グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

トップページ
お電話でのお問い合わせ
お問い合わせフォーム

サルにまつわる話題が満載で学んだこといろいろ。

野生のサルと柴犬の小鉄くん

オポ広場の草刈をしようと準備をしていたときのこと、広場で小鉄くん(柴犬、一歳半オス)がワンワンと吠え始めた。

正確にはウォン、ウォン、ウォン、ウォン。

澄んだ中音程の繰り返す吠え声。

吠えている方向は広場から山に向かう方、少し高めに顔を上げているような吠え声。

イノシシが栗を拾いに来ているのだろうなと、草刈機を背負って広場に降りて行ってびっくり、上を向いて吠えている小鉄くんの上にサルがいたのです。

サルは広場の栗の木に移動した後に小鉄くんに吠えられたあとに電線に飛び移り、電線を渡って移動しているときでした。

細い電線の上を走っているサルの姿に感動しながら小鉄くんの近くに近づくと、サルは小屋の屋根を伝って柵の向こうへと消えていきました。

小鉄くんの吠える声はテリトリーに来客があったときの防衛的な吠えとは違っていて、何かを発見したことを伝える吠えでした。

その後広場の草刈を始めたのですが、小鉄くんは山の方に顔を向けたまま伏せていたり立っていたりと警戒を続けていました。

草刈を終えてから山の方を見ると樹木の枝が大きく揺れており、サルがまだいることを確認しました。

サルが人や犬を恐れずに行動するということと、小鉄くんの衝動性を抑えた執着しない野生動物に対する吠えに、動物たちのもつそれぞれの距離感を知りました。

 

サル群れがオポハウスに来たことを移動マップで確認

その2日後に表庭で預かり中の子犬ちゃんとバロンくん(1歳2ケ月オス)が遊んでいてペンキ屋さんと私が話をしているすぐ近くの木にサルがいてこちらを見ていました。

なんどか庭まで降りてきたことがあるのですが、ペンキ屋さんは初めて見たとのことでびっくりしていました。

その若いオスザルは木の上で体を掻いたりとなんの用事があるのだろうかという雰囲気でした。

写真を撮影しましたが、わたしたちを見張っているようにも思えました。


サルと私たちの距離は20メートルくらいでしょうか、子犬やバロンくんはサルの存在になかなか気が付きません。

私やペンキ屋さんが撮影したりサルに注目を始めるとバロンくんがサルに気づきワンワンワン。

サルは全く移動する感じもありませんでした。

この日はその後も栗の畑で2匹を見たため、群れで移動してきたのではないかと思ったら案の定、唐津周辺をテリトリーにするサルのA群がここまでやってきたという情報を入手しました。

サルの移動情報をアップしているサイトを生徒さんが連絡してくださったので確認できました。SNSすごいですね。

群れのサルにGPSが装着されているため群れの移動を確認できるマップがあるのです。

サルによる農業被害が深刻だということでこうした活動が行われているそうで、はじめてそのようなシステムを知ることができました。

人とサルの戦いは私のすぐ身近なところで起きていたのです。

毎年、柿の実が赤くなり始めたなと思ったら、ある日忽然と全部の実がなくなっていたのはやはりサルの仕業でした。

大好きな栗の実を拾うことを楽しみにしていたのに、栗畑に落ちているのは栗の皮ばかりです。

日本サルは希少動物のため捕ることを許されていません。農家の方々にとって最強の敵であろうと思います。

爆竹のようなパーンという音はサル除けにも使われるのでしょうが、サルにそんな脅しが効果があるとも思えません。

最後にサルと境界線を戦えるのはやはり犬ですね。

境界線を守る犬たちの復活を期待しています。

 

最後に、お尻がサルのようになった最近の自分。

そしてこの間に家と山間部の間の草刈最中に、キイロスズメバチに刺されました。

人生で2回目ですがショック症状はなく、今回は草刈用のガードがあったので刺された場所はなんと尻部です。

刺された場所が幸いしたようで1回目の手のときのように死にたいと思うほどの痛みはありませんでした。

注射+くらいの痛みがあって結構長ーく痛みが続き、夜になると腫れてきて痒いのと痛いので一晩は睡眠が浅くなりました。

いつもうろうろとする場所なので大体このあたりに巣があるということはわかっていたのですが、草刈機を持って上がること自体が滅多にできないことなのでもう少し刈りたいという欲求に負けて踏み込み過ぎました。

