グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

「ヒト」と最も近い「チンパンジー」の違いにみる社会性

先日、動画配信で東京大学の公開講座を拝見しました。

東京大学の長谷川寿一先生の「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」という題目の口座で2015年に講演されたものです。

このような興味深い講演が無料で配信されているのはありがたいことです。

長谷川先生の講義では「ヒトの心」について考えるにあたり「ヒト」とはというところに焦点を当てられています。

ヒトとほぼ同族とみられいてるチンパンジーとの共通と相違。

大変近い動物であるにも関わらず、社会生活の主軸ともなる部分で違いも見られるとのこと。

例えば、夫婦関係を築くヒトと異なりチンパンジーは繁殖時だけの関係性であることや、子供を育てる方法として女性たちが社会集団としてみなで子育てをするヒトと異なり、チンパンジーはメスがひとりで子供を育て上げることなど大きな違いがあることなどとても興味深いことです。

 

「ヒト」は異なる種「イヌ」と似ているところが多い

ヒトとチンパンジーが近い関係にある動物としているのはDNA配列が生物学的に近いことだということです。

イヌとオオカミが近いと言われるのも、上記と同じ理由です。

生物学的には非常に近いヒトとチンパンジーですが、社会構造はむしろ、全く別の種である動物の方が近いというのが面白いところです。

講義の中でも鳥の種の中には生涯「一夫一婦」を貫くものもいるそうで、仲睦まじい夫婦をオシドリ夫婦という由来ですね。

夫婦関係でいえばオオカミはオスとメスの関係性が深く一夫一婦にあたります。

また、オオカミの子育て方法はオスも子育てに参加し、子供を産まないメスもいっしょに子育てをするというまさにヒト族ヒト科の私たちとよく似ています。

イヌとなると繁殖に人間の手が張り込んでしまうため、どのような形で繁殖を行っているかで、オスとメスの子育てに関する行動はかなり変わってしまいます。

人工的な繁殖下におかれたイヌは、子犬のために食料をとってくることもないし、メスといっしょに暮らしていない繁殖用のオスは交配後にメスや子犬を守ったりすることもありません。

イヌの行動が人の作った環境の中でどんどん変化していくことに人側は無関心でいるようですが、このことはイヌのコミュニケーションの能力にも強く影響してきていると思います。

 

犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

長谷川先生は「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」の題目の答えらしきものを講義の中では話していません。私も同じような講義をするのでわかりますが、答えはまだない、だから考える過程を教えて下さっているのだと受け取りました。

先生の講義を聴きながら「ヒトの心」は社会的集団の中で生まれているのだと考えました。

さらにその社会的集団は、集団行動を維持しようするための目的とコミュニケーションを必要としています。

社会的集団から外れ、集団行動を維持する目的を失ってしまうと、コミュニケーションはなくなり心もまた失われるのではないかと考えるのです。

「心」と「感情」を同等にすることはできませんが、常に定まらずに動く「心」を安定させているのもまた結束の高い社会的集団に所属して活動をすることにあるのではないかとまた発展して考えました。

これはヒトの話でもあるし、本来はオオカミとして野生で社会生活を送っていたイヌのことでもあります。

イヌはヒトの捨てたゴミを拾う生活をするようになって社会生活を捨てました。みんなで生きるよりひとりの方が価値が高いからです。

危険と戦うなら集団がいいけれど、逃げるならひとりが良いでしょう。

イヌは一匹オオカミになってしまったということです。

そして一部のイヌは今、ヒトの家族という社会集団の中に入って生活をしています。

ゴミを拾うよりもヒトから食べ物をもらい、同時に集団に所属できるというオオカミへと復帰できる行動の変化が促されます。

人に飼われている犬は、家族という社会集団に入って群れとして活動し、コミュニケーションを発達させ、そして心を宿していくのではないでしょうか。

そんなことを考える機会を長谷川先生にいただき感謝いたします。

明日はグッドボーイハートの山の学校に講師をお迎えしてのセミナー開催です。

講師をお迎えするのは久しぶりなのでとてもドキドキしています。

犬について共に学びましょう。

まだまだ知らないことばかりです。


 

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大きく成長した木は根が張って強い!犬の脳も根が伸びると安心&安定するから原理は同じ。

枝が広がったように根が張ったクヌギはすごく強い

山の学校のオポ広場の整備を行っています。

やっと登記申請が終わったので本来の目的にあったように計画を形に変えていくことになりました。

それで、植樹した木々は山の方に植え替える作戦を実行しようとスコップをもってとりかかったのですがここで大事件。

人の背の高さほどに成長したクヌギの木々の根を掘り出そうと掘っても掘っても根が長く伸びています。

愕然として少し遠巻きに見ると、どうやら木の高さや枝の広がった方向と同じように根も張っています。木の高さが160センチくらいだと枝ぶりは2メートル以上、つまり横に4メートルは根が張っていることになります。

