グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

トップページ
お電話でのお問い合わせ
お問い合わせフォーム

グループトレッキングクラス&犬語セミナーを開催しました。

今月もグループトレッキングクラスと犬語セミナーを開催しました。

トレッキングクラス開催の日の夜中からしとしとと降る雨の音に「明日トレッキングできかな…」と眠れぬ夜(本当に眠れなかった)を過ごしました。

当日の朝もほんの少しだけ残る雨でしたが、強気の生徒さんたちからの朝の確認連絡はほとんどなかったことで私も気持ちが盛り返しました。

少々の雨でもいつも室内に閉じこもりがちな犬たちを山で過ごさせたいという飼い主さんの気持ちが伝わったのか、開催時間には小雨もあがり無事にトレッキングクラスを開催できたのです。


 


今回は預かり犬たちもトレッキングに連れていくために、写真撮影の協力も生徒さんたちにお願いしました。



小さな犬たちもいるのですが写真が撮れていなくてすみません。

写真を撮ることよりも、今この瞬間に起きてることを心にとどめておくことの方がずっと重要なので、みなさんの心に残ったものこそが大切なものですね。

午後は犬語セミナーを開催しました。

はじめてご参加された生徒さんたちもいて、犬のコミュニケーションを読み解く方法をみなで学びました。

同じ動画を何度見ても見落としていることがあって、セミナー中に気づくこともたくさんあります。

他の方がどのように見ているのかを聞くことで開ける世界もまた楽しいものです。

セミナーの後半には、オポハチミツで作っていただいた美味しいお菓子をいただきました。



私の脳内の妄想コーナーに潜む“オポカフェ”を楽しませてくれました。

どんな自然の素材も作り手で変わり、どのような世界を生きていくのかも自分次第です。

犬と暮しているなら、自分の生活の中で生み出されるものを全部丸ごと大切にしたい。

今は犬を飼っていない私ですが、あの時の気持ちはまだ続いています。

グループトレッキングクラスだからできる飼い主さん同士の交流も、仲間がいるから大丈夫、ひとりじゃないから頑張れる気持ちを次々と生み出しているようです。

オポハウスではプライベートトレッキングクラスも開催しています。

家庭訪問クラスを受講された方ならどなたでもご参加可能です。

4月のトレッキングクラスは第4日曜日の10時集合です。

午後の犬語セミナー開催についてはまだ未定です。

犬語セミナーがなくても何かをしようとは思っていますが、決まり次第お知らせします。

 

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

飼い主が強ければ犬は安心して暮らせるのが犬の群れのしくみです。

昨日はWBC(ワールドベースボールクラッシック)の決勝戦でした。

日本とアメリカの試合終了間際はと移動タイムだったために、訪問でインターホンを鳴らす時間がずれたことは幸いでした。訪問宅の生徒さんも「ギリギリ間に合いました。ちょうど今終わったので…」と出てこられたところでした。

野球に精通している方ですら生きてる人間とは思えない強さの大谷翔平選手らしいですが、今回のWBCを横目で見て感じたのは「主軸が強いと群れには安心感が生まれる」ということでした。

チームのリーダーとしてはまた別の選手がいらしたのだとは思うのですが、ピッチャーという主軸のポジションになる選手が圧倒的に強く存在感があれば、チームの選手全体がいけそうな気がするという気持ちが盛り上がるのは間違いないと思います。チームだけでなく応援している人々全体に「勝てる」という気持ちが強まったはずです。

このチームの中での大谷選手くらいの存在感が、飼い主と犬で構成する家族の中にあったとしたらどんなに犬は安心できるのだろうかと考えます。飼い主が大谷選手くらい強い主軸になるということですが、犬にとっての飼い主というのはそのくらい強い存在であってほしいと、私が犬なら思うでしょう。

この飼い主なら大丈夫、絶対に負けるはずがない、と犬が飼い主のことを認めてくれるようになれば、犬が吠えたり興奮したりするような乱れた行動をとることはなくなるはずです。

そんな大谷選手的存在になるために必要なことを、生徒さんたちに練習していただいているはずです。

同時に、気持ちの中でも「飼い主としての自分が主軸であることを忘れない。」自分の立ち位置を忘れずにそれを楽しむことも大切であると考えます。

大谷選手に学ぶことはいくつもありますが、大谷選手について語られていることのひとつに私も大きく感銘を受けたことがあります。

それは「緊張する場面に立たされたときに、どうしようかと考えることもあるけれど、それよりもここから何を学べるかを考えるようにしている。」というようなことを大谷選手が言われたということでした。

