日本のイルカ猟についての実態を明らかにするドキュメンタリーとして紹介されている「コーヴ」という映画は、日本では上映場所も限られていたようなので見られた方も少ないのではないでしょうか。
予告編ではイルカ猟で海が血の色に変わっていくシーンが放送されていて、予告編を見ただけで映画を見ることを躊躇してしまった方も多いと思います。
わたしもいつか見たいと思いながらそのままになっていたのですが、今回コーヴを見ることができました。
結論から言えば、動物に深く関わっている人にこそぜひ見ていただきたい映画です。
それは、この映画が正しいとか、この映画の主張の通りだということではありません。
映画の中で一番興味を持った部分は、取材をする主人公のリック・オリバーがイルカのフリッパーの元調教師だということです。
リック・オリバーが調教したフリッパーが「イルカのフリッパー」で爆発的人気となり、これをきっかけにイルカが水族館などで曲芸を披露するビジネスの道具として使われていったことを、オリバーが大変悔いており、イルカへを助ける活動へ向っていくというその苦しみが伝わってきます。
動物を訓練や調教した人の中には、人側に立ちすぎた行き過ぎた訓練や人が楽しむために仕込んだ芸について、後悔の気持ちを持つことがあるということは自分に当てはめても十分にあることです。
しかし、その後悔の気持ちを表現する方法として、こういう形での活動を賛同できるということではありません。
また、映画の中ではイルカ猟に携わっている姿勢や視点が全く取り上げていないので、ドキュメンタリーといってもイルカ猟に反対する立場から作り上げられた映画であるということを前提に見る必要があります。
IWC国際捕鯨委員会で行われていることや委員のコメントなどは新しい情報として関心が広がりました。
映画の中では、私たち日本人が一番イルカ猟について理解をしていないのではないかと感じされられることもありました。
イルカ猟についての動物福祉的な問題は、死に至るまでの過程と苦痛が重要なテーマになっています。
牛や豚、鳥といった食用の肉でも、この過程はとても大切なものなのです。
死の恐怖に触れさせることを最小にして、死に至らせることができるのかどうか、野生動物の猟をする場合には、必ず考えなければいけないことです。
この課題についても、映画の中では曖昧な表現が多く、実際に血に染まる海を見ると、動物福祉的な面でクリアできているのかどいう疑問は残ってしまいます。
映画はイルカ猟の一部を取り上げただけに過ぎませんが、自分たちの身近に起きている動物の利用について考える機会になります。
犬は家族として身近にいるため、動物を利用しているという姿勢とはかけ離れているように思えますが、その飼い方によっては犬もやはり人に利用されてしまうことが多いということも含めて、じっくりと考えたいものです。
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<おすすめの映画>ザ・コーヴ
<犬のしつけ方>あの大震災から23年:被災に備える犬のしつけとは
阪神・淡路大震災から23年たったというニュースを終日聞いて過ごしました。
震災でお亡くなりになった方々のご遺族は、どんなに辛い日々を送ってこられたのかと人の立ち上がる強さを思っていました。
震災がいくつも続いていますので、被災時の犬の備えについても考えることが増えました。
あのとき出来なかったこと、ちゃんと学んでこれだけはということもお伝えしています。
被災に備える準備として、備品の配給については最近は大変早いスピードで供給されているようです。
むしろ被災地へのたくさんの救援物資で混乱を生じている現実を体験しました。
被災に備える準備として日常的に行っていなければできないことがあります。
これだけはどうしてもやっておいて欲しい犬のしつけ、お分かりでしょうか。
犬のクレートトレーニングです。
クレートをハウスとして使用するため、ハウストレーニングといわれることもあります。
室内で生活する犬には必須の生活道具です。
このクレートの利用がなぜ被災に大切なのかというと、被災時に移動の際に犬のためにテリトリーを提供する必要があるからです。
クレートを持参していないと、犬は被災場所で落ち着いて過ごすことができません。
車で移動する際にも、クレートを車に乗せた状態で犬にスペースを与えてほしいのです。
クレートを生活の道具として導入する際に、狭いから可哀想だといわれることがあります。
クレートは自分のベッドのようなものなので、ベッドサイズだと思うと決して狭くはありません。
クレートが犬にとってどのような場所になるのかは、その使い方や導入の仕方で決まります。
