先日有馬記念のレースを見る機会がありました。
わたしは賭け事には全く関心がありませんが、馬という動物には関心があります。
なぜなら、馬と犬は人が利用し続けている動物の中でも特別な位置にあると思うからです。
人の言うことを仕向けるように飼い慣らし、人の目的を果たすように繁殖し、そしてかつ人の友であるという役割を与えている動物、それが馬と犬です。
有馬記念のレース映像は偶然車を停車して待ち時間になったときに車の中でテレビ放送として見ました。
パドックに入る直前からレースが終了するまでのメインの部分だったのです。
優勝候補に挙がっていたエコフォーリアという名馬の歩く姿、バランスの良さ、筋肉のすばらしさ、動きに美しさ。
私が馬のことを全くわかいなかったとしても、長年犬という動物の姿を見ているのですからこの馬が特別すばらしい体形を精神を備えた馬であるということは伝わってきました。
競走馬の主流であるサラブレッドは犬でいうところの純血種です。
人の手が何世代にもわたって入り込んだまさに人為的に繁殖された馬です。
競走馬という目的を果たしているという意味ではすばらしい繁殖ですが、繁殖によっては欠点も生まれてしまいます。
馬のもっているすばらしさ「美しく速く走る」という機能性を高めることと、病気や欠点をできるだけ抑えた繁殖を末永く続けるためには大変な研究が必要になるはずです。
ただ、競走馬の場合には馬としての機能性を高めたいという目的であったことで美しい馬が生まれました。
ところが、犬の純血種はどうでしょうか?
犬の純血種も同じように人為的繁殖によって意図的に目的をもって繁殖を繰り返された人の産物なのです。
たくさんの純血種犬は「使役犬=働く犬」として役割をもつこともありました。
人よりも圧倒的な機能である嗅覚を使った警察犬、麻薬探知犬などは犬が最も得意とする能力です。
イノシシを追う猟犬には日本の純血種たちも現在でも活躍しています。
他に人に従順であるという服従性を利用した盲導犬などの福祉犬、セラピードッグも他の動物にはできないことです。
羊を囲むボーダーコリーは、捕食性を服従性でコントロールするというギリギリのラインでもあります。
しかし同時に、多くの犬は「変わっている」「奇抜」「かわいいもしくはきもかわいい」という理由で人の手によって繁殖されてきました。
犬は人為的繁殖によってさまざまな容姿が広がったことが他の動物ではなかったことだからです。
それだけ犬の繁殖に人が強く関与したということでしょう。
鼻のひっこんだぺちゃ顔の犬、足の短い犬、模様の特別な犬、毛足が長い犬、
毛の抜けない犬、毛のない犬、容姿がぬいぐるみに似ている犬など、人の好みに合わせて犬を繁殖させていけば全く本来の犬とは別の動物になっていきます。
今では少し行き過ぎているのではないかと思うほど犬の形は崩れてきました。
犬が本来人と距離を置いて生きていた時代に、犬の形というのは犬が生きている上で最大に出来上がった形であったはずです。
形は「機能性」であり、本来の形である方が犬としての能力は高いということです。
ところが、犬をペットとして犬にかわいさを求めるあまり、犬の毛は山を歩くには不便になりました。
飾り毛にはたくさんの落ち葉や種がついて離れず、皮膚は薄くなりすぐに切れてしまいます。
脚は短くなって長い時間歩くことが得意だった犬の機能性は発揮することができなくなりました。
犬を見るたびに動きにくそうだな不便そうだなと思ってしまい、あまりにも人の都合で形を変えて行き過ぎるのはそろそろ見直すべきときが来ているはずです。
新しい純血種の登録は今でも進んでいます。
新しく珍しいものに商品価値があるというビジネス的な発想なのかどうかわかりません。
