愛玩犬(あいがんけん)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
その意味をネットで検索して調べていみると「ペットとして飼う犬」とか「主に室内で愛玩のために飼う小型犬」などとあります。
自分のそばにいる犬のことをペットとして認めることは普通であっても、愛玩犬といわれるとそうだと言えない方も多いのではないかと思います。
愛玩とはつまりオモチャということですから、自分の犬をオモチャ変わりだと位置づけられるのと同じことですから抵抗も生まれてしまいます。
この「愛玩犬」という言葉をめぐって先日家庭訪問クラスのときにあることが起きました。
犬の説明の中で「愛玩犬として育てられるのであればこうした犬になるかもしれない」といった説明をした際に、説明を聞いていた飼い主さんが「あいがんけんって何ですか?」と質問されたのです。
愛玩犬とは、えっと愛玩する犬ということですよ。ペットといわれるよりも特殊な言い方で…と説明に窮しました。
飼い主さんになかなか愛玩犬の意味が通じずにいたところ、その飼い主さんが高校生までしか日本におらずその後海外で生活していたことがわかりました。
それで「愛玩犬とはつまりtoy dogといったらいいでしょうか?」と切り返しました。
そうするお「オー!トーイドッグっね」となんとなく小型犬のイメージはつかめてくださったようです。
そちらには愛玩犬という言い方がないのですね、といって私の方も納得しました。
愛玩犬とは日本が創ったひとつの犬の生き方のようなものかもしれないとも感じたのです。
小さい犬といっても欧米にはテリア種のような活発に仕事をする自律した犬たちもたくさんいます。
チワワはテリア種には含まれていませんが、スムースのチワワは南米では日本の雑種のように普通に番犬をする地域犬でした。
人に抱っこされることを目的とした犬は欧米では珍しいです。
むしろ、犬をそのように愛玩目的に扱うことが一般的でない犬の文化というのを持っています。
愛玩犬が国内で広がったのはある仕組みがあってのことでした。
また次の機会にお話ししていきます。
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<犬のこと>日本が起源かもしれない愛玩犬はいつから普通になったのか?
グッドボーイハートは20年を迎えます。感謝
新しい元号が発表されました。
気持ちがひとつ前に進みつつ過去を懐かしんだりと人は相変わらず欲深く生きています。
欲深いことは悪いことばかりではなく、その欲深さのために文明を発展させてきたのもまた人という動物です。
そしてその人にもっとも近い場で人を観察しながら、自らも人の生活の中で変化し続けている犬という動物がいます。
その犬のことを知りたくて中学生のときに「犬の訓練士」になりたいなどと思ってしまいました。
そこから長い月日が流れ、自分で犬の学校を始めることになったのが今から20年前です。
名前はグッドボーイハートと名付けました。
当時共に暮らしていたオポという犬が私の要望をうまくくみ取ってくれたときに最初に使っていた音が「グッドボーイ(good boy!)」という音でした。
その言葉を投げかけた犬という動物を心から愛したいという気持ちでつけた学校名です。
それから今年で20年を迎えます。
元号は変わってしまいますが、そのときの気持ちは今でも変わりません。
変わったのはいっしょに学校をはじめたオポが別の世界へ行ってしまったこと。
でも、今でも新しいたくさんの支えがあってこうしてグッドボーイハートを続けながら、いまだに犬のことを学んでいることに改めてありがたい気持ちになります。
こうして何十年も学んでいるのにまだ終わらずに学び続けていることが不思議でならないのですが、答えを出すために学んでいるのではなく、学ぶことがただ楽しくて学んでいるのだということに少し前から気づきはじめました。
これからいつまで続けていくのかなど、未来のことは全く考えていません。
ただ、グッドボーイハートを必要として下さる人や犬がひとりでもいる限り続けさせていただきます。
いつもありがとうございます。
<犬のこと>犬の行動を決めているのは脳なのか?それとも遺伝子なのか?
