グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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セミナーを担当させていただきました

先日、行動学入門編のセミナーを担当させていただきました。
このセミナーはグッドボーイハート主催のものではなく
ご縁があった動物管理センターの職員の提案に協力する形で開催が決まったものです。

当初は管理センターの職員の方を対象としたセミナーとなるはずでしたが
直前にいろんな変更が重なり対象者を変えて開催することになりました。
ドッグスピリッツやグッドボーイハートのメンバーも参加できることになり
良いタイミングで新たな視点にたつ機会として参加できた方もいたようですね。

動物管理センターの存在やその役割について充分に理解している人はまだ少数でしょう。
処分される動物たちがいることやその動物を思いやる気持ちも大切ですが、もっと別の視点から見たり聞いたりすることで気づくことを必要とされていると感じます。

たとえば、なぜ動物を管理する施設を私たち自身が作り今も必要としているのかを知ること。
また、その施設がどのようなシステムによって運営されどのような目的を果たしているのか。
そして動物の福祉活動という形で動物管理センターなどの施設との関わりを持つ場合には
求められていることは何で、自分にできることは何かをはっきりとさせる必要があること。
こうしたことが自分の中でベースとしてあるという事が関わりをもつ相手を安心させることにもつながります。

私が心がけているボランティアの姿勢というのは以下の3つです。
「私にできることは何かを知っていること」
「相手が何を求めているのかを知っていること」
「共にできることは何かを共に考え見つけて行動をすること」

今回のセミナーは動物管理センターの職員のみなさんと共通の情報を持つことで
「共に何ができるかを共に考える」入口になればという気持ちで内容を決めました。

もっと一気に飛び越えて「ああしたら、こうしたら」と大きな動きを期待されがちですが
最初の変化は少しずつ起こってくるものです。
小さな変化をくり返しながら次第に必要に応じて変化するときには大きく変わります。
こうした物事の原理はみな同じなのかもしれません。

飼い主が犬に対して「こうなってほしい、ああなってほしい」と期待することは
逆に犬を落ち着かない状態に追い込んでいきます。
また「かわいそうだから」と手を出しすぎることも同じ結果を生み出します。

小さな変化が起こるように飼い主自身が協力してその環境の改善に取り組めば
犬の行動や内面はゆっくりと変化をはじめ、気づくと大きく変わっていることがあります。

こうなったらいいのに、ああなったらいいのに、という気持ちは一旦奥へ置き
現実をよくみて話しあいできることから始めていくのはいかがでしょうか。

現実をよくみるということは自分自身をよく知るということです。
自分を知って関わることで自分が成長するチャンスをいただくことになり
そのことが関わる全てのものにとって良きものとなれば、それはまた自分に還ってきて感謝して受け取るすばらしいものとなります。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

わんげる・ミーティング

雪は去り暖かな雨の一日。
あの休日は奇跡的に、いや必然的に晴れたのかな。

キャンプ場を貸し切って自然の中で過ごすというクラス。
だけどグッドボーイハートの学びの場だからルールもたくさんあります。

当日はビデオスタッフの協力も得て犬語セミナーのネタ探し。
わたしの方は久しぶりにビデオ撮りから解放されて万全の体制でのぞみました。
「万全の体制って?」つまり監視、管理、指導…などに集中できたということ。

詳しくは犬語セミナーで…ですがこの日に感じたこと ↓
「その自信どこから?」でした。

ビデオ上で見る以上に犬たちは飼い主さんにピッタリ。
リードを付けているときの方が離れていますね。
なのに「その自信どこから?」

このことを思いついたときに今読んでいる「脳」の本にも同じことが書いてあったことを思い出しました。
「その自信どこから?」

これは性質(人でいう性格)や犬種の問題ではありません。
こういう犬種だから…
こういう性格だから…
いや、逃げる手なしです。
あえていうなら
こういう脳の機能だから…か…。

ところがどっこい、脳の機能は日々変化していることは周知のとおり
読書習慣が続いています。
最近は犬についての情報を得るために本を読むことはないけど、別のことに本が必要になることがあるので。

犬についてのいろんなこと。
最初は「ああ、そうか」と瞬時にわかるんだけど
それを自分に説明するために必要な時間があって、それを人に説明するためには本が役立つのです。
読む本は犬の専門家の本ではなく様々な分野のスペシャリストの本になります。
それは科学だったり、心理だったり、哲学だったり。そしてこうして人に伝えるというツールができあがってきます。

