犬との関係や接し方を説明しようと思うと「境界線」という言葉をどうしても使う必要があります。
境界線を英語で言い換えるとborderという単語になりますが、日本人には聞きなれず分かりにくいですね。
ボーダーコリーのボーダーですが、まさにボーダーコリーの特徴的な行動を示しています。
ボーダーコリーでいうボーダーとは、羊に接近して追い込みを図る際、羊を追い込むのだけれど羊に対して攻撃性を出さないようにするぎりぎりのボーダーを維持し続けるという行動をいいます。
そのボーダー(一線)を越えてしまうと、ボーダーコリーという犬は羊に飛びかかって殺してしまうからです。
ボーダーというのはこちらから接近してはいけない領域という風にとれますが、ここで伝えたい境界線とは自分のまもるべき境界線という意味です。
むしろ、人間という単語の中にある「間」という字の方がわかりやすいかもしれません。
人と人の間にある空間、時間を大切にすることで、人と人はより良い関係を作っていくことができる、それが間という境界線です。
すべての動物は自分自信を防衛する機能や情緒を持っていますので、どのようなときにもその境界線が侵されないようにしています。
ただ自分の境界線を自分で守ることができない幼い動物たちだけが、大人の境界線の中に常に入っておりその中で守られています。
スーパーで買い物をしているときに、突然小さな男の子にしがみつかれたことがありました。
しばらくするとその子供のお母さんが「すみませーん、間違えたのね」といって走り寄ってきて来られました。
お母さんを見ると、その子は私から離れ本当のお母さんに抱きつきました。
買い物に夢中になっているお母さんとつないでいた手が外れてしまい、誰かのテリトリーの中に入る必要があったのでしょう。
直感的に母親に似ている人を探すので性別、年齢、臭いが似ている私がターゲットになったということです。
犬も同じように子犬のころには自分で自分の身を守ることができません。
そのため子犬が何か危険を察知するつまりいつもと違う環境になれば、すぐに成犬の近くに戻るかもしくは巣穴に戻るという行動をとって自分の身を守るのです。
自分の身を守ることができない子犬という年齢は乳歯の生えている頃、生後6ヶ月くらいまでです。
生後6ヶ月になると永久歯が生え変わり同時に防衛を意味する吠え「警戒吠え」をするようになることで、防御の力を身につけていきます。
ところが犬の場合でも大変異質な行動になってしまうのは、庭のないマンションなどで飼育されている犬たちです。
庭のある戸建ての家に暮らしている犬であっても、庭へのアクセスが犬の思い通りにならないとか、人もほとんど庭をつかっていないただ眺めるだけの庭になっている家では、条件は上記のマンション犬と同じです。
マンション暮らしの犬はほとんどが巣穴で生活しているような感覚になってしまうため、なかなか自分のスペースを獲得して境界線をつくっていくことができません。
境界線はあくまで外があることが前提の境界線なので、ずっと室内で生活をしている動物にとってはその意味を理解することも難しいのです。
しかも、その巣穴の中には常に自分を管理する人という動物がいます。人の臭いの強い室内からほとんど出たことがなければ境界線を作ることができないのも当たり前といえます。
人の臭いから出ることを恐れ、いつも人の臭いのあるところに執着します。
ソファの上、人の膝の上、人の洋服の上、人のすぐ近くにいる犬たち。
こうした犬たちは、飼い主という人の臭いに執着をもった動物です。
同時に、自分という個体の境界線を持つことができず、いつも不安と恐怖に怯えています。
このことが複雑な犬の分離不安行動につながっていき、生涯を渡って犬を苦しめることすらあります。
私自身は生涯を通して最も観察できる機会のある家庭犬、つまり自分と共に暮らした犬は3頭だけです。
最初の1頭目は完全な外飼い、2頭目の犬は家をメインとして庭をテリトリーとしても使っていた犬。
どちらも昭和の和やかな時代の犬たちです。
玄関戸口の鍵は常に開いており、こんにちは~といって人が上がりこんでくることができるようなそんなゆるい境界線の時代でした。