クレートが安全な場所で、隠れることのできる場所だと犬が受け入れ始めると、不安や緊張を感じたり、少し具合の悪いときなどに自分からクレートに入って休むようになります。
このクレートやハウスの活用ですが、一般的にはまだまだだと感じています。
というのも、犬のしつけやトレーニングで依頼を受けてご家庭を訪問した際に、ほとんどの家庭では犬用のクレートやハウスを上手に使うことができていないからです。
クレートトレーニング開始のときには、被災のときには必ず必要な道具であることを足して説明しています。
クレートは犬を閉じ込める場所ではありません。
クレートというテリトリーは犬の行動に自由さをもたらすものです。
被災時にはクレートが必須をぜひ実現してください。
<クラス>雪山の初トレッキングクラス
昨日のブログでご紹介したとおり、グッドボーイハート七山校あたりは大変な大雪でした。
大量の雪はまだ解けきれておらず、引き続き外は真っ白で室内は鏡に照らされたように明るくなっています。
しっかり積雪すると犬たちを雪の中に連れて来たいと思ってしまいます。
この大きな自然の景色の中に犬という動物がいてほしいという単純な気持ちからです。
気持ちは単純なのですが、実現するのは大変です。
積雪しそうなんですけど、七山まで犬を連れてきてくださいとはなかなか言えないからです。
自分の車は4駆でタイヤも冬用に履き替えていますが、福岡・佐賀近郊のみなさんの車は2駆でノーマルタイヤが一般的です。
観音の滝あたりまで起こしいただければ、こちらで送迎して雪山歩きに来ていただいたことがありました。
実は今回もトレッキングクラスが数件入っていたのですが、コンディションが読めずお越しになったのは1家族だけでした。
積雪はあったけど吹雪はなく、路面の状態も良い上に山には雪がどっさりというベストな雪山になっていました。
実は今回、始めての七山トレッキングクラスにご参加の犬くんとご家族でした。
最初のトレッキングで雪山となると、多少抵抗があるものです。
この困難を乗り越えられたのは、小学生の子供さんが楽しみにしていたことでした。
雪が積もっていると聞いて、前の日からとても楽しみにされていたそうです。
なんども雪の上に寝転んでいました。
寒くないかと尋ねると、全然寒くない、気持ちがいい!といいます。
さすが子供ですね。自然と一体化しています。
犬くんの方が少しドキドキだったでしょうか。
普段は都市空間のなかで、建物に囲まれて緊張しながらの散歩です。
今日は雪山の中にいろいろな野生動物の臭いを見つけながらドキドキしたことでしょう。
同じドキドキでも、少し違いがありそうです。
普段の散歩コースで会うときには、私に対しても緊張の行動を見せる犬くんですが、トレッキング中はそれどころではなかったようで一緒に山歩きをがんばりました。
一生懸命やらなくちゃいけないことがあって、しかも誰からも強制されていないのに自然を向き合う行動というのは、なかなかありません。
犬の場合には、山があって集団で移動すれば自然とその行動をするようにできています。
それが悪路であれ、困難があっても、協力しあって進むしかありません。
我先にと駆け出すと危険が待っているだけですし、動かないと決め込んでもみんながそこに戻ってくる可能性は100%でもありません。
お父さんもお母さんも子供さんも、そして犬くんもみんなでがんばって歩きました。
実は私は小学校低学年まで都心で育ちました。
自然の中で遊んだ経験がほとんどありません。
ただ一度だけ、尾瀬の川で遊んだ記憶があります。
今でもその記憶が頭に残っています。
自然の中で体感したことって、大人になっても深く根付いているものです。
子供さんにとっても犬くんにとっても、雪山トレッキングが体と心に大切に刻まれたと思います。
行動をするのは思い出を作るためではありません。
ただ、この瞬間を充実して感動して、そしてちょっとワクワクしていただければ、犬との関係も少しずつ変化していくでしょう。
山の中につくった雪だるまは、数日中になくなっても、無くならない大切なものを持って帰りましたね。
<日々のこと>雪の七山風景
七山に戻ってきました。
予想したとおり、ちゃんと除雪してありましたので道路はとてもきれいです。
この除雪作業の早さが、七山地区の魅力です。
除雪作業は積雪の翌日から毎朝くり返されています。
道路脇の雪の量を見ると、降雪量の多さがわかります。
急いで薪ストーブに火をいれて、七山校前の坂道の雪かきを始めました。
雪かきといっても道具があるわけではなく、プラスチックの道具を使って人力で左右に仕分けていきます。
坂道はこんな感じでした。
写真に足跡がありますね。
動物の足跡です。
ウサギのようなものもあるし、他の動物の足跡もありました。
テラスにもしっかりと足跡を残していきました。
