明けましておめでとうございます。
今年もみなさんと犬たち、そしてすべての動物たちにとって良い年となりますようにお祈り申し上げます。
同伴犬はいなくなりましたが、預かりの犬といっしょに年あけを迎えました。
初日の出を今年も七山で拝むことができました。
いつもと変わらぬように山の一部の手入れをしました。その間、ずい分と環境を把握して行動が安定してきた預かり犬が、草を食べていたり、丘にすわっていたり、地面に背中をこすり付けてゴロゴロとしていたり。
いっときはオポのお墓の横に伏せてじっとしていました。そのうちテラスでひなたぼっこをしたりして、こうして犬は静かに一日を終えていく動物なんだろうなとそれを眺めていました。
年の初めには今年の目標のようなものを考えます。今年は今までと同じ変わらぬ思いを持ち続けそれをわかりやすく表現するようにしようと決めました。変わらぬ思いとは、犬に対して誠実であるということです。
犬のことを理解したい、そして彼らとより良い関係を築いていきたい、それは犬に対する誠実な姿勢と思いという形でしか実現できません。誠実さはいろんな価値観や利害でゆがめられます。犬にとってではなく人にとってとなると、それはすでに利害が生じる関係です。犬を人が飼うことそのものが利害が生じていると感じられるのが現状ではあります。ですがその現状を受け入れつつも、こうありたいという思いを持ち続けていきます。
その姿勢の中で知った犬の真実をわかりやすく伝える方法についても考えています。最も伝わりやすい方法として、家庭訪問でのレッスンを中心にして活動をしています。飼い主さんといっしょに考え、犬との暮らしの場で対面してお話しすることが一番伝わりやすい方法だと自分の経験の中から実感しているからです。ですが、今年はもう少し異なる形でもチャレンジしてみたいなと思っています。まだ構想中。構想のまま一年を終えてしまうかもしれませんが、チャレンジしようかなと思っただけでも少しの前進かもしれません。
犬と人の間に起きていることは、しつけやトレーニングといったやり方で解決されますが、これはあくまでその形であるだけです。実際に犬と人の間に起きていることは、関係と環境に関する問題であり課題であると捉えています。だからこそ、今年は犬を飼っていない方々にも伝えられるようなメッセージを準備したいなと思っています。
年末にはまた草履をとられました。回収した草履のうち2個を山の動物に持っていかれました。イノシシはテラスのすぐ脇まで来て地面を掘り返しています。動物との境界線、人との境界線、犬との境界線。すべてを上手に守りながらバランスよくつながってお互いの力を高めていけるように。
今年もいっぱい学んで悩んで考えて、少しでもお役に立てれば幸いです。
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謹賀新年
犬の個性が輝くとき
あと少しで2016年を終え新しい年を迎えることになります。
今年もなれ親しんだ人たちと共に学ぶ時間をたくさんいただき、久しぶりの方々と再開して、新しい人や犬と出会って共に学ぶ機会といただきました。その時間を十分に活用できたかどうかはわかりませんが、その瞬間には自分の力でできる限りのことはしたのだと、思い残すことなく先に進みたいと思います。
いろんなことがあった2016年ですがホームページ改定も行いました。少しずつ変化していくグッドボーイハートにどんなカラーが似合うのか悩んだ結果、グッドボーイハートカラーのぶれない紺色と行動と勇気を与えるオレンジカラーをベースにしてほしいことをデザイナーさんにお願いしました。そしてどこでもいいので虹色をいれてほしいという希望をつけました。なぜ虹色なのか、このことをお話しして今年のブログを締めくくります。
偶然なのでしょうが先日ふたりの方から「七山に行かれてどのくらいたちますか?」と尋ねられました。
「10年ですね。」
エー10年も!!!!という反応や、10年かあ~という反応をいただきました。
10年ひと昔といわれ、ひとつの時間の流れを感じる長さではあります。
山に犬と暮らして日常的に山を犬と歩くようになって、今までに犬のことを理解していると思っていたことのうち、やはり間違いなかったと確信したことと、逆に見方が間違っていたと気づいたことがあります。犬に対する思いは以前から変わっていないものの、犬のしつけとトレーニングの道筋はこの10年で大きく変わりました。
どの場面が変化を起こさせたのかはわかりません。自分の中でわかっていることは、小さな驚きや感動が気づきを積み上げさせたのだということだけです。
山の中で犬と休憩しているとき、ふと顔をあげると自分の前髪の中に虹色の光が見えました。その虹色は小さな玉の形をしていてストライプ上に虹色を発色しています。その虹色の玉が自分の1本の髪の毛の中にいくつも並んで動いているのを見ることができました。生まれてはじめてそれを見たとき、わたしが今まで見ていたものはその表面的なものだけなのかもしれないと感じたのです。こうだと思ってみているからそのようにしか見えない、知りたいという気持ちや早く解決したいという欲求を満たすため、本や知識を詰め込みすぎた大きな頭は知りたいと思うことを逆にわかりにくくしていたのかもしれません。
