グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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外で怖がるのに家では強気な内弁慶な犬は「ダサい」らしい。

内弁慶といえば、外では弱弱しかったりおとなしいのに家の中では強がりや威張っている人のことをいいますが、犬にも「内弁慶犬」というのがいます。

内弁慶な犬という表現はどなたにもわかりやすいようです。

外ではびくびくと他の犬をみると後ずさったり、怖がって吠えたりする犬。

外では飼い主の足元にじっとしていて「お利口さんね」といわれる犬。

そんな犬が、わが家の中ではやりたい放題であることが多々あります。

外でおとなしい内弁慶犬は、飼い主に飛びついたり、家具に手をかけたり、ソファにかってに座っていたり、外の物音に吠えたり、走り回ったりと家の中では好き勝手放題。

まさにわが物顔で、飼い主の家の中のものも飼い主そのものも、自分のもののごとく占領してしまいます。

内弁慶という表現はそもそもは人の性格を表す言葉なので、多少は擬人化しているような表現になりますが、飼い主さんに対する伝わりやすさから私も使うことがあります。

内弁慶犬の犬としての本来の性質は、臆病だけど自己主張は強いタイプ。

ただの臆病で引っ込んだままということではなく、臆病だけど前に出る性質を持っているということです。

臆病という言葉も人の性質を表現する言葉なのでしょうが、人を含む動物はそもそも臆病であることが普通なので、内弁慶犬は単なる臆病犬とは違います。

社会化が発達していない状態、置かれている環境に対して順応しにくい状態にあるという言い方の方が動物としてはきちんと伝わるでしょう。

人と距離をとって生きている野生動物は人や人社会に対して臆病であることは当たり前のことです。

ですが、それが人と暮らすことが当たり前になっている犬という動物にも感じられるとすれば、犬が暮らしている人社会に対する社会化の問題ということになります。

子犬期に特に重要な社会化という学習が遅れたり、社会化が進みにくい環境の中に犬が暮らしていると、犬の社会化が進まないという結果として犬の行動に臆病さがみられるようになります。

同時に、その社会化が未発達の状態は、彼らのフラストレーションとして室内で爆発することになります。それが室内での走り回り行動や無駄な吠えです。

社会化が進まないのは、環境が都市化しすぎているということは言うまでもありませんが、田舎ののどかな環境の中でも社会化に遅れがみられる犬もよくいます。

犬を室内に閉じ込めている時間が長すぎる。

犬をひとりにしている時間が長すぎる。

多頭飼育の場合でも犬と犬の関係性がうまくいっていない。

そして何よりも、犬は飼い主と安定した関係を築くことができない状態にあるということこそ、内弁慶犬誕生理由の上位としてあげるべきでしょう。

そんな内弁慶犬のことを先日生徒さんが「内弁慶犬、ダサい!」と切り捨ててくれました。

私は使うことのないワードですが、なるほどこういうのがダサいっていうのねと納得のお言葉でした。

ダサい内弁慶犬をそろそろ卒業しましょう。

飼い主との社会的関係作り、毎日の一歩、楽しみつつ確実に、よろしくお願いします。

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福岡市の山でトレッキング!犬との山歩きで犬の社会化トレーニング。

急に寒くなった福岡の街。昨日はマラソン大会で右往左往いたしました。

そんな福岡の市内でも犬との山歩きを楽しめるのです。

数名の生徒さんたちと集まってトレッキングクラスを開催しました。


トレッキングが初めてという犬と飼い主さんもいたので、到着してからはまず歩き方の説明から。

いつもの散歩と基本のルールは同じです。

飼い主さんが主導で責任を預かりながら、犬たちはそのお供として社会性を培っていく。

歩道や細い道を歩く前進歩行と違うのは、山では探索行動が入ってくることです。

いわゆる散策ですね。

立ち止まりの回数も増えますし、周囲のにおいを嗅ぎまわりながら環境を把握するのは山を歩く犬の役割です。

くんくんとどんな情報が集まっているの知りたいのですが、特定のシグナルを出していなければまずは安全ということです。

特定の危険を知らせる犬のシグナルとは、立ち止まったり、後ずさったり、吠えたり、唸ったりといった行動です。

山という環境の中で、何か動物が近くにいる、何か危険が迫っていると教えてくれるのが犬の役割です。

生後5ケ月の中型犬や生後7ケ月の小型犬も参加していましたが、いつもの散歩よりもよく歩いていました。


アスファルトの上や都会の喧騒の中で立ち止まる犬も、自然の山道は自信を持って歩いていくのです。

子犬の社会化というのは都会に慣らすことばかりをいうのではありません。

一歩を踏み出す楽しみ、飼い主と共に過ごす楽しく心強い時間、山の中で活性化する原始的な脳、など自然の中には子犬の社会化を育てる素材がたくさんあります。

毎日の散歩での社会化と同時に、定期的な自然の中での活動を織り交ぜていくことが犬の社会化トレーニングには必須だと考えます。

すでに社会化している若い犬たちも今日の山歩きを楽しんでいました。

普段は飼い主さんとの山歩きですが、たくさんで歩くという勉強がここにはあります。

不定期開催ですが、参加を希望される方は直接お知らせしますのでご連絡下さい。

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自然に触れると脳が執着から離れていくという話「武田邦彦先生のYouTube動画から学ぶ」

