グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬のしつけ方>犬の居場所を指定する【ハウス】【ベッド】を誘導するためのヒント

このブログではトレーニングの手法ややり方についての説明はできるだけ避けるようにしています。家庭訪問レッスンを行っている理由は、言葉では伝えられない部分を身振り手振りでお伝えすることが目的だからです。

ですが短いレッスンの間に確認できなかった補足の資料としても当ブログを活用していただくというのも目的のひとつでもあります。

犬のしつけ方やトレーニングは、犬の行動学や習性にのっとっていなければ成功することがありません。

ドッグトレーニングをうまく進めていくためには、犬の習性を良く学ぶ必要があり、言い換えれば犬という動物について知れば知るほど“犬のしつけ”の仕組みは理解できるということです。

犬の居場所を指定するトレーニング

二つの居場所「ハウス」「ベッド」

グッドボーイハートでは、犬の居場所を指定するトレーニングを大変重要視しています。

トレーニングの柱といっても過言ではないというほど、次々に居場所の指定トレーニングが連なっています。

その「居場所を指定するトレーニング」の中で、初期に始まる合図は「ハウス」そして「ベッド」です。


上記の写真はクレートの中で休憩する犬ちゃんです。

ハウスとは、犬の室内用の巣穴になる居場所です。

屋外飼育の犬の仕様する犬小屋に相当する場所です。

ハウスの利用は、寝場所、留守番場所、避難場所…といろいろとありますが、室内飼育の場合にはどんな犬にもハウストレーニングが必要です。

ベッドの方は犬のソファにあたる場所です。


室内にはみなさんにもいろいろな休憩場所があると思います。

ソファ、椅子、座椅子などと同じように、犬にも自分の椅子やソファの代わりになる居場所が必要です。

「ベッド」や「プレイス」というような合図で指定される場所は犬にとってのソファだと思って下さい。

もちろん「犬専用のベッド」は人が利用することはできません。

ここは犬の専用席なので、犬が犬のベッドにいるときは人は自分の椅子やソファを使って下さい。

居場所を指定するために号令(合図)使う

号令や合図と呼ばれるものは、オスワリ、フセ、マテなどと同じことです。

号令やコマンドという言い方だと常に強い口調で言わなければいけないのかという誤解を生みかねないので、わたしは「合図」という言い方にしています。

犬のコミュニケーションはシグナルで成り立っており、においや音や形などで区別されています。

においのシグナルを発することのできない人間にとって、犬とのツールは音か形です。

そのため合図もほとんどが音とハンドシグナルの二つを併用します。

例えば、クレートを指定する合図は人によっては、ハウス、クレート、おうちなど様々ですが、いつも同じ合図であれば何でも構いません。

音の合図はできるだけ短く犬が聞き取りやすいものであれば構いません。

居場所を指定するハンドシグナルは、その居場所の方を指差しする行動になります。

ハウスならクレートを指さしする。

ベッドなら犬用ベッドを指さしする。

指さし行動については過去のブログ記事でもご紹介しましたが、人の指さしを理解できるようになるのは動物としては高度なコミュニケーション力なのですが、犬はある程度それを理解することができるようになるというのがすごい能力なのです。

<犬のしつけ方>人の指差しを理解する犬に観る理解力

もちろん、子犬のころから指さしを理解しているわけではありません。

人との生活の中で人が指すものを理解できるようになるのですから、犬にわかりやすいように手順を踏んで伝えていく必要があります。

そのためには、手指しを始めるまえに「指定する居場所に触る」という行動から伝えていきます。

居場所を指定するトレーニングは「誘導」と「誘発」で構成される。

「誘導」とか「誘発」というのは行動を起こさせるトレーニングの道具のようなものです。

ハウストレーニングを例にあげましょう。

ハウストレーニングでいう「誘導」とは、犬をハウス(クレート)に連れていくということです。といっても抱き上げて連れていくのではありません。

犬が地面を歩きハウスに入っていく行動を「誘導」するわけです。

犬の脇を抱えるようにゆっくりとハウスまで歩かせること。

犬の首輪にリードをつけてハウスまで歩かせること。

犬の首輪をもってハウスまで歩かせること。

この3つはハウスへの誘導です。

この誘導トレーニングだけでも、ある程度の犬たちはハウスというとハウスに入るようになります。

特に状況別で覚えていきますのでいつもごはんをハウスで与えてれば「ごはんのときにはハウス!で入ります。」となります。

となれば、ハウスの合図は覚えているはずなのに、自分の都合の良いときだけ行動するがその他のハウスの合図は無視されてしまうという場合もあります。

(一定数の犬は誘導だけでハウスの合図を理解し入るようになります。)

