グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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オンライン犬語セミナーを開催しました。

今月からようやく本格的にオンライン犬語セミナーを開催しています。

前回のテストセミナーとは異なり、みなさんからいただいた意見を大盛に盛り込んだセミナーでした。

使用されている機材が各自異なったことで、やりにくい部分もあったようなので今後も改善を進めていきます。

今回は事前の動画公開という形でセミナー前に動画を見ていただく方法をとりました。

6個のビデオを準備しましたが実際に詳しくご説明できたのは3つでしたね。

数名でやりとりをしているだけなのにあっという間に時間が過ぎてしまい、60分のセミナーも少し延長しました。

利用したメイン動画は2頭の若い柴犬たちがお預かりクラス中に絡んでいる動画です。

みなさんの分析内容は、

競争している

遊んでいる

じゃれあっている

喧嘩している

優先権を競っている

全く分からない…。

と様々な見方がありました。

どれも間違っているということではなく、そのように見えるのはなぜなのかを自分自身で突き詰めていかれると犬語セミナーはもっと価値のあるものになります。

なぜそのように見えるのか?という質問に対して、ただそう感じるからというのも全く間違ってはいません。

ただ、いつもお話しているように犬のコミュニケーションはある程度の規則性があります。

その規則性があるからこそ世界共通の犬語というものがあるのです。

この部分をひとつでもつかんでいただければという気持ちで犬語セミナーを開催しています。

オンラインクラスは毎月開催いたします。

またぜひご参加下さい!

 

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習っていないのに表現できる、それが犬のコミュニケーション術

飼い主なら、犬が何をしたいのか、何を考えているのか、何を思っているのかを知りたいと思うでしょう。

そのために犬のことをいろいろと学ぶわけですが、その中でも犬のコミュニケーションについては奥が深くいくら学んでも学びつくせません。

でも犬のコミュニケーションの道具は、人のそれよりも単純でわかりやすい形でできています。

人は言葉が発達したおかげで、こうして文字にして遠方の方に情報を伝えることができるし、電話という方法でやり取りをすることもできます。

言葉もひとつの信号ではありますが、世界の地域によってそれぞれに違う言葉を使うため、英語しか話せない人と日本語しか話せない人ではすぐに意志疎通をすることができません。

ところが犬の場合には、やり取りしている情報が限られているため、今でも犬という動物が生得的に備えている能力でコミュニケーションをとることができます。

海外から輸送されてきた犬も到着してすぐに国内にいる犬と対話することができるのです。

犬は学ばなくも他の犬とコミュニケーションをとる方法を知っています。

稀に、他の犬に対して全く無反応のような犬がいます。

相手の犬が近づいてきたりにおいをかいだりしても、全く動かない犬です。

このような犬の飼い主やその犬を見た人は「この犬は犬の言葉を知らないのではないか。」と思うかもしれません。

ほとんどの場合、こうした犬は犬の言葉を知らないのではなく、犬とコミュニケーションをとる意志や動機を失っているだけです。

もし生まれた時から大きく知能的に問題がありコミュニケーションが発達しなかったのであれば、子犬は母乳を吸うこともできない状態であったでしょう。

一般の家庭にご縁のある犬なら、犬の言葉はその脳内に入っている状態であるはずです。

その「犬の言葉」がどのようにして引き出されるかというと、コミュニケーションがとれる相手がいることが前提です。

以前テレビかなにかで英語が堪能な芸能人に「英語を話してみて」とリクエストされましたが、その方は「誰に対して話せばいいのですか?相手がいなければ会話することができません。」と言い返されました。

犬の場合にも同じことで、犬の言葉を受け取る相手がいないのにどうやって犬の言葉を話したらいいのかということです。

飼い主でも犬の言葉を受け取ることができますが、まともな受け答えをしなければ「話のわからない人間」として犬は不信感を募らせます。

飼い主との対話が難しくなると、最後は飼い主に繰り返し吠える、唸る、かみつく、なめる、すり寄るなどの犬と犬では過剰な表現をしていら立ちを見せます。

飼い主が犬の言葉を学ぶ一番の価値は、犬と犬を会わせるための方法としてではなく、自分が家族の犬と対話するためです。

犬は学ばなくても身に着けているコミュニケーションの方法を、人は学ばなければ知ることができません。

そのための犬語セミナー。

オンラインセミナーは明後日ですね、楽しみにしています。


 

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犬と犬でたくさん遊ぶ時間はとても大切。ただし基本的な規律を守ること!

