グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬語セミナーに学ぶ犬の世界:犬語の深読みを学ぼう

 週末はグッドボーイハート七山校で犬語セミナーを開催しました。今回は上級者編として開催しました。内容もいつもよりも深いものとなり学びの多い時間でした。


● なぜ、犬語を学ぶ必要があるのか

 七山校では毎月、福岡校では不定期に開催している「犬語セミナー」。犬のさまざまなコミュニケーションを読みとる学習をし、犬への理解を深める座学の講座です。そもそも、犬との暮らしの中で飼い主さんたちが最も興味があるのは「犬は何を考えているのだろう」「犬はどういう気持ちでいるんだろう」ということです。

 犬が考えていることに対する理解がなかなか進まず行き違いが生じるのは、お互いにこちらはヒトであり、向こうはイヌであることから、“種”のことなる動物だという違いがあるからです。そのため、犬の持つコミュニケーションの表現の中から人側がそのシグナルを読み取り受け取る練習をするのは、犬を飼う上で最優先させるべき学習項目です。はっきりといえば、それは犬にオテやオスワリを教えることよりも、ずっと大切なことです。

 ところが、これらのコミュニケーションはなかなか習得することが難しいのも事実です。たとえば、本にも犬の会話を知ろうというものがありますが、図や写真で紹介されるものと、実際のコミュニケーションには差が出てしまいます。比較的わかりやすいシグナルに落ち着かせ行動(カーミングシグナルとも呼ばれる)があります。これらのシグナルは単発で短いシグナルであるために、拾いやすくわかりやすいシグナルです。

 しかし、ほとんどのコミュニケーションは動きや音などといっしょに表現されるため、単純に受け取ることもできません。その犬のコミュニケーションをできるだけ正確に受け取る練習をするためのセミナーがこの「犬語セミナー」です。

 犬語セミナーを通して犬語を学ぶ目的は、犬がどのような状態にあるのかをまず把握するためなのです。この犬の状態を理解せずに、人の言う事を聞くようにさせるというのは一方的で相互コミュニケーションの機会を失うことになります。

 犬は関係性を蓄積させるようにつくっていきます。人と同じですね。相手が自分のコミュニケーションを理解しないと受け取ると、人とのコミュニケーションに不快感を覚え積極的なコミュニケーションをとろうとしなくなります。孤独になり落ち着かない行動をするようになってしまいます。


● 犬語の深読みとはどんなこと

 犬のコミュニケーションを受け取るには、受け取り側が人ですから視覚的に理解できる範囲内で、また聴覚的に受け取れる範囲内でということになります。ビデオなのでスローモーションにもなりますから、視覚的なシグナルの分析はかなり細かくできます。ただ、残念なのが臭いのコミュニケーションを受け取ることができないということです。犬たちは様々な臭いを発してお互いのメッセージを交換していますが、その世界に人は入ることができません。しかし、そうした見えないシグナルも、行動を通してある程度は理解することが可能です。

 今回は上級者編として犬の行動の読み取りのあとにさらに深読みを行いました。
犬語の深読みとは、犬のコミュニケーションに影響を与えている環境は背景について予測するということです。実際にはビデオを提供してくださった飼い主さんに、環境に関する背景をカウンセリングさせていただければ、細かく環境の影響について説明することができます。しかし、ここは犬語セミナーですから、知らない犬の行動を見て、犬の環境を推測するという逆バージョンでやってみます。

 この深読みをする目的は、犬たちの抱えている社会環境についてみなで考える機会を持つためです。自分の犬だけが幸せになればいいと思っている飼い主はほんの一部だと思います。犬と暮らしている人、犬と暮らしたことのある人の多くが、犬という動物から多くの恩恵を受けることから、すべての犬に幸せになって欲しいという願いを持っています。家庭で人と暮らす犬たちはみな、家庭で大切に飼育されています。栄養のある食べ物をたべ、温度管理をされた室内にいれられたり、屋外の安全な場所に居場所を提供され、清潔にしてきれいにして過ごしています。そんな現代でも、犬を取り巻く社会的な問題はたくさん存在しています。


● 現在の犬たちが抱えている複雑な問題について

 犬たちの抱えている現代の問題とは、行き過ぎた管理という飼育です。この言葉にはすでに矛盾があります。飼育という「飼い方」がすでに管理環境の中で行われます。犬を飼う上で「管理」という言葉は外せません。これは法律で定められた項目でもあります。昭和48年に議員立法で制定された「動物の愛護及び管理に関する法律」は改正を重ねながらも、犬と暮らすすべての人が守るべき法律として存在しています。

 もっとも管理すべきものとして、犬は必ずリードをつけて散歩をすることや、犬を飼育する環境は囲いのある私有地であること、囲いのない場合には係留をするという管理は、犬の飼養管理として義務付けられています。これは現在守るべき法律であることは、疑いもないことです。

 しかし、これ以上の犬を管理する方法が国内に普及しています。これらは西洋的な動物を利用することが前提での完全管理の方法です。少なくとも犬の飼育方法については、圧倒的にドイツをはじめとする西洋的なやり方が指示されています。しかし、どうでしょうか。私はこのことにはいつも疑問をかかえています。日本の土着の犬たちにこうした西洋的な飼い方や人との関係を持ち込むことを歓迎しないのです。その理由については、深いものがありとてもブログでお伝えすることはできませんが、グッドボーイハートでご縁のある方々とはこうした問題についても機会のあることにいっしょに考える機会をもっています。

 さて、次回の犬語セミナーは9月24日(日)12時~14時 グッドボーイハート七山校で開催します。

犬のことを深く学びたい方はぜひご参加ください。

クール寝顔

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<犬のしつけ方・動画>ベッドトレーニング:犬用ベッドは犬の室内生活に必須です

 犬のしつけやトレーニングをいつ頃から始めたらいいのかという質問に対する答えは、犬がどんな年齢であろうと「今」です。犬と暮らしていなくても、学ぶべきは「今」なのです。

 学ぶにはなによりも時間が必要です。今学んだことを理解できるようになるのにまず時間を必要とし、そしてそれを実際に身につけるようになるためにさらに多くの時間がかかります。さらに、それを人に伝えようと思ったら、その数倍の時間がかかります。

 テレビの洗脳なのか、世間の思い込みなのかわかりませんが、犬のしつけとトレーニングは生後6ヶ月を過ぎないと始められないと思っている方もいるようですが、とんでもありません。むしろ犬ができるだけ小さな年齢のときから、犬のトレーニングを開始してください。

 ここでいう犬のトレーニングとは、飼い主が犬のことを理解するための勉強のことであって、犬を訓練学校に預けるという意味ではありません。長期間の預かりトレーニングは一般の犬にはおすすめできません。

 子犬期にどんなトレーニングをすると思いますか。犬の日常生活に必要なしつけの多くは生後1才くらいまでに、ステップアップを重ねて教えていくことができます。

 今日はグッドボーイハートのパピートレーニングのカリキュラムのひとつでもあり、成犬のトレーニングにも必須項目のルールをひとつご紹介します。

「居場所を指定するトレーニングのベッド編」です。


● 居場所を指定する「ベッドへ」の意味と様子

 室内飼育の犬の場合には、犬だけのスペースを確保して生活環境の安定と安心を獲得させることは必須の犬を飼うための環境整備です。犬だけのスペースというのは、犬の立場からいうとそのスペースを他の誰かに侵されることのない安全地帯のことをいいます。また、個体のスペースを主張できるスペースでもあります。

 この物理的なパーソナルスペースは、人間も日常的に利用しています。自宅にあるダイニングの椅子、リビングのソファ、座敷の座布団、そしてベッドや布団といったものです。これらは、屋外の外敵から身を守るための場所というよりも、室内の限られた空間(テリトリー)を、家族(群れ)内の集団で上手に利用し、そのことで関係性を安定させるために役立ちます。