私はすぐに「無理」を宣言。俺にもやらせてくれとダンナくんがチャレンジしたけれど男二人でも無理、それほど木の根が張っていたということです。

根が張った木々は頑丈で全く引き抜ける感じではないのです。すばらしい安定力これこそ犬の脳の発達と同じ仕組みだと改めて感動しました。

 

犬の脳の発達は根を伸ばすこと

犬の脳の最初の発達は子犬期の脳の発達です。子犬期の脳の発達とは、脳内の神経が根を張るように伸びていくことから始まります。

伸びた根はそれぞれが地面との連携をとりながらいかに効率よく養分を吸い上げようとしているのがわかります。

根が張って地面から栄養を吸い上げているために若木の枝にはたくさんの蟻が活動をしていました。すごい栄養分なのですね。

犬の脳でも子犬のころに脳の神経が安心&安全をリターンにしながら自律的な活動を繰り返すことで根が順調に伸びていきます。

樹木の生長と犬の成長は同じなはずなのに、植物のようにはいかないのが犬の成長を支えることです。

ここには植物と動物のしくみの違いがあるからです。

犬の脳は発達できないのに犬の体は成長していく

もし子犬の脳の神経が健やかに発達することができなければ、犬は生後数ケ月もするとそれを様々な行動で表現します。

発達不全の犬は不安を抱えて行動できない、不安を抱えて依存的になる、多動になるなどの行動が起きるようになります。

悪循環が始まり、活動が広がる犬の脳は周囲の新しい出来事を拒否するようになります。

脳の神経は伸びることもできず、縮んだままになり小さな脳になります。

ところが、困ったことにというのも変ですが犬の体だけは成長するのです。

植物だったら根が伸びなければ木は育たないし大きくならないのですから、根が伸びていないことが外からみてもわかります。

犬の場合には体だけはどんどん大きくなっていくので「犬はちゃんと成長している」ようにしか見えないのです。ここのところが難しいところですね。

体は大きくなっていっても脳内の神経が発達していかなければ、犬は不安定な行動つまりストレス性行動を日常的にするようになってきます。

犬の体重が増えていくことは気にしても、犬の行動が安定しているかどうかをチェックすることは一般の方には難しいでしょう。

犬にかかわる仕事をしている方の中にも、犬の行動を適切に評価できる人は数少ないようです。

最近では犬の社会化学習のために犬の幼稚園を利用する方も増えていますが、結局社会化がうまくいかったというケースもよく耳にします。

他にも他の犬に会わせるためにドッグランに通い続けて社会化がうまいかなかったということも増えています。

犬の脳が安心&安定を積み重ねながら根を伸ばして脳内に神経細胞という地図がしっかりと根付けば、子犬が成長の過程で出会う困難に対して簡単には倒れない心を持てるようになります。

それが本来の犬の社会化です。

ですが、オポ広場のクヌギが大地に根を張ったように犬の脳の発達を促すためには「育つ環境を整える」ことが大切です。

子犬が育つ環境、犬の脳が発達する環境、犬が社会化する環境について、深く深く考えていきましょう。

木の根を掘り返す手伝いをするバロンちゃんときいろちゃん。犬は穴掘りが得意です。



 

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明日は追い山「速く動く山は形がきれい」集団行動について考える。

コロナ禍で開催できなかった博多山笠の追い山が明日の早朝に行われます。

直接見に行くことはできなかったけど、ラジオやテレビから流れてくる走る山の音や声を聴きました。

博多っ子である私にとっては聞きなれた季節の音、日常が戻ってきたようでうれしく思いました。

 

さて、その追い山ならしの映像を見て解説を聞きながら考えたことは「集団行動について」です。

集団行動は一定の数の集団(グループ)がある規則にのっとり動く行動のことをいいます。

幼稚園のときから集団行動は練習していますが、小学校、中学校となるとその集団行動のレベルも高まってきます。

追い山も移動中に舁き手が次々と持ち場を交代し持ち場に応じて役割が決まっていること、とても高度な集団行動で一トンという重さある山が動かされています。

追山ならしの動画を見ていると、タイムの速い曳山の特徴は形と動きがきれいであることです。解説者の方も速いタイムの曳山の動きを「美しい」と評価しました。速く動こうとする目的に形が応じると美しい形になります。

この原理は犬にも当てはまります。

一定の速度を保って少し早く歩く、散歩という行動。

見ていて美しいと感じられるものは、犬と人がその機能性を十分に発揮している行動です。

一方でゆっくりとした速度で歩く山歩きという行動。

山歩きには前後ではなく上下という空間も加わりますので、前に進むと同時に上に進む行動が出たり、下に進むという行動も伴います。

移動するたびに人も犬も個体の形は変わっていきますから、なかなか美しいと感じられるのには時間がかかるのですが、これが美しいとみられるようになると、全体の動きはとてもバランスがとれてきます。

犬と人という二つの個体がいっしょになって集団となった場合も、やはりバランスと集団化という二つの機能性を発揮できている山歩きはとてもきれいだなと思います。

犬とのより良い関係性を求めるために、犬と向き合ってボールを投げていても何か結果がでていないと感じられることはないでしょうか?

