グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬の断尾

トイプードルを散歩している方がとても増えました。
トイプードルの子犬のトレーニングにうかがったときに飼い主さんとお話ししたことで、是非にたくさんの方に知っていただきたいと思うことがありました。

トイプードルの生徒さんの方からこういわれたのです。
「このコの尾っぽって切られてるってこと、知らなかったんです。」ということでした。
「尾だけではありませんね。」と私が答えると、
「指も切られているんですよね。生まれて数日で麻酔もしないで切ってしまうんですよね。痛かったでしょうにね。かわいそうに。」と子犬の体をさすられていました。愛する子犬が自分の元に来る前にそんなひどいことをされていたと知った飼い主さんは、「知らなかった。かわいそうに。」とみなさん言葉を詰まらせます。

犬の尾を子犬の頃に切断することを「断尾」といい、犬と関わる仕事をする者であれば誰でも知っている事実です。みなさんの中にも断尾をされた犬を飼っている方が多いのではないかとおもいます。では、なぜ人間は犬に対し「尾を切り落とす」という行為をするのでしょうか。今日飼い主さんからも、なぜこんなひどいことをするのですか?と尋ねられました。

一般的にいわれている主な理由のひとつは、犬種標準に基づくものです。犬種標準とはドッグショーなどで純血種の形を人の好みによって定めたもので、数十種類の純血種に対して「断尾をしていること」という基準が定められています。トイプードルやミニチュアピンシャー、ミニチュアシュナウザーなどはこの中に入ります。犬種標準はあくまでも人が恣意的に定めたもので、犬にとっての利点欠点は全く考慮されていません。

他の理由のは犬以外の家畜についても行われるもので、作業上支障があるという場合です。牧畜犬として繁殖されたコーギーはこの中に入ります。闘犬として繁殖された犬、ネズミ捕りのための様々なテリア種、スポーツ猟に用いられたスパニエル系の犬。ですが、現在これらの仕事を必要とされている犬種は断尾をされている犬の中にはいません。断尾をしなければいけないような作業は、そもそも犬に負担があったり、また作業としては無理であったりして、現在では行われていないものばかりです。

その証拠に、実際に地域に根付いて昔から人のそばで共に働いている犬には、みな尾があります。尾はただついているのではありません。犬という動物が行動するためにはかかせない道具なのです。働く犬についていうと、尾は行動をするための舵取りのための道具です。尾がないと左右前後にバランスをとって行動することができません。猟犬だと思われている尾を切られた犬たちは、実際には猟師と行動を共にしていません。スパニエル種の犬たちは、スポーツハンターと共に山を歩いていただけのことです。貴族の趣味の遊びのお供だったということです。

他に断尾をされる理由は特に見当たりませんが、実際に断尾をしている人に会う機会があるわけではないので、もしかしたら別にも理由があるのかもしません。もし他に理由があったとして、犬にとって苦痛を伴うこの尾を切るという経験をさせなければいけないほど、大切なことなのかを考えてほしいと思います。

断尾については、生後数日の子犬のころであれば痛みは感じないということを主張されることで、断尾は今でも行われています。これについては、痛みを感じるという人と、痛みを感じないという人が対立する形で平行線をたどっているようです。私は痛みを感じると思っています。自分が同じことをされたら、きっとトラウマになってしまうと思うほどの辛いことだと思えます。

では、痛みを感じないとして、尾が存在することの必要性についてはどうでしょうか。上記の体のバランスや平衡感覚を保つことのほかに、コミュニケーションの手段としても尾は使われます。尾のない犬たちのコミュニケーションは人にとっても読みづらく理解が遅れることがあります。痛みを論ずる前に、犬にとっての尾の必要性を考えると、尾を切るという行為はとてもできないことのように思えます。

しかし、これだけたくさんの方が断尾をした犬種を愛していながら、犬に施されている断尾自体も受け入れてしまっているというのはなぜかという疑問が残ります。これは「血統書」が犬の価値をあげるという思い込みによって生じています。犬種標準に満たなければ血統書がつけられません。なので繁殖者はこれをクリアするために断尾を行います。ですが販売する方からすると「消費者が血統書付きの犬を求めるから」という理由なのです。

ヨーロッパの犬の福祉団体では多くの国が断尾に反対する姿勢をとっています。その中でもまだ断尾は古い習慣として残されています。数年前にイギリスのコーギーを飼育する人による団体が「コーギーの断尾を禁止するのは、犬の文化を無視するものだ。」という抗議を出したというニュースを見ました。人が犬に一方的に決めたことを「犬の文化」と呼ばれてしまうとは、犬が聞いたらビックリするようなはなしです。「犬の文化」とは、犬という動物が犬自身で作り上げたもので、それだったらはなから犬という動物には尾はないはずなのです。ですが、実際には犬は尾のある動物です。