先日、生徒さんからYouTubeの動画を送っていただきました。

「この内容って、犬のことにも当てはまると思うので見て下さい」とコメントがついていました。

グッドボーイハートの生徒さんたちは本当に熱心に勉強されているので、ときどきこうして情報を送って下さることがありとても刺激になっています。

送付された動画は武田邦彦先生の公式サイト幸せの砂時計という番組のひとつです。

武田先生は科学者、工学者として活躍されてコメンテーターとしても有名、そして現在は政治の方でもご活躍のようです。

たくさんの人が当たり前だと思っていることを科学的に論破されるうえに、その理論的な内容が理にかなっているというか、腑に落ちるという意味で一ファンでもあります。

送られてきた動画の内容の概要は、身内に愚痴をいうものがいるけれど脳に負担がかかっているのではないかという相談でした。

脳の話のところで大脳皮質がうまくいっていないのか、原始脳なのかという話題で相談されていたのが、武田先生周辺の方らしいご質問だと思って聞いて言いました。

武田先生の話では、愚痴ばかりこぼしているお母さんは、まず女性として周囲の環境に気を配る性質があって周囲の環境が気になるという性質を持っているということと、同時に環境があまりにも変わらないことがそのような状態を引き起こしているのだというご説明でした。

愚痴を言わなくなるようにするためには、まずその方が全く違う環境におかれるという経験をする必要があるということ、ショッピングなどもいいがやはり自然に触れるということが一番脳を活性化させるという話だったのです。

愚痴をこぼすという行動の繰り返しが、変化しない周囲の環境への不満に対する態度が常習化してしまったものだという風に科学的とらえるということ。

決して、その方がそのような嫌な性格だと決めつけないということが最初のポイントだと受け取りました。

二つ目は変化を起こさせるために必要なのは、自然に触れる経験をするということ、これが今の生活とは全く違う経験となっておそらく原始脳を刺激して変化を起こさせるだろうろいう、これもまた科学的なアプローチであろうと思います。

生徒さんがこの話に反応してくださって、さすがにグッドボーイハート生、すごいと思いました。

グッドボーイハートでは、犬のストレス行動を犬の性格のままにしないということを大切にしています。

犬が吠えたり咬みついたり、人に執着したりするのは、長い間変化しない部屋の中で人のにおいを嗅ぎ続けた結果、原始脳が退化してしまったからだと考えています。

だから、犬の吠えたりかみついたりといった問題行動を解決するためには、自然の環境に長く滞在して原始脳を活性化させることが大切だと考えていくのです。

そのために、飼い主さんと犬が山歩きをできるように指導するトレッキングクラスをしていたり、犬を山の学校で滞在させるために預かりクラスを実践しています。

オポハウスやオポ広場など山の学校の維持は体力、労力、金力など莫大に必要になりますが、どうしてもこの場所を手放すことはできません。

同時に家庭訪問レッスンで、飼い主さんに犬が家庭の中でどのように過ごすことが安定した生活なのか、犬という動物がどのような動物かを伝えていくことも大切なクラスです。

結果として、福岡や佐賀といった街中では自然に触れる機会がないため、犬の活動はほぼ毎日が休憩時間となるような時間しかないことがわかってきます。

近くに山や自然の広がる公園があるとしたら本当にその犬と飼い主は幸運です。

犬のことをよく学んだ飼い主の多くは、犬を連れて週末に山にいったり自然に触れるための時間を作ることを楽しみにして下さいます。

自然との接触は、犬のための時間のように思えるのですが、実は犬に連れられて私たち人間が動物であることを忘れないようにするために自然に触れる機会をいただいているのだと考えるべきです。

自然から遠ざけられると人は原始脳が閉じていきます。脳の中心にある部分ですから大脳皮質の基盤になる脳です。そこが閉じていくと不安を抱えやすい性質になるのではないでしょうか。

私自身も都会育ちで、小さなことで不安を抱えやすい性質ではないかと自己分析しています。

自分のためにも自然と触れ合う時間が大切なのですが、それを犬たちが支えてくれています。

七山もずいぶんと寒くなりました。外にいるのがつらいと感じられるときもあります。

そんなときは犬といっしょに走るしかありません。

武田先生のYouTube動画、幸せの砂時計で検索して番組をご覧になって下さい。

 


 

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犬に与えるものはオモチャとオヤツ?本当に犬が必要としているものを与えていますか?