物理的にはゆるいのですが、玄関の鍵を開けたままにできるのは人の心の中に「お互いの境界線」というものがしっかりとあるおかげなのです。一線を越えてはいけない、そんな境界線です。
3頭目のオポは、生後7才までをマンション暮らした後に引越ししました。
オポの新しいテリトリーは家と庭+山を自由に行き来できる環境です。
環境が変化したあとのオポの行動の激変ぶりについては、いうまでもありません。
犬はそもそも自由がほとんどありません。
犬を自由にさせたくてドッグランでリードを外すことは意味がないばかりか犬にとっても過酷な行為です。
ドッグランはもともとドッグパークというアメリカに取り入れられている犬のリードを外してもいい公園を日本風にアレンジしたものです。
アメリカと日本では、ドッグパークの広さや仕様そのものが明らかに違いますが、そもそも大きく違いがあるのはそのドッグパークに来ている犬たちの家はとても広くて庭もあって室内トイレなどをしていないということです。
日本の都市環境の狭く限られた空間の中で、はたして犬たちがうまくそれぞれの境界線を守ることができることができるよう成長していけるのかどうかを考えると少し気落ちしてしまいます。
犬の持っている機能や能力、そして安定した情緒をできる限り引き出したいというのがグッドボーイハートの願いでもあるからです。
諦めるなでも焦るなを念頭に、今日もできることをひとつでも考えていきます。
飼い主であるみなさんも、自分が犬に対してできることをひとつ考えてそして提案してください。
それは、犬を無力化させるためのものではなく、あくまで犬が解放され自由に向うものであることを願います。
Author Archives: miyatake
<犬のしつけ方>すべての動物の持つルール「境界線のルール」を犬はどのように活用しているのか?
<オポのこと>節分の日に思い出す笑えるオポのこと
今日、福岡市の中心部にある櫛田神社の前を車で通行しました。
神社の前を通行するすごい人の数に、今日は何の日だったのかと考えていて「節分の日」であることに気づきました。
大切な年の区切りの日なのでお参りに行きたい気持ちはあるけれど、車を走らせなければいけない用件もあるので、車の中から拝顔する気持ちでその場を通り過ぎました。
節分といえば思い出すことはオポのことです。
オポというのは数年前まで私といっしょに暮らしていた犬のことです。
節分の日の豆まきは、オポが来てから豆まきが恒例になってしまいました。
豆まきをしたらオポがどんな反応をするのかを見たいという本当に安易な気持ちで初めたのです。
巻いた豆は床に落ちたままになります、その豆を当然オポが食べることになります。
オポはラブラドルリトリバーという犬種だったのですが、ミックスのような容貌であまりラブラドルリトリバーらしくない犬でした。
ただその食欲だけは、ラブラドルリトリバーの最大の欠点を受けついたようで出されたものはすべて食べるというものでした。
豆まきをはじめると巻いたあとをオポが通行するだけで、まるで掃除機で吸い取るように落ちている豆がなくなっていきます。
食べているというよりはむしろ吸っているという表現の方が適切なようです。
たまたまですが、午後に伺った家庭訪問先の犬ちゃんがオポと同じ黒のラブラドルリトリバーでした。
しかもその犬は2頭目の犬で今年がはじめての豆まきの日です。
先代の犬ちゃんも黒のラブラドルリトリバーだったので、豆まきの日はこんなですよねとお話しすると、笑いながらその通りだったとおっしゃっていました。
寂しいことに先代の犬ちゃんは12月に他界したばかりです。
でもこうして旅立った犬のことを季節毎に思い出しながら笑ったり楽しい気持ちになれるのはうれしいことです。
はじめて豆まきを迎える犬ちゃんは、一体どんな反応をしたのでしょうか。
人がいきなり食べ物を撒き散らす行動をするなど、犬からみれば気が違ったと思うだけのことでしょう。
その不思議な人の行動をなんの疑問も抱かずに、ただひたすら落ちている豆を吸い上げるように食べていたオポの姿を懐かしく思い出しました。
<犬のこと>クンクンの鼻鳴らしが1才を超えても続くようであれば分離不安傾向が始まっているかもしれません