日本では断尾を禁じる法律や条令はありません。これは犬と暮らすみなさんの選択にゆだねられています。わたし自身も、断尾をした犬種と暮らしている飼い主さんはみなさんこの事実をご存知の上で犬を求められたのだろうと思っていました。ですが、まだまだこうした事実が広がっていないことを知り、知らないことはひとつでも知る機会を得られるようにと、今日はこのことを話題にしました。まず真実を知り、誰かを非難するよりも、自分で考え自分で行動を起こすことしかできることはありません。人を変えることはできなくても、自分を変えることはできます。ぜひみなさんも犬の断尾について考えて自分の考えにあった選択をしてください。


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犬を撫でることについて

猫の本を何冊か読んでいます。他の動物の本もよく読むのですが、最近、知人からたくさん猫の本を借りてしまい、猫ずくしとなり猫の夢まで見るようになってしまいました。
犬の本も他の動物の本も同じですが、それぞれの動物の視点にたって書かれている本は興味深く読み応えがあります。動物の中でも人と暮らしている動物、犬と猫の視点にたった上で、その動物の行動や習性を考えることができるのは楽しいものです。

猫の本を読んでいるときにも、犬とは違うなとか、犬と同じ傾向があるなとか、ページをめくる度に犬のことが頭に浮かんでしまうのは、職業病なのでしょうね。

最近、関心を持って読めた猫の本は、アメリカの猫の行動専門家という男性が書いた本で、自伝的要素も強いのですが、猫の行動や環境による変化などの具体的な例の症例も多いものです。その中にもいくつも、犬と同じ傾向があるなと思う部分がありました。そのひとつを紹介します。

「猫を過度に刺激する要因として気をつけたほうがいいこと」ということで揚げられていたことが次のようなものでした。
1 撫ですぎ
2 攻撃的な遊び
3 環境の影響による興奮
4 過度に体をゆすったりしてほめること

これは犬にも当てはまることです。
「撫ですぎ」と「過度に体をゆすったりしてほめること」の二つは、実際にやっているい主さんも多いのではないでしょうか。

「撫ですぎ」といわれると、撫でて可愛がるのがなぜいけないことなの?という質問がきそうですね。「撫でる」というコミュニケーションは接触を伴うコミュニケーションで動物同士でも特別な意味を持ちます。
コミュニケーションの方法は動物によって様々ですが、イヌ科のイヌという動物がイヌ同士で接触しながらコミュニケーションをもとうとするのは、幼少期の子犬に対する親犬や世話犬の態度、幼少期の子犬同士のじゃれ遊び、青年期の犬同志の興奮遊び、繁殖期の性的な行動に見られます。これらは、いわゆる人の「撫でる」に相当するような刺激を受けるコミュニケーションとなります。まだ歩行できない子犬の世話に対する行動以外はどれも興奮を伴う行動です。
他の犬と犬の皮膚接触によるコミュニケーションは、かすかに触れるという程度のもので、これと比較すると明らかに人の「撫でる」という行為は刺激が強いものなのです。

ところが、犬、特に愛玩犬として人為的に繁殖されてきた犬は「撫でられること」を目的に飼われることがあります。ペットの語源も「なでる」という言葉から生じているという説もあるほどです。純血種の犬は、人の様々な目的に応じて作られてきました。働くための使役犬や観賞用の犬などもあります。愛玩犬もそのひとつだと考えると納得もいきます。

ですが、そのように繁殖されたからといって、犬を過剰に撫でることを受け入れさせるのも相手の立場にたたない行為ともいえます。撫でられることを喜んでいるように思える犬も、接触に対して依存的になっている傾向があるのです。たとえばこんな行動です。
飼い主の膝の上にすぐにのってくる。
飼い主のベッドでいっしょに寝たがる。
飼い主の体の一部に接触したがる。
ソファに座るとすぐに横にくっついてくる。
などはその例です。

犬ってこんなものだと思っていたという飼い主さんは、ぜひ犬という動物について知っていただきたいのです。少しずつ接触の仕方を変えたり、他の練習をいれていくことで、犬は自然な行動を取り戻していきます。
誤解していただきたくないのは、犬を撫でてはいけないということではありません。犬は適度にやさしく撫でられるコミュニケーションを好みます。それは、心を通じ合わせた家族や特別な知人からのものであり、そして何事にも節度というものが必要だということです。

「過度に体をゆすったりしてほめること」は犬に対してよく見られる光景ですね。
人が触り終わったあと、犬がブルブルっと身震いの動作をするようだったら、明らかにストレスを感じていたというシグナルですよ。撫でている途中で2本脚で立ち上がったり、跳ねたり、人に飛びついてくる行動や、体を押し付けてくるようなことがあったら、これも興奮行動といってやはりストレスを表現しているのです。

