グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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環境を変えられないなら足すしかない、それもできないなら動くしかないか。

寒波でご心配いただいておりますが今のところ福岡近郊をウロウロしています。

しかし週末にはあの山に向かって走る予定なのでまたインスタグラムでご紹介します。

先日のすごい勢いで書いたトイレ問題のブログ記事を少し整理しておきます。

ブログ記事→都心の犬のトイレ問題でぶつかる人と人の「環境問題」を解決する方法はあるのか?

 

都心の犬の排泄に嫌悪感を示す地域住民と、犬のことを思う飼い主側とのトラブル。

解決の方向に向けて動けるのは人間だけ、しかし犬の排泄場所を指定されるとなると犬自身にとっても重要な問題です。

前回のブログ記事で問題として指摘したかったのは「環境に問題がある」ということです。

その環境とは都市環境の構成の在り方ですが、すでに作られてしまった住宅地や都市空間を今さら変えるということもできません。

 

すぐに変えられるのは自分の敷地の中のことだけです。

その自分の敷地すら集合住宅の中にあるとなると規則が多くどうしようもないということになります。

一時あった犬と暮らす人だけが一緒に集まって住むような「ペット可」ではない「ペット重要視」マンションも上手くはいきませんでした。

犬との暮らしといっても価値観は人ぞれぞれです。

同じマンションに住んでいるからといって親しい関わりをすべての人は求めてはいないようで、近すぎる距離間の中ではプライベートを重要にしたいというのが都心の方の本音ではないでしょうか。

となるとマンションの中には犬が好きな人と犬が嫌いな人がいる。

さらに犬を飼う人同士の間にも価値観の違いがあるとなっていきどんどん分かれてしまうのです。

マンション内の自分の敷地も上手く使えないというのが実情といったところでしょう。

 

となると問題の解決方法はひとつ。

環境が足りないならなんらかの方法で足すしかありません。

その足算とは今ある敷地以外に使える場所を持つということです。

都心の方はこの考えでドッグランに出向くのかなと思います。

ドッグランなら犬をリードから解放できる…と誰もが単純に思ってしまいます。

うちのダンナくんも私と出会っていないくて犬を飼っていたら

「間違いなくドッグランに犬を連れていってリードを外した」と断言します。

 

犬は走り回りたい場所を必要としているのではなく、生活空間の延長となる場所を自然の中に必要としていると考えると、ドッグランという交流の場ではない自然な空間を選択されるのではないかなと思います。

そこで考えるのが自然の残っている人の立ち入らなくなった田舎です。

昔は人が住んでいた日本の田舎。

今ではすむ人もなくさびれて荒れ果てています。

犬たちを休ませながら人が手入れをすれば、荒れ果てた山も生き返り、山が生き返ると海も豊富になってくると思うのです。

問題になるのは都心と田舎の行き来に時間がかかることです。

道路問題がもっと整備されれば、交通事情がもっと変われば、

犬にもうひとつの空間を準備することなど大したことではないと思います。

田舎の土地の値段はびっくりするほど安いのだけど、そこに移動するためにかかる時間のために敬遠されてしまいます。

さらに敬遠される理由はその土地が整備されていないからです。

土地を整備して家をリフォームしてと考えるとたくさんの資金が必要になります。

常套句ですが、宝くじでも当たったら「犬との暮らしを新しくする基金」として使いたいくらいです。

 

でも少しだけここに風が吹いているような気がするのです。

そうです。コロナ禍で広まったテレワークという働き方なのです。

都会ではなくても仕事はできるじゃないかと動き出している人たちがいます。

都心はウイルスで危機的な状況になっています。

それが日本の国全体の危機を招いているように感じてしまうのは、あまりにも一極集中にしすぎた都市の作り方ではないかと。

そろそろ分散が必要になってきたこの波に、若い飼い主さんこそぜひ乗って下さい。

私は旅行は好きじゃなくて、犬と過ごすことが大好きですというなら、

今ある都心の空間とはすごく離れた場所に居心地の良い場所を確保するというのもひとつの生き方改善です。

その方向性なら犬の賛同も得られそうです。

しかし人間の生涯も80年のうちに自律して活動できるとなると30年くらいと案外短いものです。

犬の生涯はもっと短く即決しなければいけないこともまた多しです。

なんだかムズムズしますが、結論としては自然で過ごす時間を増やして下さいと、そいういうことに行きつきます。

 

 

 

 

 

 

Posted in 犬のこと, 自然のこと, 未分類

都心の犬のトイレ問題でぶつかる人と人の「環境問題」を解決する方法はあるのか?