ハウスの合図をもっと強化するためには、ハウスの行動を誘発する=事を起こさせるためのきっかけづくりが必要です。

ハウスの行動を誘発するきっかけづくりは、ハウスをとんとんとたたく行動がおすすめです。

本来なら犬のテリトリーに触るという行為が犬の注目を引きやすいのですが、犬がより気づきやすくするようにするために、ハウスをトントンと音を出してたたきます。

指定した場所をたたく誘発行動は、ベッドの場合にも同じです。

小さな子供を自分のところに呼び込むために、座ってパンパンと手をたたきながら「おいで~」と叫んだことはないでしょうか。

これもひとつの誘発行動で音と動く手の刺激によって子供が何だろうと不思議がって近づいてくる行動を引き出す道具になっています。

犬にもこのような姿でオイデをしている飼い主さんを見ることがあります。

オイデの場合の居場所の指定は飼い主の足元なので、オイデの場合には自分の足をたたく行動がおすすめです。(オイデの練習はハウスはベッドができてからです。)

クレートに近づきハウスといってハウスをポンポンとたたき、すぐにハウスに入るようになればハウスの合図はほとんど完成したようなものです。

ここから上級になり、少しずつハウスから離れてハウスを指す合図に変化させていき、手指しの合図と声の合図の「ハウス」→「犬がハウスに入る」が完成します。

ここまで読まれて、いやいやそんなに簡単にハウスに入るようにならないよという方。

もしくは、子犬のころには応じていた合図に、成犬になったら従わなくなったという場合もあります。

ここには飼い主と犬の対立関係が生じています。

対立関係はできるだけ早く収束させる必要がありますが、子犬は飼い主と主従関係を結ぶようになるのに青年期になるまでい時間のかかるものです。

個体差はありますが、生後6ケ月~1歳半までが犬の青年期。

子犬からおとなの犬となり、飼い主と良い関係を築き上げていく一番楽しくかつ大変な時期です。

犬の成長は簡単には終わりません。

だからこそ長い長い伸びしろがあって、どんどん成長する犬が楽しくて仕方ないはずです。

自分たちだってそんなにすくすくと成長したとは思いません。

犬は人を理解するまでにかなり時間を必要としています。

気長く根気強く、愛情より愛をもって犬育てを楽しんで下さい。

 

Posted in クラスのこと, 犬のこと

秋のはじまりもやっぱり犬との山歩きをしよう。山という環境が犬と人に与えてくれるゆっくりとした時間に感謝。

彼岸花にクロアゲハが立ち止まる季節となって、ようやく山の学校にも冷たい風が吹き心地よさを体感できるようになりました。

これから一番楽しい山歩きの季節がはじまります。

この季節にトレッキングデビューできる犬たちはラッキーです。

犬との山歩きクラスについて「何の目的があってやっているのですか?」と尋ねられることがあります。

目的と聞かれると少し返答に困るのですが、犬との過ごす時間の使い方として絶対に外してほしくないことが山歩きなのだと言ったらよいでしょうか。

犬が人と山を歩く行動は非常に原始的なもので、同時に非常に多い経験として脳内に刻み込まれているはずなのです。

犬と人が出会ったのも山だったはずだし、犬と人が協力して活動するようになったのもそもそもは山であるはずだからです。

その山歩きという空間の中では、犬も人も最大限に使わなければいけないのは体全体です。

表面的な刺激に対してただ反応する脳の動きを止めて、一歩一歩踏み出す脚に注意を払うこと、鼻先を通り過ぎる風のにおいを嗅ぐことなど、山の中でもっとも優先させるべきことに集中して歩きます。

犬と暮していると犬が暇していて可哀そうだと思い、室内空間でたくさんのオモチャやオヤツを与えたりゲームをしたり、撫でたり触ったり、抱っこしたりして過ごすことが増えてしまうかもしれません。

しかし、それは犬本来の活動とはいえないのです。

室内でしか過ごす経験がない犬たちが繁殖を重ねていき、犬という動物が次第に自然の中から遠ざかっていくのが時代の流れかもしれませんが、犬が山の中で活動する姿をわたしは自分が死ぬまでは見ていたいなと思うのです。

ほんの数千坪しかない山の学校の敷地でも、仔山羊のアールゼットのお世話や犬たちの活動に付き添うとかなりの上下運動を必要とします。

博多の家だったらどんなに歩き続けても平らしかないはずなのに、山の空間には平らという場所がそもそもありません。

小さいころから都会育ちの私の体には大変なことも多いですが、俊敏な犬や山羊に負けないぞという気持ちで山歩きを楽しんでいます。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