山の学校に犬たちを連れてきて数日が立つと、犬の表情や動きに変化が訪れます。

特に山の学校に慣れている犬たちはついたその日から表情に変化があります。

都会の生活で疲れてたのかな、と伸び伸びと活動する犬を見ながら考えます。

山での預かりが初めての犬でも、年齢の若い犬や気持ちの若い犬の変化はとても早く驚きます。

犬のことをあまり知らない人が見ても、ある程度の動物らしい感性を持っていれば、その違いは明らかにわかるはずです。

今やたくさんの家庭室内飼育の犬たちがいます。

屋外飼育よりも室内飼育がいいのかどうかは、家の周囲の環境にもよるので一概には言えませんが、室内飼育によって寒暖のストレスから解放されたことで犬が長生きになっていることも否定しません。

ほとんどの家庭犬は飼い主さんにかわいがられています。

ちゃんとご飯を与えられて、オモチャやオヤツもたくさんもらっています。

毎日散歩に連れていってもらっている犬も多いはず。

どんなにたくさんもらったとしても、犬には足りないものがまだあるのです。

犬が本当に必要としているもの、それは犬の原始的な脳を適度に刺激してくれて、かつ安心して過ごせる自然の中の住処です。

インスタグラムには自然の中の戸建てに伸び伸びと過ごす犬の写真もたくさん出ています。

でも、多くの飼い主はその場所を持っていないし、自然環境のある場所にでかけてゆっくりする時間を持っていません。

忙しく働く毎日の生活の中で、犬のためにお金は使えても時間はなかなかないというのが現実のようです。

忙しい方は、私のように都会と田舎に家を持つということもできません。往復だけで人生が終わってしまうかなと思うこともあります。

他人からどう見られようと自分にとって価値があると判断できることをする主義なので、自己中心的に考えて価値ありと思っています。

何よりも、犬がこうして自然の中でずっと過ごす時間を持つことでこんなに変化するのだということを一番見ることができるのです。

犬のために何かやりたいと思った中でも格別自分を評価できる場所と時間がある、それが山の学校です。

私も自分の犬にオモチャやオヤツをたくさん与えていた時期がありました。

とても忙しく犬のために時間を作ることがなかなかできなくなってきるとますますドツボにはまってしまい、首輪やリードを新調したこともありました。失態ですね。

でも、本当は聞こえてくるオポの声。

欲しいのはオモチャでもオヤツでもないよ、欲しいのは山でいっしょに過ごす時間だよ。

やっと届いたオポの声、引っ越したのは犬が7歳の時でした。

オポが若いころにここに住めていたら…それが人生最大の悔やみです。

都会にグッドボーイハートを作ったあの時間も必要な時間だったのでしょう。

それにたくさんの素晴らしい出会いもいただきました。

飼い主さんが準備できない山で安全かつ楽しく過ごせる場所と時間。

少しだけお役に立てれば幸いです。

オポ広場の犬たち

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犬の攻撃性は本能なのか知性なのか?ローレンツ先生に聞きたい動物の攻撃性について

先日ブログに三島由紀夫と東大生の討論から紐付けて「コミュニケーションと熱量」について書いた記事が意外に好評をいただきました。

記事はこちら→犬への号令がなかなか伝わらないという飼い主への三つのヒント

どんなことでも犬に結び付けて考えしまう癖はすでに自分の中では日常化しております。

前述の三島由紀夫氏の映画を見ながら、もう一つ考えていたことがあります。

それは「犬の攻撃性」についてです。

東大全共闘で大学の一部を占領して陣取り火炎ビンを投げたりバリケートを作って抵抗する学生たちと、それに立ち向かう国家警察間の紛争について、それが「知的な行為」であるかどうかというやり取りがありました。

東大全共闘の深い意味を語るほど理解はしていないのですが、古い権威主義とそれがはびこる社会や団体もしくは国と、新しい主張をもつ学生が対立した結果生まれた紛争という形だということで大きくは間違っていないと思います。

この学生と社会の対立ですが、映画の中でもコメントがあるように紛争の起きた大学が「東大」であったことが社会的に大きな問題なったということです。

日本国内で最も頭脳の優れている人たちが「対話」ではなく「力」を行使しているということが知的な行為なのかは誰もが疑問に思うところでしょう。

暴力をふるう人間は知的ではなくすでにチンピラであるなら、全部捕まえてしまえばいいけれどそうではないから問題なのである、という社会問題です。

では、犬の場合になるとどうでしょうか?

