グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬のゆったりとした時間は生活空間の広さでできる。

久しぶりに七山に到着すると、うぐいすの鳴き声で出迎えられました。

だんだんとせわしくなるうぐいすのあの聞きなれた鳴き方も、このころはまだ風情を感じられます。

春が来たのだと実感できる、そんなときです。

七山で過ごしていると一日がものすごく長く感じられます。

私だけでなく預かりクラスを利用していっしょに過ごしている犬も、きっとすごく長い一日を過ごしているではないかと思います。

 

クラスの最中に様々な犬の行動を説明するときに、「時間」と「空間」という素材が犬に与えている影響についてお話することがあります。

自分のテリトリーの中にしっかりとした余裕のある「空間」を持っている犬は、余裕をもって「時間の経過」を感じることができると感じています。

感じています、というあいまいな言い方になってしまうのは、科学的に説明するようなデータがなく、あくまで私個人が犬の行動を見ていて「そう感じる」というレベルだからです。

この曖昧な感覚を、先ほどYouTubeのニュース配信の中で科学者の武田邦彦先生が軽くコメントされたのでびっくりしてブログに記しておきます。

武田氏はこのようにコメントされました。

時間の流れは、空間が小さいほど早い。

空間が倍になると時間は1+4分の1になる。

数式としてあるということでした。

武田先生に後押してもらったようで(話題は全然違ったのですが)自分としてはうれしい限りでした。

 

しかし、ここで大きな間違いをしないように注意点を加えます。

広い場所を犬に与えることが余裕を得られるのだと単純に誤解しないでください。

ドッグランや広場や広い場所に犬を放たれることで、犬にリラックスや余裕が生まれるということではないのです。

犬に時間の流れの余裕を与える空間とは「生活空間というテリトリー」の広さです。

 

さらに「生活空間というテリトリー」は犬が安心して過ごすのことのできる場所になっている必要があります。

「空間」といっても場所さえあればいいということではないのです。

例えるなら、自分の寝室として30畳もの広さの部屋を与えられ、その中にベッドもなにもなく、この広い空間で時間の余裕を生み出して下さいといわれてもそれはできないのです。

安全と安心を自分に得ることのできないただ広いだけの寝室空間は、自分の中に「不安」を生み出します。

結果その「不安」はドキドキを生み出し、心臓の鼓動が早くなると同時にたくさんの時間を失ってしまいます。

有名な本「像の心臓、ネズミの心臓」につながりそうです。

 

だからこそ大切なのは、犬が毎日生きている暮らしの場をきちんと整えること、考えるならそこを真剣に考えることです。

そしてできることから少しずつ、始めなければなにも変わりません。

犬は忙しく生きたいとは思えない。

動物はゆっくりと生きる生き物で、本当なら犬の10年はもっとゆっくりしたものなのではないかと考えています。

私ひとりが考えても仕方のないことですが、そのうち私のとなりにいる人が考えて、そして次の人が考え、そして一頭の犬の生涯が変われば、それだけでとてもうれしいです。

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特別に教えます!犬と関係を作るために犬を叱る必要はありません。

今日のブログ記事を目にした方は本当にラッキーです。

すごく大切なことですので飼い主さんにクラス中に特別にお伝えするようなことですが、あまりにも多くなってきたので特別に教えます。

気が変わったら削除しますのでお早目にお目通しください。(笑)

犬との関係作りにおいて、犬をほめたり叱ったりする必要がたくさんあると思っているなら大きな勘違いです。

でも安心してください。その勘違いを私もやっていました。

もう数十年にわたって犬のしつけ方やトレーニングを指導してきました。

もっと前の使役犬の訓練士のときにはチョークチェーンも使っていました。

家庭犬のインストラクターになってからは、ごほうび(報酬)トレーニングもやりました。

これはどちらもオペラント条件付けという「強化」の法則にのっとったトレーニングの手法です。

でも今はどちらも犬のしつけやトレーニングの道具として必要としていません。

犬とコミュニケーションをとる過程で「ごほうび」や「罰」の道具を用いる必要性を感じないと同時に、この道具の多様は犬と人の関係性を表面的なものに抑えてしまうと思っているからです。

