グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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サントリーBOSSのCM「犬を飼っていない人からみた犬と飼い主の不思議な関係」

先日、車の移動中にラジオでサントリーの缶コーヒーBOSSのCMを聞きました。

あの宇宙人シリーズの「この惑星の人間は…」という内容で、私たちのごく普通の日常の中に不思議さを定義しくれる内容のペット編でした。

なるほどねとという内容だったので原文を掲載したかったのですが、ネットではコピーが見つからずある程度覚えていることを書いてみます。

CMの内容は、飼い主がペットの犬にしていることでした。

いくかのペットへの愛情ぶりを示す行為の中にペットの誕生日にはケーキを買ってお祝いをするというものがありました。

さらに、大切にされるペットとは真逆に夫の方はさげすまれているというような内容でした。

結局、この惑星ではペットがご主人のような感じであるというまとめで終わるのです。

大好きな自分の犬の誕生日なのだから、特別なケーキを購入してあげたりお誕生会をしてあげることがいけないというのではありません。

そこは飼い主の自己満足なのですから、好きだなけやったらいいと思うのです。

しかし、大切なことで絶対に忘れてはいけないことは「犬が本当に求めているのは誕生日ケーキじゃないでしょ。」というところです。

さらに宇宙人の言うとおり「どっちが主人か分からないじゃないか…」という問題は、犬にとって最もストレスのかかかる状態であるのですから大問題です。

犬が普段は目にしないバースディケーキという食べ物を喜んで食べるのは当たり前のことです。

でも、限られた生きている時間にはもっともっとワクワクすることってあるのではないでしょうか。

ペット化された犬には、犬としての本来の活動や喜びは必要ないと考える流れがあるということは知っていますが、私はまだ本来の犬とペット化した犬を完全に分けて考えることができません。

どんな犬種でもどんなサイズでも、どんなに可愛い風貌をしていても「君、犬だよね?」と考えてしまうのです。

最後に犬の生涯を決めるのは飼い主です。

みなさんにとって、犬とはどのような動物なのでしょうか。

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昭和のテレビドラマの犬の散歩風景を見て思ったこと。

ちょっとしたことがきっかけでとても古いテレビドラマの映像を見ました。

今から40年以上前の1979年に放送されたテレビドラマ「金八先生」です。

当時は中学生や高校生だったというみなさんならご覧になられたことがあると思います。

ですが、私はこのドラマを一度も見たことがなく、無料配信のアプリで見かけ興味本位で初めてみました。

ドラマの内容は一部しか見ていないのですが、進学校に通いつつ犬の訓練士になると宣言した中学校三年生だった自分の青春時代と重なることも多く、懐かしい想いがよみがえりました。

しかし、ドラマの内容よりも印象的だったのは、暮れなずむ町の~という武田鉄也の歌う「贈る言葉」ではじまるドラマのオープニング映像です。

土手を金八先生が歩いていくシーンで犬を連れた女性とすれ違うのです。

犬の種類はおそらくシェルティと思われます。

この昭和の時期にはアニメのラッシーが流行ったこともあり、ラッシーの役をしたコリーと似ていて少しサイズの小さなシェルティは日本で確かに流行った純犬種でした。

私が映像に注目した理由は、犬種がシェルティだったということではありません。

シェルティを散歩させているのは女性の飼い主でしたが、その飼い主がリードをまっすぐに上にあげて犬をやや自分に沿わせるように散歩をさせている姿です。

みなさんからしたら「まだまだ」の領域ではありますが、この時代には珍しくかつちゃんとした散歩の形です。

いつの時代も日本ではリードを持つ手を伸ばして掃除機のような形で犬を散歩させる人ばかりでしたので、このスタイルをスカートをはいてエプロンをはめた女性がしているというのは珍しい光景だといえます。