想像を巡らせても犬のことを全て知ることはできないが、それでもやっぱり知りたい犬という動物のこと。

犬を理解するためにたくさんの時間を費やして勉強をしたとしても、犬の考えていること、犬が行っていること、犬に起きていることを全て知ることはできません。

先日ある本を読みました。

ローレンツ先生の翻訳者でもいらっしゃる理学博士の日高敏隆先生の著作。

「動物と人間の世界認識~イリュージョンなしに世界は見えない~(筑摩書房)」です。

日高先生の一般の方向けの本であるろうとは思うのですが、その内容は非常に深くここで私が説明しきれるような内容ではありません。

その上で、受け取ったことを簡易に述べるなら、ヒトも含めてそれぞれの動物たちの見ている世界は違うということを科学的にとあり上げたものです。

例えば、ドイツの学者「ユスクキュル」の環世界の紹介もあり、動物が見ている世界はわたしたちが見ている世界とは違うということの科学的な説明が書かれています。

私たちヒトと犬の場合でも、入ってくる情報の感知する部分が人は視覚重視、犬は嗅覚重視という風に違っています。

私たちの視覚で見ているのと同じなことを犬が見ているわけではありません。

同時に、犬が山の中で嗅いでいるたくさんのにおいを、ヒトの方はほとんど嗅ぐこごができません。

今流行しているアニメの鬼滅の刃の炭治郎くらいの動物的嗅覚があれば、犬が嗅いでいるものと同じ量を感知できるかもしれません。

このように感受する器官が異なるということとは別の世界を分ける理由があります。

それは、興味と関心の向け方が違うということです。

ヒトにとってどうでもいい環境が犬にとっては興味や関心となりますが、逆に犬が気にする地面の臭いにおいの物体は、ヒトにとってはどうでもいいものでしかありません。

入ってくる情報が違い、興味のある世界も違う、こうなるとイヌとヒトというのはかなり違いのある動物だということになってしまいます。

それだけ違いのある犬という動物についてすべてを理解することはできないのですが、想像を働かせることで見えてくるものがあるというのが日高先生のこの本の中でいうところの「イリュージョン」ではないかなと思います。

この犬はこのときにこのような動きをしたのはこういう情報を受け取ったからではないか…という風に想像を巡らせていくしかなく、そこには答えはありません。

しかし、想像は時として動物に対する擬人化に発展してしまいます。

特に人の生活の中でいっしょに活動し、犬が自分にとっての子供に値するくらいの近い関係になってくると、犬にとって自分はお母さんやお父さんであり、親として十分に理解したいという気持ちが犬の擬人化を強めてしまいます。

人の感情の満足のため犬を飼っていることは否定できませんので、ある程度の擬人化は仕方のないことだと思います。

しかし、最終的には犬は動物であり人とは違う世界をもっていること、私たちが知ろうとしてもわからないことはたくさんあるのだということを謙虚に受けとめることも犬と暮らす上で必要な姿勢です。

分からないことが多すぎて難しく落ち込むこともあるかもしれませんが、何でもわかった気でいて思い込みすぎるよりは良いと思います。

どんなに学んでもどんなに付き合ってもまだまだ分からないことばかり。

こんなに夢中になれる犬という動物と出会えたことをありがたいと思います。

今は犬飼いではな山羊飼いとなりました。

犬と山羊の関係もまたいろいろと学びが深いです。

Posted in 本の紹介, 犬のこと, 未分類

犬たちと仔山羊の楽しい交流が始まりました。

8月4日に生後3ケ月半になる仔山羊のR&Z(アールとゼット)を迎えて、2週間がたちました。

夏休みの合宿中に迎えたこともあり、仔山羊たちを犬に社会化させようといろんな対面を試みています。

それが、楽しくて面白くて、また学びの深いことがたくさんありすぎて、ブログ記事としてまとめる時間が足らないため今回は雑談として軽く紹介します。

仔山羊を迎えるときに仔山羊を繁殖させられた山羊飼いの先輩からは「山羊は犬が苦手だ」と聞いていました。

山羊は散歩している犬を見かけると、避けたり逃げたりするということだったのです。

ドッグスクールにいる山羊なのに犬を子が怖がるようになっては山羊のストレスが心配です。

そのため、仔山羊を早くお迎えして犬に対して社会化させようという計画を立てていたのですが、7月の被災により1週間延長となりました。

しかし「社会化」は後戻りできないのを一番知っているのは私です。結局、待ちきれずに山羊小屋も仮完成のまま、仔山羊たちを迎えることになったのです。

仔山羊たちに最初に対面させたのは、当初の予定通りに小鉄くん(2歳半の雄の柴犬)でした。

預かり経験が豊富で環境にも慣れており、社会性が高く怯えや恐れがあまりない犬であるからです。

仔山羊と小鉄(オポハウスにて)



予想通りではありましたが、小鉄くんは仔山羊を脅かすことなくゆっくりと距離を縮めていきました。

仔山羊と小鉄くん(山羊小屋の近くで)



上の写真は小鉄くんと仔山羊のアールとゼットがフリーの状態ですが、お互いの距離を保っています。

他の犬たちとも対面を練習していきました。

仔山羊とクルルちゃん



仔山羊とアンちゃん



仔山羊と菜々ちゃん



仔山羊のゼットとはるちゃん



仔山羊のゼットときいろちゃん(間にいるのはダンナくん)