 

ところが、今でもまだこのドツボにはまってもがいている飼い主さんがたくさんいます。

ほめなければいけないと思っているから、叱らなければいけないとおも思っているのです。

もし、飼い主であるあなたが「犬のことを叱ってばっかりいる気がする。」と思っているなら、いろんなことが誤解されているようなのでここで一度整理しましょう。

いくつか代表的な間違いが三つありますのでここに項目別に説明します。

 

・犬に対する合図(コマンドともいわれる)オスワリ、フセ、マテなどは叱る言葉ではない。

犬に対して、オスワリをさせてください、フセをさせてください、というと、大きな声で「オスワリ!オスワリ!」や「フセ」と怒鳴るように言われることを耳にしますが、これはそもそも間違っています。

オスワリやフセなどの合図は、ひとつのシグナルであって叱るために使う言葉ではありません。

シグナルなのでできるだけフラットな音で「オスワリ」「フセ」と発することができればいいのです。

犬には音声シグナルの聞き分けが人ほどには高くないといわれますが、この三つくらいの聞き分けはいずれできるようになります。

もちろん犬の中には聴覚的に問題をかかえている犬もいるかもしれませんが、視覚的なシグナルで補えばこれも解決します。

特に犬に対して怒鳴るような大声でオスワリをいう風景を見るときには、犬がなんどかオスワリといっても座らない、フセといってもフセないときです。

脅しをかけないとオスワリやフセをしないような状態では、それは合図とはいえません。

「合図はいわれたらするもの」そう教えることの方がよほど大切なのです。

 

・犬がとびついてきたときにダメ!といって叱る必要はない

これを読んで驚きましたか?

「犬に飛びつかれないでください。」というルールはとても大切なルールなのでみなさんにお伝えしています。

しかし飛びついた後に叱っても効果はありません。

飛びつかれた段階ですでに「スキ」があるのですから、それを叱ったとしても悪いと犬が理解することもありません。

「犬が飛びついたときに叱るのでしょっちゅう叱っていて気分が落ち込みます。」と言われることもあります。

これも同じですが、とびつかれないようにすることに価値があるので、そもそも方向性が間違っています。

その飼い主さんの犬に私は飛びつかれることがありません。

だから私は叱ることもありません。

犬に対して「駄目よーダメダメ」と少し古いお笑い芸人の一発芸のような言葉を発しているとしたらもう一度「とびつきをさせない」ということの意味を考えましょう。

犬はやったことしか覚えていきません。

飛びついた後にダメだと叱ることで正しく伝えることはできないのです。

 

・犬がリードを引っ張ることを叱っても、人の後ろをついて歩くことは覚えません。

 

これもよく見る犬を散歩させる飼い主の行動のパターンです。

犬に引っ張られながら歩きつつリードを後ろに引いて「ダメ」を繰り返して叱ることもまた必要のないことです。

二つ目の犬のとびつき例の説明と同じになりますが、犬がリードを引っ張ることを叱っても犬は正しい散歩の仕方を身に着けることはできません。

犬がかわいそうだから叱ってはいけないと言っているのではなく、効果がないからやる必要がないということです。

犬に散歩のさせ方をちゃんと教えたいのなら、もっと違うところから教えていく必要があります。

その方法とは…。クラスの中でご説明していますね。

逆をいうと、犬がきちんと歩いているからと「イイ子、イイ子」とほめながら歩く必要もないのです。

あくまで自分の気持ちを満たすために「おりこう」とか「いいこだね」などのかけ言葉はもちろんかまいません。

やさしい音色の声は犬にも伝わるし、犬は飼い主が満足していて安定していることをすぐに受け取れるようになります。

でも、頭をなでてほめたり、上手上手を犬のために繰り返しているならその必要はないということです。

犬は自分がやるべきことを理解し、そしてただそれをやっているだけ、そしてそのことに犬自身も満足をしていれば、そんなイレギュラーな歩き方はしないのです。

もちろん都心は散歩コースの環境があまりにも乱れています。

これでは犬は落ち着きをなくしてしまうと思うようなコンクリートが続く場所ばかりです。

環境を選ぶこともまたトレーニングの要素のひとつですが、犬を叱ったりほめたりすることよりもずっと重要なのです。

 

