グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<クラスのこと>犬がトレッキングクラスで学ぶ真の社会化について

九州で今年も災害が起きています。

自然の猛威に私たちは常に非力で戦うことばかりでは災害を免れることもできないと感じます。

私たちにできることは何だろう、自然と自分を切り離すことはできない。

だとしたらもっと自然を日々体感して知ることしかないのではと考えます。

自分にできることは本当に大したことではありません。

それでもやっていれば自然という存在が自分にとって何であるかにいつか気づくのではないかと思って犬と山を歩いています。

この唐津市七山の山は雨が足りないほどでした。

今日も犬たちとゆっくりゆっくりと山歩きの時間を持ちました。

犬との山歩きというと、犬が山を走り回ったり崖を飛んだりすることを想像されるでしょうか。

全くそんな風景はありません。

人が山を歩くとき私たちはどうやって歩いているのでしょうか。

一歩一歩ゆっくりと進む。それが山歩きの本来の姿なのです。

犬も同じように、ゆっくりゆっくりと歩みを進めます。

一歩進めば臭いをとり、さらに一歩進めば臭いをとる。

こうして自分の本当に身近な環境を自分自身で確かめて、そして一歩を前に出す。

実はこの活動こそ社会化というものです。

環境に適応して反応するというのは、環境がいきなり変化することばかりではないのです。

一歩進むと環境が変わる、一歩進むと環境が変わる、この連続です。

犬の頭の中には、ひとつ前の環境と、今の環境、そして次の一歩の環境が広がります。

似ているけど少し違う、似ているけど少し違う。

こうやって社会化を進めているわけです。

山を歩くときに犬が臭いを捕るのは野生動物を追うためではありません。

犬の真の社会化の時間、それは犬がゆっくりと飼い主と歩くことからです。

小さな時間ですが大切にしてくださる飼い主さんと共に、厳しい季節ですができるだけトレッキングクラス続けてまいります。

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<犬のこと>犬の認知力:犬が鏡の中の自分を自分だと判るのか

犬は鏡の中に映る自分にどう反応するのか?

 

どの家庭にも鏡があります。

その鏡に対して犬がどのような反応をするのかを見たことがあるでしょうか?

犬は鏡の中の自分を自分だと知ることができるのか?

鏡の中の対象の認識は、動物の認知力に関連する話題です。

認知力をもっと詳しくいうと「犬がどのような世界を持っているのか」を決めているということです。

実際に今、みなさんの犬の前に少し大きな鏡を出して犬の姿が映るようにしてみると犬の反応はすぐに知ることができます。

反応は二つ

1、鏡に映った自分(犬)の姿に関心がない

2、鏡に映った自分(犬)の姿に関心を持つ

鏡に映った犬の姿に反応する方が認知能力が高いと思うでしょうか?

これは逆なのです。

実は鏡に映った犬の姿に反応しない犬の方が正しく世界を把握しています。

 

鏡の中に映る自分に反応しない犬

 

犬に鏡を見せたときの反応には二つがありますが、ひとつめの「鏡に映った自分の姿に関心がない」方の犬は、認知力が普通=正常に機能しています。

犬は人と違って鏡の中の自分の姿を自分だと認識することはできません。

自分の姿が映った鏡をはじめはのぞき込むように見た犬が、その後鏡を無視するようになれば「鏡に関心のない犬」の方に入ります。

鏡の情報には関心がなくなり、同じようなミラー現象のおきる反射するものに対して映る自分の姿にも反応しなくなります。

正常な知覚をもつ犬で他の世界に認知に関しても正常に知覚していくでしょう。

 

鏡の中に映る自分に反応する犬

 

次に二つ目の反応を示す犬「鏡に映った自分の姿に関心を持つ」場合です。

犬が鏡の中に反応する行動としてどのような行動かを確認していきます。

そのほとんどは、吠える、じっと見る、後ずさる、ゆっくりと近付くといった行動です。

これらの犬の行動は「警戒行動」と「闘争行動」です。

いずれも鏡に映った犬の姿を自分ではなく他の誰かとしてとらえているために起きる行動です。

つまり2つ目の反応でも犬は鏡の中に映った自分を自分だと認識することはないということになります。

 

鏡の仕組みを理解できない犬は知能が低いのか?