もちろん純血種の販売も競走馬の育成のビジネスであることは間違いないのですからそこを否定するつもりは毛頭ありません。
むしろビジネスとして健全により本来の犬としての機能性が高まる方向性で人為的な繁殖を進めていただきたいです。
生まれたあとは、馬も犬も人が利用している動物だという自覚と責任を持ってちゃんと飼育し健全な肉体と精神をもった動物となるよう育てることです。
Author Archives: miyatake
犬の健康と幸せにも影響する形とバランスの限界地点はどこにあるのか。
ご利用される方に差し上げます。<ペットキャリー アストラカー>
飼い主さんから使わなくなったクレートをいただきました。
車用のクレートです。
ハッチバックタイプの車に利用でするのに便利です。
商品名 アストラカー
サイズ 幅80せんち 奥行51センチ 高さ60センチ
大型犬用になっていますが、実際には25キロくらいまでが対象のサイズです。
とりに来ていただける方にお譲りいたします。
ご希望の方はご連絡下さい。
犬のしつけが犬にストレスだと思う飼い主の気持ちと犬の末路。
犬のしつけ方を飼い主さんに教えるのが仕事なのですが、その犬のしつけの最中にたまに飼い主さんから言われることがあります。
「犬のストレスになるのではないか」とか「犬がストレスを感じている」というのです。
うーん、少し冷静になって考えてみる必要があります。
自分の犬のこととなるとどうしても感情的になってしまうのなら、他の犬と飼い主のことを想像して考えてみましょう。
不満と感じることを飼い主がしたらかみつく犬がいるとします。
飼い主がテーブルの上においていた食べ物を犬がとり、それを取り上げようとしたらかみつく犬、名前をポチくんとしましょう。
そのポチくんのかみつきを改善するために必要なことは、ポチくんが食べ物をとったときにたくさん叱ってわからせることでしょうか?
この方法でもある程度の効果は出します。
飼い主が見張っているときにはテーブルの上のものに手を出さない犬にはなるでしょう。
ところが、これは「犬のしつけ」のほかにやりようないときの方法であって根本的なしつけではありません。
本来のしつけられた犬とは「テーブルの上に食べ物があっても取らない犬」のことです。
テーブルの上のものは飼い主のもの。
だから食べ物があっても「がまんして手を出さない犬」のことを言うのです。
つまり、しつけられた犬は「我慢強い犬」になります。
ところが、犬のしつけをなかなか進められない飼い主は、犬にがまんさせることを可哀そうと思っています。
がまんに弱い犬はフセをすぐにはしません。
フセは伏せて待てという待機の要求なのですから、犬はそのことを知っています。
フセの姿勢になるとすぐに逃げたり走ったりできなくなることも犬は知っているのです。
そのため犬はフセというと逃げようとしたり、体をかいたり、ぎゃんと声をあげて飼い主の要求に対して反発することもあります。
犬の逃げや反発は「したくない」と言っているのだと、とても分かりやすいものです。
したくないことをさせる、それが犬のストレスになるというのなら犬をしつけることなど到底できません。
しかも、我慢せずに甘やかされた犬ほど我慢することができません。
問題を抱えた犬ほど、フセをすることは嫌がるのです。
嫌がるのはフセだけではありません。
甘やかされた犬は自分の思い通りにならないことは一切いやです。
領域を奪われるのもいや。
食べ物をもらえないのもいや。
ひとりになるのもいや。
他の犬に対して自分が弱いのもいや。
いやいやの生涯を送る犬、これって楽しい犬の生涯になるでしょうか?