テラスのものはアナグマのようです。
雪のときには視覚的に動物の動きが残されているので楽しいです。
屋根の雪もすごいことになっていました。
こんな風景を見ると大変だろうと想像されるかもしれません。
本当に寒くて大変であることは事実です。
でも、それを上回るものがあるからここに帰ってきたいと思うのです。
とにかくきれい、そしてとても気持ちがいいのです。
この健やかな感覚は、福岡ではなかなか感じられません。
犬は人よりももっと強く、何かを感じているように思うのです。
雪の中でもしっかりと自律して生きる野生動物の存在を知ると、少しだけ励まされます。
今日から気温が上がるそうなので、雪はすぐに解けてしまうでしょう。
次の積雪はいつかな。
<犬のしつけ方>散歩中に他の犬に吠える行動は、他の犬の社会を脅かす
福岡、佐賀近郊の家庭訪問トレーニングに出かけています。
散歩の練習もクラスの内容に組み込まれるため、色々な地域を犬と歩く機会があります。
最近特に感じられるのは、地域の中での犬の数が増え、さらに空間が狭くなっていることです。
空間の狭さを感じるのは、高さのあるビルや家が立ち並ぶことや、公園や空き地、畑がなくなっているからです。
家の数が増えると、車の数が増えて道路の整備が進むと同時に車通りが広がっていきます。
こうした、空間の難しさも影響するのでしょうが、他の犬に出会ったときに興奮したり吠える犬もよく見かけるようになりました。
結論から言うと、家族の犬が散歩中に他の犬に吠えられることがないようにしましょう。
今すぐにできることは、そのような犬に遭遇しないような散歩コースを設定することです。
地域に散歩している犬はある程度時間帯も決まっています。
他の犬に対して吠えたり興奮する犬がいるなら、その犬には会わない時間やコースを考えます。
同じく家の敷地の前を通るときに敷地内から執拗に吠えられる場合には、その家の前は歩かないようにしましょう。
とはいっても、自宅を出たらどうしてもそうした家の前を通過しなければいけないという過酷な状況もあります。
小型犬の場合には、一時的に移動用のバッグに入れて回避するなどの方法も有効です。
中型犬や大型犬の場合にはそうもいきません。
ご近所さんなら話し合ってというところでしょうが、今はなかなか難しいご時勢のようですね。
他の犬に吠えられる状態をくり返すと、吠えられた犬は怯えが強くなり他の犬に対する緊張は不安を抱きやすくなります。
特に子犬期と青年期にあたる1才半くらいまでは、散歩中に他の犬から吠えられるという経験はしてほしくないものです。
直接対面させることがなくても、50メートル先から吠えられる経験をくり返しただけでも、吠えられた犬の方の社会性に与える影響はとても大きいので、注意が必要です。
一方で、吠えている犬はどうかということですが、こちらはあまり影響を受けていません。
むしろ、吠えることで他の犬が近付くことを回避しているのは確かなことなのです。
そのため、自分の攻撃的行動によって自分の安全を確保するという報酬がついてきますので、この行動はますます固定化されていきます。
吠えられている犬と吠えている犬。
吠えている犬の方が不安定に見えてしまうのは不思議ですが、行動がある方がない方よりも目だってしまうからでしょう。
他の犬に吠える犬に対しては、「犬が怖いのね、可哀想に」などといった感情を持つことは不要です。
相手の犬が自分に何もしていないにも関わらず他の犬に吠えてしまうのはその犬の弱さです。
もちろん犬だけの責任ではありません。
その犬の性質の弱さだけでなく、拘束の多い飼育環境や、飼い主の接し方によって生み出される不安定さが、犬の社会的行動を決めているからです。
理由はともかく、自分を攻撃していない犬で、自分のテリトリーを犯していない犬に対して吠える行為は許されないのです。
他の犬に吠えてしまう飼い主の方は、様々な方法での抑止が必要です。
こちらもすぐにできる方法として、他の犬との距離を取って歩くという物理的な方法が有効です。
他の犬に吠える行動について、寛大になりすぎることはおすすめしません。
犬のサイズは関係ありません。
だいぶ吠えなくなったという犬の変化と成長については、きちんと認める必要があります。
ただ、この曖昧な状態で安心して欲しくないのです。
都市空間での犬との生活、難しいことがたくさんあります。
たまには郊外でゆっくりと山歩きでもしてみてください。
自然の中でゆっくりと過ごす時間は、日常の生活にも変化をもたらしてくれるはずです。
<犬のしつけ方>犬の脳の発育について考える
普段の生活の中でも、公園や地域にいる犬の行動につい注目してしまいます。
最近の犬たちの行動を見ていると、犬の行動はかなり「ハイ」な状態になっているではないかと感じます。