先日ネット動画配信のニュースで、興味のある内容が取り上げていたので繰り返し聞いてしまいました。
ネット配信だと聞き逃したところも納得がいくまで繰り返し聞くことができるのは、老化のはじまった頭には便利なものです。
説明していたのは武田邦彦先生で、東大卒の科学者でありながらその考え方がユニークな先生です。
物事を科学的にみるとどうなのかというそのコーナーで取り上げられたテーマは「人の群れ」というものでした。
人が行動をするときに、脳によって考えたことを行動するのか、それとも遺伝子の情報に基づいた行動になるのかという比較をされていたのです。
人の群れを説明する前に魚の群れ行動を取り上げられました。
イワシなどの小さな魚の群れは、大きな魚という敵に遭遇すると小魚たちが結束してひとつの大きな魚とみられるような円形を描き、その困難を乗り越えるというものでした。
その行動は瞬時に行われるのですが、だれかが命令をするわけでもなくリーダーがいるわけでもなさそうです。
それぞれのパーツとなる小魚たちは考えてその行動をとるのではなく、あくまでも身を守るために遺伝子として引き継がれた行動をとっているのだというのが今のところの説明です。
こうした魚の行動と比べると人の行動は個人の利益を獲得するための個人主義的なものに偏っていて、人の群れとしての行動が低下しているとのこと。
その行動の要因は脳が自分の利益を考えて行動をする傾向が強くなっているからという風にわたしは受け取りました。
逆に、人が遺伝子情報にのっとって行動をすれば、個人の利益よりも群れの利益を守るという行動が選択されるはずです。
脳が蓄えられる情報は長くて50年、これに比べて遺伝子情報は35億年も受け継がれているとなると、その情報の価値観は後者が圧倒的に重要ではないでしょうか。
遺伝子のつなぐ情報は個々の種が継続して生きていくために必要な情報です。
それは机で学ぶことよりも、環境に接することで自然に引き出されるような情報なのです。
環境とは自然はもとより、同じ群れと過ごす時間、コミュニケーションの相手を持つこと、危険と接することなどもその中に入るでしょう。
環境に接することで湧き上がる遺伝子情報は、自分を守りそして種という群れを様々な身近なグループの段階で守ろうとします。
もちろん犬も同じことです。
犬という自分を守り、そして身近な群れというグループを守り、そして犬という種族を継続させようとするのが犬の遺伝子情報です。
その情報の中に自分さえ良ければいいという個人主義的なものは入っていません。
ところが最近の犬たちは脳だけで考えるように人が仕向けていますので、種の存続よりも自分だけの利益を負う行動がみられるようになりました。
ところがこうした脳の行動は狭い世界の中への拘束によって起きているため、怒りが執着や攻撃となって自らも滅ぼす結果となりかねません。
詰まるところ傷づくのは当の犬ということになります。
犬のもっている遺伝子情報は素晴らしいもので、それに触れることができるときには胸が熱くなるほどワクワクするものです。
そんな遺伝子情報を犬たちから引き出せるような環境ってなんでしょうか。
そんなことを考える一日でした。
<クラス>犬の預かりクラスからみる犬たちのエネルギーの高さとその行方
お預かりクラスが続いていて、たくさんの犬たちと楽しく学ばせていただいています。
犬たちの預かり中は24時間で仕事が続くわけですから、1週間近くになってくると体力の快復をはかり再びきちんと犬に向き合います。
飼い主さんならご存知のとおり、犬は大変エネルギーの高い動物で小さな子供を抱えているのと同じくらい体力も気力も使います。
