思いますが「警察犬が保護された」というニュースをまたラジオでききました。

・行方不明だった警察犬が無事に保護されました

・警察犬はリードが木に絡まった状態で捜索中の警察官に発見された

・見つかったのはいなくなった場所から100メートルくらいだった

・発見されたときに興奮していた

・警察官から魚肉ソーセージなどをもらって食べた

こんなニュースでした。

 

ニュースの内容も事実と相違があることがありますので本当にこうした経過だったかどうかは分かりませんが、そうだとしての私の意見です。

そもそも捜索活動中の警察犬が行方不明になってその警察犬を捜索するというのですから、不思議なことになったのだなと言葉もありません。

山で犬が逃走したの理由はおそらく「衝動的に走り出した」ということだけです。

他の動物の気配などで走り出した可能性は十分にありますが、野生動物は犬の衝動的な行動を引き出すもっとも強い動機です。

よく捕獲本能が芽生えて動物を追いかけるといいますが、捕獲本能というのはそれほど単純なものではありません。

むしろ、わかりやすい言葉でいえば「ビビッて走り出した」ということです。

怖いものがあったら逆の方向に逃げそうだと人は思うでしょうが、監禁されている動物になると怖いものがあるとそれに向かって走り出すという行動になります。

街中で身動きがとれなくなったイノシシが人にむかっていきなり突進してくるような感じです。

 

見つかった場所がいなくなった場所から100メートルくらい。

ということは犬の移動距離能力を考えると本当にすごく近いですので、人や犬がワイワイといる中に戻れないわけはありません。

衝動的に走り出したが一定の距離を走って自分を取り戻した、しかしそのときにはリードが木に絡まっていて身動きが取れなかった、ということでしょう。

身動きが取れなくなっって周囲に動物の気配があれば、自分も気配を消すのが一番の身を守る方法です。

ここではちゃんと気配を消していたので、見つけてもらったときには大興奮となったと思います。

吠えて人を呼べばよかったのにと思うかもしれませんが、そうしなかったのは冷静な行動でした。

 

しかし、リードを付けたまま捜索しなければいけなかったこの警察犬は、行動の安定性からするとまだ信頼性は十分ではなかったのか、それともそのリードはほんの短いものだったのかが定かではありません。

いずれにしても「衝動的に走り出した」行動をした時点で、フィールドに出る使役犬としては「まだまだ」であったと言わざるを得ません。

犬の衝動性は「ごほうびと罰」でコントロールすることができません。

犬をほめたり叱ったりする方法で訓練をしただけでは、犬の衝動性を管理することはできないのです。

そもそもその犬の衝動性を制御できるのは「犬自身」出会って他者にはそれができないのです。

ではなぜ逃走しない人と共に活動できる犬を育てることができるのか。

答えはとても簡単です。

犬が「個体」よりももっと大切だと思うものを自分の中にもっている時です。

「個体」よりも大切な「群れ」という存在の一部であることを犬が知ったときにはじめて犬は自分の衝動性を抑えることができるようになります。

この抑制は「それがいい」とか「それが悪い」といった価値観をもってされるのではなく

衝動的になることがないという行動の変化で訪れてくるのです。

犬と人。違いもあれば似たところもあります。

犬が山で逃走したと聞くと「動物の本能で…」などと失礼な解説をする人も出てくるのもしれませんが、人だって何か別の生物に拘束されてしまえば、何かをきっかけに衝動的に走り出すはずです。

逃走した犬は、まだ群れに所属してはおらず、人にとらわれているという感覚があったのでしょう。

それにしても見つかったことがニュースになったり、美味しそうに魚肉ソーセージを食べたことがニュースになったりする当たり、この国は良い意味では平和、少し悪口をいうなら平和ボケしているのかもしれません。

私がもし山で逃走して見つかった犬を保護したら、その犬の生涯のために絶対に魚肉ソーセージをすぐに与えたりはしません。

本当にその動物を成長させてその犬の持っている力を引き出してあげたいなら、自分の気持ちも律して犬に接すること、これが今のところの私の犬に対する姿勢です。


 

 

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リードを付けた犬と「人犬一体」となれるトレッキングを目指そう

