来年1月28日土曜日に開催される「山口千津子先生のセミナー」があと数名で定員に達します。
題名「動物福祉の視点から犬猫の殺処分ゼロを考える」セミナー
セミナーの詳しい案内はこちらからご覧ください。
定員数は当初予定の50名から70名に増やしましたが、あと数名で定員に達します。
たくさんのみなさんに関心を持っていただきありがとうございます。
広報活動を始めてまだわずかですが、SNSでいち早く情報を入手された方も多いでしょう。
チラシ配布でもご案内をしていますが、まだお手元に情報が届いていないという方もいらっしゃると思います。
身近に、このセミナーの内容に関心をお持ちの方がいれば、ぜひ早めにご紹介ください。
定員に達したあともキャンセル待ちで受付しますが、確実にご案内できるかどうかわかりません。
この機会にぜひ学びたい、参加するつもりだったけどまだ申込みをしていないという方は、
すぐにセミナー申込メールへご連絡ください。
実行委員会では申込後に受付メールを返信しています。
返信のない方は受付が完了していません。
確実に受付をさせていただくために、受付メールの返信がない場合にはお電話でご確認ください。
こちらはセミナー用のブログ「動物福祉を考える」です。ブログからも申込が可能です。
みなさまと共に学ぶ機会を大切にします。
よろしくお願いします。
Author Archives: miyatake
山口千津子先生セミナーの申込みはお急ぎ下さい。
草履が三度見つかったこと
草履消失事件、自分でつけた事件の名前も忘れてしまいましたが、とにかく草履がなくなる事件の続報です。
つい先日、なくなった草履のうち赤い草履の片方を見つけました。
もともと、赤い草履は片方しかなくなっていなかったのです。
その草履があった場所は倉庫の棚の上なのです。
見つけたときは、本当にビックリしました。
その棚の前には薪台に薪がつまれておいてあり、その高さは1メートルくらいあります。
よほどのジャンプ力がないとそこに上がることはできません。
見つかった草履を確認したら、やはり歯型がついていました。
ここに飛び乗れる動物といえば…。犬にはとても無理です。
猫は俊敏なので飛びあがれる高さではありますが、草履をくわえたままというのは難しいでしょう。
タヌキはそんなにジャンプ力があるのでしょうか。
キツネなら難なく飛びあがるような気がします。
写真を撮ったのですがブログアップには間に合いませんでした。
後日写真は掲載しておきます。
草履の見つかり方も次々と変わっていく。
私が草履を探しているのを知っているのでしょうか。
だとしたらこれはもう「捜そうゲーム」になっています。
赤い草履は片方しか持ち去られていませんでした。
手紙をつけた片方の赤い草履はまだ持ち去られていません。
手紙を受け取る気がないのでしょうか。
動物を相手にしたやり取り。やり取りになっているのかどうかも分かりません。
野生動物が怖くないですか?と尋ねられますが、
今のところ距離を保っているので怖くありません。
野生動物で一番警戒してしまうのはサルです。
集団で行動しているサルが最も脅威に感じます。
七山では「サルを見たらできるだけ避けるようにして、挑発しないようにしてください。」というようなアナウンスがよく流れます。サルは数も少なく希少動物でもあり扱いも難しいのでしょう。
草履をもっていくのはもしかしたらサルかもしれないという仮説もたてたのですが、
草履が消える時間が夜間であったことから、サルが活動する時間帯ではないと思い
この仮設は消えました。
やはり、タヌキもしくはキツネか。
難問はまだまだ解けそうにありません。
追記:見つかった赤い草履の発見現場。発見時の状態です。
赤い草履はどこにあるでしょう。
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熊本被災ペット支援ネットワーク
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犬の体型に影響を与える性格とは
数日前のブログでご紹介した床面のことと、昨日の伏せる動作についてにつづいて、体型と気質の関係についてお話していきます。