なのでツールがないときには
「どうしてですか」の質問にも「そうですね、なんとなく」と答えます。
説明できそうなときにも、時期でないと思えば「そうですね…」で終わりますけどね。

新しい読書習慣がはじまったのは犬ナティボ中級クラスの開講準備中なので。
「そっか、わかった」がたまってきたので、飼い主さんの「わかった」に変えていただきましょう。

その自信どこから?の犬たちのなぞ解き明かすのも楽しいものです。

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Posted in クラスのこと, 犬のこと

となりの犬:微妙な境界線で微妙な関係を保つ犬たち

グッドボーイハート七山校、つまり「オポ邸」の入口を護るのはオポと私の共同作業。
私よりもオポの方がセンサーが格段にいいことは言うまでもない。

お客様や宅配便、そして近所の動物たちのどんな来訪をも気づかぬことはない。
ところがただ一つの動物だけがゲートのフリーパスをオポから渡されているようだ。

彼の足あとである。
ゲートの下をくぐって入ってきてゲート沿いに反対側まで歩き
ふたたびゲートの下からくぐって出て行った様子である。

普段は犬が臭いで見ているものを目でみることができるから
雪の日は人間の私にとって彼の来訪回数がわかりやすく雪の日の楽しみにもなっている。

私たちが山に行っている間に来訪されたようで
オポが柵越しに様子をうかがっている。

「彼」というのはオポの住処に最も近いところにテリトリーをもつ犬のことだ。
オポよりも若い昔流行ったスピッツ犬の風貌を思わせるような伝統的ミックス犬である。

オポの姿が見えれば柵越しにあいさつに来ることもあるし
オポが庭にいないときに柵の中に入ってきてもオポはなにも言わない。
もっとびっくりするようなことだってあった。

オポと彼には線をひくような境界線がない。
彼が来たときにゲートを開けても、オポは彼を追ったりはしない。
ゲートから少し入ったところまでは来るが山に上がろうとするのを見たことはない。
この犬達の間に結ばれているものは、都会では見ることができなかった。

人間にはさほど関心がないようで私が立っていても近づいてくることもない。
その彼が、今日はめずらしく私に関心を示してくれた。

雪のため車を下の道に止めておいたからだろうか
車を止めていたのは彼のテリトリーだった。
車で作業をする私のそばを離れず
私が車から降りると近くまで来て臭いとりをして私を確認する。そして自分の家へと帰っていった。

彼の見回り(嗅ぎまわりかな?)は1日数回。
雨の日も雪の日も、つないである紐が外されている限り欠かすことはない。

オポと彼の不思議な関係は
オポと私の中での「犬ミラグロ」であり
私にまたひとつ「犬ナティボ」を教えてくれた。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

これもメッセージ?

「犬たちがいろんな形でメッセージを送ってきてますよ!」とお伝えしていたら、
「こんなこともメッセージですか?」と質問がたくさんです。そう、みなさんがそうかもと思っているのは きっとどれもメッセージです。

メッセージの伝え方も、受け取り方もさまざまなんですよ。

近頃、GBHのクラス生が「夢」に出てくることがあります。
犬だけのこともあるし、飼い主さんと一緒のこともあります。
コメントがあることもあるし、ただの姿だけのこともあります。
「先生の夢にでてきたらおしまい・・・」
なんて言っていた方もいたけど、
別に「おしまい」っていうことではありません。

「いやー、私は夢なんかみたことない。」という方も安心してください。
現実的な形で犬はいつでも愛する飼い主さんにメッセージを送り続けています。
あとは受け取るのみ。

先日のグッドボーイハートのグループクラスの後にも見事にメッセージが残されていました。
他にもメッセージには「吠える」「鼻をならす」という音によるものもあります。

こうした日常のメッセージを見逃さずにきちんとむきあって受けとっていくこと。
難しいことを教えるよりも、きっと大切なことです。
受け取るときには「人の都合」にならぬように
そして受け取ったら答えてあげてください。

明日からドッグ・ヒーラー養成クラス(現在の名称は犬ミラグロコース)が始まります。
こうした気づきのメッセージのひとつひとつに向き合いながら
犬という扉を通じて命のつながりを知るクラス。
そのクラスの力はグッドボーイハートにつながるすべての方のところに届くでしょう。さあ、楽しみましょう!

Posted in 犬のこと

犬と飼い主って似てる?