子犬のころに公園などで他人に強い接触をされていた犬は、成犬になってから人に対して興奮しやすいとか、自分の領域を守ることができないなど、社会化が難しい状態になっています。

それに反して、他人が触ろうとすると「ウー。」と小さく唸る犬は、自分の領域を守ることができる自信のある犬であるともいえます。こうした犬がしつけができていないといわれてしまうのは、とても残念なことです。

猫は普段の行動がゆっくりであるのに対し、犬は普段からの行動が早くなりやすく、興奮しやすい動物、もしくは興奮しているのが犬という動物だと思い込まれていることがあります。

興奮行動は脳をハイな状態にさせるもので、動物を疲労させてしまいます。
適度な興奮や運動は別としても、コミュニケーションはやさしくゆっくりとしたソフトなものに変えてみるのも、犬という動物を知る機会になると思います。


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犬のトレーニングって何?

昨日、福岡のFM放送「LoveFM76.1」の月下虫音(げっかちゅうね)という番組で、パーソナリティの大田こぞうさんがグッドボーイハートのブログを朗読してくれました。大田さんはグッドボーイハートの行動学を学ぶ講座を受講されました。大変刺激を受けた生徒さんのひとりです。

自分で書いたブログの朗読を聞いていて、自分でも反省するところがたくさんありました。
犬のトレーニングに縁のない方にも、犬について理解していただくために、今日は、そもそも犬のトレーニングって何?ということにお答えします。
どんな分野にもそのものの価値観が入るように、グッドボーイハートにもまた価値観があります。なので、あくまでグッドボーイハートが考える犬のトレーニングという視点でお話したいと思います。

まず最初に明らかにしておきたいのは、犬のしつけ・トレーニングを学ぶのは「飼い主自身」であり、その飼い主さんの目的に応じて、大きくふたつにわけることができます。
その1 犬の成長過程に応じて必要な環境や成長のチャンスを提供し、犬を理解するためのトレーニング
その2 犬に問題となる行動や状態が生じたとき、それを解決するためのトレーニング

その1の犬の成長過程に応じてというと、わかりやすいのは子犬のトレーニングです。飼育に必要なものを準備し生活環境を整え、犬がはじめて体験する首輪やリードといったものを犬にわかりやすく受け入れさせたり、適応力を育てる社会化の学習など、生後4ヶ月くらいまでに行われます。その後も犬の成長に応じて必要な理解やコミュニケーションを飼い主さんに知っていただくことで、成長過程に応じたトレーニングは継続されます。犬は7歳ころになると安定した気質をみせはじめますが、またこのさき9歳くらいから体の変化がみられるようになり、年齢に応じた生活環境の整え方やケアの仕方、過ごし方など、老犬になっても「成長過程に応じた」トレーニングを受けることができます。

その2は犬の問題となる行動や状態が生じたとき、これは飼い主さんが犬を飼うことに苦痛を感じられるようなことがあった場合にご相談を受けるケースです。トイレの失敗、いたずら、リードのひっぱり、吠え、かみつき、他の犬と遊べない、来客にほえる、逃走、雷をこわがる、ごはんをたべない…などその問題は多岐にわたります。子犬のころからトレーニングを受けられていても、忙しい飼い主さんの練習が進まないとか、環境によりストレスがかかってしまうなどの理由で、生後6ヶ月を過ぎるころから問題となる行動が生じることもあります。

成長過程に応じたトレーニングは、まだ問題がおきる前に成長を支えるトレーニングであるのに対し、問題が生じてから対応するトレーニングは問題を解決することが目的となります。

後者の犬の行動の問題を解決するトレーニングはへの対応は「対処法」と「行動療法」が行われます。「対処法」とは、とりあえず問題が悪化しないように、一時的に処置を施すものです。一方「行動療法」とは行動の要因をつきとめ、根本治療にあたっていくことをいいます。行動療法を行う際も、対処法は一時的には必要のため平衡して行われます。
と、このように書くと、家庭犬インストラクターの私が犬に直接的に行動改善を行うように受け取られるかもしれませんが、問題行動を解決する「行動療法」も飼い主さんによって行われるもので、その手順をインストラクターが説明するという形です。

犬の困った行動に対する対処法はネットや本に出回り、今や情報があふれています。そのため対処法がトレーニングなのだと思われてしまうこともありますが、それは違います。問題の根っこのところから改善を目指していかないと、犬が本来かかえていた問題が解決したとはいえません。対処法はあくまで「人が困らなくなるための一時しのぎの対応」だととらえてください。犬に罰を与えるなどの対処法はのちのち犬の性格を不安定にさせる原因となり、決してお勧めできません。

