気持ちの良い週末でした。
福岡県はまだ自粛期間中ですが、自然の中を歩くことくらいは許していただきたいです。
七山でグループトレッキングクラスを開催しました。
まだ木々には小さな芽が吹いているくらいです。
風の通り抜ける気持ちの良い山を知っている犬と知らない犬と、いっしょにグループとなって歩いていきます。
回数を重ねるうちに人と人もお互いを知るようになります。
飼い主の安心感が犬にも落ち着きを与えていきます。
犬にとって山を歩くという行動は、犬の脳の中の一番中心部に入っている最も重要な情報です。
普段は歩かない土の上、いつもは歩いていないバランスの悪い坂道、たくさんの動物の足跡の匂い…。
こうした山の環境が犬を呼び覚ますきっかけになると思うことからトレッキングクラスは成り立っています。
犬を呼び覚ますなどどういう意味か?と思われるかもしれません。
しかし飼い主の中には「自分の犬は人だと思っている」という人もいるのです。
おそらくそれはうちの子自慢の言葉なのかもしれませんが、犬にとっては危険なことです。
犬は犬として生きる権利というのを持っている。
犬は山を歩く権利を持っているのです。
犬が犬としての自覚と尊厳を取り戻すために、犬のことを学びましょう。
3月は28日に開催予定です。
Author Archives: miyatake
グループトレッキングクラスを開催しました。
馬の世界の「馴致」という社会化の必要性は当然犬にもあるのをご存じでしょうか。
先日おすすめの本の記事で紹介した「馬はなぜ走るのか?」の中に“馴致”
という学習についての内容がありました。
馴致といえば犬の社会化トレーニングでも使用される言葉で、馬でも使うのかと思ったのですがどうやら競走馬では馴致は「乗り慣らし」として周知されている言葉だということを知りました。
そういえば「馴れる」の文字は馬偏なので、至極納得です。
本の中にある競走馬でいうところの「馴致」の内容がとてもわかりやすいもので引用を含みながら紹介します。
サラブレッドとして繁殖された馬が競走馬になるためには訓練が必要だがそれをする前段階として「馴致」を説明されています。
ここから引用
馬に対して競走馬としての訓練を始めるには、その前段階として、
1.人間の存在に馴らす
2.人間の指示に従うようにする
というふたつのステップが必要になる。馬を人に慣れされる、あるいは競走馬として扱うことに馴れさせる、いわゆる「馴致」である。
引用ここまで「馬ははぜ走るのか」より
この二つはサラブレッドが競走馬になるために必要なことはもちろんながら、その前段階としての馬が人に飼育される動物になるために必須項目なのです。
この馴致は犬のしつけ方やトレーニングの世界では「社会化」と言われます。
犬の社会化は広義の意味で、その中に馴致という狭義の部分が入っているのは馬と同じです。
「犬の社会化」という言葉はここ10年くらい前から日本では認知が広がり始めました。
今は一般の飼い主でも「社会化」という言葉を知っていることが多く、変わったなという印象を受けます。
犬の社会化が認知され始めたのは「犬はきちんと社会化されないと成犬になったときに吠えたり噛んだりするようになるますよ」という動物病院やペットショップなど飼い主がはじめに接触する犬の専門家からの指導によるものだと推測します。
言葉上では正論である前出の一文ですが、そのやり方についてはひどく間違ったものになってしまった結果が今の犬たちに表れています。
犬の社会化をたくさんの人や犬に会わせること、いろんな場所につれていくこと、たくさんの刺激を与えることだということは犬の社会性を発達させるよりむしろ疎外してしまいます。
犬の社会性を育てる際の基盤になるのは犬でもやはり「馴致」なのです。
1 犬を人に馴らす
2 犬が人に従えるようになる
この二つの犬の馴致についてご存じでしょうか。
例えば、犬を人に馴らすとは人が抱き上げたりなでたり食べ物を与えたりほめたりすることではありません。
そもそも子犬が人に馴れているものだと思い、最初から友達のようになれなれしく接するでもありません。
子犬にもっとも大切なこの馴致の過程について、この馬の本はとても参考になる内容が書いてあります。
そろそろ読んでみたくなりましたね。
「犬の馴致」についてもっと学びましょう。
関連ブログ記事→
おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。

梅の咲く季節に七山では別世界の雪景色の中で興奮する若い犬くん。
今日は冬の呼び戻しで大変な雪になりました。
この雪、七山でもおそらくこの池原地区だけろうなと思っていましたが予想通りでした。
唐津や七山の中央付近では積雪はなく、谷間のこの地区だけに雪が集中したのです。