もちろん、全ての犬がというわけではありません。
そういう行動が目立つということです。
犬の行動がハイだと感じるのは、とびつき行動や吠えること、奇声を発する、多動など、行動に多さが見られるからです。
こうした行動の多い多動傾向の犬の脳は、常に活動しているということです。
行動には脳の活動を伴うので、活動が多いということは、脳が働いているということになります。
ときにこうした状態は脳が「活発である」とか「活性化」していると捉えられてしまうかもしません。
しかし、これらの無駄な行動は決して適切に活性化しているのではなく、脳は活発である反面、エネルギーを消費しすぎているのではないかと見ています。
つまり、むしろ活動が不安定と見るべきであり、脳機能が満杯な状態なのです
では、犬の脳が活性化しすぎることも犬にとって負担があるなら、どのような状態が犬にとって心地よいのでしょうか。
犬の生きることを健康に導く脳の機能とは、脳が正常に発育した上で、その機能をできるだけ長く維持し続けるということではないでしょうか。
犬の健康生活を考える上で、犬の発達と成長の機会を大切にしたというのは言うまでもありません。
その発達の中に、犬の脳の発育は当然含まれてくるのです。
犬の発育時で最も大切な時期は、生後4ヶ月までを含む生後2才くらいまでです。
犬が生後2才までに安定した経験を通して発育した脳は、大変安定したものとなるでしょう。
ところが、現在の犬の生活はとても安定した経験を積めるような環境が整いません。
人工的で擬似的な体験しか犬たちに与えられないからです。
犬がもう3才、5才、7才、10才にもなってしまい、犬の脳の発育が十分でないことに気づかれてうろたえてしまうかもしれません。
必要な時期に発達しなかった機能を、成犬になってから発育させることは100%はできません。
ですが、全くできないという訳でもありませんし、機能回復の可能性が0%ということでもないのです。
脳の発育と機能について自分たちに置き換えてみて考えましょう。
20歳を越えてから脳のは退行していて、その老化を止めることはできません。
さらに、幼少期に鍛えられなかった脳の発育を、大人になってから行うのは困難なことのように思えます。
困難であるということと、発育のゼロであるということの意味は違います。
犬の脳は人のそれよりも柔軟性があるように思えます。
科学的には解明されていないかもしれませんが、犬たちと接していることで感じることです。
環境の変化に対する行動や表情の変化、飼い主が変わったときに起きる劇的な変化など、犬の行動の変化や発育の過程にはいつも驚かされているからです。
先日、知人が若いころに聴いていた音楽を聴くと若返るからといって昭和のなつかしのメロディーのCDをプレゼントしてくれました。
果たして本当に脳が若返るのかどうかはわかりませんが、脳の柔軟性を高めることに役立つ感じはしています。
どんな方法が犬の脳の発育を助けてくれるのか、ある程度はわかっているものの、分からない部分もたくさんあります。
まずは、犬の脳の発育の現実的な段階について理解をした上で、いろいろと考えてみてください。
ただし、食べ物の存在をちらつかせたトレーニングは、犬の脳を硬くしてしまいます。
柔軟な発想は、縛られない脳から生まれるということです。
<日々のこと>七山の積雪を思う
昨日は福岡でも湿った雪が降っていました。
福岡で久しぶりに雪が車の屋根に積もったのをみました。
生徒さんたちから「大丈夫ですか~」の声をいただいていますが、実は自分も福岡にいます。
昨日南部方面へ運転中に、山頂が白く雪化粧した風景をみました。
七山は間違いなく積雪しています。
この感じだと30センチは間違いなく積もっています。
さきほど、宅配業者さんから電話があり「今日は上がれそうにありません」との連絡がありました。
ということは、50センチいったかもしれませんね。
毎年、七山での積雪も少なくなっています。
積雪すると生活は不便なのですが、もっと大切なものを受け取れます。
自然の大きな力と、とにかく白くてきれいで静かな七山の雪景色。
犬たちにその雪に触れさせてあげたいと、近くの安全ポイントからなんどもピストンで七山校へ移動したことも懐かしいですね。
こうして、福岡にいると積雪した七山に出かけるのは勇気のいることです。
若い年齢にしか感じられない感受性というのが犬にもあります。
安全管理は必須ですが、ちょっとしたチャレンジもしてみたいものです。
七山の写真をお届けできなくてすみません。
昔の写真で想像を膨らませてください。
<犬のしつけ方>人の指差しに変わる、物を差し示す犬のコミュニケーション
昨日のブログで、人の指差しを理解する犬についてお話ししました。
