グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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写真撮影

ホームページをリニューアルするにあたり、真の入替も行うことになりました。
そこで、生徒さんにお願いしてトレーニング風景の写真を撮らせていただくことになりました。

久しぶりにご家庭を訪問したワンちゃんだったので「お鼻にキッス攻撃」の洗礼を受けました。話したいことがたくさんたまっていたみたいですね。
社会性がきちんと育っていて他者とのコミュニケーションを楽しめる犬は、犬のことを理解できる人といっしょにいることで社会生活に満足を得ます。社会性が育っているというのはそれだけ相手を観察でき相手のことも理解できるということだからです。

すでにトレーニングは修了されているので、撮影はポーズをとるような感じですすめられました。モデルになっていることがわかっているようで辛抱強く協力してくれました。

ルールが分かりやすく伝われば犬も安心して生活できますね。
よくルールを守る犬は飼い主さんに認めてもらおうとがんばっています。だから、犬がやりたいことに飼い主さんもつきあってあげるとお互い様ですね。

今日は協力してくれてありがとう。
またゆっくりお話しましょうね。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

コラム「たくさんの知識が必要なのか?~しつけ・トレーニング~」

久しぶりに美容室へいきました。グッドボーイハート福岡のご近所の美容室です。髪の手入れをしてもらっているときもこの地区の近所犬のはなしがつきません。
美容師さんはミリちゃんというミニチュアダックスの飼い主さんです。ミリちゃんの子犬時代からグッドボーイハートで犬のしつけやトレーニングを通して犬についてたくさん勉強され、散歩中に会う犬についてもわかることが多くあるといわれます。

「勉強する」というとどこから、どのくらい勉強すればいいの?と不安に思われるでしょうか。実はとてもシンプルに犬のことを学び始めることができます。

ミリちゃんの飼い主さんがグッドボーイハートに犬の飼い方について相談された理由は「犬を飼ったことがないし犬があまり得意ではないけど知人に相談されてつい飼うことになってしまったんです。」というものでした。家に迎えたミリちゃんのことがわからない、だけどきちんと育てたいという責任感からトレーニングは始まりました。

最初、飼い主さんは犬については真っ白の状態です。子犬がどのような生活環境を必要としているか、何をしなければならないのかなど、課題が決められインストラクターの指導によってトレーニングはステップアップしながら進みます。課題は「こうしてください」というものだけではありません。「ミリちゃんはそのときどうしていましたか?」という質問の方が多くなります。飼い主さんはミリちゃんをよく観察して、こういうときにこういう行動をするのはこういう意味があるのだな、と理解を深めていきます。

この段階で自己流のしつけ方にこだわりインストラクターのアドバイスを受け入れられなかったり、事前に得た知識「私は犬のことをよく知っている。」という気持ちが観察力を落としたりします。なぜしなければならないのかと納得できないとしない、という場合にはトレーニングはなかなかすすみません。それがわかるのは実際に練習をくり返し犬に変化がみられたときなんです。

大切なのは知識や情報を仕入れることではなく、この犬に何が必要なのかというシンプルな答えだからです。頭の中だけで知ろうとするのは意味がないばかりかその間にも犬は問題を山積みにしていきます。そのためにこの道の専門家がいるのです。美容師である飼い主さんは、専門家がいうことを「ただ実践するという力」を持っていました。技術は魔法ではありません。飼い主さんの受け取る力が大切です。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, コラム

超えるもの

いのさんの筍堀りのおかげで満腹を忘れることのないオポ。
準備が整っていればちゃんと芽が出てくるんだから本当に不思議。
それを探す術と獲る術を知っている動物たち。

オポたち犬は、本来なら一番上にいたんだろうけど
今のところは一番下で食べていることになる。
「いろんな事情があったのさ。そのうち話すよ。」
とオポがいうので、そのまま月日は過ぎていった。

自然の中で起きていること、自分の知らない世界
たくさん知りたいから、知っている人が描いた作品なども見る。
「先生の家にそっくりの家がでてくるんですよ。」といわれて
ちょっとだけ関心のあった映画を借りることができた。
なるほど「力を込めないと開かない洋風の窓」のことね。