 

犬は鏡に映った自分の姿を自分だと知ることはありません。

これは犬の認知能力が低いからではありません。

犬と人の知能を比較するときに、人にできることで犬にできないことがあると「犬は人よりもバカ」だと思う人もいるかもしれません。

種としての知覚機能の違いによるものなので、犬が鏡の世界を認知しなくてもそれは犬が人よりも劣っているということでもないのです。

学者によってはいろいろな判断の基準があると思いますが、私はそう思っています。

鏡という道具は人の必要性に応じて人が作った道具です。

鏡などという道具を人が作って使っていること自体で人は賢いなとは思います。

でも犬の方は鏡という道具の必要性を感じていないのです。

自分が相手にどう映るのかということに対して関心がないからです。

自分と他者とのみかけの違いにも興味がありません。

足の長い犬と短い犬がいたとして、自分はどうしてこんなに足が短いのだろうと考えることもないのです。

それが犬の世界であり、その世界の素晴らしさというものが存在しています。

こんな小さなことですら違うのですから、犬の生活にとって何が楽しいのか、その楽しみが人と同じものであるかどうかなど分かるはずものないのです。

分からないからこそ犬を観察し行動を見て分析して「こうではないか」という仮説を立てることをただひたすらに繰り返しています。

そうして少しでも犬の世界に近付いたときに犬好きの私はうれしいと感じてしまいます。

地面の中に何かをみつけて集中する柴犬くん

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<犬のこと>犬のしつけに「ダメ!」はダメ。

普段無意識に犬に使っている言葉ですが、犬とのコミュニケーションをより良い方向に進めたいなら使って欲しくない言葉があります。

それが「ダメ」という言葉です。

訪問レッスンに伺ったときにとても多くの方が犬に対して「ダメ!」を連発しているのをよく耳にします。

全く効果のない犬に対する「ダメ」という言葉ですが、無意識で使っている方がほとんどなので自分では言っているつもりがないのです。

あーダメよ。とか

あーそれダメダメ。とか

ダメでしょ。ダメ。などいろんなパターンの「ダメ」があるようです。

ところが犬のしつけにおいては否定的な言葉はほとんど意味がありません。

犬に「これをしてはいけない」と伝えることはできないからです。

例をあげましょう。

とびつきが多発している犬がいるとします。

犬が人に飛びついてくるので、飛びついたときに「ダメ」と何度言っても犬は絶対に飛びつきがダメだとは学びません。

犬がソファに乗ることを止めさせたいとします。

犬がソファに乗ったときに「ダメ」といって下ろしても、ほとんど効果はありません。

効果があるのは、ソファに乗る前、飛びつく前に、どちらの行動も阻止できたときです。

そのときにダメという言葉を使うことがあるかもしれませんが、それはダメという言葉の意味を理解したのでななく、なんらかの方法で行動が阻止されたことで行動しなかったことを学習しているのです。

自分の後ろを犬がついてくるのを「ダメ」というのなら、それは「ダメ」ではなく「マテ」ですね。

リードをひっぱる犬に引っ張ることを止めさせたかったら「ダメ」ではなく「つけ」ですね。

「ダメ」を連発せずに、犬が何をしたらいいのかを教えることを犬のしつけといいます。

自分が犬に対して「ダメ」を使っているかどうかはなかなかわかりにくいものです。

家族がいるなら「ダメ」使ったら10円のペナルティなどやってみてください。

飼い主がひとりなら犬と一定の時間を録音してあとで聞いてみてください。

知らぬうちに増えている「ダメ」の数。

その数だけ、犬は本来学ぶべき機会を失っています。

「ダメ出し」では犬は学ばないことを知っていただき、本当に身につく犬のしつけを学ぶことが犬との生活を楽しくしてくれます。

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<犬のこと>犬の雷恐怖症はトレーニングで改善できる

雷雨の続く毎日、雷恐怖症を抱えてこの季節は震える犬たちがいます。

人と同じように犬にも様々な恐怖症があります。

 