ブログ記事<犬のしつけ方>人の指差しを理解する犬に観る理解力
記事の中でも述べたように、犬は人が物を指し示すときに使用する指で差す行動をしません。
犬にも脚の指がありますが、犬は人のように指を使っていないからです。
犬たちにとって脚の指は、どのような状況下でも必要に応じて行動を起こすために、常に地面の状態を受け取りいつでも活動に備える必要があるからでしょう。
しかし、この差す指を持たない犬たちにも、互いに物を指し示すという行動があります。
犬と暮らしているみなさんは、もうお気づきのことと思います。
犬がテーブルの上に乗っているジャーキーや、棚の上にあるオモチャを指し示したことはないでしょうか。
「あれ!」という感じですね。
このような指し示す行為に犬が使用するのは、視線です。
はっきりと差し示す場合には、体の全体を矢印のようにその方向へ向け、視線をまっすぐにそちらに向けてみます。
その後、指し示しを受け取って欲しい飼い主の方に一旦視線を移します。
飼い主が自分を見ていることを確認したら、再び指し示す方向に視線を向けます。
これを数回くり返せば、ほとんどの飼い主は犬が指し示している物に気づくことができます。
犬が物を視線で差して他者に伝える方法は、人に対するために発達したものではないようです。
観察していると犬は他の犬に対しても、同じ視線使いで差すという行為をします。
違いを感じられるのは、人に対して行うときには数回にわたり人の方を視線を移すのですが、
他の犬に伝える場合には、視線を他の犬に移すことが少ないということです。
犬と犬、物を指し示すような関係性に至ったときには、その関係性は深いものであるからでしょうか。
物を指し示す行為をする犬の行動を、他の犬が読み取る早さは人よりも早いのです。
犬が体の向きや視線で物を差す行動には、人の指差しにつながる社会性の高さをみることができます。
犬はやはり、とても社会性の高い動物なのだ。
彼らは社会を必要としているし、社会で使うコミュニケーションも発達させることができる。
そんなすばらしい犬という動物の発達を、飼い主おひとりおひとりがぜひ支えてください。
<犬のしつけ方>人の指差しを理解する犬の理解力とは
人と犬の間で起きるいろいろな行き違いは、種が異なる動物であるというところから起きています。
必要な環境が違う、習性が違う、求める環境が違う、そしてコミュニケーションの方法が違います。
犬のコミュニケーションは人という種とは大きく異なるのです。
そのコミュニケーションの差を埋めようと焦ってしまうと、つい犬の行動やしぐさを擬人化して捉えてしまいます。
例えば、走り回っている犬の行動を見て、犬が喜んでいると思ってしまうこと。
他にも、人に走りよってとびつく犬の行動を見て、人のことが好きだと受け取ってしまうことはないでしょうか。
犬の人に対する興奮行動を喜びと見てしまうのは、擬人化とは少し違うかもしれませんが、人の気持ちを優先させた偏った見方であることは事実でしょう。
お互いが理解しあえる関係になるためには、もう少し現実的に受け取りが可能なコミュニケーションの方法について知ることを提案します。
現実的な受け取り可能なコミュニケーションのひとつに「人の指差し」というのがあります。
「指を差す行動」は、他者に注意を促したい対象を指で差し示すことで伝える方法です。
「指差し」については、チンパンジーの研究者である松沢先生がヒト科動物のコミュニケーションとして紹介しています。
私たちヒト科動物にとって、指差しのコミュニケーションはとても重要で有意義なものです。
ところが、犬は人のように指を使いません。
例えば、犬はオヤツを指で差してあれが欲しいということはできないのです。
犬が使用することのないこの指差しですが、人との暮らしで人の指を差す方向に関心を向けるようになります。
犬が人の指差しを理解することについては、行動学者のコンラート・ローレンツも指摘しています。
こうした人のコミュニケーションに対する犬の理解は、人が意図的に教えなくとも自然に身についていくものです。
犬が人の行動を観察しながら、人の意図を読み取ろうとする過程の中で、自然に理解できるようになったものなのでしょう。
犬の方がこうして自然学習を重ねていく姿をみると、人との関係性の深まりを感じるため、感慨深いものがあります。
人への理解が高まることは、犬にとっても世界の広がる瞬間になるのでしょう。
分かり合えないと嘆くよりも、分かり合いたいと前進する方を選ぶ気持ちは、犬の中にもあるのではないでしょうか。
自分の犬は人の指差しを理解しているなと思われるなら、犬はいつもあなたを見てあなたのことをもっと理解したいと学んでいるはずです。
<犬のしつけ方>急変する犬たちの“先生モード”は何故起きる?