直接その言葉を聞いたわけではありませんが、いかにもそのように考えられる方だからこそ緊張や難しい場面から逃げずにいられるのだなと思いました。

私自身も困難に向き合ったときに、今学べることは何かと考えるように努力しています。

犬と向き合うときにも、なかなか行動に変化が見られない犬から逃げようとするのではなく、この犬の軸となるのは飼い主である自分、今この犬と向き合って何を学べるかを考えるようにしようと思ってみてください。

犬の軸は飼い主であるあなた自身です。

軸が強いと群れは強い、群れが強いと安心感が生れます。


 

Posted in 犬のこと

犬の散歩中の拾い食いは犬のストレス性行動です。叱る前に犬が必要とすることを学びましょう。

犬の拾い食い行動ってどんな行動ですか?

 

犬が散歩中に落ちているものを口で拾いという行動を見たことがあるでしょうか。

「犬の拾い食い」の多くは年齢の若い犬、散歩に出始めたばかりの犬によくみられる行動です。

犬は好奇心旺盛で何にでも興味を持つ動物なので、落ちているものを口にいれるのは犬としては普通の行動だと思っている方も多いと思います。

ところが、散歩中になんでも拾う行動は「犬のストレス性行動」なのです。

行動のパターンの中では、犬の衝動的な行動であり、継続して繰り返される執着行動のパターンです。

飼い主さんとしては、犬に危険なものを口にしてほしくないし拾ったものを取り返そうとすると咬みついてくるなどの理由でトレーニングを依頼されることが多いのです。

そこでこの行動がストレス過多の状態によって起きることを説明するとびっくりされます。まさか犬が落ちているものを拾う行動がストレスの表現であるとは思いもしないはずです。

犬が口にしたものが完全な食べ物だけであれば、犬は食べるものを探して拾っているということになり、食べられないものを拾うストレス性行動とは少しわけて考える必要があります。

公園でいつも落ちている木々の食べられる甘い実を狙って拾って食べるのであれば、それはストレス性ではなくただ食べたいという欲求で食べているだけです。

散歩の道中に落ちているものを一つ一つチェックしながら食べられるものを見つけている犬もいます。このように「落ちている食べ物を見つけるための活動」になっているとしたら、この散歩は本来の目的とは離れてしまっています。

一番よくみられる犬の拾い食い行動では、食べられない石や紙切れ、ビニール、綿ゴミなどの小さなものを口にする行動です。

 

拾い食い行動は犬が何歳くらいから起きるのか?

 

犬の拾い食い行動がよく見られるのは、犬が散歩に出始めたときです。

子犬を散歩させる前に入念な社会化学習の準備をしておけば、拾い食い行動はさほど長引きません。

ですが、子犬の外のにおいに慣らさずにいきなりリードをつけて歩かせようとするとこうした行動をすることがあります。

子犬の散歩のための事前準備に抱っこ散歩は入りません。

※子犬を抱っこして散歩することは、子犬が外で不安を作りやすい状態を作り出すだけで逆効果です。

また、犬が青年期に入り大体生後6ケ月から1歳半の間に起きる社会的な退行期で散歩中の拾い食い行動が出ることがあります。

犬が子犬から成犬に上がらなければいけないこの時期の年齢では、一旦獲得したように思えた社会化が崩れていく行動が見られます。

例えば、それまで他の犬の吠えなかったのに吠えるようになった。

散歩中に急に立ち止まる行動が増えた。

そして散歩中に拾い食い行動をするようになったなどもこの期間に起きることがあります。

 

犬の拾い食いはどのようにして止めさせたらいいのか?