生後5歳未満の犬とくらしていてうちの犬にはパワーがないという方は、犬が少し内向的になっているのかもしれません。
犬という動物は基本的には外向きで好奇心旺盛で活力があります。
だからこそいっしょにいて楽しいのですが、それが問題行動に発展してしまうととても人の手には負えないものになってしまいます。
行動が人の手に負えないというだけなのですが、結局のところ犬からも心が離れてしまいますので犬は孤独になってしまいます。
今回の預かりクラスではサイズは小さいものの1歳未満の犬ちゃん~3歳までの若い犬ちゃんばかりだったので、どんなに遊んでも全く疲れることを知りません。
2頭を連れて尾歩山にトレッキングに出かけてもただテンションが高いばかりで不安定な行動を落ち着かせるだけでもかなりのエネルギーを消耗してしまいます。
そのエネルギーをもっと役立つことに使って欲しいと懇願したいところですが、若い犬たちにそんなことはまだ難しいことです。
犬も2歳半を過ぎるころから成熟してくると、役割としてエネルギーを発揮することになります。
そのエネルギーの発揮の仕方はただ走り回ったり飛んだり跳ねたり吠えたりすることではなく、考えたり警戒したり辛抱したり注意深く行動することにも大変なエネルギーを費やすことを学びはじめるでしょう。
若い犬たちとともに過ごす預かりクラスで少しでも成長のお手伝いができるようにと、シチュエーションを考えながらうまくいったりうまくいかなかったり。
過度な期待はエゴですからそうならないようにと注意しながら、預かりクラスをとおしてやはりどの犬にも今までみることのできなかった性質や行動を見ることができました。
今年はゴールデンウィークにも預かりのご予約をいただいていますので、いろいろと楽しみです。
<クラス>犬語セミナーとトレッキングクラス開催しました
サクラ咲く七山で週末はトレッキングクラスを開催しました。
いつもは数頭で緩やかに上る犬とのトレッキングですが、犬語セミナーの前は少し数が多くなって緊張も高まります。
春のタケノコを取りに来るイノシシの気配も満載なので、犬たちの鼻は地面から離れることがありません。
クンクンクンクンとどんな情報を仕入れているのかわかりませんが、どの犬も普段の都会生活よりもイキイキとしているように見えます。
山は犬のお里ですから当然のことかもしれませんが、こんな風ににおいをかぎながら探索行動を楽しめる時間を飼い主さんと共有できる犬たちは幸せです。
午後は不定期開催している犬語セミナーを開催しました。
犬の動画を見ながら犬のコミュニケーションと行動学を学ぶプチセミナーです。
わずかな時間ですが、なにかひとつでもハッとしていただければという気持ちで開催しています。
ずっとわからないこともこうした学びの積み重ねでハッと気づくときがあります。
そんなとき脳はとても活性化しているらしく、脳の老化防止にも役立つとのこと。
犬のコミュニケーションは学習によって生まれる言語コミュニケーションとちがって体系化したものです。
どんな犬のDNAの中にもこのコミュニケーション機能が備わっています。
ではどうしてうまくコミュニケーションがとれないのかというと、そうした機会が得られていないからです。
それはただ他の犬に合わせればいいということではありません。
今回はそんなことをテーマに犬語を勉強しました。
みなさんの犬のコミュニケーションの扉が開いて犬たちの世界を広げていくために、自然という環境を外すことはできません。
<犬のこと>散歩に出たときに排便をすると落ち着くのは何故だろう?