そのシリーズは自然や宇宙について大人と子供にもわかりやすく表現してある。
映画をご覧になっていない方のために、できるだけ簡単に…こんな感じで。

少女は大変好奇心旺盛で、いろんなことに興味を持っていた。
年齢も大人に近づいてくると、その好奇心で次々と行動を起こしていく。
大人の目線から見ると「危ないから止めなさい」といわれるくらい。

結果、好奇心から行動したことで問題を起こしてしまい
それが家族(仲間)にまで危険を及ぼすようなことになった。
少女は大変落ち込む。自分の行動で皆を危険にさらしたのだ。
だが、少女は自分でその問題を解決しようとさらに行動を起こす。

少女と出会った少年は心臓が悪く、文字通り心の病を抱えていた。
少年の両親は仕事に忙しく、少年はいつも一人ぼっちだった。
少年は少女に言った。「君には家族がいるんだね。うらやましいな。」

動物はみな好奇心というものを持っている。
性質によるから、好奇心の強い動物とそうでないものがあるだろう。
ただ、どんなに小さな好奇心であっても、好奇心のない動物はいない。

その好奇心を持ち、動物はいろんなことを経験する。
経験とは「良い事」だけをいうのではない。
それなのに犬に対して楽しい経験だけをさせようとしたり
安全だからと囲いの中に入れてしまおうとしていないだろうか。
安全に作られた遊具でしか遊ぶことが許されていない子供たちのように。

生きていれば辛いことを、だれしもが経験するだろう。
そのきっかけが「自分の好奇心」であったということが、自分を戒める結果にもなる。
未熟な自分によって起きたいろいろな経験は、今の自分を教えてくれるからだ。
そこで落ち込んでしまうのか。
落ち込んでいる犬を見て飼い主も落ち込んでしまうのか。
それは経験の内容によるのではないと思う。

経験は自分を成長させるためにある。
そして動物が自分できちんと選択して行動を起こしたのなら
それを超えていくのも、やはり動物自身なのだ。

成長というボタンを押してくれるもの、それが少女にはあった。
毎日協力しあって生活をし、共に暮らしている家族。
家族の絆といえばあまりに単純なコトバになるが
その見えないつながりこそ、彼女を奮いたたせた。

犬という動物が暮らす環境は本当に難しくなってきた。
家族の絆を知っている犬がどのくらいいるのだろう。
犬に聞かなくてもわかる。それは彼らの行動に現れる。
つながりを知っている彼ら、強いものね。

ブログ用オポ雪の中

Posted in 犬のこと, 自然のこと

変化を起こすもの

暖かくなったり、肌寒くなったり。
鳥の声が響き渡りカエルの合唱が川ではじまった。
毎日あきることのない変化というものを楽しめる季節、春・・・もう終わりそうだね。

先日テントクラスに参加した生徒さんから、こんな話を聞いた。
「テント場の近くに枯れ木があったのでテントの上に倒れないように倒そうと思ったんですけど
途中で別の木にひっかかってしまったんです。
先生とオポさんが歩いているときに倒れなければいいけど・・」

ふむふむ。
倒れ掛かっている木など山の中には何本もあるから、いちいち頭上をみながら歩いてはいないけど
人が倒した木となると、いつ倒れるかわからないものね。

そんなコメントをいただいた日、早速オポと山に入った。
驚いたことに、いつも休憩するスペースの真ん中付近に木が倒れていた。

木が倒れていたから驚いたのではなく、
さっき「倒木」について話をしたばかりだったのに
話に聞いた場所とは全く違う場所で、しかもテントを直撃する形で木が倒れていたからだ。

数日続いた暴風で倒れたのか、倒れるべき時がきて倒れたのか。
事の流れからすると「倒れるものは倒れるよ」と木々が語ったのだろう。

そこは、人や犬が休憩スペースとして利用している場所だ。
その中心に木が倒れていることをイメージしてほしい。
自分たちが下敷きになってもおかしくないような場に、木が倒れている。
みなさんだったら、まずどんな声を発するのだろう。

「まあ、ビックリした。」
「ケガをしなくてよかったわ。」
「危ないわね。」
そんなところだろうか。

では、犬たちだったらどんな反応をすると思う?
「ビックリして近づかない。」
「おそるおそる近づいて確認する。」
「今までなかった木に対して吠える。」
「いやがらせにオシッコをひっかける。」
他には?