さて、トレーニングの目的は異なっているとしても、どちらを学ばれてもやっていることは同じことのように感じらえるでしょう。犬という動物を犬として理解すること。動物と暮らすためにはこれに勝る勉強はないと思うのです。犬のしつけ方教室に通った事がない、トレーニングを受けたことがない方でも、犬と暮らしているかたなら先生は目の前の犬です。犬のことを理解できるようになると、犬との暮らしはとても豊かなものになります。

昨日の大田こぞうさんのコメントでは「先生は決して答えを教えてくれないんですけど…。」といわれていました。
これは本当、その通りです。私が飼い主さんに出すのはヒントだけ、なぜなら答えは飼い主さんが知っているからです。理解できたときの感動を味わってもらいたいと思いつつ、いつもワクワクしながら楽しんでいます。






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オスワリとフセはできるのに…。

トレーニングのご相談やカウンセリングの際に飼い主さんによく言われることがあります。「うちの犬はオスワリとかフセはちゃんとできるんですけど」。オスワリやフセはちゃんとできるのに、やってほしいことができないとか、他に困ったことをしてしまうということです。特に室内犬にこの傾向があるように思えます。

子犬を飼い始めたときは、飼い主さんも気合や楽しみがいっぱいです。犬が家に来たら、早速オスワリやフセを教え始めるでしょう。大好きな食べものやオモチャを犬に見せれば、犬はこちらをみます。それを使ってオスワリやフセを教えるのはそれほど難しいことではありません。早ければ数回で覚えてしまうかもしれません。犬が幼少期であればあるほどその覚えは早く「うちの犬は頭がいい!完璧!」だと感動されることでしょう。そして、これで犬のしつけは十分にできていると思い、目の前で起きている少し気になることも、犬が年をとって落ち着いてくればそのうちに止めてくれるだろうという、淡い期待を持ってしまいます。もしくは、成長と共に生じてくる「吠える」「興奮する」という行動も、「オスワリもフセもちゃんとできる。しつけはきちんと教えてあるから大丈夫。」と思って見逃してしまうかもしれません。

ところが、犬の少し気になる行動はなくならないばかりか、新しく生じた問題となる行動や困った行動などが出てきてしまいます。

「オスワリもフセもちゃんとできるんです。子犬のころにパピー教室に通ってちゃんとしつけをしたんです。」飼い主さんにとっては何でもものをおぼえるお利口さんの犬が、どうして困ったことをするのだろうという状態になり、飼い主さんも混乱してしまうようです。

こうしたケースで犬が困った行動を起こしてしまうシチュエーションは、飼い主さんが犬の相手をしていないときです。たとえば、犬がそばにいるのに家族と話している、散歩中に人とお話する、他の犬の相手をする、電話をかける、パソコンをする…などですね。飼い主さんが犬をしっかり見ていて、「オスワリ、おりこうさんね~。」とか「フセ、イイコだね~。」といっているときは、ちゃんと言う事を聞いてくれます。犬は「わたしを見て!」「ボクに声をかけて!」という状態ですから、相手をしなくなると、ものを破壊する、吠える、マーキング、テーブルの上にのる、などと、飼い主が止めに入らなければいけない状態をつくっていきます。飼い主の気を引く行動をしてしまうのです。

では、どうしてこんな問題が起きるのでしょうか。

犬のしつけとトレーニングについて誤解されていることがあります。それは、犬のしつけやトレーニングは犬のしつけ方教室に通って犬にオスワリやフセを教えることだと思われていることです。同様に犬に合図を言って行動をさせる芸やトリックのトレーニングは、一定の目的を果たしてくれることがありますが、やりすぎると本来の目的を見失ってしまいます。
なぜかというと、たとえば「オスワリといって犬が座るように教える」というトレーニングは人から犬に話しかけ相手が聞くというコミュニケーションではありますが、一方通行のコミュニケーションなのです。犬が人に話しを聞いてもらえる対等性のあるコミュニケーションではありません。
そのため犬はいつまでたっても感情が満たされず、犬の方から飼い主に関心をむけさせるようなコミュニケーションをとろうとします。そしてそのやり方は激しく非常にイライラとしたもので、飼い主さんをも苛立たせるものになっています。他の犬にも同じように働きかけますので、他の犬をイライラさせたり遠ざけたりするような結果になってしまい、犬はますます孤独になってしまいます。
それが一時的なものであれば、こちらの接し方を変えるだけで自分を取り戻し正常なコミュニケーションが復活します。ところですが、成長過程で一方通行のコミュニケーションを受け取り続けると、成長期にきちんとしたコミュニケーション力が育っていない、つまり社会性が未熟な状態となり、問題は多少複雑になっています。