こんな感じで対面を重ねています。

白いアールはいつも逃げ気味なのに対して、色の濃い方のゼットは逃げが少なく、一定の距離で相手が戦うシグナルを見せなければ、自分のスペースをキープして頭を突き出し「はい、そこまで」と相手の接近を許しません。

牙のない雑食性のさらに角もまだ生えきっていない仔山羊ですから、犬からの攻撃の合図を受け取ればすぐに逃げます。

コミュニケーションの違う動物でも、わずかにですが共通に交わされるシグナルというのを山羊と犬という二つの対象を通して見ることができるのがこの対面の醍醐味です。

最後の写真ではダンナくんが仲裁役となっていますが、普段は私が間に入り込んでいるので写真は動画を撮影することがほぼできない状態です。

動画を後でゆっくりと見たいという気持ちもありますが、肉眼でしか受け取れない感覚というのが絶対的にあるためそれを優先させたという気持ちもあり、もやもやした感じで観察しています。

まだまだ観察したことが蓄積されている時間が続いており、ブログで説明するには時間がかかりそうです。

そうこうするうちに、仔山羊たちもどんどん成長しており環境に馴染み始めることでこちらはこちらで行動が変化しています。

地すべりで崩れた裏山の悲惨な斜面がまだ復旧していないので心痛む日々ですが、仔山羊と犬の間で交わされる何かを見る楽しみがあることで救われました。

いつか本当にアールとゼットと犬たちでトレッキングに来る日が実現できるかと、妄想を重ねています。

木で頭をこするゼットと左がアール。右はスタンプーのレオンくん。

Posted in 山羊, 日々のこと, 犬のこと

異種間コミュニケーションの読み間違い“ひなとダンナくん編”

グッドボーイハートの山の学校では、日常的に様々な野生動物との小さな関わりがあります。

小鳥や昆虫は都市空間の公園や木々でも時折みられるものの、動物たちとの距離の近さが山では圧倒的に近くなります。

そんな日常の動物たちとのやり取りの中で起きた小さな出来事です。

ある日、訪問レッスンを終えて山の学校へ戻る前にダンナくんに業務連絡を入れると、こう報告がありました。

「ひなを発見、巣から落ちたらしい、蛇に食べられるのではないか、保護した方がいいのか?」

私の返答は「そのまま様子を見ること」。

私がすぐに小鳥を保護して欲しいというかと予測したダンナくんは「へーさすがだね。」とリターンを返し私が帰宅するのを待ちます。

帰宅後、ひなの状態を確認すると人を恐れて隠れるモード、周囲に親鳥たちが飛ぶ気配もまだありました。

ダンナくん、ひなが口を大きく開けて俺にエサをせがむのだと、そして親鳥たちが自分に攻撃しようとする様子も見られたとのことでした。

その口を大きく開けてエサをせがんでいるのだとダンナくんが受け取ったひなの写真を見せてもらいました。

ひなの写真の姿は、口を大きく開けて「あっちへいけ」と防衛のシグナルを見せているものでした。

これはエサをせがんでいるのではなく、あっちへ行けっていってるのだよということをダンナくんに説明すると、しごく納得した風でした。

鳥のことを知らなくても冷静に見ればそうだと気付く動物のシグナルも、受取間違いをすることがあるのは、そのときに人の中に「感情」が芽生えてしまうからです。

ダンナくんはこう思ったに違いありません。

「ひなが可哀そう、助けを求めている、このままだと蛇に食べられてしまう、俺が助けなければいけない…」

そんな気持ちが幼く弱者である動物に芽生えてしまうと、とたんに自分は相手の保護する立場となってしまいます。

こうした動物の異種間のコミュニケーションの小さな読み違いが、実は飼い主と飼い犬の間に日常的に起きています。

一番わかりやすく毎日のように繰り返されているのが「犬が飛びついてくるのは人が好きだから」です。

カウンセリングに行くたびに言われるのは「人が大好きなんです。お客さんが来ると人に飛びついていくんです。」というセリフ。

「とびつくのは人が好きだからではありません。」というセリフを、もう何万回いやもう何十万回も繰り返し言っている気がします。

コミュニケーションの読み違いを防ぐために動物の言葉を学ぶ方法はひとつだけです。

同種間のやり取りをよく観察することです。

コミュニケーションの読み間違いは同種でも全くないわけではありませんが、非常に少なくなります。

ひなと親鳥のやり取りを観察することはなかなかできませんが、ひなの口を開ける写真は、ひながエサをもらうときにする口の開け方とは違います。

わたしたちは室内に入ってひなが少しずつ山の方に上がっていくのを観察することにしました。

親鳥たちがひなを誘導するようにたくさん集まってきていました。

もしかしたら巣に戻る前に蛇に取られてしまったかもしれません。

そう想像するとかなしくはなりますが、それが野生なのです。

そんなサバイバルの中で学ぶためには、サバイバル脳になること。

犬たちの脳もサバイバル化すると活性化します。

 