前回のブログで、犬のクンクンという鼻鳴らし行動の起源と子犬期の終結についてお話しました。
このクンクンという鼻鳴らし行動ですが、子犬の頃に飼い主が反応を示し続けることによって、非常に長引いて犬に身に付いてしまいます。
子犬に見られる独特の不安を示す鼻鳴らし行動が、子犬が生後6ヶ月を過ぎても、生後10ヶ月を過ぎても、1才を過ぎても、また3才になっても続いてしまうことがあります。
成犬になってしつこく鼻を鳴らす行動をする犬の特徴としては、鼻鳴らし以外にも子犬のころにしか見られない行動がたくさん見られます。
たとえば、お乳を吸う授乳行動です。
授乳行動はオモチャやタオルを抑えてすうような行動でわかりやすいのですが、特に口で吸い付いているものを両前脚で交互に押さえるようにすると、確実に授乳行動だと特定されます。
子犬は両前脚で母犬のお乳を抱え込み交互に押すことでお乳を搾り出す行動をするからです。
タオルやオモチャなどに起こりやすいこの授乳行動ですが、飼い主の洋服や耳たぶ、皮膚などに直接している姿を見ることもあります。
他に子犬に特徴的な行動とは、お腹をさすってほしいというアピールをすることです。
お腹を見せる行動は服従行動と捉えられやすいのですが、一瞬お腹を見せてすぐに立ち上がるのであれば無抵抗を示すシグナルですが、飼い主の前や飼い主の足元に滑り込むようにしてお腹を見せて撫でてもらうことを求める行動は、子犬が母犬に排泄を促してもらう行動のひとつです。
こうした子犬期にしかみられない行動を鼻鳴らしをする成犬たちはずっと続けています。
鼻鳴らしを止める機会を失ってしまい、子犬としての精神状態が続いてしまうので行動にも子犬行動が残ったままになるのです。
はっきりというと脳が発達しきっていない状態で、大変危険な状態です。
ところが、飼い主側は犬に子犬であり続けることを求めています。
いつまでも無力で自分を必要とし、甘えて膝の上に乗ってきたりべったりとする犬を可愛いと思ってしまうようです。
動物は、人も同じように幼いものはかわいいと思われるのは当然のことです。
ですが人が成長しているのに中身が幼稚園児のままであることはかわいいのでしょうか。
犬は体は大人として成長していくのに、中身は幼稚園児であることを求められていまうのです。
子犬として鼻を鳴らす成犬となった犬の不安定さはいうまでもありません。
これらの犬たちはいわゆる分離不安と呼ばれる不安定な情緒を持つようになり、日々ストレスを抱えながら生活をしています。
成長しない動物が無力であり、発達の機会を失った犬が不安を抱えるのは当たり前のことですが、犬はそんなもの、成長した犬がどのように落ち着いているのかを知らない人にとっては、これが常識になるのかもしれません。
私は犬が大好きです。むしろ犬のすばらしい能力を尊敬しています。
だから犬が下等で頭の悪い動物として扱われたり、赤ちゃんのように扱われることを好みません。
もっと落ち着いた大人の犬になるチャンスをみな平等に持っているのに、なぜこんなに不安な表情で怯えながら人に依存しながら生きていかなければならないのかと胸が痛くなることもしばしばです。
犬が本当にかわいいと思えるのは、成長して自立した動物である個々の犬たちが尊敬に値する存在であると同時に、とても愛おしく感じられるときなのです。
すべての犬が成長する能力を持っています。あとはその機会をだれがどのように提供するかどうかではないでしょうか。
<犬のこと>子犬の鼻鳴らし(クンクン)は母犬を呼ぶ行動にはタイムリミットがある
犬がクンクンと鼻を鳴らすのを聞いたことがあるでしょうか。
犬は年齢や状況に応じて、様々な音の鼻鳴らしを行うことがありますが、その多くは人に向けて行われていることが多いようです。
子犬がクンクンと鼻を鳴らす行為をするのはよく知られています。
子犬の鼻鳴らしは不安を抱えたときに起きる行動ですが、子犬が不安を抱えるといえば母犬もしくはそれに相当する犬が自分の近くに見当たらないときです。
わかりやすくいうと子犬が移動しすぎてしまい母犬を見失ってしまったときといえるでしょう。