時間に余裕があればもっとゆっくりと草刈もできるのでしょうが、犬のお世話の合間なので早く済ませたいと思ってしまうのです。

スズメバチに刺されたらお世話もできなくなってしまうことを考えなければいけませんでした。今回はすぐに動けるような状態でしたので仕事には支障ありませんでした。

スズメバチに刺されることなどは普通の山歩きではありませんので、どうぞ山を怖がらないでください。

山で暮らすとなると、戦わなければいけない、警戒しなければいけない野生動物が出てくるのは当たり前のことなのです。

そのことが嫌だったら山に暮らさなければいいのです。

「怖いからしない」という考え方や行動のパターンもありますが、自分の場合にはいつか死ぬのだからある程度やりたいことはやるという気持ちが強いのです。

犬に対しても、ケガをしたら怖いから…と思ってしまうのであれば、犬をどこにも連れていくことはできません。

犬を室内に閉じ込めておくか、柵のあるドッグランで走らせるのか、そんなことしかできません。

動物にとって危険と好奇心はセットになっていると思います。

リスクのない冒険はありません。

何もしなくて安全だけど退屈な時間よりも、少し危険が伴うけれどその危険すら自分の判断や能力に委ねられていると、自分を試す時間がある方が人生はワクワクします。

犬も同じではないかと思うのです。

ちなみに、スズメバチに刺されたあとも病院には行ってません。この程度なら行かなくても大丈夫という感覚が自分の中にあるからです。

その後も、日本ミツバチを襲撃するキイロスズメバチを駆除したりと、怖いと思うことはありません。

怖いのは動物ではない、動物に対しての自分の行動です。

犬にはなかなか咬まれることない私ですが、思いっきり警戒しているからですね。

今後は野生動物のことをもっと知ってもっと警戒して、そして程より距離を保っていきます。


 

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

犬の社会化の失敗、ほとんどは経験不足よりも与えすぎが問題です。

犬の社会化学習とは

犬の社会化学習は、犬が生きるために絶対に必要な学習です。

犬の社会化を簡単に説明すると「犬が人との暮らしの中で安心な気持ちでリラックスして生活できるようになるようにするための学習」ということです。

社会性のある犬とは、日常的な生活の中では特に不安を抱えることもなく、安定した生活を送っています。

社会生活が安定した社会性が高まった犬は、吠えたり、咬みついたり、興奮したり、マーキング(トイレのにおいつけをしたりすることはありません。

ところが、社会性が育たずに不安を抱えやすいような精神状態になってしまった犬は、日常的に、吠える、咬みつく、マーキングする、興奮してとびついたり走り回る、などの行動をしています。

不安を抱えやすくなってしまった犬は、社会化がうまくいかなかったということです。

 

犬の社会化は与えればいい、は大間違いの理由

この犬の社会化学習ですが、実は大変間違えられていることがありますので警告します。

それは、犬の社会化とは経験不足によって起きるのだと思い込まれていることです。

経験をさせないと学習が進まないというのは当然のことです。

ですから、ペットショップに長い間おかれることになり、生後6ケ月の犬を購入すれば、当然のことながらその生後6ケ月の犬は何も社会化学習をせずに成長してしまったことになります。

これはこれで問題ではあるのですが、逆の問題も発生します。

生後2ケ月の子犬を自宅に迎えて、犬に社会化学習をさせなければいけないという情報だけを飼い主が持っていたとします。

・来たときから抱っこで人になれさせようとする

・来客を呼んで子犬を触ってもらってなれさせようとする

・公園に抱っこして連れていき、他人に抱っこしてもらって慣れさせようとする

・公園に連れていっていろんな犬にあわせようとする

・犬の幼稚園に入れて他の犬と過ごさせるようにする

・先住犬と室内で走り回らせている

・ドッグランに連れていっていろんな犬にあわせる

・音に馴れさせようとしてテレビを見せるようにしている

ここに挙げたすべての行動は、犬の社会化が失敗してしまう原因になります。

犬の幼稚園についてはプロのいる現場ではありますが、ただ犬に合わせれば犬は犬に対して社会化するのかというとそうではないのです。

人に置き換えてもわかるのですが、みなさんはみんな幼稚園に入るはずなのですが、幼稚園に行けば、人と上手に関われるようになったかというとそうではありません。

幼稚園に行っても人とのコミュニケーションが苦手の人はたくさんいます。

幼稚園でどのような経験をしてきたかということが重要であるということです。

この「社会化の与えすぎの失敗」ですが、私も育成という意味では同じような間違いをしたことがあります。

それは、犬ではなく植物の例になります。

植物を育てた経験のないわたしは、種を植えて、芽が出てきたとしても、何かを与えなければいけないのではないかという不安に駆られるのです。

水を与えなければいけないのではないか、肥料を与えなければいけないのではないか、太陽にあてなければいけないのではないか、と何かを与えることはとりあえず良しとしてしいます。