群れの美しさとは、集団で移動する機能美の美しさ。

それを実現するために身体的な能力は当然ながら必要ですが、あわせてお互いの存在を意識して、同じ目的をもって結束して行動することが何よりも大切なことです。

明日の追い山笠でコロナや不幸な事件や不安な思いが吹き飛んで、みなが明るい気持ちを取り戻すことができますように。

最後は結局のところ神頼みとなりますが、小さな存在である私は私なりに日々の勤めに励むだけです。

オポ広場で遊ぶ犬たち

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「子犬」と「小犬」を同じだと思ってはいませんか?

先日訪問レッスンに伺うためにマンションのエレベーターの到着を待っていたとき

一瞬地面を見ていてその瞬間「ガウガウガウ」とものすごく大きな音がしたのにびっくりして思わず「わっ」と声を上げてしまいました。

小型犬を抱きかかえた飼い主さんが犬の頭を抑えるようにして「すみません」と足早にエレベーターから出て来られました。

視線を上げていて犬だと気づいたらそんなにびっくりした声をあげなかったと思いますが、何しろ油断していたもので先に声が聞こえて驚いた次第です。

慣れている私でこんなに驚いたのですから、犬に慣れていない人や犬が嫌いな人だったらもっと怖い思いをされるだろうなと、改めてそちら側の立場に立って共感した時でした。

抱きかかえて移動できるのが小型犬の便利さではありますが、その便利さに便乗してしまい、解決していない犬の行動が案外あるではないでしょうか。

たとえば、もしこれが大型犬だとして、エレベーターから出てくるときに人をみて立ち上がりガウガウと声を出すような状態だったら、すぐにマンション内で問題になるはずです。

ところが小型犬の場合はこれくらいの吠えは「怖がっているから」という飼い主側の主張で問題となることがありません。

同じようなことは散歩中にも起こります。

人を見てワンワンと威嚇するように吠える小型犬は、抱きかかえられるようにして「大丈夫よ」という声をかけられながら、怖がりで可哀そうな弱者の小犬として吠えることが許されているように見えることもあります。

犬を見てワンワンと吠える小型犬は、「この犬は犬が好きなんです。」と犬に近づけていき犬を目前として吠えることができない状態にもっていく一方的な他の犬への接近も許されてしまいます。

しかし、やはり大型犬ではこれはまかり通りません。

犬が人を怖がって吠えていても大型犬を怖いのはむしろ人の方ですし、犬が犬を見て興奮して吠えていても、通行人は怪訝な顔しかしません。

危険な犬、吠えたり興奮するのを止めるようにトレーニングをすべきだと誰もが思うはずなのです。

なのに、小型犬は怖がって吠えることも興奮して吠えたり飛びついたりすることも、小犬だから当たり前、仕方がないのだと飼い主も世間も思っているのかもしれません。

そこで、勘違いをしているみなさんにお伝えしたいことがあります。

小犬は子犬ではありません。

小型犬は成長して脳も精神も発達する成犬、つまりはおとなの犬なのです。

対して子犬とは生後6ケ月未満の乳歯の間の時期の犬のことをいいます。

小型犬は小さくなりすぎたため、乳歯が抜けきれずに永久歯といっしょに生えてしまうことがあります。

それでも、小型犬も生後6ケ月を過ぎると少年期、青年期を経て立派なおとなの犬、成犬になります。

小型犬のサイズが、小型犬を子犬と間違ってしまうという問題が社会的に生じています。

人にとって問題というよりも、デメリットのあるのは小型犬自身です。

どんなに小さく生まれた犬にも成長して発達し、精神的に安定した豊かなドッグライフを送る権利があるはずなのに、成長をストップされた小型犬は子犬として生涯を送ることになるのかもしれません。

犬を見た目で判断しないで。

小型犬は子犬ではないこと。

小型犬もプライドが高く優秀で凛々しい犬となる権利を持っていることを、忘れないでいてあげて下さい。


 

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きんきん王国に帰って行った“きんきん”は、本当の立ち位置を知っているから強いのです。