犬が咬みついたら動物であるから本能的に攻撃をしても仕方がないとみられがちです。

人が咬みついて他人にケガをしたら大問題になるところが、犬が人に咬みついても大した問題にはなりません。

そこには「犬だから仕方ない」という考えがあるからです。

犬だからという考えの中には、犬は人間ではない頭の悪い動物だから仕方ないとか、犬は言葉がわからないから咬みついても仕方ない、もっと率直に犬だから咬みつくという考えに至る方もいるでしょう。

ですが、私はそうは思えないのです。

犬は大変知的な動物であるけれど、その知性は人と競い合うような知性ではないというだけなのです。

以前ブログでも紹介した「動物を賢さがわかるのか人は賢いのか?」の書籍のタイトルのとおり、本当に人は自分の物差しだけで動物を測りすぎています。

知性の中には感性というものもあります。

例えば、人は犬ほど鼻が役に立たないなど、人には犬に劣るものはいくつもあるのです。

だから犬が人よりも知性が劣っていると断言づけることはできない。

つまり、犬は知性がないから咬みついたり吠えたりするような攻撃行動をするのだという考え方を私は持ちません。

犬が咬みついたり吠えたりする攻撃性を身に着けているのは、自分や群れを守るための防衛のためであったり、食べ物を捕食するための生きるべき手段のためです。

特にその攻撃性が家族内の誰かに向けられるとしたら、それは犬にとって危機的な状態であり、本来ありえない攻撃性が出ているということになります。

犬が攻撃性を備えているのは当たり前のことで、それをいつどのように使うかは、犬の性質と環境が支配しています。

知性と攻撃性については、尊敬するコンラート・ローレンツ先生がいろんな書籍に記して下さっています。

時折目を通すのですが、なかなかすっぱりとは理解が進まず、もっともっと時間をかけて本の中のローレンツ先生にこのことについて質問したい気持ちでいっぱいです。

三島由紀夫氏は闘争について「一対一の命をかけた決闘であれば暴力はあり」だと言っていました。

犬の暴力も本来はこうしたものであったのではないかと思うのです。

逃げながら咬みつく犬たち。

本来の犬としての尊厳を取り戻してほしい、そのためには犬への理解を深めるしかありません。


 

 

 

 

 

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犬の目の表情が変わるとき、犬の脳の中にも変化が起きている(はず)。

数日前に博多で緊急のお預かりなど数件が重なり、博多から唐津市の山まで犬たちを移動させることとなりました。

窮屈な都心のマンションから抜け出してきれいな空気の流れる七山のオポハウスに到着した犬たちは、移動中のクレートから出た瞬間に「アレ」という体の動きになります。

今までに自然の中で過ごした経験のある犬ほど、到着が昼であれ夜であれ鼻を高めにキープして山の空気を鼻いっぱいに吸い込みます。

「山だ」と感じているように私には見えています。

そしてどの犬も確実に違うと思うのは「目の表情」です。

目の表情というと抽象的な表現になりますが、瞳の輝きというとより具体的でしょうか。

自然の環境の中に入ってそれを受け取った犬は、目が全く違ったものになってしまいます。

犬と共に山歩きなど自然体験を重ねる飼い主さんの中には、犬が山に来ると楽しそうにしていると感じられるからなのかもしれません。

その中には犬の目の表情が家で見るのとは全く違うと思う方もいるかもしれません。

犬の目が澄んで輝きを増しているときに、犬の脳の中にも何らかの変化が起きているのではないかということを推測します。

実際に犬の脳を開けてみることはできないので、題目にも“はず”という期待を込めた表現になりました。

犬の視覚は人と同じではありませんし、犬の視覚は犬の嗅覚に比べると感覚野としての情報源は少ないのです。

だから犬が何かを見てその目を輝かせているというよりは、犬の嗅覚や触覚などすべての感覚を通して得られた情報から犬の脳が活性化し、それが結果として目を開かせるという状態となっているのだというのが私の個人的な見方です。

山にきた犬の目の表情が変わるのを見るとき、コンクリートやアスファルトに囲まれた都会の空間の中で死に果てている犬の脳が、土や木や草がある山という空間の中で生き返ることを確信できるのです。

そして、ああよかった、この犬の脳と心はまだ生きていると思えるうれしい時間でもあります。

老朽化したオポハウスのリフォームは続きます。

犬たちの時間を取り戻すためにまだまだ頑張ります。


 

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犬のしつけは“辛抱強く”“我慢強く”。犬はやはり飼い主に似る。

先日、移動中のラジオで「やせ我慢という言葉は今の若い人には伝わらない」という話を聞きました。

我慢をする必要がないから想像がつかないということらしいのです。

スポーツ流行りのド根性世代のわたしくらいの年齢の人なら、根性とか我慢とか辛抱といったことはある程度は体験したことがあると思うのですが。

最近では子供に我慢をさせることとはあまり美徳とはいえない風潮があることはなんとなく感じます。

子供に食事を制限するような虐待と我慢をさせることは全く別のことなはずですが、教育のつもりで子供を死に追いやってしまうような事件が起きると、どこまでが教育なのかという議論が始まり、子供に我慢をさせることに不安を抱える親も出てくるでしょう。