今日は生徒さんからあるインスタグラムに掲載された事件について考えたことをお伝えします。

犬の排泄に関するトラブル

今回見せていただいたインスタグラムのコメントはそのひとつに過ぎず、同じような問題はつねに身の回りに起きていますのでみなさん我が事として考えていただけると思います。

犬の排泄でおきるトラブルとは、犬の排尿、排便に対する地域の方の嫌悪感です。

この話題については過去にブログでも紹介しました。

排便については取り去ることや、犬が便をする直前にチラシを引くなどして無事に「キャッチ」すれば、地面を汚すことなく排便を持ち帰ることができます。

やっかいなのは排便ではなく排尿の方なのです。

 

犬の排尿に嫌悪感を示す地域住民の気持ち

犬が排尿をすることで地域に迷惑をかけてしまうと配慮できる飼い主はたくさんいます。

結構たくさんの飼い主がペットボトルに水をいれて持ち歩き、犬が排尿をした後には水で流すなどして臭いが残りにくいようにしています。

そこまでして配慮をしていても、それでも犬に排泄をされた場所のすぐ近くに住む住民が、犬が排尿することと不快に思ってしまうというのもまた事実なのです。

犬の排尿を不快に感じる地域住民は直接的に飼い主に注意をしたり「犬の排泄お断り」の注意書きを貼ったり、また水を撒く回数を増やしたり、中には犬が散歩に来る時間帯に水を撒く行為をして追い返すということもあるかもしれません。

住民側にすると自分の家のすぐ近くで排泄をする犬は一頭ではないはずです。

一頭の犬が排泄をすれば同じ場所でまた別の犬も排泄をすることになります。

同じ場所に一日に何頭も排泄をする、それがコンクリートやアスファルトになって街中で風の流れの滞りもあれば、それはすごい悪臭になって感じられるでしょう。

臭いというのは一度気になると、その後もずっと気になるようになります。

そうすると散歩で通りすぎる犬をマークすることになり、犬が散歩している姿すらも受け入れなくなります。

地域が狭い都市環境や、郊外でも家が立ち並ぶような場所であれば、当然そうした不快感を犬に感じてしまう人たちが出ても不思議ではないのです。

飼い主側はこの住民の反応を異常だと感じるかもしれませんが、この住宅が立ち並ぶ環境の中にたくさんの犬が住んでいることの方がずっと異常事態であるということもまた事実なのです。

 

犬にどこで排泄をさせたらいいのか?

では犬にどこで排泄をさせたらいいのかという疑問が出てきます。

一番問題のないのは、自宅でさせるという方法です。

多くの自治体がこの方法を奨励しています。

犬の排泄は自宅の敷地の中でさせることが最も早い解決方法です。

もちろんこれは一方的に人の立場にたった結論であって、犬の言い分は全く聞かない場合です。

人の都合だけを優先させるなら「犬の排泄は自宅の敷地に限る」とするのが良いでしょう。

ところが、犬には犬の習性というものがあります。

動物の福祉を実践することを推奨されているこの国では、犬は犬としての習性を発揮できるように犬を飼う必要がある、これまた法律で定められています。

犬の習性として考えるならば、犬は自分の生活圏内の一番小さな巣穴周辺では排泄をしません。

ある程度のサイズの庭があれば、その庭で排泄をさせて散歩中は一切排泄をさせずに帰宅することもできないことはありません。

でもマンションや庭のない家となると犬の習性に反する場所で排泄をさせる必要がでてきます。

また、犬は自分で行動できるテリトリーの一番最大限の場所に排泄をする習性があります。

これが公園などのふたつめのテリトリーでの排泄行為になります。

このテリトリーを犬が持っているかいないかで、犬の日常的な生活のストレスにはかなり差があります。

これもまた犬の習性によって生じる行動であって、犬としての動物の福祉を実現させたいならそうした場所に排泄する権利も与えなければいけません。

 

そもそもの環境整備が追い付いていない

ひとつを立てればひとつが上手くいかない、こうした状態が発生してしまうのは日本という国の都市環境整備があまりうまくいっていないからではないかというのが私の考えです。