ちょうど同じくらいの年頃の柴犬のオス犬くんたちをお預かりすることになりました。

子犬のころから預かりが重なるようになり、飼い主さんもお互いに相性が良い同年齢の犬なら合わせたいという気持ちがつながりました。

それぞれの飼い主さんから「○○くんがお預かりのときは声をかけてください!」とお声をいただくようになりました。

今回も2頭の犬くんたちは飼い主の申し合わせの中で2頭がいっしょに長期の「合宿」お預かりになりました。

2頭のオス犬たちは青年期でエネルギーも爆発的。

おいかっけっこしたり、じゃれあったり、おもちゃをとりあったり、がるがる言いながら一日中あきれるほどよく遊びます。

若くて元気な年齢ですから犬と犬が互いに関係性を深めながらこうしてよく走りよく遊ぶ時間を持てるのはすばらしいことです。

しかし、犬と犬がじゃれあっている光景がすべて良い結果になるとは限りません。

犬と犬がじゃれあうような激しい遊びは今やワンプロ(犬のプロレス)といわれるようになりドッグランでもよく見られるようになりました。

ドッグランで他の犬に追い回されるのが遊びだと思っていたけれど、いつの間にか他の犬に吠えるようになってしまった犬もたくさんいます。

多数で1頭の犬を追い回したりじゃれついたりするのは、遊びではなく弱いものに対する攻撃である場合もあります。

また規律なくただ犬たちを自由にさせることで発散させている飼い主が多いようですが、これは犬の遊び活動ではなくただのストレス行動です。

ストレス行動が重なれば毎日の生活の中には必ず問題が発生しています。

「犬と犬を遊ばせたい、走らせたい」と思うなら、犬が犬とよりよい関係を築くための時間として遊びを発展させているかどうか、慎重に見極めていく必要があります。

2頭の犬たちがどのようにコミュニケーションをとっているのか、どのように変化していくのかを預かり担当の私はずっと観察しています。

時にはすぐそばで、時にはすこし離れてみて、でも決定的なときには2頭の柴犬の若いオス犬に「止め!」と「フセ!」の合図で制止に入ります。

試合でいう審判のようなものですが、よい関係になればなるほど制止に入る回数は減ってきます。

犬たちも時間を通してお互いを知り信頼関係を高めていくのは犬と人の関係作りと変わりありません。

相性の良い犬はそう簡単に見つかるものでもありません。

だから出会いはいつも奇跡的なもの。

若い時代の遊び相手が見つかったらぜひ大切にして下さい。

一日中おやつをねだる必要もなく、人間にかまってということもなく、ドロドロになって遊ぶ柴犬たちを見て過ごしましたが、さすがに七山も冷えて来ました。

走って温かくなる犬たちがうらやましいです。

グッドボーイハートの預かりクラスで遊ぶ2頭の柴犬たち
 

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雨の日でも犬を大地の上で遊ばせたいという飼い主の気持ち

一雨ごとに寒さが増してきました。

緩やかな一日は過ごしやすいのですが、こうして寒くなったり温かくなったりする緩急が訪れると気持ちが引き締まります。

先日も朝から雨模様の気配の日に、トレッキングクラスに来る予定の生徒さんがいました。

ご連絡しようか迷いましたが、あの飼い主さんならこの天候でも来られるだろうと思っていると案の定、犬を連れて到着されました。

雨が降ってきましたね。降り止むまで少し待ちましょう。

といいつつも、少雨になると待ちきれなかったように山歩きに出かけます。

七山の環境にも慣れていて犬もある程度の自由行動ができます。

生徒さんはいつも草刈鎌を片手に歩きだすようになり、腱鞘炎が続くわたしは「しないでください。」と釘を刺される方で、手持ち無沙汰でしたがいつもとは違う雨宿りコースで山を歩きました。