虹色は命の輝きのように見えました。こんなにたくさんの光が自分の中にあることを知ってうれしく、そしてまだまだ知ることができる、ちゃんと見ることができるようになりたいと強く思いました。それぞれの犬たちの持つ命の輝きを彼らが本当に取り戻すことができ、それぞれの色で輝くのをただ見たいと思うのです。明日がどんな日になるのかわからないけど、今日はとってもいい日だったねと犬が感じてくれるのなら、彼らの瞳の光がそれを語ってくれます。その光を失わないように、その光を取り戻すために、これからも学びつづけます。
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老犬との暮らし:排泄問題
老犬の生活のお世話相談を受けるために訪問レッスンに出かけました。
子犬のころから知っている犬だけに、老犬になっていく姿を見るのは切なくもあり、よくぞここまでがんばったなあと感慨深いものもあります。
犬が老年期を迎えるのは、7歳くらいからかと思っています。
少し早いと感じられるかもしれません。犬の7歳というと人の50歳くらいです。日本は世界でも長寿の国で健康状態もとても良いので50歳といえばまだまだ働きざかりではありますが、少しずつ「老化」を感じる年齢でもあります。犬も7歳といえばまだまだ元気いっぱいに走ることもできるし、よく食べよく寝て元気に過ごしていますが、体の中は少しずつ年をとっています。
小型犬と大型犬では生きている時間が多少違います。一般的には小さな犬の方が長く、大きな犬の方が短いようです。純血種になってサイズの幅が広がりすぎたのですが、実際には心臓のポンプ力はあまり差がないため、犬のサイズが大きくなりすぎると血液を末端までいきわたらせることが難しくなります。そのため亡くなる年齢も大型犬では7歳くらいでも十分に生きたと感じるし、小さな犬になると20歳近くまで生きることもあるので、長生きを期待しすぎることもあります。
13歳を過ぎるころから老齢に伴う生活の変化に準備を備える必要があります。先に述べたように18キロを超える大型犬の13歳というのはかなり体には負担がきています。血液のめぐりが悪くなることによる様々問題をかかえますが、特に排泄に関する問題は深刻です。
今まで散歩や庭で排泄ができていた犬が、歩行の不安定になると排泄の場所は次第にテリトリーの近くになります。庭まで出ていければいいのですが段差が困難になると庭に下りることも難しくなります。庭への段差をどのように作れば犬が負担なく外にいけるようになるのか、リフォームに近い改善の必要性が生じることもあります。マンション飼育の場合には、散歩でしかしなかった排泄をベランダでさせる必要が出てくることもあるでしょう。それもうまくいけば、室内に近い場所で排泄をしてくれるということで問題はありません。
問題は歩行がさらに困難になり立ち上がってトイレ場所まで歩くのが困難になることです。大型犬の歩行補助道具はいろいろと出ていますが、15キロくらいまでの中型犬では少しのサポートでうまくいく歩行の補助も大型犬となるとなかなか難しいものです。無理に持ち上げるというよりは犬が立ち上がろうとするのを補助するという形になるので、タイミングも必要とされるため立ち上がりの瞬間にすぐに駆け寄ったりと補助する方も気が抜けないものです。それでもタイミングを掴んでくると上手に立ち上がったり歩行補助を受け入れてくれるようになります。できることは自分でしたい自律した犬の場合には手を出しすぎないように慎重にサポートしたいものです。
排便も室内でしてしまうようになるケースがあります。便の出る指令を脳が上手に受け取れなくなったり、ちょっとした動きが刺激になって肛門が開いてしまうため、歩いていても、寝ていても便が出てしまうことがあります。犬は排泄後は大変いやな表情をしますが、静かに片付けてあげる必要があるでしょう。
老犬になって外での排泄が大変だったからという理由で、室内での排泄を犬に強いたり、子犬のころに室内でのトイレトレーニングを始めたときに、ずっと室内で排泄をさせ続けることは反対です。小型犬の場合には室内排泄が一般的になっているため、庭やベランダでの排泄を教えることのほうが難しいですが、排泄をどこでするのかは犬のテリトリーの作り方と密接に関わっており、自律して一定の安定したテリトリーを持っている犬は室内での排泄はしません。犬が屋外で排泄することはぜひ尊重するべきことです。老犬になってからの排泄問題は、老犬になってから犬が自力で外へ行くことができなくなるために起きることで、犬にとっても辛いことでしょう。できる限り外に出たいという気持ちを実現させてあげられるようにサポートすることを考え、いよいよ立ち上がりも難しくなったら汚れないようにすぐに清潔にしてあげることを心がけてあげてください。