犬にしつけをすることがストレスになっているのでしょうか?いえ、その犬はストレスに弱い犬になってしまったのです。
小さい頃から厳しくしつけられた犬は、我慢強く育つので多少のストレスにもきれたりしません。
でも甘やかされたことで、少しのことでストレスを感じる犬になってしまったのです。
犬をきちんとしつけて我慢強い犬にすることは、犬が他者に迷惑をかけないという最低のお約束だけではなく、犬自身がストレスに強くなり生きる世界を広げて楽しみを増やすことにつながります。
犬にフセをさせることを可哀そうと感じるのでしたら、犬は飼い主の膝かその周辺でしか生きることができません。
何が犬の本当の幸せなのかを考えてみてください。
犬の生涯は飼い主のあなた次第でどのようにでも変わるのです。

土の中に何かを見つける小鉄くん
オポディ<オポの日>イベント開催しました。
一年を締めくくる12月にオポディイベントを今年も開催しました。
トレッキングクラスは今年大きなグループクラスでは最後のトレッキングです。
山の斜面は落ち葉で埋め尽くされていますね。
昨晩は冷や冷やした雪も「オポお願い」のメッセージが届いたのか食い止められました。
今年一年を振り返りつつ犬との山歩きを楽しみながら気持ちよく歩いていただいたかと思います。
飼い主さん同士も、犬と犬も、回数を重ねることでお互いを知り安心感と信頼感も生まれてきます。
まだなじまない犬たちもゆっくりと社会化を進めるでしょう。
トレッキングのあとに昼食会+お話会。
お互いの犬との関わり、しつけの悩み、うれしかったこと、辛かったことなど話ができる時間もまた大切です。
何も行動を起こしていない状態での話し合いはただの愚痴の言い合いになる可能性もあります。
一歩でも前進をしている飼い主さん同士だからこそ、うまくいったこと、うまくいかなかこと、できるようになったこと、これから目標にしていることなど、成長を報告し合える会になります。
お互いに勇気づけられたのだとしたら、素晴らしい仲間との出会いを得られたのでしょう。
グッドボーイハートがそのような場や時間を提供できれば幸いです。
そんなオポディ。
昨晩は準備などであわただしく深夜に少し眠っただけでしたが、その眠りの中にオポがやってきました。
いつまでもオポに頼ってはいけないと前進しているつもりなのですが、やはり犬のことになると迷うことも多く、今年もオポを頼って歩んだ一年であったことを痛感しました。
いつもそばにいてくれてありがとう。
生徒さんたちとの出会いに深く感謝し、グッドボーイハートは前進します。

オポ広場に集合。※念のためお顔部分はインクをつけました。
「犬のひっぱりっこ遊び行動」を深堀りしたオンライン犬語セミナー
オンライン犬語セミナーを開催しました。
オンラインスタイルに少し慣れてきたので前回よりもスムーズに進行できました(よね?)
動画の素材もオンラインセミナーだからこそ取り組みやすい内容にしてみました。
少人数制でディスカッションを進めるために行動の種類を特定したのです。
今回見ていただいた動画は「犬と犬のひっぱりっこ行動」です。
2種類の別に撮影した動画を準備しました。
その行動をまずは観察して行動を細かにピックアップする作業を終えたあとに、犬と犬がひっぱりっこ行動を通して何をやっているのかをみなさんと一緒に考えてみました。
結局のところたどり着いたところは「犬とのひっぱりっこ遊びでおもちゃを取り上げないと人の方が下だと思われてしまう。」という情報に対する疑問です。
おもちゃを取り上げないと人の方が下だと思われてしまう、という情報はいかにもそれが正しいと思われそうな間違った情報です。
犬の行動を表面的にしか見ていなければ、犬の服従性という関係を深読みする習慣がないと惑わされてしまいます。
というか、すでにみなさん惑わされてしまったはずです。
実際、犬とのひっぱりっこのときには飼い主がおもちゃを取り上げなければいけないのだと、セミナーを受講されたみなさん全員が思い込まれていました。
わたしも犬の仕事を始めたときには同じように習ってきましたから、そうするのが当たり前と思っていました。
ところが犬たちがやっているのはそういうことではありません。
ひっぱりっこしている道具を取り上げることに価値があるのではなく、それをどのように使うかに価値があるのです。
それでクラスを受講されているみなさんには「ひっぱりっこのときに重要な引っ張り方」について説明しています。
この引っ張り方は、犬と犬のひっぱりっこ遊びをなんども見た上で重要だと感じたことなのです。
犬がやろうとしていることのすべてを理解することはできません。
しかし、安定をはかろうとする犬がやろうとしている行動をマネすることはできます。
やっているうちに相手の犬との関係が変わってくると、結果として「ああそうか、こういうことだったのだ。」と気づくことも多々ありました。
すごく遠回りでどこかに正解が全部書いてある本があればいいのにと思うこともありますが、こうしてひとつずつ自分で見極めていくのも楽しい作業です。
まだまだ見極めきれていない行動がたくさんあります。
またこれからみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
オンライン犬語セミナー次回の開催は一月を予定しています。
ご希望の方はご連絡下さい。
今日は何の日、今日はオポの命日。
昨日は七山に懐かしい生徒さんがたちが集まって下さいました。
今日のオポの命日にあわせてお声かけしたメンバーはオポが亡くなった日に埋葬のお手伝いまでしてくださった生徒さんたちです。