こうした環境の変化を動物がどのように感じているのか?
私としては大変興味深いところだ。
さあ、オポはどうだろう。

いつもと何ら変わることがない。
木が倒れているということは、いつもと何ら変わることがないということだと彼は伝えていた。

そればかりではなかった。
オポはその倒木の横に伏せてゆっくりとその木に自分の頭を乗せて休んでいる。
「ちょうどよかった。アゴ乗せが欲しかったんだよね。」というように。

動物は変化を恐れているのではない。
それがどのようにして起こるのかを恐れているのだろう。
犬の最も近くにいて共に生活をしている人という動物は
自分たちの都合で何かと変化させてしまうやっかいな動物だ。

自分たちの都合で変化させられた環境はとても不自然で、そして時には危険なのだ。

起こるべくして起こる「自然」の変化というものを動物たちは受け入れる準備ができているはず。
そうした自然の変化を受け入れられないのなら動物であることを忘れそうになっているからかもしれない。

それに、変化を起こそうなどと大層な驕りではないか。
変化は自然に訪れるのだ。自分がその一部でさえあれば。


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Posted in 犬のこと, 自然のこと, オポのこと

犬語って?

ようやく灯油ストウヴを片付ける決心がつくほど本当に暖かくなってきた。
お客様を迎えるサクラの花も春雨と共にきれいに散っていく。
「散るべきときに散る」っていうのは大切だな。

さて、グッドボーイハートでは4年ほど前から「犬語セミナー」という勉強会を開催している。
グッドボーイハートの会員でなくても参加できるので “ちょっと知ってみたい”方にお勧めするクラスとして作ったものだ。

ところがちょっとどころか、ガッチリとはまる方も多く
一部の「犬語セミナーファン」から「チラシとかないんですか?」
要するに「チラシを作ってください。」といわれたので素直に「はい、わかりました。」と作ってみた。

七山に学校を移転させてからというもの
「急いで伝えるのは止めよう。」「いつかわかってくれるまで待つことにしよう。」
と、のんびり・・・というわけではないが辛抱強く「待つことを楽しむ」姿勢でいたので
クラスのチラシなどというものを熱心に作らなくなっていた。

来た方がその時に必要な何かに気づいて下さればいいのだ、とかまえていたが
ここに来ない方に声をかけて下さる方には「伝えるツール」が必要なのだ。
やっとそういう時期が来たのかな。
グッドボーイハートに来ている方が次の方に伝えていく、そんな時代が。

なんだかそんなことを受け取って、真剣にチラシを作ってみた。

ここでそのチラシの一部をご紹介することにする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
犬語セミナーの「ご案内」

犬が話していることわかりますか?
「犬語」をご存じですか?

たとえば犬が「ゴハンちょうだい!」とか「散歩に連れて行って!」といっていることがわかるとしても
それでは「犬語」を知っているとはいえません。
正確には「犬の要求」というレベルで理解できることでしょう。

犬と犬が「会話」をしているときに犬は何を話しているのでしょうか?
犬は犬という種として長い歴史の中で使ってきた様々なコミュニケーションのツールを利用しています。
ボディランゲージだったり声だったり臭いだったりします。
犬と犬の会話には飼い主にしているような要求だけではありません。

犬の世界を知っていますか?
実は、犬は犬と共にいるときに本来の犬としての自分を表現しています。
犬たちがいっしょに過ごせば「あの犬のことが好き」なのでしょうか。
吠えあっていれば「あの犬が嫌い」なのでしょうか。

犬の世界は単なる好き嫌いという趣味の世界にとどまりません。
少し視点を変えてみると知らなかった犬の一面を見ることができるかもしれませんよ。

コミュニケーションを受け取れない人間に表現しなくなった様々なシグナルを犬に対して表現していることを知れば
いかに人が犬のコミュニケーションを無視しているのかがわかります。

犬語を飼い主が知ることで役立つこととは?
・犬がどのようなコミュニケーションを使っているのかがわかるようになる。
・犬が何を感じ、何を考えているのがよりわかるようになる。
・共に暮らす犬が、犬としてどのような世界をもっているのかがわかる。
・共に暮らしている動物に理解されると互いに安心して暮らすことができる。

■クラスの内容
犬の行動を撮影したビデオ、主に犬と犬が撮影された映像をスクリーンで見ます。
ビデオを見たあと参加者のみなさんで「何をみたのか」「何をしていると思うか」
「それをなぜしていると思うのか」など、犬の行動と心理について意見を聞きながら
ディスカッションしながら犬のコミュニケーションへの理解を深めましょう。
コミュニケーションの方法「犬語」は「犬の文化」です。
長い間、人の友である犬という動物の文化にふれてみませんか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不思議な犬語という言葉。