ここまで、理解していただけたでしょうか。

で、どうすればいいの?というのが一番知りたいところでしょう。
まず、合図を出して反応させるトレーニングを終了してみてください。そして、犬の行動について勉強してください。犬の行動はすべてがコミュニケーションや表現方法であり意味のないものはありません。どんな行動も関心をもって見守りその意味を知ってください。行動の意味がすぐにわからないこともあります。そのときは一旦「わからない行動ファイル」にいれておいて、引き続き観察を続けます。そうすると他の行動と結びうつきその行動の意味がわかるようになります。ネットや本の情報に頼りすぎないでください。犬という動物として本来はでにくい行動を、人との生活の中で身に付けています。その環境の中で生じたコミュニケーションは個性の高いものになっています。飼い主さんの影響をたくさん受けているのです。

問題があっても、すぐに解決しなくても大丈夫です。自分の犬を知りたいと思う気持ちがあれば、きっとそういう人たちとの出会いが増えていき、犬への理解につながる輪ができあがっていくと思います。

期待はするなかれ、でも希望は大きく持ちたいものです。

わんこ山いちご0531


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犬と犬の対面、落ち着かせの道具とは

プライベートクラスを受講している犬を他の犬と会わせるクラスを開催しました。

犬と犬の対面のためにはいくつかの条件があります。そのひとつが飼い主さん同志の関係です。

体面する犬たちの飼い主さんは、グッドボーイハートに長く通われいてる生徒さん同士なので、クラスの学びの中で犬の行動や習性、理解についても同じようなものを持っていらっしゃいます。またお互いの距離感もしっかりしているため、対面のクラスを安心して行うことができます。

次に、あわせるときに犬が興奮をどのくらい下げられるかということです。どの犬も、特に他の犬と関係性をつくったことのない経験値の低い犬であれば、犬に対し緊張、恐怖、興奮が生じてきます。それを軽減させるためには広いスペースや、犬の排尿の臭いのしないような場所を選ばなければなりません。

さらに、犬の興奮をさげるための道具があります。何だと思いますか?
食べものだと思った方、残念ですが違います。オモチャですか?それも違います。首にショックをいれる首輪?いいえこれも違います。

答えは、リードです。

リードをつけているときに興奮している犬を見かけたことがあるでしょう。リードを引っ張る、飛び上がる、吠える、などですね。リードを外してしまうとこれらの行動がなくなるため、リードは犬を興奮させると思っているかもしれませんが、原因はリードではないのです。リードは犬と人を直接的につなぎます。そのため犬と人の関係性を見事に表現してしてまうのです。犬と人が信頼関係をつくるとリードは魔法の道具になります。

さらにリードには奥義があります。リードをコミュニケーションの道具として使えるようになると、犬に「落ち着く」ことを伝えていくことができます。合図や命令でもなく、オヤツも使いません。リードを急にひくショックを与えることもないし、声は全く使用しません。これはなかなか難しいのです。というのは技術ではないからです。上述した犬と人が信頼関係をつくるという姿勢をもっていれば、リードはこのような使い方になっていきます。

今回の対面の前には、他の犬との経験が未熟な犬の方がリードをつけて歩いているときに、興奮がますます強くなってしまい、対面相手の犬にもストレスを与えてしまいました。そこで、その犬のリードを私が持ってサポートさせていただきました。犬は落ち着きを取り戻し、無事に他の犬との対面を果たしました。飼い主さんに実際のリードを持っているや、落ち着いていく犬の姿をみていただくこともトレーニングのひとつです。ですが、なんどもいいますが、技術を身に付けようとしないでください。リードをつけていないときの犬への接し方、犬との過ごしかた、犬と生活、それらが全てリードをつけているときに現れているのだと思い、少しずつ見直して改善していきましょう。それが犬のトレーニングです。

今回の犬と犬の対面もそれぞれの犬について知る機会となりました。
今週日曜日は犬語セミナーです。もう今からワクワクしています。

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変わる生態系と猟

知人のお友達が猟師という仕事に転職されたということで
会ってお話を伺う機会を得られました。

猟師やイノシシ猟などに対する以前の私の姿勢は、多少嫌悪的な部分を含んでいました。
福岡や佐賀の山では、毎年3月の猟期になると次のシーズンには使われない猟犬たちがたくさん山に放置され、捕獲されているという現状を目の当たりにしてきたからです。
「猟のために犬を使い、いらなくなったら捨てる」
そんなことが行われている「猟」という作業に、違和感を抱かずにはいられませんでした。

ところが、犬のことを考え、自然とのつながりについて考え、そして生態系という環境について知る中、猟師という存在についても前とは違う関心を持つようになっていました。ですから、今回、直接現場のお話を聞けたのはとてもラッキーでした。