室内での排泄失敗のためにオムツというケースもありますが、これもできるだけつけない方向で介護をしてあげられればそれがベストだと思います。長時間留守番になるため、排泄で汚れてしまうのがかわいそうという理由で着用される方が多いようです。体の不自由になった老犬の長時間留守番は犬にとっては負担になることです。子犬と老犬には留守番はさせたくありませんね。犬にかかわる仕事のいろいろな形で老犬介護のお世話のお仕事をされる方がいます。グッドボーイハートでも自宅訪問の老犬介護をさせていただきます。毎日となるとお金の負担も大きくなってしまいますので、プロの方とお友達や家族などに協力をあおぐ形で、不自由の少ない老犬生活を送ってほしいものです。
老犬になって屋外での生活であれば寒さに耐え切れず寿命もそう長くはないでしょうが、室内にいれて生活をしてきたのですから、それにあわせて寿命が長くなっているのは本来ならうれしいことのはずです。老犬の行動は子犬に戻っていきますが、自尊心のありようは長い間生きてきた動物のものです。老犬たちが安らかに旅立つまでにできることを、飼い主さんといっしょに考えていきたいと思います。
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犬が大好きなオヤツ:鹿肉ジャーキー
知人の猟師さんがグッドボーイハート七山校に立ち寄られました。
お土産に獲れたばかりという鹿肉をもってきていただきました。
普段から、肉を口にすることのないわたしですので、肉料理は得意ではありません。
思春期にはとても苦手だった肉は、今ではちゃんと食べられるようになりましたが、毎日の食事に必要だと感じることがないため、自分のための食事には肉を買うことはありません。菜食主義者ではないので、みなさんといっしょにいただくときには、おいしくいただきます。ですがやはり調理は上手にできる方でないと、おいしくいだたくことはできません。
大変な労力の上に仕留めた鹿をおいしくいただくために、少し手の入れ方などを教えていただきました。
外側に焼き目をつけて中身は生のままという、普段なら絶対口にしない鹿肉も食べてみました。
「おいしい」素直な感想です。
野生動物のおいしさは、仕留めたあとの「さばき方」次第だということです。鹿自体がすばらしく健康状態がよくても、さがき方がいい加減だと、肉のおいしさはなくなってしまうらしいのです。それで、上手にさばくということがどんなに大切なことなのかを、今までなんどか説明していただいたのですが、実際に食べてみると実感です。
犬は鹿肉が好物です。たいていの犬は鹿肉を生肉としても加熱してもペロリと食べてしまうようです。
ところが、今までに私が確認してきた中には、鹿肉の購入先によっては肉を食べないことがあるというのを聞いたことがあります。同じ鹿肉なのにどうしてなんだろうと思っていましたが、やはりさばき方の問題なのかなと思います。犬は血のにおいを嫌がったりはしませんが、痛みの早いものは食べると危険なものについては人よりも反応が高いのです。もちろん、中には痛んだ肉を食べて調子を崩してしまう犬もいるでしょうが、生肉の場合にはどうやら危険を察知して食さない犬もいるようなのです。人は加熱して食べるためその差には気づきにくいかもしれません。ですが、明らかに猟の直後の猟師さんのさばき方によって、その肉の状態は違うものになっているようです。
なんでも食べてしまう犬だと比較ができなくてわかりにくいですが、食べ方に差異があるような犬なら違いに気づきやすいですね。それよりも、今回は自分があまり得意でない赤身の肉をおいしいと感じたため、この猟師さんのさばき方は本当に丁寧なことを知る機会になりました。
みなさんも食べてみたいですよね。
犬用のジャーキーでまずは犬に試食してもらってください。
ヤクト株式会社さんのやまごちシリーズの鹿肉です。グッドボーイハートでもお分けしています。
直接ネットで購入することもできますので、関心のある方はご覧になってください。
やまごちホームページ
残念ながら人用食肉は食肉を加工して販売する、いわゆる料理屋さんにしか販売できないそうです。
鹿肉を加工したものを人用の商品を販売される計画もあるようなので、まずは犬たちに食してもらい飼い主の方は少しお待ちください。
今日は山も少しだけ冷えていました。
山から福岡へ、車のダッシュボードの雪はあっという間に消えてなくなります。
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犬の尻尾の使い方:犬の身体的機能性の発達を求めて
今年最後の尾歩山トレッキングが終了しました。今年もなんどこの山を歩いたことかしれません。参加された生徒さんに改名後の名前にコメントをいただきました。「尾歩山(おぽさん)って、ほんと、いい名前ですよね。尾っぽのある動物って犬だけじゃないから、いろんな動物が歩いている山ということですものね」。そうなんです。尻尾のある動物は犬だけではありません。ことしは草履事件でお騒がせだったタヌキやキツネ、よく顔をみせてくれるアナグマ、近所の猫たちもしくは野猫たち、ウサギ、イタチ、サルなど。他にもいるかもしれません。