床面の素材で犬の体に負担がかかっていることを説明しました。つるつるとすべる素材の床面では指を開いて立つことや歩くことができずに脚そのものに負担がかかり、結果体全体が硬直して背中が丸くなってきます。つまり、体型というのが変わってきてしまうのです。
人の背中がまっすぐに伸びているように、犬の背中もまっすぐに水平になっているのが健康な背中です。
背中が丸くなる体型は、お腹が引っ込むような体型ですね。そして尾が下がるのですが、この体型で尾を上げようとするため丸い背中はもっと丸くなっていきます。お腹が上に上がるというのは、ちょうど肋骨の一番下部分が少し上がるということです。この体型は、犬が不安を抱えているときに力の入る部分です。つくりは違うものの人も不安をかかえるとこの部分に力が入って横隔膜全体が上に上がってしまうらしいです。
不安を抱えている犬は日常的な行動に不安行動の表現がみられます。たとえば、小さな物音で吠える
、来客に吠えたりとびついたり興奮する、散歩中のリードのひっぱりや他のストレス性行動がみられることもあります。他にも、室内でとびつき行動が多かったり飼い主の膝の上にのりたがる、飼い主の後ろをついて歩くなどはその一例です。
たとえば不安定な床面が犬に影響を与えているとしたらどうでしょうか。不安を抱えやすい性質をもつ犬が不安定な床面で過ごすことでその不安が上昇しやすい傾向が高まったことで、日常的に不安行動が増えているということも十分にあります。そして、その不安を表現するように背中が曲がっているという体型をしています。
自分におきかえて考えてみても、自分が不安を抱きやすいかどうかを冷静に判断することは難しいことです。長い間、習慣化した考え方や感覚を持ち続けているのですから「わたしにとってはこれが普通で特に違和感を感じない」状態となってしまうからです。ですが、姿勢は外側からでも見てとることができるし、なにより自分でも違和感を抱きます。腕が疲れやすい、腰が痛い、肩が張るなどの身体的不具合がでることもあるでしょう。そして姿勢は、人の気分を左右してしまうことがあります。体と心はつながっているということです。
犬の行動をすべて犬の性質だと思ってしまうのは違います。犬のストレス性行動は犬の性質ではありません。犬には不安を抱きやすいという性質はあっても、不安症という性質はないのです。それは心や脳の病気です。
犬の中には行動表現を抑え始める犬もいます。飼い主の反応に敏感な犬は不安を抱えても行動を起こさずにじっとしています。また、社会的な関係となる対象が身近にいない場合でも、犬は不安行動を表現しません。不安行動とは社会的に伝達するメッセージでもあるからです。メッセージを読み取りにくいそんな犬でも、その犬の体型をみればその不安や緊張を見て取ることができます。
純血種だからこんな体型なのだと思われるかもしれません。純血種として受け継いだ体型の中には性質も含まれています。人が繁殖した犬について深く理解し考えることは人の責任だと思います。
犬の体型や行動を見て犬が不安を感じやすい傾向があると判断されたら、まず身近な環境から整えてください。千里の道も一歩からといいます。どんな小さなことも無駄にはなりません。
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犬の「伏せ」トレーニングの注意点
犬が4つ脚で立っているところをイメージしてください。
つぎに、その姿勢から犬が伏せる姿をイメージしてください。
さて、あなたのイメージした犬はどのような体勢で伏せたでしょうか。
イメージ1 立っている状態から座り、座ったあとに前脚を伸ばして伏せる。
イメージ2 立っている状態から前脚をさげてお辞儀のようなポーズをし、そのあと後ろ脚を折りたたんで座る。
イメージ3 立っている状態から4つの脚を同時にたたみこむように地面に水平に腹部をつけながら伏せる。
イメージ4 立っている状態から後ろ脚を崩すようにしてすわったあと、腹部を床につけて伏せる。
イメージ5 立っている状態からクッションなどに倒れこむようにしてズドンと伏せる。
他にも何か違う形をイメージされたかもしれませんがいかがですか?