 

犬のすべての問題行動について共通していえることは、叱っても無駄だということです。

犬の拾い食いも同じことですが、起きてしまったことにダメ出しをしても犬には理解できません。

それよりも、犬が抱えているストレスの解消をするために何ができるのかを考えた方が効果もあるし犬のためにもなります。

その犬が抱えているストレスとは、犬の社会化の未発達にありますが、またその要因となっているのはやはり「飼い主との関係」です。

逆をいえば「飼い主との関係性」さえ改善すれば、犬の行動は本当に激変してしまいます。

犬がどのような動物なのかを知っていけば、飼い主としてしなければいけない行動も決まってきます。

難しく考える必要はありません。

要するに飼い主次第で犬はどのようにも変化するのだということです。

少しやる気になってきたでしょうか。

犬のしつけ方を習うということは、犬がどのような動物であるかを学ぶということです。

犬は人ではなく犬なのだということに気づくことをぜひ楽しんで下さい。


 

Posted in 犬のこと

「犬が吠えたらどうしたらいいですか?」に答えはありません。

「吠えたときどうしたらいいですか?」という質問をよく受けます。

特に、トレーニングクラスが始まる前の方、トレーニングクラスをスタートさせたばかりの飼い主さんから多いご質問です。

残念ながらこの質問に対する明確な答えがありません。

「犬が吠えたとき、どうしたらいいですか?」と同じ傾向の質問は他にもあります。

「犬が咬みついたとき、どうしたらいいですか?」

「犬が飛びついたとき、どうしたらいいですか?」

「犬がいうことをきかないとき、どうしたらいいですか?」

「犬が呼んでも戻ってこないとき、どうしたらいいですか?」

最後の質問などは、どうしようもない状況になってしまっているので、犬が戻ってくるまで待つしかないということになってしまいます。

これらの質問に対する明確な答えはありませんが、質問の内容を少し変えるだけで答えが見えてきます。

「犬が吠えたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬が吠えないようにするために、どういいですか?」。

「犬が咬みついたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬に咬みつかれないようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬が飛びついたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬に飛びつかれないようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬がいうことをきかないとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬がいうことをきくようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬が呼んでも戻ってこないとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬が呼んでも戻ってくるようにするためには、どうしたらいいですか?」。

 

こういう風に考えられるようになると、犬のしつけはぐんと進みます。

犬が間違ったことをしてしまったあとに「違う」を連発しても、犬は正しいことを覚えないということなのです。

犬には否定形「○○をしない」は伝わりにくいのです。

「吠えてはいけない」を教えるなら、「吠える必要がない」ということを教えなければいえません。

「リードを引っ張ってはいけない」を教えるなら、「リードを引っ張らずに歩くこと」を教えなければいけません。

人の心理学の講義でよく使われるのですが「ピンクの像を想像しないでください。」というフレーズを聞かれたことはないでしょうか?

「ピンクの像を想像しないでください、と言われているのにすでに私たちの頭の中にはピンクの像がいますね」という話で、人の潜在意識(無意識)領域では否定形を受け入れないということの説明で使われる例文です。

人の潜在意識には五感(視覚、嗅覚、触覚、嗅覚、味覚)を通して幼少期に蓄積された情報を元に習慣化された考えや感情、行動のパターンのことを言うらしいのですが、犬の意識はこれに近いと考えてあげると良いです。

犬の無意識とは、幼犬期に五感から蓄積された行動のパターンの他に、犬が生得的(生まれたときから遺伝的に習得している行動がベースとなっています。

犬の過剰な吠え(みなさんのいうところの無駄吠え)、咬みつき、飛びつき、散歩中の興奮などは、すべて犬のストレス性行動です。

犬が吠えたり、咬みついたり、飛びついたりするようになったのは、犬が生まれ持った遺伝的な行動に対してストレスを与えるような環境があったからそうなったのだということです。

犬は環境に対して素直に反応して行動や感情のパターンを身に着けてしまっただけなのですが、それが興奮しやすいとか、怯えやすいといった行動のパターンになってしまったのです。

これらの犬の問題行動に対してできることは、吠えていることを叱ることではなく、犬が吠えないようにするためにどのようにしていったらいいのかを考えることです。

もちろん、それは一瞬では達成できません。

1回のトレーニングでも絶対に無理です。

今まで続けてきた悪い行動の習慣化を断ち切って、新たな犬が落ち着いていられる行動の習慣化を身に着けさせる必要があるからです。

それでも犬は元のパターンにすぐに戻ろうとします。

何しろ小さな年齢で身に着けた犬の行動のパターン(無意識の行動)は、結構根強く残っており、簡単に方向を変えることができません。

それでも、やはり犬は変化していきます。

吠えて興奮したり、人に咬みついたり、リードを引っ張たり、飼い主に叱られたりすることよりも、犬にとっては落ち着いて安心できる環境があればそれに適応しようとするからなのです。