ところが、植物は与えすぎるとうまく育ちません。

植物が安心して育つ環境というものがあって、この植物にはこのような環境が適しているというものがあるのですから、それを人工的にどのように準備する必要があります。

つまり、犬の社会化も同じなのです。

犬になんでも与えれば犬はそれに慣れて安心すると思ったら大間違いです。

犬が安心だと思っていないのに自分の前に他の人が近づいてきて体を触ろうとしたら、興奮してとびつくようになり社会化(安心)を得ることはできないのです。

 

子犬の社会化を成功させるための方法とは

私の植物育ての失敗例にあるとおり、子犬のうまく社会化させるためには、子犬が安心できる環境を整えるというところから始めなければいけません。

それは、いきなり外に連れていって他人に会わせることでもないし、犬の幼稚園に通うことでもありません。

子犬といっても犬という動物なのです。

犬という動物が本来ならどのような環境で安心して生活をしているのか、犬の習性やコミュニケーションをよく学び、人工的にその環境を整えていくこと、これが子犬の社会化のスタートです。

日本では犬の室内飼育や集合住宅での飼育も当たり前になりつつあります。

しかし、あまりにも早い速度で犬の飼育環境が変化してしまい、犬の遺伝的な変化はそれに追いついていません。

良い意味で、どの犬もやはり自然の中の動物、犬なのだなと感じることが多々あります。

犬を犬だと理解して、私たちの暮らしの中で安心できる生活をしていけるようにするために、子犬を迎えた方は早目に良い社会化トレーニングをスタートさせてください。

また、社会化に失敗して成長してしまった犬たちも、できるだけ早い年齢で「社会化学習のやり直し」をされることをおすすめします。

飼い主のためでもあり、なによりも犬のために必要な学習なのです。

Posted in 犬のこと

山の日も山の日じゃなくても犬は山で遊ぼう。

いつからか定められた「山の日」、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日らしい。

自然が身近にあった昭和の時代には必要のなかったものが必要になる。

平成から令和へと、自然から離れていく人間に対する警告としては必要なのかもしれません。

山に親しむという言葉に違和感を覚えてしまいますが、そもそも人も自然の一部だと感じる私にとっては、山は親しむというよりわたしそのものです。

そして犬にとっては、山は自分たちの里、自分たちが生まれた場所、自分たちの祖先がずっとずっと暮らしていた空間です。

犬に山はあなたの何ですか?と質問するのも失礼ですし、何より彼らは山のことをよく知っています。

犬の人為的繁殖によって短い期間に山の生活から離されてしまった犬が多い中、ほんのわずかではありますが、トレッキングクラスなどを通して山が生活の一部となった犬の姿を見るとなぜかホッとします。

山の中で歩く犬を叱ったりほめたりする必要もなく、リードは自然に緩やかに人と共に歩けるようになる犬の姿を今までになんども見てきました。

犬に何も教える必要はなく、ずっとそうしてきたのだから当たり前のことだと犬の遺伝子が思い出すように、彼らは山のなかでふんわりとリラックスして活動をします。

こんな山時間を過ごす犬は飼い主に拘束されていると感じることもなく、飼い主に執着する必要もありません。

ただ忙しい飼い主が自分を連れて山に行く時間をただ待つことだけです。

犬にとっての山の日が非日常ではなく日常になるように、グッドボーイハートで伝えられることをこれからも伝えていきます。

Posted in 犬のこと

犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

「ヒト」と最も近い「チンパンジー」の違いにみる社会性

先日、動画配信で東京大学の公開講座を拝見しました。

東京大学の長谷川寿一先生の「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」という題目の口座で2015年に講演されたものです。

このような興味深い講演が無料で配信されているのはありがたいことです。

長谷川先生の講義では「ヒトの心」について考えるにあたり「ヒト」とはというところに焦点を当てられています。

ヒトとほぼ同族とみられいてるチンパンジーとの共通と相違。

大変近い動物であるにも関わらず、社会生活の主軸ともなる部分で違いも見られるとのこと。

例えば、夫婦関係を築くヒトと異なりチンパンジーは繁殖時だけの関係性であることや、子供を育てる方法として女性たちが社会集団としてみなで子育てをするヒトと異なり、チンパンジーはメスがひとりで子供を育て上げることなど大きな違いがあることなどとても興味深いことです。

 