ここで取り上げたい犬の動作とは、犬が自分から伏せたときの行動についてです。人が合図や号令をかけてそれに応じて伏せるときではありません。
普段は犬が伏せる行動を、号令でさせる場合にはほとんどの方がはじめにオスワリをさせて、その後にフセの合図を出すことが多いようです。フセを完全に覚えてしまえばすぐにフセをするようになりますが、その際にも、犬は一旦座ってその後伏せるという、イメージ1の動作でフセの合図に反応することが多いです。犬が座る動作や伏せる動作をするのは、人に合図されたときだけではありません。犬は自律的に伏せるときはこのような体の使い方をしません。
犬は自らの必要性に応じて座ったり伏せたりすることがあるのです。伏せる行動をコミュニケーションとして、また一定の目的を果たすためにすることがあるのです。
犬が伏せるとき、最も多いのは休むときです。犬に落ち着ける休むスペースがある場合、たとえばベッドやクレートなどのやわらかいところへいきそこに伏せます。イメージ5のようにズドンと腰を落とすこともあるし、一旦後ろ脚を横に曲げるようにしてゆっくりと伏せる場合もあるでしょう。ズトンと腰を落としてしまうのは、老犬になって筋力が落ちてしまった場合や、成長過程で背骨が変形してしまい背骨が湾曲したようになっている場合です。背骨の動きが硬いためそんな伏せ方になります。
他に、犬が伏せる行動は服従行動でみることができます。お辞儀のポーズのようにしたあと伏せることが多いでしょう。数ヶ月の子犬が成犬の横に来て、犬が通り過ぎるときや近づいてきたときに伏せをして顎も床につけていることがあります。きちんと服従姿勢になるときには顎を床につけ尾も一旦とまります。土下座でいったら頭を地面につけているような感じでしょうか。お殿様に「ハハー」とひれ伏す姿勢です。服従姿勢に近いけれど少し違う体制のことがあります。伏せのあと飛び上がろうとするときには顔を上に向けています。そのままジャンプして飛びついたりすることがあります。伏せの動作にも次の行動にうつる要素が入るため体重の安定度で気持ちの動きも測れるというわけです。
他には、隠れるときに伏せの動作をします。わずかな草むらのなかに伏せをして身を隠している犬を見ることがあります。このときはゆっくりと四肢をたたみこむように音もなく伏せて相手から気配を消します。たまに散歩中にこの伏せの体勢をとって相手が通り過ぎるのを待つ犬がいます。ところが草むらがありませんからすぐに見つかってしまいます。伏せている犬に対して顔を背けて通過すればその犬は伏せたままでしょう。伏せた犬をちょっとでも見てしまうと、見つかったことになり跳びかかってきたり作戦をかえます。
他の場面でも隠れるときに伏せる行動を使うときには、この四肢を折りたたむゆっくり伏せるが王道のようです。
四肢をたたむようにゆっくりと伏せるためには背中がまっすぐでないとバランスが悪いのです。
背中が丸くなっていると前脚を二つおりにするようにして伏せてしまうことがあります。後ろ脚が横に開いたり、たたれずに後ろに伸びきってしまう場合にも背骨の使い方がうまくいっていないということです。
純血種の繁殖の過程で、犬の体型にいろいろな不具合をきたしています。人が改良したといわれていますが、純血種は人為的な繁殖であり犬のための繁殖ではありません。犬の体型はくずれてしまい自然な動作も崩れています。
自律して伏せるという動作には、犬が人から強化された行動は入りません。たとえば、伏せるとオヤツがもらえるということを期待したり要求するために伏せるという行動をするときには、自律した行動ではありません。それは人が食べ物によって強化した行動ということです。自律性はごほうびにささえられないのです。バランスのとれた体型の自律した犬の伏せる動作はとてもきれいなものです。犬という動物が、その美しい姿を人の繁殖によって失っていくというのも悲しい気がします。
また、先日ブログでご紹介したようにすべる床面が体の動きに負担をかけています。いつもベッドの倒れこむように伏せている犬は犬の背中をよく見てください。少し丸くなっていませんか?