犬育ても同じように、犬を我慢させることができない飼い主が増えています。

例えば、犬がお腹を空かせてしまうのをかわいそうだと思うために、定期的に食べ物を与えてしまう飼い主もいます。

犬にオスワリといってもしなかったら、させるのはかわいそうだという飼い主もいます。

しかし、犬のしつけというのは「犬ができるように飼い主がサポートすること」が大切です。

犬ができるようにというのは、何もスポーツや芸などの特別な行動ではありません。

むしろ、日常生活で毎日繰り返される犬にとって大切な活動、例えば安心できる睡眠、大切な食事、楽しい散歩、リラックスした空間での休憩です。

そしてこの日常生活を支えているのが、犬の飼い主との関係なのです。

犬が飼い主を自分の主人として心地よい主従関係を結び、飼い主の適切な合図に行動できるようになっているなら、日常生活は安心した空間となっているはずです。

ところが、多くの犬たちは飼い主の間違った可愛がりによって主人を失い、不安定な気持ちで過ごさなければならなくなります。

この不安定でストレスまみれの犬を立ち直らせるためには、飼い主が犬にとって価値のある主人(=飼い主)であることを伝えるための練習が必要なのです。

それが、リードで正しく歩くこと、オスワリ、フセ、マテ、オイデといった合図に従う練習です。

この練習は、なんども繰り返す必要がある行動練習で、犬のトレーニングでは服従訓練といわれたり、オビディエンストレーニングといわれます。

本当に古典的な呼び名だなと思うのですが、犬と人が密接に暮らすために編み出された文化のようなもので、確かに関係性を高めてくれます。

練習の成果は、グッドボーイハート生で自分は頑張ったと思う飼い主なら自分の犬の行動の変化としてだけでなく内面の成長として出てくるはずです。

やるだけやって思うのは、結局辛抱強く頑張らなければいけないのは、犬ではなく飼い主の方であるということです。

飼い主が我慢強く、辛抱強く頑張るから、結果として犬もそうなったとみることができます。

繰り返し練習など面倒と思う飼い主がいう言葉は、「どのように叱ればいうことを聞きますか?」です。

「吠えたときにどのようにすればいいですか?」

「噛んだときどのようにすればいいですか?」

これは、練習をしない飼い主の逃げの言葉のように聞こえます。

そう考えるなら、犬とともにリードを持ってもっともっと歩く練習をしましょう。

我慢強い飼い主には我慢強い犬が育つ。

やはり、犬は飼い主に似るのです。

ローレンツ先生がそう言っているのだから間違いありません。

時代に合わない我慢も、犬という動物には必要なものだと思います。


 

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犬への号令がなかなか伝わらないという飼い主への三つのヒント

「犬を叱ってはいけない」「犬は褒めてしつけるのがいい」というしつけ方が流行したため、その流れが生み出したものは「犬を褒めてしつける」が行き過ぎた「犬をおだててしつける」犬のしつけ方です。

犬のテンションを上げることや、犬に食べ物を与えて行動を起こさせようとするしつけ方が方向性を失った結果、犬は抑制の効かない動物に、そして飼い主との信頼関係を作れず、孤独なストレス状態に陥ることになります。

 

犬は社会的な群れを形成して生きる動物です。

群れの中での親犬が子犬や未熟な若い犬の教育は、群れそのものが正常に機能し群れが存続することにつながります。

群れとしては今すべきことを伝える方法を身につけておく必要があります。

しかし、フセを教えるとしてもその教え方(学習のさせ方)によって結果は全く違うものになります。

犬がおやつなどの食べ物やおもちゃをもらうなどの報酬が出ると察知したときにはする行動も報酬が出ないと知ると従わない、これは犬のしつけとは言えません。

犬は食べ物をもらうためにただ行動しているということになります。

つまり、飼い主と犬の間に主従関係ができているとは言えません。

従うべきは、優秀な群れのリーダーとしての飼い主だけです。

強く優れていなければ従う価値がない。

これが犬の社会です。

 

強い飼い主にならなければいけないと、犬に言うことをきかせようとして大きな声が出てしまうこともあるでしょう。

「強くフセと言わないとフセないのですが、叱っているようで可愛そうになります。」と戸惑う飼い主さんもいます。

フセという号令は叱るためのダメとかノーとかいう言葉ではありません。

犬を否定する言葉ではなく、犬に行動を起こさせるための言葉です。

その言葉、伝わらないとしたら何が足りないと説明すればいいのだろうかと考えていたときに思い出した映画があります。

それは「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」という映画です。

この時代を生きていないので内容は難しく理解することはできないのですが、三島由紀夫氏と当時の全共闘の東大生の討論の中に「伝えるということ」のヒントを得られるような気がして数回見ました。