狩猟の対象になっているのは、農作物に被害を及ぼしその頭数が年々増えているため捕獲すると報奨金の出る「イノシシ」と「シカ」だということでした。
州のある地区のイノシシとシカの捕獲数は1シーズンで1100~1300にものぼっているそうです。
捕獲しなければいけない頭数が決められているのかと思ったら「いくらでも」ということでした。
ところが、これだけの数を捕獲しても頭数はまだ増え続けていて、このままいくと報奨金もおいつかなくなるのではないかというほどの数になっているそうです。
そうなると、捕獲した「イノシシ」と「シカ」はその後どうなるのか、ということころが気になるところです。実はこれが本当に大変なことらしく、解体の技術的な問題、解体に必要な設備、解体後の処理の仕方と猟師さんによりマチマチで、できることもやりたいこともそれぞれに違っているようでした。

解体に時間と手間をかければかけるほど、安く販売しすぎれば赤字になってしまいます。
でも捕獲した獲物は大量にあるので、どのように流通で販売していくかということを考えていかなければいけないそうです。報奨金だけが目当てなら猟の後にその獲物は山中に放置されることになります。猟師としてこれはできないということですが、命をいただくなら大切に食するというのは、私たちが小さなころから教えられた礼儀のようなものです。そこで消費対象者を絞るとターゲットの入り口は犬になります。
ペットショップでもシカ肉のジャーキーが販売されているのを見られたこともあるでしょう。シカ肉やイノシシ肉の生肉をネットショップで販売しているのをご覧になったり、すでに犬に与えている方もいるかもしれません。犬たちは事情を知る由もないため「最近シカジャーキーがやたらと多いよね。」とお気楽に喜んでくれそうです。


しかしなぜ、こんなに農作物の被害が多くなったのでしょうか。理由はひとつではありません。
たくさんある理由の中のひとつには、日本の山からオオカミを消し去ってしまったことがあると思います。
戦後西洋から新しい価値観が入ってきて、みんなが洋服を着てハイカラさんになっていくとき、オオカミに対するひとつの価値観が入ってきました。「赤ずきんちゃん」です。オオカミは怖いて恐ろしい動物で、絶滅させなければいけないという価値観に変わり、オオカミの駆除のためにやはり報奨金が出されていたのです。オオカミの頭蓋骨の数で報奨金が決まるので、猟師さんたちはたくさんのオオカミを駆除したことでしょう。そして日本の山からオオカミはいなくなりました。オオカミはイノシシとシカを捕食する動物だったので、捕食者がいなくなったことでイノシシとシカの数は増えていきます。

時代は変わり、今は「イノシシ」と「シカ」に報奨金が出ます。人の力は小さいもののように思えるのですが、それでも人の動物に対する価値観が生態系の形に影響を及ぼして来たことは、まぎれもない事実です。日本のオオカミは一説では絶滅した、一説ではまだ生きていると意見もさまざまです。真実は山しか知りません。
私たちが知ることができるのは、私たちが何を大切にしたのかということ。行き当たりバッタリの対応は、日本オオカミのくり返しになってしまいます。山の動物のこと、猟師さんだけの問題ではなくて私たちの問題として、そして、私たちと犬の問題として考えていきます。


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雨の日の散歩が嫌いですか?

沖縄に梅雨前線が上がってきました。福岡の梅雨入りも秒読み態勢にはいりましたね。

ある飼い主さんから、雨の日の散歩についてこんなご不満をうかがいました。
「雨の日は散歩に行きたがらないんですよ。排泄もなかなかしてくれなくてガマンしているみたいだし…。」

「雨の日に犬が散歩に行くのを嫌がる。」
これにはいくつかの理由が考えられます。

ひとつは、そもそも動物は雨の日には活動量が落ちるという理由です。
雨の日は地面の臭いは、いつもとは異なるものになります。
晴天の日に臭いをとりながら家の周囲のなわばりについて確認するための散歩も、
雨の日となると臭いの変化が起き普段とは異なる環境になります。
また、雨の日は神経がリラックスモードの方に切り替わりやすい状態になっています。
そのため動物の活動性が抑えられます。
雨の日は屋内でゆったりした作業をしたくなるとか、ですね。
それでも小雨程度なら平気です。普段と変わらず散歩を楽しみます。

たいした雨でもないのに散歩に行きたがらない場合に考えられること。
ご自宅のワンちゃんはどうでしょうか。

このケースの中には、犬の被毛の状態によることが結構あります。
被毛がいわゆる「人工的な毛質」である犬たちです。
たとえば、クリクリのぬいぐるみのような毛、シルキーなやわらかい毛、長毛であること、
毛がほとんど生えていない、毛が非常に短い、などの犬たちです。