想像になりますが、シェルティを入手した際にこのような形で散歩にいくように指導を受けたのではないかと思うのです。

この時代にシェルティが流行っていたとはいえ、純犬種の犬を飼えるのは中流でも上向きの家庭もしくは上流家庭くらいです。

もしかしたらシェルティを散歩させていたのは、上流家庭のお手伝いさんという設定なのかもしれないと思いました。

時代を象徴する姿としてドラマのオープニングに登場したシェルティと歩く女性。

西洋の純血種が日本に入り始めた初期の頃は、散歩の形などは犬といっしょに輸入されたはずですが、そもそも犬につながずに飼う習慣だった日本人からしてみれば、西洋の純血種犬を飼うことなど分からないことばかりです。

この時代に私の家庭でも純血種の柴犬を迎えていたのですが、その飼い方は今思えば中途半端な形ではありました。

幸い動物好きの母親が厳しくしつけた柴犬は、飛びつくこともなく、無駄吠えも咬みつくこともなく、私の良い遊び相手となってくれました。

しかしそのことがきっかけでまさか娘が「犬の訓練士になる」と言い出すとは両親は思いもよらないことなので、娘に犬を飼ってあげたのは誤算であったと悔やんだことでしょう。

両親の誤算でしたが、私としては犬との出会い、犬について学べたこと、犬の飼い主さんたちとの学びが人生にとって最大にすばらしい時間となりました。

どんな時代にも人と生きた犬たちの時間、今現在人と生きている犬たちの時間、すべての時間が豊かなものでありますように。

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大好きな犬との距離感が近すぎて大切なことを見過ごしていませんか?

犬と暮しているほとんどすべての人が、犬の魅力にはまって犬大好きになるのは素晴らしいことです。

ですが、その大好きな犬への愛情表現の仕方によっては、犬との関係がうまくいかないということがあります。

例えば、大好きな犬への愛情表現の一部をご紹介するとこんな感じです。

帰宅してすぐに「ただいまー」と犬を撫で繰り回し、抱っこする。

「大好き」と犬を抱き上げたり抱きしめたりする。

部屋の中ではずーっと犬を撫でていて、始終くっついた状態でいる。

こんなことが日常的になっている飼い主がたくさんいるのだと思います。

しかし、こうした犬との関わり方はあまりにも犬が自分に対して近くにいすぎることで、実際に犬という動物がどういう動物なのかを知ることすらできません。

そもそも、犬が自律した状態で生きているのであれば、人の膝の上に登ってきたり、ジャンプしてとびあがってきたり、飼い主の寝ている上に乗っかって寝たりはしません。

落ち着いている犬であれば、興奮して向かってくる飼い主を上手にいなすでしょうし、飼い主に寄りかかって寝たり、膝の上に上がろうとすることはありません。

犬を動物として客観的に観察していくためには、犬と飼い主の間に一定の距離が必要になります。

先日、犬語セミナーを受講したあとにある生徒さんがいい話をしてくれました。

あるお坊さんのお話では、尊いと思っている仏像は離れて向き合って手を合わせて拝むものであって、近づいてじろじろとみるようなものではないという話だったそうです。

尊敬の気持ちがあるなら、一定の距離を保って見つめるのだということが犬と人の関係だと同じだと思ったとその生徒さんは言われていました。

それは、本当にその通りだと思いました。

一定の距離を保つことが「犬を尊重すること」だと気付いている飼い主さん、さすがにグッドボーイハートで共に長く学ばれているだけあるとありがたく思いました。

犬と少し距離を保って生活をすることを誤解されている方がいます。誤解とは、犬を撫でまわしたり、抱っこしたり、体に乗っけたりしなければ犬を可愛がる行為がないと思われていることです。

これは大きな誤解であって、むしろ犬を大切に想い、尊重する気持ちがあるなら、むしろ多少の距離をとって犬が何をしようとしているのかを見守る(観察する)姿勢になるはずです。

犬と飼い主の距離が近くなりすぎるということは、犬は行動の範囲が狭いと思い始めているということです。

犬の飼い主に対する執着行動は、犬の生活環境、子犬期の過ごし方、飼い主の価値観で決まります。

犬が大好き、犬のことをもっと知りたい、犬と良い関係を築いていきたいと思うのであれば、少し犬と距離を置いてみましょう。

私ももちろん犬が大好きですが、犬を抱き上げたり抱きしめたり、わさわさと撫でたりはしません。

本当に大切な存在であるからこそ大切に見守っていきたい、犬はそんな存在です。


 