「ヒト」は異なる種「イヌ」と似ているところが多い

ヒトとチンパンジーが近い関係にある動物としているのはDNA配列が生物学的に近いことだということです。

イヌとオオカミが近いと言われるのも、上記と同じ理由です。

生物学的には非常に近いヒトとチンパンジーですが、社会構造はむしろ、全く別の種である動物の方が近いというのが面白いところです。

講義の中でも鳥の種の中には生涯「一夫一婦」を貫くものもいるそうで、仲睦まじい夫婦をオシドリ夫婦という由来ですね。

夫婦関係でいえばオオカミはオスとメスの関係性が深く一夫一婦にあたります。

また、オオカミの子育て方法はオスも子育てに参加し、子供を産まないメスもいっしょに子育てをするというまさにヒト族ヒト科の私たちとよく似ています。

イヌとなると繁殖に人間の手が張り込んでしまうため、どのような形で繁殖を行っているかで、オスとメスの子育てに関する行動はかなり変わってしまいます。

人工的な繁殖下におかれたイヌは、子犬のために食料をとってくることもないし、メスといっしょに暮らしていない繁殖用のオスは交配後にメスや子犬を守ったりすることもありません。

イヌの行動が人の作った環境の中でどんどん変化していくことに人側は無関心でいるようですが、このことはイヌのコミュニケーションの能力にも強く影響してきていると思います。

 

犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

長谷川先生は「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」の題目の答えらしきものを講義の中では話していません。私も同じような講義をするのでわかりますが、答えはまだない、だから考える過程を教えて下さっているのだと受け取りました。

先生の講義を聴きながら「ヒトの心」は社会的集団の中で生まれているのだと考えました。

さらにその社会的集団は、集団行動を維持しようするための目的とコミュニケーションを必要としています。

社会的集団から外れ、集団行動を維持する目的を失ってしまうと、コミュニケーションはなくなり心もまた失われるのではないかと考えるのです。

「心」と「感情」を同等にすることはできませんが、常に定まらずに動く「心」を安定させているのもまた結束の高い社会的集団に所属して活動をすることにあるのではないかとまた発展して考えました。

これはヒトの話でもあるし、本来はオオカミとして野生で社会生活を送っていたイヌのことでもあります。

イヌはヒトの捨てたゴミを拾う生活をするようになって社会生活を捨てました。みんなで生きるよりひとりの方が価値が高いからです。

危険と戦うなら集団がいいけれど、逃げるならひとりが良いでしょう。

イヌは一匹オオカミになってしまったということです。

そして一部のイヌは今、ヒトの家族という社会集団の中に入って生活をしています。

ゴミを拾うよりもヒトから食べ物をもらい、同時に集団に所属できるというオオカミへと復帰できる行動の変化が促されます。

人に飼われている犬は、家族という社会集団に入って群れとして活動し、コミュニケーションを発達させ、そして心を宿していくのではないでしょうか。

そんなことを考える機会を長谷川先生にいただき感謝いたします。

明日はグッドボーイハートの山の学校に講師をお迎えしてのセミナー開催です。

講師をお迎えするのは久しぶりなのでとてもドキドキしています。

犬について共に学びましょう。

まだまだ知らないことばかりです。


 

Posted in 犬のこと

大きく成長した木は根が張って強い!犬の脳も根が伸びると安心&安定するから原理は同じ。

枝が広がったように根が張ったクヌギはすごく強い

山の学校のオポ広場の整備を行っています。

やっと登記申請が終わったので本来の目的にあったように計画を形に変えていくことになりました。

それで、植樹した木々は山の方に植え替える作戦を実行しようとスコップをもってとりかかったのですがここで大事件。

人の背の高さほどに成長したクヌギの木々の根を掘り出そうと掘っても掘っても根が長く伸びています。

愕然として少し遠巻きに見ると、どうやら木の高さや枝の広がった方向と同じように根も張っています。木の高さが160センチくらいだと枝ぶりは2メートル以上、つまり横に4メートルは根が張っていることになります。

私はすぐに「無理」を宣言。俺にもやらせてくれとダンナくんがチャレンジしたけれど男二人でも無理、それほど木の根が張っていたということです。

根が張った木々は頑丈で全く引き抜ける感じではないのです。すばらしい安定力これこそ犬の脳の発達と同じ仕組みだと改めて感動しました。

 