日本のように人口密度が高く山が多くて開発できる地域が限られていて、しかもものすごい早さで都市化が進んでしまった国の中で、みんななんとか都会での生活を満喫しようとぎちぎちに家を建ててマンションに暮らし、そして犬を飼う。

ヨーロッパのそれのようにはなかなかいかないのだと思います。

どこかにしわ寄せがくるとしたら、それは犬たちにということなのかもしれません。

私たちには充分な空間もなければ十分な時間もないし、田舎と都心はまだ距離もあります。

都市と都市は高速道路で結ばれていても、田舎と都会はそうではないからです。

移動に時間がかかりすぎて自然はとても遠いのです。

そんな中で今、双方にとってより良い答えというのを持たないというのはあります。

ただ唯一言えるのは、住宅街での犬の排泄は遠慮しましょう。

もちろん公園が良いとは言えませんが、まだ住宅街よりはましです。

河川敷や海や広場があるのならそちら方が排泄場所としてはまだましだというだけです。

そして今後の犬たちの未来のために、都市空間で犬と暮らすということをもっと考える機会を持ちたいです。

その機会を持つときには「犬はこういう動物である」という根拠を基に進めていきたいです。

犬が犬として暮らせる社会があることが、犬が人と暮らす価値のあることだと思うからです。

人の作った空間だから変えていくのも人であるはず。

マンションの形や使い方、都市空間の在り方。

もっともっとたくさん考えることいっぱいです。

犬との暮らしが大切だから、犬の幸せが大切だから、そして人が幸せでないと犬も幸せにはなりません。

それが犬なのです。

Posted in 犬のこと

犬の行動に自分(飼い主)がどの程度関与しているのかを見極めればしつけはできたようなもの

犬の吠えたり咬んだりという問題行動やトイレの失敗や異常行動などに悩みご相談いただく方がずっといるからこうしてドッグスクールとして長い間仕事をさせてもらうことができました。

仕事があるという意味ではありがたいのですが、それだけ人が困るような犬の行動が今でもあるという意味では犬への理解の普及というのは難しいのだなと感じます。

できるだけわかりやすく犬を理解していただくためにお伝えしているのですが、直球すぎて受け取っていただけないことも多いのです。

その飼い主さんに向けたド直球が今回の記事の題目です。

 

犬の行動に自分(飼い主)がどの程度影響を与えているのか?

 

おそらくですが、飼い主のほとんどはそんなことを考えたことはないでしょう。

犬がトイレの失敗をします…

犬が吠えます…

犬が噛みつきます…

その行動は飼い主というあなたが存在していることで起きているのだということを知るのはかなり大変です。

自分も飼い主のひとりであったわけですからわかりますよ。

自分の犬の問題行動を引き起こしている、つまり原因の中に「自分」が入っっている。

入っているどころか中心的存在ですらあると知ったときの衝撃と落ち込みが大変なものです。

だから飼い主はこう質問します。

「犬が噛みつくんです。どうしたら犬が噛みつかなくなるのですか?」

そうですね。たしかにあなたの犬は噛みつきます。

でももしあなたがここにいないとしたら…あなたの犬は噛みつくでしょうか?

 

噛みつく犬もいるかもしれませんし、噛みつかない犬もいるでしょう。

自分の家の中では噛みつく犬も、トリミングショップでは噛みつかないなど、そんなケースもありそうです。

いずれにしても、飼い主の存在はなんらかの形で家庭犬に影響を与えています。

それは良い方にも悪い方にも出ているのであって、犬にとって不利益な方に出ているときには「犬の問題となる行動」として見られるでしょう。

 

犬のしつけ方は飼い主がどのように行動を変化させることができるかで決まる?

 

飼い主の行動が犬に影響を与えているということに気づき、受け入れてしまえばあとはそれほど難しくありません。

自分がその行動のきっかけになっているのですから、あとは変えていくべきは犬ではなく飼い主です。

自分の行動をどのように変えていけばいいのかを指導するのが家庭犬インストラクターとしてのわたしの役割です。

ドッグトレーナーとは犬を調教する立場

ドッグインストラクターとは飼い主の指導にあたる立場

資格として明確な基準はありませんが、役割としてはきっちりと分けたいところです。

飼い主のこのような行動のパターンが犬に影響を与えていることをお伝えして飼い主側の行動矯正をお願いするのがドッグインストラクターの仕事です。

だから生徒さんはほとんどの人が

「犬のしつけだと思っていたのですが、このレッスンは飼い主のしつけなんですね。」といって笑うときがやってきます。

そう思えるのならもう結果は見えています。

悪いのは犬じゃなかった…。

悪いのは自分だったと思える飼い主の、あなたの犬はぐんぐんと変化していきますよ。

 