しばらくするとまたザーっと雨が降ってきて、いったん戻ろうということになり室内で服を乾かし、再び雨が上がったのでまた広場に行ってふらふらと。

一日の気温や天候の変化が激しくても自然環境の中ではあまりストレスを感じません。

飼い主さんも「雨の日の散歩がいつもの散歩コースだったら、いやだなと思うのにこういうところだろ全然いやじゃないのが不思議です。」と。

むしろ天気にあわせて外に出たり隠れたりと天候の変化を楽しめます。

犬たちも同様にまったりして気温の変わらないときはぼーっとしているのに、雨が降ったり急に晴れたり、風が吹いたり止まったりという変化が起きると周囲の環境の変化をいち早く知ろうとするのか集中している様子がうかがえます。

こういうことを重ねていくことが頭を使うということではないかと思います。

その日にトレッキングに来ていた犬ちゃんも雨の日は散歩に行きたがらなかったので、山の雨トレッキングも最初は少し抵抗があったようですが今では全然なんともないという感じで雨の中を歩いていきます。

お預かりクラスに来ていた若いオス犬たちは、むしろ雨を楽しんでいるように泥まみれになって遊んでいました。泣きたいのはこちらの方ですね。

でもドロドロになってみたいという若い犬たちの欲求を満たしてあげる方が、汚れることを怖がることよりもずっと大切だと思うのです。

わたしたちも彼らも同じ動物で、自然の中で活動するための知恵を身に着けることが最も大切なことだとどこかで知っているはずです。

成長期に犬の脳を発達させるというのは、知的玩具でおやつを探させることでも、囲われた人工的な空間に連れていくことでも、たくさんの人に撫でてもらうことでもありません。

大きな自然という環境の中で安心を獲得していくこと、そしてそこに信頼できる仲間が共にいること、この二つが犬にとって最も大切なことです。

といっても体力がいりますね。

やっぱり犬はパワーがあります。

グッドボーイハートの雨の日のトレッキング

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ニホンオオカミに最も近いのは現代の柴犬である論文が発表された。

先日生徒さんから送っていただいたネットニュースの情報が面白いものだったのでここに紹介します。

紹介していただいたのはジャーナリストの田中淳夫氏がYahooに寄稿された記事です。

題名には「オオカミよりも柴犬を放て。獣害対策に有効な「放し飼い」」とあります。

田中氏が記事の中で紹介されている、サル対策のための忠犬事業については以前からネットで配信されている記事などで知っていましたが、二ホンオオカミの遺伝子情報の解析についての論文発表については初めて確認しました。

田中氏の記事の中から引用します。

総合研究大学院大学(神奈川)を中心とする研究チームは、各地の標本から9頭のニホンオオカミの遺伝子情報を取り出して解析し、他種のオオカミやイヌ属の動物と比べた研究が「bioRxiv」に発表された。

それによると、ニホンオオカミは他のオオカミとは遺伝的に異なるユニークな亜種で、現代のイヌにもっとも近いことがわかったのだ。

 しかもDNAの共有率を調べた結果、シェパードやラブラドール・レトリーバーといった西欧の犬種とはほとんど共有していず、日本の柴犬やオーストラリアのディンゴなどと、最大で5.5%のDNAを共有していた。

 

ニホンオオカミは残された標本や写真などから見て、明らかに西洋のハイイロオオカミとは骨格よも容姿も異なることがわかります。

ですから、ニホンオオカミに一番近い犬種が柴犬だということが遺伝子情報として証明されたことについては驚くことではありませんが、科学的に証明されると納得できるということでしょう。