三島氏は討論の中で「熱情を感じることができた。」と表現しています。

熱情とは熱意のことでしょうが、他にもこの討論を通して行き来しているものがあります。

ナレーターが最後にまとめる三つのこと。「尊敬、言葉、熱量」。

この三つは、人が犬に対して真剣に接するときには外せないものなのです。

 

まず尊敬。もっとも重要な要素です。

犬という相手を尊敬(リスペクト)していなければ、大きな声はただの暴言になります。

犬は素晴らしい動物だ、あなたのことを尊敬している、だから私と真剣に勝負しなさいという気持ちがあるでしょうか。

犬にネコなで声で話しかける、キャー可愛いとおだてる、犬を表面的に扱うことを私は好みません。

それは、犬をただの動くぬいぐるみ程度としてしか見ていない軽薄な行為だと思うからです。

犬は人の喜ぶような形や顔にされています。

みなが可愛がったり抱きしめたりしたいというような容貌になっています。

それでもやはり犬は犬。

彼らには強い攻撃性があり、ひとつの命としてこの世界を生きる希望も持っているでしょう。

ただ彼ら犬の運命は、私たちの国では人に飼われることです。

だから飼い主によって自分の運命は決まってしまいます。

犬を尊敬するということがどういうことなのか、まだよくわからないという方にはローレンツの本をおすすめします。

 

次に言葉。

犬に理解できるように与えられる犬の機能性としてのコミュニケーションの形であるか、犬が理解できるようになった人の言葉であるべきです。

犬が飼い主の強さをわかって安心できるようにするために、飼い主は犬に言葉を教えるのです。

それは、おすわり、ふせ、まて、といった合図や号令というもので、言葉を持たない犬にとってはそれはシグナルとして認識されているでしょう。

親犬も子犬に対して要求をすることも威嚇することも、攻撃をすることもあります。

それはお互いが共通のシグナルを持っているからであり、それをとらえ違いすることがありません。

ところが人と犬は違ったコミュニケーションを持っています。

なので、人が犬と関係性を結ぶにあたって要求すべきいくつかの合図は犬に教えておくべきです。

ローレンツはマテとついて歩くことと、バスケットだと言っていましたが、私は、フセマテ、ついて歩くこととオスワリ、の二つのセットが必須だと思います。

 

最後に「熱量」です。

実はこれもとても大切なものだと思います。

前述の「大きな声を出すと叱っているような気がして」という部分ですが、大きな声は必要なくとも熱量は必要です。

熱量があれば声が大きくなっても仕方ありません。

それは犬を叱っているからではなく、対話には熱量が必要だということです。

実際、犬と犬のコミュニケーションを見ていても、興奮している犬を一喝する犬の声はワンにしろ、ウォンにしろ、ウォーにしろ、ガルにしろ、ある程度の熱量があります。

その熱量は私たち人間の比ではありません。

逆に、犬が人に咬みつこうとして威嚇するときにもすごい熱量を感じられるでしょう。

咬まれたことがなくてもガウという犬の威嚇音にひるむ人は多いはずです。

伝わらなければ意味がない、これもまた犬の世界です。

熱量は怒りではありません。

大きな声は怒っているわけではありません。

むしろ怒りは対話を生まず、怒りは決裂を生み出します。

犬に対する「どうして思い通りにならなのか」「なんでそんなにいうことを聞かないの」という怒りや憤りを犬は敏感に感じ取ります。

犬の方は「終わったな」と思うかもしれません。

怒りは犬との関係を良くするために全く必要がありません。

必要なのは「熱量」。

熱量は継続して出すことができますが、怒りはそう長くは続きません。

 

動物と真剣に向き合って信頼関係を築き上げたいと思うなら、まずその動物のことを知って理解すること。

相手の習性や立場を知って理解した上で、相手を尊重することも大切です。

犬を尊重するということは、飼い主である自分が社会的に主導権を握るリーダー的な立場を犬が認めてくれるように考えて行動をするということ。

これは犬を弱い動物としていじめることではなく、犬が飼い主と良い関係を結び安心して暮らしていくために必要なことです。

「強くなければ従う価値がない。」

人が強い動物であったからこそ、犬は人に従う価値があると判断したはずです。

同時に人はそれほどバカでもないらしい。

人は他の動物について知り学ぶ知識を身に着けるという習性も持っています。

犬に認められる飼い主となるために、自信を持って号令を出しましょう。

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青年期の犬を成長させる機会を持とう!「年下がいるから成長できる」は犬も同じ。

犬は一歳になったらどのくらい成長しているの?