今日は特別授業でした。

お役に立てれば幸いです。


 

 

 

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犬の育成は家庭にあり!自然農園という環境ですくすくと育つ犬くんのこと

グッドボーイハートが家庭訪問レッスンにこだわっている最大の理由をご存じでしょうか?

それはグッドボーイハートの犬のしつけ方・トレーニングのベースは犬が育つ家庭にありと考えているからです。

その家庭という環境の中のひとつ「犬の発育と成長に影響を与える外的要因としての環境」というのがあります。

簡単にいえばこんなことです。

・犬の排泄場所をどこに設置するか

・犬の寝場所をどこに設置するか

・犬の食事をどこでさせるか

・犬の日々の活動をどのようにどこでさせるのか

これらはすべて犬の成長と発達のために整えるべき要素です。

馬の言葉を拝借するなら「犬を家庭で育成するための場作り」といえます。

 

家庭訪問レッスンでは思わぬところを家庭犬のインストラクターである私に指摘されて困惑される飼い主さんもいます。

なぜ排泄場所が室内のトイレシーツではだめなのか?

なぜお庭を犬のために開放する必要があるのか?

犬にとっては動物としての自然な欲求なのですが、犬という動物を理解できなければこの仕組みはなかなかわからないようです。

特に洋犬の純血種を飼われる方の中には、室内完全飼育の意味を取り違えている場合も多々あります。

 

先日久しぶりに家庭訪問レッスンで伺ったご家庭の庭が、見事な自然農園として生まれ変わっていました。

子供さんたちが成長して庭を全く使っていなかったということですが、犬にとっての庭環境の必要性をご説明したところ、すぐに庭の復活に向けて活動を開始されました。

ところがその庭の生まれ変わりは、本当に見事だったのです。

到着したときには「家を間違えたかな?(失礼)」と思ったほどに外観も変化していました。

自然農園では土が生命を取り戻し、草が命を芽吹き、虫が生まれ、鳥がやってきます。

そして犬くんは雑草を食べ、小さな虫を追いかけ、野生動物の見張り番をするようになりました。

何よりも犬のしぐさや目つきや表情に「余裕」が感じられるようになりました。

余裕が生まれるとコミュニケーションを理解する力も発達します。

トレーニングクラスの環境整備といってもここまで自主的に勉強して取り組まれることはまれだとは思います。

でもそのセンスの中に人が犬と暮らしていく可能性を見出せるのです。

だから運転辛い、移動がきつい、でも家庭訪問レッスンをなかなか終了することができません。

 

そこで「野菜の種」をいただきました。

なかなか実行できかった私ですがこの春はとりあえず「種まき」から。

犬が育つ環境を育てる。これこそ犬のトレーニングクラスの学びです。

 


自然農園で成長するフレンチブルドッグくん

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「先生には犬のテリトリーが見えるんですね。」というコメントについて。

家庭訪問レッスンのメリットは、犬が育っている環境を細かく見ることができるということ。

次に、犬の普段の行動を直接自分の目で確認することができるということ、です。

他にもたくさんのメリットがあって、その中に飼い主さんとマンツーマンで話ができるということがあります。

セミナーはゼミ形式のクラスでは、他の方が気になって質問できない方もたくさんいます。

こんな質問聞いてもいいのかなとなるところをマンツーマンだと次第に遠慮せずに質問してくれます。

中には「先生何歳ですか?」といった質問に及ぶこともあるのですが、その前にもっと犬のことで聞きたいことが山積みであるでしょう。

その生徒さんからの質問は私の発想の思いもよばない内容になったり、ああそこがわからないのかとか、ああそんな風に感じられるのかとかそうした飼い主さんの味方や考え方を知る貴重な機会です。