犬の散歩行動で問題とされることの一番は「ひっぱること」です。
そんな散歩中にリードを引っ張る犬の中には、排便をするとリードの引きが緩まることがあります。
このケースは結構多く「散歩中に排便すると落ち着くんです。」という飼い主さんからのコメントを何度も聞いたことがあります。
この場合には、犬の排便の場所がどのような場所であっても、どのような排便の仕方であってもあまり変わりがないようです。
犬が排便する場所や排便をする前にどのような行動をするかによって犬の状態はかなり違いがあります。
しかしこの散歩中に排便をしたあとに落ち着いてしまう行動パターンでは、どこでどのように排便しても結局はリードの引っ張りが少しゆるくなるという行動によって、飼い主さんは犬が落ち着いたと感じます。
すごくわかりやすい犬の行動になると、排便をするまでものすごくリードを引っ張って走っているのに、公園で排便をしたとたんにリードを緩ませて歩けるようになるという感じです。
犬の行動は全く同じようになるわけではないのですが、同じような状況や行動を同じカテゴリーの中に入れることはできます。
いくつもの犬の同じような行動パターンが見られるときには、それらの犬たちの内面には同じような反応が起きていると推測されます。
リードを引っ張って歩いているという状態は犬が興奮している状態です。
排便後にリードを緩ませて歩けるようにあるというのは犬が少し安定を取り戻している状態です。
どうみても、リードを緩ませている状態のほうがストレスの状態も低いと判断することができます。
ここで疑問をもっていただきたいのですが、なぜリードを引っ張って歩いていた犬が排便をすることでリードを緩ませて歩くように変化するのでしょうか?
そのときに犬の中で起きている「落ち着き」というのは、どうして起きてくるのでしょうか?
犬のことを理解したいと思う方は、この行動の何故を最初に見つけることができます。
最初から答えを得るのではなく、なぜこんな行動をするのだろうかとか、なぜこういう風に行動が変わってしまうのだろうかという疑問を持つ飼い主と、持たない飼い主がいるのです。
疑問のない飼い主が理解が高く、疑問の多い飼い主が無知のように思われそうですがむしろ逆です。
疑問の多い飼い主の方が理解が深く、疑問を持てない飼い主の方が犬に対して知る機会を持ちません。
散歩の排便の後に犬が落ち着くのは何故でしょうか?
ぜひ考えてみてください。
<犬のこと>竹の水を飲む犬の姿に自然とつながる力を感じること
先日トレッキングクラスのときに、久しぶりに懐かしい犬の姿を見ました。
クラスに参加してくれた犬ちゃんが切った竹の節の中に溜まっている水を飲んでいるのを見てうれしくなったのです。
その犬ちゃんが黒ラブちゃんだったので、懐かしく思い出したのかもしれません。
竹の節の水をよく飲んでいたのはオポでした。
山歩きをするときには必ずといっていいほど、竹の水を飲んでいました。
私が持っていく水は飲まないときにも竹の水を飲んだので、特別な水なのだろうと思いました。
犬がこうやって人が要求もしないのに自らする行動を見ていると、犬にとってすごく大切なことなのだろうと考えます。
しかも竹の水は人にとっては不潔に思えてしまうので、とてもそれを自分も飲んでみようとは思いません。
その不潔な水が犬にとっては特別な水なのです。
科学的にはわからないのですが、推測するところ竹の成分や竹の節の中に溜まった枯葉によって溜水が発酵しているのでしょう。
食べるものであれ、飲むものであれ、犬にとっても発酵食品は健康であるために欠かせないものです。
わたしたちもいろんな形で発酵食品をとるのと同じ理由ですが、発酵した食べ物は犬の腸内環境を整えてくれます。
ところが犬たちはテレビやネットでその情報を仕入れて頭で考えて行動しているわけではありません。
「この水ってお腹にいいってこの前テレビでやっていたな」と考えることもないのに、なぜ竹の水を飲むのでしょうか。
それは彼らの心底に秘められた長く受け継がれた情報網によるものです。
こうした自然の力を自らのものとするセンサーが働いたときに「すごい!」と関心します。