 では実際にどのような行動をするのかを動画で確認してみましょう。以下の動画は家庭訪問レッスンのときに撮影させていただきました。飼い主さんの「ベッド」という指示で自分たちのベッドに犬が移動するシーンです。

動画 「ベッド」の合図で自分の居場所に移動する子犬たち

 飼い主さんの「ベッド」という声の合図と手の指示で、それぞれの指定された犬用のベッドに犬がいきます。「ベッド」合図はしばらくそこで待機をするようにという時に使用しますので、ベッドの合図があったらフセの姿勢になれるように誘導していくと、ベッドでの行動がさらに安定してきます。

 動画に協力してもらったラブラドル・レトリバーの2頭の犬たちは、胴胎犬(兄弟犬)で、生後5ヶ月になります。トレーニングの際にオヤツは使用していません。報酬はもっと別のところに設定されています。


● 犬に「ベッドへ行って」のトレーニングがどのように役立つのか

 室内で犬の居場所を指定するトレーニングは生活の中で大変役立ちます。犬がどのスペースにいていいのかがわからないときに、ここに居なさいといわれることは、犬たちにとて居場所を獲得したという価値のある合図です。価値の高さは「居場所」という特別なスペースの存在が影響しています。

 人を例にして考えてみましょう。たとえば、家族の関係性によって、室内の家族が過ごす場所では細かく場所が指定されていることがあります。特にダイニングの椅子はそうです。

 食事をするときに利用するダイニングの椅子には、指定席というのがあります。みなさんのご家庭にもないでしょうか。自分はそこに座る権利があるというものです。食事をしようと思ったときに、兄弟間で席の取り合いになるのは、弟の席に兄が座ってしまうときです。お父さんはここ、お母さんはここという風にですね。いつもの自分の居場所に他の人が座っていると違和感を覚えるでしょう。時にはお父さんの椅子は格別立派ということもあります。昔は父親は上座に座るのが基本でした。居場所は家族間の序列を明確にするものでもあったのです。

 犬に話を戻します。犬はもともと屋外にテリトリーをもつ動物です。イヌ科動物が巣穴の近くで過ごすときには、かれらにはダイニングテーブルも椅子もありません。しかし、ある程度の配置がされています。あるのは巣穴とテリトリーの境界線だけです。巣穴には子犬たちが、巣穴の前には巣穴を守る犬たちが、そして境界線を外敵から守る犬は境界線を確認しながら配置されます。群れの中心的な存在のものは、少し高いところや全体を見渡せる中心地点にいます。

 そして一部の犬は、人といっしょに室内で暮らすようになりました。飼い主という人が管理する生活スペースです。寝る場所や隠れる場所としてクレート(もしくはケイジ)を与えられています。リビングで人とスペースを共有するときには、飼い主の居場所である椅子には上がらないように教えられるでしょう。

 最後に、リビングでくつろげる犬の居場所として犬用のベッドが必要なのです。犬用のベッドを室内に置いてある家庭はあります。犬は自分の好きなときにベッドの上で寝たり遊んだり、休憩したりしています。

ブランとマージベッド
 しかし、飼い主の指示で犬用のベッドに行ける犬はあまり多くありません。その理由の多くは、教える必要性の高さがわからないということ、日常的な犬との暮らしでのその合図の使い方が分からないとか、また、教え方がわからないというものでしょう。

 この合図の必要性の理由についてはたくさんあります。簡単に説明すれば、人と共有するスペースに自分の居場所を獲得すること、そしてその居場所は誰にも侵害されないものであるということ、そのことは、犬が自らの安全を確認できるということと、さらに群れの中での精神的な居場所の獲得にもつながっていきます。

 ひとつの状況を例にあげます。来客が来たときに来客に興奮したり警戒するシグナルを見落とされることがよくあります。吠えたりとびつくという犬の行動はわかりやすいですが、そうでないものもあるのです。

 来客時に落ち着かないシグナルとしては、部屋をウロウロとする、自分の体をなめたりかじったりする、おもちゃをもってウロウロする、床をなめる、来客に体をくっつけてくる、飼い主のうしろをついて歩くといったものも入ります。

 自分のテリトリーに、家族以外の動物が入ってきたのですから、落ち着かなくなるのは当然のことです。飼い主にとって日常であることが、犬にとっても同じようになることはなかなかありません。イヌ科の動物の生活では、他の社会的な対象となる動物が自分の生活圏に入ってくるのはとてもまれなことなのです。

 このときに犬にベッドにいくことを指示します。最初はクレートで練習をしますが、クレートとベッドは違いがあります。ベッドのテリトリーはもっとゆるいものです。クレートの中には人が手をいれられませんが、ベッドにいるときには簡単に犬に触ることができます。そのゆるい境界線の中に犬は居場所を獲得し、来客を多少の警戒心をもって観察していたり、環境全体の安定性についての情報を取得していきます。

 子犬のころはこうした観察や環境把握に時間がかかりますが、生後3ケ月もなると犬は自分の周囲の環境に対して強い関心を持つようになっています。少しずつ環境を把握させる練習もさせていく必要があるのです。もちろんそれは、たくさんの場所につれまわして、たくさんの人や犬に会わせることではありません。

 犬用ベッドに犬を行かせることは、犬を社会的に排除することではありません。むしろ犬用ベッドに行く練習をすることで、犬は安心を獲得し、自分の役割を理解し始めます。このベッドトレーニングは犬がインターホンに反応する前にできるようになることをおすすめします。

 少ない犬との時間でたくさん教えることがあるでしょうから、優先順位は決めていかなければいけませんが、少なくとも、犬にお手などを教えるよりはずっと重要なトレーニングです。


※関連する記事はこちらからどうぞ

・室内の犬用ベッド(ドッグベッド)のミラクル:犬の落ち着きを引き出す空間作り

・犬のクレートトレーニング:ハウスの合図でクレートに入る動画

・犬の「落ち着きない行動」:なぜ落ち着かない?

・クレートトレーニング


・グッドボーイハートお勧めグッズ:犬用ベッド編

・室内で生活する犬のための犬用ベッド

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人に吠えたことがない犬に吠えられるのは何故なのか:犬が見ている世界とは

 たまにというよりも、犬と会ったときに度々起きる不思議なことがあります。

 レッスンで訪問したり、偶然通りかかったドッグランの中にいる犬や、ときには散歩中に近付いてきた犬が、普段人に対してしているのとは違う行動をすることがあるらしいのです。


● 人には吠えたことがないんですといわれたこと

 たとえば、こんなことがありました。あるご家庭へ訪問レッスンに伺った初日のことです。わたしはまだ飼い主さんとも顔をあわせていません。インターホンを鳴らすと中からワンワンと犬の声がします。

 その声は、ワンワンというよりはガウガウという風に、戸口の向こうなのでこもった声ではありますが、多少の緊張感もあわせて伝わってきます。中から飼い主さんが「どうぞー開けてください。」といわれるので、戸口を5センチくらい開けてみます。5センチしか開けられないのはその後の犬の行動を多少なりとも予測しているからです。

 ドアを少し開けたとたん、玄関の框から玄関の戸口の前まで中にいる大きな犬がガウガウいいながら突撃する姿をみました。それで戸口を5センチから3センチ程度にせばめます。

 「すみません!犬にリードをつけていただけますか?」と大きな声でお願いします。戸口の向こうで飼い主さんが犬にリードをつけたのを確認します。飼い主さんがそのまま犬に引きづられないことを見ながらようやくドアをはっきりと開けると、犬はますますガウガウと今にもとびかからんばかりです。

 そこで飼い主さんがひと言「今まで人に吠えたことはないんです。」といわれました。


 同じようなことはなんどもありました。ドッグランの横を歩いていたら、中からウォンウォンと太い声で大型犬が私の方を向いて吠えています。周囲には犬も人もいませんから、わたしに対して吠えているのだとは思います。