今日、街中を運転していると小さいけど自力で歩いている女の子とお母さんが歩道を歩いていました。
お母さんの方は細いわき道に曲がったのに、女の子の方は大通りをまっすぐに歩いてしまいほんの数歩進んだだけでお母さんを見失ってしまいました。
お母さんは角越しに女の子を見守り、自分に気づくのを黙って待っているようでした。
女の子は左右に首を降り、やっとお母さんを見つけるとそちらに歩いていきました。
子犬も母犬と常に離れないようにしているのに、いつの間にか母犬と離れてしまい巣穴に戻ることもできなくなってしまうと、クンクンと鼻を鳴らして母犬を呼びます。
母犬は子犬に気づいて迎えに行き、たいていは子犬の首根っこをくわえてクロネコヤマトの猫の絵のようにして巣穴に子犬を移動させます。
ただ、母犬がこうした行為をするのには一定の制限が設けられています。
母犬が子犬が1ヶ月半を迎えるころには、子犬の鼻鳴らしには反応しなくなっていきます。
そのころの子犬は自力で歩くことができ、自分で母犬のところに戻る年齢になっています。
子犬たちは複数おり活動の範囲も広がっていますので、子犬がそこここで鼻を鳴らし始めたらお母さん犬は大変です。
子犬は自ら自分のいける範囲で動くことを求められています。
好奇心旺盛だけど母犬から離れすぎてしまうような子犬は、群れから置き去りにされて淘汰されてしまいます。
かわいそうだと思うでしょうが、これが犬という動物が犬というグループで生きる原理なのです。
ところが人の方は、自宅に迎えた生後2ヶ月の子犬がくんくんと鼻を鳴らし始めると抱っこしてあやしはじめます。
子犬が不安でさびしがっているのだから、これをなんとかなだめようとするわけです。
この行為から危険な分離不安状態が始まってしまいます。
子犬は母犬から離れているのですから不安で鼻鳴らしをするのは仕方ありません。
ですが最初の鼻鳴らしで抱っこしたり撫でたりすると、子犬が依存の強い情緒不安定な性質を持つ危険性の方が高いのですから、冷静に対応する必要があります。
クンクンと鼻をならしても母犬は戻ってこないことを学ぶと、子犬は鼻を鳴らすのを止めてしまいます。
犬が3才、4才、5才、7才、はたまた10才になっても鼻鳴らしを続けているようでしたら、犬の脳の安定機能が充分に働かない状態になっています。
日本は海外に比較して圧倒的に小型犬が多く、なぜか多くの人が小型犬を抱っこしています。
この異様な光景は、純血種の比較的多い欧米でもなかなか目にすることはありません。
そしてその小型犬のクンクンと鼻をならしている姿は、精神的には成長する機会を大きく失ってきたことを知らせています。
鼻を鳴らす行為をかわいいと思われる方も多いようですが、鼻鳴らしは落ち着かないというメッセージなので決してかわいいものではありません。
鼻鳴らしとの戦いは大変長く続きますが、どんな年齢の犬にも成長のチャンスはあります。
始終鼻をならして人のそばをうろつかなくていいように、どうか成長のチャンスを掴んで育ててあげてください。
<お知らせ>トレッキングクラス&数秘で読み解く犬と飼い主セミナー開催します
プチセミナーのお知らせです。
グッドボーイハートでは、私が様々な形で出会った人との出会いを通して、生きることを真剣に考える機会をつくるセミナーに発展させています。
過去にも、風水を通して犬との暮らしをステップアップさせる風水セミナー、整体の先生を招いて体調を整えながら犬との暮らしを改善する整体セミナーなどを開催してきました。
今回は、グッドボーイハートで犬の飼い主さんとして学ばれている飼い主さんとの出会いからセミナーを開催していただくことになりました。
そのセミナーとは、数という不思議な法則を通して自分に知る、犬との出会いやこれからの生活について考える機会を得るセミナーです。
題して
「数秘で読み解く犬と飼い主の関係と学び」セミナー
あなたがいるだけでそこはパワースポットになる。
それは人も犬も同じことです。
むしろ、犬のいる場が変わってしまう不思議を毎日体験されている飼い主のおひとりとして、犬との出会い、犬との学び、そして犬とのこれからの生活を知るきっかけを作ってください。