これらの毛質では、犬のレインコート代わりのはずの被毛は、水をはじきません。
水を吸い込むタオルのようにビショビショになってしまい、その姿は濡れぞうきんのようです。
表現として可愛そうですが、スミマセン。
ですがこれは本当のことで、服を着たまま雨にぬれた私たちと同じ、いやそれ以上に過酷な状態なのです。

特殊な毛質になったのは、人為的な繁殖によって本来の毛質を失ってしまい、
イヌ科動物としては本来のものではない毛質を残されてきたことによります。

「えっ!なんで?」と思われるでしょうか。
答えは簡単です。そもそもその繁殖の目的は「人為的」であり、
繁殖で残される形質は「人の為」であるからです。

こうなると犬にレインコートも必要だということになってきます。
被毛がコートの役割を果たさないのだから、代わりのものを着せるしかありません。

人工的な被毛はすべての犬が100%水をはじかないわけではありません。
それぞれの被毛の質は個体による差異もあり、中には若干その役割を果たしているものもあります。
また、毛質を少し鍛えることで、ぬれにくい状態をつくっていくことが可能な場合もあります。

犬の被毛の状態を良く見ながら、必要な対応をしてあげてください。

天気により極端に行動が不自由になることなど、動物にとっては大変なことです。
レインコートや傘をさして歩く私たちと同じようにはとらえられない問題です。


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理解されるということ

今日はオポが少年期にお世話になった山暮らしをしている知人の家を訪ねました。

オポは7歳まで博多のマンションの一室で飼い主の私と暮らしていました。
オポが1歳を過ぎたころに、犬の雑誌の編集の仕事をされていたその方と出会いました。

都会暮らしでありあまった元気なオポを見て「うちに連れておいでよ。」といっていただきました。
その方の家にも2頭の大型のオス犬がいて、自然の澄んだ空気の中で山を歩くのが散歩になる生活は、
私のあこがれそのものでした。

オポはこの家の近くの川で遊んだり、年上のお兄ちゃん犬とコミュニケーションをとったり
山道を散歩したりして、都会のストレスを発散させていました。オポにとってのオアシスでした。
連れてくると必ず「帰りたくない」シグナルを連発するので、私もへこんだものです。

この出会いがあり、私とオポはある転機に七山という奥山に引っ越すことを決めました。
それからオポが七山を離れることはなく、再会をしたのはオポが亡くなる2年前でした。
オポが体調を崩していたこともあり、元気な姿を見せることができなかった事は気がかりでしたが
そんなオポでも立派に年をとり真剣に生きていることを受け取ってもらえるのでは、という思いもありました。

オポと私が博多の街中で暮らしていたときに、
「オポがいなくなったときの宮武は見たくない。」といわれたことがあります。
思い切って「オポがいなくなってからの私はそんなにひどいですか?」と尋ねてみました。
すると「最後にオポとあなたを見たとき、すでにそれは感じなかった。」といわれました。
私がオポに起きることを受け入れる準備ができている、そういう関係だったと感じられたということでした。

七山という場所で暮らしたオポと私の間に起きた関係の変化を読み取ってくださったことが、
とてもうれしく感じられました。
すべての人に理解してもらうことは不可能だと思うことは、
理解されなくても仕方ないという諦めの気持ちにもなってしまいます。
そういう深い部分を説明しないのに感じ取り理解されているということは、心からの安心感につながります。

これは犬と人の関係にもつながることではないでしょうか。

犬と人は種の異なる動物であり、基本的な行動もコミュニケーションや習性も異なります。
だからこそ、犬が飼い主さんに理解されたときに感じる安心感は特別なものだと思います。

お互いを理解するというのは、最高のコミュニケーションと関係作りです。

「うちで鍋以外のゴハンを出すのは“最大の歓迎”ってことだからね。」といわれ、
しっかりと味の付いたお手製スープを食べさせていただきました。
分かりやすいシグナル、コミュニケーション。全て犬がお手本ですね。


テント場のオポ2


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動くものを追う行動は本能なのか?

昨日のブログに、山歩き中に野うさぎと出くわしたことを書きました。
「犬の反応はマチマチです。」という文章を読んだときに
「うちの犬だったら追いかけただろうな。」と思われたでしょうか。
「うちの犬だったらどうしたんだろう、予想がつかないかも。」という方もいるでしょう。

猫を追いかけたり、走る子供を追いかけたりする、動くものを追う行動を
「犬の本能」だといわれることがあります。
他にも動くものとして、枯葉とか、ハエ、トカゲ、ヤモリなどもありますね。
本当に「動くものを追うことは犬の本能」なのでしょうか?