犬の脳の発達は根を伸ばすこと

犬の脳の最初の発達は子犬期の脳の発達です。子犬期の脳の発達とは、脳内の神経が根を張るように伸びていくことから始まります。

伸びた根はそれぞれが地面との連携をとりながらいかに効率よく養分を吸い上げようとしているのがわかります。

根が張って地面から栄養を吸い上げているために若木の枝にはたくさんの蟻が活動をしていました。すごい栄養分なのですね。

犬の脳でも子犬のころに脳の神経が安心&安全をリターンにしながら自律的な活動を繰り返すことで根が順調に伸びていきます。

樹木の生長と犬の成長は同じなはずなのに、植物のようにはいかないのが犬の成長を支えることです。

ここには植物と動物のしくみの違いがあるからです。

犬の脳は発達できないのに犬の体は成長していく

もし子犬の脳の神経が健やかに発達することができなければ、犬は生後数ケ月もするとそれを様々な行動で表現します。

発達不全の犬は不安を抱えて行動できない、不安を抱えて依存的になる、多動になるなどの行動が起きるようになります。

悪循環が始まり、活動が広がる犬の脳は周囲の新しい出来事を拒否するようになります。

脳の神経は伸びることもできず、縮んだままになり小さな脳になります。

ところが、困ったことにというのも変ですが犬の体だけは成長するのです。

植物だったら根が伸びなければ木は育たないし大きくならないのですから、根が伸びていないことが外からみてもわかります。

犬の場合には体だけはどんどん大きくなっていくので「犬はちゃんと成長している」ようにしか見えないのです。ここのところが難しいところですね。

体は大きくなっていっても脳内の神経が発達していかなければ、犬は不安定な行動つまりストレス性行動を日常的にするようになってきます。

犬の体重が増えていくことは気にしても、犬の行動が安定しているかどうかをチェックすることは一般の方には難しいでしょう。

犬にかかわる仕事をしている方の中にも、犬の行動を適切に評価できる人は数少ないようです。

最近では犬の社会化学習のために犬の幼稚園を利用する方も増えていますが、結局社会化がうまくいかったというケースもよく耳にします。

他にも他の犬に会わせるためにドッグランに通い続けて社会化がうまいかなかったということも増えています。

犬の脳が安心&安定を積み重ねながら根を伸ばして脳内に神経細胞という地図がしっかりと根付けば、子犬が成長の過程で出会う困難に対して簡単には倒れない心を持てるようになります。

それが本来の犬の社会化です。

ですが、オポ広場のクヌギが大地に根を張ったように犬の脳の発達を促すためには「育つ環境を整える」ことが大切です。

子犬が育つ環境、犬の脳が発達する環境、犬が社会化する環境について、深く深く考えていきましょう。

木の根を掘り返す手伝いをするバロンちゃんときいろちゃん。犬は穴掘りが得意です。



 

Posted in 犬のこと

明日は追い山「速く動く山は形がきれい」集団行動について考える。

コロナ禍で開催できなかった博多山笠の追い山が明日の早朝に行われます。

直接見に行くことはできなかったけど、ラジオやテレビから流れてくる走る山の音や声を聴きました。

博多っ子である私にとっては聞きなれた季節の音、日常が戻ってきたようでうれしく思いました。

 

さて、その追い山ならしの映像を見て解説を聞きながら考えたことは「集団行動について」です。

集団行動は一定の数の集団(グループ)がある規則にのっとり動く行動のことをいいます。

幼稚園のときから集団行動は練習していますが、小学校、中学校となるとその集団行動のレベルも高まってきます。

追い山も移動中に舁き手が次々と持ち場を交代し持ち場に応じて役割が決まっていること、とても高度な集団行動で一トンという重さある山が動かされています。

追山ならしの動画を見ていると、タイムの速い曳山の特徴は形と動きがきれいであることです。解説者の方も速いタイムの曳山の動きを「美しい」と評価しました。速く動こうとする目的に形が応じると美しい形になります。

この原理は犬にも当てはまります。

一定の速度を保って少し早く歩く、散歩という行動。

見ていて美しいと感じられるものは、犬と人がその機能性を十分に発揮している行動です。

一方でゆっくりとした速度で歩く山歩きという行動。

山歩きには前後ではなく上下という空間も加わりますので、前に進むと同時に上に進む行動が出たり、下に進むという行動も伴います。

移動するたびに人も犬も個体の形は変わっていきますから、なかなか美しいと感じられるのには時間がかかるのですが、これが美しいとみられるようになると、全体の動きはとてもバランスがとれてきます。

犬と人という二つの個体がいっしょになって集団となった場合も、やはりバランスと集団化という二つの機能性を発揮できている山歩きはとてもきれいだなと思います。

犬とのより良い関係性を求めるために、犬と向き合ってボールを投げていても何か結果がでていないと感じられることはないでしょうか?