日々のトレーニングクラスを受講する飼い主さん宅でほとんどといって起きる不思議現象があります。
トレーニングクラス時の犬の行動が、日常とは明らかに違うらしいのです。
こうした犬の変化を、生徒さんたちが「先生モード」と呼ぶようになってしまいました。
“モード”とはなるほどなという感じです。
入力モードの切り替えのように、環境に応じて変化する犬の様子を上手く表現されました。
とはいえ、関心している場合ではありません。
この「先生モード」ですが、具体的にはいろんな行動の変化で起きています。
たとえば、トレーニングクラスの際にこんなことが起きるのです。
普段クレートに入れると吠える犬が、クレートの中で吠えない。
いつもは食事前にワンワン吠える犬が吠えなくなる。
来客があるととびついて甘噛みをする犬が、オスワリする。
ハウスといってもクレートに入らない犬が入る。
など、先生モードの行動も犬によって様々です。
この「先生モード」行動ですが、何故犬の行動が変わってしまうのだろうかと不思議に思われることもあるようです。
確かに犬の行動には変化が見られますが、犬そのものが変わったわけではありません。
先生モードへの切り替えはとても早く、普段モードへの切り替えも早く行われているようです。
レッスン後に「ありがとうございました」といってドアをパタンと閉めると、部屋の中を走り出す犬の足音を聞くこともありました。
「私=先生」という環境の因子が、犬の行動に与えている影響度の強さを感じるのですが、自分は犬に直接トレーニングを行ったりはしません。
それでも犬たちは、何かが違うことを察知して行動を変化させているようです。
環境に応じて行動を変化させるのは動物の行動の基本ですから、忠実にそれを行っているといえます。
では、環境がどのような方向に変化していったのかというと、私が犬の飼い主を管理する人として位置づけられているということでしょう。
直接的に犬のトレーニングを行いませんが、インストラクターとして必要な作業や説明の指示を飼い主に与えるのが自分の役割です。
実践的にやっていただくために、行動の指導も与えていきます。
たとえば、犬をハウスに入れて下さいとか、もう少し姿勢をまっすぐにしてなどと、飼い主の行動についての指導する様子を犬たちは感じ取っています。
わかりやすくいえば、飼い主の上にたつボスがやってきていろいろと確認をしているという様子です。
社会性が高く環境の変化に敏感に反応する犬という動物が、普段と異なるこうした環境に対して「先生モード」になるのは、ごく自然な反応なのです。
ということは、犬は環境さえ整えばできるということなのです。
この情報は、最初は飼い主にとっては受け入れ難い事実かもしれません。
結局、犬じゃなくて変化すべきは飼い主だと言われていることになるからです。
でも、考え方を変えるとこんなに簡単なことはないのです。
なぜなら、犬を変えることよりも自分を変えることの方が簡単にできることだからです。
自分を変えずに犬を変えようとする飼い主は、苦労ばかりが伴い先が見えてきません。
犬を変えるのではなく、自分を変えるのだと理解した飼い主の犬は、本当にみるみると変化していきます。
「先生モード」になりやすい犬は、成長の可能性を秘めた犬だという良いお知らせなのです。
ならば張り切って、犬との関係改善を進めていきましょう。