何よりも、犬の脳は「安心&安全」を求めていますし、犬には服従性という素晴らしい性質があります。

これこそ生得的に身についた犬の勲章ともいえる習性で、これを引き出された犬は素晴らしく落ち着いています。

「犬が吠えないようにするために、自分にできることは何か?」を考えられるようになったら、犬のしつけはすごいスピードで進んでいきます。

犬は飼い主さん次第でどのようにでも変化していく、これもまた犬の特性でありすばらしい柔軟性なのです。

 

Posted in 犬のこと

映画「愛と哀しみの果て(out of africa)の犬を見て思うこと。

好きな映画で何度見ても見飽きることない映画「愛と哀しみの果て」。

何が好きなのかというとアフリカの大自然の風景を見ることができるからだろうと思うのです。

そして、この映画に出てくるおそらくアイリッシュウルフハウンドがすごく素敵。

この映画は、小説家カレン・フォン・ブリクセンの書いた小説をもとに映画化されたものです。

映画のはじめでは1913年にデンマークからアフリカのケニアにカレンが列車に乗って旅するシーンがありますが、ここにそのアイリッシュウルフハウンド犬がいっしょに乗っています。

カレンと犬は列車をから馬車に乗り込み結婚式を挙げる施設へ到着。

到着するとカレンはその犬を座らせ「ちょっと待っててね」と言って立ち去りしばらくして戻ってくるともちろん犬は座ったまま待っています。

座らせるときに「オスワリ」などと合図する必要もないし、リードを置けばそこにステイするというのが当たり前になっていることがこの様子からわかります。

また犬のところにカレンが戻ってきてリードを持っていくのですが「お利口さん」などと褒めていることもありません。

出来るのが当たりまえ、それがこの時代の貴族が飼っていた犬だということがよくわかります。

到着したときにケニアの支配人はこのアイリッシュウルフハンドにびっくりします。

純血種にも驚いたのでしょうが、犬であれ動物をこうして従わせていることにもまた驚いたのでしょう。

洋犬の純血種は貴族社会の中で生まれたヨーロッパの文化のひとつです。

もはや100年以上前に築き上げられたひとつの文化で、クラッシックミュージックと同じように時代を経ても輝きはなくならないはずなのですが、音楽と違うのは犬には遺伝という難しいシステムが伴うということです。

繰り返される純血種の交配によってその遺伝子がどのように変化していくのか、ヨーロッパでは100年前と同じレベルで純血種の「形質」と「性質」を維持し続けることができているのか、実際にヨーロッパに行って犬を見たいと思うこともしばしばです。

この時代の純血種は本当に精密であり、現代新たに生れている新しい純血種とは一線を画すと思います。

さらにハイブリッドという純血種と純血種の混合となると、純血種以上の安定した性質となることは難しいのではないかと考えています。

100年前の貴族が暮らしていた犬はどのような犬だったのか、厳密に時代考証している信頼できる映画を見るしか方法がありません。

「愛と哀しみの果て」のアイリッシュウルフハウンドと飼い主のカレンですが、映画の最終近くにもまた登場します。

ヨーロッパから離れてアフリカで暮らしたカレンの孤独を犬が支えていたことがほんのわずかなシーンから想像できるのです。

この時代の人たちは現代のわたしたちよりも犬を動物として尊重することができたのかもしれません。

そのことが「できるように犬をしつける」という行為となったのではないかと思うのです。

犬を甘やかしておいて犬が吠えたりいうことを聞かなくなると叱ってそれを止めさせようとする現代の犬との暮らしを、カレンたちはどのように意見するのか聞いてみたいと思いながらこの映画に触れています。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

犬たちにも“どろんこパーク”が必要なのではないでしょうか?