家庭訪問レッスンや通学レッスンで飼い主さんとお話しているといろんなしつけのヒントに気づかされます。

犬のしつけ方のヒントとは、もし自分が飼い主であったら当然考えたりやるべきことを普通の飼い主さんは考えたりやったりはしないのだということです。

こちらは犬のことをある程度は勉強してきたので飼い主といってもプロフェッショナル飼い主です。

生徒さんは普通の飼い主さん、何が正解かがわからなくてドッグスクールに通っているのですから当たり前のことです。

毎回のレッスンで学ぶことがたくさんあり勉強になります。

だからすべての生徒さんに言います。いつもありがとうございます。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

はじめてのトレッキングクラスで子犬にとって良いこととは「犬であることを思い出すこと」

グッドボーイハートの生徒さんたちの中には、ブログやインスタで見る「犬との山歩き」の姿にあこがれと希望を抱かれる飼い主さんがたくさんいます。

とても単純に「犬と山を歩くなんて楽しそう!」と思っていただいて全くかまいません。

しかし、この犬との山歩きを学ぶトレッキングクラスは実は本当に奥の深いクラスです。

もちろん価値観はそれぞれなので、ただ楽しめればいいのですという姿勢でも参加は可能です。

ただこの奥の深さに到達していただくことがわざわざドッグスクールで学ぶ価値のあることです。

先生の立場としては伝えることがたくさんあります。

説明すること、感じていただくこと、考えていただくこと。

 

先日は生後5ケ月の子犬ちゃんがはじめての山歩き体験をしました。

山歩きにはまだ早い月齢や状態というものあります。

犬だから山を歩くなどなんともないことなのです。

四つ足の動物が山道を歩く身体的な能力のことを、二本足のおぼつかない人間であるこちら側が心配する必要もありません。

もしもリードがなくて犬が走り出したら、圧倒的に犬は姿が見えなくなるほど遠くへと走り出し、わたしたち人類は追いつくなどできません。

だから犬が山歩きをするときに「大丈夫」などと励ます余裕があるなら、もっと人の方が自分のバランスをとって歩くことの方が大切です。

※子犬ではなく成犬であってもこれが一番大切なこと。

子犬にとって大変なのは身体的能力のことではありません。

テリトリーを離れるという行為が子犬にとってはとても大変なことなのだと理解してあげましょう。

子犬は生後6ケ月になるまではほとんど自分の生活圏をでることはありません。

生活圏とは巣穴まで自力で戻れる距離のことです。

この範囲は犬によりますが都市空間では数メートルしかありません。

あとは親犬について歩くだけ、その距離すらたいした距離ではありません。

危険があったら巣穴に戻ること。

これが子犬のルールだからです。

その子犬が移動した巣穴であるクレートからかなりの距離を歩いて進むわけです。

飼い主がそばにいるのだとしても子犬にとってはこれはかなり大変なことです。

ただ山から遠ざけられていた子犬たちは、テリトリーからかなり離れていることなど忘れてしまい、ただ山の臭いに誘われるように山を歩いています。

この臭い嗅いだことがある…。

子犬の脳はそう思っていることでしょう。

都会から山までの車での移動。

テリトリーを離れて歩くこと。

この二つのストレスがかかることを前提で子犬に山で過ごすことを体験させる価値がないかというとあります。

でもそれは人や犬がたくさん集まるキャンプに連れていくことでもないし、田舎のドッグランで走らせることでもありません。

子犬が安心して自分の周りの数メートルの範囲の情報を受け取り、その中に安心を獲得できるように入念に準備された空間の中で、子犬の脳はゆるみはじめ混乱を整理する時間を得るのだと思っています。

子犬の脳内のことをセンサーをつけてみるわけにはいきませんが、子犬の表情筋のゆるみや目の柔らかさを取り返したのを確認すると「自分は犬という動物だと思い出してくれたのかな。」と安堵します。

年末年始は大掃除の時。

犬たちが山で過ごせるように七山にこもるようにしました。

今年は帰省もしないし犬との時間を大切にしたいと考えている方はお気軽にご予約下さい。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