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グループトレッキングクラス&犬語セミナーを開催しました。

今月もグループトレッキングクラスと犬語セミナーを開催しました。

トレッキングクラス開催の日の夜中からしとしとと降る雨の音に「明日トレッキングできかな…」と眠れぬ夜(本当に眠れなかった)を過ごしました。

当日の朝もほんの少しだけ残る雨でしたが、強気の生徒さんたちからの朝の確認連絡はほとんどなかったことで私も気持ちが盛り返しました。

少々の雨でもいつも室内に閉じこもりがちな犬たちを山で過ごさせたいという飼い主さんの気持ちが伝わったのか、開催時間には小雨もあがり無事にトレッキングクラスを開催できたのです。


 


今回は預かり犬たちもトレッキングに連れていくために、写真撮影の協力も生徒さんたちにお願いしました。



小さな犬たちもいるのですが写真が撮れていなくてすみません。

写真を撮ることよりも、今この瞬間に起きてることを心にとどめておくことの方がずっと重要なので、みなさんの心に残ったものこそが大切なものですね。

午後は犬語セミナーを開催しました。

はじめてご参加された生徒さんたちもいて、犬のコミュニケーションを読み解く方法をみなで学びました。

同じ動画を何度見ても見落としていることがあって、セミナー中に気づくこともたくさんあります。

他の方がどのように見ているのかを聞くことで開ける世界もまた楽しいものです。

セミナーの後半には、オポハチミツで作っていただいた美味しいお菓子をいただきました。



私の脳内の妄想コーナーに潜む“オポカフェ”を楽しませてくれました。

どんな自然の素材も作り手で変わり、どのような世界を生きていくのかも自分次第です。

犬と暮しているなら、自分の生活の中で生み出されるものを全部丸ごと大切にしたい。

今は犬を飼っていない私ですが、あの時の気持ちはまだ続いています。

グループトレッキングクラスだからできる飼い主さん同士の交流も、仲間がいるから大丈夫、ひとりじゃないから頑張れる気持ちを次々と生み出しているようです。

オポハウスではプライベートトレッキングクラスも開催しています。

家庭訪問クラスを受講された方ならどなたでもご参加可能です。

4月のトレッキングクラスは第4日曜日の10時集合です。

午後の犬語セミナー開催についてはまだ未定です。

犬語セミナーがなくても何かをしようとは思っていますが、決まり次第お知らせします。

 

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飼い主が強ければ犬は安心して暮らせるのが犬の群れのしくみです。

昨日はWBC(ワールドベースボールクラッシック)の決勝戦でした。

日本とアメリカの試合終了間際はと移動タイムだったために、訪問でインターホンを鳴らす時間がずれたことは幸いでした。訪問宅の生徒さんも「ギリギリ間に合いました。ちょうど今終わったので…」と出てこられたところでした。

野球に精通している方ですら生きてる人間とは思えない強さの大谷翔平選手らしいですが、今回のWBCを横目で見て感じたのは「主軸が強いと群れには安心感が生まれる」ということでした。

チームのリーダーとしてはまた別の選手がいらしたのだとは思うのですが、ピッチャーという主軸のポジションになる選手が圧倒的に強く存在感があれば、チームの選手全体がいけそうな気がするという気持ちが盛り上がるのは間違いないと思います。チームだけでなく応援している人々全体に「勝てる」という気持ちが強まったはずです。

このチームの中での大谷選手くらいの存在感が、飼い主と犬で構成する家族の中にあったとしたらどんなに犬は安心できるのだろうかと考えます。飼い主が大谷選手くらい強い主軸になるということですが、犬にとっての飼い主というのはそのくらい強い存在であってほしいと、私が犬なら思うでしょう。

この飼い主なら大丈夫、絶対に負けるはずがない、と犬が飼い主のことを認めてくれるようになれば、犬が吠えたり興奮したりするような乱れた行動をとることはなくなるはずです。