NHK制作の「72時間」というドキュメンタリー番組があります。日常の72時間をいろんな場所で撮影した番組で、人々の生活の一部を知ることができ感じることは見た人任せでもあるので、ほとんどテレビを見ることない私でも気になる番組のひとつです。

年末特集として「72時間」の2022年の視聴者ランキングのトップ10が再放送されていました。その1位に選ばれたのが「どろんこパーク“雨を走る子供たち”」でした。

川崎市にあるどろんこパークという市の施設はNPO法人のスタッフが運営する無料の子供たちの遊び場だそうです。

撮影された72時間はほとんど雨続き…。子供たちは雨の中を走り回り、泥のウォータースライダーを滑り、どろんこまみれで遊んでいます。

学校に居場所を見い出すことのできない子供の姿もあって、室内では毎日することは自分が決める、その中で子供たちは今日を生き明日をどう生きるかを彼らなりに考えていました。

見方はいろいろとあるとは思うのですが「子供たちに大丈夫を伝えたい。」という大人の言葉が印象的でした。

どろんこパークでは子友達が遊び方を決める、子供同士の意見のすれ違いも子供だけで解決する、学びの場所でも何をするのかは自分が決める。

やりたいことをするということになりますが、やりたいことがあるというのがやっぱり子供っていいな、ただ素敵なだと感じました。

ただこの子供たちもどろんこパークに出会う前は、やりたいことが見つからない、何をしたらいいのか分からない、何もしたくないといった状態だったのかもしれません。

どろんこパークの遊び場は、ただ土があって草があって木が生えていて、自然の素材でつくったような遊び場的なものがあるだけです。

昆虫を見つけたり、花火をしたり、サッカーをしている子供もいましたが、いつでも自然の中に駆け出すことができるという解放感が室内の時間をも維持しているのではないかと感じたのです。

犬たちはどうなんだろう。

公園での散歩しかできない都会や住宅地の生活の中で、体を思いっきり動かすことができなくてストレスを感じているのではないでしょうか?

室内でボールを追いかけても、それは精神的な解放につながるのでしょうか?

そう考えて思いっきり走ることのできるドッグランに連れて行ったとしても、最初にまとまりのある集団が出来ていなければ、ドッグランはむしろいじめの宝庫となってしまいます。ドッグランなら大丈夫と思わずにちゃんと場所を選んで、ちゃんと観察できる力を飼い主とし身に着けておくことです。

学校に行けなくなった子たちの多くはイジメ行為を受けたということを言っていました。私も都会から田舎に転校したことでイジメを受けた経験があるので他人事とは思えません。

犬が自分たちでやることを決めて、お互いを尊重しながら過ごせるようなどろんこパークのような場所を目指して、オポ広場でどろんこまみれで遊んでほしいと願います。

もちろんオポ広場ではいじめはなしです。最近はちょっとしたグループもできあがりつつあり、新米犬のストレス行動には手を焼くことがありますが、みんなでいっしょに乗り越えようという感じになっています。

どろんこパークに1票を投じることのできる人なら、犬が犬として生きる時間も大切にしてくれそうです。

人のことでいっぱいいっぱい、犬のことまで考える時間などないとは思いますが、飼い主だけは自分の犬のことを考える時間を作って下さい。

彼らはきっと何か私たちに教えてくれているはずだからです。


 

Posted in 犬のこと, 自然のこと

やっぱり犬は飼い主で変わると確信できた一年だった。

今年もまたお預かりの犬たちと七山のオポハウスで年越しを迎えることになりました。

今年最後のブログで書きたかったこと、考えていたのに書き残したことなどをたくさん思い出したのですが、最後のネタはこれになりました。

年末の預かりクラスが始まって、犬の行動を管理しながら毎晩、預かっている犬の飼い主さんには報告書を送付しています。

報告とは犬が今日一日どのように過ごしていたかをお知らせしているものです。

飼い主を喜ばせるペットホテルだったら、犬ちゃんはとてもお利口さんに楽しくすごしていますとだけ伝えるところでしょうが、グッドボーイハートでは違います。

起きていることをそのままお伝えするだけでなく、犬の行動を通して読み取れる犬の状態についてもはっきりとお伝えしています。

興奮している、フセが十分にできない、吠える、他の犬と上手に関われないなど、預けている方の飼い主が聞いたら心配したり落ち込んだりするような内容のことでも包み隠すことなくお伝えしています。

グッドボーイハートの生徒さんたちは、表面的なことではなく本当に犬のことを知りたいからこそうちに預けて下さっているはずなので、ちゃんとお伝えするのが私の生徒さんに対する誠実な態度だと信じているからです。