犬の成長はとても早く生後一歳半で、人でいう年齢の二十歳くらいにあたります。

体もある程度成長しきっていますし、精神的にも成犬と呼ばれる年齢になります。

ひとつひとつの個体がきちんと成長することで群れとなって社会活動が成り立つのが自然の中での犬としての動物の世界ですから、犬であればどの個体も「成長」を目指して日々を過ごしています。

人に飼われるようになってペット化が進んだ動物である犬も、動物としての犬の部分をすべて失ったわけではありません。

犬は考えて成長しているわけではなく、成長するのが当たり前の機能としてそうなっていくのです。

ところが、最近の犬たちはなかなか成長しません。

生後一歳半になっても「大人になったな~」と思える犬がなかなかいません。

むしろ、子犬になっていくというか、扱いにくくなったり、わがままになったり…。

行動学的にいえば、犬のストレス性行動が増えていったり、他の犬との社会的行動が不安定になったりといったことが起きるようになります。

 

子犬の出現に慌てる青年期の犬たち

分かりやすいのはその犬よりも年下の犬たちが出現してきたときです。

大体、一歳から一歳半になると子犬たちが散歩に出てくるようになります。

今までは、自分が一番下だった、子犬として可愛がられていたのです。

子犬だったから許されたこともたくさんあるのに、今度は違います。

子犬に対しては自分がお兄ちゃん犬、お姉ちゃん犬と呼ばれるようになるのです。

今までは年上の犬たちを相手にすれば良かったのに、自分が年上の犬として年下の犬に対して向き合わなければならないのです。

この年下の犬の出現が、青年期に入った犬に行動の変化を起こさせるきっかけとなります。

家庭で規則正しい生活をして、飼い主から愛情としつけをたくさん与えられた犬は、年下の犬が自分の前に現れても動じることはありません。

むしろ、年下の子犬との出会いがあることで、自分の立場や役割をわきまえる機会を得られます。

子犬だった自分、年上の犬ににおいを嗅いでもらったり、服従的にあいさつをしたり、飛んだり跳ねたり、飛びつこうとしたり、と興奮して接してきたはずです。

それが、こんどは一気に逆転。

自分に対しておびえるように近づく犬、興奮してとびつこうとする犬、礼儀もなく近づいてくる子犬たちを相手にしなければなりません。

ここでは、相手が子犬だということが重要なのです。

怯える犬、興奮する犬、礼儀なく近づく犬、これらの犬が成犬であれば、相手をしないとか遠ざけるとか、防衛することもできます。

でも相手が子犬であれば、排除することはできないのです。

自分の群れの犬でなくても、同種(犬)であれば一方的に攻撃や威嚇をすることは許されません。

同種の子供を攻撃しないという種の遺伝的な情報に従って、青年期の若い犬にも大人の犬としての対応を求められるのです。

 

子犬に対する青年期の犬の対応で犬の社会性を知ることができる

では、青年期の犬は子犬に対してどのような行動をするのでしょうか?

成熟した青年期の犬は、子犬のとびつきや甘噛みに対して辛抱強くかつはっきりとした態度で冷静に対応します。

もちろんまだ若いのですから大人の犬のように堂々とはいきません。

状況によっては、声をだしたり、飛んだり、身をかわしたりすることもあるでしょう。

そうこうしながら、大人の犬としても振る舞いを身に着けていくはずです。

逆に、成長が遅れている青年期の犬たちは子犬の出現に右往左往してしまいます。

右往左往とは行動ではなく自分の成長そのものが、という芯から揺らぐ状態です。

相手が大人のふるまいで自分を落ち着かせてくれていた環境から、相手が子犬で興奮して攻撃的に接してくるわけです。

青年期の犬であっても子犬に飛びついたり甘噛みしたりと子犬に戻ってしまう犬もいます。

子犬に対して牙をあてたり、吠えたりして子犬を遠ざけようとする犬もいます。

また子犬の対面でよだれを垂らすこともあります。

子犬との対面によって、今までとは見たことのない自分の犬の態度に驚かれることもあるでしょう。

子犬の我が犬は犬に向かって飛びついていったはず、犬が大好きだと思っていたのにそうではなかったと気付く時期にもなります。

 

犬と犬の関係性に飼い主が介入できること

犬と犬のコミュニケーション中に、飼い主はわが犬にどのようにふるまえばいいのかを教えることができません。

他の犬と対面させているときに「ああしたらいいのに」「こうしたらいいのに」と飼い主がやっきになってもそこでは全く無力なのです。

できるとしたら、他の犬に対して攻撃的な態度や消極的な態度がでれば、対面を中止させることだけです。

では、飼い主の存在は犬のコミュニケーション力を高めることができないかといえば、決してそのようなことはありません。

むしろ、飼い主が育てた犬が今のような社会性を持つことになったという自覚をまずもっていただくことは最も大切なことです。

その上で飼い主ができることは何かを現実的に考えていきましょう。

子犬との対面をする前に、日々の生活の中での飼い主の接し方や環境が犬の成長に影響しています。

生後3ケ月から生後6ケ月にかけての一番最初の発達期に飼い主が子犬を赤ちゃん犬として扱ってしまうと精神的な発達が遅れてしまいます。

遅れてしまった成長を取り戻すためには時間をかける必要がありますが、成長を諦めないということがなによりも大切でしょう。

年齢を重ねても子犬っぽい行動をする犬、赤ちゃんのように甘える犬は人から見ると可愛いと思われるかもしれません。

しかし、それが人として見た場合はどうでしょうか。

犬が年齢を重ねて大人の犬として成長し、頼もしく子犬を守ることのできるような犬に成長をするということは、飼い主とってのメリットではなくその犬自身にとってのメリットなのです。