そんな大谷選手的存在になるために必要なことを、生徒さんたちに練習していただいているはずです。

同時に、気持ちの中でも「飼い主としての自分が主軸であることを忘れない。」自分の立ち位置を忘れずにそれを楽しむことも大切であると考えます。

大谷選手に学ぶことはいくつもありますが、大谷選手について語られていることのひとつに私も大きく感銘を受けたことがあります。

それは「緊張する場面に立たされたときに、どうしようかと考えることもあるけれど、それよりもここから何を学べるかを考えるようにしている。」というようなことを大谷選手が言われたということでした。

直接その言葉を聞いたわけではありませんが、いかにもそのように考えられる方だからこそ緊張や難しい場面から逃げずにいられるのだなと思いました。

私自身も困難に向き合ったときに、今学べることは何かと考えるように努力しています。

犬と向き合うときにも、なかなか行動に変化が見られない犬から逃げようとするのではなく、この犬の軸となるのは飼い主である自分、今この犬と向き合って何を学べるかを考えるようにしようと思ってみてください。

犬の軸は飼い主であるあなた自身です。

軸が強いと群れは強い、群れが強いと安心感が生れます。


 

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犬の散歩中の拾い食いは犬のストレス性行動です。叱る前に犬が必要とすることを学びましょう。

犬の拾い食い行動ってどんな行動ですか?

 

犬が散歩中に落ちているものを口で拾いという行動を見たことがあるでしょうか。

「犬の拾い食い」の多くは年齢の若い犬、散歩に出始めたばかりの犬によくみられる行動です。

犬は好奇心旺盛で何にでも興味を持つ動物なので、落ちているものを口にいれるのは犬としては普通の行動だと思っている方も多いと思います。

ところが、散歩中になんでも拾う行動は「犬のストレス性行動」なのです。

行動のパターンの中では、犬の衝動的な行動であり、継続して繰り返される執着行動のパターンです。

飼い主さんとしては、犬に危険なものを口にしてほしくないし拾ったものを取り返そうとすると咬みついてくるなどの理由でトレーニングを依頼されることが多いのです。

そこでこの行動がストレス過多の状態によって起きることを説明するとびっくりされます。まさか犬が落ちているものを拾う行動がストレスの表現であるとは思いもしないはずです。

犬が口にしたものが完全な食べ物だけであれば、犬は食べるものを探して拾っているということになり、食べられないものを拾うストレス性行動とは少しわけて考える必要があります。

公園でいつも落ちている木々の食べられる甘い実を狙って拾って食べるのであれば、それはストレス性ではなくただ食べたいという欲求で食べているだけです。

散歩の道中に落ちているものを一つ一つチェックしながら食べられるものを見つけている犬もいます。このように「落ちている食べ物を見つけるための活動」になっているとしたら、この散歩は本来の目的とは離れてしまっています。

一番よくみられる犬の拾い食い行動では、食べられない石や紙切れ、ビニール、綿ゴミなどの小さなものを口にする行動です。

 

拾い食い行動は犬が何歳くらいから起きるのか?

 

犬の拾い食い行動がよく見られるのは、犬が散歩に出始めたときです。

子犬を散歩させる前に入念な社会化学習の準備をしておけば、拾い食い行動はさほど長引きません。

ですが、子犬の外のにおいに慣らさずにいきなりリードをつけて歩かせようとするとこうした行動をすることがあります。

子犬の散歩のための事前準備に抱っこ散歩は入りません。

※子犬を抱っこして散歩することは、子犬が外で不安を作りやすい状態を作り出すだけで逆効果です。

また、犬が青年期に入り大体生後6ケ月から1歳半の間に起きる社会的な退行期で散歩中の拾い食い行動が出ることがあります。

犬が子犬から成犬に上がらなければいけないこの時期の年齢では、一旦獲得したように思えた社会化が崩れていく行動が見られます。

例えば、それまで他の犬の吠えなかったのに吠えるようになった。

散歩中に急に立ち止まる行動が増えた。

そして散歩中に拾い食い行動をするようになったなどもこの期間に起きることがあります。

 

犬の拾い食いはどのようにして止めさせたらいいのか?