 飼い主さんは犬を抱きかかえるようにしてなぜかわたしをにらんでいます。そして「人に吠えることなんてないのに」とひと言。もちろんその犬とは初対面で、犬との距離は10メートル以上は離れている上に、間には高い柵もあります。


● 他のパターンの「他の人と違う」といわれた犬のこと

 他にも普通の人とは反応が違うといわれたことがあります。歩道を歩いていると散歩中の犬がわたしのそばをとおりかかるときに衣類の臭いをとるような形で立ち止まってしまい、そのあとわたしの後を追うように数歩ついてきます。

 このときなぜか飼い主さんもついてきてしまう上に、このような状態で自分の背後を見せるとトラブルが起きることもあるので、一旦止まって相手の犬が下がるのを待つようにしています。

 犬は入念に臭いをとったあと、少し顔をそらして立ち止まりじっとしています。それをみながら飼い主さんは「他の人とは違いますね。犬を飼っているのですか?」とたいてい尋ねられます。

 犬と暮らしてはいないのだけど仕事で犬に接することがありますのでとお答えすると、飼い主さんの方は納得します。せっかくだから「他の人に対するのとどう違うのですか?」と質問させていただきます。「他の人にはとびついたり、体を寄せたりするんです。」とのことでした。なるほどですね。

 こんなことの積み重ねで、当然家庭訪問レッスンでも飼い主さんや他の人とは違う行動を犬たちが見せてくれます。犬のトレーニングクラスの訪問レッスンでは、インストラクターであるわたしが直接的に犬を訓練することはありません。少しだけやりかたの説明などをするときに犬に接するというだけのことです。

 しかし、ほとんどの犬は他の人とは違う反応や行動をするようになります。大人しくなったり、飼い主さんいわくいつもと違うおりこうさん、今日はできるモード、従順にしているなどといった行動になる犬たちがいます。


 しかし逆もあるのです。前述した「人には吠えたことがないのに吠える犬」と同じように、他人に対する反応がいつもより過剰になることがあります。
 こういう激しい行動が出たときには「わたしの後ろに100頭の犬がいるような感じですから」とか「他の犬に対する反応を同じ反応をされますから」という冗談ともつかないような説明で一旦は納得してもらいます。

 この不思議な犬の行動に注目されすぎると今日やりたいレッスンが不十分になるからですが、本当はこの犬の反応は犬の社会性を表現する大切な行動です。他のトレーニングを進めるうちに、この不思議現象も次第に理解できるようになります。


● 犬が感じているのは何なのか?

 タイトルには犬が見ているとしましたが、正確には犬が感じている世界は何なのかということです。もう少し科学的にいうと、犬が感知している環境は何なのかということです。その感知した環境の因子のひとつがわたしという“人間”です。

 もちろん、犬たちはわたしのことを人として間違いなく感知しています。まさかゴジラだと思っているわけでもないし、未知の生物と感知したわではありません。そして、一番疑いをかけられる「犬と間違えているのではないか」というわけでもありません。

 犬は臭いの動物です。確かにわたしは日常的にいろんな犬の臭いを衣類につけています。毎日洗濯はしていても、わずかに残った犬の臭いがついていることは間違いありません。犬が衣類の臭いをかいでいるときは、わたしに関心があるのではなく、今つけてきた犬の臭いに関心があるのだなということはわかります。だからといって、わたしを犬と勘違いしているということはありません。

 遠くで吠えられることもあります。逆毛を立てられることもあります。臭いがとどかないような状況でも、瞬時に吠えられることもあることです。犬に関心はありますが、凝視して相手を挑発するような行為をしたわけではありません。戸口の向こうにいてまだ会ってもいない相手に吠える犬は、一体なにを感知しているのでしょうか。

 こういうときに「オーラが見えてるんですよね!」といわれることがあります。気のようなものですね。戸口の向こうにいる相手に対してただならぬ気を感じて吠えているというのでしょうか。いやそこまで強い気を発するほどの人間でもありません。いたって普通の人間なのです。

 犬の先生が来ると飼い主さんが意識していたため、その飼い主さんの意識が犬に働きかけたのかもしれません。ただ、そうともいいきれません。同じ仕事なのにスタッフの訪問ではこうした行動が見られなかったからです。

● 犬の隠れた社会性を観ること

 こうしていろいろな状況を冷静に考えてみても、今まで人に吠えたこともないという犬が、まだ会ってもいない状況下で吠えるのでしたら、それはかなり高い犬の環境を感知する能力であると思います。オカルト的な意味ではなく、どのように感知しているのかは不明だとしても何かを感知したのでしょう。

 対面したときに明らかに犬の反応が他の人と違うことについては、ある程度説明ができます。なぜなら、自分が見ている犬というのは、見るではなく観るです。しかも、外側のかわいい容姿や形を観ているのではありません。知りたいのはその犬の性質について、特に社会性についての情報です。

 もしかしたら、犬はわたしが何を観ているのかを感知しているのかもしれません。そして慌てふためいて吠える犬は、何かを見透かされてるのを恐れているのかもしれません。自分にとって一番怖い相手は、自分のことを見透かしてしまう人です。犬という動物は、人に対して表面的にはお利口さんに言う事をきいているように見えても、実際には本来の社会的な服従関係にはないこともあります。それは観ればわかることです。

 ということで、もしカウンセリングに伺ったときに犬が他の人とは違う反応をしたとしても、決して驚かないでください。あなたの犬は環境がいつもと異なることを感知する能力を持っていて、それをあなたとの関係の中にも使ってきたということです。それは安定した関係を築く能力でもありますが、バランスを崩せば不安定な依存関係に発展していることもあります。

 こうしたなんでもないけどいつもと違う行動には、犬を知る上での重要なメッセージが隠されています。そのメッセージ受け取っていますか?

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お盆の犬のお預かりクラス:犬たちの夏のお昼寝は体調管理のために

 お盆に入り七山校周辺はますます涼しくなってきました。福岡佐賀方面では雨も降りました。一雨ごとに涼しくなれば、犬たちが活発になるあの秋がやってきますので、雨もまんざら悪くはありません。
 このお盆の間に帰省する飼い主さんたちから離れて、七山の季節を楽しみにやってきた犬たちが数頭います。その犬たちの姿を見ながら、あることを考えました。

● お昼寝してますか?

 まだ秋が深まるまでの間、どんな犬にも、そして多分人にも大切な時間といえば、お昼寝です。日中休みなく働いていらっしゃる方々には申し訳ないのですが、みなさんはお昼寝されるでしょうか?

 お盆のある日、数頭の犬たちがお預かりでいっしょになることがありました。2頭は数年来のおつきあいで気のおける仲間、そのうちの1頭と子犬の方もなんどか顔を合わせて距離を保てる関係ということで、テラスや室内に犬たちをセパレートして過ごしましたがとても静かに過ごしていました。

 交代で散歩や相手をしたり、草刈をいっしょに過ごしたり、それぞれにお昼のオヤツを食べたりしてまったりと過ごしていたのですが、昼過ぎの13時くらいになるとなんとなくわたしを含める全員が活動停止モードに入りました。

 それぞれの場所でそれぞれに始めたお昼寝です。昼寝のポーズも時間を経て少しずつ変わってきます。立ち上がって部屋の中を歩いても犬たちの方は起きませんが、少し気配が大きくなると起きてしまうので睡眠の深さはそれほど深くないようです。犬たちのうちの一頭はおちびさんだったので、寝言を言っていました。

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● 犬の昼寝の機能とはなんだろう

 犬という動物をいろいろと観察していると、もしくは日々観察する飼い主さんに話しを聴いてみると、犬とひなたぼっこが切り離せないように、犬と昼寝という関係もかなり深いつながりがあるようです。確かに動物の活動時間は、陽が上っている間、陽が沈んでいく間の朝夕です。夏場は太陽が高いところにある時間が長いため、その時間は活動を停止しています。