テレビのバラエティー番組で取り上げられる残念な犬の姿

先日レッスンのときに生徒さんとお話していて、犬を取り上げたテレビ番組の話になりました。

生徒さんが見たテレビは犬が視聴者の自宅でするイタズラ行動をどの犬がしているかを当てるような内容だということでした。

隠しカメラの設置によって多頭飼育の中の1頭の犬が留守中にものを破壊する行動をしていることがわかったのだけど、それを面白おかしく取り上げられていて最後は「楽しく笑い」を誘う内容であったらしいのです。

しかし生徒さんはその犬のやっている破壊行動がどうみてもストレスによる行動としか思えず「犬の悲鳴なのになんでわかってあげないのだろう…」と悲しくなり見るのを止めたとのことでした。

わたしは生徒さんの話を聞きこう答えました。

「自分でもきっと同じことを思うに違いないはずです。共感していただきありがとうございます。」と。

 

日常的に、犬や動物のテレビ番組をほとんど見ることがありません。

科学的に構成された動物のドキュメンタリーなどを厳選して見ることはありますが、まず絶対に見ることがないのが動物の登場するバラエティー番組です。

なぜなら動物の中でも特に犬を題材にした番組を見ると、怒りや憤りを感じるか違和感や嫌悪感を感じることが多いからです。

先の生徒さんと同じような気持ちになるのです。

犬の気持ちを理解することを全くせずに、犬の行動を笑い飛ばして自分たちの楽しみにしてしまう…あり得ないことと思われるかもしれませんが、実際には普通の方々が巻き込まれていることです。

メディアが準備した内容は間違いないという思い込みが、そのような形の犬の行動に対するひどい扱いを次々と生み出していきます。

テレビ番組で犬の行動が紹介され、楽しそう、イタズラしているから可愛い、お茶目など脚色された内容で落ちまでついていると、その犬の行動はそうしたものだと誰もが誤解するようになります。

誰もがというのは間違った言い方ですが、メディアが正義と思う人はそうなるでしょう。

 

犬のことがきっかけになったのかもしれませんが、自分はメディアの放送をすべて正解と思って受け取ることはありません。

本当にそうだろうか、いやそれは違うだろうという視点をいつも持っています。

自分だったらこう思う、この人はそうかもしれないが他の先生は違う意見でもあった。

などと納得のいくまでそうだと思わないような思考回路になっています。

専門分野外になると自分もついついあいまいな情報に惑わされることがありますが、簡単に正解はでないと思えるようなあいまいさを維持することの大切さを身を持って知っています。

テレビ番組に違和感を覚える自分、同じ番組を楽しむ人。

もはや共感をすることができない関係になっていきます。

犬に対する価値観は様々、犬に対する理解は二極化しています。

あなたはどちらへ進みたいのか。

今一度冷静に、犬を取り上げた年末年始の動物番組を見て考えてみてください。


 

Posted in 犬のこと

「都市化によって考えない人間が増えている」のに犬は自然なのだ。

昨日の「犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。」の捕捉です。

捕捉したい内容は“頭で考えてもわからない”というところです。

この“頭で考えてもわからない”を使って犬を語るならこうでしょう。

犬のことを頭で考えてもわからないことがたくさんある!

 

「頭で考える」というキーワードから、養老孟司氏が講演動画の中で「人間が頭で考えてもわかることには限界がある…だから自然に行け」というようなことを話していらしたことを思い出しました。

簡単な言葉のようでとても奥の深い言葉です。

同氏の著書『「都市主義」の限界』に記してあることが参考になりますのでこちらに引用させていただきます。

「なぜ、人間が都市を人工物で満たすかというと、一つには安心を得るためである。

人口のものは、物質に限らず、社会のシステムにしても、すべて人間の脳のなかにあったもので、人間であれば、少なくとも表面的には理解し、予測、推測できる。

これが安心につながることはお分かりいただけるだろう

引用:養老孟司著書『「都市主義」の限界』より

 

人間が頭の中で考えたものを形にしたのが都市。

そうであれば、その都市の中で起きることを予測したり推測することは簡単なのです。

ところが、相手が自然となると予測も推測も都市のようにはいきません。

だから自然相手のときには頭の中で考えることを止める必要が出てくるのです。

 