ひなの写真はこちらです。

Posted in 犬のこと, 自然のこと

ニコ・ティンバーゲンの「四つのなぜ」から犬について考える。

犬の問題を解決するためには、しつけ方のハウツーより犬を知ることから

犬との暮らしで最も大切なことは「犬を犬として理解する。」ことです。

といってもそう簡単なことではないから、犬の問題はあちらこちらで発生しています。

飼い主の犬に対する理解不足は、犬と飼い主との関係をこじらせてしまうのです。

結果として犬は吠えたり咬みついたりするという行動を通して、犬は飼い主との関係がうまくいっていない、生活自体に何か不安や不満を抱えているということを表現するようになります。

犬の問題行動を解決するために一時しのぎの対処法をやっても、抑えられたように見える行動は別のところに蓄積されてしまい決して犬はハッピーにはなりません。

犬との暮らしを大切にして、犬とお互いに幸せに暮らしていきたいなら一歩踏み込んだ解決方法に向かいましょう、それが犬を理解するということです。

犬の行動を理解するためにはいろんな方法があります。

例えば、尊敬するローレンツ先生が読み解いた犬の行動を参考にするということもその一つですが、自分で犬の行動について考えてみるという習慣を身に着けることも大切なことです。

自分で考える方法として、オランダの動物行動学者ニコ・ティンバーゲンの「四つのなぜ」を使うという手もあります。

 

動物行動学者ニコ・ティンバーゲンの「四つのなぜ」

動物行動学者ニコ・ティンバーゲンは1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞した学者で、生物の行動を理解するために4つの問いからアプローチできると提唱されたことを「四つのなぜ」といわれています。

その4つとは次のとおりです。

1 仕組み ⇒ どのような仕組みでどのように使われるのか?

2 機能 ⇒ どのような機能で、どのような利点があるのか?

3 発達 ⇒ どのように発達したのか(生まれてから死ぬ前の間に)

4 進化 ⇒ 動物の進化の過程でどのように獲得されたのか?

 

さらに、その四つのなぜ(問い)は、その問いを解く要因としても分けられます。

①至近要因

②究極要因

③発達要因

④系統進化要因

動物行動学の用語なので、少し難しい用語ですが勉強されたい方のためにご紹介しておきます。

さて、では実際に犬の行動をこの4つのなぜに当てはめて考えてみましょう。

 

犬の穴掘り行動を四つのなぜで考えてみる

どんな犬でも必ず行う「犬が前脚で穴を掘る行動」を見て、なぜこんな行動をするのだろうかと考えることはあるでしょうか?

犬が穴を掘る行動を4つのなぜで考えてみるとこんな風になります。

1 仕組み ⇒ どのような仕組みでどのように使われるのか?

犬が前脚で穴を掘る行動で一番使われているのは、犬の鉤型の爪です。

グッドボーイハートにも大きな穴がいくつかありますが、すべて犬たちが掘った穴で本当にすごく深く掘ってあるものもありました。

一度は短時間、犬を繋いでいて見に行くと水道管がむき出しになるほど穴が掘られていて、その穴掘りの速度の速さに驚いたこともありました。

私たち人間の平らな爪ではあんなにがっつりと穴を掘ることはできません。

最近の室内飼育犬ではほとんど切られてしまっている犬の鉤型の爪は、犬が穴掘りをするためには必要な道具なのです。その爪を犬が持っているのが素晴らしいですね。

2 機能 ⇒ どのような機能で、どのような利点があるのか?

犬の穴掘り行動を見ていると、鉤爪のついた前脚を左右に動かすことを繰り返す行動で地面に深く穴を掘っていきます。

その掘った穴をどのように使っているかというと、大抵の場合にはその穴の中に寝ていることがほとんどで、場合によっては耳しか見えないほどの深い穴に入っていることもあるし、腹を地面につけるようにして寝ていることもあります。

隠れるために掘る穴、自分の体を冷やしたり癒すために掘る穴、ということでしょうか。

他にも用途はあります。

グッドボーイハートの広場にはモグラの穴がたくさんあります。その穴の中に鼻を突っ込んだときの穴掘り行動の早さは尋常ではありません。どんどんと鼻先を穴の中に突っ込むのような形で穴掘りが続けられます。

この場合には、捕食をするための穴掘りということでしょう。

また、お泊りに慣れていない犬が夜中にクレートの奥をかりかりと掘る音が聞こえてくることがあります。

これはまさに脱出のとき、私たちの寝静まったのを見て穴掘りで逃走をはかろうとしているのでしょう。

犬が穴を掘る利点はひとつではなさそうだということです。

3 発達 ⇒ どのように発達したのか(生まれてから死ぬ前の間に)

犬の穴堀り行動の始まりは、巣穴から出てくる年齢ではすぐに始まっています。

子犬は穴掘りを何よりも先にできるようになっています。

歩けるようになったばかりの子犬を見て来た経験では、哺乳期間が終わって自力で排泄できるようになる生後3週間になると穴掘り行動はすでに習得されていたと考えて良いではないかと思います。

穴掘りは、子犬が隠れ場所として利用する巣穴を奥深くまで掘る行動です。

子犬は危険を感じると穴のより深くに入って身を隠そうとしますので、早い時期に必要となる行動なのです。

4 進化 ⇒ 動物の進化の過程でどのように獲得されたのか?