 動物は自分の内側の作用、つまり欲求に対して純粋に反応しています。人に飼われる犬ですから、飼われていることがストレスになるのですからストレスによる欲求の変化や行動の変化というのはある程度あります。その犬にかかるストレスを少し横に置いて考えると、犬の活動性は太陽や気圧によって左右される犬の中にある自律神経による調整によって行われているように感じるのです。

 たとえば、太陽が出ているときは自律神経の交感神経が活発になります。交感神経は活動の神経なので、太陽がのぼっていれば活動が高くなるように思えます。しかし実際には熱帯低気圧が迫ってくるこの季節は気圧が下がるため副交感神経が活発となります。副交感神経は休息の神経なので活動が低下します。そのため、犬たちも低気圧の多い夏の季節、特に気圧の下がる日中には昼寝が多くなるという仕組みのようです。

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● 睡眠の質を高めるためによいお昼寝をしよう

 人は行動を情報操作によって左右され考えて決めてしまうことがほとんどです。たとえば、テレビでこれが老化防止に効果があると紹介された食品がその日のうちにはスーパーに山積みされています。つまり売れるからです。

 睡眠についても同じような傾向があります。昼寝は短い方がいいとか長い方がいいとかいろいろと情報がたくさんありますね。情報によって正否を決めてからでないと行動できなくなってしまった人と違って、犬の方は自然体です(ストレスの低い犬のことです)。

 自然体の犬は昼寝の時間を決めていません。好きなときに寝て好きなときに起きています。言葉を変えると体の要求に応じて寝ますし、体の要求に応じて起きています。ただ、犬が自然に寝たり起きたりしたいと思っても、周囲の環境が不安定だと動物は寝ることはできません。

 犬の周りでは常に人間が活動しているわけですし、その人間が環境の安全の確保した状態で、部屋に閉じ込められているとかつながれているとか柵の中に入れられているのです。環境を飼い主などの管理人に委託しているといえばいいでしょうか。

 ところが人はなかなか日中にゆっくりとすることがありません。行動は止まっていても脳内は常に活動しているのが人という動物です。妄想も含めて人の脳はなかなか止まることができません。一番できることは、自分も昼寝をしてしまうことですが、今度は人が昼寝をすると犬よりも熟睡しすぎてしまうため管理人として不十分となり、犬の方が起きてしまうことがありますね。人もいっしょにお昼寝はおすすめしますが、犬の気配ですぐに起き上がる程度のちょっと横になって浅く眠ったり起きたりするという術を身につけるといいでしょう。

 実はわたしは大変長い間このタヌキ寝入り状態で過ごしてきました。犬を管理する施設で働いていたので夜でもいつも犬の気配で犬舎を確認しに行ったからです。若いからできたことですがとても疲れる仕事でした。当時は人手がなく毎日のことでした。しかしこの術は今とても役に立っています。犬たちの昼寝のときにタヌキ寝入りでうまく休息をとることができます。夜も短期間ですからこの状態で寝ています。ちょっとした犬の気配でも起き上がることができます。

 夏の昼寝は犬の疲れを回復させてくれます。お留守番中には犬は十分に休めていません。たいていの犬は緊張して過ごしています。前脚や後脚をずっとなめている犬もいます。体をかき続けている犬もいます。雨の日や太陽の高い日にお出かけの予定がないなら、お昼は犬のお昼寝につきあってあげてください。今年も犬の夏が終わっていきます。あと少し体をゆっくりと休めて、活動期を迎えましょう。

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どの季節を生きているのか:犬との暮らし時間の差を越えるために

先日あるご家庭で「一番暑い夏は越えましたね。もう秋ですからね。」というと
「少し季節が早いのですか?」と尋ねられました。

お尋ねの理由はわかります。福岡では、また夏まっさかりというほどの暑さなのに、
もう秋ですからねというのは不思議ですね。

理由は、週の半分くらいを七山に戻って過ごしているからです。

実はわたしも七山に来たばかりのとき、山の手入れについて土地の方とお話しているときに
季節の違いを知りました。
自分が夏だと思っていた8月の中旬は、山の人にとっては秋の始まりなのです。

単なる価値観の違いではなく、肌を通して季節の違いを感じます。


8月7日に立秋を過ぎて、七山ではすっかり秋の風を感じられるようになりました。

まだ蝉の声が一日中響いてはいますが、ツクツクボウシの声が聞こえるようになりました。
この声を聴くと秋が近付いているというお知らせを受け取ったような気持ちになります。

棚田の稲穂は頭をしっかりと下げています。

栗や柿の実は枝がたわむほどになり、いくつかは青いまま落ち始めています。
雑草は夏枯れを終わり、まだまだ最後のひと葉を広げようとします。

山の斜面にオオスズメバチが巣を作ってしまい、山歩きのコースの変更を迫られました。
これが最近の一番の山の悩みです。
ハチは10月にかけて巣を大きくしていきますので、ハチの数が増えるのはこれからです。
これも季節の流れです。

この季節の移り変わりは、街中のファッション店の季節の先取りと同じ速さですが、
肌を通して伝わってくる感覚は全然違います。

この季節感を全身で味わえるようになって、やっと私も8月のこの季節に秋が始まったと
思えるようになるのに何年もかかりました。

犬たちが季節を情緒的に受け取っているのかどうかはわかりません。
ただ、犬たちが太陽や風の移り変わりを毎日感じていることは確かです。

過去にも未来にも執着しない犬という動物ですから、冬のことをうらやむこともありません。
早く涼しい秋になればいいなと思うこともありません。
ただ、今日の一日を体で感じることが彼らのできる最大のことであり、そして最も有意義なことです。

こうして外気にあたって季節を感じることが動物の幸せであると思えるようになったことは、
七山という土地で過ごす時間をいただいたことで体が学んだ大切なことです。

考えると自分にとっては約50回(ここは曖昧に)の夏を越したということ。
犬たちは多くて10数回の夏を越すだけです。
犬の寿命を考えると、犬によっては6回、7回、8回の夏だけだとしても不思議ではありません。

しかし、これはやはり回数ではないと思うのです。

どんな夏をどういう風に過ごして越したのか、やっぱり毎日の生きる質を思います。

人と比べるとほんのわずかな回数しかない犬たちのそれぞれの季節が、
自然とともにあり、季節を体感できるものであるための環境作りは決して簡単ではありません。

でも、どんなことも思わないと変わりません。

まず、犬にとって大切なことは何かを思い、考え、そしてそれを実現しようと願い、行動する。
できなくても今日できることをひとつやってみる、そのくり返しです。

犬の生きる時間の短さを思うと、なかなか人の成長は追いつかないのですが、
気づいて変化しようとする飼い主と共にいるだけで、犬は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

活発なハチを横目に、秋はやっぱりお山のシーズンです。
体験トレッキングクラスも行っていますのでお気軽にご連絡ください。

クウーちゃん山登り

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犬の排泄行動に自由を与えよう!:ペットドアを使って広がる犬の世界

犬が室内飼育であったら、安全に導入していただきたい犬用の道具があります。

ペットドアです。ペットドアはいろんな意味で犬の世界を変えるすばらいい道具です。


● ペットドアって何?どうやって使うの?