 

犬のすべての問題行動について共通していえることは、叱っても無駄だということです。

犬の拾い食いも同じことですが、起きてしまったことにダメ出しをしても犬には理解できません。

それよりも、犬が抱えているストレスの解消をするために何ができるのかを考えた方が効果もあるし犬のためにもなります。

その犬が抱えているストレスとは、犬の社会化の未発達にありますが、またその要因となっているのはやはり「飼い主との関係」です。

逆をいえば「飼い主との関係性」さえ改善すれば、犬の行動は本当に激変してしまいます。

犬がどのような動物なのかを知っていけば、飼い主としてしなければいけない行動も決まってきます。

難しく考える必要はありません。

要するに飼い主次第で犬はどのようにも変化するのだということです。

少しやる気になってきたでしょうか。

犬のしつけ方を習うということは、犬がどのような動物であるかを学ぶということです。

犬は人ではなく犬なのだということに気づくことをぜひ楽しんで下さい。


 

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「犬が吠えたらどうしたらいいですか?」に答えはありません。

「吠えたときどうしたらいいですか?」という質問をよく受けます。

特に、トレーニングクラスが始まる前の方、トレーニングクラスをスタートさせたばかりの飼い主さんから多いご質問です。

残念ながらこの質問に対する明確な答えがありません。

「犬が吠えたとき、どうしたらいいですか?」と同じ傾向の質問は他にもあります。

「犬が咬みついたとき、どうしたらいいですか?」

「犬が飛びついたとき、どうしたらいいですか?」

「犬がいうことをきかないとき、どうしたらいいですか?」

「犬が呼んでも戻ってこないとき、どうしたらいいですか?」

最後の質問などは、どうしようもない状況になってしまっているので、犬が戻ってくるまで待つしかないということになってしまいます。

これらの質問に対する明確な答えはありませんが、質問の内容を少し変えるだけで答えが見えてきます。

「犬が吠えたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬が吠えないようにするために、どういいですか?」。

「犬が咬みついたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬に咬みつかれないようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬が飛びついたとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬に飛びつかれないようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬がいうことをきかないとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬がいうことをきくようにするために、どうしたらいいですか?」。

「犬が呼んでも戻ってこないとき、どうしたらいいですか?」は、

⇒「犬が呼んでも戻ってくるようにするためには、どうしたらいいですか?」。

 

こういう風に考えられるようになると、犬のしつけはぐんと進みます。

犬が間違ったことをしてしまったあとに「違う」を連発しても、犬は正しいことを覚えないということなのです。

犬には否定形「○○をしない」は伝わりにくいのです。

「吠えてはいけない」を教えるなら、「吠える必要がない」ということを教えなければいえません。

「リードを引っ張ってはいけない」を教えるなら、「リードを引っ張らずに歩くこと」を教えなければいけません。

人の心理学の講義でよく使われるのですが「ピンクの像を想像しないでください。」というフレーズを聞かれたことはないでしょうか?

「ピンクの像を想像しないでください、と言われているのにすでに私たちの頭の中にはピンクの像がいますね」という話で、人の潜在意識(無意識)領域では否定形を受け入れないということの説明で使われる例文です。

人の潜在意識には五感(視覚、嗅覚、触覚、嗅覚、味覚)を通して幼少期に蓄積された情報を元に習慣化された考えや感情、行動のパターンのことを言うらしいのですが、犬の意識はこれに近いと考えてあげると良いです。

犬の無意識とは、幼犬期に五感から蓄積された行動のパターンの他に、犬が生得的(生まれたときから遺伝的に習得している行動がベースとなっています。

犬の過剰な吠え(みなさんのいうところの無駄吠え)、咬みつき、飛びつき、散歩中の興奮などは、すべて犬のストレス性行動です。

犬が吠えたり、咬みついたり、飛びついたりするようになったのは、犬が生まれ持った遺伝的な行動に対してストレスを与えるような環境があったからそうなったのだということです。

犬は環境に対して素直に反応して行動や感情のパターンを身に着けてしまっただけなのですが、それが興奮しやすいとか、怯えやすいといった行動のパターンになってしまったのです。