動くものを追うことが本能だといわれる所以は、犬が捕食動物だからです。
獲物を食べるために捕らえる行動をするため、その獲物を追いかけるという行動をします。
それが「動くものを追う」という行動と同じことになります。

ですが、動くものならなんでも追うというわけではありません。
ボール遊びが好きな犬が、転がっていくボールを追いかけていくのは
そのボールを食べるためではありません。

トカゲやミミズなどの動くものを追って殺してしまうこともありますが
それを食べるわけではありません。

犬が捕食行動に入る際には、いくつかの条件が整っていること、また
捕食行動が始まる際の行動のパターンというものがあって、そこから捕食行動が始まっていきます。

いくつかの条件のひとつには、捕食を必要とするほど空腹であるということです。
野生動物が無駄に食べ過ぎていないことはみなさんもご存知ですね。
捕食しすぎたらえさがなくなってしまうなどと、生態系の維持を考えているわけではありません。
捕食行動にはエネルギーを必要とするため、無駄な捕食はしないという機能が備わっているためです。
ペットの犬たちはいつもお腹いっぱい食べています。空腹知らずといってもいいでしょう。
犬がいつもお腹をすかせているように感じるのは、3日分くらいは一度に食べて消化する機能、
つまり「食べためる」機能も持ち合わせているからです。
空腹知らずとはいえ、人の味わう満腹感を知っているのは、
留守中にドッグフードの袋に頭をつっこんで食べたことのある犬くらいです。

捕食行動の始まりのパターンは、目の前を通り過ぎた動物をいきなり追いかけるという
行動からは始まりません。
特にテリトリーから離れて、グループで移動の最中には、自分だけがそのグループを離れる行動は
できないのです。
グループを衝動的に離れるということは、群れを離れるということ、社会性の高い犬にとって
最も危機的な行動になります。

動物はいつも自分の身を守る必要があります。
捕食に関する行動は自分と群れの安全が守られていることが前提で、計画的に行われています。

移動中に目の前を野うさぎが横切ったら、一旦停止し環境を確認し異変がなければ前進、という行動が群れ全体を安全に導く行動です。
衝動的に走り出そうとする犬がいれば、制止の声を出して止めるのが管理者の役割です。

野うさぎに気づきもしなかった犬は環境の変化に対する理解力が低い状態です。
このタイプの犬はのんびり屋さんではないのです。環境を把握する能力が低いのは
能力の違いのひとつですが、併せて経験不足と遺伝的な情報不足によるものがあります。
ビックリすると走り出す可能性もありますので、細心の注意を必要とする常態です。

犬が「動くものを追うのが本能」ではあるのですが、細かくみるとそうばかりでもないということです。
自由な環境を与えられないため、衝動性が強い犬が増えています。
環境制限をしていれば衝動が強くても事故にはつながらないからです。
ハエやトカゲ、道路に舞う葉を追っている犬たちは、本能に従っているのではない、ということなのです。


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わんげる・ミーティング開催しました

今日はわんこ山でのデイキャンプ「わんげる・ミーティング」を開催しました。
少し蒸し暑くなってきたけど、まだ風の冷たいこの季節に山で過ごせるのは最高です。

春から夏にかけて、また山の風景は少しずつ変化していきます。
春が始まるころは、色とりどりに咲く花や、小鳥達のさえずりに心ときめくものですが、
梅雨入りを意識する頃になると、苦手な虫の出現に悩まされるものです。

今日は特に蒸し暑く、蚊の数が今までよりグンと増えたと感じました。
ところが、この人も犬も苦手な蚊の姿も、山の奥に進むほど数が減ってきます。

何が違うのかというと、山の樹木の種類が違います。
人里に近い山にみられる樹木は、ほとんどが杉や孟宗竹です。
これらの樹木は手入れが不十分な山では、日当たりが悪く暗く湿気も多いのです。
蚊はこういう環境を好みます。杉林では蚊柱を見たこともあります。

人里から離れていくと原生林がひろがってきます。
100歳を迎えているであろう樹木とその子供の木々が立ち並びます。
森の中はやさしい日差しが差し、心地よい風が吹いてきます。
この景色の中には蚊が見当たりません。

人里近くに蚊を寄せ付けてしまったのは、人が作った環境だということです。

わんこ山は当初手入れをされていない杉林だったものを、広葉樹に植え替えて今年で10年を迎えます。
木々は育ち日陰もずい分できるようになりました。

下山の途中に、私たちの列の間を野うさぎが走って横切っていきました。
後を追おうとする犬、うさぎに気づかなかった犬、対応はマチマチですが、
こうした出会いも珍しいものです。

暗い杉林が広葉樹の小さな森になりつつあり、木陰ができて草が生えて
そして、野うさぎが戻ってくる。

わんこ山はますます活気づいてきそうです。

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