群れの美しさとは、集団で移動する機能美の美しさ。

それを実現するために身体的な能力は当然ながら必要ですが、あわせてお互いの存在を意識して、同じ目的をもって結束して行動することが何よりも大切なことです。

明日の追い山笠でコロナや不幸な事件や不安な思いが吹き飛んで、みなが明るい気持ちを取り戻すことができますように。

最後は結局のところ神頼みとなりますが、小さな存在である私は私なりに日々の勤めに励むだけです。

オポ広場で遊ぶ犬たち

Posted in 日々のこと, 犬のこと

「子犬」と「小犬」を同じだと思ってはいませんか?

先日訪問レッスンに伺うためにマンションのエレベーターの到着を待っていたとき

一瞬地面を見ていてその瞬間「ガウガウガウ」とものすごく大きな音がしたのにびっくりして思わず「わっ」と声を上げてしまいました。

小型犬を抱きかかえた飼い主さんが犬の頭を抑えるようにして「すみません」と足早にエレベーターから出て来られました。

視線を上げていて犬だと気づいたらそんなにびっくりした声をあげなかったと思いますが、何しろ油断していたもので先に声が聞こえて驚いた次第です。

慣れている私でこんなに驚いたのですから、犬に慣れていない人や犬が嫌いな人だったらもっと怖い思いをされるだろうなと、改めてそちら側の立場に立って共感した時でした。

抱きかかえて移動できるのが小型犬の便利さではありますが、その便利さに便乗してしまい、解決していない犬の行動が案外あるではないでしょうか。

たとえば、もしこれが大型犬だとして、エレベーターから出てくるときに人をみて立ち上がりガウガウと声を出すような状態だったら、すぐにマンション内で問題になるはずです。

ところが小型犬の場合はこれくらいの吠えは「怖がっているから」という飼い主側の主張で問題となることがありません。

同じようなことは散歩中にも起こります。

人を見てワンワンと威嚇するように吠える小型犬は、抱きかかえられるようにして「大丈夫よ」という声をかけられながら、怖がりで可哀そうな弱者の小犬として吠えることが許されているように見えることもあります。

犬を見てワンワンと吠える小型犬は、「この犬は犬が好きなんです。」と犬に近づけていき犬を目前として吠えることができない状態にもっていく一方的な他の犬への接近も許されてしまいます。

しかし、やはり大型犬ではこれはまかり通りません。

犬が人を怖がって吠えていても大型犬を怖いのはむしろ人の方ですし、犬が犬を見て興奮して吠えていても、通行人は怪訝な顔しかしません。

危険な犬、吠えたり興奮するのを止めるようにトレーニングをすべきだと誰もが思うはずなのです。

なのに、小型犬は怖がって吠えることも興奮して吠えたり飛びついたりすることも、小犬だから当たり前、仕方がないのだと飼い主も世間も思っているのかもしれません。

そこで、勘違いをしているみなさんにお伝えしたいことがあります。

小犬は子犬ではありません。

小型犬は成長して脳も精神も発達する成犬、つまりはおとなの犬なのです。

対して子犬とは生後6ケ月未満の乳歯の間の時期の犬のことをいいます。

小型犬は小さくなりすぎたため、乳歯が抜けきれずに永久歯といっしょに生えてしまうことがあります。

それでも、小型犬も生後6ケ月を過ぎると少年期、青年期を経て立派なおとなの犬、成犬になります。

小型犬のサイズが、小型犬を子犬と間違ってしまうという問題が社会的に生じています。

人にとって問題というよりも、デメリットのあるのは小型犬自身です。

どんなに小さく生まれた犬にも成長して発達し、精神的に安定した豊かなドッグライフを送る権利があるはずなのに、成長をストップされた小型犬は子犬として生涯を送ることになるのかもしれません。

犬を見た目で判断しないで。

小型犬は子犬ではないこと。

小型犬もプライドが高く優秀で凛々しい犬となる権利を持っていることを、忘れないでいてあげて下さい。


 