今年も11月に入りました。

いろいろあってあっという間に年末に突入した感じです。

七山にも秋が到来して気持ちよくトレッキングクラスを開催できました。

今週はプライベートクラスのトレッキングクラスで山歩きを犬と飼い主さんといっしょにしました。

まだ数回の犬ちゃんは、だんだんと落ち着いた歩行になってきました。

はじめはリードを前に引っ張るばかりだったのに、ほとんどリードをたるませた状態で歩けるようになっていました。

犬が上手になったのはもちろんですが、飼い主さんの犬をサポートする力がかなり上がってこられているなと思いました。

犬のリードは犬が引っ張るのを引き留める道具ではありません。

犬のリードは馬の手綱と同じ役割を果たしています。

要するに「乗り手次第で動物は変わる」ということです。

馬だともっとわかりやすいのだと思います。

気難しい馬を上手に制御できる人は尊敬を集めたものです。

馬が人に協力をしまさに「人馬一体」となった姿には美しさを感じます。

同じように「人犬一体」となったリード使いではやはり美しいと感じることができます。

リードにたるみがあってお互いにバランスをとりながら歩くトレッキングは、お互いの気持ちを確認できるとても良いコミュニケーションです。

トレッキングクラスで学べることやトレッキングクラスで犬が受ける良い影響はひとつではなく、あげるときりがないほどです。

このすばらしい犬との山歩きを体験していただきたいという気持ちだけでこの七山の尾歩山を育ててきました。

今年で13年で紅葉もまだまだですが、そこそこといった感じです。

季節もあとわずか、犬には10回しか来ない秋だと思うとその1回1回がとても貴重な季節です。ぜひお出かけ下さい。

そのトレッキングクラス中にも何名かに「山で警察犬が逃げた事件なんですけど、先生はどう思われますか…」という質問を受けました。

そろそろブログに私の意見を書きますのでお楽しみに。

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犬はよく下痢や嘔吐をする、そしてそんな時は草をモリモリ食べます。

今週お預かりクラスに来てくれている犬ちゃんですが、お預かり前に長らくお腹の調子が悪い…ということで飼い主さんと打ち合わせもしました。

しかし通院の結果重篤な病気に感染しているのではないということで診断を得られました。

元気もあるしお預かりして犬ちゃんの様子を見守りました。

以前にもなんどか下痢の症状のある犬ちゃんを単独のときのみお預かりしたことがあります。

犬は日ごろは人よりもずっと快便です。

毎日規則的な時間に形の整った便をします。

その分は下痢や嘔吐を簡単にします。

体を整える反応が人よりも高く動物的で、調子を整えるために下痢や嘔吐するのです。

出すとすっきりして元気になることが多いものです。

そして何よりもいつも思うのですが、下痢や嘔吐をしている犬は草をとても食べます。

今回お預かりした犬ちゃんも、到着してからバクバクと広場の草を食べていました。

その姿をみながら「これなら大丈夫だなと見守り続けました。」

そして翌日には草の絡まった完璧な便をして、動きも活発になってきました。

都会には自分の体調を整えるためのあのツンとしたイネ科の雑草があまりないようです。

そのため薬で解決しようとしますが、薬はあくまで対処法です。

下痢を止めようとする薬に、出し切ろうとする体が反発してさらにぐったりしてしまうこともあります。

緊急時には薬をちゃんと使い、日常のケアは食べるものや活動で維持するのがベストだと思うのですが、犬と暮らしなれていない飼い主さんには見極めが難しいところですね。

犬が自分で何かをしようとしているときにそれを見守ることができるかどうかにかかっていきます。

そしてそれが犬にとってメリットの高いものであれば見守るけれど、デメリットのもの(ストレス、衝動、自己破壊)であれば止める必要もあります。

そんなことわかるわけないと思われるかもしれませんが、それを学ぶための学校がグッドボーイハートです。

犬ができることのひとつに、自分で自分の体調をある程度は整えるということがあります。

それも自律機能のひとつです。

ひとつひとつを奪ってしまうと犬は何もできないただぼーっとしている動物になるか、狂ったように動き回る壊れた機械のよう生き物になってしまいます。

お預かりの犬ちゃん、いっしょに山歩きしてお手伝いしてくれました。

元気になって良かった。

草を持って帰っていいよ。


 

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日本の野良犬から家庭犬へと変化した遺伝子は稀少である

先日お散歩代行のお仕事をさせていただきました。

意外と知られていないグッドボーイハートのサービスのひとつです。

飼い主さん不在時のお手伝いは、ブログでもご紹介している犬のお預かりクラスが一番のおすすめです。

しかし、犬によっては移動が苦手で自分の住まいとその周辺が最も落ち着いて住める、かつ安定した環境の屋外飼育なで飼い主さんの不在にある程度の時間は耐えられる場合には、飼い主さんのご希望でお世話代行に伺っています。

今回お世話させていただいた犬ちゃんは、知人の紹介で定期的にお世話させていただいていて、社会性の高い犬ちゃんは私を認識してくれるのも早いのでお仕事を受けました。

導入が長くなりましたが本筋の話はこここからです。

犬種は日本のザ・ミックス犬です。

日本にいるミックス犬の中ではかなり大きな体格ではあります。

そして特筆すべきなのはその犬ちゃんの性質です。

日本の犬はそもそも山犬だったものが、人の里にいつくような里山犬となり、野犬と野良犬に分かれていきます。

野良犬とは文字とおり野犬の中でも「優良」の犬の方です。

人に害を与えず特別役に立つわけではないが、人も他の動物との関わりと楽しむ相手として余裕があれば歓迎して迎えたのでしょう。

人のものを無駄に捕ったり荒したりせずに少し下がって関わりをもつことのできる野良犬。

人のモノを常に奪うことを狙っている野犬とはかなり性質が違います。

人になつき、様子をよく観察し、出しゃばらず、隠れることが上手です。

良い意味で日和見的なその性質が時間をかけて人とより近く暮らす、つまりテリトリー(縄張り)を共有する家庭犬としてより洗練されたものだと私は考えています。

こうした雑種犬は今やほとんどいなくなっており、本当に貴重な存在です。

お世話させていただいた犬ちゃんにそんな日本の野良犬の遺伝子の臭いをなんとなく感じてうれしくなります。

なによりもコミュニケーションがとてもよくとれるのですが、もちろん小さいころから元の性質をより大切に育てて来られた飼い主様の環境や接し方があってのことであることは間違いありません。