お預かり合宿クラスを終えて、犬をご自宅に送りました。

「きんきん」という犬くんです。

飼い主さんが迎えに来られたので車からきんきんを下すとなにやらキョロキョロと落ち着かない感じです。

見ている方向はこちらでもなく飼い主でもなく、少しテンションが上がったような感じです。

そこで飼い主さん曰く「今からきんきん王国に帰っていくからですね。」。

きんきん王国とは、きんきんが王様として暮らしている我が家のことのようです。

お預かり中は、どの生徒さんにもびっくりされるほどお利口さんでおとなしいきんきん。

どのくらいトレーニングしたらこんなにお利口になるんですか?とか、

この犬ちゃんはいつからトレーニングされているんですか?とか、

こんなにおとなしい犬なら飼いやすいですよね、など。

きんきんに会った人たちの大絶賛を今までに何度も耳にしました。

それもそうでしょう。

来客や他の犬がいても吠えもせずにじっと待っているきんきん。

リードを全くひっぱらずに人についてあるくきんきん。

私が「フセ」といえば50メートル先でもフセをするきんきん。

そんな完璧に人に従うことのできるきんきんですが、我が家では「俺様」状態になることがあるらしいのです。

状況によっては人に従うきんきんですから、そんなにはげしいいたずら行動やマーキングや吠えなどをするわけではありません。

それでも、ちょっと飼い主に対してカツカツと歯をあわせて音を出して挑発するような行動や、こっちを見て的な要求行動、おもちゃを投げろ的な要求行動など、自分に注目をさせるような行動を繰り返すということでした。

そんなきんきんのことを飼い主さんは、とっても可愛らしいとと思いつつも、あまりにも行き過ぎるときんきんがまた荒れてしまうという一線をキープしているようです。

子犬のころからトレーニングクラスを受講しているきんきん、強い犬たちにもまれながら打たれ強く成長しました。

きんきんは小さな我が家の群れよりも、もっと大きな世間の中での自分の立ち位置を知っています。

だから、決してきんきん王国のきんきん大王様は仮の姿であることを知っています。

問題がこじれてしまう他の犬たちは、我が家で王様状態である俺様しか知らないことです。

飼い主におだてられ、調子にのせられ、賢い、できる、えらい、と褒められまくって、たくさんのおやつをもらいながら、抱っこして、ソファに乗って生活をしていて、世間を知知らない犬が、俺が一番偉いのだと勘違いしても仕方ありませんね。

きんきん王国のきんきん大王様。

次回の合宿での再会が楽しみです。

合宿中のきんきん

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毎日飽きなくてシンプルな犬とのコミュニケーションが犬と飼い主の関係を作っている。

土井善晴先生の「一汁一菜」を読んで感じたこと

天井が回って見えたという私の状態に対してお気遣いのお言葉ありがとうございます。

とても元気に過ごしていて、山とシティを行ったり来たりする活動が続いています。

それでよく尋ねられるのですが「何を食べてるんですか?」という質問。

答えは「玄米ご飯とお味噌汁、あとは梅干しとかノリがあれば…」とだんだんと声が小さくなる私だったのですが、その自信のなさを克服させてくれた本に出会いました。

読んでいるのはあの料理研究家の土井善晴先生の著書「一汁一菜でよいという提案(新潮社出版)」です。

食事は基本だからこそ、毎日飽きない自然に変化するものをいただくこと。

食事のことで考えこまない、あるもの、残り物を生かして食べること。

最後まで読み進んでいくと、季節や自然と対話しながら今日の食事を作る、それが味噌汁とごはんという形になるというのですから不思議です。

 

犬との関係作りも毎日の飽きない活動の積み重ねにある

これって犬との関係作りにもつながってくるのではないかと考えながらこの本を読み進みました。

犬と共に毎日飽きずに続けられる、そして自然の中で対話しながら、季節によって変化するものって何。

そうです。やっぱり「犬との散歩」これにつきますね。

毎日、毎日。単純な犬との散歩。

でも、いっしょに歩きながら風を感じて、今日は暑いね、今日は寒いね。

今日はアジサイが咲いたね。緑がきれいだね。

シロツメクサが増えたね。タンポポが枯れたね。

鳥がよく鳴くね。空が青いね。雨が降りそうだね。

声に出して犬に話しかけなくても、心に感じている季節の移ろいを犬は違った感覚でとらえています。

昨日と同じ道、だけど何か少し違うね。

そんな毎日が、ずっとずっと繰り返されていくのです。

犬と関係を作っていくことがどのようなことなのかわからない飼い主が増えているように思えます。

難しいことや犬を楽しませることばかりを考えすぎてしまうと、基本の基本を忘れてしまいます。

今日はイタリア料理、明日はフランス料理、明後日は中華料理と、日本の主婦は食事に頭を悩ませすぎて大切なものから離れているというようなことを土井先生も書かれていました。

