犬の散歩をしている人を見ていると似たような行動が多くあります。
犬がリードを引っ張っているときは手を前に出した状態で歩いていること。
イメージとしては掃除機の枝が前に出ているような形です。
そして、多いのは手を振って歩いている人。
歩くときに両手を振って歩くのは一般的な歩き方なのですが、
実はこれが犬にとっては不都合なのです。
小型犬の場合は、手に持っているリードが頭の上でブランブランと揺れています。
ゆれるリードが気になり、怖がったりすることから、リードを引っ張ることもあります。
飼い主の横にいる犬の場合だけなので、気づかない方もいるようです。
中型犬や大型犬の場合も、せっかく犬が飼い主の近くを歩いているのに
リードがブラブラとゆれていることがあります。
リードを安定させるために、リードを持っているときの正しい手の動かし方は、
つまり、手を動かさないという姿勢と歩き方です。
歩くときに手を動かさないというとバランスが悪いと思うでしょうか。
実はこちらの方がバランスがとれます。
従来の手を動かすと腰をひねる歩き方となり、腰に負担がかかってしまいます。
手を動かさない歩き方はよく時代劇に出てきます。
武士が急いで歩くときに両手をそけい部に乗せた姿勢で歩いています。
江戸時代の絵図にはたくさん見られる「なんば歩き」という歩き方だそうです。
なんば歩きの基本姿勢は、捻らない、ためない、踏ん張らない形です。
右足を出すときは手を出さずに、右肩と右腰を出すので体の中心がずれません。
体の中心がずれないと力が抜けてバランスが取れるので、
犬が不安定でリードを引っ張るときにも、すぐに自分のバランスを取り戻すことができます。
簡単そうなのですがやってみるとなかなか難しいものです。
歩行は長い間の習慣なので、変えていくのは難しいのですね。
そこで、両手を腰部に沿わせるように固定させて歩くように練習します。
リードを安定して持っている方は、両手を振っていません。
犬にリードをつけて歩くことは、犬と人がバランスをいっしょにとることで実現します。
バランスをとって歩くことが犬との歩行の基本です。
なんば歩き、挑戦してみてください。
クロモジの花が咲きました。
Author Archives: miyatake
散歩が楽しく犬も安定:犬のリードを持つときの姿勢と歩行の注意点
犬語セミナー開催のお知らせ:福岡
以下の日程で犬語セミナーを開催します。
日時 2017年4月16日(日)
10時~12時
場所 グッドボーイハート福岡
※駐車場は近くのパーキングをご利用ください。
参加費 お一人 2500円
定員有り
お申込み方法 グッドボーイハートへ直接お問い合わせください。
はじめての方はホームページのお問い合わせフォームよりご連絡ください。
七山のしだれ梅が開花しました。
犬のマーキング行動の変化:縄張りから一点張りへと主張する犬たち
昨日のブログで犬のマーキングによる排泄が、自分の縄張りを主張する行動になっていることについてお話しました。
あわせて、その縄張りによって本来回避すべき社会的な衝突が、逆に回避できずに混乱を生じていることについてもふれました。
散歩中にマーキング排泄をさせてしまうと、散歩中に出会った犬と吠えあいになったりするため、マーキングをさせないようにしているのはこうした理由からです。
排泄の臭いを嗅げばお互いの力関係はわかりそうなのですが、自分の力以上にテリトリーを主張しなければいけない理由は、犬の性質によるものではありません。
確かに犬の性質も影響はします。前に出やすい気質、引っ込み気味の犬ではその主張は異なります。前に出やすい犬は主張が強く、散歩中の排泄マーキングも増えることでしょう。ただ、そのことが問題だといって犬の性格にして解決しないのはどうかといいたいのです。
排泄マーキングをして自己を主張するほど力もない犬なのに、散歩中や庭でマーキング行動をする犬がいます。当然力のないもののマーキングですので、他の犬にはばれています。社会的には歓迎されない行動です。
これらの犬はマーキングをした場で他の犬と出会うと緊張を伴います。
弱い犬ですから吠えたり、リードを思いっきり引っ張ったりするでしょう。
2本脚で飛び上がって興奮する犬もいるようです。
これらの犬のしている排泄マーキングは、一点張りのようなものです。
一点張り。
辞書では、反抗的な、不服従の、わがままな、いうことを聞かない、服従しないという意味もあるようです。
ふたつの意味で一点張りといいたいマーキングです。
ひとつの意味では、飼い主がいないとできない人の居場所を利用したマーキングです。
わかりやすくいうと「うちの母ちゃんは世界一強いし、わたしはその母ちゃんのスペースを自分のものにしているのよ。」という世界観です。飼い主のひざが自分の居場所の犬、飼い主がいないと他の犬には向き合えないような犬は、この飼い主を利用した一点張りマーキングをします。
これらの飼い主がいないと他の人に依存して同じように使うこともありますが、依存先を失うととても大人しい犬になります。犬は他の犬を人のように依存させる関係を作りにくいため(生後1ヶ月半の子犬までが完全依存)、犬は遠ざけ依存できる人を求めています。そして人のスペースを拠点に一点張りをするという犬は、たいへん増えています。