ちなみに同じ理由なのだと思いますが、玄関前のバケツに溜まった水を預かり犬ちゃんが競うようにして飲みます。
バケツの中には枯葉と雨水が入っていて、雨が降るたびに水の入れ替えが起きています。
井戸水を飲み水として準備しておいても、なぜかバケツの水の方を飲もうとするのです。
どんな味がするのだろうかと思うのですが、まだ自分で飲む勇気がありません。
犬の自然とつながる力のほんの小さなこと、もっともっと犬たちには大きな力が隠されています。
人はそれを封印しようとするけれど、犬たちはきっと使ってみたいと思うでしょう。
飼い主さんたちはどちらがいいのでしょうか。
人のようであってほしいのか、犬のようであってほしいのか、犬は皆さん次第だと思います。
<お知らせ>3月の犬語セミナーではオポの動画を使用します。
この3月24日に開催予定の犬語セミナーで、オポの動画を題材にひとつとして使用します。
オポの動画をセミナーで見るのは4年ぶりくらいかなと思っています。
日常的に撮影した動画がたくさんあるので、以前見た動画を繰り返し取り上げることはほとんどありません。
グッドボーイハートの先生だったオポの姿すら見たこともない方も多く、ビデオを見たいという要望があったので今回取り上げることにしました。
ところがオポの映像はほとんど残っていないのです。
私とオポが他の犬と対面するときには、ビデオ撮影をする余裕がなかったからです。
さらに私自身は写真や動画を撮影するのがあまり好きではなく、プライベートでは撮る習慣がありませんでした。
また、わたしたちはいつもひとつのグループとして活動しており、私がビデオ撮影者として枠外に出ることはなかなかできませんでした。
オポのコミュニケーションは生徒さんたちの目には焼き付いているものの、実際の映像は数点しか残されていません。
今回はそのひとつを題材として取り上げます。
すでにご覧になった方もいらっしゃるとは思いますが、何かをつかんでいただけると思い今回は使用を決めました。
犬語セミナーの残席はあと少しです。
もしこの機会にと思われる方は、お早目にご連絡ください。
次にオポの映像を取り上げるのはまた三年後くらいになるかもしれません。
本当にユニークな犬で、私にとっての犬の先生でした。

2011/02/24 14:25
<クラス>初めてのトレッキング体験で何かが変わるかも?
いつも通り週末をはさむお預かりクラスと七山でのトレッキングクラスで、活発に犬たちと楽しく学んでおりました。
今週もはじめてご家族でグッドボーイハート七山の山にトレッキングに来てくださった犬ちゃんがいます。
普段は大都会の中で家族と楽しく過ごしている犬ちゃんですが、ご家族の生活スタイルが自然に近く、車でいろんな遊び場に連れていっていただけるようなとてもすばらしい環境も持っています。
そんな活動的なご家族と暮らす犬ちゃんでもまだ山歩きをしたことがないということでしたので、訪問トレーニングの進行をみながら、このたびやっとお誘いできました。
朝から海遊びをしてきたということでしたが、若いから全然疲れておらず、すごいエネルギーでびっくりです。
どんな犬も最初山に来た時にはにおいで興奮してしまうのですが、少し落ち着かせをしてから歩き始めると、ゆっくりとにおいをかぎながら歩けるようになってきます。
山歩きで犬を興奮させるのか落ち着かせられるのか、要はこちら次第ということです。
そうはいっても、犬と人の関係がよい関係でなければ犬に協調性を促すこともできません。
山歩きは実はご家庭の毎日の生活の中で培った関係性を表すものでもあります。
だからトレッキングクラスに参加していただくことで新しい発見もあり、そのことをまた訪問クラスに返していきます。
グッドボーイハートのクラスはすべてつながっているのです。
お預かりクラスで得られた情報も、家庭訪問トレーニングクラスに返していきます。
まだご家庭でできることがあるはず、まだ環境を整えることができるはず、そんな思いがいつもわたしの中にあり、飼い主さんも同じ気持ちでいて下さることをありがたく思います。
<犬のこと>今さら言いにくいのですが、散歩は犬の人生の一部です
福岡の都市部を歩いていて、不思議な光景だけどもしかしたら日常の風景になるつつあるのかもしれないと思うことがあります。