私にとってはただ「犬と会話する」というだけのこと。
このクラスとは別に「スピリチュアルメッセージ」を受け取るというクラスもあるけど私はよく知られる「アニマルコミュニケーター」などでは決してない。

私はただ、犬の良き仲間でありたい。
遠く先住の民がそうしていたように。
私たち人とは異なるコミュニケーションの方法を持ち異なる習慣や感覚や文化を持つ犬というすばらしい異国の友と
良き関係を築きながら、仲間として共に暮らしたいと願っている。

その思いから犬のことを知りたいと努力し
犬の言葉を聞きたいと思って感じ
そして、犬と対話したいと願い
こうやって土と太陽と風と水の中で犬と共に過ごし
犬という動物を肌で感じている、というただそれだけのこと。

だから私にとっては

犬のボディランゲージも、声のシグナルも、魂の対話も、
彼らの良き友であるために知った大切なことなのだ。
むしろ、彼らが私たちの前で今伝えようとしている「犬語」の方がずっと大切なメッセージだと感じている。

犬に何か問題があると「メッセージを受け取ってほしい」といわれることがあるがほとんどのケースでお断りしている。
なぜなら、魂のメッセージを受け取る前に受け取ってほしいメッセージを彼等は今すでに言っているではないか。
「犬語」という方法を用いて、精いっぱい、こんなに伝えてくれている。
だから、まずそれを受け取ろう。
それが、犬という動物の文化や彼らそのものを尊重する姿勢であり、私たちの対等な良き関係へとつながると私は信じている。

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たいしたことないこと

ずいぶんと暖かくなってきた。
庭で草刈をしていたときのある日の出来事。

私の草刈作業中には番犬をしてくれるオポがいる。
いつも…というわけではないけど、都合が合えば頼まなくてもやってくれる。
無理強いをしてはいないので私もあまり気にしていない。

草刈中にオポの吠える声が聞こえてきた。
番犬のオポはゲートの前で伏せていたのだが、ゲートに近づき4つ脚で立って吠えていた。
オポから私までの距離は20メートルくらい。今私のいる場所は急な斜面で高さもかなりある。

みると、若い男性が家の前の坂道をうちの方に向かってのぼってくる。
その男性は坂道の途中で立ち止まり、手にもっているアタッシュケースを地面に置いた。

この瞬間にオポは吠えるのを止めた。
オポの後ろ姿しか見えないけど姿勢は男性の方を向き、どうやら視線も男性の方を向いているようだ。
注目している感じは後ろからでも確認できる。


男性はアタッシュケースをおいたまま再びこちらに向かって歩き出した。
オポも再び吠え始める。
柵まであと10メートルを切ったところで男性が立ち止まる。
オポも吠えるのを止めた。姿勢と視線はまだ男性の方を向いている。

ここで私は「あなたに気づいていること」を知らせる動作をとる。
それに気づきその男性も立ち止まったまま待っている。
オポは吠えずに両者の接触を伺っている。

日常のなにげないシーンだけど、いろんなことを考えることができる。
自分がいて犬がいてテリトリーに外から人が近づいているのだ。
たいしたことないだけに見過ごしてしまいそうなたくさんのこと。

たとえば、あなたが飼い主であなたの家族の犬が同じ状況にいたったとき、オポと同じような行動をするのだろうか。
もししないのであればどのような行動をするのだろうか。
もし同じでないなら何が違うのだろう。
状況が同じで行動が異なるということは何かが違うのだ。
それは一体なんだろう。

それはずっと変わらないものなのだろうか。
もしくは変わるものだろうか。
変わるとすれば何が変わるのか。
答えは誰にでも出せる。

初心者はわかることから、中級クラスの方はもっとわかるレベルへ。
それぞれの段階でわかることは何かある。
わからないと決めてしまうことよりもっと危険なのは、関心がない、ということかな。

先日、ビデオ説明のために前者の例をあげたらこんな質問がかえってきた。
「その男性は犬のことを知っていたんでしょうか。」
つまりこの男性は、犬のことを知っていた上でそのような行動をとったのかということだ。