これは犬の飼い主にも同じようなことがいえます。

犬に特別なことをさせたい飼い主が増えているからです。

犬をドッグランに連れていきたい、幼稚園に通わせたい、フリスビーをやってみたい、トリックを教えたい…など。

ところがほとんどの飼い主は、地面をにおいながら歩く犬の後ろをただリードを長く伸ばしてついて歩いているだけです。

犬はマーキングをするために散歩に出ているのではないかと思えるような光景です。

自然を感じて生活の基本を作る犬との散歩はこんな光景ではありません。

人馬一体、散歩とはそのような息の合った活動で、しかも自然とのつながりを深める犬との暮らしの基本です。

犬との山歩き、犬とのトレッキングも、実は散歩の延長線上にあります。

犬との山歩きはイベントではありません。

普段、トレッキングクラスに使っている登山道は、私と犬のオポの散歩コースでした。

散歩とは本来楽しいものなのだということを思い出していただき、自然の中を自然を感じながら歩くことが本当の犬と人の散歩なのだということを、体感していただくためのクラスです。

ですから自然を感じることのできない街中では、犬との散歩は実現できません。

関係作りも難しくなってしまいます。

せめて都市空間に子供たちが豊かに育つ自然空間を取り戻したいものです。


土井先生は「味噌汁とごはんは手抜きではない。」といって下さいました。

今では堂々と「玄米ご飯と味噌汁食」を宣言します。

毎日の楽しみは「犬との散歩」そう言えるようになりますね。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

犬が自分の体の異変に気付いたら行動を起こすのかそれとも…。

前回のブログ記事で、犬が自分の異変に気付いても容易には行動できないということを書きましたが、今日はこの記事に対する追伸です。

犬がくるくる回る行動は前庭疾患かそれとも興奮行動なのかを見極める。

まず、犬が自分の中の異変、たとえば自分の体がいつもと違うという異変に対して素直に反応する動物だということは犬を飼った経験のある方なら理解できます。

今日も子犬ちゃんの訪問レッスンに行ったところ、朝からクレートに入ったままで出てこないと飼い主さんが言われました。

私が入室するとすぐにクレートから出てきていつもとおりのご挨拶をしましたが、いつもよりは少し控え目です。

朝ごはんを全く食べずに、クレートの中に引きこもっていたらしいのです。

状況を伺うと、どうやら昨晩いつもより多目にガムをもらったようで、その分量からするとかなりおなかに負担がかかったのでしょう。

おなかの調子がいつもと違うと感じた子犬は、クレートである巣穴に引きこもり自分をケアする行動を選択したのです。

犬が少し具合が悪いときに巣穴であるクレートなどに入って丸くなる行動をみたことがあることもあるでしょう。

これは、犬が自分の異変に対して自分にとって必要な行動を選択したということですし、同時にその選択肢が環境の中にあったということでもあるのです。

もし、子犬が朝ごはんを食べないことに心配した飼い主が、すぐに病院へ連れて行ったり自分の膝に抱っこし続けたりしてしまえば、子犬には自分の選択肢はなくなってしまいます。

犬は人に飼われることで、自分の周辺の環境を整えることができなくなってしまいましたが、それでも自分にとって必要な行動をなんとか選択しようとしているのです。

自分の調子を整えるために必要な基本的なものは、ゆっくりと休める居場所、静かな空間、安心して隠れていられる場所、きれいな空気、そして犬なら土も欲しいですね。

オポもときどき庭の土の上に腹部を下にしてじっとしていることがありました。

そうすることが今のオポにとって必要なことなのだろうと、いつもそれを見守るようにしていました。

簡単には使えませんが、なんだか癒しを求めているような感じがしていたからです。

どんな個体も完璧ではありません。

どんな人も犬も、それぞれに弱点となる心や体を持っています。

バランスを崩したらそれをいかに早く回復させるかということが大切なのかと思います。

そのために必要な場所や時間を犬が自分で得られるのか、もし得られないとしたら犬は葛藤状態に陥ってしまうでしょう。

葛藤とはどちらへ進んだらいいのか分からないという状態のことです。

行き場を失ったエネルギーが攻撃性や常同行動を引き起こすこともあります。

犬を取り巻く社会は、人の社会が複雑になった以上に複雑化しています。

犬が異変に気付いて自律的にする行動を尊重しながら、改めて犬の選択肢が増える環境を整えていけば、以前よりは犬が生きていく環境が豊になったといえるでしょう。

一度にたくさんはできません。

まず何か一つずつからスタートです。

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犬がくるくる回る行動は前庭疾患かそれとも興奮行動なのかを見極める。