ふたつ目の一点張りは、その意味のとおり「不服従」です。服従はしない、つまりどこにも所属はしていない、ただ人に依存しているということで成り立つ行動です。
所属をするとそのグループの安全が一番大切です。自分を主張することよりもグループが安全に生活できることの方が重要なのです。その結果自分も安全に生活できるということになります。自分を主張しすぎ力にない行動をするのは、グループを不安定にさせます。ところがそもそも服従していないのでその行動を引き出すことができません。
服従という言葉に違和感を覚える方もいるかもしれません。
くり返しいいますが、自ら服従するというのは安全なグループに所属するということで、自ずとその中での役割も決まってきます。弱い動物は守られることはあっても、自分の臭いで自己主張することは許されない行動です。
それぞれに己を知ってその役割の中で活躍でき、生きる場を与えられているのです。
そしてグループで安全に安心して暮らしていくことができるイヌ科動物がもつ、良いシステムです。
この服従性さえも犬から奪われてしまったのでしょうか。
犬を服従させる必要はありません。
犬は自然と服従するのです。ただ飼い主にその質があって、その表現ができれば十分です。
多少のできそこない親分でも多めに見てくれます。本当に犬は寛容だと思います。
一点張りの犬たちの不安定な行動が、グループ力によって改善されることを願います。
犬のマーキングの理由:犬は尿と便で縄張りを主張する動物
イヌ科動物は臭いの世界に生きています。
犬が尿や便をする場所は犬のテリトリーと関連しています。
自分の排泄物の臭いをつけることで、自分の縄張り(テリトリー)を主張する習性を持ちます。
犬はイヌから人に飼われる犬となった今でも、この排泄行動によってなわばりを主張したり、自己主張したりする習性が根強く残っています。
ところで「縄張り」とは古くから犬の行動を表す言葉として使われてきました。
縄張りを辞書で調べるとこうあります。
・縄を張って境界を決めること
犬たちの排泄による縄張りの決め方を見ていると、まさに「臭いの縄」をはって境界線を決めているように見えます。80年前くらいまで日本では紐につながれることもなくにふらふらと生活していたときに犬を見ていた人々が「犬が縄張りをつくっている」と感じて表現するようになったのは、まさに的確な表現だといえます。
英語ではテリトリーといい本来は鳥の行動学者が用いた言葉ですが、犬についてもこの表現が行動学的には一番多いようです。日本語に訳すときは縄張りになっていますね。
犬が排泄行動で主張をする行動はマーキングといいます。
犬が他の、どのような形でも臭い付けをする場合はマーキングといいます。
排泄行動をマーキングというと、イメージするのは印をつけるという感じで縄張りをつくるというのでは少し印象が違います。
縄張りという言葉をもっと明確にしてみましょう。
さすがに自分が人として縄張りを主張しているのかといわれると否定したくなります。縄張りという言葉に勢力的な感じがしてしまうからでしょう。人が守っているのは自分の所有物である家と庭の境界線の中であって、散歩で移動する公共の場に縄張りをつくったりはしません。
人にとっての縄張りとは、まだ十分に自分の家になっていない空間で生活をしたり、ビジネス上のオレの島的なものが縄張りとして主張されるというイメージです。
犬は散歩で移動する際に熱心にマーキングによって縄張りをつくっていく犬がいます。
全ての犬ではありません。中には散歩中に全く排泄をしない犬もいるし、公園でしか排泄をしないという犬もいます。
犬にとっては家や庭が生活のテリトリーです。食べたり、寝たり、隠れたりする住処ですから、移動のときにするマーキングは他の目的を持ちます。
最大の目的はメス犬を確保するためのマーキングです。
オスのこの行動は大変強いためマーキングの回数も多いのですが、去勢手術をすると屋外マーキングの回数は激減することが多いのでホルモンによる行動だといえます。
ところが去勢手術をしている犬もメス犬も屋外マーキングをします。
排尿の脚の上げ方になると、高いものは遠くまで臭いを飛ばせるため有利です。
小さな犬も片脚をバレリーナのように上げて排尿を撒き散らす技を披露しているのをみかけることもあり、その意欲には頭が下がります。
メス犬もいまや半分くらいの犬が脚をあげて排尿しています。
なんとか自分の臭いを残そうと屋外マーキングをしている犬たちの目的は何でしょうか。
これは犬が社会的な動物であるということの表現方法でもあります。
移動の際に排泄でマーキングをすれば、自分がそこを通行して一定の縄張りを持っていることを他の犬に知らせることになります。
犬の場合にはテリトリーは重なりやすくなっているので、他の犬の臭いも嗅ぐことになります。
それが自分よりも優位な犬であるのか、もしくは弱い犬であるのかは犬たちにはすぐにわかるようです。たとえ高さで主張したとしても、やはり弱い犬の臭いは弱いようです。実際に嗅げないのでなんともいえませんが、犬たちの排泄の順番や行動を観察すると、排泄物を直接嗅がなくてもお互いの力加減というのはわかっているように思えます。
力というとすぐにケンカするためかと思われますが、そうではありません。
すべての動物は同種での攻撃性が高いのです。