こうやって考えてみると、尾がないのはヒトだけですね。2本足で立って歩くようになると尾がバランスを保つのには役立たなくなり退化したあとの尾骨だけが残ったのでしょうね。尾でバランスをとらずに、体の軸でバランスをとろうというのですからヒトのバランスの取り方は独特なのかもしれません。
犬の尻尾がバランスをとるためにあるということは知られています。前後左右のバランスをとりますので、尾の動きも自由自在です。バランスを取るために動いているため、尾がよく動くときには「バランスを取る必要がある状態」であるともいえます。山歩きをしていると犬の尻尾が微妙なバランスをとるために動いているのを見ることができます。人の好む平地ではこうしたバランス感覚を必要としない事も多いため、尻尾も十分に活躍する機会がなく動きが鈍くなってしまいますが、山歩きにはこうした体の機能を充実させる機会を得ます。駆け上がったり走り回ったりするよりも、ゆっくりと歩いているときの方がバランス感覚を必要とします。バランスを取ることが苦手な犬は、ピョンピョンと跳ねながら登ったり、すべるように下りてしまうことになります。
尻尾は体のバランスをとるためについているのですが、感情がゆれると体もバランスを失うので、感情のゆれるときにも尻尾が触れてしまいます。人の状態を表現する言葉ですが、「浮き足立った」という表現がありますね。気持ちが浮いてしまうときには足も浮いてしまうということで、体と気持ちは一体なのです。
「犬が尻尾を振るときは喜んでいる」という古いコトバのようなものがありますが、「犬が尻尾をふるときは喜んでいることもある」という程度にした方がいいでしょう。犬の気持ちが動けば尾も動きます。恐怖を感じているときも、興奮しているときも、緊張しているときも、尾をふることがあります。動物の真の感情はなかなか理解しがたいものです。動物にとって何が喜びであるのかを、人が知ることはなかなか難しいものです。ゴハンの前に尻尾を振らなくても、満足してゴハンを食べている犬はたくさんいます。ゴハンの前に尻尾をブンブンとふるのだけど、興奮して食べてしまうため満たされない感じの犬もいます。尾を円形にふる犬もいますね。アニメのようですがこの状態では先の「浮き足立った」状態であり、尻尾の動きで飛んでしまうような感じでしょう。感情の乱れの多い若い犬でよくみられるようです。
やはり、堂々としたオオカミは尻尾の動きにも安定が見られます。気持ちが落ち着いている、バランス感覚がすぐれている、そしてバランスを取り戻すのも早いのでしょう。犬も少しずつ落ち着いた大人の犬になるにつれ尻尾の使い方も変わってきます。
尻尾を切られている犬たちの話しは前にも書きました。尻尾がないことで犬はバランスをとることが難しくなります。尻尾を切断することは犬たちにとって何のメリットもありません。人はこれだけ犬という動物を大切に思うことができるのだから、尻尾を切断するのを止めることはそろそろ決断できる時期ではないかと思います。法律にならなくてもみなさんひとりひとりの気持ちも問題です。尻尾は犬の一部です。犬の一部を切り取らないで、犬に尻尾のある生涯を与えていきましょう。
尾歩山、来年もたくさん歩いて犬の尾につなげていきたいと思います。
犬語セミナー:子犬のコミュニケーション力
犬語セミナークラスを開催しました。犬語セミナーは犬の行動を観察して分析するクラスです。犬のどのような行動に焦点をあてるのかは、ビデオの素材によっていろいろと変わってきます。ビデオもクラスや日常的に撮影した目的のないものなので、見るビデオによってセミナーの内容が変化していくのも面白さのひとつでもあります。
今回題材となったビデオは子犬と8才の成犬がはじめて会うという対面シーンのビデオでした。成犬と子犬の社会的行動の違いは、成犬は経験を積んで発達がなされてきているために個体の性質がある程度固定されているという行動の特徴があります。わかりやすくいうと1頭の犬が他の犬に対してみせる社会的なコミュニケーションはある程度予測がたつということです。散歩中に他の犬とすれ違ったりであったときに生じる行動にもパターンがあることがその表現にもなっています。全ての犬に吠えるとか、特定の犬には反応する、その反応する犬のタイプはこれこれでとか、他の犬をじっと見ているとか、そうした他の犬に対する行動は、成犬の場合にはある程度一定してきます。もちろんこの社会的行動には飼い主や飼育環境が大きく影響するため、飼い主が変わる、飼育の方法が変わるということにより変化はしてきます。ただ成長に応じた大きな変化は子犬は違うということです。
子犬期を永久歯が生える前の生後5~6ヶ月までとします。この時期の子犬を成犬に対して必ずしなければいけない行動というのがあります。これは自分の親犬でなくても、万が一親犬にはぐれて他の成犬に出会ったとしても子犬に備わっているひとつの能力であるともいえます。それは二つあります。ひとつめは、成犬が子犬の臭いを嗅いで正体を調べようとするときにじっとして動かないでいることです。子犬であるということを知られることで成犬の緊張を解くことができます。攻撃のできる永久歯を持たない子犬はとても無力な存在だからです。