今の日本の犬事情の中では、こうした社会性の高い性質の犬が増える環境がありません。

ペットショップで販売されている純犬種たちの全てではありませんが、その多くが人との暮らしに必要な遺伝子をあまり受け継がれていないと感じます。

彼らの親犬やまたその親犬は、人とどのような暮らしをしてきたのだろうかと想像するとしたらどうでしょうか。

日本の野良犬には特別な仕事はなく、家庭犬になってはじめて人のテリトリーを適当に守るという番犬としての役割が多少与えられた程度です。

さらに純犬種の場合には、アナグマを刈っていたとか、猟犬だったとか、闘犬だったとか、牧羊犬だったとかいろんな使役として遺伝的に求められたものがあったのです。

それらを一日中なにもしなくてもいい家庭犬として納めていくことの難しさを考えずに、ただ「見かけがかわいい」という気持ちだけで飼われる犬の方にストレスがかかるのは仕方のないことだと思います。

さらに野良犬の方は、餌付けという方法をもって捕獲されてしまいます。

人に時間をかけて自然に近づいてきた野良犬から家庭犬になったものと、餌付けを通して人に近付いてきた犬では大きく違うことをまず理解してあげる必要があります。

もちろんどの犬にも人と暮らす権利があります。

むしろ国内では人に飼われていない犬が生きることは認められていません。狂犬病予防接種法という法律があるからです。

かといって、うじうじと不安や不満を抱えていても仕方ありません。

だから今目の前にいる犬にできることを考えたときに、純犬種もミックスも超えてそのもっとずっと奥にあることは「ただあなたは犬なのだ」ということを思い出してもらうことしかないという考えにいたりました。

あなたはボーダーコリーである前に犬なのだ。

あなたはトイプードルである前に犬なのだ。

そんな時間をすべての犬に大切にすることが、犬が持っている根底の力を引き出すことだと信じています。

犬から引き出すべき素材は、犬本来の習性と自然とのつながりの力です。

日和見主義といえば英語ではOpportunism(オポチュニズム)と言われます。

お天気によって行動が変わるのは犬の本質なので、オポもやっぱり日和見犬でした。


 

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長いお預かりクラスで学んだことをお返しします。施されたら施し返す!

今週は久しぶりに長い期間のお預かりクラスでした。

慣れている犬ちゃん、始めての犬ちゃん、そして途中でクラスメンバー交代といろいろと目まぐるしいお預かりクラスでした。

お預かりクラスの目的はいつもお話しているとおり、安全に犬たちをお預かりすることです。

さらに場合によっては、今の犬の状態をより詳しく把握して次のステップを決めること、環境をリセットすることでどのような変化が犬に起こるのかを見極めていくこと、という上級クラスのお預かりもあります。

今回は前者と後者がダブルになってお預かりクラスでした。

インスタグラムをご覧になった生徒さんから「喧嘩しないのですか?」と聞かれましたが、もちろん喧嘩をするような犬と犬を同じスペースに出すことはできません。

同時にどの程度の行動制限を与えるのかも、犬の状態に応じて日ごと、いや時間ごとにステップアップしていきます。

昨晩まで起きたことから、今日起きるかもしれないことを予測して、今日のスケジュールを決めるが実際には今日起きるかもしれないことが起きなかったり、予測しないことが起きたりします。

都度犬に対する管理の方法や接し方、やるべきことややることを変化させていくので、自分ながらこれは職人芸だなと思っています。

同じことを人にできるように教えてくれと言われても、決して伝えることができません。

そんな今回のお預かりクラスで学んだたくさんのことの中のひとつは「よく見極めること」でした。

職人気質の私も見ているようで見ていない部分があったり、聞いているようで聞こえていない音があります。

そうさせてしまうのは自分の中にある思い込みの世界です。

犬の飼い主のほとんどがこの思い込みの世界によって、本当の自分の犬を理解することができません。

犬が喜んでいる。犬が好きだから。という言葉がでるときに、本当にそうなのだろうかと考える必要があります。

犬の中にある「良し」「悪し」という単純な選別だけでは犬を知ることはできません。

犬にはもっと複雑な感情があるはずですが、ほとんどの犬がその感情を得る機会を持てていません。

なぜなら、いつもいっしょにいる飼い主が「良し」「悪し」という判断を下すだけだからです。

自分の犬は天使で汚れなくいつも笑っている、そうでなくてはならないと犬に課すことを止めて、犬だってずるもする、文句もいう、反発もする、イライラもするということを認めていきましょう。

それも含めて犬なのですから。

お預かりクラスをご利用いただきたくさん学ばせていただいてありがとうございました。

これからまた他のクラスでお返しさせていただきます。

施されたら施し返す。の精神いただきます。


 

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