数日前の夜に天井が回り始めたので「あー、これはまずい」と自分に起きていることをすぐに察知しました。

回っているのは天井ではなく、回っていると誤解してうけとっている私の三半規管の方です。

おそらく疲労などのストレス状態が上がってしまい、自律神経のバランスを崩したようです。

緊急性のこのようなめまいに対する対応法は心得てはいるものの簡単に状態は回復しないため、具合の悪い状態が一晩は続きました。

犬もくるくる回る行動が出やすい前庭疾患という病気というか状態になることがあります。

多くは老犬ですが、若い犬でも見られます。

体や頭を少し傾ける状態でくるくると回りながらあるき続ける行動をします。

回る行動がでない場合でも、目がゆれるような眼振が見られたり、体が左右にふれて足元がおぼつかないような状態になっていることもあります。

しかし、前庭疾患になっていない状態でも犬はくるくると回ることがあります。

前庭疾患とは少し違うなと思う周り方は、体全体は円形を描くように回っているものの頭の傾きが見られない場合や、環境を変えると回るのを止める場合。

例えば犬が関心を示す物や声を出すと、すぐに回るのやめたときにふらつきがなくまっすぐとたったり座ったりして眼振がみられない行動。

後者のくるくる回る行動をする犬は前庭疾患ではなく、単なる興奮性のストレス行動として円形を描くように回ります。

散歩中にリードの範囲でくるくると回りながら歩く犬もいますが、この犬も前庭疾患の場合とそうでない場合に分かれます。

後者の前庭疾患という病気ではないストレス性行動のみの場合は、規則のある管理状態に置かれると回る行動は減少していきます。

経過が進むとゼロに、犬は全く回らなくなります。

いろんな犬の行動を「病気」として見過ごしてしまっていることがあるかもしれません。

当時は「病気」であったものも、どこかで別の方向に向かっていることもあります。

どんな時点でも精査が必要です。

問題の解決方法が薬物療法なのか行動療法なのか、その犬にあったことをしなければ犬はストレス性行動から解放されない、同時に病気を克服できるチャンスを失います。

さて、私のストレス性めまい行動に対する対処は以下のとおりでした。

夜寝るときに気づいためまい、吐き気、ふらつき。

まずはダンナくんに「めまいする」の連絡をいれ万が一に備える。

交感神経に傾ていると判断して胃腸をゆっくりと活動させるために熱いお茶を入れる、胃腸を少し働かせるために少しだけ甘いものを食べる。この日はいただいた黒豆があった。

体をリラックスさせるために足元にブラシをかける。気分が落ち着いたら横になって目を閉じて動かしたい方向に体を動かす。

眠れないのですがこうして自分の体が良い方向に向かっていくのを感じていくことで安心できます。

犬たちが寝ている時間に体調を整えて、朝の5時半には準備を始めなければいけません。

朝はちゃんと起き上がりめまいと吐き気は止まりました。

人間だったら初期状態なら思考で考えつつ行動できるものですが、犬はそうはいきません。

飼い犬は環境を人間に完全にゆだねているために自分で環境を変化させることが難しいからです。

犬の異変に気付いて環境を整えるのは飼い主の役割です。

そのくるくる行動、どこから解決するのか、糸口をまず見つけましょう。

トレッキングクラスでリラックスするサンタくん。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

飼い主に執着する分離不安傾向の犬たちを最後に救うのは自然環境です。

時代により変化する犬の問題行動

犬の問題行動って昔と何か変わってきてますか?

とある生徒さんに尋ねられました。

私が家庭犬のトレーニングに取り組み始めたのは2000年なので22年前。

それまでは誰もができないと思っていた集合住宅での犬の飼育が始まり始めたころのことです。

同時に特定の小型犬が流行り始めました。

小型犬といえばそれまでもシーズーやマルチーズが「お座敷犬」と呼ばれて特定の趣味の世界として飼われていましたが、小型犬のスタイルももっと違ったものとなりつつあったのです。