ふたつめは、服従行動を示すということです。服従行動にも少し幅があります。この対面で有効な服従行動は自分が下であることを示し、相手の領域を侵さないということを伝えることだけです。先のじっとして臭いを嗅がせるという行動もこの意味を含みます。あとは顔を背けたり、体を低くしたり尾を低めに振ったりするというだけで十分です。そけい部の臭いを嗅がれる際に後ろ脚を上げる行動(バレリーナみたいになりますね)も成犬の行動を尊重する行動です。
これよりも積極的な服従行動になると臭いを嗅がれているときに腹部を見せるとか、口をなめようとする、軽くピョンピョン飛ぶといった行動は成犬が受け入れない場合があります。これらの行動に対して、子犬を受け入れる気のない成犬はこの子犬から離れたり、少し唸ったりして拒否行動を取るでしょう。これは、子犬として面倒をみよという要求行動です。成犬にもいろいろと器量があり子犬の世話を引き受けない犬も多いため、拒否行動が出る場合には子犬はこれを取り下げる必要も出てきます。今回のビデオに出てきた子犬は生後4.5ヶ月くらいになっていました。この取り下げに影響を与えているのは犬と飼い主の関係になるため、あまりにも早い月齢で受け入れ拒否の成犬をあわせることは子犬にとってよい影響とはなりませんが、生後2ヶ月から飼い主と暮らしていて生後4.5ヶ月になっていれば、十分に可能な年齢です。もちろん飼い主さんの飼い方はとても大切です。接し方、飼い方によってはすでに依存が始まる月齢です。
飼い主への依存が始まってしまうと犬に対するコミュニケーション力は育たないばかりか、大変後退した状態になります。犬を見て逃げる、おびえる、硬直するといった行動が出てしまうときには、子犬のコミュニケーション力はその環境の中では育てられておらず、飼い主との関係もかなり不安定です。このコミュニケーション力には性質のベースも大切です。大人しいお人形のように反応の低い犬を人が求めすぎる傾向があります。おそらく、反応が少なく飼いやすいということと容姿についてもぬいぐるみのようになってきているため「かわいい」と思ってしまうからでしょう。こうした犬たちは反応が少ない、つまりコミュニケーション力の未熟な犬であることも多いのです。
犬をみて「かわいい」と感じられるのは、犬が犬としてコミュニケーションを一生懸命に発揮しているその真剣な姿勢を見るときです。
表情やコミュニケーション力の低い犬がどのような世界で生きているのかをよく知る機会をもってみてください。
犬のコミュニケーション力は犬の社会的な力。犬の社会的な力は犬の財産です。
どんな動物も自分のもっている財産を奪われることは脅かされていることを意味しています。
人が幸せに暮らせるのは自分の身が安全で人としての財産(大切で価値のあるもの)を守り続けることができるからではないでしょうか。
数年前の12月13日。今年はまだ一度も積雪していません。
ラジオ番組「月下虫音」で分離不安の話をしたこと
ラブFMの番組「月下虫音(げっかちゅね)」に出演しました。聴いてくださったみなさんありがとうございます。
いつものように、DJの大田こぞうさんと取り留めもなくワイワイと盛り上がりました。
犬の話しになると、わたしよりも大田さんの方がずっと興奮度が高いんですよ。
打ち合わせしすぎるとそこで話が出つくからということで、テーマを「分離不安」にしようねということだけを決めておいて、今回はほとんど打ち合わせなしで本番にいどみました。
番組の中では、犬のわかりやすい分離不安行動のいくつかをご紹介しました。
簡単に述べると「飼い主が犬から離れると吠えて騒いだり、鼻をならしたり、落ち着きをなくしたりする」という状態では程度の差はあっても分離不安傾向があるということです。落ち着きをなくしている状態が、飼い主と離れている環境、室内飼育のお留守番という状況で起こりやすいため、留守中に吠えたり排泄の失敗をしたり、ものを壊したり家具をかじったりしている行動が分離不安としてよく取り上げられます。
留守中に安定しているかどうかは、留守中の部屋の乱れだけでなく、飼い主と再会したときの行動にあわられます。飼い主が離れると落ち着きをなくす分離不安行動は、飼い主が帰宅したときに興奮するという行動として表現されるのです。飼い主が帰宅したら戸口にまっていて、部屋に入るととびつき口をなめる、部屋を走り回る、興奮して走る、おもちゃをくわえてくるなどのテンションの高い行動をする場合には、飼い主との分離が不安定、つまり飼い主と犬の関係性には不安定ですね、というメッセージです。外出の際には騒ぐことがなくても、帰宅したときにこれらの行動が出るときには分離不安傾向はあると考えてください。
犬の行動はすべてにつながりを持っているため、飼い主と犬の関係性が不安定なことは、犬が他の犬や人と接するときの行動にも現れてしまいます。この不安定行動にはいくつも種類があり全てをあげることができませんが、いくつか例を挙げるとするとこんなものも入ります。