年末年始の預かりが始まってから新しいメンバーもいたりといろいろと展開があったのdすが、一番印象的だったのは以前の預かりとは全く違う犬がのことです。

その犬くんは子犬のころから定期的に、しかもかなり頻度が高い状態で預かっていました。

子犬のころからすくすくと成長してとても元気で活発な犬になっていたのですが、ここ数回の預かり時には様子が以前とは明らかに違う犬になっていました。

例えば、他の犬とあまり遊ばなくなる、逃走しようとする、ごはんを残す、表情が沈んでおり犬とも人ともかかわりが難しくなっていると感じることが多々ありました。

飼い主さんにはきちんと報告しご自宅でも何か今までとは違うストレス性行動が出ているのではないかとお話したこともあります。

飼い主さんの方でも思うことがあったようで数回の家庭訪問レッスンを希望されて状況を伺っていました。

状況から判断すると、飼い主さんの犬に対する甘えがいわゆる「甘やかし」という犬に対するまずい接し方になっていたようです。

小さいころはちゃんとしつけをしなければいけないという気持ちがあって、犬と距離を保ちながら上手に育てて来ていたのに、犬がちゃんと成長していたずらもなくリードも引っ張らず人について歩けるようになり、吠えることもなく、とてもお利口に過ごせるようになったのでもう大丈夫と、飼い主さんは思ったのでしょう。

それまで抑えていた犬に対して「甘やかしたい」という気持ちがそのまま犬に対して出てしまったことが日常となってしまい、一番大切な犬と人の関係性=主従関係という方向性を失ってしまいました。

人と犬の関係性が依存関係となると犬には不安行動が多発するようになり、他者との関係作りも苦手になってしまいます。

飼い主さんに預かり中に知りえた犬くんの状態についての真実をお伝えして、飼い主さんが変わらなければ犬くんはもっとストレスを抱えて性格も内向きになってしまうこともお伝えしました。

その犬くんが、今回お預かりにやってきたのです。

そして、あの子犬のころに元気に他の犬たちと関わっていた犬くんに戻っていることが犬の行動に表れていました。

他の犬たちと以前のように関われるようになっただけでなく、以前は難しかった組み合うような遊びも怖がらずにできるようになっていたのです。

初めてその犬くんがそうやって犬との遊びを発展させた姿を見て、また不安定だった行動が一転して以前の明るい犬くんに戻ったことを知り本当にうれしく思いました。

飼い主さんに早速連絡して「とても成長しています。」とお伝えしたところ、もちろんですが飼い主さんも自分なりに頑張りました、とても嬉しいというお返事を下さいました。

こうやって一頭の犬の成長を飼い主さんと二人三脚でいっしょに取り組めることに感謝すると共に、やっぱり犬は家庭で育てられているのだ、犬は飼い主次第だということを確信できた出来事でした。

預かりといっても私はあくまで飼い主がどのように育てていかれるのかを、預かりを通して知ったり、知りえたことを飼い主に伝えてどのように接していけばいいのかをアドバイスすることしかできません。

預かったことで犬が変わるということは絶対にないのです。

だから私も飼い主を信じて犬の成長をただ見守ることしかできません。

犬は本当に素直に飼い主であるみなさんの姿を映し出しています。

犬の成長は飼い主の成長であると断言できます。

今年もみなさんといっしょに犬という動物についてたくさん学ばせていただきました。

こんなにたくさん学んできたのにまだまだ学びたい犬のこと、終わりそうにありません。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