生年月日や手相には自分自身を知るための多くのメッセージがあります。気づいていなかった自分の個性、今まで歩んできた人生の謎や思い込みなどです。
なりたい自分に近づいて行くように、輝いて生きることが出来るように教えてくれています。
今回のセミナーでは、数秘占い、手相、オラクルカードから人生の予定表、個性をリーディングします。
メッセージを読み解き、活かしパワーに変えていきましょう。
日程 2月17日 日曜日 12時~13時
参加費 おひとり1,000円(税込)
講師 徳川美砂子先生 ヒーリングカウンセラーhako
講師プロフィール
福岡県在住
短大卒業後銀行、カルチャースクールに勤め結婚、出産子育てをしながら、主人の会社の経理事務をする。傍でアロマテラピーインストラクター、ハーバルセラピスト、フラワーエッセンスなどの資格を取得し、ジュージヤカルチャースクールなどで講師となる。
4年前に乳がんを経験し、自己治療のためヒーリングやレイキをマスターし、数秘と出会う。
現在は数秘占いを主に活動している。
フレンチブルドッグももちゃんの飼い主さんとしてグッドボーイハートで勉強中。
人生にはいろんな出会いがあります。
良い出会いも歓迎しない出会いも。
人との出会い、犬との出会い、それを自分がどのように受け取るのかで生きる時間は大きく変わっていくのだと思うのです。
せっかく出会ったのだから、この出会いをより良いものにしたい。
犬もきっとそう思い真剣に人に対峙してくれているはずです。
そんな犬たちと向き合うきっかけとして、セミナーを楽しんでください。
たくさん笑ってたくさん何かを持ち帰っていただければ。
●2月17日(日)午前中にはトレッキングクラスを開催します。
トレッキングクラス 10時開始
ご参加の方はグッドボーイハートまで直接お申込ください。
プチセミナーのため参加人数は制限させていただきます。
みなさんのご参加をお待ちしています。
<クラス>犬語セミナーとトレッキングクラスを開催しました
今季はじめて雪、が降りました。
といっても1時間くらい吹雪があって積もったといっても1センチくらいです。
雪の降る数時間前までお預かりの犬ちゃんと山歩きしながら草刈をしていました。
ゴーゴーと北から聞こえる音に犬ちゃんは鼻を高くあげて吹雪の到来を察知します。
鈍感な人間の私もさすがに聞こえる冬の到来の音。
部屋に入って暖をとって構え、気づくと外は真っ白です。
雪はすぐに収まりほっとしましたが、翌日のトレッキングクラスに来られた生徒さんたちは、うっすらと白くなった尾歩山に驚いていました。
雪が降ると不便だけど少しテンションが高くなってしまうのは動物の共通する気持ちなのですね。
季節の移り変わりに気持ちが反応する、そんなとき人と犬は共感する気持ちを得られるのでこの瞬間が大好きです。
トレッキングクラスにはまだ不慣れな子犬たちもいますので、安心安全、環境を確認しながらゆっくりとしたペースで少しずつ進みます。
普段は犬同志で興奮してしまう犬ちゃんたちも、同じ目的をもって活動をはじめると結束せざるを得ません。
集団行動というのは動物になんらかの影響を及ぼします。
そういえば、日本は特に体育の時間に集団行動の練習が多いものですが、これがアメリカとなると多少違うようです。
個々の能力を伸ばすことを大切にする文化では、全員が同じ行動をして協調するなどといった練習は好まれないのかもしれません。
トレッキングクラスはひとつの集団行動ではありますが、みながそれぞれの能力の中でできることをするという意味では動きをあわせているだけの集団化とは違います。
集団化は個性を失なわせる行為ではありません。
犬も人も社会の中で自分の能力に合わせた活動をできる、トレッキングはその小さな世界です。
トレッキングクラスの後は動画を見ながら犬の行動学について学ぶ犬語セミナーを開催しました。
犬の行動から犬の状態や気持ちを汲み取っていき、その先に犬が今必要としていること、それをどのようにしたら提供できるのかということも考えていきます。
犬に何をしてあげたらいいのか、犬が何を求めているのか、どうすれば犬は幸せになるのか、その答えは今の犬の姿を冷静に把握するしかないのです。