人に対してお腹を見せる。
人に対してとびつく。
人に対してマウンティングをする。
人の口をペロペロとなめる。
人の膝の上にのってきたり、体重をかけてよりかかってくる。
他の犬の声におびえる。
他の犬(相手に攻撃の要素がないのに)に吠えたり追い立てたりする。
散歩中に他の犬に近づいていこうとする。
こうした人や他の犬に対する社会的な行動にまで影響をしているのが、飼い主と犬の関係性です。
行動は全てつながっていきます。分離不安というくくりを設けることや診断を下すことに大きな価値があるとは思いませんが、「分離」という心理学の言葉が人と犬の関係性をよりわかりやすくしてくれるという意味では活用しています。犬のことを赤ちゃんと思っていませんか?という質問には、母経験のある飼い主さんは反応が高いです。子育ての経験のある母親なら一度もしくは数回は通った道なので赤ちゃんとの一体化した関係はすごくわかりやすいからです。赤ちゃんはみんな母と同一化しています。もともといっしょだったのですからね。そこからひとりの人として自律していくために最初に必要なことは母親との分離です。お母さんは自分とは違う存在、そして自分は自分なのです。
他の犬に極端におびえたり、拒否反応を示したり、走り回る興奮行動をしやすい犬の飼い主さんは「自分の犬は、自分のことを人だと思っているから犬を怖がるのだ」ということがあります。ですが冷静にみるとこれは逆ですね。犬だからこそ犬に対しては他の動物とは異なる反応を示してしまうのです。反応のあるときはまだ大丈夫です。犬はまだ自分が犬であることを忘れてしまってはいません。犬でなくなったときには目の輝きもうせてしまい、他の犬への反応もなくなってしまいます。他の犬がそばにいても、見えていないのではないかというほど視界に入っていないかのように振る舞います。犬の扉は固く閉まってしまったように。
犬をみておびえたり拒否反応をしたり興奮する犬は、犬である世界にいる犬たちです。お互いに「人」と「犬」として関係性を作っていくことで見えてくることがたくさんあります。人のことが好き、あの犬のことが好き、そんな小さな世界を一歩飛び出してみてください。好き嫌いは妄想の世界というコトバを聴いたことがあります。犬はファンタジーの世界の動物ではなくアニメのキャラクターでもないのですから、妄想の世界で見ていては変化の可能性のあるものにもフタをしてしまい変わっていくことすら許されなくなってしまいます。「うちの犬は先生のことが好きなんです。」といわれると、「いやいや違いますよ。」と思いますが、「うちの犬は先生といるときはいつもと違うんです。」といわれると、そのとおりだと感じることがあります。これは好き嫌いの世界ではないのです。
世界はひとりひとり自分たちの価値観で作られている。
見える人には見えるし、見えない人には見えない。
犬が犬である瞬間がなによりもすばらしいと感じると思う方、たくさんいると思います。
ぜひそんな時間を犬とともに過ごしてください。
グッドボーイハート七山へ向かうの道沿いにはお正月を迎える立派な門松が飾られています。
この季節、七山にはクリスマス的な色も雰囲気も一切ありません。
街中は明るく楽しくクリスマス一色。それはそれで個人の楽しみとしてはいいのだと思います。
山では受け継いてきたことを大切に守りぬいていく、そんな凛とした姿勢を感じます。
人と犬の関係は新しい文化ではなく、本当はすごく古い文化であると思うのです。
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犬との引越し:犬との暮らしで協力を得たいこと
転勤族といういい方は、地域で働きとおすのではなく転勤するという仕事が増え始めたときに使われた古い用語でしょう。わたしも転勤族の親の子でした。そのため、小さいころは動物と暮らすことができませんでした。犬を飼う理由のひとつに「飼いたかったけど今まで引越しが多く飼えなかった。ようやく落ち着いたから。」というものがあります。引越しは犬に負担をかけるためにできるだけ飼わないというのも人の責任として尊重します。
ところが、引越しを予定していなかったのに引っ越すことになってしまったということもあります。それが、マンションから戸建てにやっと暮らせるようになったのだという、犬にとって過ごしやすい環境に変わるのであれば、環境の変化によるストレスもさほど気にはなりません。逆に、戸建てに住んでいたのにマンションに引っ越す必要が生じた場合には、犬は今までと異なる生活空間の変化に戸惑いを見せることでしょう。
それでも、飼い主さんの仕事上、止むを得ない場合には、犬を連れて引っ越すしかありません。
引越しの際にどのような場所を選んだらよいのかは個々の犬により差はあるものの、共通するチェック項目もあるので参考までにあげておきます。
・エレベーターを使わずに入れる部屋もしくは下の階に。