外で怖がるのに家では強気な内弁慶な犬は「ダサい」らしい。

内弁慶といえば、外では弱弱しかったりおとなしいのに家の中では強がりや威張っている人のことをいいますが、犬にも「内弁慶犬」というのがいます。

内弁慶な犬という表現はどなたにもわかりやすいようです。

外ではびくびくと他の犬をみると後ずさったり、怖がって吠えたりする犬。

外では飼い主の足元にじっとしていて「お利口さんね」といわれる犬。

そんな犬が、わが家の中ではやりたい放題であることが多々あります。

外でおとなしい内弁慶犬は、飼い主に飛びついたり、家具に手をかけたり、ソファにかってに座っていたり、外の物音に吠えたり、走り回ったりと家の中では好き勝手放題。

まさにわが物顔で、飼い主の家の中のものも飼い主そのものも、自分のもののごとく占領してしまいます。

内弁慶という表現はそもそもは人の性格を表す言葉なので、多少は擬人化しているような表現になりますが、飼い主さんに対する伝わりやすさから私も使うことがあります。

内弁慶犬の犬としての本来の性質は、臆病だけど自己主張は強いタイプ。

ただの臆病で引っ込んだままということではなく、臆病だけど前に出る性質を持っているということです。

臆病という言葉も人の性質を表現する言葉なのでしょうが、人を含む動物はそもそも臆病であることが普通なので、内弁慶犬は単なる臆病犬とは違います。

社会化が発達していない状態、置かれている環境に対して順応しにくい状態にあるという言い方の方が動物としてはきちんと伝わるでしょう。

人と距離をとって生きている野生動物は人や人社会に対して臆病であることは当たり前のことです。

ですが、それが人と暮らすことが当たり前になっている犬という動物にも感じられるとすれば、犬が暮らしている人社会に対する社会化の問題ということになります。

子犬期に特に重要な社会化という学習が遅れたり、社会化が進みにくい環境の中に犬が暮らしていると、犬の社会化が進まないという結果として犬の行動に臆病さがみられるようになります。

同時に、その社会化が未発達の状態は、彼らのフラストレーションとして室内で爆発することになります。それが室内での走り回り行動や無駄な吠えです。

社会化が進まないのは、環境が都市化しすぎているということは言うまでもありませんが、田舎ののどかな環境の中でも社会化に遅れがみられる犬もよくいます。

犬を室内に閉じ込めている時間が長すぎる。

犬をひとりにしている時間が長すぎる。

多頭飼育の場合でも犬と犬の関係性がうまくいっていない。

そして何よりも、犬は飼い主と安定した関係を築くことができない状態にあるということこそ、内弁慶犬誕生理由の上位としてあげるべきでしょう。

そんな内弁慶犬のことを先日生徒さんが「内弁慶犬、ダサい!」と切り捨ててくれました。

私は使うことのないワードですが、なるほどこういうのがダサいっていうのねと納得のお言葉でした。

ダサい内弁慶犬をそろそろ卒業しましょう。

飼い主との社会的関係作り、毎日の一歩、楽しみつつ確実に、よろしくお願いします。

Posted in 犬のこと

福岡市の山でトレッキング!犬との山歩きで犬の社会化トレーニング。

急に寒くなった福岡の街。昨日はマラソン大会で右往左往いたしました。

そんな福岡の市内でも犬との山歩きを楽しめるのです。

数名の生徒さんたちと集まってトレッキングクラスを開催しました。


トレッキングが初めてという犬と飼い主さんもいたので、到着してからはまず歩き方の説明から。

いつもの散歩と基本のルールは同じです。

飼い主さんが主導で責任を預かりながら、犬たちはそのお供として社会性を培っていく。

歩道や細い道を歩く前進歩行と違うのは、山では探索行動が入ってくることです。

いわゆる散策ですね。

立ち止まりの回数も増えますし、周囲のにおいを嗅ぎまわりながら環境を把握するのは山を歩く犬の役割です。

くんくんとどんな情報が集まっているの知りたいのですが、特定のシグナルを出していなければまずは安全ということです。

特定の危険を知らせる犬のシグナルとは、立ち止まったり、後ずさったり、吠えたり、唸ったりといった行動です。

山という環境の中で、何か動物が近くにいる、何か危険が迫っていると教えてくれるのが犬の役割です。

生後5ケ月の中型犬や生後7ケ月の小型犬も参加していましたが、いつもの散歩よりもよく歩いていました。


アスファルトの上や都会の喧騒の中で立ち止まる犬も、自然の山道は自信を持って歩いていくのです。

子犬の社会化というのは都会に慣らすことばかりをいうのではありません。

一歩を踏み出す楽しみ、飼い主と共に過ごす楽しく心強い時間、山の中で活性化する原始的な脳、など自然の中には子犬の社会化を育てる素材がたくさんあります。

毎日の散歩での社会化と同時に、定期的な自然の中での活動を織り交ぜていくことが犬の社会化トレーニングには必須だと考えます。

すでに社会化している若い犬たちも今日の山歩きを楽しんでいました。

普段は飼い主さんとの山歩きですが、たくさんで歩くという勉強がここにはあります。

不定期開催ですが、参加を希望される方は直接お知らせしますのでご連絡下さい。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