犬は人よりも犬に対して攻撃したり逃げたりして、社会的な緊張が高いのです。
逆に考えるとだからこそ、同種間の攻撃をいかに回避してうまく生きていくかという術を見につける必要もあります。犬と犬の移動中のテリトリーが重なっていれば、緊張も高くなります。
回避するためには相手の情報をまず知っておき、自己主張が強くトラブルになりそうな場合にはその犬のテリトリーを歩きたがらないこともあるかもしれません。
安定したボス的な犬が近所の中にいたら、その存在を認めることでその地域は安定した犬の規律を持つ地域になるかもしれません。
脚を上げてする排尿がすべて自己主張というわけではないのです。社会的に安定した関係をもつ犬でも、同じ場所に排泄をします。
少し違いますがわかりやすい例でいうと、子犬はテリトリーを離れるということがほとんどありませんが、もしそうなった場合にはグループの管理犬の犬の排尿の後にしか排尿をしません。これは群れ全体を守る犬のルールです。
同じ理由での脚上げ排尿をしていることもあります。
同じような排尿なのでわかりにくいですが、前後の行動や管理犬の行動をみているとその違いも少しわかります。
といっても、数頭の犬の上にきちんと立てるような犬はあまりいません。
地域に1頭いたらいい程度でしたがこれは理にかなっています。
実際地域に1頭いたら十分なのでしょうが、今はそれ以上に少なくなっています。
犬の排泄マーキングがとても不安定になっている理由は他にもあります。
犬と犬は自由に行動しておらず、関係をつくることをも相手を認めることも苦手です。
自由行動ができず拘束され続ける生活が、犬のマーキングを異様にしているようにも感じます。
縄張りマーキングを重要視する犬は、生活のスペースである室内や庭の中心部では排泄行動をしません。犬によって個体差があり、中には室内は庭の中央で排泄をする犬もいます。
さらにテリトリーをつくる作業がくずれてきているからでしょうが、まれに屋外マーキングをするのに、室内でもマーキング排泄をする犬もいます。
屋外でも室内でもマーキングをするとなると不安定な行動です。
排泄行動以外の犬の行動をチェックするとその行動の意味もわかってきます。
犬の排泄行動は社会性を表現する方法でもあるため個体差があるのです。
だからこそ、排泄行動を通して犬を知る機会を得ることもできるということなのですが…。
別の理由でもマーキングは複雑化しています。つまり飼い主との関係性がマーキング行動を高める理由になっています。
この場合は縄張りというよりも一点張りです。これについては明日お話します。
散歩の引っ張りを治す方法:犬の社会化としつけは環境を整えることが基本
犬の困った行動の相談の中でも「散歩中に引っ張るのを治したい」という相談はやはり多いです。
散歩の相談時にはこのような要望をされることもあります。
「他のことは全く問題がありません。散歩の引っ張りだけがよくなったらいいので簡単に治すことはできないでしょうか。」というものです。
結論からいうと、散歩中の引っ張りだけを治すために、散歩の練習だけをするトレーニングという方法を取り入れることはできません。もっと正確にいうなら、問題行動だけを封じてしまったら、犬が本当に必要としていることを与える機会を失ってしまいます。
散歩中の引っ張りだけを止めさせたければ、行動を矯正するような道具や方法を用いることになります。でも、それでは「散歩中の引っ張り」という行動で犬が表現している、本来の問題が解決されないままになってしまうからです。
散歩中に引っ張る行動が出ている犬は、室内などの散歩以外の環境でも問題となる行動が出ていることが多いです。
例えば、来客時に吠えるとか、庭の前を通行する人に吠えるとか。
他にも、とびつき行動やイタズラ行動が同時に起こっていることもあります。
留守中の行動や日常的な細かい行動チェックになると、もっと多くの犬のメッセージシグナルを見ることができるかもしれません。
犬の「どの行動」を飼い主が問題と捉えるかは、飼い主によってかなり違っていることがあります。なかには、来客への吠えとか、庭を通行する人に吠えることはあまり気にならないという方もいます。家具やじゅうたんをかじられるのは、あまり困っていないとか、犬だからテーブルにとびつくのは当たり前のことと思われていることもあります。
地域差はあるでしょうが、あまり人を自宅に招く習慣がなかったり、もしあったとしても気の知れた知人や親戚くらいなので、少し吠える程度は問題なしとされるのでしょう。室内での小さなイタズラは犬だから当たり前と見られることもあるようで、これらの行動は飼い主の関心を引かないこともあります。
散歩中の引っ張り行動をはじめとする、散歩中の様々な散歩が上手くいっていないのは、犬の環境への適応性が育っていない=犬の会性が十分に発達していない状態を知らせています。
社会性が十分に発達していないというのは、もっと単純な言葉でいうと「社会化していない」といことです。
社会化はしている、していないという白黒ではありません。こうした表現は誤解を招くかもしれませんが、社会化していないといった方が理解を得られると思いますのでここでは使わせていただきます。
犬の社会化はかなり誤解されて受け取られているようです。
社会化は散歩に出た外環境での学習だと思っていませんか?