小型犬の場合には階段が苦手かもしれません。キャリーバッグにいれてエレベーターに乗ることができるのであれば、小型犬はあまり高くない階下をお勧めします。人は鈍感なので気づきにくいですが、高層マンションはゆれています。わたしはかなり敏感な方なのか、ゆれているのに気づいてしまいます。動物はもっと敏感ですので低い階層をお勧めします。
・上の足音が響かない。
は横側よりも上下の音の響きの方が強いようです。特に上の階の人の足音は犬にとっては強いストレスになります。動物にとって上の空間はとても大切なのです。上からの物音や振動は犬を不安定にします。犬のケイジを重ねて使っている風景を見ることがありますが、あれは強いストレスになるためしてはいけないことです。引越しとなると賃貸マンションです。そこまで配慮されたマンションも少ないかもしれませんが、チェック項目としていれておいてください。
・目の前が道路ではない。
たとえば1階で小さな庭付きというマンションも最近ではよく見かけます。ただ残念なのは、その前が道になっていると通行人に常にテリトリーをさらされることになります。犬ばかりでなく人も落ち着かなくなります。人だけでなくバイクや車も通るため振動も伝わりやすいです。
理想は、窓の向こうは何もない、もしくは広場、人のあまり来ない公園とか、となりのマンションの裏側で人や他犬の気配のない部屋を選びたいです。
・中心部よりも郊外に。
マンションの立地は都心部よりも少しはなれた郊外をおすすめします。子供にとってと考えても郊外を選ばれるでしょう。犬も同じです。理由は臭いです。都心部は排気ガスや密集した人の生活臭、レストランからの臭い、コンビ二の臭いなどで大変臭いです。福岡でも博多の中心から40分くらい車を走らせれば、空気はずい分と変わります。1時間も走ればかなり違いが分かります。臭くない、これは犬にとっては安心安全を知らせるメッセージなので大切です。もちろん。お父さんの通勤負担を考慮した上でということです。
ここまでは共通項目です。
他に引越しでできることは、室内をいかに整えるのかということ。
これはいくつも考えることができます。犬が安心して生活するために必要なことを考えます。
そして、引越しの作業のときに犬に負担をかけないためにはどうすればいいのかということ。
荷物の運び出しの作業のときは犬は落ち着かなくなります。テリトリーがなくなってしまうわけですから不安になります。家族に協力して預かってもらうなどするのが良いと思います。
引越しは犬にとっても人生の転機です。
犬は人が飼う動物ですから、人の都合によりストレスを受けるのは仕方のないことではありますが、
いかに犬に配慮できるかということでは、面倒なことでも犬を飼う楽しみとして犬をサポートしてあげてください。
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犬のゴハンはいつ与えるのか?
犬のトレーニングやしつけ方についての情報があふれすぎています。
本でもあちこちから集めたような雑用知識本いわゆるハウツー本として出版されている内容の曖昧なものもある上に、ネットの情報となると個人の価値観や自分はこうやったという、不安定な情報が拡散されています。
たとえば「犬のゴハンは人の後に与えなければいけない。」と思って取り入れている飼い主さんが結構いるようです。
「犬のゴハンは私たちの食事の後に与えるようにしています。」ときっぱりいわれます。
「なぜ、人が食事を済ませなければ犬に与えられないと思うのですか?」と尋ねます。
すると、飼い主さんはたいてい「え?」という感じになります。
それもそうですね。今まで信じていたことが、違うのかもしれないと言われる瞬間なのでビックリするでしょう。
実際には人が先に食事を済ませる必要がある理由を応えられない方も多いのです。ネットに「人が先に食べるほうがいいと書いてあった」といわれる曖昧な答えです。ただ、ネットに書いてあるとおりにやってしまうというのは、とても怖いことだと思います。食事をどちらが先に食べるかというのは、犬には全く影響を与えません。そのため、この順番を守っていたとしても犬に良い影響もでなければ、悪い影響も出ないということでしょう。ですが内容によっては、犬との関係性や犬の成長と発達に強く影響を残してしまうこともあります。良かれと思ってやってきたことなので、できるだけ間違いは避けたいものです。
本に書いてあったという理由の中には、オオカミは強い方が先に食べてから弱いものが食べるからというものがありました。似たような状態を人の生活で説明するなら、武家社会でお父さんの食べるものには少し特別なものが添えられているということでしょうか。実際、父親よりも下のものが先に食事に手をつけることはありません。
人と犬の食に関する影響はこれとは全く違うものです。大切なのは、犬は人が与えたものを食べるという事実です。
人が与えないと食べられないのです。勝手に冷蔵庫から食べ物を出してきて、他の家族よりも先に食事を済ませてしまう子供とは違います。みなで協力して行った狩によって獲物を得たオオカミの群れでもありません。まず、人が与えるという行為だけで十分に犬に優先していることを理解してあげましょう。
注意して欲しいのは、食べ物の受け取り方のほうです。