自然に触れると脳が執着から離れていくという話「武田邦彦先生のYouTube動画から学ぶ」

先日、生徒さんからYouTubeの動画を送っていただきました。

「この内容って、犬のことにも当てはまると思うので見て下さい」とコメントがついていました。

グッドボーイハートの生徒さんたちは本当に熱心に勉強されているので、ときどきこうして情報を送って下さることがありとても刺激になっています。

送付された動画は武田邦彦先生の公式サイト幸せの砂時計という番組のひとつです。

武田先生は科学者、工学者として活躍されてコメンテーターとしても有名、そして現在は政治の方でもご活躍のようです。

たくさんの人が当たり前だと思っていることを科学的に論破されるうえに、その理論的な内容が理にかなっているというか、腑に落ちるという意味で一ファンでもあります。

送られてきた動画の内容の概要は、身内に愚痴をいうものがいるけれど脳に負担がかかっているのではないかという相談でした。

脳の話のところで大脳皮質がうまくいっていないのか、原始脳なのかという話題で相談されていたのが、武田先生周辺の方らしいご質問だと思って聞いて言いました。

武田先生の話では、愚痴ばかりこぼしているお母さんは、まず女性として周囲の環境に気を配る性質があって周囲の環境が気になるという性質を持っているということと、同時に環境があまりにも変わらないことがそのような状態を引き起こしているのだというご説明でした。

愚痴を言わなくなるようにするためには、まずその方が全く違う環境におかれるという経験をする必要があるということ、ショッピングなどもいいがやはり自然に触れるということが一番脳を活性化させるという話だったのです。

愚痴をこぼすという行動の繰り返しが、変化しない周囲の環境への不満に対する態度が常習化してしまったものだという風に科学的とらえるということ。

決して、その方がそのような嫌な性格だと決めつけないということが最初のポイントだと受け取りました。

二つ目は変化を起こさせるために必要なのは、自然に触れる経験をするということ、これが今の生活とは全く違う経験となっておそらく原始脳を刺激して変化を起こさせるだろうろいう、これもまた科学的なアプローチであろうと思います。

生徒さんがこの話に反応してくださって、さすがにグッドボーイハート生、すごいと思いました。

グッドボーイハートでは、犬のストレス行動を犬の性格のままにしないということを大切にしています。

犬が吠えたり咬みついたり、人に執着したりするのは、長い間変化しない部屋の中で人のにおいを嗅ぎ続けた結果、原始脳が退化してしまったからだと考えています。

だから、犬の吠えたりかみついたりといった問題行動を解決するためには、自然の環境に長く滞在して原始脳を活性化させることが大切だと考えていくのです。

そのために、飼い主さんと犬が山歩きをできるように指導するトレッキングクラスをしていたり、犬を山の学校で滞在させるために預かりクラスを実践しています。

オポハウスやオポ広場など山の学校の維持は体力、労力、金力など莫大に必要になりますが、どうしてもこの場所を手放すことはできません。

同時に家庭訪問レッスンで、飼い主さんに犬が家庭の中でどのように過ごすことが安定した生活なのか、犬という動物がどのような動物かを伝えていくことも大切なクラスです。

結果として、福岡や佐賀といった街中では自然に触れる機会がないため、犬の活動はほぼ毎日が休憩時間となるような時間しかないことがわかってきます。

近くに山や自然の広がる公園があるとしたら本当にその犬と飼い主は幸運です。

犬のことをよく学んだ飼い主の多くは、犬を連れて週末に山にいったり自然に触れるための時間を作ることを楽しみにして下さいます。

自然との接触は、犬のための時間のように思えるのですが、実は犬に連れられて私たち人間が動物であることを忘れないようにするために自然に触れる機会をいただいているのだと考えるべきです。

自然から遠ざけられると人は原始脳が閉じていきます。脳の中心にある部分ですから大脳皮質の基盤になる脳です。そこが閉じていくと不安を抱えやすい性質になるのではないでしょうか。

私自身も都会育ちで、小さなことで不安を抱えやすい性質ではないかと自己分析しています。

自分のためにも自然と触れ合う時間が大切なのですが、それを犬たちが支えてくれています。

七山もずいぶんと寒くなりました。外にいるのがつらいと感じられるときもあります。

そんなときは犬といっしょに走るしかありません。

武田先生のYouTube動画、幸せの砂時計で検索して番組をご覧になって下さい。

 


 

Posted in 犬のこと, 自然のこと