環境を少しだけ改善するだけで、犬の体への負担はなくなります。そして、犬の体のつくりは犬の精神的な安定にも影響しているのです。
明日はこのおはなしにつなぎます。
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犬の社会的行動:人に対する行動と犬に対する行動の違い
昨日のブログで、犬の「行動」と「心理」についての陥りやすい間違いについて書きました。
先日の犬語セミナーで取り上げたのは、人に対する行動と犬に対する行動、他人が犬に与える影響と、犬が犬に与える影響の違いについてです。これは犬に関わらず動物の行動を観察し理解する上で、必ず通る道なのです。
みなさんは不思議に思ったことはないでしょうか。
犬を見たら興奮したり吠えたりするのに、人には吠えない。
実際には外で犬と遭遇するときには犬はリードにつながれています。
犬と遭遇するときには同時に人に遭遇することにもなるため、行動に対して人が全く関与していないというわけではありません。しかし、人とすれ違うときは全く反応を示さないのに、犬とすれ違うときには反応を示すということであれば、人に対する行動と犬に対する行動は違うということになります。
これは驚くべきことではありません。むしろ犬としての正常な反応です。
なぜなら、動物の行動は、同じ種類の動物に対するときと、別の種類=異種や生きていない非生物に対するときでは異なるという行動の原則を持っています。犬の行動を種類別にわけるなら、犬が同種の犬という動物に対して行う行動はすべて「社会的行動」ととらえることができます。犬が他の種、たとえば人や他の動物を社会的対象と理解するようになれば、これらの対象に対する行動も社会的行動となるわけです。
普段、部屋の中では人に対しておとなしく行動している犬でも、他の犬の姿を見ると興奮したり吠えたりする場合には、その行動はその犬の社会的行動を表現するものとして着目する必要があります。
たとえば、散歩中に排尿行動としておこなうマーキングによるテリトリーを示す行動は、人に対して行われているものではなく犬だけの世界の中で行われているものです。里山ではそれが自然と境界線となり野生動物に対するメッセージになることがありますが、それも社会的関係のひとつであるといえるでしょう。
他の犬とすれ違うときに全く犬に関心を示さない犬もいます。そういう犬がいるというよりは、そのようにトレーニングすることも可能です。たとえば、他の犬とすれ違うときに飼い主を見ると報酬が出るという強化法によって他の犬に対する関心を落とすこともできます。ところが実際にこれらの犬が、こうした状況ではなく自然に犬と出会ってしまったりリードがない状態で犬同志が接するような事態になると、非常に不自然で不安定な行動を見せます。飼い主の後ろにかくれたり、飼い主をじっとみていたり、椅子の下に隠れたり、走り回ったり、過度に威嚇したり追い回したりする行動です。
リードなしで犬とあう機会などないのだから、犬と犬の社会的行動など必要ないと思われるでしょうか。
犬の犬に対する社会的行動は、その犬が犬という種である証でもあるのです。無作法な吠えを容認するつもりはありませんが、他の犬に対して無関心になり犬という動物でなくなることに比べれば、ずっと犬という動物としての成長が期待できる状態だと思います。
先日ある生徒さんに「長い留守番やいろいろと犬のためにしたくてもできないこともある。犬の幸せってなんでしょうか。」と尋ねられました。すごく個人的な答えになりますが、「犬が犬として生きていくことではないでしょうか。」とお答えしました。
その犬として生きる伴侶として、犬は犬をもしくは人を選ぶこともあるのだと思っています。
犬が犬として成長でき、犬として生きる環境を整えることは難しいことです。
それでもあきらめません。
犬は犬であることがなによりもすばらしいことだと思います。
犬語セミナーで学ぶ犬の行動と心理
昨日は七山校で犬語セミナーを開催しました。
ビデオの中に出てくる犬の飼い主さんも参加者の中にいたので、飼い主さんの目でみる犬ということも含めて、犬の行動と心理についてみんなで深く話しをしました。
犬語セミナーの目的は、まず最初の段階として「行動をよみとること」です。
犬のすばやい行動の中から、小さな単発の行動とその組合せを視覚的にとらえ、聴覚的にきいて書き出すだけでも大変な作業です。見慣れていないと犬の行動を細かに見ることはできないのです。
なぜ正しく見ることができないのか。