オポのあとに旅立った犬の飼い主さんや、今も老犬の余生をゆったりと過ごしていらっしゃる生徒さんもいらっしゃいます。
この時期に集まって懐かしくお話するのが習慣になっていましたが、このご時世でできなかったお顔合わせが久しぶりにできてほっとしました。
わたしもオポという犬の一飼い主として、飼い主同志の対話ができることをグッドボーイハートで楽しんでいました。
わが犬が一番かわいいの自慢あり、自虐あり、他の犬とのかかわりの中で生まれた思い出や、若かった自分だったからこをできたことなど七山の風景とともに思い出します。
オポが亡くなってから6回目の命日を迎えました。
この6年でたくさんの犬と飼い主さんとの出会いと学びをいただきました。
オポがわたしに教えてくれたことはたくさんありますが、何よりもすごかったオポの力は私を七山という山奥に連れてきてしまったことです。
オポがいなければこんな山の中で犬といっしょに暮らすなどということを考えることも決めることも実行することもあり得ないことだったからです。
この集まりの前日にはじめてのトレッキングクラスに参加してくださった生徒さんも同じことを言われていました。
この犬と暮らしていなかったら、山歩きをしたり、マンションから戸建てに引っ越すなどあり得ないことだった、と。
また今日は別の生徒さんからのお手紙にこうありました。
犬のために始めたトレッキングは実はわたしのために必要だったのだと思うようになりました、と。
こうして私の周りで新しい人生を開いていく生徒さんの言葉を聞くたびに、これもまたすべてオポが私を変化させた結果なのだと、やはりオポに戻っていくのです。
だからオポは私の原点です。
みなさんの犬はまだまだ若いのです。
オポが七山に引っ越したのは7歳を過ぎてからです。
そして写真は11歳のときに七山の庭で寝そべる姿です。
この11歳のオポの姿、最後の輝きではありますが十分な輝きがあります。
わたしも最後の輝きに入る年齢です。
オポの姿を思い出しながら気合で犬と向き合っていきます。
19日開催のオポディでは、飼い主さん同士のつながりを深めていただく時間にしていただければと思います。
悩み、愚痴、自慢、なんでもありの時間です。
どうぞお気軽にご参加下さい。

家の庭でひなたぼっこするオポ11歳
犬を愛する飼い主なら犬の散歩に伸びるリードを使わないで!
昨日ある生徒さんから「運転中に偶然、犬の交通事故現場に遭遇した」という報告をいただきました。
生徒さんが見た事故現場で犬は車にひかれてしまい、すぐに病院に搬送されたそうですが残念ながら命は助からなかったということでした。
その犬は伸び縮みするリード(フレキシブルリード)で飼い主が散歩をしていて公園から出てしまったらしいのです。
飼い主と犬の間に車が入り、急停車した車のタイヤにリードが絡まり犬も巻き込まれたそうです。
普段から「伸び縮みするリードは散歩では絶対に使わないで下さい。」とお願いしていたので、生徒さんはその理由がわかったといわれていました。
フレキシブルリードを使ってもよい場所は、車道に面していない広い公園だけです。
もともとはヨーロッパやアメリカなどで広い公園の中で使用されていますが、フレキシブルリードを使用するときには広い公園の中でも近くに他に犬や人がいないことも条件に入ります。
わたしも公園内でこの伸び縮みするリードを使用している犬にまとわりつかれて絡まった経験があります。
日本にはそのような広い公園で、しかも近くに人や犬がいないという条件になることがなかなかありません。
海岸で使用している人もいますが、フレキシブルリードをつけていた犬が走り出した衝撃で紐がはずれ車道に走り出した犬の話も聞いたことがあります。
使う場所だけでなく、このリードの使い方もちゃんと熟知した上で練習を重ねて使用していただきたいです。
同時にこのリード内で人の合図やコマンドに従えない犬には使用をお勧めできない道具です。
特に普段からリードを引っ張って歩くような犬にはこのリードはおすすめできません。
犬はいつもリードをつけられて不自由な状態ですから、少しでも自由にしてあげたいという気持ちは十分にわかります。
ただ安易な道具の使用や表面的な自由を犬に与えても犬はまだ不自由なままなのです。
犬がやりたいのはフレキシブルリードで都会の公園をうろうろすることでしょうか。
もっと奥深くまで犬の世界に踏み込んでいただき、犬と楽しく幸せな時間を過ごせるようにちょっとだけがんばってみられるならお手伝いいたします。
フレキシブルリードを卒業しましょう。
犬から信頼される飼い主になるために絶対に欠かせないこととは。
年末が近づいているからなのか、あっという間に日々が過ぎていきます。
またブログの更新が遅くなってしまった言い訳です。
毎日たくさんのいろんな犬のことを考えたり思ったりするのですが、考えたことが文字になるまでに数日が必要で、そのうちにまた新しいことが頭の中に入ってきてしまいます。
頭の中では書いたつもりのブログ記事を改めてこうして書いている次第です。
先日ある生徒さんから読み終えた本をどなたかにといただき七山の部屋の中においていました。
その中には私が面白いと思った本も入っていました。
次の生徒さんがトレッキングに来られたときに「この本は面白かったから貸出しますよ。このドッグトレーナーが結構気に入っているの。」
と世界的にあまりにも有名すぐるドッグトレーナーの書いた本を完全な上から目線で紹介したのですが、生徒さんは彼を知らないと言いました。
知らない?