 ペットドアとは、室内と庭やテラスやべランドを仕切る戸口につける犬猫専用のドアのことです。室内の部屋と部屋を行き来させるためにも使われることがありますが、今ここで重要性を説明するのは屋外と屋内をつなぐドアにつける犬用の出入口です。

 使いやすいタイプは、網戸に設置するタイプです。引き戸のサッシの間に挟むものもありますが、留守中のセキュリティの意味からも現実的ではありません。ペットドアは飼い主が室内にいるときに使用するものと考えると、網戸の一部にペット用の戸口をつければいいということで十分です。

ペットドア

 このペットドアをつけることで、犬は庭やテラスやベランダという屋外へ飼い主の手を借りずに行くことができるという権利を獲得します。ペットドアをつけなければ、庭に出るたびに飼い主に扉を開けるように要求する必要があります。犬によっては戸口の前に座ったり、気づかないと扉に手をかけて音を出したり、扉の前をウロウロしたりします。しかしこれも、伝える力の高い犬の行動です。

 他の多くの犬は飼い主に上手く庭に出ることを伝えることができずに、すぐに諦めてしまうのです。これもあまり気づかれていないことですが、じつに簡単に諦めてしまいます。犬の生活が飼い主不在ではなりたたない自律性の低いものなので、庭に出たいと思っても立ち上がって扉の前に座ることができないような状態に追い込まれてしまう、それが今の犬たちの姿です。ペットドアによって飼い主が犬の外に出たいという欲求に気づかなくても、犬は飼い主を気にすることなく庭やテラスに出ることができます。

 生徒さんにお願いしてご自宅の様子を撮影していただきました。短いビデオですのでご覧ください。
ペットドアを使って庭と室内を行き来する犬(動画)
※you tube に投稿した動画へリンクします

● ペットドアによって変化する犬の行動

 この自由行動によって一番先に変化するのは、排泄をどこでいつするのかという生活習慣です。庭やテラスなどの家の周辺の屋外に出入りができるようになると、犬は屋外で排泄をするようになります。特に土や草などの自然環境のある庭であれば、比較的早い時期に庭で排泄ができるようになるでしょう。

 この排泄行為によって犬のテリトリーは変化していきます。犬の生活にとって最も大切なのはテリトリーのあり方です。屋外にも犬のテリトリーができることは、城にたとえると堀ができたようなものなのです。これは犬の生活する世界を現実的に大きく変えていきます。

 具体的な変化としては、室内での排泄をしなくなり庭で排泄をするようになります。中型犬以上だったら当たり前のことと思われるこの行動も、自律性の低い小型犬だとなかなか実現しません。散歩中に排泄をするが室内でのトイレで排泄をする行動がずっと続きます。むしろこれをいいことだと思っている飼い主さんも多いようですが、人にとって都合のいい行動が犬の発達の視点からみて良いといえるかどうかは別です。室内で排泄行動を続ける犬は、精神的に人に依存している状態であり、自律性は低いということになります。

 先のビデオに登場してくれたミニチュアピンシャーの犬ちゃんですが、マンションでも使っていたペットドアを戸建てでも使うようになりました。マンションの時にはベランダではひなたぼっこはするけど排泄はなかなかせずに、室内排泄行動がつづきました。しかし庭に自ら出るようになって、現在では庭でしか排泄をしないため室内にあったトイレトレーは不要になりました。

 ベランダでの排泄は、子犬の時期には上手くいくのですが成長が進むとしなくなってしまいます。まだ散歩中に排泄場所を決めていないような時期では、人の管理する空間の中の屋外でするという行動になるからです。犬舎で管理されるような犬たちも、排泄場所というのは決まっているので、コンクリートの上で排泄をします。これも収容管理上とはいえ、犬の習性には無理のある行動です。

 成犬はマンションのベランダでの排泄をしないとしても、ペットドアはマンションでも効果を発揮することがあります。たとえば、よくひなたぼっこをするためにベランダに出て行く犬がいます。ベランダから外に出ることもできないし、強い風、反響する音や臭いなどは動物にとってはとても違和感のあるものです。そうであっても、閉ざされた空間に長く閉じ込められることは犬にとってストレスになるものです。ベランダに人があまり来ないことを知っている犬は、人との距離をとるために出たり入ったりすることもあります。そうであっても犬にとって必要なスペースになることがあります。

 しかしペットドアはやはり戸建てで使用してください。ベランダは安全なようで危険なこともあります。動物はビックリしたら飛び越えられないような柵も飛び越えることがあります。火事場の馬鹿力というものが出るのでしょうが、犬が絶対にベランダの囲いを飛び越えないとは言い切れません。ベランダ使用の方は犬の行動を管理しながら、ベランダを気分転換の場として上手に提供してあげましょう。


●おまけ

 さて、ペットドアの画像を検索していてこんなもものを見つけました。
ペットドアのデザインしたiphoneのケース

 アメリカ製のデザインのドアかもしれませんが、海外ではドアそのものをペット用に加工されていることもあります。こうしたドアのデザインは珍しくないようです。戸建てなのに室内で排泄をさせるということの方がずっと珍しいです。映画にもよく犬を飼っている家が出てきますのでチェックしてください。室内のペットシーツを置いていることは珍しいことなのです。

 ペットドアの利用を通して犬のナチュラルな排泄行動やテリトリーの広がり、犬の自律性について考えるきっかけを作ると楽しく理解が進みます。下の写真は、大きすぎてペットドアがなかったオポのための手作りのペットドアです。

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叱ったら犬が逆切れして吠えるのは何故か?:どうやって叱ったらいいかは飼い主のセルフコントロールが解決

 犬を叱ったら逆に吠えたりとびついてきたり、ひどいときには咬みついてきたりするというご相談を受けることがあります。いわゆる逆切れという状態です。


● ほめてしつけるトレーニングだったら犬を叱る必要はないの?

 ルールに違反したら間違いを指摘することや、興奮しそうになるときにそれを抑えることは犬の成長過程では大切なことです。ほめてしつけるトレーニングにもいろいろあって、その中には犬に間違いをさせないから叱る必要もないというものもあります。これもドッグトレーニング技法のひとつの考え方ではあると思います。しかしこれは成長や発達を促すトレーニングとはいえません。

 叱ることなくほめるたりオヤツのごほうびを与えるだけのトレーニングは、完全管理しているので犬は失敗しないということです。がんじがらめの生活です。たとえば動物園の動物がときどき芸を披露するイベントがあります。海洋動物や哺乳動物もオペラント条件付けで強化すれば特定の芸を覚えます。しかし芸を披露したあとはまた完全管理の檻の中に閉じ込められます。動物園の動物は叱られることはありません。

 叱るというのは、犬との関係を作る上で大切なことです。特に犬が成長の過程の中ではこうした行為が必要になるからこそ、「いつどのように叱るのか」という飼い主としての姿勢を身につけておくことも同時に大事なことなのです。


● 叱ったら犬が吠えたり咬みついたり来るのは理由がある

 犬をきちんと育てるというと漠然としていますが、要するにルールをきちんと教えていきましょうねということです。そのルールを破ろうとしたときには「いけない」という意味で叱る必要があります。もちろん、このルールの導入は、犬に安全でストレスのない生活環境が与えられていることが前提での話しです。犬がサークルやケイジに閉じ込められて長時間の留守番を強いられ、必要なコミュニケーションが与えられていないような環境では、犬にルールを導入することすらできないことは前提の上での生活ルールの導入です。

 犬と人の暮らしに導入する生活のルールや関係性のルールはご家庭によって様々だと思います。その中で、どなたにも導入していただきたい簡単なルールを例にあげて説明します。そのルールとは「テーブルに手(脚)をかけない」というルールです。

 犬がテーブルに脚をのせようとしたときは「イケナイ」といって叱る必要があります。叱る言葉はどんな言葉でもいいのですが、自分が安定して用いられる言葉を使ってください。いつも同じものでなくても構いません。ただ名前を呼ぶだけでは意味を伝えることにはなりませんし、名前を強い口調で呼ばれることはプレッシャーがかかりすぎます。自分の名前を大声で呼ばれるよりは、イケナイといわれることの方が犬にはダメージが少ないのです。

 まずこれで叱る言葉という道具が必要なことを理解できたでしょうか。ですがこれがなかなか上手くいかないようです。つまり、ブログの題名にあるとおり、叱ってもすぐに同じことをくり返すとか、叱るとワンワン吠える、叱ると部屋の中を走り回る、叱ると牙(歯)をあててくるといった反撃を受けてしまうことがあります。理由はふたつあります。まず理解できないという理由です。犬に何がイケナイのかを理解させるためには「叱るタイミング」が大切だからです。