犬の雷恐怖症その行動のパターンとは

 

犬恐怖症とは「犬が特定の刺激に対して恐怖を抱いている状態」に陥る症状が出ていることをいいます。

特定の刺激というのはいくつかの分野に分けることができますが、雷の場合には自然環境という刺激に対する反応です。

次に、犬が恐怖を抱いている状態というのは次のような行動を指します。

・よだれ

・震え

・ウロウロ

・走り回る

・落ち着きなくうごく

・机や椅子の下にかくれる

・体を強張らせる 硬直

・部屋の隅に頭をつっこむ

・戸口をガリガリする

・床を掘る

・キュンキュンいう

・ギャンギャンいう

・遠吠えをする

・壁にジャンプする

主にこうした行動が単数もしくは複数同時に表現されることがあります。

動物の行動はパターン化していますので、個性の異なる動物であっても犬であれば同じ行動をすることが行動から状態を分析することの意味です。

しかし、これらの行動は恐怖を抱いたときにも犬がする行動であると共に犬が別の状態であるときにも出る可能性があります。

飼い主は犬のこれらの行動を見てすぐに恐怖症だと慌てないようにしましょう。

 

犬の雷恐怖症は改善するのか

 

ブログをご覧になっていて自分の犬が雷恐怖症だと知ったら、まずは解決できるのかどうかを一番先に知りたいでしょう。

先にお答えしますが雷恐怖症は手段を選ばなければ改善します。

しかし改善のための指導をする側としては100%と言い切れない部分もあります。

というのは、恐怖症を改善させていくためには様々な形で環境を整備する必要があるのですが、その環境を変えるという部分において「飼い主側が不可能」と判断することがあるからです。

なので、飼い主のいう「無理」を排除し、犬の脳の機能性が正常である状態であれば、雷恐怖症は改善するはずなのです。

残念ながら犬のトレーニングの指導の範囲においては、飼い主を変えるという選択肢は入らないため、環境の整備についての制限を受けることになり結果として完全に改善したというケースから、ある程度改善したというケースまで改善の段階は様々ではあります。

逆をいうと雷恐怖症は改善しなければ「進行する」ものなので、なんらかの形で治療に取り組むことをおすすめします。

 

雷恐怖症の治療について

 

犬の雷恐怖症の治療方法は、主に二つに分かれます。

ひとつは薬物治療、二つ目は行動療法です。

私は獣医師ではないので薬物治療についての効果について語ることはできません。

ただ客観的にみてもいえるのは、より効果が高いことが期待されるのは「行動療法」の方です。

なぜなら雷恐怖症に限らず恐怖症は「恐怖を表現する行動」が症状だからです。

症状は「行動」なのですから、その症状をより確実に改善できるのは行動をそのものに変化を促す「行動療法」の方だと考えています。

 

犬の行動療法の鍵を握るのは飼い主の行動である

 

では犬の雷恐怖症を改善したいと考えたとします。

その犬に行動療法としてできうることを考えていきます。

行動療法なので、行動を自分で管理し変化させていく必要があります。

ところが犬の場合には、行動の管理のほとんどを握っているのは飼い主の方です。

犬の行動に変化を起こさせるためには、飼い主自身の行動を変化させていく必要があります。

飼い主が行動を変化させることで犬の行動が変化する。

当たり前のことなのですが、飼い主ははじめはなかなかこれができません。

初期はできたとしても長続きしないこともあります。

なぜなら飼い主自身には困っている問題はなく、今まで犬に対してやってきた行動はすべて飼い主にとっては「良いこと」「やりたいこと」なのです。

良しとして継続してきた行動を変えるためには飼い主側にも特別な意志が必要です。

その特別な意志とは犬との共感性が生み出します。

つまりは犬との共感性を発達できるかどうかが問題解決の鍵ということになります。

犬を愛しているならやる価値はあると思います。


 

