お預かりクラスのときに七山で時報として流れる地域放送の音がなると遠吠えをする犬がいます。
つい先日も、福岡でお預かり中の犬ちゃんが散歩中で歩道を歩いているときに救急車が通行したので遠吠えをはじめてしまい、たくさんの通行者の中で注目を浴びてしまいました。
「うぉーん」というこの遠吠えを聞くとイヌはやっぱりオオカミなんだなとしみじみと思います。
サイレンなどの高い音で遠吠えをするのは、サイレンや放送の音が遠吠えの音程と似ているため共鳴してしまうからです。
共鳴するとは、特定の刺激に対して引き出された行動ということです。
遠吠えをしている犬が「サイレンがなったから自分も遠吠えしなくてはいけない」などと考えて行動しているわけではありません。
遠吠えという吠えは犬のDNAの中に入っており、必要であれば自動に引き出される仕組みになっています。
犬のコミュニケーションのすべてがこの引き出し式になっており、犬は教育を受けなくてもコミュニケーションを表現できるようになります。
教育は必要ないが、行動を引き出してくれる一定の刺激や相手がいないとコミュニケーションが起こらないのだということなのです。
遠吠えも同じように特定の刺激に対して反応する形で起こります。
特に犬がオオカミでいうところのアルファ=群れのリーダーではない場合は共鳴行動が多くなります。
オオカミの遠吠えで説明すると、はじめに遠吠えをするオオカミがいるわけでしてそのリーダーオオカミの遠吠えに続くように他のオオカミたちも遠吠えをします。
集団で遠吠えをする野生のオオカミの群れのコーラスは感動しますので一度ぜひ聞いてみてください。
ここまではかなり科学的に精査されて得られている情報です。
行動学の本やセミナーでもこのくらいのことは当たり前のこととして教えてくれます。
それで私の意見です。
ひとつの刺激に対する反応という学習のしくみは、似ている音には反応するけれど似ているけど少し違う音には反応しないという区別という学習も入ります。
この区別によってオオカミたちは自分の群れのオオカミの声には共鳴するけれど、他のオオカミの声には反応を示さないのだと考えています。
あくまで考えの範囲内ですがそうでないと自分の身が危険だからです。
オオカミを捕獲したいと考える人の中には、他のオオカミを連れてきて遠吠えさせてその遠吠えに反応するオオカミによって居場所をつきとめるかもしれません。
オオカミがそんなに愚劣とは思えず、こうしたシステムは洗練されていると私は考えています。
ではなぜ犬が必要のない遠吠えを毎日繰り返すのかということですが、自分の中でもまだ仮説の部分ですが使われていないコミュニケーションには錆がくるというのがひとつの考え方です。
犬という群れをはずれて単独で人と暮らすのようになった家庭犬たちが、長い間まともに使っていない遠吠えというコミュニケーションを適切に表現できない状態なのではないかということです。
もうひとつの仮説は、人と暮らす犬の中には本質的に孤独な犬もいるのではないかということです。
こう考えるのは、イヌとしてまだ犬の群れの中に生きている野犬や野良犬にはサイレンに反応して遠吠えをするような行動はありません。
ところがこうした野犬の子犬たちが家庭に入るとすぐに遠吠えをするようになります。
わりと幼少期からサイレンなどの音に反応する姿が見られます。
この姿を見ているときに、自分の帰るべき犬の群れを呼んでいるではないかと感じるのです。
家庭犬も深く結ばれた絆のグループの中に戻りたいという状態であるときに共鳴が起きやすいのではないかと。
犬はもうずいぶんと長い間、人という動物のそばで暮らしてきました。
最初は自分も犬としての群れをもちながら人とのかかわりを持っていたのですが、日本ではすでにほとんどの犬が人のグループの一員である家庭犬であることがなんと法律で義務付けられています。
人の作った法律なんか犬にとってはどうでもいいものですが、人社会に巻き込まれた犬ですからもはや逃れようもありません。
家庭犬として人と深い絆が結べるようになることを犬たちは望んでいるのでしょうが、人はますます犬のことを理解しなくなりつつあります。
犬は孤独になり遠吠えをしているのではないか、そう考えるときどんなに地道であっても犬を理解する機会を犬と暮らす人と持ち続けたいと願うのです。