そのように思うと、外に出て学習させることだけが社会化だと思ってしまいます。
たくさんの人に会わせるとか、たくさんの犬に会わせるとか、いろんな場所に連れていくというのは、社会化をすすめる方法ではありません。
散歩に出て、いろんな人や犬と出会う経験や、いろんな場所に出向く経験は社会化のチャンスではありますが、回数を重ねればいいというものではありません。
多くの人や犬に接触しすぎて、社会性が難しくなっている犬が増えてます。
飼い主が良かれと思ってやったことが、子犬のころには分からないのですが成犬になって思わぬ形で帰ってきます。
これはとても危険な方向です。
社会化の最も大切な部分が忘れ去られているように思えます。
どちらかという深く考えずにネットや本に書いてある犬のしつけや社会化のさせ方を実践されている方が多いようにも感じます。まず、書いてあることもよく考えてから実践されることをお勧めします。
以前はワクチン接種による拘束期間が長く、社会性の未発達の犬が増えて吠えや咬みつきの問題が非常に多くおきていました。
そのため、最近では以前よりも幼い年齢で散歩に出ることが推奨されるようになりました。体の健康も大切だけど、社会性の発達は犬の心と行動の両方に影響します。
その重要性が認められた結果ではあるでしょう。
幼い年齢から散歩に出たとしても、ただ散歩に連れ出すだけでは社会性は発達しないのです。
社会性を育てるために最も大切なのは、飼い主との生活環境です。
物理的な環境や接し方を含め、家庭が基盤になるのは人の子と同じです。
子供よりも難しいのは、犬が人でない種の異なる動物であるということです。
犬にとって必要な環境、接し方、コミュニケーションや過ごし方を理解することが
犬を、特に子犬を育てる上で何よりも大切なことです。
飼い主との関係性をつくることが社会化の基盤になります。
この部分がしっかりとしていれば、子犬の頃にパピーパーティに連れていく必要はありません。むしろこのことが、犬に対して興奮しやすい経験をさせてしまう場所になっていることも多いのです。
ところが子犬のころの社会化の経験学習が行動に出てくるまでには一年近くかかってしまいます。一歳近くになって急に散歩中に引っ張るようになったり、吠えたり、逃げたり、物に執着するようになったのは、急に性格が変わったからではありません。
今まで過ごした一年間の学習結果が、ちゃんと表現されているということです。
散歩中の引っ張り行動を改善したければ、散歩のやり方だけを変える対処法ではもったいないです。
せっかく犬が発している行動というメッセージを受け取り、ぜひ根本解決を目指してください。
人も犬も、どんなに小さなことであっても、環境を少しでも変えるというのはあまり得意ではありません。習慣になっているので、それを変えると落ち着かなくなるからです。
たとえばクレートの位置を移動させることすら違和感を覚えることがあるでしょう。
でも、前進したいという気持ちがあるなら、犬と共に安心できる暮らしを獲得したいという気持ちがあるなら、まずは一歩を踏み出してください。
犬の社会性と自律性を求めて:プライベートトレッキングクラス
グッドボーイハートのトレッキングクラスは、初期のころはグループクラスとして開催していました。
グループのトレッキングクラスは、複数の犬と飼い主さんたちといっしょに山歩きをするクラスです。このクラスは七山校を開催する前から行っていました。
そのグループのトレッキングクラスを重ねるうちに、プライベートでトレッキングをする必要性を痛感するようになりました。
他の犬との関係性がむずかしかったり、他の犬との関係性の前に飼い主さんともっと安定した関係を作る必要を感じたからです。
ところが、一旦グループでのトレッキングクラスに参加すると、プライベートでのトレッキングクラスを受講されることはつまらないと感じられる方もいらしたようです。みんなでワイワイいいながら歩くほうが楽しいと感じられるからでしょう。
どんなことでも楽しいと感じられる方がいいとは思いますが、本来の目的を見失っていては困ります
グッドボーイハートでクラスを受講される本来の目的はなんだったのでしょうか。
犬とより良い関係を築きたい、犬に十分に与えられなかった経験学習の機会を提供したい、犬の社会性を育てていきたい、犬の自律性を育てていきたい…など。
その本来の目的をきちんと見据えて、犬と向き合っていく時間としてすべてのプライベートクラスはグループクラスよりも重点を置いています。まず、犬のことを良く知るためには環境の中の家庭訪問トレーニングから開始して、そして犬の社会性を育てる機会としてプライベートトレッキングクラスに起こしいただくようになると、犬の行動の安定性は目に見えるように変化していきます。
自然環境の中で動物に行われていることについてすべて科学的に説明ができるわけではありません。
ただ、この広大でたくさんの命の育まれる場所で、飼い主さんと犬のそれぞれに、そしてその間にも何か見えないけれども確実に変わっていくものがあります。
変化の起こりやすい飼い主さんにはある似た面をお持ちなのだなということを感じます。