同時に柴犬そのものが野生のオオカミに近い性質や行動体系を持っていることは、犬を長く飼育された経験のある方なら気づかれます。

特に西洋の洋犬種と日本の純血種とは明らかに違いがあり、同じように育てようと思ってもうまくいきません。

同じイヌであっても、これだけ違いがあるのかと思うほどに面白い違いがたくさんあります。

例えば、多くの柴犬はワンワンと澄んだ声でなくことはなく、ギャンギャンとかギャとかといった締め付けられたような声を出します。

声だけを聴くと犬というよりは狐の鳴き声に近いような音を出します。

現在も生育しているハイイロオオカミもワンワンと鳴くことはありません。

やはり同じようにギャとかウォーとかそういった特徴のある音を出します。

日本に生育してきた犬の中でワンワンとなくのは、柴犬よりも野良犬の方です。

その野良犬の多くは雑種=ミックス犬です。

人がきっちりと管理してきた純血種の柴犬の方が、人から離れて勝手に繁殖を繰り返した野良犬の方が犬っぽいというところがあるようです。

西洋のイヌと日本のイヌでは大きな違いがあるうえに、日本の純血種と日本の雑種犬にもまた大きな違いがあるのです。

日本の雑種犬の中には西洋犬が混在を初めていますし、同時に雑種犬たちは純血種の柴犬のように完全管理で飼育されずに、一度の野に放たれて自由になった犬たちも多いのです。

生育の過程の違いが遺伝子に流れ込みまた遺伝子情報に変化を及ぼします。

今度は、柴犬と日本の雑種犬の遺伝子情報がどの程度離れているのかも研究していただきたいと期待しています。

田中氏は記事の中で、獣害被害を抑えるための方法として西洋のハイイロオオカミを持ち込むよりも訓練した飼い犬の放し飼いの方が安心だという意見を述べられています。

私ももちろんこの意見に賛成です。

もともと日本の犬たちが守ってきた里山の獣と人との境界線を守らせるために西洋から動物を入れる必要はないと考えます。

人とより良い関係を作ることができる日本の飼い犬こそ、里山を獣から守るためにともに戦ってくれる同志ではないでしょうか?

今月からイノシシ猟が解禁となります。

七山で活躍してくれる里山犬たちを募集しています。

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理不尽だと思う犬に対する扱いについてどうすべきかを考えた結果

改めてこのブログの役割について

このブログでは「犬のこと」という大きなカテゴリーで区切られていてそれ以上の分け方をしていません。

普通なら、犬のしつけ方、トイレのこと、散歩のこと、手入れのこと…などと細かく分類分けされていて選んで見やすくすべきだと考える意見もあるでしょう。

しかし、このブログは犬のしつけ方やトレーニングについてのハウツーを伝えるために書いているのではありません。

グッドボーイハートのブログの目的は、犬について考えたり悩んだりすることを私自身が解決する場を設けることであり、また生徒さんを中心とする犬と暮らす方といっしょに考える機会をつくるためにあります。

細かな情報を得られたい場合には、ブログの検索機能を使って必要な話題をピックアップしてご覧いただくこともできますが、あえてカテゴリーを「犬のこと」と犬ついてはひとくくりにすることで、どんなことでも犬を考える機会にしています。

このことを前提にしてタイトルの話題に入ります。

理不尽な犬の扱いについて先生は自分の考えをどのように整理されますか?

といった質問を生徒さんから受けました。

自分の家族の犬との暮らしを真剣に考えて生活をしている中で、SNSを通して入ってくる様々な犬に対して行われている問題について苦しい思いをする機会が増えている方も多いと思います。

確かにSNSの普及で自分が探していなくてもネットの方から勝手に動画などの情報提供が行われて見る必要のないものに触れる機会が増えてしまったことは確かのようです。

ひとつの情報をクリックすると新たな情報が流れ込んでくる、それが「犬がこんなにひどい扱いを受けています。」という情報だとすると、精神的に苦しくなってしまうことも当然のことです。