Posted in 犬のこと

きんきん王国に帰って行った“きんきん”は、本当の立ち位置を知っているから強いのです。

お預かり合宿クラスを終えて、犬をご自宅に送りました。

「きんきん」という犬くんです。

飼い主さんが迎えに来られたので車からきんきんを下すとなにやらキョロキョロと落ち着かない感じです。

見ている方向はこちらでもなく飼い主でもなく、少しテンションが上がったような感じです。

そこで飼い主さん曰く「今からきんきん王国に帰っていくからですね。」。

きんきん王国とは、きんきんが王様として暮らしている我が家のことのようです。

お預かり中は、どの生徒さんにもびっくりされるほどお利口さんでおとなしいきんきん。

どのくらいトレーニングしたらこんなにお利口になるんですか?とか、

この犬ちゃんはいつからトレーニングされているんですか?とか、

こんなにおとなしい犬なら飼いやすいですよね、など。

きんきんに会った人たちの大絶賛を今までに何度も耳にしました。

それもそうでしょう。

来客や他の犬がいても吠えもせずにじっと待っているきんきん。

リードを全くひっぱらずに人についてあるくきんきん。

私が「フセ」といえば50メートル先でもフセをするきんきん。

そんな完璧に人に従うことのできるきんきんですが、我が家では「俺様」状態になることがあるらしいのです。

状況によっては人に従うきんきんですから、そんなにはげしいいたずら行動やマーキングや吠えなどをするわけではありません。

それでも、ちょっと飼い主に対してカツカツと歯をあわせて音を出して挑発するような行動や、こっちを見て的な要求行動、おもちゃを投げろ的な要求行動など、自分に注目をさせるような行動を繰り返すということでした。

そんなきんきんのことを飼い主さんは、とっても可愛らしいとと思いつつも、あまりにも行き過ぎるときんきんがまた荒れてしまうという一線をキープしているようです。

子犬のころからトレーニングクラスを受講しているきんきん、強い犬たちにもまれながら打たれ強く成長しました。

きんきんは小さな我が家の群れよりも、もっと大きな世間の中での自分の立ち位置を知っています。

だから、決してきんきん王国のきんきん大王様は仮の姿であることを知っています。

問題がこじれてしまう他の犬たちは、我が家で王様状態である俺様しか知らないことです。

飼い主におだてられ、調子にのせられ、賢い、できる、えらい、と褒められまくって、たくさんのおやつをもらいながら、抱っこして、ソファに乗って生活をしていて、世間を知知らない犬が、俺が一番偉いのだと勘違いしても仕方ありませんね。

きんきん王国のきんきん大王様。

次回の合宿での再会が楽しみです。

合宿中のきんきん

Posted in 犬のこと

毎日飽きなくてシンプルな犬とのコミュニケーションが犬と飼い主の関係を作っている。

土井善晴先生の「一汁一菜」を読んで感じたこと

天井が回って見えたという私の状態に対してお気遣いのお言葉ありがとうございます。

とても元気に過ごしていて、山とシティを行ったり来たりする活動が続いています。

それでよく尋ねられるのですが「何を食べてるんですか?」という質問。

答えは「玄米ご飯とお味噌汁、あとは梅干しとかノリがあれば…」とだんだんと声が小さくなる私だったのですが、その自信のなさを克服させてくれた本に出会いました。

読んでいるのはあの料理研究家の土井善晴先生の著書「一汁一菜でよいという提案(新潮社出版)」です。

食事は基本だからこそ、毎日飽きない自然に変化するものをいただくこと。

食事のことで考えこまない、あるもの、残り物を生かして食べること。

最後まで読み進んでいくと、季節や自然と対話しながら今日の食事を作る、それが味噌汁とごはんという形になるというのですから不思議です。

 

犬との関係作りも毎日の飽きない活動の積み重ねにある

これって犬との関係作りにもつながってくるのではないかと考えながらこの本を読み進みました。

犬と共に毎日飽きずに続けられる、そして自然の中で対話しながら、季節によって変化するものって何。

そうです。やっぱり「犬との散歩」これにつきますね。

毎日、毎日。単純な犬との散歩。

でも、いっしょに歩きながら風を感じて、今日は暑いね、今日は寒いね。

今日はアジサイが咲いたね。緑がきれいだね。

シロツメクサが増えたね。タンポポが枯れたね。

鳥がよく鳴くね。空が青いね。雨が降りそうだね。

声に出して犬に話しかけなくても、心に感じている季節の移ろいを犬は違った感覚でとらえています。

昨日と同じ道、だけど何か少し違うね。

そんな毎日が、ずっとずっと繰り返されていくのです。

犬と関係を作っていくことがどのようなことなのかわからない飼い主が増えているように思えます。

難しいことや犬を楽しませることばかりを考えすぎてしまうと、基本の基本を忘れてしまいます。

今日はイタリア料理、明日はフランス料理、明後日は中華料理と、日本の主婦は食事に頭を悩ませすぎて大切なものから離れているというようなことを土井先生も書かれていました。