考えて行動するようなタイミングではなかったということはいえる。
この男性の行動は自然と行われたものだ。おそらく本能的な脳の支配によって。

こんな普通のことから知ることはたくさんある。
わかったつもりにならないで「知る」余地さえあれば入ってくる。
わたしたちが「知っている」と思いこんだ上で行っている。
犬に対するあまりにも礼儀のない行動よりもずっとわかりやすい。

知るためには情報が必要?でも情報に振り回されていないか。
「プレイボウ=遊びを誘うシグナル」ではないね。
そういうときにもみられるけど、全体を見るセンサーを忘れないで。

センサーといえば・・・冒頭の「庭で草刈をしているときのある日の出来事」の一文で
ピンとくるものがあったら、それも確かなセンサーなのだ。

ブログ用見張り番室内オポ

Posted in 犬のこと

犬語問題集

「去年は泣きましたからね~」
ほんと、ほんと。去年の1月は泣いたよね。
一緒に泣いてくれている人がいると知って心強くなったひととき。
立ち話しているのは郵便やさん。
昨年の1月に思いをはせ「泣いていた」ことを思い出し、見上げているのは冬の空。

「今日は雨なんですね…」って。
昨年の1月は白以外見ることがなかったからね。
あの厳しい冬を思い出しながら郵便物を受け取った。
泣きながら配達して下さっていたのだと思うと感慨深い。

今年も降らなかったわけではない。
うっすらとだが一応降った。まあほんのおためし程度。

オポもこんな風にね。

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では「お題」です。

この4枚の写真をみて何かがわかるならあなたは犬語中級クラスにはいったかもですね。
わかった方は意を決して告白してください。


犬語勉強中だった保護犬のトワは迎えて下さる家族が見つかりました。
“元気につよくたくましく!”

Posted in クラスのこと, 犬のこと

世にも不思議なはなし

あけましておめでとうございます。

お正月には「ふる」のが恒例だったけど今年は気温が上がらず雨の元旦となりました。
不思議なことに降ったときは「あー」と思うけど降らないなら降らないで「降らないね」なんてね。
自分勝手とはこういうことをいうのかな。

昨年は最後の日までお客様をお迎えできました。
オポにはかわいいお客様も。

人になついているだけでは・・・ね。
犬は犬同士で学ぶことはたくさんあります。

調子にのりのりに乗ってしまいオモチャもベッドもストウヴさえもわがものとした子犬にオポからのイエローカード。
視線をうけとりながらもごねる子犬のトワ。
オポの忠告のタイミングやその視線や強さ。
そんなことも子犬の時期だから大切な学びとなる。

そのうちウトウトと眠り始めた。
子犬はたわいもなくてかわいいものだ。
だけどその環境をつくっていものには責任がある。
環境さえ整えば子犬はすくすくと育つ。
その「環境」をわたしたちはまだ充分に知り得ていないし
知り得たとしてもどこまで実現できるのだろうか。

思いはつきないけど今年〆のわんこ山入りですごい宿題を得た。
いつものとおりのオポと2頭6脚で登ったわんこ山。
今年最後の収穫を得るためにオポの鼻は全開になり親心で私の視線もずっと地面の上に。
探しているものはもちろん「いのさんの落し物」

山をおりてあきらめかけたところで私が先に発見。
その近くに座りオポに教えることなく気づくのを待つ。
もちろんそう時間はかからず彼の鼻はその存在に気づいた。
ここで終わるなら「日常」。つまりよくあること。

日常でないことはそのあとにあった。
オポが落し物を食べ終えた後にすぐわきに鼻先をむけた。
なんだかギンガミのような光がみえる。

人のものは人がチェックする必要があり。「オポまって」と声をかけそのギンガミに手を近づけた。
なんとそれは・・・。

山でこんなものが落ちているということがあるわけがないものだった。
首をかしげてもかしげてもその謎は解けず。

連想したり妄想したり空想したりするといくつかのストーリーは浮かぶが真実は一体なんだろう。

「知る」ということは簡単なようで簡単ではない。
答えを求めてしまっては過程がないではないか。
わからないならわからないで良い。ただ恐れるのは止めにしよう。

もうすぐ2012年になるという時間にたどりついた答えだった。
きっといつかその謎が解けるだろう。
そして全てをしっているオポに「わかった!」と言えるときをいまから楽しみにしている。