なんとなく見ているうちに自分の頭の中で勝手に解釈が進んでしまい、ストーリーができあがっていたりするからです。脳は見たものを結論付けるとそれ以上そのことに関心を示そうとしなくなります。
犬の行動を正確に見て書き出すためには、つねに疑問をもってみる必要があります。常に本当にそうだろうかという疑いをもってみていると、見えなかったものが次々に見えてくるからふしぎですね。
この読み出した行動を種類別に分析しながら、犬の行動の裏にかくれる心理についても読みといていきます。動物の「行動」は見えるものです。「心理」は行動が表現する心理と、行動しないものが表現する心理のふたつがあります。行動は心理の働きも含むのですが、行動=心理ではなく、行動はあくまでも心理を知るてがかりのようなものに過ぎません。
動物の「行動」と「心理」で間違えてはいけないことは、ここでいう「心理」=「学習心理」ではないということです。特に犬に関する情報であふれかえっているものは、犬の学習心理に関する情報です。犬の学習心理をどのように操作すれば犬が人が求める行動をするようになるのか、もしくは人の拒否する行動をしなくなるのか、人の犬に対する関心はその部分に集まりやすいのです。そのことが、犬の学習心理を犬の心理と取り違えることになります。人の知りたい犬の気持ちがすべて犬の心理ではないと理解すれば、犬の世界はもっと大きく広がるでしょう。
草履紛失事件:策をねる
このブログが草履紛失事件の主にのっとられそうになっていますが、引き続きお知らせします。
昨晩なくなったものは以下のとおりです。
・青い草履の片方
・椅子の上に乗せておいた一度回収したピンクの草履の片方
・机の下においてあった食べかけの柿1個
これらが跡形もなく消えていました。
回収したものは1点。
生徒さんが山歩きの最中に落したものを探しに山に上がった際、2番目になくなったブルーの草履のうちの片方を見つけてこられました。発見場所は、ワンコ山の頂上付近の尾根の一部です。1週間前には同じ場所にはなかったので、一旦テラスからどこかへ持ち出したあとにさらに移動したことで落としていったのだと思われます。いくつもの歯型が見られました。しっかりとした歯型である程度のサイズのある動物であることが伺えます。怪しい、間違いなくイヌ科動物の仕業です。
昨晩は椅子の上に置いているものはとることがないと油断してしまい、回収したピンクの草履をふたたび取られてしまったことに愕然としました。予測がはるかに甘かったということです。
二つ目の草履の発見場所が山の上付近であったことから、家周辺の藪や巣穴への持込説が否定されることとなりました。山歩きの最中にくまなく草履を探しながら、犬たちにも「草履を探してください」と声をかけたりしたのですが、あいにく草履探しに熱心な犬もおらず、結局新たな草履は見つかりませんでした。
次の一手をどのような策にしようかと考えましたが、ここはやはり童心にかえってみようと思います。それで手紙を書きました。
手紙は細くおりたたんで、ひとつのこっている赤い草履に結び、持ち帰るのを待つことにします。
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三度草履がなくなったこと
今月に入りブログを継続してご覧いただいている方は、
草履紛失にまつわる事件の成り行きを見守ってくださっていることでしょう。
野生動物や山の中の生き物に関心の高い知人やブログの読者からは、
「あのあとどうなった?草履はまたなくなりましたか?」と聞かれます。
最後の草履がなくなってからしばらく動きがなかったため、草履事件はひとまず決着がついたように思えていました。犯人が結局どの種だったのか、どこへ草履を持って行ったのか、なんのために草履を持っていったのかなど、事件は謎を含んだまま終わりと告げたように思えたのです。しかし、今日次の動きがあったことを確認しました。
三度、草履がなくなっていたのです。
しかも、草履の持って行くパターンが今までとは違うものになっていたのです。
テラスには二つのドアが離れてついているのですが、その各ドアの前に草履がひとつずつ置いてあります。片方には赤い250円の草履、片方は青い100円の草履でした。
なくなっていた草履は、その片方ずつなのです。赤いのが片方、青いのが片方なくなっていました。