自分の中に育つ軸のようなもの、しっかりとした幹を持つ犬の成長は、ますます楽しみです。

犬が本当に可愛いというのは、赤ちゃん犬としてではなく尊敬に値する愛おしさだと思います。

わたしたちヒトの方が時代と共に親元を離れる年齢が遅くなってしまったのかもしれません。

子犬と犬のコミュニケーション、次回の犬語セミナーで紹介します。

生後4ケ月の柴犬くんと1歳3ケ月の犬くん



 

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犬の重大な問題行動も実は小さなことの積み重ねから始まる。

犬と問題なく暮らしていると飼い主たちには程遠いはずの犬の問題行動。

その犬の問題行動がまさか自分の犬に起きるとは、犬と暮したばかりの、もしくは犬を迎える前の飼い主には想像もできないでしょう。

犬の問題行動のご相談は、生後3ケ月とか生後4ケ月という子犬時期であることもあるし、8歳、9歳、10歳という犬ではかなりの高齢になることもあります。

問題となる行動の種類は、犬のもつそれぞれの犬種や性質といった個性によっても違いがありますし、むしろ飼い主の生活スタイルや生活環境によって習慣化された犬の飼育環境は犬の個性よりもずっと犬の行動に影響を与えています。

犬の飼育環境と飼い主の犬に対する接し方や飼い主と犬の関係性が犬の性質を育ててきたといっても言い過ぎではありません。

ですが、ひとつだけ絶対にどの犬にも同じだと言えることがあります。

それは、どんなに重大な犬の問題行動も最初は小さな問題から始まったのだということです。

飼い主に対してかみついたり、散歩中にリードをひっぱって興奮して人や犬に吠えたり、室内で来客に対して吠える、インターホンで興奮するなどいろんな問題行動がありますが、その問題行動にも最初があったはずです。

特にかみつき行動の場合には、最初は軽く人の手に牙をあてる、声をだして吠える、手をなめるといった行動や、人に対するとびつき行動といった行動で始まります。

この最初の人に対する自己主張の強い行動を見逃さずに対応しておけば、急に噛みつくような犬にはなりません。

しかもその行動は大体生後6ケ月くらいまでに出てきます。

犬の生後6ケ月というと犬の乳歯が永久歯に生え変わるころです。

犬の永久歯が生えるころには犬の顎は大変発達しています。

犬は動物を捕食する動物ですから、犬の牙と顎は動物を殺傷することに利用するために発達してきました。

生後6ケ月になり永久歯が生え変わった犬は、刀を腰に差している状態なのです。

その武器を自分が生きるためにも使うと同時に、群れを守るために使うという風に成長していれば問題を起こすような犬にはなりません。

生後6ケ月までを飼い主の甘やかしの中で育てられると、飼い主に対する主張をしたり飼い主は自分を守る存在ではなく自分よりも下の存在となってしまい、吠える、咬みつく、マーキングといった攻撃行動を周囲のものにするようになります。

自分の子供に対しても生じる「まさかうちコが…」という考えが犬の問題解決を遅らせてしまい、問題は悪化し手に負えない状態となってトレーニングスクールにご相談に来られます。

お伝えしておきたいのは、ドッグスクールに犬の相談をされることは決して犬を責めたり悪いと決めつける行為ではありません。

犬の吠える、かみつく、マーキングや破壊行動などはすべて犬のストレス行動です。

一番困っているのは犬自身であるということを理解してあげて、できるだけ早く専門家に相談してください。

飼い主としては「私が一番この犬のことをわかっている」という気持ちですから、相談するのに躊躇する気持ちもわかります。

初回の訪問カウンセリングのときに、飼い主さんが愕然とされる姿を今までなんども見てきました。犬のことをわかっていたつもりで全くわかっていなかった、飼い主さんがそう気づかれるからです。

気付かぬうちに犬の問題が大きくなって犬の精神が蝕まれてしまう前に気づいてよかったと思えるようになるのは、犬の問題に対して前向きに取り組んだ飼い主だけです。

そのうちよくなる大した問題ではないと、犬の叫びを聞こえないふりをして問題だけが膨らみすぎると解決できないばかりでなく、犬の体調不良にもつながっていきます。

犬のしつけは犬が来る前から始まっています。


 

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