例年のことなので驚くこともありませんが「あーまた雪か…」と作業が増えるのと体力を使うので朝からテンションが下がりっぱなしです。
ところが、当然のことながらお預かり中の若い犬ちゃんはテンションマックスとなりました。
地面をにおいとりしながらのジャンプジャンプ。
走る走る。滑る滑る。
いつもなら興奮を早く収めたいのですが、生涯ではじめてのこんな大雪に興奮しない子供だとしたらそれはそれで感受性が疑われます。
まだ1歳くらいの少年犬には許される不作法のいろいろ。
大爆走に付き合いながら、飼い主さんの代わりに写真とビデオを撮り続けこちらは足も手も体も凍り付かんばかりです。
若い犬ちゃんはまったく収まることなく遊んでいますが、適当に切り上げさせないとその後が大変です。
時間をみてはクレートで休ませると繰り返し、今日一日雪を楽しみながら、私はいろいろと雪作業を重ねて一日が終わりました。
飼い主さんには写真を添えてお預かりの報告をしました。
天候の変化に犬の行動が変わり、それも含めての行動を管理するのが私の仕事です。
自然を体感させる良い機会となりました。
ということでブログがなかなか更新できない言い訳をしました。
書きたいことは山ほどあります。
今しばらくお待ちください。
「自然が好き」とは簡単にはいかないが「自然の中にいる犬が好き」なら納得できる
福岡の都市空間を車で行ったり来たりする仕事をもう長く続けています。
家庭訪問形式のトレーニングクラスをどうしてもやめることができないからです。
一時は博多駅の近くにドッグスクールを持って、そこに通学で通ってきていただいたこともありました。
しかしやっぱり犬の問題となる行動に取り組むためには、犬の社会性を養う方法をお伝えするには、最初はご家庭が一番だという結論に達しました。
犬が日常生活を暮らしている家庭の中での「様子=行動」の実際を見た方がより犬のことがわかり、その環境の中で起きている問題を解決する糸口も見つけやすいのです。
しかし同時に犬には自然と関わる時間がすごく大切なのだということをお伝えしたいとも思っています。
家庭訪問クラスを続けながら、いつかチャンスをつくって犬といっしょに七山のグッドボーイハートを訪れてくださる機会を私が一番待ち望んでいます。
今日もまたはじめて犬ちゃんとご家族がいっしょにグッドボーイハートの尾歩山にトレッキング体験に来てくださいました。
小さな子供たちもいっしょに、ワーワーと楽しく山を歩きました。
まだ小学生だというお姉ちゃんもバランスを取りながら、数か月の犬ちゃんといっしょにはじめての山歩きです。
「山に来るのははじめて?こんなところはどんな感じ?」と聞いてみました。
「気持ちがいいから好き、でも虫が嫌い!」
子供は正直です。
私だって答えは同じです。
自然はとても気持ちがいい、でも虫は大嫌いです。
でも私が虫が嫌いだからといって自然の中で過ごす犬の姿を見る機会を失うことは考えられません。
すべてを受け入れることはできないかもしれない、それでもやっぱり自然は犬にとって必要なのです。
少々くだらない話ですが、パソコンに出てきた「あなたの将来の夢を探す適職診断」というアンケートに答えてみました。
35個のたわいのない質問に答えると自分の適職が出るいうものでした。
結果に苦笑しました。
「あなたは・・・
自然と触れ合うのが好きなタイプ です。」
ということで、納得せざるを得ない結果となりました。
今日はいっしょに参加してくれた小さな未来の少年に「ぞうさんは?」
といわれてしまいました。
ぞうさんもたしかに自然の一部ではあるけれど、ここでは準備できそうにありません。
身の丈にあった自然のサイズの中で犬の世界は広がります。
虫が出動を始めています。
戦いが始まります。
いろんな意味で「余裕のない犬たち」へ人が与えている影響について
都会の犬たちを見ていると、そんなに焦らなくていいよ、そんなにびっくりしなくていいよ、そんなに興奮しなくても大丈夫と声をかけたくなります。
彼らには余裕がないというか、状態を表現するにはあまりにも漠然としてますがその言葉がぴったりきます。
人でいうといころの余裕がないという場合にもいろんな余裕のなさがある中で、一番ダメージが大きいのは「心に余裕のない状態」でしょう。
心に余裕のない状態になると、本当は自分の元にちゃんとあるべきものも「ない」と思い込んでしまうからです。
本来なら「動物を飼う」という選択は余裕があってするものというのが私たちの子供のころの考え方でした。
お金に余裕がある人が犬を飼う。
犬を飼えるスペース(庭)がある人が犬を飼うことができる。
余裕がない家で犬を飼う場合には、餌だけ与えてあとは自由という明治時代のような飼い方であったと思います。
昭和の初期にもこんな犬の飼い方はまだ通用していました。
でも今はそうはいきません。