ところが、犬が何か問題になる行動をしていると気づいてしまうと不安になってしまうのが人の心理です。
犬たちはすでに幸せで自分は何もしなくていいと思っていたいでしょう。
ところがそれでは、犬とちゃんと向き合って過ごしているとはいえず、もったいないことです。
毎日の仕事や家族のこと、食事のこと、買い物のこと、将来のこと、趣味のこと、人にはやりたいことがたくさんありすぎて、なかなか犬のことまで考えが及ばないかもしれません。
では、なぜ犬と暮らしているのでしょうか。
犬はメッセンジャーです。
犬は行動を通して、いつでも飼い主さんにたくさんメッセージを伝えています。
そのメッセージひとつでも受け取れるよう、また犬語セミナーで学びたいと思います。
<おすすめのアイテム>犬との山歩きややっぱり長靴が一番、極寒の七山でも足がしびれることのない長靴「バーバリアンチーフテン」はおススメします。
犬との山歩きをしようと思うとき、やっぱり気になるのが足元の装備です。
書く言うわたしも、最初のころにはいろんな靴を試してみてたくさんの失敗もしました。
トレッキングというとどうしても強靭なトレッキングシューズが安全だろうと構えてしまい、いろいろなシューズを履きましたが自分にはどれもしっくり来ませんでした。
むしろ、雪の日用に準備した長靴の方がずっと歩きやすくかつ安全であることに気づいたのです。
それがこの長靴です。
汚れていてすみません。仕事している感じと思って大目に見ていただければと思います。
この長靴、七山での山暮らしで3代目の長靴になります。
12年の山暮らしなので1代ごとに4年くらい使っています。
今は週に数回の山歩きとなりましたが、以前は毎日使っていましたので使用頻度は相当高いです。
おススメの理由は、まずはゴムの素材。
柔らかいものを好む方もいらっしゃるでしょうが、私は足をキープしてくれて安全に保護してくれるこのしっかりしたゴム素材に安心感を得ます。
次は内側の保温性です。裏がしっかりとしていて暖かさがキープできます。
夏には暑いと感じてしまうことだけが少し難点ですが、山や土は気温はかなり低いので通年を通して使っています。
そして足元の最大のポイントは足裏です。
トレッキングシューズでも失敗したのですが、靴底に土がついてしまい靴がどんどん重くなるばかりか、滑り止めにならずまったく歩きにくいシューズもありました。
靴底のゴム素材と形は、ゴムのストップ製を決めるものです。
専門的にはよくわかりませんが、とにかく歩きやすいまた山の斜面で草刈り作業のときもすべりにくく足に負担をかけません。
長靴もいろいろと試したのですが、この長靴のゴムは大変しっかりしています。
この長靴にはバーバリアンチーフテンという立派な名前がついています。
日本の長靴メーカーの弘進ゴムという会社が作っています。
靴には冬用の暑いフエルトがはってあるものがありますが、夏用のもので通年全然大丈夫です。
さらにおススメの理由をいうと、しっかりした長靴ならヘビを踏んでも怖くありません。
山作業される方は少ないかもしれませんが、草刈のときに誤って鎌が足元をすり抜けても大丈夫です。
それからありえないかもしれませんが、犬同志が興奮したときに足を出して止めてもへっちゃらです。
お値段は決しておススメできません。長靴にしてはとっても高いのです。
ですが、足元はとても大切なので、私はこの長靴をはき続けます。
3代目のバーバリアンチーフテンですが、あと3年もってくれればうれしいです。
<日々のこと>犬のパートナーとお別れした飼い主さんたちと犬を思い出す時間
巷の忘年会やら新年会とは全く無縁の生活を続けています。
逆に犬と暮らしたことのない方とは全く無縁のつながりで人と会うことがあります。
十年という長い犬との暮らしが犬の突然の旅立ちで終わりを告げ、犬のいない新年を迎えるときはしみじみと落ち込むことも多いでしょう。
そんな犬との別れを終えたグッドボーイハートの生徒さんたちと、犬が不在の状態でお会いしてお話しする機会がときどきあります。
かく言う私も三年前に共に暮らしていたオポというパートナーを見送った飼い主のひとりです。