これらの犬の問題行動に対してできることは、吠えていることを叱ることではなく、犬が吠えないようにするためにどのようにしていったらいいのかを考えることです。

もちろん、それは一瞬では達成できません。

1回のトレーニングでも絶対に無理です。

今まで続けてきた悪い行動の習慣化を断ち切って、新たな犬が落ち着いていられる行動の習慣化を身に着けさせる必要があるからです。

それでも犬は元のパターンにすぐに戻ろうとします。

何しろ小さな年齢で身に着けた犬の行動のパターン(無意識の行動)は、結構根強く残っており、簡単に方向を変えることができません。

それでも、やはり犬は変化していきます。

吠えて興奮したり、人に咬みついたり、リードを引っ張たり、飼い主に叱られたりすることよりも、犬にとっては落ち着いて安心できる環境があればそれに適応しようとするからなのです。

何よりも、犬の脳は「安心&安全」を求めていますし、犬には服従性という素晴らしい性質があります。

これこそ生得的に身についた犬の勲章ともいえる習性で、これを引き出された犬は素晴らしく落ち着いています。

「犬が吠えないようにするために、自分にできることは何か?」を考えられるようになったら、犬のしつけはすごいスピードで進んでいきます。

犬は飼い主さん次第でどのようにでも変化していく、これもまた犬の特性でありすばらしい柔軟性なのです。

 

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映画「愛と哀しみの果て(out of africa)の犬を見て思うこと。

好きな映画で何度見ても見飽きることない映画「愛と哀しみの果て」。

何が好きなのかというとアフリカの大自然の風景を見ることができるからだろうと思うのです。

そして、この映画に出てくるおそらくアイリッシュウルフハウンドがすごく素敵。

この映画は、小説家カレン・フォン・ブリクセンの書いた小説をもとに映画化されたものです。

映画のはじめでは1913年にデンマークからアフリカのケニアにカレンが列車に乗って旅するシーンがありますが、ここにそのアイリッシュウルフハウンド犬がいっしょに乗っています。

カレンと犬は列車をから馬車に乗り込み結婚式を挙げる施設へ到着。

到着するとカレンはその犬を座らせ「ちょっと待っててね」と言って立ち去りしばらくして戻ってくるともちろん犬は座ったまま待っています。

座らせるときに「オスワリ」などと合図する必要もないし、リードを置けばそこにステイするというのが当たり前になっていることがこの様子からわかります。

また犬のところにカレンが戻ってきてリードを持っていくのですが「お利口さん」などと褒めていることもありません。

出来るのが当たりまえ、それがこの時代の貴族が飼っていた犬だということがよくわかります。

到着したときにケニアの支配人はこのアイリッシュウルフハンドにびっくりします。

純血種にも驚いたのでしょうが、犬であれ動物をこうして従わせていることにもまた驚いたのでしょう。

洋犬の純血種は貴族社会の中で生まれたヨーロッパの文化のひとつです。

もはや100年以上前に築き上げられたひとつの文化で、クラッシックミュージックと同じように時代を経ても輝きはなくならないはずなのですが、音楽と違うのは犬には遺伝という難しいシステムが伴うということです。

繰り返される純血種の交配によってその遺伝子がどのように変化していくのか、ヨーロッパでは100年前と同じレベルで純血種の「形質」と「性質」を維持し続けることができているのか、実際にヨーロッパに行って犬を見たいと思うこともしばしばです。

この時代の純血種は本当に精密であり、現代新たに生れている新しい純血種とは一線を画すと思います。

さらにハイブリッドという純血種と純血種の混合となると、純血種以上の安定した性質となることは難しいのではないかと考えています。

100年前の貴族が暮らしていた犬はどのような犬だったのか、厳密に時代考証している信頼できる映画を見るしか方法がありません。

「愛と哀しみの果て」のアイリッシュウルフハウンドと飼い主のカレンですが、映画の最終近くにもまた登場します。

ヨーロッパから離れてアフリカで暮らしたカレンの孤独を犬が支えていたことがほんのわずかなシーンから想像できるのです。

この時代の人たちは現代のわたしたちよりも犬を動物として尊重することができたのかもしれません。

そのことが「できるように犬をしつける」という行為となったのではないかと思うのです。

犬を甘やかしておいて犬が吠えたりいうことを聞かなくなると叱ってそれを止めさせようとする現代の犬との暮らしを、カレンたちはどのように意見するのか聞いてみたいと思いながらこの映画に触れています。

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犬たちにも“どろんこパーク”が必要なのではないでしょうか?