だから今は余裕のある人が犬を飼うはずなのですが、本当にそうなっているでしょうか。
都会で飼い主さんと暮らす犬の元にはなんでもあるはずです。
食べるものもある。
たくさんの水もある。
安心して眠れる場所もある。
共に過ごす仲間もある。
余裕のある人に飼われた犬ならなんでもちゃんと持っているはずです。
ところがそうなっていない、だから都会の犬たちには余裕がない状態なのです。
ではそれはなぜなのだろうかと考えていました。
今お預かりの犬ちゃんといっしょに七山のオポ邸で過ごしています。
裏にや尾歩山(おぽさん)手前にはオポ広場とオポづくしの空間の中で感じるのは、ただ広いということ。
広いといってもコンクリートで固められた駐車場とは違います。
少しでもスペースがあれば芽を出そうとするたくましい雑草やら木々やらの生命の宿る地面がどこまでも続いています。
一日中庭や山を犬といっしょにうろうろと歩いていると、ここにはたくさんあるけれど都会にはないものがあるな。
「自然空間」そして「時間」。
どんなにたくさんの「もの」を持っていても、自然を感じる空間と時間を失うと心に余裕がなくなってしまうのかもしれない。
こうした土地は産業の盛んなお金を生み出す都会とは切り離されて存在していることがあります。
でもこの無駄に広い新鮮な空気が流れるこの空間が犬に心の余裕を与えていくのを感じるたびに、どうにかして犬の中にこの空間をと考えるのです。
犬だって普段は穴藏生活をするような動物です。
寝たり食べたり休んだりする場所は狭い場所の方が落ち着きます。
でも活動するならやっぱり犬がもともと生きていた場所、山という存在が自分の中にあることを体感している犬とそうでない犬では、生涯を喜びが違うと思います。
私が犬たちを見ていて感じたことで、科学的な根拠も裏付けする資料もありません。
何が犬の幸せなのか、何が犬の喜びなのか、と聞かれることがありますが、それをホルモン量の測定値で知ったところで何になるのでしょうか。
瞳の深さ、毛の輝きや柔らかさ、体の動かし方、そんな犬が一番美しく見える場所が山だというだけなのです。
そしてその山は犬の心にきっと余裕を与えてくれます。
その犬にとって一度しかない生涯をどのように飼い主と過ごすのか、犬の生涯は人次第です。
「今は犬のことを知ることが楽しいと思えるようになりました。」といううれしいお言葉
題目の言葉は先日トレッキング中に生徒さんから伺ったうれしいお言葉でした。
今は犬のことを知ることが楽しいと思えるようになりました。
一字一句同じではないと思いますが、こんな言葉でした。
犬のことを知るのが楽しいなんて当たり前じゃないかと思われるでしょうか。
決してそんなことはありません。
グッドボーイハートに問い合わせをされる方の9割の飼い主さんは、犬に何か解決しなければいけない問題があって連絡をしてこられるのです。
問題とは、トイレの失敗、吠える、かみつく、いたずらする、他の犬に吠える、他の犬が苦手、家族に吠える、留守番ができない、散歩中に引っ張るなどいろいろです。
ただその犬の行動を飼い主が困ったと感じて犬のしつけ方教室とかドッグスクールとかで検索されてグッドボーイハートに連絡をしてこられます。
犬の問題とされる行動を解決するためには、犬のことを知る必要があります。
犬のことを知るというと、犬がどういう犬なのかを知ることだと勘違いされています。
実は、犬のことを知るというのは、犬がどのような状態であるかを知るということです。
同時に、なぜ犬がこのような状態になっているのかを知る必要があります。
ところがここで飼い主は愕然とします。
もっと正確にいうなら愕然とさせられるのです。
なぜなら、犬が他の犬に吠えたり、散歩中にリードを引っ張ったりする行動のそうなった理由の多くは、犬の性格にあるのではなく、飼い主が犬に対してやってきたことにあるからです。
飼い主さんは状況を知る、理由を知るたびに当惑されるのがわかります。
とても苦しいことではありますがここを超えていかなければ、犬との関係を改善することはできません。
何が悪かったのか、何が犬にとって適切ではなかったのか。
その過程で飼い主が自分自身を否定する必要はありません。
でも犬のことを好きで好きでたまらない、犬のことを大切だと思う飼い主さんこそ、自分のせいでと苦しんでしまいます。
でもトレーニングを進めていくうちに犬に変化が訪れます。
変化した環境が犬に新しい作用をもたらしはじめ、犬自身が変わり始めるからです。
このころになると、飼い主は前向きに犬のことを直視して積極的に犬を理解することに取り組めるようになります。
そして多分「犬ってすごくすばらしい動物なのだ」と感じるのです。
犬のことを知ることが楽しいと思えるようになったという言葉は、飼い主自身の変化を知るとても深い言葉です。