私も毎日こうして犬のことを書いているわけですから、ネットの方から「犬について」の情報提供を受けることがあります。

しかし多分ですが大きく違うのは、私の場合には犬のことをネットで調べたりはしません。

犬の行動について分からないことがあったとして、例えば「犬が尻尾を追いかけているのはなぜ?」と検索することはありません。

犬についての情報をネットの中には探していないので、皆さんほどは情報の波には襲われていないはずです。

なので、ブログを読んで下さっている方とは同じ情報を共有していないということを前提に、以下の意見を読み進めて下さい。

何をもって理不尽な犬の扱いだとするかは価値観の違いが前提にある

見聞きする犬の扱いについて「あまりにもひどい」と思われるものはたくさんあるでしょう。

例えば、保護された動物が殺処分されるという情報、海外では犬が食用として使われているという現実問題、炎天下に隠れる場所もないところにつながれたままにされている犬を見ること…など。

自分にとっては「明らかにひどい犬の扱い」だと思うことも、それぞれの文化や価値観の中では正当だとなっていることがほとんどなのです。

犬が食用とされている文化を持つ国は今でもあります。

人に飼われていない犬は世界中にたくさんいて、むしろ人が動物病院に連れていく犬の方が圧倒的に少ないのが現時点での事実です。

世界では今でも多くの犬がごみを食べて暮らしています。

日本にもまだ山の中に暮らす野犬は存在しているし、人の手の届かないところで生きている犬もいます。

ですが逆に、日本では散歩に連れ出すのがかわいそうという理由で家を一歩も出たことのない犬もいます。

多頭飼育の家では数十頭の犬が同じ敷地内に飼われていることもあります。

犬のことを考えて生きている人もいる一方で、人が社会の中心であるという前提をなくしては考えを進めることはできません。

理不尽かどうかをはっきりさせるために法律が存在している。

人が社会の中心になってしまうと、動物の扱いは限りなく闇に近づいていきます。

私たち人間は、自分たちの残虐性を抑えるために「法律」を作っています。

人は地球の知的生命体だと宣言しているのですから、すべての生き物に対してやさしくなければならないという寛容な姿勢を示す必要があります。

特に動物を様々な形で活用している先進国にはこのくくりが必要なので、先進国には「動物の福祉」にかかわる法律があります。

日本では「動物の愛護および管理に関する法律」に記されています。

犬に対する扱いについても、この法律を犯す内容であれば罰則が設けられています。

犬という動物を活用している社会には必須の法律はすでに整えられているのです。

実際のところ、犬の福祉を守る法律は必要であれば各国で準備されています。

一方で、犬の福祉を考える文化が生まれていない国ではまだ整備されていません。

国内においても犬の福祉に関する法律はここ15年くらいで一気に整備が進んだものですが、急速すぎてペットビジネスにかかわる人々は対応が追い付けないほど速度です。

もし「動物の愛護および管理に関する法律」をご存じなければネットで簡単に閲覧できますので一度読んで見てください。

法律の中にはなぜ?と思うこともあるでしょうし、納得できる部分もあると思います。

まだまだ変化する法律ですが、決まってしまうと守らなければいけません。

犬に関する法律が自分たちが知らないところで次々と改定されているという事実もほとんどの方がご存じないと思います。

法律では語れない犬の扱いについての納得のいかないこと

そして最後に、みんなが感じているもやもやはこの部分にあると思います。

犬が汚れるからという理由で散歩に連れ出さなくても法律に触れることはありません。

犬という動物の習性を満足させることが法律には記されていますが、習性の具体的な部分には触れられていないからです。

犬が散歩中に靴を履いているのを見て、驚く人もいれば逆にやさしい飼い主だと思う人もいます。

犬という動物に対する価値観が非常に幅広く広がってしまい、まったく意見の合わないこともたくさんあるのです。

犬を毎日シャンプーさせることを犬に対する思いやりととるのか、行き過ぎているととるのかもその人の価値観が入ります。

なんにしても、前記の「犬の習性」を元に話さなければいけないのですが、まだまだ「犬の習性」は明確には語られません。

科学的には証明されていることがたくさんあるはずですが、都合の悪いことを封印するのが人間ですからなんとなく曖昧にされてしまっています。

犬の幸せのためにできることを考えるなら、犬の習性について学ぶ価値がある