 犬がテーブルに脚をかけそうになった瞬間をつかみ「イケナイ」とうまく言えば、犬は「何がイケナイのか」を理解します。ここでは、その瞬間にというのが叱り方の最初のポイントです。犬の理解力によっては、脚をかけた後に「イケナイ」といってもわかりそうなことですが、ここは動物として何がイケナイのかを伝えるためには、まさにテーブルに脚をかけそうになる、つまり飛びあがった瞬間でテーブルに脚をかける前の瞬間に「イケナイ」の声を出してください。このタイミングを逃すと多くの犬には何がイケナイのかの理解に時間がかかります。どんな失敗も学習経験になってしまうからです。

 本来の犬の状態なら何度「イケナイ」をくり返せばわかるかということですが、おそらく1回もしくは2回程度です。それ以上くり返さないと理解できないのであれば、他の生活改善ももう一度見直す必要があります。犬は飼い主の叱責を理解できずそれをストレスを感じるとワンワンと吠えたり走り回ったりすることもあります。もちろん、同じイケナイ行動をなんども繰り返します。ストレスが強い状態におかれている犬は社会的なコミュニケーション力が低いのです。人も同じなのでここは相似している部分ですから理解しやすいところです。


● 飼い主の状態が犬に影響を与えること

 犬を叱ると逆に反撃されてしまうもう一つの理由は、その叱り方は感情的であるときです。叱る側の飼い主の方が興奮して叱るというよりも怒りになり攻撃的になってしまっているときです。こういうときには犬はこれを受け取りません。攻撃には攻撃や防衛をというのは動物のナチュラルな反応だからです。犬は軽い防衛のポーズをとったり、叱った飼い主に吠えたり、ときにはいきなりとびついて牙をあてることもあります。

 犬を叱っている飼い主が感情的であるかどうかを最も知っているのは犬の方です。犬は人が思っている以上に相手の状態を把握する力があります。たとえば、仕事のときの外出では吠えない犬がプライベートのお出かけのときには後追いをするといったことも、なぜわかるのだろうという犬の理解力です。

 特に飼い主がイライラとしている軽い攻撃モードに入る感情を持つことをすぐに察知します。なぜならその飼い主にはその臭いがするからです。感情の高まりは見えない心の問題でなく、動物のホルモンの状態を変化させます。攻撃をするためにはそれに必要なホルモンがありますから、その放出量が上がってきます。犬が最も敏感に察知する臭いです。

 そんなにイライラしていないよと思ってもそうではない飼い主側の状態があります。仕事で疲れている、処理していない問題を抱えている、家族は夫婦間の折り合いが悪い、子どものことで悩んでいる、近所の人から不快なことをいわれた、テレビで不安になるニュースを見たなど、人もいつもストレスにさらされているのです。

 このストレス社会の中で、人の方がリラックス状態を保てずにいることがあります。そのストレス状態にさらされている飼い主が、普段から問題行動を起こす犬のルール違反に対して必要以上の感情が上昇してしまることがあります。そして結局この叱る行為によって犬は興奮し、再び飼い主はストレスを受けることになります。全くの悪循環です。

 いろんな事情はあるかもしれませんが、まず飼い主の方が自分の毎日の心身を健康に保つことに戻ります。まず、自分が安定した状態であること、そして、犬にも安定した生活ができるような環境を整えることです。その上で生活のルールを決めること、そして生活のルールを伝えること、その中に叱るという行為が登場します。

 犬を育てること、犬のしつけ、犬のトレーニングなど、犬との関係性を築いていくどんなときにも自分(飼い主)が犬に与えている影響について考える視点を持つ事がこの問題の解決のポイントです。いいかえれば、犬にとって飼い主はそれだけ重要な存在であるということなので、謙虚にまた楽しく犬から学びたいものです。

 戦国の武将、武田信玄の格言にもこんなものがあるそうです。「組織はまず管理者が自分を管理せよ」。犬と人のグループは仲良しグループではないのです。毎日危険と戦いながら安全を確保し、そして楽しく暮らす家族というひとつの組織です。犬を家族とするグループの武将として襟をただしていきましょう。


カレンお外2

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渋谷の忠犬ハチ公は普通の野良犬だったという事実:犬のFACT(ファクト)をそのまま尊重することについて

 先日レッスン中に飼い主さんと、犬の服従性の発達の重要さと依存的な行動の違いについて説明をしていました。そのとき飼い主さんからハチ公の名前が出て「えーー!本当ですか?!」という意外に大きな反応をいただいたので、今日はそのハチ公をテーマにお話しします。


● ハチ公は本当に亡くなった飼い主を待って渋谷駅に通ってきたのか?

 そもそも、ハチ公が忠犬として銅像を立てられ、教科書に「恩を忘れないこと」を教えるための教材として取り上げられ、そしてついにあのリチャードギア主演の映画にまでなってしまった理由は、ハチ公の忠犬としての涙なくしては語れない物語にありました。

 そのハチ公の物語とはあまりにも有名なのでここで説明するまでもないでしょう。つまり、勤務先で亡くなった飼い主の死を知ることもなく、飼い主の帰りを待っている飼い主に忠実な犬「ハチ公物語」です。犬が飼い主に忠実だというのは、ハチ公が物語になる前から取り上げられていることです。

 故事にも「飼い犬に噛まれる」というものがあります。恩を仇で返されるという意味のことわざです。犬は飼い主に忠実であるということが前提でのことわざですが、忠実といっても様々な形があります。3日えさをもらうと3年恩を忘れないなどといわれることもありますが、確かに食にありつける場がないときに、3日もえさにありつければえさをくれた人を長い間忘れずにまた通ってくるというのは、イヌという動物の知性の高さによる行動そのものです。

 しかし、ハチ公の忠犬性は食べ物とは切り離されて報道されていました。老犬のハチ公は飼い主の死も知らずに毎日渋谷駅へと通ってくる恩を忘れない犬として紹介されたのです。もともとハチ公は秋田犬だったのですが、その秋田犬を見た日本犬協会の役員が朝日新聞に忠犬物語として紹介した記事が掲載され、ハチ公ブームが巻き起こったのです。

 しかし実際のハチ公は、飼い主の死後一旦は別の家に引き取られたがその家にいつかず、結局元の家に戻されたが駅近くをうろついていたということです。というのも渋谷駅前には当時夕方になると屋台が出ていたからです。最初の飼い主も屋台を利用するうちにハチ公もおこぼれにあずかり、そのうち飼い主がいなくとも屋台で焼き鳥を食べる客から焼き鳥をもらっていたのでしょう。実際、ハチ公が死亡して解剖されたときには胃の中から焼き鳥の串が3,4本出てきたという記録も残っているようです。

 お腹もすかせて飼い主を待ち続ける忠犬ハチ公ではなく、大好きな焼き鳥をもらいに渋谷駅に通い続けた野良犬ハチ公だというのが、本来のハチ公の姿なのでしょう。こちらの方が犬としては本来的な行動であり、とても納得のいくものです。

ハチ公

● ハチ公をめぐる誹謗中傷事件もあったこと

 そのハチ公をめぐって誹謗中傷が起きていた事実もありました。つまり、ハチ公は渋谷駅の屋台の食べ物を狙っていた駄犬であって忠犬ではないというものだったようです。この誹謗中傷には、各団体の利権争いも絡まっていたようで、こうしたものはいつの時代にも起きていたのだなと権威や利益を争う人々の思惑が見え隠れします。

 背景やハチ公の残されている行動を見れば、ハチ公が餌をもらうために渋谷駅をうろついていたことは間違いのない事実でしょう。かといってハチ公が忠犬でないということも筋が立ちません。飼い主に可愛がられ、飼い主と共に立ち寄った焼き鳥屋で焼き鳥をもらい、飼い主の亡きあともその屋台の客らに可愛がられて焼き鳥をもらっていたハチ公は、それだけで忠犬であるからです。ハチ公は飼い主の家に居つかない野良犬であり、そして亡くなった飼い主にとっては忠犬でもあったのです。