それは、小さな犬たちが飼い主に抱っこされたまま散歩していることです。
もしくはカートに入れられたまま散歩していることです。
カートに入れられている犬たちについては、まだ歩道を歩くことに慣れていないための一時的な段階なのかもしれないと考えることもできます。
もしかしたら抱っこして歩いている犬たちも、散歩ができるようになる前段階なのではないかと積極的に考えることもできます。
でももしかしたら、これらの犬たちは公園でポンと出されたり、飼い主がカフェでお茶をするときにそばでウロウロとしている以外はずっと抱っこだったりカートだったりの拘束状態にあるのかなと見て取ることもできます。
飼い主に抱かれて移動する犬の中にはその表情が無機質なお人形のようになっている犬もいます。
抱っこして散歩するよりも自分の脚で歩いて移動したいという気持ちが、もうこれらの犬の中にはないのでしょうか。
それでも全く散歩に出してもらえない犬たちよりはましではないかと、消極的な考えに至ることもあるのです。
少し前、そうですね、10年くらい前だったら散歩に行く時間がないから犬を飼うことはできないと考える人も多かったのではないでしょうか。
ところが犬の小型化が進む中で、何故か小さな犬は散歩に連れていく必要なないという人の都合による考えが肯定されるようになってしまいました。
散歩に連れて行かないのはかわいそうなのか、散歩に連れていく必要がないもしくは散歩に連れていくのがむしろかわいそうなのか。
私の知っている犬という動物は散歩を必要としています。
散歩は犬のテリトリーを安定させる行為であると同時に、その行為そのものが犬の安心と安定を引き出すものです。
散歩は犬の本来もつ欲求を満足させる行動でもあるからです。
同時に、散歩という活動を通して人という飼い主と関係を深めていくことができます。
むしろ、散歩以上に犬と関係を深める活動があるのかと思うほどです。
散歩について考えなければいけないのは、都市空間の環境が犬が散歩をするにはあまりにも危険だということでしょう。
歩道や道を歩いていると大きな車が常に横切り、歩道の上では自転車がすぐ犬の脇を音もなく通過します。
ゴミはたくさん落ちているし、アスファルトは犬の脚に不快感を与えてしまいます。
犬はこれらの悪環境の中で散歩を楽しむことができず、散歩に行きたがらないリードを引っ張るなどのストレス行動も増えてしまいます。
楽しくお散歩したい飼い主も犬とともにストレスを抱えてしまうという現実もないわけではありません。
特に福岡地区は、東京のような大都会と比較して住宅空間の中に人の癒されるような大きな公園が整備されていません。
公園は商業的に何かを生み出すわけではないので、排除されてきたのかもしれません。
これほど福岡に人口が増えるとは想像せずに、人も増えて同時に犬も増えてしまったけど森林を満喫しながら歩けるような公園は散歩コースの中にはないのです。
そんな犬の散歩にとって不利益な環境であるということは認めた上で、今一度申し上げたいのです。
やっぱり犬には散歩が必要です。
飼い主さんといっしょに、太陽のある時間に、ゆっくりと時間をとって、できるだけ緑があって自然が残されているようなそんな場所で毎日散歩をすることは犬にとっての毎日の小さな幸せです。
1週間に1回しか散歩に出ていないというなら、まずは週に2日にしてみてください。
次の週には週に3日にしてみてください。
毎日の習慣になっていないことをとりいれていくのは、人の忙しい生活の中では大変なことだということはわかります。
犬との散歩が飼い主さんにとっても気持ちの良いものになってくれれば、散歩に出ることもおっくうではありませんね。
だとしたら始めるなら今の季節が最高です。
春のこの季節、動物なら冬で冷え切ったからだを太陽に当てたいと思うのが自然だからです。
花粉症の方には少々過酷ですね、ときどき七山に来て肺の中の空気を入れ替えてリフレッシュしてください。
山は花粉が多いですが空気は明らかにきれいなので、数日過ごしていただくと体はきれいになります。
私もそろそろ七山で細胞を入れ替えたいと週末が来るのを楽しみにしています。