NHK制作の「72時間」というドキュメンタリー番組があります。日常の72時間をいろんな場所で撮影した番組で、人々の生活の一部を知ることができ感じることは見た人任せでもあるので、ほとんどテレビを見ることない私でも気になる番組のひとつです。

年末特集として「72時間」の2022年の視聴者ランキングのトップ10が再放送されていました。その1位に選ばれたのが「どろんこパーク“雨を走る子供たち”」でした。

川崎市にあるどろんこパークという市の施設はNPO法人のスタッフが運営する無料の子供たちの遊び場だそうです。

撮影された72時間はほとんど雨続き…。子供たちは雨の中を走り回り、泥のウォータースライダーを滑り、どろんこまみれで遊んでいます。

学校に居場所を見い出すことのできない子供の姿もあって、室内では毎日することは自分が決める、その中で子供たちは今日を生き明日をどう生きるかを彼らなりに考えていました。

見方はいろいろとあるとは思うのですが「子供たちに大丈夫を伝えたい。」という大人の言葉が印象的でした。

どろんこパークでは子友達が遊び方を決める、子供同士の意見のすれ違いも子供だけで解決する、学びの場所でも何をするのかは自分が決める。

やりたいことをするということになりますが、やりたいことがあるというのがやっぱり子供っていいな、ただ素敵なだと感じました。

ただこの子供たちもどろんこパークに出会う前は、やりたいことが見つからない、何をしたらいいのか分からない、何もしたくないといった状態だったのかもしれません。

どろんこパークの遊び場は、ただ土があって草があって木が生えていて、自然の素材でつくったような遊び場的なものがあるだけです。

昆虫を見つけたり、花火をしたり、サッカーをしている子供もいましたが、いつでも自然の中に駆け出すことができるという解放感が室内の時間をも維持しているのではないかと感じたのです。

犬たちはどうなんだろう。

公園での散歩しかできない都会や住宅地の生活の中で、体を思いっきり動かすことができなくてストレスを感じているのではないでしょうか?

室内でボールを追いかけても、それは精神的な解放につながるのでしょうか?

そう考えて思いっきり走ることのできるドッグランに連れて行ったとしても、最初にまとまりのある集団が出来ていなければ、ドッグランはむしろいじめの宝庫となってしまいます。ドッグランなら大丈夫と思わずにちゃんと場所を選んで、ちゃんと観察できる力を飼い主とし身に着けておくことです。

学校に行けなくなった子たちの多くはイジメ行為を受けたということを言っていました。私も都会から田舎に転校したことでイジメを受けた経験があるので他人事とは思えません。

犬が自分たちでやることを決めて、お互いを尊重しながら過ごせるようなどろんこパークのような場所を目指して、オポ広場でどろんこまみれで遊んでほしいと願います。

もちろんオポ広場ではいじめはなしです。最近はちょっとしたグループもできあがりつつあり、新米犬のストレス行動には手を焼くことがありますが、みんなでいっしょに乗り越えようという感じになっています。

どろんこパークに1票を投じることのできる人なら、犬が犬として生きる時間も大切にしてくれそうです。

人のことでいっぱいいっぱい、犬のことまで考える時間などないとは思いますが、飼い主だけは自分の犬のことを考える時間を作って下さい。

彼らはきっと何か私たちに教えてくれているはずだからです。


 

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やっぱり犬は飼い主で変わると確信できた一年だった。

今年もまたお預かりの犬たちと七山のオポハウスで年越しを迎えることになりました。

今年最後のブログで書きたかったこと、考えていたのに書き残したことなどをたくさん思い出したのですが、最後のネタはこれになりました。

年末の預かりクラスが始まって、犬の行動を管理しながら毎晩、預かっている犬の飼い主さんには報告書を送付しています。

報告とは犬が今日一日どのように過ごしていたかをお知らせしているものです。

飼い主を喜ばせるペットホテルだったら、犬ちゃんはとてもお利口さんに楽しくすごしていますとだけ伝えるところでしょうが、グッドボーイハートでは違います。

起きていることをそのままお伝えするだけでなく、犬の行動を通して読み取れる犬の状態についてもはっきりとお伝えしています。

興奮している、フセが十分にできない、吠える、他の犬と上手に関われないなど、預けている方の飼い主が聞いたら心配したり落ち込んだりするような内容のことでも包み隠すことなくお伝えしています。