子供は都市の中にはない、なぜなら子供は自然だから。

同じように、犬は都市の中では理解できない、なぜなら犬は自然だからです。

こう考えると、犬のことを頭で考えることだけでは理解することができないことも納得できます。

犬を理解したいなら、頭で考えているだけでは行き詰るのです。

 

自然の中で予測したり推測したりするためにできることは、まず考えることを止めること、次に感じる事です。

ブルースリーの言葉をお借りするなら「Don’t think! feel.」。

「考えるな!感じろ」。

この名文句を実際にやっているのが自然の中で活動できる犬たちです。

山をゆるやかに動く犬の動きを見ていると、考えて行動しているというよりも、感じて行動しているという風に見えるのです。

とこうしてまた見ていることを考えている自分もどうかと呆れてしまいますが、考える癖が抜けないのが現代人です。

ある程度は考える人と感じる動物の犬。

このふたつの種類の動物がいっしょに山を歩くこと。

とてつもない力が生まれそうだと感じるのは私だけでしょうか。

すごく現実的かつロマンティックな犬との山歩き=トレッキングクラス。

参加するたびに変わるのは感じる力です。

犬も人もいっしょに自分の変化を楽しみましょう。

関連記事→犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。

Posted in 犬のこと, 自然のこと

犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。

先日のオポディにたくさんの犬たちと山歩きを楽しみました。

どの犬たちも尾歩山の山歩きトレッキングクラスになんども通ってこられて山に親しまれた犬ばかりです。

飼い主さんと犬の頭の中にはこの山のある程度のメンタルマップが出来上がっており、行動には安定が見られます。

このクラスにご参加されている方に「どうして犬と山歩きをするのか?」という質問をしても答えは簡単には出ません。

クラスにはそれぞれに目的があります。

トレッキングクラスを提供する側としては目的をある程度説明することができます。

でも、トレッキングクラスの目的は飼い主が犬と山を歩きたいという欲求と同じではないのです。

飼い主側の犬と山を歩きたいという欲求の一番は「気持ちがいいから」ではないでしょうか?

数頭の犬たちと飼い主さんの小グループトレッキングはとても心地よく気持ちの良いものです。

少し頭数が多くなるとテンションが上がりますから、ちょっと気持ちいいけどたくさん楽しいになるでしょう。

楽しいが多すぎると気持ちがいいが少し減る感じがするのです。

オポディのトレッキングはまず楽しいで始まり、その後は各自で気持ちがいいを探していただくようなクラスになりました。

なんども犬と山歩きをしているけれど、トレッキングクラスに参加しているけれど、まだ一度も「気持ちがいい」を体感したことがないのであれば、自分の気持ちが目標と達成に集中しすぎているのかもしれません。

何事もチャレンジ、目標があり達成がある。

そうやって頑張って生きてきたのですから、ただ犬と気持ちいいーと思うことができなくなってしまったのかもですね。

犬をいつも触っていたいとか、犬をなでたら気持ちがいいと思っている人こそ、犬との山歩きをおすすめします。

犬と山歩きの気持ちがいいは、犬に触って気持ちがいいを大きく超えていきます。

いつかきっと体感してください。

今年もあと少し、年末まで犬とトレッキングまだまだ行きますよ!


 

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犬の小さな変化を見逃さないことが犬との関係をより良くする