屋外に飼育されている犬も雑種から純血種に変わり始め、庭のある家庭でも犬を室内飼育するような犬の飼い方が広がっていきました。

室内飼育が広がると当時に犬の排泄の失敗に悩む方が増え始め、そのことでトレーニングの依頼が増えたように感じます。

質なし飼育の広がりと同時にワクチン接種が一般的になると、子犬の屋外活動が遅れてしまい社会化不足の犬たちが散歩中に吠えることになります。

散歩中にリードをひっぱったり吠えるという問題に対するトレーニング。

インターホンに吠えるという犬の行動問題に対するトレーニング。

そして飼い主にかみつくというご相談も、犬のサイズを問わずに増えてきました。

そして何よりも最も増えたのは間違いなく、飼い主に執着する分離不安行動による吠え、自傷行動、失禁、いたずら、留守番ができないなどのご相談です。

犬の問題行動の変化には、様々な犬を取り巻く変化が影響をしています。

犬の飼育環境、繁殖、流行りの犬種、飼い主の価値観、飼い主の生活スタイル、犬のしつけやトレーニングに関する情報などです。

ですから、自分の犬が飼い主に執着する分離不安行動を起こしていたとしてもそれをすべて飼い主自身の問題だとする必要はありません。

いろんな環境要因によって犬はそのようになってしまったということに過ぎないのです。

ですが、大切なのは執着という行動のパターンにはまってしまい苦しんでいる犬を救ってあげることができるのもまた飼い主の自分しかいないということを自覚してください。

どうしてこうなってしまったのだろうということに囚われるよりも、どのように改善していけば犬が楽になるのだろうかということを考えることが問題を解決します。

 

犬が飼い主に執着する行動とはどういう状態なのかを理解する。

犬の分離不安行動は犬の飼い主に対する執着行動です。

自分の犬が分離不安傾向にあるかどうかは行動チェックをすればある程度わかります。

このブログにもチェック項目がありますので確認してみてください。

犬の分離不安行動は、犬の脳が何かに執着している状態だと考えるとわかりやすいです。

脳が何かに執着するというのは、脳が快楽を追い求めている状態です。

といっても、私も脳科学者ではありませんから具体的な脳の仕組みはわかりません。

私がそう思っているのは、様々な脳科学や心理学の本を読み、犬の行動を照らし合わせながら考えた結果、今のところそうであろうと思っているということです。

快楽というのはある脳内物質(ホルモン)によって起こるらしいのですが、その快楽ホルモンもはじめは行動の意欲につながります。

何かをしよう、そして習慣化させようというホルモンですから、犬が獲物を追い続けるときなどにはこのホルモンが出ていると推測します。

しかしその活動ホルモンが過剰にですぎると興奮ホルモンとなり、何かを追い求めることでこの興奮ホルモンが出続けることになります。

快楽を追い求めることを止めない活動、それが執着です。

飼い主を追い続ける犬を見ると飼い主のことが好きだという風にも見受けられます。

しかし「好き」と「執着」には違いがあり、脳内的にも違いがあるということを理解してあげる必要があるでしょう。

見方としては犬の「興奮性」「攻撃性」が高まってきたときはすでに犬の執着はかなり高まっている危険信号なのです。

 

飼い主に執着する犬にこの行動だけはやってはいけない。

興奮しやすい犬の飼い主がやってしまいがちな間違いとして、興奮すると犬を抱っこしたり撫でたりすることです。

興奮する犬を抱き上げれば犬が落ち着く、だからすぐに犬を抱っこする飼い主がいます。

しかもほとんどのケースでは犬は小型なので、容易に抱っこできるし犬も飼い主の膝に上がりたがります。

中型犬や大型犬では犬が人の股の間に入ってきたり膝に犬の頭を乗せたり、飼い主が撫でている間中おとなしくしているようになりますがこれが依存の始まりです。

依存は共依存といって不安定な飼い主側にも一時的な落ち着きを与えてくれます。

これもまた本当の落ち着きではなく、依存という関係性の上になりたつ安定で大変もろいものです。

抱っこする飼い主、犬を撫で続ける飼い主の方もまた、快楽物質を出すようになり分離不安行動は共依存として犬と人の離れがたい距離感を作ってしまいます。

 

恐ろしい犬の執着行動を解決するためにできることのはじまりとは。

飼い主である自分のことが好きなのだと思っていた犬が、興奮しやすいとか攻撃性を見せるようになると、飼い主は何かが間違っているのかと感じるようになります。

それが排泄の失敗といった自分のテリトリー内を荒らす行動であれば飼い主はすぐに警笛を鳴らします。

犬の行動のパターンが興奮性となると、普段から興奮している犬のどこが興奮しているのかに気づかない飼い主も多いのです。

興奮性行動が屋外や環境の変化によってみられるようになると、散歩中に吠える、興奮する、旅行先で落ち着かないといった、犬と飼い主の社会生活を狭めるようになり問題に気づく飼い主もいます。