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<日々のこと>寝ているときに犬が夢の中に出てくること

犬が夢の中に出てくることは珍しくありません。

出てくるときには毎晩のように犬が出てきます。

たいていはグッドボーイハートの犬たちです。

以前ある生徒さんに「●●ちゃんが夢に出てきたんです。」と話したことがあります。

その生徒さんは「うちのワンコが先生の夢に出てくるということは何か訴えたいことがあるということですよね。」と答えました。

ドッグインストラクターという仕事は、犬の言い分を飼い主に伝えることです。

日々のトレーニングでそれを受け取っている生徒さんだからこそ、自分の犬が先生の夢の中にまで出て行って飼い主の前では言えぬことを直訴したのだと考えたようです。

実際のところ、トレーニングのご相談があってご家庭に伺いそのご家庭で犬に最初にあったときは「あなたが私をここに呼んだのね。」と感じています。

犬が電話できないから、飼い主に電話させたのだと思っています。

だからこそ飼い主さんには厳しいと言われつつも、犬はこう言っているのだということを真剣に伝え続けてきました。

その私の夢の中に犬が出てくるということ、私の方ではこう考えることがあります。

犬が飼い主に伝えたいことを十分に伝えきれてないから、犬が夢の中に出てきてまで何か言いに来たのではないか…という見方です。

夢の中に出てくる犬は現在進行形でトレーニングに関わっている犬である場合もあるし、しばらく顔を見ていない犬の場合もあります。

これらの犬たちが自分の夢の中に出てくる理由は分からないのですが、私の頭の中は寝ているときにも犬のことを考えているのかと自分でも恐ろしくなることがあります。

どんなにがんばってもわからないことやできないことが山のようにあって、犬たちに対してできていないことをあげたらきりがありません。

でも犬が夢の中に出てくる間は自分に何かやらなければいけないことがまだあるのだと思います。

まだあるのかという言い方すらも驕りでしかないのですが、疲れてくるとこれだけやったのだからとつい思ってしまうのです。

私が気負っても仕方がないのだ、犬に対して一番できることがあるのは飼い主さんの方なのだと言い聞かせて、少し視線をそらすようにしてみます。

今はそんな時間が必要なのかと夢分析を終えました。

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<自然のこと>日本の里山が失われることを憂える自分

先日テレビの報道特集という番組にくぎ付けになりました。

報道された内容は佐賀県の石木ダムに関する紛争の歴史を地域住民の側に立って追ったものでした。

石木ダム建設案が出てから50年間にわたり、ダム建設を進めようとする長崎県と建設に反対する住民の間で長い長い闘いが続いている悲惨な様子を映像で見ました。

ダム建設が予定されている川棚町のこうばる地区の風景は、まさに日本の原風景ともいえる「ふるさと」の風景です。

都会で育ち田舎を知らない自分ですらも眺めるとほっとするこうばる地区のような自然豊富な里山が失われないようにと体を張って戦っている方々がいる、それが50年以上も続いていることに胸が痛くなりました。

しかもそのことで多くの人が救われるのなら納得がいくものの、ダム建設の必要性についても納得のいくデータがなく、500億円以上というお金が長崎県民の負担によるということをみなさんはどう思っているのだろう、一体これは誰のための何のためのプロジェクトなのだろうと疑問を感じずにはいられませんでした。