それは、今を見ることができるようになるということです。遠くを見過ぎない、後ろを振り返りすぎずできるだけ今を見るようつとめること、そんなことができるようになる飼い主さんたちは、なぜか犬も少しずつ変化していきます。
そうなると、こんなにできないとかこんな風になってほしいという言葉が少なくなり、今はこのときはこういう風に行動するその意味や理由はわからないけど、といったような発言が多くなります。
変化するというのはすごく流れるのではなく、安定した状態で自分の中に核となるものができあがることで安心して変わっていけるということだからでしょうか。
山歩きも同じだと思うのです。一点一点、足を地面につけるときにそこに自分が存在していなければ、足場はグラグラしてしまいます。気持ちが不安定だと、山歩きのときにそのことがよくわかるようになります。今日はちょっとふらついているなと思うこともあり、それが自分を知る機会にもなるのです。
ほんの数回の山歩きなのに少しずつ変化する犬の姿は楽しいものです。
トレッキングクラスは犬を走らせたり、遊ばせたり、ストレスを発散させるためのクラスではありません。それは危ないことなのでそうさせたいなら囲いの中で行ってください。
この違いが分かるようになったら、それは一歩前進です。
何に前進しているのかというと、犬としてそして人としてという関係作りへの前進です。
※3月14日に公開予定だった記事を本日公開しましたので、あわせてご覧ください。
、
音声「ドッグマンスの小野教子さんとお話したこと」
福岡でドッグマンスというイベントを主宰していた小野さんは私の友人でもあります。
ドッグマンスは13年継続して節目を迎えられたとのことです。
実は私が山暮らしを決行できると信じたのも小野さんが犬と暮らしているのを知ったからです。
パートナーだったオポ(黒い犬)が2才くらいのころから夏には避暑地として遊ばせていただきました。
その小野さんとのちょっとしたおしゃべりを録音させてもらいました。
強く辞退を申し出られたのをさらに強くお願いして実現しました。
あまり表に出て話す機会のない小野さんの生のメッセージをぜひ聞いてください。
ブログ用に録音したうえ、二人ともあまり得意なことでないため少し緊張感が高いですが、
私も小野さんも犬と共に山暮らしをしたことを人生の宝としています。
お茶でも飲みながら聞き流してください。
ユーチューブのアップロード画面に移動します。
音声ファイル「犬のこと話そう、ドッグマンスの小野教子さん×GoodBoyHeart宮武佐千子」
実はこの録音の後に「犬の自律性」について話したのですが、
データ量が多すぎてアップロードできませんでした。
せっかくなので紹介すると、小野さんも犬と山暮らしをするまでは犬の自律についてあまり考えていなかったし理解もしていなかったのかもしれないといわれていました。
山での犬との暮らしを通して犬が自然と行動するようになり、守るべきお互いのルールさえあれば
問題ないと感じられるようになり、それが結局はお互いの距離を上手にとることにつながっていったのだということは私も共感するところです。
都会での生活がありますから、みなさんが山で暮らせるようになるとは思っていません。
ただ、何か変えられるものがあれば、怖がらずに変えてみるのもいいかもしれません。
それはしばらく葛藤になり苦しくなるかもしれないけれど、やってみる価値はあります。
犬とのお互い様ルール、犬との過ごし方、犬を理解すること、どんなところからでも始めてください。
暮らしの中で活躍するクロモジ
クロモジの立派なつぼみのついた枝をいただきました。
クロモジといえば、アロマオイルとなる日本のハーブですね。
もっと身近なのは和菓子を食べるときに使う楊枝のようなものがクロモジです。
殺菌作用があるらしく、串として使う意味もちゃんとあるということなので、
昔の人は本当に「知恵」があったのですね。
今は知識はあれども知恵はなしということろでしょうか。
昨年からトレッキングの道沿いで見つけたたくさんの黄色の花を「サンシュユ」ではないかと結論づけていたのですが、実はそれはサンシュユではないのではないかという疑惑が生まれました。
では、何?あれはクロモジなのか。
というところでクロモジのつぼみをいただいたので、この花が咲くのが楽しみです。
無事に咲かせていただくためにクラスに来られた方に持って帰っていただきました。
花の写真が届くのが楽しみです。
野や花を愛する人は、名前を間違ったり忘れたりはしないのでしょうが、
ただ犬とふらふらと山歩きをするのが好きなだけの私は一向に名前を覚えません。
いつも、これなんだろうね…で終わっています。
ネットで調べればすぐわかるのでしょうが、なんだろうという距離感も楽しめる気がするのです。
犬のことだったモジモジしてずっと考えてしまうのに不思議ですね。
クロモジのつぼみです。
身近なものを活用する暮らしの知恵は、山と近づいてたくさん学びました。
犬たちは遺伝的に伝達していたようです。
自分の体調にあった草を食べたりすることもそのひとつ。
でも、その行為をしなくなると伝達力もなくなります。
犬の生活の知恵も、受け継がれなくなっているようで悲しく思います。
ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿2
昨日のブログの続きです。
動物にとって重要な防衛行動をすることができない犬が、なぜ防衛行動することができにくい性質になってしまったのかという要因については、主に二つがあげられます。
ひとつめは、遺伝的な要因
ふたつめは、環境学習、経験学習による要因
ひとつめの遺伝的な要因は、人為的繁殖による影響が強いです。
昨日のブログでも説明したとおり、他者が近づいてくることに対する防衛行動は、吠える、唸る、ときには咬みつく行動に発展します。人が犬を愛玩として飼う場合には、人が犬を室内で飼育したり人の要求によって触ったり撫でたり抱きしめたり抱っこしたりすることに対して防衛をしない犬を必要とします。犬の愛玩化はこれらの人の接触を拒否せずに受け入れる犬を繁殖することにつながっています。
純血種の愛玩化された犬でも小型の場合には、吠えたり唸ったり咬みついたりする行動も、あまり問題視されません。
特定の人には依存して抱っこされる性質であることが多いため、家族には吠えるが自分には吠えないという状態であったり、そもそも犬が小さいので吠えることもあまり気にならないし、落ち着きなく行動しても抱っこしてしまえば大人しくなるからという理由もあるかもしれません。
愛玩犬でも大型犬の場合には抱きあげることができません。そのため活動性が低く防衛しない犬が、大人しく人が好きな犬と評価され繁殖されてしまいます。きちんと防衛できず居場所を獲得できない犬の中には過剰防衛が生じることがあります。その場合にも特定の飼い主には依存的にべったりとした行動をしますので、飼い主にとっては大人しく言う事をきく扱いやすい犬なのです。ただこれらの犬たちは外では手が終えないため次第に社会生活は縮小していき飼い主とだけの小さな社会になってしまいます。
過剰防衛にもいたらずただ防衛することもなく、居場所の獲得はできないけれど他者との距離感もないとなると、受け入れ先がある場合にはだれにでも接触したり体の一部に入ろうとします。脇の下、手の下、股の間など人間の空いているスペースに体を突っ込んでくる大型犬は依存傾向が強いといえるでしょう。
他にも、パーソナルスペースを持たず守ることのできない犬は、クレートからなかな出てこないとか、布団にもぐりこむ、コタツの中に入ってしまう、穴掘り行動をくり返すなどの行動をすることもあります。この場合は、過剰防衛ではなく過剰に隠れる行動をするようになるからです。
人の中にスペースを見出すと常に接触を求めます。座っていると接触するように寝る、人の座っている椅子に体をつけて寝る、手をかけてくる、触ってとせがむなどあらゆる方法で人のスペースの中に自分のスペースを確保しようとします。いわゆる分離不安状態です。これが拒否されれば、その辺に寝転んでしまいますが、かといって環境を十分に把握しているわけではありません。
見知らぬ物体が犬に近づいてきることで犬が警戒モードに入った場合、犬はスペースがあれば距離をとりながら対象を観察して情報を得ながら、さらに警戒をする必要があるかどうかを確かめます。警戒が溶けなければもっと距離をとるかもしくはクレートに入るなどの篭城作戦をとるでしょう。
クレートなどの逃げ場もなければ、吠える、唸るの防衛行動に転じます。
自分も逃げる体制をとりながら吠えるので葛藤した横とび行動をしながら吠えることもあるかもしれません。
それでも相手が後退せずに向かってくるときには、対象に歯を軽くあてる空咬みをします。逃げるタイミングを計るものなのでしっかりとは掴みません。そして相手がひるんだすきに逃げるのです。
しかし、逃げることもできないし防衛もできないとなると、犬はパニック行動を起こします。
突発的な攻撃に転じるため、少し強く咬みつく行動に至ったり、興奮して吠え続けたり、急に走り出したりすることもあります。
先ほど「見知らぬ物体」と書きました。赤ちゃんや子供が近づいてきたらそれは見知らぬ物体ではないのかと思われるでしょうか。
それは私たち人間にとって理解のできるものであり、犬が同じようにその対象を認識していると思ってしまうのは正しい犬への理解ではないと思います。
犬が対象を知るためには認知という「対象が何であるかを知る」という活動が必要です。
この必要な活動が生じないので認知も起こりにくいというわけです。
子犬の認知につながることについては、こちらのブログ記事を参考にしてください。
吠える犬にならない、犬との接し方
認知するためには対象を調べる必要があります。
調べるためには対象に近づいたり離れたりしながら、危険を回避しながら臭いをとる必要があります。犬の認知は臭いの世界で成り立っています。遠くから視覚的に見せるだけで認知していると思ってしまうのは人の誤解です。それは鼻の退化した人の視覚に中心をおいた認知の世界であって犬のものではありません。
行動ができない犬は認知力が低い傾向があります。近づいたり離れたりして距離感を保つことができないので、興奮して近づきすぎたり近づけなかったりしてしまうからです。特にその対象が動いている場合には、生物か非生物かの区別もついていないので、緊張感も高まります。