ご家庭訪問タイプのトレーニングクラスのために定期的にご家庭を訪問していると、犬の行動の変化を見ることができます。

トレーニングの内容に沿って進められた環境の変化に対する適応。

たとえばクレートというハウスで寝るようになる。

犬用のベッドで遊ぶようになる。

適切な場所に準備された排泄場所に排泄をするようになる。

そして排泄の失敗(トイレの失敗)というのがなくなってくる…など。

これはほんの一部ですが確かにトレーニングやしつけを行った結果に変化した犬の行動です。

ですが、犬の行動はいいことばかりではないし、いつもパーフェクトなわけではありません。

「今週も1回トイレを失敗しました…」

「まだ、とびつきがなおりません。」

「ものをかじるのを止めません。」

「吠えがなくなりません。」

飼い主側はできていない行動をたくさんあげられることは得意ですが、犬ができるようになったことを探すのは苦手のようです。

もう少しはっきりというと、犬ができるようになりつつあること、に気づかれるのが苦手のようです。

0か100。

完璧にできたら「できた」と思えるものも、中途半端な数字10とか50とか80ではまだまだ合格とは言えないので不安になられるのも分かります。

そのことに気づいて説明するのがインストラクターとして訪問している自分の仕事です。

先日まで訪問のときに吠えていたのが今は吠えていない。

最近まですぐに飛びついていたけれどゆっくりと近づけるようになっている。

ハウスの合図に対する反応がかなり高くなっている。

そんな、飼い主さんにとっては満点とはいえない犬の行動も、より良い方向に向かっていることを感じることができたら飼い主さんに報告しています。

これは、飼い主が現在整えている環境整備がうまくいっていますよ、ということなのです。

つまり自信を持ってこのまま継続されて構いませんという、私の中での合格サインです。

生徒さんからは「犬がまったくよくなっていないと思っていたけれど、こうしてお話を聞くと変化しているのがわかりました。」といわれます。

飼い主としてはとても高いところを目指しているので、そこまでにはまだまだ時間がかかるということで焦りがあるのかもしれません。

しかし犬のしつけや犬と関わるということは、完璧になりすぎてしまったら犬はそれだけ年をとったということもであります。

今「犬が出来ている」こと、今「私ができていること」を認めることの方がずっと有益だということを、客観的にみればわかることですが当事者というのはなかなかそうでもないのです。

責任感があってちゃんとしなければという気持ちが強ければ強いほど、犬へのプレッシャーもかかってしまいます。

犬がプレッシャーを抱えているシグナルとしては、しつけの練習の途中で逃げ出したり走り出したりしてしまうときです。

逃走は犬がもっとも得意とする行動なので、走り出すたびに練習を止めていたら練習にはなりません。

ただあまりにも拒否が強い場合には、少し深呼吸して自分にかかるプレッシャーを開放してから再びトレーニング練習にのぞみましょう。

繰り返し行動のしつけの内容はすごく単純で難しいことでも過酷なことでもないのです。

ちょっとの我慢ができれば、どんな犬にもできるようになります。

毎日が犬との闘いであっても良いではないですか。

より良い関係をつくるための闘争です。

犬を愛する気持ちが生まれるなら問題ありません。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

犬のするプレイボウ(遊びのお辞儀)は本当に遊びのシグナルなのか?

犬のコミュニケーションについてのお話です。

犬のコミュニケーション方法は嗅覚、視覚、聴覚といろいろと発信の方法があります。

ですが私たちヒトとしてより正確に把握できるのは視覚的なコミュニケーションです。

嗅覚や聴覚で受け取れるものもありますが、視覚ほどはっきりと認識できません。

だからまずは視覚をつかって犬のコミュニケーションを勉強するのが一番です。

 

今日は視覚的なシグナル「プレイボウ」=「あそびのお辞儀」を取り上げます。

プレイボウとは、犬が前脚を地面につけて尻を上げるポーズです。

お相撲さんのはっけよいのポーズに似ていますね。


 

子犬が遊びを誘うシグナルとされていることからプレイボウ=「あそびのおじぎ」という名前が付けられました。

同時に敵意のない行動だとしても知られています。

ただ実際にこのプレイボウのシグナルを犬が出しているときに、

犬と犬が遊んでいる

だから犬と犬は仲良しで友達

と断定してしまうのは早すぎます。

 

犬と犬はプレイボウをしている最中はお互いに対立を避けようとしている。

だけどその対立を避けるシグナルは次の瞬間に破られてしまうこともあるのです。

 

プレイボウで犬が飛ぶ方向は左右飛びです。

右に左に飛びながら犬は境界線を引いていきます。

ここまでがボクのテリトリー、だからここからこっちには入ってはダメだよ、

という境界線を引いているのです。

それがプレイボウの横跳びです。

 

テリトリーを守っている、テリトリーに入るなと言っているとなると

いっしょに仲良くお友達ということでもありません。

お互いのテリトリーを主張しあい、お互いのテリトリーが守られる陣地取りなのです。

 

子犬のころはこの陣地取りの行動を遊び行動として群れの兄弟犬たちと繰り返すことで自分のテリトリーを確保することを学びます。

だから遊び行動の中に見られるプレイボウ…ですね。

 

兄弟犬であってもプレイボウの横跳びから相手のテリトリーへ向かって飛ぶ前後とびや手をかける、体当たり、飛びつき、空かみ、甘噛み、立ちあがりが入ってくるとこれはもう闘争の形になっています。

これをみなさんはワンプロと言われるようですね。

ワンプロは闘争のひとつの形です。

もみ合って遊び楽しいで終わるのか、犬によっては他の犬が苦手になることもありますので要注意ですね。

プレイボウについてはこれまでブログでもなんどか取り上げましたので検索して探してみてください。

ブログで犬語の説明難しいですね。

かといってYouTubeで説明するのも虚しいし、また犬語セミナ―開催のときにはみなさんといっしょに学びたいです!