番組ひとつを見ただけで自分が賛否を下す情報を得たとは思いません。

ただ画面の中にうつるその景色は、住民の方々にとってかけがえのないものであるのと同じように私たちにとっても同じようにかけがえのないものではないかと感じたのです。

今このように思う私も、七山という里に出会わず博多駅の近くだけで快適な生活をしていれば、おそらくこんな気持ちになることもなかったと思います。

日本の美しい里山はただの自然でなく人々がそこに住み、自然を大切にしながらも利用しつづけてきた共生の風景なのです。

それは数年で出来上がるものではなく、何十年も何百年もかけて継続して毎日繰り返される生活の積み重ねの風景なのです。

そしてその風景の中にきっと「犬」という動物もずっと共にいたはずです。

里山には犬の居場所があったのです。

どうやったら石木ダムの問題がより良い形で解決するのか私にはわかりません。

ただいえることはこうばる地区は間違いなく日本の里山であり、日本の原風景であり、そして大切にしたいと思える風景だということです。

雨でも野草の中でジャンプして走る犬ちゃん

Posted in 自然のこと

<犬のこと>犬にとって大切なのは野草と雑草とやわらかな土

お預かりクラスで犬ちゃんが庭や山で遊んでいる傍らで、まだまだやり残した例の背高草の撤去を進めています。

詳しくはこちら

過去ブログ記事→<日々のこと>環境にダメージ与えた事に気づき引き返したこと

一時間で100本くらいは抜き取っているのですが、この雨の中、土の中から次から次へと生えてくる生命力の強さに負けそうです。

でも七山の本来の野草や雑草たちが抜き取られた草のスペースを埋めるように生えてきてくれているので、風景はずいぶんと取り戻してきました。

除草剤や殺虫剤は本来の植物を殺してしまいます。

ガーデニングといってもいろいろとあるのでしょうが、死に絶えた庭に花をかざるように植える風景はあまり見慣れていません。

自分の小さいころにいっしょに暮らしていた柴犬が遊んでいたあの昭和の小さな博多区の一軒家の庭もしゃれた洋風の花はなく、日本古来の木々と雑草でおおわれていました。

子供のころに庭にあった木は、びわ、さくら、あじさい、梅、もみじ、柿、榊、つつじ、いぬまき、南天、シュロ、椿…たちでした。

いまここにあげた木々ですが不思議なことに七山のこの庭と山に全部あるのです。

木々のふもとにはユキノシタ、イヌフグリ、スミレ、セリ、オオバコ、カタバミ、タンポポ、ハマスゲ、リュウノヒゲ、ドクダミ、ホトケノザ、セイタカアワダチソウ、アザミ、ハコベ、スギナ、ハハコグサ…

認識できるのはこのくらいです。

雑草はもっとたくさんあるのですが名前がわからないものばかりです。

除草剤の後の悲惨は光景はちょっとした砂漠化でした。

土が枯れてしまい砂漠に雑草が立ち生えるようにして生えていたのです。

同じ光景をあちこちの駐車場で見ることができます。

雨の浄化作用もあって本来の野草が戻ってくると犬はイキイキと草の臭いを嗅いで寝転がって遊びます。

駐車場ではこんな風景を見ることはありません。

人は自然を楽しむために遠くに出かけるようになりましたが、自分の庭に自然を取り戻すことはできません。

なぜなら自然の野草や雑草と共に虫たちもかえってくるからです。

人は虫が苦手です。私だって決して好きではありません。

関わりあいたいと思うこともありません。

でも、野草や雑草と共に生きている虫という生物がいることを否定できないのです。

それを否定すればまた犬を、そして私たち人間をも否定してしまうことになります。

日本は山林地区がたくさんあります。

手の入っているのは農地だけ、お金にならない山は放置されています。

山や雑草との闘いは半端ないのです。

でも犬たちは不思議と私たち人間が雑草と戦っているとテンションマックスで応援してくれます。

頑張れ!頑張れ!といってくれているようで、誰のために頑張るのかわからないまま山の手入れをがんばっています。

犬たちにとって大切なものだと思うからこそ今のところは頑張ります。

草を食む犬の姿が、草に寝転がる犬の姿が私は好きなのです。

日本の本来の雑草や野草を復活させて、二ホンミツバチがかえってきたら、犬たちも本来の自分を取り戻せるのではないかとそんな気がしているからです。

Posted in 犬のこと, 自然のこと

<犬のこと>災害時の犬の避難の神道具は三つだけ

昨晩から大雨となりました。

佐賀地区では大雨警報による避難のお知らせがスマホに届いています。

今年は災害に対する非難も大変なことでしょうが、犬を連れての避難となるとますます大変です。

毎年のように起きる災害が自分には起きないはずはないのですから犬と暮らすみなさんなら災害時の犬との避難この三つは使いこなしておくようにしましょう。

 

災害時の犬との避難にはクレートが必須

 