ハイハイをしているような赤ちゃんは明らかに人とは行動のパターンも違い、さらに子供は臭いも特別です。四つ足の動物のように受け取ってしまったり、例えば動く犬のオモチャを見せたときにも、そのオモチャに歯をあててしまうような行動をする犬はいるのです。
赤ちゃんに咬みつきが起きるとすぐに「犬が嫉妬した」という受け取り方をします。
嫉妬というのは感情的なレベルの話であって、動物の行動としての科学的分析にはかけています。
赤ちゃんへの咬みつき事故が犬の嫉妬として片付けられないことを願います。
認知に関して補足すると、最初に犬が人と会ったときに、その犬が自分に興奮してとびつくもしくはなかなか近づいて臭いをとろうとしない場合には、社会的にかなり緊張が高く認知力も育っていないことがわかります。こちらがじっとして立っていても、ついには臭いを取りに来ない犬も増えています。これは人に対して明らかに無力になりつつある犬の行動であり、生活環境や飼い主さんとの関係の影響を受けている結果です。
また、ここで間違えていただくないのは、犬が近づくものすべてに近づけていいというはなしではありません。特に認知力が育っていない子犬や成犬の場合には、対象に対していきなり近づいてしまうことがあります。好奇心だけでなく人との関係性が確立できていない場合には社会的ストッパーがかからないからです。もし野生の犬科動物であれば、子犬がストップをかけられないうちはあらたな環境に接する機会を制限しますし(たとえば猟や移動に同行させないなど)、他者が近づこうとしたら他者のほうに距離をとるように促すこともあるでしょう。こうした判断は種もことなり成長する環境も異なる人にはなかなか理解し難いものです。
とりあえず、認知をすすめる社会化は接触させることが大切なのではなく、環境制限と関係性が必須なのだということを考えてください。
というのは、社会化練習としてたくさんの人や犬に合わせた結果、社会性が確立できず興奮しやすい犬や、過剰防衛する犬になってしまうことがあるからです。犬のしつけやトレーニングが方向性を失うとこのようになってしまいます。
さて、この防衛できず居場所の獲得もできない犬に必要なのは、環境を十分に管理するということ、つまり犬が理解できないような刺激を与えないということ、そして何よりも大切なのは、犬自身がパーソナルスペースを確立して上手に距離を図る防衛力を発揮し、室内や庭環境であっても変化する環境に適応する本来の社会化を発達させるように飼い主が導くことです。
環境を管理することは物理的に可能でしょう。
来客に対する制限、新しいものに対する制限、クレートや境界をつくる物理的なものの利用。
まず最初はここからスタートするしかありません。
ただ、管理だけとなり行き過ぎてしまうと、結果として犬はほとんど監獄のような生活を強いられます。
動物の飼育には管理は必要ですが、家庭犬にはもっと大切なことがあります。
社会性を発達させる機会を得ることは、犬の生き方と過ごし方を決めます。
そして、その社会性の発達の機会は飼い主にゆだねられているというのは過言ではありません。
最後に、ネットに掲載される記事や、メディアで報道される内容を鵜呑みにしないようにすること、
このブログの内容もよく考える機会として使っていただき、各自が考えることが大切であるということを強く訴えます。
犬と人がより良い関係になるために、犬のことを考える時間がみなさんにとってより楽しい時間になりますように。
ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿
先週、国内でゴールデンリトリバーが赤ちゃんに咬みつき死亡するという事故がありました。
亡くなった小さな命には哀悼の意を表します。
またご家族など関係のある方々の深い哀しみがいつか癒されることを願っています。
この事故についてたくさんの方にご質問やコメントをうけました。
犬と暮らす方もそうでない方も関心の深い事故だったのだと思うとともに、私たち人間がいかに犬のことに対する理解にかけているのかということを思い知らされることにもなりました。それは周囲の方のコメントだけでありません。メディアやネットで公開される内容のすべてを確認していませんが、現時点でその多くは科学的な分析にかけており感情的なレベルが先行しているように感じます。
この事故について直接的に解説をすることはできません。なぜなら、現場がどのような状況であるのか、犬がどのように飼育されていたのか、犬の個体の性質を得る情報など、正確な状況を知ることができないからです。ニュースで公開されている情報も正確なものであるかどうかはわかりません。
ただ、少しでもこうした不幸な事故が起きないようにするためには、ひとりひとりが「犬を動物として正しく理解すること」しかありません。
今日は似たようなケースや部分的な状況を上げることで、犬の行動の読み取り方や環境が犬に与える影響、現在の犬たちに起きている問題点についてお話ししていきます。
長くなりますので、分かるところから読み解いてみてください。
まず、ゴールデンリトリバーの咬みつき(咬傷)事故を聞いてもビックリするようなものではありません。ゴールデンリトリバーをふくめ周囲から「おとなしい犬」を思われている犬が赤ちゃんに咬みつく事故というのは実際にときどき起きています。