先日、家庭訪問レッスンに伺ったときに、生徒さんと「犬のテリトリー」の話になりました。

もう数年クラスを継続されていて、飼い主さんの理解力や情報力は上級者レベルです。

駆け出しのドッグインストラクターよりは圧倒的に高いレベルの知識を備えていらっしゃるような状態です。

犬の行動がどのように決められいくのか、表面的な話ではなく「犬のテリトリー構成

という行動学的な内容でお話しすることでより犬について興味を持ってくださいました。

その説明が終わると、こういわれたのです。

「先生には犬のテリトリーが見えるのですね。」

これは質問というよりも感想にあたるコメントです。

ですが質問同様に「なるほど、飼い主さんはそのように見ているのだと知ることができました。」

 

わたしはこうお答えしました。

「私が見ているのは、犬がテリトリーを守っているとき、そして私のテリトリーを侵害しようとしているとき、の二つなんです。」

そうすると飼い主さんはとても納得された様子でした。

 

グッドボーイハートのトレーニングクラスを受講されている方なら、きっとこの言葉の意味を分かっていただけると思います。

こうして私はどのような説明をすれば、飼い主がより早く理解にたどり着けるのかをクラスを通して学んでいます。

この数十年の空いたに何件のプライベートクラスを開催したのか数えることもできませんが、この間に生徒さんからたくさんの質問を受けることで自分も学びを重ねることができました。

以前、とても有名な方(誰であったか思い出せないのですが…)がこんな感じのことを言われていました。

まず自分が理解するのに1年かかったらそれを人に説明できるようになるのにさらに数年が必要になると。

このことは全く自分に当てはまります。

私がわかっていることを人がわかるように説明するのにとても時間がかかるのです。

自分の中での消化する時間というのが必要になるからです。

だから気長にお付き合いいただきたいと思います。

20年前の私は今の私と別人ですし、10年前に犬について知っていたことももはやほんの少しだったり間違っていることもたくさんありました。

今では結構いい線まで来ていると思います。

すごく時間がかかりたくさんの学ぶ時間をいただきました。

と思ったら結構年齢もとってしまい、せっかく学んだことをどのようにみなさんにお伝えしていったらいいのかと今考えているところです。

とりあえず、ブログという方法があります。

もう若い方は文字もあまり読まないらしいですが、動画配信まで遠いのでブログをつづっていきます。

どなたかもっとできる方は、それぞれの立場で犬にとって大切なことを伝えていってください。

お預かりクラスで伸びをするレオンちゃん

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馬の世界の「馴致」という社会化の必要性は当然犬にもあるのをご存じでしょうか。

先日おすすめの本の記事で紹介した「馬はなぜ走るのか?」の中に“馴致”

という学習についての内容がありました。

馴致といえば犬の社会化トレーニングでも使用される言葉で、馬でも使うのかと思ったのですがどうやら競走馬では馴致は「乗り慣らし」として周知されている言葉だということを知りました。