だからこそ、犬の習性について学ぶ価値があるのです。

この学びは、他人の行いを非難するためのものではありません。

誰かを訴えるためのものではありませんが、法律を作る際にはきっと役立つと思います。

そして、何よりも大切なのは「最も身近な犬が必要としていることを知ることができる。」ことです。

犬に対する扱いについて理不尽だと思うことがネットの情報ではなく目の前に繰り広げられていると最も感じているのはおそらく私の方です。

人間が犬に対してしたいと思う欲求と、犬が必要としてることがかみ合っていなくてたくさんの問題が犬に生じてしまい、それが犬の問題行動となってしまうからです。

毎日の街中を散歩する犬の姿を見て、たくさんのストレスを抱えて歩いている犬の行動や表情を見て辛くなっているのは私の方です。

しかし、私は自分の感情をあまり押し殺したりはしません。

その感情は、自分が犬の生活が改善するために、犬たちが犬として生きる機会を持つためにできることはこうして仕事を続けることで解決されています。

そうした場が自分にあることを感謝したいと思います。

またそうした機会をたくさんの生徒さんにいただいていることをありがたく思っています。

歯がゆいと思うのは、使いすぎた自分の手首が思うようにいかないことです。

この数ケ月は腱鞘炎に悩んでいまして、動きが思うように取れないことが悔しい限りです。

でも、私にたくさんの難問をぶつけてくれるグッドボーイハートの生徒さんたちがいる限り大丈夫です。

これからもたくさんみなさんと議論をして本当の犬とはどういう動物なのかを楽しみつつ見つけていきます。

人を変えることなどできません。変えられるのは自分だけです。


 

Posted in 犬のこと

はじめてのお預かりクラスで犬の性質を探るヒント・自然環境にどのように反応をするのか

今はお預かりクラスを初めて利用する1歳未満の犬たちの観察に追われています。

はじめて自宅を離れて家族と離れて過ごすこと、場合によっては大人の犬といっしょになることもあり、まだ成熟していない犬たちの行動には成長期にみられる性質の特徴を見ることができるので毎回楽しみにしています。

お預かりクラスを利用したときにどの犬といっしょになるのかということも犬の行動に影響はしますが、犬の性質は変わらないのですからどんな部分が見え隠れするのかという程度です。

一緒になった犬が何歳なのか、どのくらいの預かり経験があるのか、その犬の性質はどうなのかということもはじめて預かりクラスを利用する犬の行動に影響を与えます。

たくさんの情報が知りたいという気持ちと、犬に負担をかけすぎてはいけないという気持ちが行き来しながら対面をさせつつ行動の変化をうかがっています。

自宅では自由気ままにわがままいっぱいで怖いものなしのように振舞っている犬が、預かり場所ではキョロキョロ、おどおどしているのは珍しいことではありません。

特に室内犬の場合には、だれにも襲われることのない安全かつゆるーい空間にいるのですから、七山の山の中の環境に置かれるだけでも犬にとっては驚くことがたくさんあります。

特にこの季節は蜂がぶんぶんと頭の上をよく通過するので、私もときどき大きな蜂の羽音に座り込むことがあります。

昨年、スズメバチに刺されてから少し敏感になっているかとは思います。

室内で暮らす犬にとって、休んでいるときに頭上にまで配慮しなければいけないという環境はありません。

犬はお気楽に慣れすぎてしまいあまりにも無防備かつ無知にもなっているような気がします。

自然の中とか犬にそんな怖い思いをさせるのはかわいそうだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、キングギドラが頭上から舞い降りてくるわけではありません。

犬という動物であればみんな出会う可能性がある小さな生物が空を飛んでいたり地面をはっていたりするだけのことです。

そんなことにびっくりして自分のクレートに戻っていこうとする犬も珍しくありません。

しかし、最初はおどおどしているはじめてのお泊り犬たちも数日を過ごすようになるとたくましく変化していきます。

「そうだわたしは犬だった」と気づいたかのように、飛んでくる虫にカツリと威嚇をしたり身をかがめて隠れたり、地面を動く虫に気を奪われなくなったりしていくのです。

これは犬の野山に対する社会化というものですが、本当であればコンクリートよりも先にこちらの社会に社会化させることが大切です。

なぜ大切なのかというと、犬の脳の発達はそのような仕組みになっているからです。

続きはまた。

 