犬は犬種により行動の似たような特徴が見られます。
本来は犬を活動させる使役犬、競技犬、スポーツ犬としてヨーロッパを中心に純血種の繁殖が繁殖されたためで、現在では顔がかわいいとか変わっているという趣味の世界に入ってきていますがそれでも長い人為的繁殖のくりかえしによって根付いた特徴のある行動のパターンがあります。
ゴールデンリトリバーの主な性質は活動性が低く警戒吠えなども出にくく防衛が低いことが「飼いやすい」というのが一般的な評価です。補助犬や警察犬といった使役犬としてまれに活動していますが服従性はあまり高くないためその多くは家庭犬として飼われています。
ですが咬みつき事故など他の面においても個体としての犬について話す場合には、ゴールデンリトリバーがという説明にはなりません。なぜなら、個性は犬種の性質を超えるからです。
他の例になると、柴犬はすぐに咬みつくとか、ミニチュアダックスは吠えるという犬種と行動と直接的に結びつけて行動の評価を下してしまうのは犬種でした犬の個性をみない差別的行為になります。
周囲から「おとなしい犬」といわれ、人に吠えたことも咬み付いたこともない、いつもからだを触らせてくれるような犬がなぜ赤ちゃんに咬み付いたのかという風に考えてみます。
「この犬はおとなしいんです。」といわれる時、どこが大人しいといわれているのかわからないことがあります。大人しい犬といわれやすい犬は、吠えない、咬みつかない、とびつかない、走り回らないという感じでしょうか。もしくは「大人しくいつも抱っこされている犬」なのかもしれません。今回は大型犬に絞りたいので大人しい大型の犬ということにします。
大人しい犬といわれる犬は、活動量が少ないです。あまり動かないでじっとしていることが多かったり動くときもゆっくりであったりします。活動性が低い理由はふたつに分かれます。超大型犬では活動するのに血液が循環するのに一定の時間が必要になりゆっくりとした動きになります。通常の犬で活動性が低い犬の多くの犬が活動することができない犬になっています。
動物は動いて活動することで生命の維持をしています。活動する必要のあるときには常に活動します。そうしなければ死んでしまうからです。家庭犬は人から餌をもらい繁殖行動もしなくなり人為的繁殖により愛玩化が進んでいますので、活動をする必要がなくなり野生動物よりも活動性は低いなります。
それでも活動しなければいけない理由があるとすれば、その一番は防衛です。環境の変化を察知しその状況に応じて自分の身を守るために必要な行動をとります。その中には立ち上がる、唸る、吠えるという行動があります。もしくは戦えないと思うと逃げる行動にも転じます。これは動物の基本行動なので愛玩化した犬にもまだ残っていることが多いですし、動物としては正常な行動です。全ての動物は「闘争」と「逃走」を抑制しつつもうまく使いながら、全ての動物との距離を保っています。
これらのお互いの距離感があることは反対の側面からみれば自分の居場所を確保しているための重要な活動です。ところが愛玩化によりこれらの正当防衛できなくなってしまった犬は自分の居場所を確保することができません。
犬と犬の対面シーンで想像してください。ある犬が大人しい犬に近づきました。その大人しい犬は顔を背けたり下がることもなく、服従行動を見せることもなくじっと立ちすくみただハアハアと言っています。近づいてきた犬が自分のテリトリーを主張しているとしたら、闘争に制御のかかりに犬の場合には牙をあてる空咬み行動に発展することもあります。「なにもしていないのに咬みつかれた」という例です。しなければいけないことをしないとお互いの距離や関係性が保てないため、そのことが相手の咬みつきを引き出した例です。
これらの、自己防衛ができずにテリトリーもつくれず居場所を確立していない犬は、飼い主のスペースに依存します。飼い主がいないと落ち着かない、鼻をならす、ものを壊す。飼い主がいるとそばをついて回る、手をかける、撫でることを要求する、構うことを要求するなどの行動がでます。分離不安傾向のある犬なので分離不安に関する過去のブログ記事も参考にしてください。
ラジオ番組「月下虫音」で分離不安の話をしたこと
大型犬で分離不安傾向のある犬は飼い主にべったりとくっついてきたり、手の下、脇の下、またの間など体の一部に自分の顔を押し付けたり押し込んだりする行動を繰り返します。人が触っているとその人のスペースの中に入ることになるので、触られていると居場所ができるため落ち着いてきます。そのことが触られるのが好きな人好きの犬という勘違いをされる理由にもなります。好きなものには近づく、嫌いなものからは離れるのが行動のパターンなのでそう思うのも無理はありません。
ただ、関係性においては「好き嫌いは妄想の産物。」好きは一瞬で嫌いになることを経験されたことはないでしょうか。人と犬の関係の中には好き嫌いといった曖昧な表現は現状把握を曇らせます。
人の心理学のコトバを借りていえばパーソナルスペースを確保できない犬は人への接触が多くなり、人好きな犬と勘違いをされやすいという事実を認識します。
続きはまた明日。