そういえば「馴れる」の文字は馬偏なので、至極納得です。

本の中にある競走馬でいうところの「馴致」の内容がとてもわかりやすいもので引用を含みながら紹介します。

サラブレッドとして繁殖された馬が競走馬になるためには訓練が必要だがそれをする前段階として「馴致」を説明されています。

ここから引用

馬に対して競走馬としての訓練を始めるには、その前段階として、

1.人間の存在に馴らす

2.人間の指示に従うようにする

というふたつのステップが必要になる。馬を人に慣れされる、あるいは競走馬として扱うことに馴れさせる、いわゆる「馴致」である。

引用ここまで「馬ははぜ走るのか」より

この二つはサラブレッドが競走馬になるために必要なことはもちろんながら、その前段階としての馬が人に飼育される動物になるために必須項目なのです。

この馴致は犬のしつけ方やトレーニングの世界では「社会化」と言われます。

犬の社会化は広義の意味で、その中に馴致という狭義の部分が入っているのは馬と同じです。

「犬の社会化」という言葉はここ10年くらい前から日本では認知が広がり始めました。

今は一般の飼い主でも「社会化」という言葉を知っていることが多く、変わったなという印象を受けます。

犬の社会化が認知され始めたのは「犬はきちんと社会化されないと成犬になったときに吠えたり噛んだりするようになるますよ」という動物病院やペットショップなど飼い主がはじめに接触する犬の専門家からの指導によるものだと推測します。

言葉上では正論である前出の一文ですが、そのやり方についてはひどく間違ったものになってしまった結果が今の犬たちに表れています。

犬の社会化をたくさんの人や犬に会わせること、いろんな場所につれていくこと、たくさんの刺激を与えることだということは犬の社会性を発達させるよりむしろ疎外してしまいます。

犬の社会性を育てる際の基盤になるのは犬でもやはり「馴致」なのです。

1 犬を人に馴らす

2 犬が人に従えるようになる

この二つの犬の馴致についてご存じでしょうか。

例えば、犬を人に馴らすとは人が抱き上げたりなでたり食べ物を与えたりほめたりすることではありません。

そもそも子犬が人に馴れているものだと思い、最初から友達のようになれなれしく接するでもありません。

子犬にもっとも大切なこの馴致の過程について、この馬の本はとても参考になる内容が書いてあります。

そろそろ読んでみたくなりましたね。

「犬の馴致」についてもっと学びましょう。

 

関連ブログ記事→

おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。

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「自然が好き」とは簡単にはいかないが「自然の中にいる犬が好き」なら納得できる

福岡の都市空間を車で行ったり来たりする仕事をもう長く続けています。

家庭訪問形式のトレーニングクラスをどうしてもやめることができないからです。

一時は博多駅の近くにドッグスクールを持って、そこに通学で通ってきていただいたこともありました。

しかしやっぱり犬の問題となる行動に取り組むためには、犬の社会性を養う方法をお伝えするには、最初はご家庭が一番だという結論に達しました。

犬が日常生活を暮らしている家庭の中での「様子=行動」の実際を見た方がより犬のことがわかり、その環境の中で起きている問題を解決する糸口も見つけやすいのです。

しかし同時に犬には自然と関わる時間がすごく大切なのだということをお伝えしたいとも思っています。

家庭訪問クラスを続けながら、いつかチャンスをつくって犬といっしょに七山のグッドボーイハートを訪れてくださる機会を私が一番待ち望んでいます。

今日もまたはじめて犬ちゃんとご家族がいっしょにグッドボーイハートの尾歩山にトレッキング体験に来てくださいました。

小さな子供たちもいっしょに、ワーワーと楽しく山を歩きました。

まだ小学生だというお姉ちゃんもバランスを取りながら、数か月の犬ちゃんといっしょにはじめての山歩きです。

「山に来るのははじめて?こんなところはどんな感じ?」と聞いてみました。

「気持ちがいいから好き、でも虫が嫌い!」

子供は正直です。

私だって答えは同じです。

自然はとても気持ちがいい、でも虫は大嫌いです。

でも私が虫が嫌いだからといって自然の中で過ごす犬の姿を見る機会を失うことは考えられません。

すべてを受け入れることはできないかもしれない、それでもやっぱり自然は犬にとって必要なのです。

 

少々くだらない話ですが、パソコンに出てきた「あなたの将来の夢を探す適職診断」というアンケートに答えてみました。

35個のたわいのない質問に答えると自分の適職が出るいうものでした。

結果に苦笑しました。

「あなたは・・・

自然と触れ合うのが好きなタイプ です。」

ということで、納得せざるを得ない結果となりました。

 