はじめてのお預かりクラスでクレートから世界をのぞくグリーズちゃん

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都市と田舎を行き来する生活で学ぶこと。

新しい生徒さんに必ずといっていいほど聞かれる質問。

「いつもはどちらにお住まいなんですか?」

どちらにというのは、福岡なのか七山なのかということです。

毎回答えに詰まりますが、住まいは福岡、スクールは七山なのです。

犬のお預かりクラスやトレッキングクラスのある時は七山にいます。

季節にもよりますが半分は七山にいたいと思いつつも、訪問レッスンが増えると福岡に滞在します。

都市空間と自然の真逆の環境を行き来しているのは仕事の為に結果としてそうなったというこですが、今のところこれが理想的ではないかと考えています。

同じことを早くから実践して薦めているのが解剖学者の養老孟司先生です。

知識だけでなく人格者としても尊敬する先生が薦めて下さる生活なので、自信をもって人にも薦めています。

すでに田舎に育ちそこにコミュニティがあり家族がいて生活が成り立っている方は、わざわ都会で暮らす必要はありません。

行き来しなければいけない自分などは、仕事にために都市に行く必要があり、また大家族というコミュニティを持たないために孤立怯えるからです。

都市空間で育った私が自然環境に出向くことになったのは犬のためです。

知識で学んだわけではありませんが、オポ連れて山や海に出かけることは「オポ」にとって必要なことだと思っていたからでしょう。

この事を誰からも教えてもらったことはありあません。

言葉では伝えくいことですが、一度でも犬と山で遊んだことのある人なら、山の空間の中で広がっていく犬の感性というものがあることに気づくはずです。

犬何を必要としているか?を常に考えているわけですから、この気づきは当然のことでした。

話を元に戻しますが、この都会と田舎を行き来する生活について薦めている養老先生も、これを人にすすめると贅沢だと言われると話されていました。

お金があったらできるんだけど、ということについては、実際にはお金があってもしなものですよね。

自分にとっての必要性の最重要項目にならなければ、人は環境を変えられないものです。

その都会の生活の中で犬たちがストレスを抱えています。

福岡市内はもちろんのこと、福岡の新興住宅地も都会の付属品です。

ストレスによって犬に起きているのは問題行動ばかりではありません。

歪みなら修正が効きますが、障害となると時間がかかります。

欠損となると回復は難しいものです。

犬の脳や精神が壊れる前に、犬を自然環境で過ごさせましょう。

福岡の新興住宅地も都会の付属品です。

飼い主さんができないということで、お預かりクラスもやっています。

行き来には労力もかかりますが、犬に必要な事を提供するためならまだまだ頑張ります。

山で遊ぶ金太郎くん

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犬用フレキシブルリードの正しい使い方

街中でフレキシブルリードを使って散歩している人をよくみかけます。

フレキシブルリードとは、巻尺のように長く伸びるリードです。

フレキシブルリードの使用目的は、広場などの広い場所で犬と歩くために使用する道具です。

「広い」という意味にそれぞれの価値観が入ってしまいます。

私の価値観では30平方メートルの見晴らしの良い場所で誰もいないときなら。

さらに、フレキシブルリードは長さが5〜8mありますので、その範囲であれば呼び戻し「おいで」の合図に応じることが使用の条件です。

犬の呼び戻し練習のためにこの道具を使うこともあります。

*クラス生のみなさんは段階になったら説明しますのでそれまではお待ちください。

フレキシブルリード使用時に犬に伝える指示は「フレキシブルリードの可動領域内で活動すること、ただし合図があればすぐに応じること」です。

フレキシブルリードの使用時に、オスワリ、フセ、マテ、ツイテ、トマレ、オイデなどの活動の指示に応じて行動できるように教えます。

犬の全てのリードは、犬の活動を制限するものではなく、犬に活動の機会をあたえるもにです。

しかし、多くの犬の飼い主はできないことに制限をつけるためにリードを使用しています。

結果としてできることは広がらず制限は増え続けます。

犬を理解して道具を正しく使ってトレーニングすれば、出来る事は増えて犬の生活は楽しくなります。

フレキシブルリードを正しく使いましょう。

短く制限しても移動のルートでは役立ちません。

何故でしょう。ここは宿題です!