つい先日、ヒーリングクラスのときにある生徒さんと話していた話題。
すぐにこうやって伝わってきます。

こんな会話をしました。
「○○ちゃんに似てるよね」と私がいったところ
「先生もオポ君に似てますよ。」と返され
「私ってあんな顔してる?不機嫌な感じは似てるかも。」という内容でした。

今日、インターネットの配信ニュースに
『犬の顔は飼い主に似る?』の文字をみつけました。
なんでも、関西学院大の研究グループがペットと人間の「顔面相違」に関する調査結果をまとめたそうです。
大学の研究となると社会に役立つテーマとして取り上げられたっていうことですよね。
そういう意味ではなんかうれしいですね。

調査の対象となったのは犬と飼い主。
結果的には「似てる」となったようです。

研究グループの教授によると
「人は見慣れたものに好感を抱くため、自分の顔とよく似た犬を飼い犬に選ぶ傾向があるのでは」と話されているそうです・・・。
権威ある大学の研究結果なので、何か深い考察もあるんだろうけど
みなさんはどう思いますか?
見方はそれぞれなのでいっしょでなくてもいいでしょう。

ちなみにうちは「顔」をみて決めてないです。
「顔」見て決めてないのに似てるのか?
なぜだ。
答えはみんな知っています。
もちろん、私もオポも知っています。

この大学の調査結果はイギリスの専門誌に掲載されるそうです。

『似てるかな・・・・・』

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Posted in 犬のこと

呼び名のいろいろ

先日のグループクラスのことでした。
いつも元気に参加してくれる男の子に思わず「○○ちゃん!」と呼びかけたところ、「ボク、男の子だよ。みんな間違ってるよね。」と返されてしまいました。

小学校3年生も過ぎれば子供の内面でも何かが変わり始めるんですね。
犬でいうと1歳半くらいの年齢です。
犬の中でも大人と一緒にテリトリーを守り始めるなどの自覚ある行動をするように
なります。他の犬に対しても境界線を引くようになったり、他の成犬に対する行動も
今までとは少し異なるものになります。

もちろん、他人にたいしても、そして飼い主に対する行動も若干変化がみられます。

実はオポも年齢とともに呼び名が変わっていきました。
みなさんからはこう呼ばれていました。
オポちゃん→生後6ケ月くらいまで
オポくん→3才くらいまで
オポ兄(にい)→今でもそう呼ぶ方もいます
オポ先生→7才くらいからかな
オポさん→こちらも最近ふえてきました

今年みなさんからいただいた年賀状も、オポちゃん、オポくん、オポにい、オポ先生とあり、いつ頃からオポとの関係を築いてこられたかがわかります。

面白いのは、小さいころに出会った飼い主さんは今でも「オポちゃん」だし
最近の生徒さんは「オポ先生」と呼び、オポちゃんとは呼ばないんですよ。

人間でも同じようなことがありますね。
小学校1年生の同級生から電話があるときは「さっちゃん」
若い訓練士時代の仲間からは「みやちゃん」
最近は「先生」
と私の方も時代に応じて呼び名は様々です。

呼び名は自分をその動物との関係性を表します。
「チャン」づけされることを「くん」と呼んだり、ちゃんをつけずに呼んでほしいという気持ちは「自分はあなたとそういう関係になりたいんですよ」という意志表示です。
動物が大人になっていく過程でとても大切なことで、それを自分から感じられるというのはすばらしいことです。
大人として受け入れ、できることを頼み、対等な立場になろうとしていることを応援したいですね。

残念ながら犬は「ボクのことをオポちゃんと呼ばないでください」とか
「オポくんと呼ばないと来ないんです」ということもありません。

犬には自主的に意志表示をして呼び名を変えることができません。
もし身近なお友達犬で「大人になってきたな」と感じる犬がいたら
その犬に対する呼び名を変えてあげてください。
きっとそれにふさわしい自信のある行動をするようになるでしょう。

敬称のない呼び捨て「オポ」は、本当の仲間レベルになりたいときに用いてください。
あなたに何かあったら私がサポートするわよ。そのかわりお互いに秩序を守りましょう。
そういう気持ちをこめて「オポ」と呼ぶと、お互いの関係にも変化があります。
どんな敬称もその語句のとおり「敬意」をこめてつけることにはかわりありません。

呼び捨てとなる名前もその中に「敬意」があります。
まさに、お互いの関係を築いた「経緯」がそこに表現されているようですね。

「ボクはいつまで○○○ちゃんなのかな」

Posted in クラスのこと, 犬のこと