 ハチ公をめぐる事件については、以下のホームページで当時交わされた手紙を取り上げて詳しくとりあげられています。
★参考資料★
忠犬ハチ公への中傷事例について←「帝國の犬たち」ホームページに掲載されています。


● 普通の野良犬だったハチ公の事実が広がらないメディアの報道と人々犬に求めるもの

 ハチ公が野良犬であった事実について、中傷されなければいけない理由はどこにもありません。もしあるとすれば、ハチ公が特別の忠誠心を示した犬であるという報道に対して、それはうそではないかという騙されたことに対する思いからくるものであればわかります。もしそうであれば、それはハチ公やハチ公の飼い主に対して向けられるものではなく、報道したメディアやそれを考えなくそのまま広げてきた各所機関に対して一旦は向けられるかもしれません。

 しかし、その次に向けられなければいけないのは自分に対する質問です。自分自身がこのハチ公の感動の物語を聞いたときに「これは犬としては何かおかしくないか?」という違和感を覚えられなかったほど、犬についての理解が進んでいなかったという事実を認めるのが先決です。その上で、ハチという犬がそのままで亡き飼い主や地域の人々とそれなりに関わりあいながら野良犬ハチとしてよい日々を送っていたのであれば、それはそれでいいではないでしょうか。

 むしろ、ハチがハチ公として新聞に取り上げられた後、まだ生存していたハチを見ようと見物人がおしかけることがハチの人生を変えてしまったであろうと悲しく思います。ハチ公の銅像は人々の善意の募金によって建てられました。ハチは亡くなったあと解剖され剥製にされて保存されています。ハチは剥製にされることを望んだのでしょうか。これは人の善意なのでしょうか。

 犬は本当にすばらしい動物です。ハチもきっと人にとびつく多少怖がりの傾向のある犬で、でも上手にみんなに大好きな焼き鳥をもらって生きていたのでしょう。その生をそのまま尊重できるような価値観は、これからも犬を救うと思います。

 さて、名犬ラッシーは本当に名犬だったのか。ぜひ疑問を持って犬の事実をしり、その事実の中から犬がどのように扱われてきたのか、もしくは犬として尊重されてきたのかという事実を組みとっていくと新しい見方が育ちます。犬には不幸な歴史もたくさんあります。それは大きな学びなのですが、それすら見えなくなってしまい、人は犬を愛している、犬も人のことが大好きだという妄想に浸るよりも、真実の中に犬のすばらしさを見出して行きたいと思います。

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犬の光線療法:太陽の暖かさでトラブルを助けてもらうこと

 ちょっとした失敗もすぐには口に出せないものですが、わたしは比較的すぐに口に出すようにしています。その方があとに残らないし、自分でも納得できるからです。実は先週、そんなことがありました。


● 草刈作業で腰痛になったこと

 庭と山の間部分になる斜面が少しずつ藪になってきていて、その藪を撤去しなければいけない時期になりました。もっと早く対応すべきだったのですが、忙しさと疲れでついつい後回しになったのですが、ついにこの数日で片をつけようと思ってうちにあったものでは重たく鋼が回るのであまり得意でない草刈機をもってほんの少し作業をしました。おかげで一部だけきれいに草刈りができたのですが、その夜から異変が起こりました。

 体が思い、熱っぽい、むくみがひどい。苦手な草刈機を使用したあとなのでこのくらいは仕方のないことと思いつつ、オイルマッサージなど少しして一晩越えると翌日の朝は起き上がれません。それでもゆっくりと起き上がって仕事に出かけ、次の日の草刈はさすがにやめて静かにしていました。それでもさらに2日後、草刈をした4日後にヒーリングをさせていただいた後に自分の体にも大きな異変が起こりました。腰部に激痛が走り吐き気を催すほどでしたので、これほどの強い痛みは10年に1回くらいかなと思えるほどの痛みでした。


 ● ヒーリングが治癒を高めることで痛みが強くなること

 タッチヒーリングは自分にもすることができます。むしろ自分に一番すべき行為です。自分のことばかりということではありません。癒しというのは不思議なもので、自分から波及するようにつながってひろがっていくのです。豊かな自然環境はそのものが癒しの場になりますが、場として存在するだけでなく、ひとつひとつの生物、土、生き物、風、水、太陽がつながりあってひとつの癒しの場というのをつくりあげています。自分もそのひとつであるだけです。だから自分に癒しを受けられないような状態では、他者への癒しは広がりません。自分が一番というのではなく、自分の全体のひとつとして捉えるということです。

 ドッグヒーリングのクラスを腰痛がある程度おさまっていると思ってさせていただいたことから、自分への治癒効果が高まってしまいました。それで激痛が強くなったのでその最中は立ち上がれないほどでしたがほんの数時間です。痛みは治癒のシグナルであるという気持ちがあるので、痛みが出たから大丈夫という安心感もありました。それでも、日々の仕事がありますから、痛みをゆっくりと経過させていくために、ヒーリング中にも使用する光線を自分に当てることにしました。

にこちゃんの光線
 ● 光線療法とは

光線療法といわれる道具をグッドボーイハートでは使用してます。コウケントーという名前の道具で、通販で気軽に購入できる道具です。人の整体院などでもよく使用されているようです。グッドボーイハートは治療院ではありませんので、健康のための補助道具としてタッチヒーリングの始めにご希望があれば使っていただいています。この光線にあたって自分の腰痛をやんわりとさせることにしました。

 光線のしくみについてはここで説明するよりも株式会社コウケントーのホームページをご覧いただいた方がいいでしょう。実際にその光に当たってみるとその感じ方もさまざまのようで不思議です。敏感体質であるわたしの場合は、手足の先がビリビリとするような感じです。しかし心地いいです。即効性のあるような薬ではありませんが、実際にいろんな治療に使われています。よく温灸と同じと思われますがまず熱の伝導の仕方が違います。温灸は伝道という方式で一箇所からひろがる、光線は放射という形で伝わります。熱の伝導率は光線の方が高いということになります。それぞれということでしょうが、古くからある日本製の機械で気軽に使えるとうことでお薦めします。

 実は犬たちも結構おとなしくというよりも、みずからこの光線に当たろうとすることもあります。毛の色や皮膚の色の変化、生活環境の変化で太陽の光が少し足りないということもあるのかもしれません。コウケントーを発売する会社の別団体として光線療法を使用した論文のような新聞を送っていただくことがあるのですが、犬や猫やうさぎも光線にあたっている写真がときどき紹介されています。

 手当てや光線療法で復活をはかるわたしですが、今回の腰痛での撃沈は精神的にも応えました。腰痛だけだと思っていたら、その後足の筋肉にも筋肉痛がでたのです。中年になったというお知らせなのでしょうが、今後は鎌をよく磨いで手作業で復活するしかありません。七山ではもう日差しが弱くなり草がすごい勢いで伸びてきています。草との境界線争いはまだ続きます。

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ヤマカガシと犬のオポのこと:犬がヘビに咬まれないようにするためには?

 夏休みで子ども達が活動中です。小学校高学年の子どもが毒ヘビにかまれたことがニュースになっています。自然環境の中で野生生物に接してケガをすることもありますが、大事にいたらないように注意をすると同時に、もっと深く自分たちに起きていることを考えてみます。


● 毒蛇はどんなところにいるのか?ヤマカガシはなぜ咬みつくのか?