今日はいっしょに参加してくれた小さな未来の少年に「ぞうさんは?」

といわれてしまいました。

ぞうさんもたしかに自然の一部ではあるけれど、ここでは準備できそうにありません。

身の丈にあった自然のサイズの中で犬の世界は広がります。

虫が出動を始めています。

戦いが始まります。

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いろんな意味で「余裕のない犬たち」へ人が与えている影響について

都会の犬たちを見ていると、そんなに焦らなくていいよ、そんなにびっくりしなくていいよ、そんなに興奮しなくても大丈夫と声をかけたくなります。

彼らには余裕がないというか、状態を表現するにはあまりにも漠然としてますがその言葉がぴったりきます。

人でいうといころの余裕がないという場合にもいろんな余裕のなさがある中で、一番ダメージが大きいのは「心に余裕のない状態」でしょう。

心に余裕のない状態になると、本当は自分の元にちゃんとあるべきものも「ない」と思い込んでしまうからです。

本来なら「動物を飼う」という選択は余裕があってするものというのが私たちの子供のころの考え方でした。

お金に余裕がある人が犬を飼う。

犬を飼えるスペース(庭)がある人が犬を飼うことができる。

余裕がない家で犬を飼う場合には、餌だけ与えてあとは自由という明治時代のような飼い方であったと思います。

昭和の初期にもこんな犬の飼い方はまだ通用していました。

でも今はそうはいきません。

だから今は余裕のある人が犬を飼うはずなのですが、本当にそうなっているでしょうか。

 

都会で飼い主さんと暮らす犬の元にはなんでもあるはずです。

食べるものもある。

たくさんの水もある。

安心して眠れる場所もある。

共に過ごす仲間もある。

余裕のある人に飼われた犬ならなんでもちゃんと持っているはずです。

ところがそうなっていない、だから都会の犬たちには余裕がない状態なのです。

ではそれはなぜなのだろうかと考えていました。

 

今お預かりの犬ちゃんといっしょに七山のオポ邸で過ごしています。

裏にや尾歩山(おぽさん)手前にはオポ広場とオポづくしの空間の中で感じるのは、ただ広いということ。

広いといってもコンクリートで固められた駐車場とは違います。

少しでもスペースがあれば芽を出そうとするたくましい雑草やら木々やらの生命の宿る地面がどこまでも続いています。

一日中庭や山を犬といっしょにうろうろと歩いていると、ここにはたくさんあるけれど都会にはないものがあるな。

「自然空間」そして「時間」。

どんなにたくさんの「もの」を持っていても、自然を感じる空間と時間を失うと心に余裕がなくなってしまうのかもしれない。

こうした土地は産業の盛んなお金を生み出す都会とは切り離されて存在していることがあります。

でもこの無駄に広い新鮮な空気が流れるこの空間が犬に心の余裕を与えていくのを感じるたびに、どうにかして犬の中にこの空間をと考えるのです。

犬だって普段は穴藏生活をするような動物です。

寝たり食べたり休んだりする場所は狭い場所の方が落ち着きます。

でも活動するならやっぱり犬がもともと生きていた場所、山という存在が自分の中にあることを体感している犬とそうでない犬では、生涯を喜びが違うと思います。

私が犬たちを見ていて感じたことで、科学的な根拠も裏付けする資料もありません。

何が犬の幸せなのか、何が犬の喜びなのか、と聞かれることがありますが、それをホルモン量の測定値で知ったところで何になるのでしょうか。

瞳の深さ、毛の輝きや柔らかさ、体の動かし方、そんな犬が一番美しく見える場所が山だというだけなのです。

そしてその山は犬の心にきっと余裕を与えてくれます。

その犬にとって一度しかない生涯をどのように飼い主と過ごすのか、犬の生涯は人次第です。

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「犬に嫌われるたくないから叱れない」飼い主さん、犬に捨てられますよ!