グッドボーイハートで学ばれている方ならきっと共感していただけると思います。
グッドボーイハートはそんなすばらしい飼い主と犬が学ぶ学校です。
おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。
今年は良い書籍に巡り合えるという予感があったのですが、さっそく出会いがありました。
生徒さんからすすめていただいた本「馬はなぜ走るのか」辻谷秋人著・三賢社出版です。
本の紹介によると著者の辻谷氏は中央競馬ピーアールセンターという会社に所属されその後同社が発行する競馬雑誌「優駿」の編集に携わっているライターの方です。他にもいろいろな活動をされているのかもしれませんが、いずれにしても競馬に精通している方といえます。
その辻谷氏が書いた競馬の主人公であるサラブレッドという馬の本、タイトルを見たときは「馬の走り方などの仕組みの本なのかな?」と思ったのです。
本の帯にもこうありました。
「進化、行動、運動生理・・・・。
サラブレッドの生態・肉体を、
「走る」をキーワードに切り取った、
スポーツ科学的ノンフィクション。」
この帯の紹介からみると「仕組み」の話なのかなとはじめはふんわりとページをめくりました。
ところが、この本のテーマは全く別のところにありました。
本のテーマは「馬は好きで走っているのか?」という素人の問いに対する答えが主軸となっているのです。
その答えとは「馬は競馬のように全力で走ることが好きではない。」というものなのです。
多分そうだろうなと今まで思っていたことをこうやって現場の専門家の言葉として書いてあることで本当にすっきりしました。
競馬ファンならとても受け入れられない(本の中にもそう書いてありました。)こういう見方を「こういう見方もあっていいのだ」と書いて下さったことにも感動したのです。
この本が面白いのはただの感情論ではありません。
そもそも馬は競馬のように…いや私の言葉でいうと、馬は競馬場で全力で走ることを好んではいないという見方がどう発生しているのかという部分についてはとても生理学的、行動学的にとらえてあり納得のいくことばかりです。
さらに鼻息あらく便乗させていただくと「犬はドッグランで走ることが楽しいのか?」となるのですが、犬と馬では立場が違います。追うものと追われるもの。
追う者である犬の方は走るのが好きに決まっていると考えるのもまた単純すぎる発想です。
同書の中には動物として犬とつながる部分もたくさんあって、馬という動物、サラブレッドという生き物がより身近に感じられました。
また、社会的な背景についてもサラブレッドには純血種犬と同じような状況が起きていることを知ることができました。
この本の中からいくつものブログネタをいただいて書いていきます。
犬に対してもっと広い見方をしたい方にはおすすめいたします。
七山では梅の花が咲いた今日は特別に感慨深い一日でした。
今日の話は私の人生にとっては大切な区切りのひとつを迎えたという話です。
それは私の母に関連しています。
母は私が20代のころに病に倒れ数年間の闘病ののちに他界したのですが、実は今日の誕生日で迎える年齢が母が亡くなった年齢と同じなのです。
自分の年を重ねた姿を思うときに、男性なら父親を女性なら母親の姿を重ねることがよくあるかと思います。
私は自分の母が若くして他界したことで自分の人生をそこまでしか考えることがなくなっていました。
あの年齢まで頑張ればいいのだ、あと少し、もう少し。
そうやって今までやってきたのだと思います。
目標としていたその年齢に今日到達して、自分の生きる理由ということを考えることになりました。
今こうして犬と関わる仕事をしているのも、母が犬たちと関わっている姿を見て自分もその中に入っていきたいことがきっかけで始まったものです。
母の背中を追い続けてきたのに、ここで母親をぬいて進まなければならない。
幸いにして私は年齢以上に元気で若さもありエネルギーもまだまだ十分にあります。
自分の力を役立てて下さる生徒さんたちがいます。
一緒に山を歩いてくれる犬たちがいます。
そして人生を一緒に歩いてくれる人もいます。
できることの限界が見えているような気がするけどそれでもやり続けること。
この先自分を役に立てていただくためには、本当に小さなことでも良いのだと納得できる年齢になりました。
私は何もしなくてもいい、ただ人と犬が学べる環境があればよいのだというのが私の結論です。
今日は預かりの犬ちゃんと草刈りを少しずつ進めました。
これが私ができることなのだ、草を10本切れば、明日も10本切れば、追いつかなくてもいい、続けることが大切なのだ。
やれることが山ほどあるのだからこんなにうれしいことはありません。
今年は1歳~新たなスタートです。
「犬に嫌われるたくないから叱れない」飼い主さん、犬に捨てられますよ!