これは犬の飼い主にも同じようなことがいえます。

犬に特別なことをさせたい飼い主が増えているからです。

犬をドッグランに連れていきたい、幼稚園に通わせたい、フリスビーをやってみたい、トリックを教えたい…など。

ところがほとんどの飼い主は、地面をにおいながら歩く犬の後ろをただリードを長く伸ばしてついて歩いているだけです。

犬はマーキングをするために散歩に出ているのではないかと思えるような光景です。

自然を感じて生活の基本を作る犬との散歩はこんな光景ではありません。

人馬一体、散歩とはそのような息の合った活動で、しかも自然とのつながりを深める犬との暮らしの基本です。

犬との山歩き、犬とのトレッキングも、実は散歩の延長線上にあります。

犬との山歩きはイベントではありません。

普段、トレッキングクラスに使っている登山道は、私と犬のオポの散歩コースでした。

散歩とは本来楽しいものなのだということを思い出していただき、自然の中を自然を感じながら歩くことが本当の犬と人の散歩なのだということを、体感していただくためのクラスです。

ですから自然を感じることのできない街中では、犬との散歩は実現できません。

関係作りも難しくなってしまいます。

せめて都市空間に子供たちが豊かに育つ自然空間を取り戻したいものです。


土井先生は「味噌汁とごはんは手抜きではない。」といって下さいました。

今では堂々と「玄米ご飯と味噌汁食」を宣言します。

毎日の楽しみは「犬との散歩」そう言えるようになりますね。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

犬が自分の体の異変に気付いたら行動を起こすのかそれとも…。

前回のブログ記事で、犬が自分の異変に気付いても容易には行動できないということを書きましたが、今日はこの記事に対する追伸です。

犬がくるくる回る行動は前庭疾患かそれとも興奮行動なのかを見極める。

まず、犬が自分の中の異変、たとえば自分の体がいつもと違うという異変に対して素直に反応する動物だということは犬を飼った経験のある方なら理解できます。

今日も子犬ちゃんの訪問レッスンに行ったところ、朝からクレートに入ったままで出てこないと飼い主さんが言われました。

私が入室するとすぐにクレートから出てきていつもとおりのご挨拶をしましたが、いつもよりは少し控え目です。

朝ごはんを全く食べずに、クレートの中に引きこもっていたらしいのです。

状況を伺うと、どうやら昨晩いつもより多目にガムをもらったようで、その分量からするとかなりおなかに負担がかかったのでしょう。

おなかの調子がいつもと違うと感じた子犬は、クレートである巣穴に引きこもり自分をケアする行動を選択したのです。

犬が少し具合が悪いときに巣穴であるクレートなどに入って丸くなる行動をみたことがあることもあるでしょう。

これは、犬が自分の異変に対して自分にとって必要な行動を選択したということですし、同時にその選択肢が環境の中にあったということでもあるのです。

もし、子犬が朝ごはんを食べないことに心配した飼い主が、すぐに病院へ連れて行ったり自分の膝に抱っこし続けたりしてしまえば、子犬には自分の選択肢はなくなってしまいます。

犬は人に飼われることで、自分の周辺の環境を整えることができなくなってしまいましたが、それでも自分にとって必要な行動をなんとか選択しようとしているのです。

自分の調子を整えるために必要な基本的なものは、ゆっくりと休める居場所、静かな空間、安心して隠れていられる場所、きれいな空気、そして犬なら土も欲しいですね。

オポもときどき庭の土の上に腹部を下にしてじっとしていることがありました。

そうすることが今のオポにとって必要なことなのだろうと、いつもそれを見守るようにしていました。

簡単には使えませんが、なんだか癒しを求めているような感じがしていたからです。

どんな個体も完璧ではありません。

どんな人も犬も、それぞれに弱点となる心や体を持っています。

バランスを崩したらそれをいかに早く回復させるかということが大切なのかと思います。

そのために必要な場所や時間を犬が自分で得られるのか、もし得られないとしたら犬は葛藤状態に陥ってしまうでしょう。

葛藤とはどちらへ進んだらいいのか分からないという状態のことです。

行き場を失ったエネルギーが攻撃性や常同行動を引き起こすこともあります。

犬を取り巻く社会は、人の社会が複雑になった以上に複雑化しています。

犬が異変に気付いて自律的にする行動を尊重しながら、改めて犬の選択肢が増える環境を整えていけば、以前よりは犬が生きていく環境が豊になったといえるでしょう。

一度にたくさんはできません。

まず何か一つずつからスタートです。

Posted in 犬のこと