 

 

 

 

 

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飼い主が犬を厳しくしつけることができない本当の理由とは?

犬のしつけ方を教えてもらっているというと「犬がかわいそう」と言われたことがあるという生徒さんがいらっしゃいました。

おやつなどの食べ物を与えるために犬に「お座り」や「伏せ」をさせることはかわいそうだと思わない一般の方も、「待て」や「飼い主について歩く」などのしつけについては「犬がかわいそう」と思うらしいのです。

私は自分の愛犬だったオポにオスワリ、フセ、マテ、ツイテ、ベッドなどの合図を使って指示を出したのを見た人に「オポがかわいそう」と言われたことはありません。

むしろ「おりこうさんですね。」とか「さすがは先生の犬ですね。」といわれることばかりでした。

この差を考えてみたのですが、オポは嫌々従うようなしぐさを見せることはありませんでした。

むしろ「当たり前」に私の指示に従ってヘルプをしてくれました。

もしかしたら他人に「犬がかわいそう」と思われている犬は、できないことをできるようにさせる段階であるのかもしれません。

しかし、その奥にはもっと深い理由があるのです。

しつけをする犬がかわいそうだといわれる理由は、飼い主さんが犬に対してきちんとしつけをすることに対するかすかな抵抗があるからではないでしょうか。

かすかな抵抗とは、もっと犬を甘やかしたいという自分の欲求を抑えているということです。

育てるという関係の中には、厳しくするのか、甘やかすのか、常にその間を行ったり来たりすることがあるのは、犬育ても子育ても変わりはありません。

子育てに対しては、子供の将来の成長のために厳しくしつけをしたという飼い主さんも、犬くらいは甘やかしたいという気持ちになることがあります。

たかが犬なんだから別にいいじゃないかという緩い気持ちでいたいのでしょう。

ところが犬も、正しく厳しく愛情をもってしつけをされた犬はストレスに強く能力も発達するのですが、逆にごまかしと甘やかしの中で、ナデナデしながら好きなようにさせてきた犬は大変ストレスに弱くなります。

ストレスに弱くなった犬の中には吠える噛みつくといったストレス行動が増えてしまい結局トレーニングとして改善しなければいけない状態になるケースもたくさんあります。

しかし中には、ストレス状態であるけれど犬が自分の体をなめたりアレルギー体質になったり、飼い主に付きまとったり、留守中にイタズラをする程度の場合もあります。

それでも、この甘やかされて育った犬は、社会的にとても弱く他の犬との豊かなコミュニケーションができるような生活を送ることはありません。

そしてそもそもそのような犬は、犬自身がストレス状態を抱えているという事実をきちんと見つめてあげてほしいのです。

 

私自身もある程度は厳しく育てられたと思っています。

周囲の友達と比較していろんな規則が多くそれを守らることを求められて育ちました。

ただ大人になって厳しく育てていただいたことを両親に感謝しました。

社会活動の中で起きるたくさんの困難を超えながらこうして仕事を続けて来ることができたからです。

だから私も犬を厳しく育てることに対しての抵抗はありません。

むしろ「犬を規律正しく厳しく愛情をもって育てること」が犬を本当に愛することだと思っています。

厳しく育てるというのは体罰のことではありません。

犬ができるようにたくさんの時間と労力と根気強さを使って、向き合い続けることを言います。

弱い犬はすぐに吠えたり逃げたり噛みついたりしようとしますが、それがなくなるのもこちらの態度次第です。

あなたのことを心から思っている、だから私はあなたに厳しくできるのだと思えるようになれば、犬は必ず変化していきます。

なんども書きますが、犬は本当にすばらしい動物なのです。

規律正しく厳しくできることを増やしていき、境界線を守るルールを徹底させて下さい。

愛をもって厳しく育てられた成長した犬は豊かな社会生活を送るでしょう。

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