進化の過程となると、他のイヌ科の動物と比較しなければなりません。

もちろんオオカミは穴掘り行動をしますが、他のイヌ科の動物たちもみな巣穴を作って繁殖する習性を持っていますので、イヌ科として進化した段階では穴掘り行動をしています。

イヌ科動物の始まりからとなると、かなり古い起源から犬は穴掘り行動を継承してきたということになり、犬という動物にとってかなり重要な行動のパターンであるはずです。

しかし、その穴掘り行動すらする場所がない、穴を掘るための爪がないとなると、犬の行動はこんどどのように変化していくのかわかりません。

犬という動物が人の膝から降りなくなり、抱っこされるのが当たり前だから穴掘りは必要ないとなってしまうと、犬としての魅力がぐっとなくなってしまうと思うのは私だけかもしれません。

私は穴を掘る犬の姿を見てワクワクしています。

犬の行動についてひとつずつ理解することで犬との関係は変わっていくはずです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考文献:長谷川眞理子著書「生き物をめぐる4つのなぜ(集英社新書)」

※動物行動学者ニコ・ティンバーゲンの「四つのなぜ」をご紹介するために、一般の方にわかりやすく書かれた著書です。

長谷川先生はスタンダードプードルとの暮らしも著書で紹介されている犬好きのようです。

Posted in 犬のこと

名古屋の黒柴犬はなちゃんのお泊り日記

ゴールデンウィークを前にして名古屋在住のはなちゃんの飼い主さんから連絡をいただきました。

「今年のゴールデンウィークにはなを預かっていただきたいのですが…」というご相談でした。

黒柴犬のはなちゃんの飼い主さんははなちゃんが子犬のころにオンラインクラスを利用してトレーニングクラスを受講されました。

受講のご依頼を受けたときは、遠方だし近くに対面でアドバイスをもらえるドッグスクールがあれがそちらがいいのではないかというお話もしたのですが、どうしてもグッドボーイハートで学びたいという意欲を持っていらっしゃったので、お引き受けすることになったのです。

一年間ほどオンラインクラスを受講されて、はなちゃんはすくすくと成長していきました。

飼い主さんも定期的にはなちゃんと山歩きに出かけたりと、犬との暮らしを楽しんでいらっしゃるようでした。

そして「いつかはなを預かってほしい」と言われていたときに、コロナがやってきたのです。

移動が難しくなり、はなちゃんの預かりの話はそのまま流れていきました。

そのはなちゃんの飼い主さんから「あれから時間がたってはなももう4歳になったのですが、どうしても一度そちらに連れていきたいのです。」という連絡を受けました。

一度、はなちゃんに会ってみたいと思っていたこちらの方は大歓迎でお迎えの準備をいたしました。


名古屋から飼い主さんの車で移動してきたはなちゃん。

私と会うのも初めて、全く知らない場所で全く知らない犬たちとの合宿が始まりました。

「あなた誰?」「ここはどこ?」「お父さん、お母さんは?」

はなちゃんにとっては疑問だらけの預かり開始となり、なかなか警戒を解いてくれません。


ここは話のわかる犬同士でと、小鉄くんやバロンくんの手伝いも借りながら交渉を続けていきます。

小大将の柴犬の小鉄くんからしてもはなちゃんはお姉ちゃん犬です。

遠慮しながらの接触となりましたが、あまり積極的に関わることがなくガードの堅さが見受けられました。


連休にレッスンに来た女帝のゆいちゃんは弟分のチャメルくんにも参加してもらいました。

鼻高々にテリトリーを主張していたはなちゃんもゆいちゃんには少し尾を下げていました。

天候が良くてかなり時間を屋外で共に過ごせたことで、はなちゃんの行動は少しずつ変化してきました。


自宅付近や友達などで関わりを持たせられる犬が見つからなかったとのことでしたので、他の犬たちの関係については少し不安な部分もありました。

しかし、飼い主さんが真剣に育て上げられていましたので、拒絶や威嚇はなく、強く押しすぎることもなく、かといって逃げたり隠れるということもなく、自然と犬たちと関わるようになってきました。


最終日には、飼い主さんといっしょに尾歩山をトレッキングしました。

他の犬たちやプライベートクラスで参加した黒柴のななちゃんもいっしょにちょっとしたグループトレッキングができました。

トレッキングのあとは、散歩中のリードワークを実践で指導しました。

オンラインではなかなか伝わらなかったリードの使い方を、手取り足取りで実践していただくと、リードワークでの動きはとたんに美しい形に変わりました。

トレッキングクラスとリードワークの練習のために、飼い主さんと子供さんは日帰りで飛行機を利用して七山まで来て下さり、お父さんははなちゃんを車に乗せて長い道のりを名古屋へ向けて帰っていかれました。