食べ物を与えられなければ受け取れないのは子オオカミも同じです。親オオカミが吐き戻しをして子オオカミに食べ物を与える行動は、子オオカミが親オオカミの口をなめる行動によって引き出されておきる行動です。幼少動物が権利をもつ「要求行動」です。
食べ物の受け取り方の間違いのひとつは、犬の要求行動によって飼い主が犬に食べ物を与えているということです。
「人が先に食べてから犬にゴハンを与えています。」という飼い主さんが、その食事の前に犬が吠えたり飛び跳ねたりする犬の要求行動に応えるように犬にゴハンを与えています。これでは犬は自分と飼い主との関係性を、犬が要求し飼い主がそれに応じる存在だと認識してしまいます。
ゴハンの順番はあまりというより、全く関係性には影響をしません。
お腹を空かせている犬のために早く食事を済ませる必要も全くありませんので、安心して人より先に犬にゴハンを与えてください。
犬のしつけ方については、本やネットの情報はあまりにも曖昧です。
犬のしつけは「いれる」ものではありません。
犬のしつけは「犬が必要な行動を自らできるように、飼い主が環境を整え学ぶチャンスを与える。」ということです。
飼い主が環境を整え犬をサポートしていることを犬は理解します。その過程で作り上げられたもののも人と犬の関係性に影響します。
犬のしつけはハウツーではない。
ぜひ、犬との関係作りを楽しんでください。
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熊本被災ペット支援ネットワーク
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犬の遠吠えを聞いたことがありますか?
預かりクラス利用中の犬が、昼に放送される音楽にあわせて遠吠えをしたので、久しぶりに生遠吠えをききました。七山の里山の地域の犬の中には、昼のこの音楽にあわせて遠吠えをする犬がいましたが、最近引っ越してしまい、しばらく聞くことがありませんでした。
しかも、預かりクラス利用中の犬もなんどもこの音をここで聞いたはずなのに、今までは一度も遠吠えをしたことがなかったため、予期せぬことでビックリしました。
予期せぬことというのは、すべての犬が遠吠えをするわけではないからです。
遠吠えをしない犬は、生涯この吠え方をすることはありません。
そのため、あれ君も遠吠えするのね~と思ったのです。
遠吠えを聞いたことがありますか?
遠吠えとは、「うぉーーーーーん、うぉーーーーん」という非常に長くて少し高めの音を出し続ける音のコミュニケーションです。イヌ科動物の中でもっとも鮮明にこのコミュニケーションの機能を発揮しているのはオオカミです。オオカミに続いてイヌです。
イヌといっても、私たちの生活する環境の中に存在するのは家イヌ、つまり「犬」なので、その犬たちはオオカミのような見事な遠吠えをすることはありません。そして、その遠吠えは、コミュニケーションというよりも、遠吠えの際に出される音のピッチや長さが同じようなものであればその音に「共鳴」というシステムで反応してしまいます。そのためこのとき犬に「遠吠えでコミュニケーションをとる意志」はありません。この共鳴システムですが、他の音のコミュニケーションでは使われないのに、遠吠えのときだけは共鳴して行動が出るのは不思議なことです。
とても気に入っている写真があります。オオカミのグループが円陣を組み、互いに顔を向け合って立ったまま顔をあげて遠吠えをしているというものです。私が今までに見たオオカミの遠吠えはほとんどが立ったままで行うというものでした。犬は座ったまま、伏せたままでも遠吠えをしているのを見たことがあります。オオカミと犬では遠吠えの中に含まれる意味合いが異なるでしょう。
声質もずい分違います。家犬はオオカミのように高低のある音を使いこなせていないこともあります。もしくは顔や形の変形により、そもそも音がきちんと出ないようになってきている傾向が強いです。オオカミの遠吠えのCDをたまに聴くことがありますが、オルゴールの音への共鳴反応とは違い、静寂の中にひびく豊かな音として心に染み入ります。
救急車やオルゴール、車の宣伝の音などで反応してしまう犬の遠吠え。
意味のないコミュニケーションだとしても、動物として生きてきた時代の名残を感じます。
今回遠吠えした犬くんも、「うぉーー」あれ、なんで声が出る、という感じで途中でやめてしまい、再び「うぉーーー」あれれ、自分の意志とはちがって声が出るよ、という感じでいちいち戸惑うように首をかしげながらやめようとしているけど止められないという表情と行動がとても可愛らしく感じました。そしてそれを見ている私に対して、なにやら恥ずかしそうに顔を背けてなかったことにしようとしている落ち着かせ行動も見逃せません。そうね。犬がイヌであることを忘れようとしても、その中に流れる血がイヌであることを思い出そうとしているのかもしれないね。
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