アメリカのカリスマドッグトレーナーのシーザー・ミランを知らない人がいるのも当たり前のことです。
私がプロボクシングの世界チャンピオンの名前を知らないのと同じことですね。
なぜ私がシーザー・ミランがお気に入りのドッグトレーナーなのかを説明した上で本を読むのは苦手という生徒さんのために公開されている動画を一つ検索してちらっと見ていただきました。
その動画は英語でしたが、その中にあった言葉「トラスト」。
そのワードを聞いたときに、この言葉こそ犬と飼い主の間になくてはならないものだと、さすがにカリスマドッグトレーナー、だからお気に入りなのよと心の中で思ったのです。
「犬から信頼される飼い主になること」
犬を愛する多くの飼い主が望んでいることではないでしょうか。
犬とより良い関係を築くためのお手伝いをするのがグッドボーイハートの使命ですが、より良い関係にはいろんな関係があります。
私なら犬と互いを信頼し合える関係を築きたいと思います。
そういう思いで自分の犬と向き合ってきました。
犬から信頼される飼い主になるためにできることは何かと考えて、みなさんはどのようなことを考えたり実践されたりするでしょうか。
規則正しい生活の管理。
犬の習性にあった環境整備。
犬の習性や行動を理解すること。
犬の生活に必要な道具を正しく選び使うこと。
このような基本的かつ具体的なことは、グッドボーイハートで学ぶ生徒さんなら、日々積み重ねをされていることだと思います。
その上で、犬から信頼される飼い主になるために、絶対に必要だけどなかなか難しいことがあります。
それは「犬を信頼する飼い主である」ということです。
信頼関係とは一方通行ではなく双方向の関係です。
犬から信頼される前に、犬を信頼することができるでしょうか?
信頼されることよりも、信頼することの方がずっと難しいことなのです。
特に犬にかみつき行動やパニック行動などの破壊的行動をするようになってしまうと、犬のことをなかなか信頼することができなくなります。
犬が何を考えて、何を求めて、何をしようとしているのかがわからなくなってしまいます。
では、犬を信頼するためにできることとは、ただ犬を信じることです。
犬を信じて毎日犬との関係のために必要だと思うことを積み重ねていくだけです。
私も犬に接するときに「絶対にできるようになる」と信じて向き合っています。
ところが飼い主さんの方が「できない」と思うとしたら、お互いの関係はそこで終わってしまいます。
信頼関係は毎日の時間の積み重ねです。
飼い主が犬のことを信じてどこまでやるのか、決めるのは犬でなく飼い主の方です。
そして、私の仕事は犬に向き合う飼い主を信じることです。
わたしはなかなか犬のことをあきらめません。
それが私の犬に対する愛するという気持ちです。

柴犬の小鉄ちゃんとむぎちゃん
ドッグトレーナーも迷走する「犬のしつけ」っていったい何?