はなちゃんの飼い主さんに「先生のところで学んで本当に良かったです。」と言っていただけたのですが、私の方こそ共に学ぶ機会をいただいて本当にうれしかったです。


実は、はなちゃんが到着するまでは、すごくがつがつとしたやばい柴犬を想像していました。

オンラインクラスでは映像があまり鮮明でなく、子犬のはちゃんの甘噛みに格闘するブレブレの激しい映像をみながら、相当やるやつなのかなと想像していたのです。

預かり希望が入った時には腕まくりするつもりで、どこからでもやってこいという気持ちではなちゃんが車から降りてくるのを見守りました。

ところが、車から降りて来たはなちゃんがとてもかわいらしいフォルムと表情の黒柴犬ちゃんだったため拍子抜けしてしまいました。

このタイプの柴犬ちゃんだったのねと、予定していたプランを変えてはなちゃんの預かりを模索しました。

名古屋から福岡までお預かりに来るなどと特別な経験をしたはなちゃんと飼い主さん、そしてそんなに遠くから七山まで犬と共に来て下さる飼い主さんと巡り合ったわたしたちグッドボーイハート。

何かの大きな力が巡り合いを決めているのだと思わざるを得ません。

福岡、佐賀、長崎と地域の飼い主さんとの出会いもまた大きな力によって実現されたことを忘れずに、大切にして共に学んで参ります。

はなちゃん、またいつか会えるといいな。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

サントリーBOSSのCM「犬を飼っていない人からみた犬と飼い主の不思議な関係」

先日、車の移動中にラジオでサントリーの缶コーヒーBOSSのCMを聞きました。

あの宇宙人シリーズの「この惑星の人間は…」という内容で、私たちのごく普通の日常の中に不思議さを定義しくれる内容のペット編でした。

なるほどねとという内容だったので原文を掲載したかったのですが、ネットではコピーが見つからずある程度覚えていることを書いてみます。

CMの内容は、飼い主がペットの犬にしていることでした。

いくかのペットへの愛情ぶりを示す行為の中にペットの誕生日にはケーキを買ってお祝いをするというものがありました。

さらに、大切にされるペットとは真逆に夫の方はさげすまれているというような内容でした。

結局、この惑星ではペットがご主人のような感じであるというまとめで終わるのです。

大好きな自分の犬の誕生日なのだから、特別なケーキを購入してあげたりお誕生会をしてあげることがいけないというのではありません。

そこは飼い主の自己満足なのですから、好きだなけやったらいいと思うのです。

しかし、大切なことで絶対に忘れてはいけないことは「犬が本当に求めているのは誕生日ケーキじゃないでしょ。」というところです。

さらに宇宙人の言うとおり「どっちが主人か分からないじゃないか…」という問題は、犬にとって最もストレスのかかかる状態であるのですから大問題です。

犬が普段は目にしないバースディケーキという食べ物を喜んで食べるのは当たり前のことです。

でも、限られた生きている時間にはもっともっとワクワクすることってあるのではないでしょうか。

ペット化された犬には、犬としての本来の活動や喜びは必要ないと考える流れがあるということは知っていますが、私はまだ本来の犬とペット化した犬を完全に分けて考えることができません。

どんな犬種でもどんなサイズでも、どんなに可愛い風貌をしていても「君、犬だよね?」と考えてしまうのです。

最後に犬の生涯を決めるのは飼い主です。

みなさんにとって、犬とはどのような動物なのでしょうか。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

昭和のテレビドラマの犬の散歩風景を見て思ったこと。

ちょっとしたことがきっかけでとても古いテレビドラマの映像を見ました。

今から40年以上前の1979年に放送されたテレビドラマ「金八先生」です。

当時は中学生や高校生だったというみなさんならご覧になられたことがあると思います。

ですが、私はこのドラマを一度も見たことがなく、無料配信のアプリで見かけ興味本位で初めてみました。

ドラマの内容は一部しか見ていないのですが、進学校に通いつつ犬の訓練士になると宣言した中学校三年生だった自分の青春時代と重なることも多く、懐かしい想いがよみがえりました。

しかし、ドラマの内容よりも印象的だったのは、暮れなずむ町の~という武田鉄也の歌う「贈る言葉」ではじまるドラマのオープニング映像です。

土手を金八先生が歩いていくシーンで犬を連れた女性とすれ違うのです。

犬の種類はおそらくシェルティと思われます。

この昭和の時期にはアニメのラッシーが流行ったこともあり、ラッシーの役をしたコリーと似ていて少しサイズの小さなシェルティは日本で確かに流行った純犬種でした。

私が映像に注目した理由は、犬種がシェルティだったということではありません。

シェルティを散歩させているのは女性の飼い主でしたが、その飼い主がリードをまっすぐに上にあげて犬をやや自分に沿わせるように散歩をさせている姿です。

みなさんからしたら「まだまだ」の領域ではありますが、この時代には珍しくかつちゃんとした散歩の形です。

いつの時代も日本ではリードを持つ手を伸ばして掃除機のような形で犬を散歩させる人ばかりでしたので、このスタイルをスカートをはいてエプロンをはめた女性がしているというのは珍しい光景だといえます。