テント場で休むオポ

Posted in 犬のこと, オポのこと

オポ先生のデイケアクラス

冬というのにちょっとしたひなたぼっこができるような最高な日々。
あー感謝。夜中に丸くなって固くなった背中が伸びる一瞬だから。

こんな日は寒い部屋の中にいるより山へでかけるのが一番。
だが今日はオポに特別予約のお仕事の日になった。
山行きを一日返上してもらってお手伝いいただくことに、いつもの「お願い!オポ」。

今日のお客様はこちら。
先にこちらのブログでも紹介したこいぬたちです。
久しぶりの子犬の面倒。。。みてくれるかな~。
経験不足のこいぬたちだからお手柔らかにね。

おとなの“きびしさ”と“やさしさ”を備えたオポだからこその子犬たちとの接し方。いつも勉強になります。
いろいろと想像してみてください。

モイの方は家族として迎えて下さる飼い主さんが見つかりました!
トワは引き続き家族として迎えて下さる飼い主さんを求めています。
(※トワの飼い主さんも決まりました!)

たまには「子犬のデイケアクラス」をよろしくね。


Posted in 犬のこと, オポのこと

似てるけど違う

寒くなるのを決意したとたんに暖かくなった。
ちょっと休憩といったところかな…と思っているうちに再び厳しい寒さがやってきた。

ようするに「もうすぐ冬が来るよ~」というお知らせだろうがこうも気温の差が激しいと多少こたえる。
あまりの暖かさに死にかけていたカマキリが復活したり、部屋の中に蟻をみつけたり、そしてついにダニにやられたり。

あの熾烈な夏の戦いを思い出しながら「暑いのと寒いのどっちがいい?」の声が聞こえてくる。
もちろん寒い方がいいいよね、、、オポ。再び覚悟を決めて冬支度を急いだ。

暖かい衣類といえばここに移って出会ったのが綿入りの服たち。
中綿といってもダウンとかポリエステルとかではなくて本当のコットンのわたのこと。
私の母達の世代なら子供のころにだれでももっていた、半纏みたいなわたの入った服がお気に入りになった。
軽いし暖かいし、そしてやさしい。
そんな綿入りの布団をオポにも、と飼い主心でチャレンジしたが綿を薄く伸ばそうとすることの難しいこと。
結局ボコボコの綿布団みたいなものができあがってしまった。
オポ用の綿入りの半纏のイメージは消えていった。

とある生徒さんが「先生、綿を伸ばす機械がありました!」という。
そんなものがあるなら使ってみたいな、しかもその方はその機会を入手したというではないか。
さっそくその「機械」なるものを借りてみた。
円の中には毛のあるいろんな動物の絵が描かれている。
ラマ、羊、らくだ…。
この機械はウールのような動物の刈った毛を処理するためのものらしい。

さらに近づいてビックリ!

これってどこかでみたことがある。
スリッカーだ。
スリッカーをみなさんもお持ちだと思う。
犬を飼ったときに勧められる毛のお手入れ道具のひとつ。
私もずっと前にはスリッカーを使っていたがここ数年はスリッカーの使用に対しては積極的でない。
できれば使うことをおすすめしない。

なぜかというと「犬が好まないこと」を感じるからだ。
なぜあの道具が犬のために作られたのかを考えることはなかったけどこれを見て合点がいった。

そもそも犬のナチュラルな被毛は羊の毛とはその質が異なる。
ところが人の繁殖への介入によって本来の犬の毛とは異なる被毛の犬たちがあらわれてきた。
羊の毛のようにみえるもこもこの飾り毛の犬たちを。
その犬たちのために羊の毛を処理する機械の一部を、スリッカーという手入れ道具にしてくれたということかな。

見た目はにているようでも毛の質は全く異なる。
犬の皮膚にあてないように使ったとしてもその毛の強さは全く違う。
なんだか大きな勘違いのような気がする。

似ているけど違うものはたくさんある。
モコモコの毛質になってもその機能は全く違う。
本当のことを知ることが犬の役にたつのだろうに。
本当のことを知るためにできることって何だろう。

さて最初の目的の綿の処理については、結論からいうとうまくいかなかった。
コットンの綿と動物の毛では質が違うからね。
羊の毛を刈る知人ができたら、またあの機械を貸してもらおう。

10歳ブログ用

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