犬の行動を解決したいと思った時点からすぐに解決が進めばよいのですが、執着行動は根が深くなかなか思うように元には戻りません。

ほとんどの問題行動が子犬の脳の発達の段階から繰り返されたことなので、生後6ケ月未満に築いた飼い主との依存関係を改善するのはなかなか大変なことです。

犬を飼い主の執着から解放させるためにできるスタートは当たり前のことですが、問題の本質を見極めることです。

犬の行動全般を客観的に評価することができなければ、専門家のアドバイスを求めて下さい。

次の準備は、生活環境や飼い主の接し方、犬の分離不安行動を引き出すような要因をすべて解決することです。

これは飼い主側ができることなので、やる気があればだれでもできることです。

ただ人も習慣性の動物なので、新しい習慣を身に着けるまでに時間がかかります。

形を理解し、頭で描き、行動に移す。

トレーニングはこの繰り返しですが、まずはここからスタートします。

しかし、これだけでは不十分です。

上記のトレーニングと同時にやらなければいけないのは、犬の脳内を立て直すことです。

執着した脳からリラックスできる脳へ。

快楽を求める脳から、活動をする脳へ。

そのことを実現するためにどうしても必要な素材があります。それが「自然環境」です。

脳は全体でできています。

全体の中で自分がどのように活動するのかを考えているのが脳です。

その全体とは、犬という動物を取り巻く全体のことです。

自然環境というと大がかりな気がしますが、土があって緑があって生物がいる豊かな環境といえばいいでしょうか。

屋外の庭でも、人工芝や砂利石の庭であれば土もない草もない生物もいません。

人間ですら原始的な生活から離れてまだ間もないのに、犬という動物はほんのつい最近まで土の上で暮らしていたはだし族なのです。

分離不安状態となり様々な不安定行動をするようになった犬たちが、自然環境のここ七山に長く滞在していると自然と不安定行動がなくなっていきます。

ずっと室内で自分の手をなめている犬が、七山での預かり期間にその姿を見ることはありません。

犬の感覚が戻ってくるまでにはかなりの時間がかかりますが、犬たちの行動の変化を見てやっぱり自然しかないとなんども思い返しています。

飼い主のみなさんに自然の中で生活するという選択をしていただければ本当にうれしいのですが、もしすぐにはそうならないとしたら私が変わりに犬を自然環境に触れさせよう、それが七山のオポハウスでの犬との合宿です。

自然の猛威を回避するための毎日の草刈、笹刈、犬たちが見守る中で今日も頑張りました。

犬の分離不安行動は犬の脳の問題だということ、いっしょに考えいっしょに解決していきましょう。

犬たちの健やかな生活のために。

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犬は共に成長する飼い主を求めていると思う「犬との暮らし」コラムのご紹介。

犬との楽しい暮らしを想像して犬を迎えたけれど、予想もしていない問題に悩んでいる飼い主に最初にお伝えしたいこと。

犬の無駄吠えやかみつき、散歩ができない、留守番ができない、呼んでも帰って来ない、拾い食いをする、他の犬に吠える、落ち着きがないなどの犬の問題行動は犬が飼い主に発しているシグナルです。

犬は飼い主さんを困らせようとしてこのような問題行動を起こしているのではなく、犬の暮らしがうまくいっていない、飼い主との関係がうまくいっていない、何かが違うのではないかということを表現しているにすぎません。

犬のしつけやトレーニングというと、「問題のある犬の方を変える」方法を教えてもらうのだと思っている方がほとんどです。

しかしこれは大きな勘違いです。

変える必要があるのは、問題を起こしている犬ではなく、犬を取り巻く環境、一番は飼い主そのものです。

犬は人間でなく動物であること、動物であるからこそ自ら犬として活動することを望んでいること。

そして、犬として生まれたのなら、犬として発達して成長しようとする力が犬の命の中に吹き込まれていることを忘れてはいけません。

そんな飼い主としての成長を記された日記を、ある生徒さんが見つけて送って下さいました。

飼い主として共感できるという内容だったようで、実に正直にご自分の犬との関わりをつづってあります。

北海道に暮らしている中道智大さんという写真家兼エッセイストの方のようで、若いころはドッグトレーナーだったということで犬への思いも簡単なものではなかったでしょう。

エッセイ「犬と暮らすこと」をこちらにリンクを張らせていただきました。

興味のある方はご覧になって下さい。

犬と暮らすこと、犬との暮らしは人さまざまであって誰からもその暮らし方を否定されるものではありません。

ただ、あまりにも多様な犬とのいろんな暮らしがある中で、様々な暮らしがYouTubeなどSNSで発信されていることに翻弄されている飼い主が多いのではないでしょうか。

犬との暮らしは楽しい。

でも犬との暮らしはとても現実的な毎日の積み重ねなのです。

共に暮らし、共に学び、共に成長する。

そんな犬との関係を目指していらっしゃるなら、ぜひグッドボーイハートで共に学びましょう。

預かり合宿で自然の中で遊ぶマルクルちゃんときいろちゃん

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