グッドボーイハートの生徒さんたちは、表面的なことではなく本当に犬のことを知りたいからこそうちに預けて下さっているはずなので、ちゃんとお伝えするのが私の生徒さんに対する誠実な態度だと信じているからです。

年末年始の預かりが始まってから新しいメンバーもいたりといろいろと展開があったのdすが、一番印象的だったのは以前の預かりとは全く違う犬がのことです。

その犬くんは子犬のころから定期的に、しかもかなり頻度が高い状態で預かっていました。

子犬のころからすくすくと成長してとても元気で活発な犬になっていたのですが、ここ数回の預かり時には様子が以前とは明らかに違う犬になっていました。

例えば、他の犬とあまり遊ばなくなる、逃走しようとする、ごはんを残す、表情が沈んでおり犬とも人ともかかわりが難しくなっていると感じることが多々ありました。

飼い主さんにはきちんと報告しご自宅でも何か今までとは違うストレス性行動が出ているのではないかとお話したこともあります。

飼い主さんの方でも思うことがあったようで数回の家庭訪問レッスンを希望されて状況を伺っていました。

状況から判断すると、飼い主さんの犬に対する甘えがいわゆる「甘やかし」という犬に対するまずい接し方になっていたようです。

小さいころはちゃんとしつけをしなければいけないという気持ちがあって、犬と距離を保ちながら上手に育てて来ていたのに、犬がちゃんと成長していたずらもなくリードも引っ張らず人について歩けるようになり、吠えることもなく、とてもお利口に過ごせるようになったのでもう大丈夫と、飼い主さんは思ったのでしょう。

それまで抑えていた犬に対して「甘やかしたい」という気持ちがそのまま犬に対して出てしまったことが日常となってしまい、一番大切な犬と人の関係性=主従関係という方向性を失ってしまいました。

人と犬の関係性が依存関係となると犬には不安行動が多発するようになり、他者との関係作りも苦手になってしまいます。

飼い主さんに預かり中に知りえた犬くんの状態についての真実をお伝えして、飼い主さんが変わらなければ犬くんはもっとストレスを抱えて性格も内向きになってしまうこともお伝えしました。

その犬くんが、今回お預かりにやってきたのです。

そして、あの子犬のころに元気に他の犬たちと関わっていた犬くんに戻っていることが犬の行動に表れていました。

他の犬たちと以前のように関われるようになっただけでなく、以前は難しかった組み合うような遊びも怖がらずにできるようになっていたのです。

初めてその犬くんがそうやって犬との遊びを発展させた姿を見て、また不安定だった行動が一転して以前の明るい犬くんに戻ったことを知り本当にうれしく思いました。

飼い主さんに早速連絡して「とても成長しています。」とお伝えしたところ、もちろんですが飼い主さんも自分なりに頑張りました、とても嬉しいというお返事を下さいました。

こうやって一頭の犬の成長を飼い主さんと二人三脚でいっしょに取り組めることに感謝すると共に、やっぱり犬は家庭で育てられているのだ、犬は飼い主次第だということを確信できた出来事でした。

預かりといっても私はあくまで飼い主がどのように育てていかれるのかを、預かりを通して知ったり、知りえたことを飼い主に伝えてどのように接していけばいいのかをアドバイスすることしかできません。

預かったことで犬が変わるということは絶対にないのです。

だから私も飼い主を信じて犬の成長をただ見守ることしかできません。

犬は本当に素直に飼い主であるみなさんの姿を映し出しています。

犬の成長は飼い主の成長であると断言できます。

今年もみなさんといっしょに犬という動物についてたくさん学ばせていただきました。

こんなにたくさん学んできたのにまだまだ学びたい犬のこと、終わりそうにありません。

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