みなさんと同じ立場で会って旅立った犬たちのことをお話しするのは、とても大切な時間になっています。
別れた家族のことであれば家族同士で話をすることで思い出す機会もあるでしょうが、犬のこととなるとなかなか話す相手がいないかもしれません。
少なくともグッドボーイハートで多少なりとも時間を過ごしてくださった犬たちのことをすべて覚えています。
飼い主さんのようにその犬の全ての時間を知っているわけではありませんが、飼い主さんの知らないそのコの一面は知っていると思っています。
犬のなくなったあとお肉やさんで頼む肉の種類が変わってしまったこと、キャべツを切っているときに犬の分を思わず取り分けてしまい、慌てて必要ないことに気づいて落ち込んでしまうことなど、飼い主さんの中にはいつまでも習慣になった犬との生活がしみこんでいます。
犬と別れた一年は「昨年はいっしょに年を越したのに…」とか「昨年はいっしょにクリスマスケーキを食べたのに…」と急に生活が変わってしまったことに不安を感ることもあるかもしれません。
それに、犬の方が準備万端で旅立ったのでしょうが、人の方がお別れする気持ちがないので急に旅立ってしまったとつい勘違いもしてしまいます。
まさか犬がいなくなるとは思わなかったと、本当にそんな感覚になることも普通のことです。
亡くなった犬のことをたくさん話していただき、本当によみがえることはなくとも、犬の姿が活き活きと自分の中によみがえる時間を持っていただくことが、共に過ごしてきた犬が喜んでくれることなのかなと思います。
グッドボーイハートの「犬というパートナーを亡くした未亡人の会」ときどきやっていますのでご参加されたい方はこっそりご連絡ください。
<犬のこと>犬を生かすも殺すも環境次第、常同行動は犬のメッセージ
インフルエンザが流行しているらしいので福岡では警戒しています。
七山の方が寒いので心配して声をかけてくださることが多いのですが、七山は流行がないのでインフルエンザも見当たりません。
人口密度が少なすぎるということもあるし、湿度がかなり高いためウイルスが生存するのは困難な環境です。
どんなに手ごわい生き物にも、それぞれが適切に生育してくる「環境」を知ること、そしてその環境を与えないこと。
インフルエンザウイルスの感染防止の基本もやはり「環境」です。
もちろん犬の場合にも、犬が正しくかつ幸せに成長し発育していくために適した「環境」というものがあります。
犬に適した環境を与えないと犬が死滅してしまうということであれば、犬を家族とする人ならなんとしてでもその環境を手に入れようとするでしょう。
ところが犬の場合には、多少不適切を思われる環境におかれたとしても、簡単に死ぬことはありません。
ウイルスのように環境が良いとその数は増えて広がり、不適切だと死滅してしまう方が分かりやすいです。
では犬にとって今おかれている環境が適切なのか不適切なのかを知るための方法はないのでしょうか。
生きるか死ぬといった究極の選択でなくとも、犬には別のメッセージがあります。
豊かに発達してきた犬という種族ですから、犬のコミュニケーションを通して周囲に、自分の成長が上手くいっていなことを知らせるシグナルを持っています。
そのシグナルがストレス性行動といわれるものです。
犬のストレス性行動には様々なものがありますが、わかりやすいところでいうと、吠える、咬みつくといった行動もストレス性行動のひとつです。
吠えるの中には喜びや合図の吠えというのもなくはないですが、連続する吠える声、不安定な音の声、つまり極端に低い唸り声や高い奇声といわれる声は、あきらかに犬が自分がストレス下にあることを教えています。
日常的な生活環境が犬にとって不適切である場合の多くのシグナルは、常同行動という同じ行動をくり返す行動に表現されています。
犬にとって不安定な環境が継続してくり返されるわけですから、ストレス行動をくり返す常同行動で答え返すというのは、もっともなリアクションです。
犬の常同行動として大変よくみられるのは、犬の手やあしとなる脚をなめる行動です。
犬がなめる場所としては、自分の体が多いのですが、他にも飼い主の体、床やカーペット、犬用のベッドの一部などをなめ続けることがあります。