この休戦期間がはじまったのは、片方に絹糸をつけられた草履が1足なくなってからでした。小さな絹糸の衝撃が動物の行動に警戒心を芽生えさせたのだとしたら、それ自体がすごいことだなと思っていたのです。この絹糸をつけた草履がなくなるまでは、いつも1足、つまり2個の草履がいっしょになくなっていました。一晩で1足を持っていくという行動だったのです。ですが、今回は2足のうちの1つずつがなくなっていました。数日確認していなかったので、一晩で2個なのか1晩で1個ずつなのかがわかりません。絹糸をつけていたときは片方だけだったので、絹糸の学習から片方ずつしかもっていかなかったとしたら、高度な関連付けの学習行動です。今まで一度に1足だったのが、片方になった理由が絹糸かどうかもわかりませんが、行動の変化が見られたことは確かでした。その上、直前まで犬たちがテラスですごして臭いつけをしていたのに、野生動物がテラスに接近したということも再度の驚きでした。
もうひとつ足跡がありました。その足跡とは、柿の実の一部が食べられていたことです。
ずっとテラスの下においてあって、テラスをウロウロする犬たちが目もくれないような熟した柿でした。
熟した柿。オポならすぐに見つけてその前で四つ脚でまっすぐとたち、柿を見つめ続けて私が来るのを待つ姿が想像できます。一般的には、柿を食べるかどうかは犬にも個体差があるようです。食べる犬もいれば関心を示さない犬もいる。食器に入れたり手で差し出すと食べるけど、という犬もいるでしょう。
この足跡を残した容疑動物が、草履犯動物と同じかどうかは不明です。
不思議な草履紛失事件。一体犯人は誰なのか。野生動物は何を考えどのようにして草履を持ち出したのか。
謎は深まるばかりですが、この野生動物との不思議な距離感と動物への好奇心は、人という動物の特権であるような特別な気持ちがします。
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犬の飼育環境は犬の精神をつくる環境である:犬が安心して過ごせる床材
犬のトレーニングの中でまず最初に取り組むべきことは、生活環境の整備です。
整備の中には、様々な見方による整え方があります。
その見方の中には、犬にとって快適で安全な環境とはどのような環境かという視点です。
快適で安全な環境と聞いて思い浮かぶのはどんなことでしょうか。
たとえば、水がいつでも飲める、室内の温度が適切に管理されている、部屋が清潔に清掃されているということも、それらのひとつにはいるでしょう。
その中でも、室内飼育の場合には、室内の床面の素材については慎重に選択してほしいものです。
室内の床面は人にとって快適であるように作られています。
特別な環境ではない限り、床面は畳、フローリングのどちらかです。
人が歩きやすく、心地よく、掃除がしやすいように作られている傾向が強いようです。
その、人にとっては快適な床の環境が、犬にとっては苛酷なものになっていることがあります。なぜ、そのようなことが起きるのかというと、人と犬では足裏の地面を支えるつくりが異なるからです。
犬の足跡のマークであるパウ型を見ると、地面についている指の部分がわかります。
実は、このパウ型にない別の部位が地面に着地してバランスをとっています。それは、犬の脚の爪です。
なぜ犬のパウ型から爪の部分がなくなってしまったのか、デザイン上なのかそれとも犬の爪を人が切るようになったことで床部につかなくなってしまったからなのか、よく理由はわかりません。
お手本になる犬のパウ型はドイツのアウトドアメーカーのジャック&ウルフスキンのパウマークです。これは、オオカミの仮面をかぶったジャックという犬という意味のマークなのでこのマークは犬の足跡をデザインしたものです。指の上についた部分が爪の先が地面に着地した部分です。こんな感じです。
これが、人と犬の足裏の使い方の大きな違いです。この違いが人が選択した快適な床面が、犬にとっては快適ではない素材となってしまう理由です。犬の爪は鉤爪という形のもので、その爪の先は地面に食い込んで体を支えるようにできているのです。
最近では家の洋風化が進み床の素材はほとんどがフローリングになっています。一部はテラコッタのようなタイルになっていたりします。どちらの素材も硬くすべりやすいものです。犬の爪が伸びていると爪が床にあたって曲がってしまうことがあります。そのため室内飼育の犬の爪を人が短くカットしてしまいます。こうすることでフローリングにあたらないようにするのですが、このことは爪で地面をささえられないという問題を生じます。