想像になりますが、シェルティを入手した際にこのような形で散歩にいくように指導を受けたのではないかと思うのです。

この時代にシェルティが流行っていたとはいえ、純犬種の犬を飼えるのは中流でも上向きの家庭もしくは上流家庭くらいです。

もしかしたらシェルティを散歩させていたのは、上流家庭のお手伝いさんという設定なのかもしれないと思いました。

時代を象徴する姿としてドラマのオープニングに登場したシェルティと歩く女性。

西洋の純血種が日本に入り始めた初期の頃は、散歩の形などは犬といっしょに輸入されたはずですが、そもそも犬につながずに飼う習慣だった日本人からしてみれば、西洋の純血種犬を飼うことなど分からないことばかりです。

この時代に私の家庭でも純血種の柴犬を迎えていたのですが、その飼い方は今思えば中途半端な形ではありました。

幸い動物好きの母親が厳しくしつけた柴犬は、飛びつくこともなく、無駄吠えも咬みつくこともなく、私の良い遊び相手となってくれました。

しかしそのことがきっかけでまさか娘が「犬の訓練士になる」と言い出すとは両親は思いもよらないことなので、娘に犬を飼ってあげたのは誤算であったと悔やんだことでしょう。

両親の誤算でしたが、私としては犬との出会い、犬について学べたこと、犬の飼い主さんたちとの学びが人生にとって最大にすばらしい時間となりました。

どんな時代にも人と生きた犬たちの時間、今現在人と生きている犬たちの時間、すべての時間が豊かなものでありますように。

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大好きな犬との距離感が近すぎて大切なことを見過ごしていませんか?

犬と暮しているほとんどすべての人が、犬の魅力にはまって犬大好きになるのは素晴らしいことです。

ですが、その大好きな犬への愛情表現の仕方によっては、犬との関係がうまくいかないということがあります。

例えば、大好きな犬への愛情表現の一部をご紹介するとこんな感じです。

帰宅してすぐに「ただいまー」と犬を撫で繰り回し、抱っこする。

「大好き」と犬を抱き上げたり抱きしめたりする。

部屋の中ではずーっと犬を撫でていて、始終くっついた状態でいる。

こんなことが日常的になっている飼い主がたくさんいるのだと思います。

しかし、こうした犬との関わり方はあまりにも犬が自分に対して近くにいすぎることで、実際に犬という動物がどういう動物なのかを知ることすらできません。

そもそも、犬が自律した状態で生きているのであれば、人の膝の上に登ってきたり、ジャンプしてとびあがってきたり、飼い主の寝ている上に乗っかって寝たりはしません。

落ち着いている犬であれば、興奮して向かってくる飼い主を上手にいなすでしょうし、飼い主に寄りかかって寝たり、膝の上に上がろうとすることはありません。

犬を動物として客観的に観察していくためには、犬と飼い主の間に一定の距離が必要になります。

先日、犬語セミナーを受講したあとにある生徒さんがいい話をしてくれました。

あるお坊さんのお話では、尊いと思っている仏像は離れて向き合って手を合わせて拝むものであって、近づいてじろじろとみるようなものではないという話だったそうです。

尊敬の気持ちがあるなら、一定の距離を保って見つめるのだということが犬と人の関係だと同じだと思ったとその生徒さんは言われていました。

それは、本当にその通りだと思いました。

一定の距離を保つことが「犬を尊重すること」だと気付いている飼い主さん、さすがにグッドボーイハートで共に長く学ばれているだけあるとありがたく思いました。

犬と少し距離を保って生活をすることを誤解されている方がいます。誤解とは、犬を撫でまわしたり、抱っこしたり、体に乗っけたりしなければ犬を可愛がる行為がないと思われていることです。

これは大きな誤解であって、むしろ犬を大切に想い、尊重する気持ちがあるなら、むしろ多少の距離をとって犬が何をしようとしているのかを見守る(観察する)姿勢になるはずです。

犬と飼い主の距離が近くなりすぎるということは、犬は行動の範囲が狭いと思い始めているということです。

犬の飼い主に対する執着行動は、犬の生活環境、子犬期の過ごし方、飼い主の価値観で決まります。

犬が大好き、犬のことをもっと知りたい、犬と良い関係を築いていきたいと思うのであれば、少し犬と距離を置いてみましょう。

私ももちろん犬が大好きですが、犬を抱き上げたり抱きしめたり、わさわさと撫でたりはしません。

本当に大切な存在であるからこそ大切に見守っていきたい、犬はそんな存在です。


 

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