みなさんの反感を買うかと思ったけどなかなか好評だった記事があ
最近のブログ記事「犬になめられて喜ぶ皆さん、犬のことを「
が以外に高評価を得ました。
「思い当たるところがある。」
「自分も犬になめられていると思う。」
などの意見をいただきました。
飼い主としてを客観的に自分を評価する機会がみなさんには必要な
多くの飼い主はわが犬に嫌われたくありません、
その気持ちは飼い主として犬と暮らしていた私にもよくわかります
とても大切な気持ちですし全面的に尊重します。
ただ違うのではないかと思うのは「犬に嫌われたくないから叱れな
子供を育てたことのある方なら「
親なのにこんなことを言ってしまったら親としては失格です。
子供を叱るのは「
子供は感受性が高く素直な動物であると思います。
親が適切な形で適切に叱れば、
そしてそのことで自分も尊重されたと感じるのではないかと考えて
犬の場合にもそれは同じです。
犬は必要なときに叱責を受ければ、
犬はより強いグループに入りたいという社会的欲求を持っており、
逆に犬がどのような行動をしても「かわいいから~」
その先には「このヤバい飼い主の元から逃げ出したい」
犬の好き嫌いで発しているのではなく、
もし山でリードが外れて犬が飼い主の足元から逃げ出してしまった
笑い話のようなコメントですが、本当に笑えるでしょうか?
ではやみくもに犬を叩いて叱っていいかというとそんなことではあ
「犬を叱る」
それもまたドッグトレーニングとしてみなさんが学ぶべきことのひ
私自身もたくさんのコメントで飼い主さんから嫌われるだろうと思
ドッグインストラクターとしては飼い主と出会う時間と回数の制限
本当に限られた時間の中でできるだけたくさんの真実を伝えたい、
相手に拒否されたくないという気持ちで曖昧な言葉を使ったり、
私は嫌われてもかまいません。
犬と飼い主にとって今一番大切だと思うことを、
次々と現れるウイルスの出現は人間が野生動物を追いやったことにあるという仮説
今年に入ってから読みたい本が積みあがっていきます。
生徒さんからお声かけいただいた「馬の本」
ぜひ読んでくださいとすすめられた「環境の本」
そして昨日もまたラジオから流れてくる対談の言葉にひかれ興味を持った先生がいます。
山本太郎先生という感染症に関する書籍の著者でもある先生です。
ラジオの中で耳にしたのは次のような言葉でした。
新型コロナウイルスはそもそも戦う相手ではない、
感染症の発生は近日、あまりにも多くなっている、
新型コロナウイルスはスペイン風邪などに比べれば恐れるべき感染症ではないが、SNSの普及がこの感染症の脅威を増大させた、
人類に影響のある感染症のほとんどが野生動物から発生しているが、その野生動物を追いやっているのは人間である。
そんな内容でした。
私もそもそも感じていた動物と人の関係性について、山本先生の視点では野生動物と人のかかわりを感染症からみるということのようです。
自分の中では犬と人とのかかわりと距離感を犬の行動からみるということなのです。
ここでいう「みる」とはただ視覚的に見るといういみではなく、そこから知見していくという意味です。
人間が野生動物との境界線を越えて野生動物を追い込んだことが昨今の感染症発生の多さにつながっていると指摘される山本先生の視点は、犬についても応用されるような気がしています。
犬もまた、人の愛情と親切によって追い立てられて行き場を失っている動物です。
犬は徹底的な管理と消毒によって人に害を及ぼすような感染症を封じ込められています。
ところが、封じ込められない「犬の行動」というものがあり、その爆発する行動が現在では動物としてはかなり異常だと思えるほどひどいものになりつつあります。
新型コロナウイルスを悪いものやっつけるもの、封じ込めるもの、として戦う姿勢が多い中、ウイルスも生物の一部だとして大きな視点で科学的に説明してくれる先生の本をぜひ読んでみたいと思いました。
さっそくアマゾンのほしいものリストにいれました。
今年は読みたい本がたくさんあります。
学びの一年、これからスタートです。