みなさんの反感を買うかと思ったけどなかなか好評だった記事があります。

最近のブログ記事「犬になめられて喜ぶ皆さん、犬のことを「舐めんなよ」!【前編】

が以外に高評価を得ました。

「思い当たるところがある。」

「自分も犬になめられていると思う。」

などの意見をいただきました。

飼い主としてを客観的に自分を評価する機会がみなさんには必要なのだと思い、今日も思い切ったことを書いてみます。

多くの飼い主はわが犬に嫌われたくありません、むしろ好かれたいです。

その気持ちは飼い主として犬と暮らしていた私にもよくわかります

とても大切な気持ちですし全面的に尊重します。

ただ違うのではないかと思うのは「犬に嫌われたくないから叱れない。」という場合です。

 

子供を育てたことのある方なら「子供に嫌われたくないから叱れない。」という親をやさしく思いやりのある親と評価づけることはないでしょう。

親なのにこんなことを言ってしまったら親としては失格です。

子供を叱るのは「子供の立場に立って子供にとって必要だと思うときに叱る」ということではないでしょうか?

子供は感受性が高く素直な動物であると思います。

親が適切な形で適切に叱れば、子供はそれを受け入れた上で親という存在を尊重する。

そしてそのことで自分も尊重されたと感じるのではないかと考えています。

 

犬の場合にもそれは同じです。

犬は必要なときに叱責を受ければ、はじめは反発するようなしぐさをみせても、飼い主の態度を受け入れ尊重し、また自分も犬として尊重された感じるはずです。

犬はより強いグループに入りたいという社会的欲求を持っており、そこに自分がいることに満足を得てまた成長を促す機会にもなるのです。

逆に犬がどのような行動をしても「かわいいから~」とそれを許し「嫌われたくないから」と犬を甘やかすと、犬はどんどん不安定になりストレス行動を連発していきます。

その先には「このヤバい飼い主の元から逃げ出したい」という逃走欲求が芽生えてきます。

犬の好き嫌いで発しているのではなく、犬の欲求のバランスにより発しているのです。

もし山でリードが外れて犬が飼い主の足元から逃げ出してしまったら「犬にとってあなたにはそれだけの価値しかなかった。」と思ってくださいと私は飼い主さんにお伝えしています。

笑い話のようなコメントですが、本当に笑えるでしょうか?

 

ではやみくもに犬を叩いて叱っていいかというとそんなことではありません。

「犬を叱る」という言葉の意味や定義や使うべきときをコミュニケーションとして理解する必要があります。

それもまたドッグトレーニングとしてみなさんが学ぶべきことのひとつです。

私自身もたくさんのコメントで飼い主さんから嫌われるだろうと思うときはたくさんあります。

ドッグインストラクターとしては飼い主と出会う時間と回数の制限があります。

本当に限られた時間の中でできるだけたくさんの真実を伝えたい、そのためには直球を投げるしかありません。

相手に拒否されたくないという気持ちで曖昧な言葉を使ったり、犬のことより飼い主を喜ばせることを考えるようになったら自分はもう終わりだなと思っています。

私は嫌われてもかまいません。

犬と飼い主にとって今一番大切だと思うことを、今伝えるべきことをこれからも話続けます。

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次々と現れるウイルスの出現は人間が野生動物を追いやったことにあるという仮説

今年に入ってから読みたい本が積みあがっていきます。

生徒さんからお声かけいただいた「馬の本」

ぜひ読んでくださいとすすめられた「環境の本」

そして昨日もまたラジオから流れてくる対談の言葉にひかれ興味を持った先生がいます。

 