 先日子どもたちが咬まれたヘビはヤマカガシというヘビでした。ニュースではものすごく恐ろしい毒ヘビだという印象を与えるような表現をされていましたが、ヤマカガシはずっと以前から日本の山里に生息しています。というわたしも、ヤマカガシという生物をしっかりと認識して見ることができるようになったのは、七山に移転して山歩きをするようになってからです。

ですから、ヤマカガシという生き物が山里遠く生活する人々にとっては、その存在すら忘れられてしまうような存在であることも理解しています。

 ヤマカガシという名前のカガシとは古語で蛇という意味があるそうです。昔はヤマカガチとも呼ばれていたそうですね。カガシや案山子とも関連があるという情報もありましたが、正確に確認できませんでした。いずれにしても、ヤマカガシは古来から山の中に生息する山を守る生物として認められてきたことは確かのようです。
蛇は山の神様ともいわれる存在なのです。そのヘビを毒物として遠ざけずに、古くから山に生息する生き物としてその存在をありがたいとまでは思えなくても、ただそこにあるものとして認める姿勢はもっていたいものです。

 ヤマカガシは確かに毒を持ちます。奥の牙に毒性をもつため、強く咬まれることがなければ、つまり軽い威嚇で前の牙が当たる程度であれば大丈夫ということもできます。ただ攻撃には攻撃をという姿勢を持つのは生き物の生き残る手段です。ヘビも種類によって多少の気質の違いはあるでしょうが、ヤマカガシの場合は「激しい」といわれることもあります。
でもヤマカガシの一番の手段は、やっぱり逃げることなのです。毒性があるのも、相手を殺戮することが目的ではなく相手を一瞬ひるませておいて、そして自分は逃げるための防衛の道具です。

 今回の子どもたちのヤマカガシに咬まれたいきさつは、ヘビを捕まえたり手で掴もうとしたとニュースにはありました。ヘビを捕まえて持ち帰ろうとする子どもさんの気合には敬意を表します。咬まれた子どもの方は良い勉強になったということでしょうが、今の世の中ではなかなかそうはいかないようです。
病院では毒ヘビに咬まれたときの血清があり、ほとんどが血清で対応されることになります。ですがこれもショック状態に陥ることもあり、必ずしも安全な処置とはいえないものです。


 犬の場合はどうでしょうか?犬が毒ヘビに咬まれるなどと想像しただけで、ぞっとされることでしょう。実際に犬がマムシに咬まれたあとの回復力の速さは、人がかなうようなものではありません。やっぱり犬なんだなと思うような回復を果たします。しかし、犬によっては犬だから大丈夫ということでもありません。大丈夫ではない犬はどのような犬かというと、まず薬を多様している犬です。薬の使用は動物の免疫力を落とします。特にステロイド系の薬を使用している動物にとって生物の毒は要注意です。

 また純血種の犬たちは免疫力が低いため要注意です。純血種というのは遺伝子の小さなプールの中で繁殖を続けていますので血が濃いということです。雑種が環境に対して抵抗力を強めて進化していくのに対し、純血種は生物学的に限られた枠の中で育てられたものです。当然のことですが免疫力は弱くなっています。
その親犬やさらにまた上の犬たちもずっと予防薬やワクチン接種を続けていれば、さらに免疫力は弱くなります。こうしたくり返しが続いていますので、純血種の犬が生物の毒に対応できるのか、もはやわかりません。純血種の犬たちはそれごと自然の生態系から切り離されていく存在だと思うと、とてもさびしくなってしまいます。


● ヤマカガシは本当に怖いのか?ヤマカガシと犬のオポのこと

 そのヤマカガシと犬のオポの実話です。

 その日、わたしとオポはいつものとおり裏山(尾歩山(おぽさん))を散歩していたときのことです。山の一部に急なところがあり、ゆっくりと歩いていたのですが急に視界が広がったようになった場に出ました。

 わたしの前を歩いていたオポのすぐ前に、長いものがパッと立ち上がりました。それも突然出てきた感じだったのですが、見るとヤマカガシが高く首をあげています。いわゆる鎌をあげるという状態です。鎌のような形になっていました。

 いっしゅんのことでしたが、わたしもオポも立ち止まりました。ヤマカガシはその位置からオポまで飛びかかることのできる生き物です。もちろん、わたしも大変緊張していて思考を失ってしまいました。数秒そうしていたあと、わたしが後ろに数歩下がるのと同時に、オポも向きを変えずに後ろに数歩下がりました。その瞬間、ヤマカガシもすっと後ろに下がるように消えていったのです。

 そしてまた数秒がたったでしょうか。オポはゆっくりと前歩いていた速度と同じ速度で進み始めました。ヤマカガシがまだそこにいるなら、オポが前進するわけはありません。オポを信頼し、わたしも共に進みました。もちろん、ヤマカガシはもうそこにはいませんでした。

 私達の登場でビックリしたヤマカガシが鎌を上げ、私達の後退を受けてヤマカガシも逃げる選択をしたということです。山の中ではこうした突然の遭遇が一番怖いのですが、そのときにも冷静さが必要です。

 オポは都会暮らしでヘビに咬まれたことも、ヘビの臭いをとりにいったりしたこともありません。むしろ都会暮らしのときに山や川に遊びに行っていたときは、興奮が高く近くにヘビがいてもあまり見えてないように行動していてハラハラとしたこともあります。

 そのオポが七山で暮らすようになっていろんな急激な変化が彼の中に起こりました。そのひとつが野生生物に対する配慮と反応です。配慮というと擬人的な臭いがありますが、気遣いというよりも、環境の全体を捉えて刺激を求めない行動ということです。

 そうした自然環境とのかかわりの中でオポは自然に野生生物に対する態度を変えていきました。オポにとって鎌をあげるヤマカガシという生物は、図鑑で学んだりネットで知識を得たりする必要のない対象です。生きているものがいる、相手が防衛、攻撃の臭いを発していれば、まず近付かない、脅かさない、距離をとるという自然な反応です。わたしが「あれはね、ヤマカガシといって毒があるから近付いてはダメよ」と教えることもできません。

● 犬に対して「ヘビには近付くな」と教えることができるのか

 こうしたオポのしたような犬の反応を他の犬に望むことは、現実的ではありません。ずっと都心で閉じ込められて生活している犬に、いきなりそれを要求するのはフェアではないと考えるからです。ただ、本来犬に備わっている機能性として、いつかあわられてくれたらいいなと思いつつ希望を持って進むしかありません。犬の持つすごい本能という機能性と能力を引き出すための方法は、あります。

 それは、自然の中での過ごし方にあります。トレッキングクラスで取り入れている過ごし方は、自然の環境に沿うやり方です。そしてわたしたち人の方も、少しずつ自然との距離を縮めながらお互いの距離というのをはかる必要があります。そして周囲にあるものを感じたり認めたりすることから始めることしかありません。それはゆっくりと歩くということです。

 若い人たちが森の中で音楽フェスティバルを行ういわゆるフェスというスタイルが楽しいというのはよくわかります。自分も若いころに一度行った事があります。わたしはあまり楽しくなかったのですが、開放感があって周囲の自然に癒されながら激しい音楽を聴きたいという若者の単純な欲求です。
 でも今は音響設備も発達しています。ステレオやマイクを使って人工的に人の声ではあり得ない音を作り出してしまいます。映像を見ていて思うのは、その音を聞かされる森に住む動物たち、昆虫たち、木々や草、そして山そのものはどう受け止めているのかということです。願わくば、そのフェスティバルのために木々を切り倒すことだけは止めて欲しいと思います。

 犬は大騒ぎするようなフェスティバルにいっても喜びは得られません。自然のリズムが犬のリズムなので、ゆっくりと響き渡る音響を使わないピアノや笛やヴァイオリンには耳を傾けてくれるかもしれません。

 犬に沿うように過ごし方を変えてもよし、人の過ごし方が変化してそれに犬たちが沿うてくれてもよし。いずれにしても、自然を丸ごと感じることが自分の身を守ることにつながっていきます。そして、その過ごし方は、不思議ですが家庭の中にも流れていきます。

 くれぐれも、興奮しやすく走り出してしまう犬を山に連れていくときには、まず動きの制御を忘れないようにしてください。そして環境を知るためには、犬を連れていろんな山に行くのではなく、同じ場所に何どもでかけて庭と思えるほど、その土地を身につけるようにされることをおすすめします。それは、あまり楽しいことではないかも知れないけれど、その変化しない環境の中に楽しみが見つかったときが最高に楽しいのです。

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