もうひとつの足裏の違いは皮膚の違いです。人の足裏の皮膚は他の皮膚とたいした違いはありません。これと比較すると犬の足裏の表面は他の皮膚の部分と明らかに違っています。これらも、人と犬の地面の感覚を異なるものとする違いなのです。犬の足裏ではフローリングやタイルではすべりが生じてしまい、いつもつるつるとすべりながら歩いています。人が氷の上にのったような感覚になり、すべるのを四つ脚に力をいれて踏ん張ろうとするため脚に負担がかり、結果背骨がとても堅くなったり丸くなったりしてしまいます。人にとって快適で安全な床が、犬にとっては不快で怪我をしかねない危険な環境になっているということです。フローリングと共に畳も意外と滑りやすい素材です。
では、犬にとって快適で安全な床とはどのような床でしょうか。
最適であるのは犬が本来歩いていた土のある地面なので、その地面の質にできるだけ近いものということになります。やわらかく湿度が適切にあって…。地面と同じ質のものは室内には実現できませんが、まず選択するならじゅうたんです。それも、軽くて動いてしまうようなじゅうたんではなく、重みがあってしっかりとした素材のものです。
ホームセンターで販売している裏面がゴムで表面がウールやコットンなどの天然素材になっている張り合わせるようなじゅうたんでも、ある程度の快適さが実現します。
コルク素材を使われる方もいます。犬用にすべりにくいコルクというものもあるようです。床面そのものが犬にとってすべりにくいタイルとして提案されているものがありますが、実際には触ってみないとわかりませんので、実物をよくみてある程度の弾力のあるものをお勧めします。犬が本来移動する土は、大変やわらかく犬の体重の衝撃を吸収してくれます。
室内の床は室内犬が生きる時間の多くの時間を費やす場所です。すべりやすい床は身体的に故障をきたすだけではありません。不安定な床面によって不安を抱きやすく、落ち着きのない性質をつくることにもなります。
大切な犬のために、床の素材には余分に予算をさく価値があります。
まずホームセンターのじゅうたんから始めてみてください。
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明日「山崎恵子先生セミナー」です。
明日23日(日)は山崎恵子先生のセミナーが福岡で開催されます。
詳細はこちらでご確認ください。
昨日は山口先生による動物福祉セミナーのお知らせをしました。今年は自然療法セミナーの企画開催、チャリティ犬語セミナーなどセミナー続きですが、価値のあるセミナーが開催されることはワクワクします。
仕事でなくても日常のことでも、何かを学びたいなと思ったらマンツーマンか少人数で習得するのが一番良いと思います。講師の先生と対面になる機会があってこそ実践の学びは進むからです。
その学びの中でも、具体性や、実践の学びを深めていくなかで必要な選択の力を自分の中につくりあげていくためには、日々の生活に必要だと感じられないようなことかもしれない大きなテーマや客観的な視点で考える時間として、こうしたセミナーは多いに学びの機会になるのです。
自分もセミナー講師をすることが仕事のひとつであるため、セミナーの内容の企画や構成についてはいつも考えます。個人差は承知の上で、一般的には、ハウツー版セミナーが多くの方を対象にして人気があります。インターホンに吠えたときにはこうしたらいい、散歩中はこんなテクニックを使う、こうしたことは、考えなくてもすぐに実践できるので、ハウツー版セミナーは人気があるのだろうと思います。
これと比較すると、自分で考えることを要求するようなセミナーは、終了後も考えが継続するため消化不良になるような感覚を得てしまいます。実はここはとても重要なことです。この具体性の提示のないセミナーでは、自分で考える必要性が生じるため学びが継続してきます。どんな問題も、自分で考える力をつけ実践をくり返してこそ、またその先の楽しみもあるというものです。
チャリティ犬語セミナーも「犬のしつけの方法かと思ってたのに違っていた」という感じを持たれた方もいたことでしょう。犬と人の関係性は「しつけ方」だけでは築いていけないのです。それは関係性のテクニックでしかなく、犬の行動が改善して「おりこうさん」になったときに、関係性は逆に悪化していることがあるのです。真に犬との関係を築いていきたい飼い主さんは、この「お互いの関係が良くない」ということに気づきます。
山崎恵子先生のセミナーは、終わったあとものすごく考えてゆっくりと消化してそして実践して自分のものにしていくのに時間のかかるセミナーだと思います。そしてそんなセミナーは大変貴重なのです。
「人と動物の関係を考える」ことから、人と犬の関係もはじまるのです。
明日のセミナーどうしようかなと思っている方いたら、まだ少しですがお席が空いているようです。グッドボーイハートの電話番号でも構いませんのでぜひ連絡してください。