オンラインクラスなどをご利用いただいている開業されている同業者=ドッグインストラクターのある先生とお話することがありました。
先日のオンライン犬語セミナーで使用した犬の行動を撮影した動画を見たことで、大きな気づきを得られたというお話を伺いました。
その気づきとは簡単に言えば「犬のしつけとは何か?」という気づきだったそうです。
人に「犬のしつけ方」について教える立場である私たちドッグインストラクターだからこその悩みというものがあります。
それは他の専門業種の方々が自分の取り組んでいるものに対して悩むのと同じことです。
医者であれば治療の方針や方法について、農家であればより良い農作物をつくるために何ができるか、教師であれば何をどのようにして伝えたらよいのかなどと同じように。
飼い主に対して「犬のしつけ」を教えるために私たちは様々なことを飼い主に教えたり伝える仕事をしています。
ただその内容はドッグインストラクターとかドッグトレーナーという職についている人によってそれぞれです
また、私というひとりのドッグインストラクターであっても、自分の学びや成長と共に飼い主さんに伝えるべき最大に重要なことはこれだと思うことが変化しています。
例えば、飼い主がより分かりやすく簡単にできる方法で犬にオスワリを教えることを伝えるのか。
報酬による条件付け学習の陽性強化トレーニングを学び取り組んだこともありました。
クリッカートレーニングにも真剣に取り組みました。
アメリカで開催されたセミナーにも参加してとことんまで学びやり方を習得してそれを犬のしつけにどのように活用できるのかを模索してチャレンジしてきたこともあります。
しかし、今となっては犬のしつけに「報酬と罰」はほとんど必要がないと思うようになりました。
少なくとも自分が犬と暮らす上では全く必要がなかったことにも気づきました。
なぜ報酬や罰を用いてトレーニングをしなければいけないような状態に犬が陥っているのだろうかという考えに転ずることができたことで犬のしつけ方に対する考え方が大きく変わったのです。
大きなきっかけは七山にグッドボーイハートを移転させたことでしたが、その中で学んだことは彼らのフィールドである山という場所で、犬の行動をずっと観察する時間を得られたことです。
犬と犬が、犬と人が、関わるということ、関係性を築き上げていくということがどういうことなのかを学ぶたくさんの時間をいただきました。
これはドッグインストラクターという仕事をしている自分にとって素晴らしい時間でしたが、何よりもオポの飼い主である自分にとってもっと素晴らしい時間になりました。
その気づきを元にして今のトレーニングクラスを作り上げていくようになり、口で伝えられることは伝え、飼い主自身に気づいてほしいことは気づくための時間を使っていただくようにしています。
犬との山歩きとは体感しながらそのきっかけをえるためのチャンスであり、また犬語セミナーは考えながら気づきを得るためのチャンスなのです。
先へ進もうとしている人はやはり先に進まれるのだと感じたミーティングになりました。
12月の犬語オンラインセミナーは以下の予定です。
12月15日20時~21時 ※延長の可能性ありですが途中退出も自由です。
定員5名 おひとり2000円
1名でも開催いたします。お気軽にご連絡下さい。
グループトレッキングクラスで犬も飼い主も生き返る時間
グループトレッキングクラスを開催しました。
不定期に開催している福岡市内の山でのトレッキングです。
天候が不安定だったため逆に登山者がほとんどおらず、わたしたちの方は少し緩やかに山歩きを楽しませていただきました。
十分に手入れをされた山は気持ちがいいです。
七山もこのくらい手を入れたいという気持ちはあっても、日々の生活のことでいっぱいで体力の限界もあり、ここまでの手入れにはいたりません。
山歩きに慣れていない方でも歩ける程度のトレッキングクラスですが、犬のリードを片手にバランスをとるのはなかなか大変なことです。
特にトレッキング初心者のみなさんは、真剣な顔でバランスをとりつつ歩いています。
その点、ベテラン組はゆとりがありますね。
何事も「できることの積み重ね練習」で上手になるものです。
山の空気は新鮮でみなさん「気持ちがいい」を口にされていました。
人間がそう感じるのだから、犬のセンサーだったらもっと心地よさを得られたでしょう。
犬を大切にされている飼い主さんは、いつも犬に与えることばかり考えてはいないでしょうか。
もっと大切なのは、犬といっしょにお互いが心地よく癒されると感じる時間を共有できる場所に出かけることです。
それが犬との山歩きです。
山はどんな動物にも与えてくれるものは平等です。
素敵なひとときをありがとうございます。
この福岡市トレッキングクラスは1月も平日に開催予定です。
参加ご希望の方はお問い合わせ下さい。