犬のサイズに関わらず、災害時に絶対にもちだして欲しいものが「クレート」です。

布バッグやリュックではなく、安全性が高く丈夫で犬の安心が確保できるクレートを利用してください。

体重10キロ未満の犬はクレートにいれたまま移動させるのが安全です。

それ以上の体重の犬は、移動先でクレートの中にいれる必要があります。

中型犬以上のサイズの犬のハードクレートは、瞬時に移動するには持ち運びが大変です。

車に大きなサイズのハードクレートが収まらない場合には、折り畳み式のケージかソフトクレートを利用してください。

クレートは犬にとって巣穴を意味する重要なテリトリーです。

テリトリーをそのまま移動するので犬はまず安心を獲得できます。

人にとっては犬を一時的に待機させる安全を確保する道具です。

ただクレートは災害時のみ利用することはできません。

普段の生活の中で、犬がひとりでも安心して過ごせる場としてクレートを活用しておく必要があります。

犬ならだれでも入れそうと思えそうですが、子犬のときに入ったクレートにも入ることができなくなる場合があります。

こうなると人といっしょに避難することは難しくなります。

クレートトレーニングは日々の生活の中で身に着けておいて、災害時も活用できるというのがメリットなのです。

 

災害時の犬との避難にはリードが必須

 

犬にリードをつけたことのない方の方が少ないとは思いますが、犬と人がいっしょに移動する際にはリードが必要です。

リードは伸び縮みするタイプではなく、150センチから200センチ程度の長さの通常のリード、おすすめはレザー製のリードです。

リードは犬が人と共にいることを確認しつつ、犬にとって理解が難しい環境の中で犬がどのように行動すればいいのかを人が伝える道具です。

リードは犬が逃走を防止するためのつなぎ紐ではありません。

リードは人が犬に自分の行動の意思を伝えるための道具なのです。

リードが止まっている、リードが動いている、リードがどのように動くのかが犬にどのように行動するのかを伝えていきます。

このリードの使い方を全くできていない飼い主さんがほとんどです。

街中でもリードを持つ手が掃除機を持つ手のように前に伸ばされているのはリードの使い方を理解していないからです。

リードは避難のための大切な道具であり、それを理解して使えるようになっておく必要があります。

 

災害の時に犬に必要なもの実は首輪

 

災害時に絶対に犬に着けて欲しいものが首輪です。

この首輪には名札を装着してください。

どんなときにも名札を装着した首輪をつけることができるようにいつも準備しておきましょう。

普段の散歩用首輪とは別に、名前と電話番号が入った首輪を準備しておき2重に犬の首にかけるのでも問題はありません。

電話番号はわかりやすい方がよく首輪の表面にわかるように記載、もしくは刺繍しておきましょう。

首輪は犬がストレスを感じないような飾りの少ない安全かつ自然な素材のものを選びましょう。

災害時には常に着けておく必要があります。

胴輪ではなく首輪である必要も絶対です。

胴輪は抜けやすく、胴輪をつけたままでは犬が休むときにも不便です。

胴輪は目立つため人や犬の多い屋外移動には便利なので災害時に持ち出すことはおすすめします。

避難初動自は首輪を装着してあげてください。

 

犬の三種の避難道具を使いこなそう

 

犬のクレート、リード、首輪を日ごろから適切に使えるようになっておくことが、非常時に犬の安全安心を確保する方法になります。

人も犬も非常時の行動は平素からの積み重ねであることは変わりません。

クレート、リード、首輪の三つには取り扱い説明書というのがありません。

簡単に入手できるからこそその使い方は独自のものになりがちです。

本当に犬の命を守りたいなら、日々の生活の中できちんとした使い方を身に着けていきましょう。

それが災害時にも飼い主が犬にできることの始まりです。

備えあれば憂いなしは、犬との暮らしでも同じことです。


 