他の常同行動としては、鼻鳴らしを続ける、吠え続けるといった行動も同じです。
また穴掘り行動やタオルやオモチャを口にくわえておしゃぶりのように扱う行動もまた常同行動になります。
動物園の柵の中の動物がしているようにケイジの中で左右にいったりきたりする行動やジャンプを続ける行動、クルクルと回る行動もやはり常同行動です。
今このブログを読まれて目の前にいる愛犬に同じシグナルが出ていてドキッとされた飼い主さんもいるかもしれません。
犬にストレスがかかっていると不安になりすぎないでください。
室内やマンションという環境そのものが、犬が育つ環境としてはすでに不自然なのです。
その中でストレス性行動が全く見られないことの方が恐ろしいケースに至っている場合もあります。
行動が見られるときには犬がまだコミュニケーションをあきらめていない証拠です。
今からでも全く遅くありません。
犬にとって適切な環境とは、犬が求める社会性とは、犬が必要とする人との関係とはなんだろうとたくさん悩んでください。
そのために犬はあなたと出会ってそこにいるのだと思います。
<クラス>家庭訪問トレーニングクラスで猫ちゃんと対話する
トレーニングクラスのためにご家庭を訪問したときに、猫ちゃんがいることは珍しくありません。
あまり多くはないのですが、ときどきそんなケースはあります。
猫派、犬派と分かれることが多いように、犬が好きな方は猫はあまり好まない傾向はある程度はあります。
でも猫のこんなところが好き、犬のこんなところが好きと、どちらの動物もいっしょに暮らしたいという飼い主さんもいるものです。
猫を飼われているご家庭にいっても、猫たちが犬のトレーニングクラスのときに必ず顔を出すわけではありません。
大抵が完全室内飼育をされている猫になりますが、ほとんどの猫たちは来客のたびに隠れてしまうようです。
「こんにちは」とお部屋に入ったときには猫たちは様々な隠れ場に避難しており、完全に気配を消しております。
この気配を消す感じは犬よりも数段能力が高いと思える瞬間です。
猫からいわせれば「わたしたちはすべてにおいて犬よりも上なのだから、比較の対象にもならない」と思っているかもしません。
実際、犬を足げにするような猫の優位的な行動はよく目にします。
猫の中にはどんなお客様にも「かまって」行動を示し、自己主張をするものがたまにいます。
先日も家庭訪問先にそんな主張の強い猫ちゃんがいました。
私が座る前に、私が座るイスの前のテーブルのスペースにまず乗っていてスペースを渡そうとしません。
ファイルをおかせもしないし、押しのけようとすると甘噛みして抵抗します。
ようやくスペースを確保してお話しを開始したのですが、立ち上がって他の環境を見に行き机にもどると、私のおいていたファイルとペンが机の下に落とされ、そこに猫が寝転んでいます。
数回の訪問でようやくテーブルのスペースは確保されたものの、犬の名前を呼んで注意を引こうとすると犬を追い回す行動を見せることもありました。
そしてついに先日、また新たな行動を起こしてメッセージを送ってきました。
犬にベッドで休むように教え、飼い主さんとお話しをすると犬がベッドに上がって待つようになってきたので「よく待てるようになったね。」と話しかけていました。
そして飼い主さんと話しチラリとベッドを見ると、そこには犬ではないものが。
猫が犬のベッドを占領しないようにとやってきたので、今まで猫ちゃんが使うことはありませんでした。
ベッドに居座るこの猫ちゃん、私に対するアピール行動であることは明らかです。
一日中家の中にいてすることがないけれど、もっと社会とかかわりたいと思っている猫ちゃんもいるのですね。
できればこんな形ではなくもっと自然な形で環境に出て行けるようなそんな環境を人は作っていけるのでしょうか。
生徒さんのおひとりは、猫にリードをつけて散歩をしていると聞きました。
他にもそのような話を聞いたことがあります。
どのような環境をどのように歩くのかで猫の散歩のストレスも様々でしょうが、猫のメッセージも受け取らなければ犬も幸せにはなりません。
その前に、犬の散歩ですね。