Posted in 犬のこと

犬のメンタルマップの神経回路基盤について得た助言

少し前のブログ記事で犬のメンタルマップについて書きました。

記事はこちらです。

犬の行動を決める「メンタルマップ」について考えてみました。

要約するとこのような内容でした。

・動物の脳内には「自分とその周辺の地図」が存在していてそれをメンタルマップと呼ぶ。

・メンタルマップは犬にもあり犬はそのメンタルマップを基に行動している。

・メンタルマップの構築は犬の場合、嗅覚で得た情報によって構成されている。

 

上記のブログ記事にも書いたとおり私は脳科学者ではありません。

あくまで犬を行動する立場にある人間ですが、その中で犬たちがどのような仕組みでどのように物事を理解しているのかが知りたくいろいろな科学的見方を探しています。

メンタルマップは行動を決める指針ともいえるもので、犬の行動を考える上で重要な情報なのです。

 

今回このブログ記事を読んで下さったグッドボーイハートの生徒さんからメールをいただきました。

内容は「メンタルマップの神経回路基盤について」というものでした。

なんとその生徒さんはメンタルマップの最前線で活躍している教授や研究者の方々から直接話を聞けるような研究室にいらっしゃるとのことで、メンタルマップについてより詳しい情報を得られるサイトを紹介して下さったのです。

詳しい情報にはメンタルマップを説明するにあたり3つの脳内の部品について紹介されていました。

この三つを動物がどのように使っているのかを理解することでメンタルマップがどのように構築されているのかがわかるようになる仕組みの部品です。

1 海馬

2 場所細胞

3 格子細胞

海馬については有名なのでご存知の方も多いと思います。

犬の脳内にももちろん海馬は存在します。

記憶の整理をする場所として有名な海馬ですが、メンタルマップも記憶を基に構成されていくので海馬が関係しているということでより分かりやすくなります。

私の説明では今一つなので生徒さんがメンタルマップについて要点として書いて下さったメールの一部をここに紹介させていただきます。

 

マウス脳において、記憶に重要な役割を果たす「海馬」という部位の中に、特定の場所にいる時のみ反応する「場所細胞」があること。(つまりカーナビでいうと「現在地」を告げる細胞)、またその特定の場所に反応する仕組みとして、三角の格子状に分布する点にいる時にのみ反応する「格子細胞」を複数組み合わせる機構(つまりカーナビでいうといくつかの手がかりから現在地の座標を計算する仕組み)があることが示されています。

 

犬が脳の中に自分を中心とした地図を構成するには地点というものがたくさん必要になるということです。

つまり地図を書くときに線を引きまくるのではなく、郵便局、銀行、パン屋さん、信号機、公園といったものがありそれを結ぶように道があるというふうに構成されていくということです。

さらに最先端で研究されている生徒さんによると「これはメンタルマップの神経回路基盤と言えるような研究」なのだそうです。

私のブログ記事を読んで下さり「神経科学的なレベルでの知見と実地で実際に生物に触れる行動分析のレベルで得られた知見とが合致するような結果」だと感じて下さったということでとてもワクワクいたしました。

さらにその地点を把握する方法ですが、動物は知覚に基づいて情報を得ます。

人の場合にはほとんどが視覚に頼っています。

しかしほとんどの動物は嗅覚から得られた情報を最優先にします。

この人と他の動物との違いについてはまだ研究がすすめられているとのことです。

しかしもうひとつ大切な情報として、実は海馬に直接的に情報を送り込めるのは嗅覚だけなのです。

だから嗅覚は記憶に最も近い情報とされています。

その海馬がメンタルマップの構築をしているとなると臭いを中心にして生きる犬などの動物の方がメンタルマップの構築はむしろ確実なのではないかと考えました。

カーナビを持たない動物がどこを見ても同じ風景の森の中を移動するための手段として使っていたメンタルマップ。

あなたの犬の中にはどのように存在していると思いますか?

続きはまた次回。お楽しみに。

 

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地図「オポの行動から学ぶメンタルマップの構築について」

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