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<犬のこと>犬の社会化をもう一度考えるヒント

犬の社会化という言葉をご存知でしょうか。

ほとんどの犬のしつけの本には見られるようになった「犬の社会化」というワードが広がり始めたのはここ20年くらいではないかと思います。

自分の学生時代に暮らしていた犬の社会化など考えたこともありませんでした。

その言葉を聞いたのは犬の仕事に就いたときで、そのときですら犬の社会化というものに対して科学的に説明してくれる先輩はいませんでした。

その後の犬のセミナーでなんども社会化という言葉を聞きました。

なんとなくぼやけてしまう社会化ですが、科学的に納得のいく説明文になるとこうです。

「犬の社会化とは犬が環境の中で持続的に行動を通して安心を獲得していく活動のこと」

犬と暮らしているみなさんに、この言葉の意味がわかるでしょうか。

この文章をもう少しわかりやすく数行にわけてみます。

・犬の社会化とは環境の中で持続的に行われる

つまり犬の社会化はずっと継続するもので、一時的に行われ終了するものではないのです。

犬の社会化とは生涯を通して継続する社会的機能の発達なのです。

・犬の社会化は犬が環境の中で行動することで身につく

犬の社会化とは犬が自ら行動することで身についていきます。

つまりは、犬に一方的に刺激を与えることでは実現しないということです。

なので、犬を抱っこして散歩しても全く社会化は身につかないということになります。

・犬の社会化とは安心を獲得する中で実現する

犬の社会化とは犬の脳の機能性が高まり、自らの行動を通して安心を得ることの繰り返しのことをいいます。

これは大丈夫、これはこのように回避する、これはこのように対応することで攻撃を免れる、などすべてが安心獲得の作業なのです。

ですから犬と走り回ることで安心を獲得するのではありません。

闘争行動、逃走行動、興奮行動の繰り返しは社会化を促進しないのです。

 

犬の社会化学習を説明する際に、刺激を与えることではないということだけでもわかっていただきたいのですが、なぜかたくさんの人や犬のいるところに子犬を連れていきたい飼い主さんが多いのに驚きます。

あなたの犬のもっとも大切な社会化は、まずテリトリーを獲得すること、身近な飼い主という動物を理解することです。


 

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<犬のこと>自然が犬に与える尊い時間を人は知っているのか

家庭訪問トレーニングを利用している犬ちゃんたちがときどき預かりクラスで七山にやってきます。

ほとんどが生徒さんのやむにやまれぬ事情で不在となり、犬ちゃんを窮屈な場所で過ごさせるよりは自然の中で過ごしてほしという気持ちから預かりクラスを利用されています。

はじめて犬ちゃんが七山にお泊りに来たときには、どのくらいの速度で環境の変化に適応していくのか、どのように自然と付き合おうとするのかを観察しています。

純血種の犬たちの多くは、その犬の親もまたその親も親も自然の中で過ごした体験を持たないでしょう。

犬舎でほとんどの時間を生きた犬たちの子どもたちが今こうして人と暮らしているのです。

犬舎で生まれた子犬たちが人に飼われるようになりそのまま人社会の中に「人として」大切にされ始めることはとても危険です。

動物はどんな動物であっても、自分は人である、自分は犬であると感じる時間があることが基盤になっているからです。

お預かりの犬ちゃんがどこで排泄をするのか、

空間をどのように把握していくのか、

土や草の臭いをどのように嗅いでどのように反応するのか、

そして最後は人や他の犬に対してどのように行動するのか、

こうした観察が今の犬ちゃんの状態を知らせてくれます。

風が吹いても鼻先をあげて臭いをとろうとしない犬

広い敷地でせわしなく動いてしまう犬

太陽に自分の身をゆだねることをできぬ犬など

自然が遠くなってしまったのは人だけでなく犬とて同じことです。

その犬たちがどうやって自然とつながりを持っているのか、犬の脳の中で起きていることや皮膚の上で感じていることを私たちは知る術を持ちません。

ただ言えるのは、私たちには鋭い観察をする視覚という武器があります。

そして共感というセンサーがあるのです。

犬に対する思い込みをすててすべてを受け取り、本来の犬の姿を見たいと願えばおのずと自分のやるべきことは決まってきます。

飼い主としてやるべきことはあまりにも多く、特に空間も時間も少ない都会では果たすことすら難しいことがあります。

それでも犬を愛しているなら犬とどのように過ごすのかを考えてみる、これもまたコロナ時代だからこそできることです。

お預かりクラスで対面する犬ちゃんたち



 

 

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