山本太郎先生という感染症に関する書籍の著者でもある先生です。

ラジオの中で耳にしたのは次のような言葉でした。

新型コロナウイルスはそもそも戦う相手ではない、

感染症の発生は近日、あまりにも多くなっている、

新型コロナウイルスはスペイン風邪などに比べれば恐れるべき感染症ではないが、SNSの普及がこの感染症の脅威を増大させた、

人類に影響のある感染症のほとんどが野生動物から発生しているが、その野生動物を追いやっているのは人間である。

そんな内容でした。

私もそもそも感じていた動物と人の関係性について、山本先生の視点では野生動物と人のかかわりを感染症からみるということのようです。

自分の中では犬と人とのかかわりと距離感を犬の行動からみるということなのです。

ここでいう「みる」とはただ視覚的に見るといういみではなく、そこから知見していくという意味です。

人間が野生動物との境界線を越えて野生動物を追い込んだことが昨今の感染症発生の多さにつながっていると指摘される山本先生の視点は、犬についても応用されるような気がしています。

犬もまた、人の愛情と親切によって追い立てられて行き場を失っている動物です。

犬は徹底的な管理と消毒によって人に害を及ぼすような感染症を封じ込められています。

ところが、封じ込められない「犬の行動」というものがあり、その爆発する行動が現在では動物としてはかなり異常だと思えるほどひどいものになりつつあります。

新型コロナウイルスを悪いものやっつけるもの、封じ込めるもの、として戦う姿勢が多い中、ウイルスも生物の一部だとして大きな視点で科学的に説明してくれる先生の本をぜひ読んでみたいと思いました。

さっそくアマゾンのほしいものリストにいれました。

今年は読みたい本がたくさんあります。

学びの一年、これからスタートです。


 

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

トリミング中に犬が死亡という記事について今お話しできること

福岡県で起きたトリミング中に犬が死亡するという痛ましいニュースに胸を痛めた方もいらっしゃることと思います。

亡くなられた犬ちゃんのご冥福をお祈りいたします。

事件を起こしたトリミングショップと同じ動物取扱業者としての私が今お伝えできることだけを簡単に述べさせていただきます。

当事件については直接見聞きしたわけでもなく今から詳細について具体的にわかってくるものと思います。

トリミングであれペットホテルであれ、犬を飼い主の元から離してお預かりするには最善の注意と管理を徹底することはこの仕事の責任であることは間違いありません。

しかし、飼い主のいない状態で犬に対してどのようなことが起きているのかを飼い主は直接知ることはできません。

写真や動画や報告書といった形でお伝えすることはできても、飼い主がその場についているわけではありません。

犬に対するトリミングなどの手入れ、動物病院での診療やケア、ドッグスクールでの訓練はトレーニング、ペットホテルや犬の保育園などで過ごす時間など、それぞれの立場とポリシーを持って対応しています。

それぞれの立場というのは、病院、トリマー、ドッグトレーナー、ペットシッターなどが自分ができることとやるべきことの自覚を持っているということ。

それぞれのポリシーとは犬に対する価値観やモラルなども含みます。

それがお店や病院やスクールによって多少の違いがあるということは、飼い主側に選択の権利があるということです。

例えば動物病院であれば近いからお世話になっているという理由のほかに、先生が話しやすいとか診察内容が信頼できるなどもあると思うのです。

トリミングショップやドッグスクールも同じように、飼い主さんの選択する理由というのがあったのだと思います。

この人にだったら犬を預けてもいい。

このトリマーにだったら私の犬をケアしていただきたい。

このドッグトレーナーにだったら犬のことを教わりたい。

そんな選択ができるほど今ペットサービスの数はとても増えています。

なかなか表面では見えない犬に対する価値観を、まずは飼い主さん自身で知っていただくことが最も大切なことではないでしょうか?

サービスといっても提供しているのは「人」です。

価格やチラシのデザインや店の風貌も大切ですが、どのような人がどのような価値観で犬とかかわっているのか、時間をかけて知ることが自分の犬のためにできることだと思うのです。

現在様々なペットサービスを利用中の方は、「選びなおし」もありだと思います。

私自身も近いから選ばれるドッグスクールだとしてもうれしいことではありますが、「ブログを読んで興味を持ちました。」と言っていただけると数万倍うれしいものです。

この事件をただ傍観せずに、飼い主としてできることをやっていきましょう。


 

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